●リプレイ本文
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「ごめんなさい」
件の村近く、ぺこりと頭を下げたのは狩衣姿の娘。名を日輪稲生(eb2171)といい、日月両輪の狭間に屹立つ陰陽師である。
「どうしたの、いきなり?」
やや驚いて、所所楽杏(eb1561)は見開いた眼を稲生に向けた。すると稲生は消え入りそうな風情で、
「あたしのせいで動きにくくなったみたいで‥‥」
村近くになるにつれ、村人と行き交う機会が多くなったが、眼に敵愾に近い炎がゆれている。おそらくは稲生から真実を打ち明けられた登美が名主の与兵衛にそのことを告げ、すわとばかりに戒厳の触れが出されたに相違ない。
「いいのよ、そんなこと」
杏がふわりと微笑った。
そもそも冒険者が受ける依頼に好条件などあったためしがない。むしろ淵ぎりぎりの瀬戸際で踏みこたえることの方が多いくらいで。
すると、ヨシュア・グリッペンベルグ(ea7850)が聖光縁取るような面をぬっと突き出し、
「それほど気になるならお仕置きをしておこうか」
「えっ」
戸惑う稲生の小麦色の額に、ヨシュアは丸めた人差し指を近づけ、
こつん、と。
「痛っー!」
額を押さえて蹲る稲生を、くすくすとヨシュアが見下ろしている。それで終い。ジーザスはすでにお許しになられた。
何とも仲の良いことだ――と、その様子をちらりと一瞥したもう一人の狩衣姿の娘が口を開いた。
「さて、何とか犯人を見つけねばいけませんね」
そう、肝心なのはその点だ。
娘――山城美雪(eb1817)はいつも冷静沈着。澱みも躊躇いもない。やや尖った雪色の顎をひくようにして、
「私も美登里様を占いました故」
云った。
――そう、確かに美雪は美登里を占い、八つの星が守ると卦を出した。ならば当然、何としても美登里は救わねばならない。小鳥同様、美雪とて嘘はつきたくないからだ。
「自分に白無垢は相応しくない、か‥」
黒曜石の瞳に理知の光閃かし、眞薙京一朗(eb2408)が腕を組んだ。
「貞三とやらが村を追われた責は己に有る、と美登里殿が思っている為か‥」
わからない。五里霧中とまではいかぬまでも、まだ見えぬ糸が絡んでいるような気がする。
限間時雨(ea1968)が細い肩をおとした。
「それはわからないけど、小鳥の観た刻が近づいてるのは確実ね」
婚儀は明日。その刻の可能性が最も高いのは、まさしくその婚儀の期間だ。
「時がないね。すべて裏をとっている余裕はない」
音無鬼灯(eb3757)が、巨躯――さりながら、女豹のようにしなやかな体躯をゆすって重い吐息をついた。その肩をぽんと、整えられた指が叩いた。
「手がかりが足りなくても‥限られた条件でなんとかするのがほら、真の冒険者ってヤツ?」
彫刻的な面差しに、時雨はさらりと笑みを浮かべた。
それは絶大な自信、ではない。いつもそうなのだが、依頼を受ける度、時雨は震えるような恐怖と隣り合わせにいる。
それでも弱みを見せぬのは、ただ矜持。誇りである。
その誇りと孤剣のみ携え、時雨は今日まで歩んできたのである。
「ま、気楽にいこうや♪」
常に変わらぬ台詞を吐き、御簾丸月桂(eb3383)はすたすたと歩み出す。
やや呆気にとられた他の冒険者の見送る中――しかし彼らは知らぬ。数歩行き過ぎた辺りで、月桂の顔からすうと笑みが消えたことを。
「美登里嬢ちゃんの身を守るにゃ、知らねばならない事は沢山ある。‥‥が、知らねば良かったと、そう思ってしまうような事にならねばいいがな」
ひっそりと。月桂は、そう呟いた。
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村はいつになくざわついた空気に包まれていた。
名主の息子である太助の婚儀は明日。それも仕方なかろう。
場所は太助の父、重三郎屋敷近く。京一朗と鬼灯は岩に腰をおろしていた。
