【十一番隊・静香陰謀編】局長暗殺計画
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:5〜9lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 74 C
参加人数:10人
サポート参加人数:9人
冒険期間:07月30日〜08月04日
リプレイ公開日:2006年08月08日
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●オープニング
春嵐遠く。
京を席巻した五条の乱も、今となっては霞のように朧で。宮も流刑となった今では、それも尚更。
それよりも人は陽を追う。やはり人は生きねばならないのだから。風の行く末など関係なく。立ち止まることの許されぬ歩みは、古びた影を置き去りにする。
暑さ。飢え。渇き。
ああ、人は何時も忙しい。後を振り向いてなどいられない。
が――
置き去りにされた影はどうなるのか。
それは進むこともできずに、ただ澱んでいる。凝った怨念は、どす黒くたゆたい、増殖し――。
牙をむく。
●
「新撰組局長、近藤勇である」
名乗りをあげるやいなや、近藤は偽志士の一人を袈裟に斬り下げた。
一瞬の斬撃。戦場の剣である天然理心流に躊躇いはない。
血飛沫あげて倒れる仲間の姿より、むしろ近藤勇という名に驚愕し、偽志士達はあっとうめいた。慌てて抜刀し、抜き合わせようとするが――
その眼前、立ち塞がった影がある。
浅黄の羽織の数名の侍。その中の、秀麗な面立ちの娘が口を開いた。
「十一番隊、参る!」
風鳥のように、幾つかの影が白光閃かせて躍りかかった。
「あれが近藤勇か‥‥」
闇の中で、ひとつの声が慨嘆した。
声がわいた陰から離れた路上、月光に蒼く沈んだ十数体の骸が転がっている。鬼神の如き近藤、さらには新撰組十一番隊の剣舞により、数合も刃を合わせぬうちに終焉の刻は訪れていた。
「やはり、つよい」
「いや――」
別の声が嘲笑った。
「奴もやはり人よ。一人の時ならば、やりようはある」
「一人? そのような機会があるのか?」
「ああ。奴は芸妓を囲っている。そこに通う時は、さすがに供は連れてはいまい」
それっきり――
声はぷつりと途切れた。
●
「新撰組十一番隊伍長、神代紅緒よな」
呼ばれ――
紅緒は振り返った。
眇めた彼女の眼の先、薄闇の中に、さらに黒々とわだかまった影がある。
黒の着流しに黒の宗十郎頭巾。眼だけ覗かせたその姿は、舞い降りた鴉天狗のように見えた。
「確かに神代紅緒ですが‥‥貴方は何者ですか?」
「壬生の天狗」
こたえるなり、黒頭巾の腰辺りできらと月光がはねた。同時に紅緒の身はふわりと後方に飛び――
紅緒の足が地に着くより早く、鍔鳴りの音が響いた。
「夢想流‥‥」
「さすがは――」
紅緒の呟きが聞こえぬかのように、頭巾の内から感嘆の声がもれた。
黒頭巾は今、紅緒を両断したと思ったのだ。が、間一髪、黒頭巾の剣先を紅緒はかわしてのけている。
「新撰組伍長だけのことはある」
「どうやら噂に聞く壬生天狗。神代紅緒と知っての狼藉、理由を聞かせていただきましょう」
紅緒が刀の鯉口を切った。
聞くところでは、壬生の天狗と名乗る謎の黒頭巾は度々十一番隊隊士を助けている。それ故正体はわからぬものの、敵ではないと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。ここは正体とあわせて、何としても思惑を確かめておかねばならない。
ずいと紅緒が足を踏み出した。すると波に押されるように黒頭巾は後退り、
「待て」
と制止した。
「今、うぬと殺りあうつもりはない。それよりも――」
次に発せられた黒頭巾の言葉が、殺気立つ紅緒の足を凍結させた。それは――
「近藤勇がどうなっても良いのか」
