●リプレイ本文
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明り取りから差し込む光の帯に。
神々しいまでに凛とした娘が玲瓏と霞んで。
「なんとも不思議な依頼ですね」
独語すると、娘はしゅるると呪符を翻した。
小鳥という陰陽師が観た未来の相。いかなる言霊を織り込んだかは定かでないが、何とか追いつけぬものだろうか。
すう、と。娘の指刀が空に複雑な模様を描いた。
空間的厚みはないが、幾層にも折り重ねられた呪力は次元の渦動と化して時空をこじあけ――
娘――山城美雪(eb1817)の意識を刻の彼方へと飛翔させた。
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眞薙京一朗(eb2408)は小鳥の面を、それから細い手首に枷のごとくにつけられた鎖に眼をとめた。
両手を戒めた陰陽師。いったいこの娘は何を背負い、こうも静かでいるのだろう。
咳きひとつ。その想いを迷いとしてふりきると、京一朗は請うた。
「行く末を変える、その為には先観の訳を知らねばならぬ。何故美登里なる娘の先を観たのか、その理由を教えていただきたい」
「その通りだ」
続いて口を開いたのはイギリスから渡って来た白の僧侶。名をヨシュア・グリッペンベルグ(ea7850)といい、彼は何かきっかけがあったはずだと続けた。
「きっかけがなくば他人の未来など観るまい」
「そうね」
所所楽杏(eb1561)が柔らかく頷いた。
「私も不思議に思っていたの。――小鳥ちゃん、あなたはどうして美登里ちゃんの未来を見たの?」
「依頼を受けたのです」
小鳥がこたえた。
「依頼?」
怪訝な面持ちで眉根を寄せたのは御簾丸月桂(eb3383)という名の陰陽師だ。わざわざ助けを求めてくるほどであるのだから、もしや旧知の間柄であるかとも思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「というと‥‥仕事で受けたということかな?」
「はい」
「では」
と、再び京一朗が口を開いた。
「その依頼をした者は何者か?」
「名は申されませんでした」
「なに?」
ヨシュアが身を乗り出した。
「では依頼人が何者かはわからないのだな」
「はい。でもそのご婦人はお身内の方ではあるまいかと」
「身内?」
咄嗟に声をあげたのは巨躯の――身なりは男様であるが、胸元の布地を窮屈そうにおしあげる双丘は隠しようはなく――娘である。
「どうしてわかるんだい?」
「美登里と呼び捨てにし、ひどく将来のことを心配されていらっしゃいましたから。三十路半ばを過ぎていらっしゃったので、ご友人というわけではないでしょう」
「なるほど」
巨躯の娘――音無鬼灯(eb3757)は眼の覚める思いで眼前の女陰陽師を見直した。どこか呆けたところがあるように見えたが、なかなかどうして‥‥
ちらと鬼灯は目配せし、
「じゃあさ――」
と、今度は限間時雨(ea1968)が問いかけた。
「ひとつ確認しておきたいんだけど、小鳥が観たっていうのは死ぬという結果だけで、過程はわからなかったということでいいんだよね」
「はい」
小鳥がこたえ――すぐに時雨は彫刻的に整った顔立ちに翳を滲ませた。何故なら、余人は知らず、時雨は小鳥の返答の重要性を認識しているからだ。
予想はしていたことではあるのだが、小鳥は美登里の死の前後を確認してはいない。その事実から導きだされるものは実に厄介なもので――美登里の死の瞬間。それは果たして彼女が花嫁衣装をまとっている時であるのか否か。もしやすると死んでから花嫁衣装を着せられた、という可能性もあるわけで。このままでは、その瞬間の想定が難しくなる。
「と、ともかく、その時に何が観えたかおしえて」
「はい」
こくりとし、小鳥が告げた内容――