やがて湿った土を踏みしめて歩み来る人影を見出し、京一朗がうっそりと立ちあがった。
「太助殿か?」
「は、はい」
びくりと身を強張らせ、太助が足をとめた。が、すぐに鬼灯の姿に気づき、太助は淡い笑みを顔に押しあげた。
「あなたは――」
「覚えていてくれたかい?」
微笑み返し、すぐに鬼灯は名乗りをあげた。
「ぼうけん‥しゃ?」
「ああ」
頷くと、鬼灯は真実を切り出すべく口を開いた。忍びは暗躍こそ常態とするが、ある程度の行動の自由を得るためには骨身をさらすことも必要だ。
「実は美登里さんに危難が迫っている」
「美登里に危難!?」
馬鹿な、と云いかけて太助は口を硬直させた。先日の襲撃のこともあり、よくよく考えてみれば一笑に付すことができぬことに気づいたものらしい。
「し、しかし、その危難とは」
「わからぬ」
頭を振ったのは京一朗だ。彼は良く光る眼をじっと太助の面に据えて、
「が、太助殿自身も襲われた経緯がある。二人共守るには、是非ともそなたらの身近にいる必要があるのだ。それに此度の婚儀、恙無く済ませなくてはならない体面もあろう。如何かな、我を知り合いとして側にいさせてはもらえぬか」
「僕を使者として美登里さんの元に出してもらいたい」
鬼灯もまた申し出た。ややあって、太助は躊躇いつつ頷いた。
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黄金光に溶けそうな。
真奈はそのような印象の娘であった。とても他人の命を断とうとする人間には見えない。聞き込んだ内容でも、彼女にはそのような危険な性根などは窺えなかった。
屋敷内にて縁側に腰をおろしている真奈を改めて見直し、時雨は確かに彼女が下手人かと疑う気持ちが膨らむのを覚えた。
時雨の読みとしては、真奈と貞三が共犯――という線が濃厚だ。なんといってもこの二人は利害が一致する。小鳥の見た未来絵図の様子では美登里の自刃は可能性は薄く、また与兵衛にしても殺害するならもっと早く手を下していても良いはずだ。
しかし――
そうは思いつつ時雨は鳶色の髪を揺らし、小首を傾げた。
黄昏の中、寂とした真奈の姿からは殺害を目論む者特有の毒念のようなものは届いてこない。慌てて時雨は思考を殺害場所の想定へと切り替えた。
確か小鳥は薄暗いという言葉を使った。
その言葉から連想されるものは、まずは蔵か。あとは納戸や物置というところである。
時雨は真奈から視線を外し、屋敷横へと流した。そこに古びた蔵がある。
時雨はがしがしと頭をかいた。
もし得意の夢想の刃がたつのなら、一刹那で絡まる糸を両断できるものを‥‥
いらついた時雨の手が無意識的に牙なる刃にのびた。
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時雨がエスキスエルウィンの牙をまさぐるより少し前、与兵衛宅ではほんの一部ではあるがある噂が持ちあがっていた。
妖しがいる――そういう噂だ。
出所は明日に婚儀を控えて忙しく立ち働く奉公人達で。
ある者はどんと突き飛ばされ、振り返ってみればそこには何者の姿もなく――
ある者はおいてあった桶がふっ飛ぶのを目撃し――
ああ何かの祟りだと、奇怪に遭遇した者達は震え戦いたのであった。
登美の姿を見つけ、稲生は凛々しい――いや、痛む足を引きずり、引き千切れた袖をゆらし、見るも無残な姿で歩み寄っていった。
必死にインビジブルで登美に近寄り、耳元で会いたいと囁いたのが功を奏したようだ。
「ごめんなさい!」
いきなり稲生は土下座した。驚く登美の眼前、地に額をすりつけたままこの前の非礼を詫び、稲生は小鳥の観相を、さらには自分達冒険者の成そうとしていることを信じて欲しいと懇願した。
泥だらけ傷だらけで、ただ占いの結果の為に蹲るその姿は無様に見える。が、稲生は真摯だ。誰にそれを笑えようか。登美も笑わない。そっと稲生の背に手をおき、