「なっ――」
紅緒が息をひいた。
「局長が‥‥。どういうことです?」
「命を狙っている者がいる」
「命を?」
愕然とし、すぐに慌てて紅緒は誰が、と問うた。
都守護の象徴たる新撰組は畏れられつつ、しかし同時にその背を狙う輩は多い。現実に隊士のみならず、組長までもが刃を向けられたことがある。ある意味、振りかかる火の粉を払うことは新撰組隊士の日常といってよい。
が、新撰組の要である局長となれば話は別だ。もし近藤勇が敵刃に弊れるようなことでもあれば、それは戦慄すべき事態となる。
「何者が、局長の命を狙っているというのですか?」
紅緒が問い重ねた。と、黒頭巾から覗く眼が微かに笑んだようである。
「五条の乱、すべてが終わったわけではない」
「えっ」
紅緒が瞠目した。
五条の乱が終わったわけではないとはどういうことか。それでは近藤勇を狙う者とは――。
紅緒の胸に一瞬の虚が生まれた。その隙をつくように黒頭巾が背を翻す。
「組長代理、伊集院静香に伝えよ。近藤を守れ、とな」
その黒頭巾の叫びは遠く。すでに追っても及ばずと知る紅緒は、ただ茫乎として佇み――。
やがて火がついたように、黒頭巾が駆け去った闇とは逆の方向――壬生の屯所めがけて紅緒は駆け出していった。
●
漆で塗りつぶしたような暁闇の中のことである。
新撰組屯所の中庭に、一人の侍の姿があった。
だんだら羽織をまとった、薄紅の唇の持ち主。その名は――。
「新撰組、此度は潰す」
ひやりとする囁きがもれ、朱唇が鎌のようにきゅうと吊りあがった。
●リプレイ本文
●
「本当に近藤殿が狙われておるのか」
問うたのは禿頭の志士、小坂部太吾(ea6354)である。それに対して神代紅緒はおいてけぼりにされた子のように頷いたのみで。すると、黒狼の気風を漂わせた男が閉じていた眼をひらいた。十一番隊隊士、静守宗風(eb2585)である。
「近藤局長ほどの者の命を狙う以上、正面からではあるまい」
「‥襲うならば‥一人の時を襲うのが常道」
ぼつりと藤袴橋姫(eb0202)が云った。その幼さの残る、それでいて修羅の陰影の濃い橋姫の面を、さすがはと宗風が感嘆して眺め遣った。
「俺もそう見た。問題は、いつ、どこで局長が一人になるか、だ」
「そのことなら」
紅緒が水を吹きつけられたように顔をあげた。
「局長は一人、芸妓を囲っておられます。そこに通う際、さすがに供を許さぬとか」
「なるほど」
太吾がぴしゃりと膝をうった。
「では、暗殺はその時を狙って仕掛けられると考えて良いようじゃな」
はい、とこたえようと紅緒が口を開きかけた時、中庭の塀の向こうから顔がふたつ覗いた。それは見忘れもしない、元十一番隊隊士である朱鳳陽平(eb1624)と将門司(eb3393)で。
「おっす紅緒ちゃん。俺がいなくて寂しかったか?」
ニッと笑むと、陽平は手にした瓜をふりふりと振って見せた。
陽平と司の消えた屯所入り口を、闇鴉のようにじっと窺っている影がある。その数は三。
「どうやら動き出したようですね」
影のひとつ――観空小夜がもらし、傍らに控えた若き忍び、月風影一(ea8628)に眼を遣った。
「あなたは未だ影。影ならばこそ出来得ることが必ずあるはず」
「それと三蛇の生き残り。俺が討ちもらすほどの野郎だ。気をつけな」
竜造寺大樹が野太い笑みを浮かべた時、すでに影一の姿は忽然と消えうせていた。
再び中庭。
紅緒は司手製の和菓子をふがふがと頬張っている。
その様を苦笑しつつ見つめ、やがて司が口を開いた。
「紅緒はんが遭うた壬生天狗のことやけど‥‥」
「みゅびゅれんぎゅ?」
「そうや。何って云ったん?」
「ぎょんじょうぎょくじょうぎゃ――うぎゅ」
まあ、待てと。陽平が茶椀を差し出せば、紅緒が一気に飲み干して――
「死ぬかと思いました」