薄暗い部屋。白無垢をまとった娘が横たわっている。紅が鮮やかな唇はやや開かれたままで、同じように閉じられることのない眼は硬玉のように光なく。
「美登里様のご人相をお伺いしましたので、その死者が何者であるのかは間違いない、と。それに、ここ」
小鳥は磁器のように白い顎を指し示して、
「美登里様には黒子がございますようで」
随分と手回しが良い。
が、まだ疑問は残る。肝心要――死因につながる美登里の様子だ。それが判明するだけで手のうちようも変わってくる、と日輪稲生(eb2171)は思い、尋ねてみたのだが――
「血のようなものは観えませんでした。後は暗くて良くは‥‥」
小鳥の応え。
となると、少なくとも刃での刃傷沙汰ではないらしい。
「もうこれで宜しゅうございますか」
「いえ、最後に」
小鳥の眼を覗き込むように。稲生は陽の光をたっぷりと吸った面をむけた。
どうしても聞いておきたいことがある。同じ陰陽二極の理の狭間を歩む者として。それは――
「お聞きします。貴女はなぜ美登里さんを助けたいのですか?」
「それは――」
声を途切れさせると、小鳥は長い睫を伏せた。
一息、二息。
やがて、ふっと眼をあげると、
「嘘をつきたくないからです」
「嘘?」
「はい。依頼されたご婦人に、美登里さんは幸せになれるとこたえました。ですから、幸せになっていただかねば困ります」
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名主宅の庭先。
やや高くなったのは、名主の声だ。
「冒険者?」
名主――美登里の父である与兵衛は、怪訝な表情で縁側に腰をおろした京一朗を見つめている。
「はい」
京一朗は自若として頷いた。
名主の不審はすでに想定済みだ。それを織りこみつつ、なおかつ冒険者として動き回る為には多少の嘘も必要だろう。俗にいう、嘘も方便と――
「ある村で若い娘が神隠しにあい、それを調べております」
「神隠し、とな」
「左様。そこで近隣の村々の事情に詳しい名主殿の元に参った次第。過去現在も含め、名主殿の存知よりの神隠しなどはなかったでござろうか」
「いや」
与兵衛は巌のような顔をわずかに振った。
「儂の知る限り、そのようなことはない」
「では最近怪しい者を見かけたという噂を耳にしたことは?」
「ない」
「‥‥左様か」
思い切り良く京一朗は腰をあげた。
美登里の命を奪うものの正体が人と決まったわけではないので、あわよくば妖しの噂でもあるまいかとあて込んだのだが、そう容易くはいかなかったようだ。が、村中で動く自由は得た。まずはこれで良しとするか。
「ひとつ――」
去りかけて、京一朗は足をとめた。
「噂に聞いたが、名主殿には娘御がござったな」
「一人、おる。それがどうかしたか?」
「近頃変わったところは見うけられなんだか?」
「変わった‥‥・? い、いや、ないが‥‥何故、美登里のことを尋ねられる?」
「特に娘御が、というわけではない。神隠しのことがある故、皆にも聞いておるだけのこと。何も異変がなければ問題はござらん」
一礼し、今度こそ京一朗は背をむけた。しばらく歩み、やがて振り返る。
ものは試しと発した最後の問いであったのだが――あの与兵衛が垣間見せた狼狽。気になる‥‥
すでに桜は散り、吹く風すらやや汗ばんだ肌には心地よい。
杏は無邪気に微笑ながら、とんとんとセブンリーグブーツのつま先を地にうちつけた。
――娘に譲ってもらって良かった。こんなに楽だなんて‥‥なんか魔法みたいね〜。
ころころ、嬉しそう。でも魔法なんです、はい。
と、庫裏の表に現れた人影に気づき、杏は会釈した。
「ご住職様でございますか」
「はい‥‥」
頷きかけて、住職は眼を瞬かせた。
「僧兵をされていると小僧から聞きましたが――」
遠慮がちに杏の全身を眺める。