「もうお顔をおあげください」
と云った。
「登美さん、それでは――」
「いいえ」
登美は悲しげに睫を伏せた。
その時稲生は本能的に感得した。登美は何かを知っていると。
ぐっと稲生は登美の手を握った。己の手の温もりが、登美の胸を閉ざす閂を溶かすと願うかのように。
「登美さん、何かご存知なのですね。美登里さんのためお話し願えませんか」
「美登里のために話せないのです」
「えっ」
愕然として稲生は息をひいた。
美登里のために何も話せぬとはどういうことであろう。さらに問い詰めようとして、稲生は登美の頬に滴る雫に気がついた。
「そうですか‥‥」
項垂れて稲生は手を放した。もはや何を問うても登美が応えを返すことはあるまい。そう察せられたからだ。が、すぐに決意の光をこめた眼を登美のそれにしっかりと合わせ、
「わかりました。でも、これだけは覚えておいてください」
「‥‥」
黙したまま見返す登美の前、稲生は太陽の香り漂う笑みを浮かべ、告げた。
「とーさまは良く云ってました。変えられない未来はないって」
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「綺麗な娘さんだな」
声をかけられ、美登里の後姿を見送っていた貞三はぎくりとして振り返った。見れば壮年の法術師らしき男がにやにやと笑っている。
「あんたは――」
「御簾丸月桂。けちな陰陽師さ」
こたえると、月桂は首筋をかきながら貞三に並んで立った。
実は――
月桂は貞三の住まいを求めて村の近隣を歩き回ったのだった。が、住まいをつきとめることはかなわず、それならばと美登里を張るべく村に戻ったところ、図らずも貞三――人相は村の内儀から聞き取っていた――に行き当たったというわけで。
「名主様の娘さんだってな。近く婚姻を控えているというが‥相手が羨ましいものだ」
云って、ちらと貞三の横顔を盗み見――月桂はおやと眉をひそめた。
貞三の面に滲むもの。それは微笑。何か安堵したような、胸落ちした者のみが浮かべ得る――
月桂は惑乱した。
彼は御歳三十六。この歳になるまで幾度となく色恋沙汰に遭遇し、その際に騒ぐ者どもの狂態を横目で眺めてきた。恋狂いした者達の鬱血した表情はしっかりと眼に焼きつけている。
そして今見る貞三の顔。それは断じて色恋に狂った男のそれではない。むしろ愛する者の幸せを希う者の――。
はっとして月桂は貞三を見なおした。その顔からはにやけた笑みは綺麗さっぱり拭い去られている。
「貞三さんよ」
「なっ――」
はじかれたように貞三が顔をむけた。
「ど、どうして俺の名を」
「そんなことはどうでもいい。それより――」
云うと、月桂はニヤリとした。
「これには美登里嬢ちゃんの命がかかっている。今から俺が尋ねることに心してこたえてもらおうか」
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「ご苦労だったな」
「いえ」
頭を振って京一朗の労いにこたえたのは杏である。
彼女は太助と美登里の村を往復し、道中の危険個所の検分を行ってきたのであるが、流麗なその様子には疲れの色は微塵も見えず、娘の所所楽石榴の心配など何するものとかえって溌剌としているくらいで――
「稲生ちゃんが登美さんが何か知っていると云っていたけれど‥‥私は完全な悪意のある者が下手人とは思い切れないのよね。あなたはどう思う?」
「私か?」
ふうむとヨシュアは唸った。
「嫉妬における男の心理、というものを考慮に入れると貞三の存在は実に興味深いのだよ。一般的な痴情の縺れでは、男は想い人の相手ではなく想い人に手をかけて自分も命を絶つ。女は想い人の相手に手をかけて男が戻ってくるのを待つ、という心理が働く。そう考えれば貞三も真奈も美登里を襲う可能性は高い」