腕と太股を晒した彼女の肢体はとても三十七歳のものとは思えぬほど輝いて。とても僧職に籍をおいている者には見えようもない。
「‥‥確か冠婚葬祭に関して調べておられるとか」
「はい。変わった風習などないかと。‥‥たとえば、嫁入りの決まった娘が亡くなった場合、死に装束として花嫁衣装を着せて埋葬する、などというような」
「いや」
住職は皺深い顔に苦笑を浮かべた。
「ここは辺鄙な村ではありますが、さすがにそのような変わった風習は‥‥まあ亡くなった娘を悼んで婚礼衣装をともに埋葬するということはあるかも知れませんが。‥‥したが、何故そのような風習に興味をもたれましたのかな」
「先日、娘の一人が婚儀をあげました故」
これは本当だ。杏にセブンリーグブーツを譲った娘――所所楽石榴は最近挙式した。その際の娘の煌く笑顔は今も胸の奥に刻み込まれている。生涯忘れ得ぬ宝物だ。
そして、もう一人――
「守りたい婚儀がありまする故」
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袖をまくり、川での洗濯を手伝う陰陽師などめったに見られるものではない。
最初戸惑っていた村の女達も、今ではすっかりうちとけているようで。
「おかしいな法師様だねえ」
くすくす笑う女に、坊主ではないのだけど、と陰陽師――月桂はちょっと複雑な顔だ。それでもすぐに呵呵と笑い、
「おかしくはないよ。穢れを払うのは陰陽師の仕事。習いが性となったか、いつしか汚れているものを見ると放ってはおけなくなってね。花嫁衣裳のように綺麗にしたくなってしようが‥‥そう云えば、この村でも近々婚儀が行われるそうだね」
「美登里様のことだろ」
「そうそう。一度お見かけしたが、大層綺麗な娘御であったなあ。嫁ぐとなって、さぞかし嘆く男も多かろう」
「そりゃあそうさ。けど、貞三さんのようになっちゃあね。あっ――」
女が慌てて口をおさえた。が、すぐに今更と思いなおしたのか、
「そう貞三っていう若い衆がいるんだけどね。美登里様に恋慕したのはいいんだけど、名主様に知られちゃって」
「ほう。で、その貞三とやら、どうなったんだい?」
「ひどい折檻をうけてさ。村からおん出されちゃったよ。あれを見ちゃあ、村の者で美登里様に手を出そうなんて奴はいないだろうね」
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「美登里さん」
「はい?」
足をとめると、美登里は声を発した蜂蜜色の髪の異国人――ヨシュアに眼を遣り、少し驚いたように瞠目した。月道のおかげで異国人を見かけることは少なくないが、さすがに田舎の村においてはそうあることではない。
「あの‥‥私のことをご存知で?」
「はい」
シーヴァス・ラーンに教えられた通り、ヨシュアは花のように微笑んだ。
「近々婚礼を控えていらっしゃる方がいると聞いて参ったのです。ジャパンの儀式について興味があると云えば失礼かも知れませんが、こう見えて私も聖職者でして」
「そうですか」
うかぬ顔。沈んだ声音。とても晴れの日を間近にしている者の様子とは思えない。
「どうしました、お顔の色が優れぬようですが。‥‥西洋では花嫁が揃えると幸せになれるという四つのさむしんぐのひとつにさむしんぐぶるーというものがありますが、花嫁さんのお顔がぶるーになるのは良くありませんね」
「いえ、私は――」
「そうだ」
美登里の返答を待たず、ヨシュアは彼女の肩にそっと手を添えた。
「あそこに占い師がいらっしゃいます。気にかかることがあるならお話しされてみてはいかがでしょう?」
語調は優しく、しかし引く手は強引に。美登里の態度から、とてものこと赤の他人に身の上のことなど話すまいと判断しての行動だ。
「人生の転機となる時は縁起をかつぐことも必要です。花嫁衣裳を当日以外に着ることが不吉であるので、纏うことすらやめた方が良い、というのと同じようにね」
ヨシュアが美登里、それから占い師――美雪のどちらにともなく片目を瞑って見せた。
「さあ占い師の方に心が晴れぬわけをお話しし、占っていただきましょう」
「いえ――」
美登里がヨシュアの手を振り払った。
「私は白無垢など相応しくない女。将来を観ていただくなど無用でございます」
「お待ちを」
走り去りかけた美登里を、冷然たる美雪の声がとめた。
「貴方に白無垢が似合わぬなどということはございません」
「えっ」
ぎごちない仕草で美登里が振り返った。
「何故、そのような――」
「観えましたから。八つの星が貴方を守っている相が。故に心配はいりません」
こたえ、美雪は細い顎を僅かにそらせた。
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やはり、というか。
どこかで予想はしていたことであった。
美登里の母、登美の人相は小鳥から聞いた占いの依頼人のそれに等しく。名主宅近くで対面した稲生はやや息を引きはしたものの、すぐにすべてをうちあけた。
それは琳思兼が案じた父親そっくりの天然ぶり炸裂というところなのだが。その率直さが彼女の魅力ででもあるのだからややこしい。
「――それが真実であるのかはわかりません。しかし未来の可能性のひとつであると知った以上、見過ごすわけにはいかないのです。だからお母様も――」
気にかけていて、と続けようとし――
登美の異変に気づき、稲生の真摯な眼差しが揺れた。
「ど、どうされました?」
「そんな――」
稲生の問いかけすら気づかぬように、登美は紙のような色の顔を両手でおおった。よろよろと後退り、踵を返す。
「嘘‥‥いえ、やはり‥‥」
うめくがごとく。幽鬼のような足取りで登美が遠ざかっていく。
もはや呼びとめても及ばず。
そう判断すると、稲生は小首を傾げた。
――今晩、どこに泊まったら良いんだろ?
「幸せそうだね」
黄昏を背に、婚礼を祝う振りをして太助に近づいたのは鬼灯と時雨であった。
彼女達は他の冒険者達から離れて新郎――つまりは太助側の様子を調べていたのであるが。
わかったことが幾つか。
太助の父、重三郎は倣岸であるが、目だった悪い噂はない。その点では妻の園も同じである。そして当の太助はといえば、これがすこぶる評判が良い。父親と違って偉ぶるふうもなく――今も、愛想良く笑って会釈を返してくる。
が、見知らぬ他人に深入りされるのは別だ。美登里に関する世間話にはさすがに曖昧にこたえ、そそくさと立ち去っていく。
遠くなる太助の影を見送りながら、鬼灯と時雨がやれやれと肩を竦めてみせた。
その時――
悲鳴に似た声がした。
はじかれたように振り向いた鬼灯と時雨は見た。太助に迫る数名の影を。
夕闇のこととて良くはわからないが、影は覆面をかぶっているようだ。手には、それぞれ棒きれらしき得物をもっている。
「ちいぃ!」
鬼灯と時雨は風をまいて躍りあがった。
「待て」
時雨が叫んだ。
その絶叫に気づいたか、影達が一目散に逃げ去っていく。あとには横たわった太助のみが残され――
「大丈夫かい?」
鬼灯が太助を抱き起こした。すると太助は痛そうに顔をしかめ、
「は、はい」
「そうか」
額から血を流してはいるものの、どうやら命にかかわるほどの傷ではないようだ。
鬼灯は立ちあがり――ふと気づいた。道沿いに続く林の中に消える白影。あれこそは――
「まさか真奈じゃ‥‥」
時雨の耳元で鬼灯が囁いた。
聞き込みで知り得た――真奈とは第三の名主である貴蔵の娘。以前太助と恋仲であったという。
時雨は溜息を零し、
「なんだか面倒になってきたね。これから、どうする?」
「与兵衛のところに忍び込んでみる」
こたえる鬼灯の眼は、瞬きはじめた銀河を映してでもいるかのように煌いていた。