理路整然たるヨシュアの推論には穿つ隙などないように見える。なるほどと感心しながらも、しかし京一朗は首を捻っている。
「俺は誰の手を介そうとも、最後に美登里殿を殺めるのは‥自らを責める彼女自身。そう思えるのだがな‥」
京一朗が呟いた。その時――
闇の彼方から駆けてくる者があった。
一人は月桂であり。もう一人は――
貞三その人であった。
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婚儀の朝。
からりと蒼い空は、晴れの日に相応しい。
今頃にしてはやや肌寒い風が吹く中、太助の元から遣いの者が到着した。村にしては珍しい巨人の娘に少しばかり興味をひかれたようだが、与兵衛はすぐに使者を奥に通せて命じた。それから美登里の姿が見えぬことに気がつき、すっと座を立った。
「‥‥美登里」
薄暗い納戸の中、与兵衛は美登里に手をのばした。
「お放しください」
美登里が与兵衛の手を振り払った。が、与兵衛の老人らしからぬ力のこもつた手は、美登里のそれをがっちりと掴み、
「そうはいかぬ。さすがにしばらくはお前に逢えぬからの」
美登里を引き寄せ、与兵衛は皺の寄った口を娘のそれに近寄せた。
「お話しがあると申されていたのは、このようなことだったのですか」
美登里が身をよじらせた。
「今までは我慢してまいりましたが、もうお許しください」
「ならぬ。お前は儂のものじゃ。儂の女じゃ。誰にも渡しはせぬ」
「何を‥‥今日から私は太助様の妻となる身です」
「関係ないわ」
ニンマリと爛れた笑みを口の端に刻むと、与兵衛は美登里の裾を割って手を差し入れた。
「お前は女にしたのは儂じゃ。重三郎めの手前、仕方のう嫁には出すが、なんであんな太助如き若造にお前を譲れようか」
「私は太助様を愛しております。これ以上無体な真似をされますと声を出しますよ」
「なにっ」
もがく美登里を、与兵衛は壁に押しつけた。眼を血走らせ美登里の口を塞ぐ。美登里の顔色が変わり始めているが、そのことにも気づかない。完全に常軌を逸していた。
その時――
すっと背後からのびた手が、与兵衛のそれを掴んだ。その手は女のものらしい柔らかなものであったが、いかなる業が込められているか美登里の口から与兵衛のそれを容易く引き剥がすと――
「名主さん、こういうことしだったんだね」
云って、その手は与兵衛を放り出した。そして手の主はぎゅうと与兵衛の胸を踏みつける。
「お、お前は――」
手の主の正体を見とめ、与兵衛の口から罅割れたうめきがもれた。じろりと見下ろす手の主の正体は、まさしく太助の遣いの――
「冒険者だよ」
云って、鬼灯は与兵衛を踏みにじった。
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「まさか与兵衛が太助を襲わせ、婚儀を潰そうとしていたとは‥‥」
美登里殺害の下手人は既知の者と読んでいたが、実の父親であるならまさしく正鵠を射ていたというべきか。ヨシュアは複雑な色の溜息を零した。
彼が最初疑っていた貞三は美登里にとっては兄のような存在であり、唯一美登里から与兵衛のことを打ち明けられていたのだった。そのことを知った与兵衛は貞三の邪恋の噂を流し村から追い出したのだという。
「しっかし人間関係のこじれ、それも色恋沙汰が絡んでくると妖しなんかより人間の方がよほど恐ろしいもんだね。くわばらくわばら」
肩を竦めると時雨は眼をあげた。
その視線の先――馬に揺られて白無垢の美登里がゆく。
美登里が本当のことを太助に話すかどうか、冒険者は知らぬ。そして二人の行く末も。もしかすると、そこに待ちうけるのは真っ暗な不幸であるかも知れぬ。
しかし、その刻は変えられた。美雪が占った卦の如く、八人の冒険者の手によって。
なんで太助と美登里に同じことができぬことがあろう。
今度未来を紡ぐのは、太助と美登里の番だ。