胸をとんとんと叩きながら、紅緒は壬生天狗との仔細を告げる。聞き終えた司は苦い顔で、そうか、とだけ呟き、そっと声をひそめた。
「紅緒はんだけには了見してもらいたいんやけど」
「はあ、何か?」
さすがに紅緒も真顔となり、どういうわけか小声で問うた。その耳元に口を寄せ、司がこたえたのは、
「平手組長の件は、静香はんが怪しいと思う」
「へー、静香さんが――ええっ!」
紅緒が素っ頓狂な声をあげた。その口を司は慌てて押さえ、
「大きな声をだしたらあかん」
「で、でも」
なおも眼を白黒させる紅緒の前で、司は己の推測を披露する。それは――
五番隊隊士、並びに見廻組襲撃の際の筋運びの良さ。それに比して、情報の裏づけがないこと。また平手殺害の探索をしようとした司、陽平、所所楽柊(eb2919)の追放。
それらの断片が描くのは、新撰組組長代理・伊集院静香の漆黒の横顔ではないか。
「俺らの命を狙った三蛇も、流れから考えると邪魔者を消す手段やないかと思うわ」
「俺も組長代理は何かを隠していると思う」
宗風もまた冷厳に肯えば、紅緒はただ身を震わせて。その細い肩をがっしと掴んだのは陽平である。
「というわけで、副長に会わせてもらいたい」
●
来須玄之丞がもたらした情報から、三蛇が元隊士を狙ったのは薩摩の依頼である可能性が高い――片桐弥助の調べでは、近藤暗殺には薩摩は関わりはないようだが。
薩摩藩邸潜入時、問答無用で斬りかかられた――つまりは、薩摩は陽平の正体を承知していたふしがある。
解せぬ伊集院静香の五番隊襲撃。
「要するに、伊集院静香は間者である、と?」
陽平の推論を聞き終え、新撰組副長・土方歳三は白々とした刃を思わせる面を僅かに仰のかせた。
「ああ。認めたかぁねえが」
「推測だ。証拠がない」
「馬鹿な。これだけの状況が揃ってるってのに」
陽平がきりりと歯を噛み――
突如、陽平が傍らにおいた日本刀を鞘走らせた。逆袈裟の閃光は昇竜のように唸り――金属音たてて、土方の鯉口切った小刀の刃に受けとめられている。
「何の真似だ」
「いや」
陽平は飛び退った。
今の身ごなし。壬生天狗の正体は土方であると見ていたが――違う。天狗は夢想流だが、土方は天然理心流だ。
「ともかく――」
ふらり、と。同じく土方と対面していた宗風が立ちあがった。
「俺達が近藤局長の護衛の任にあたることは承知おき願いたい。下手に暗殺の疑いをかけられてはたまらんからな」
●
「しずく〜? どこ〜?」
ひょこっと現れた小さな影に、女――垢抜けた、おそらくは祇園あたりの芸妓であろう――はやや驚いて顔をあげた。
「おね〜さん、しずく見なかった?」
と、問いかけたのは小さな影だ。よく見ると、四尺にも満たぬ女童である。薄汚れた身なりからして浮浪の孤児であろう。
「し、しずく?」
「うん。――あっ!」
突然叫ぶと、女童は庭木に駆けより、小さなもこもこを抱き上げた。
「兎さんどすか?」
「うん、可愛いでしょ?」
えへへ、と――すでに三十路を越えたパラの志士、和泉みなも(eb3834)は可憐な微笑みを浮かべた。
「似合うではござらぬか」
「うー」
みなもは唇を尖らせ、山野田吾作(ea2019)を睨みつけた。童様を装い上手くいって、喜んでよいものかどうか。が、近藤危うしの文と呼子笛を渡せたことは成果といえる。
「妾宅に出入りできるようになるとは上等でござるよ」
田吾作は苦笑した。なんとなれば――
彼は祇園辺りで聞き込みを行っていたのであるが、やはり遊びなれぬとあってか、さして得るものはなく。
「ところで」
と顔をあげたのは久駕狂征である。
場所は妾宅の近く。宗風達が土方から聞き出したむことを元に、柊が借り受けた町屋の中である。
「最も気を許す味方から斬られることに気をつけろって、橋姫が云ってたぜ」
「五条の乱の時、新撰組から呼応者が出た前例もあるから、だってさ」
付け加えたのは、酒場で話を聞き取ってきた椥辻雲母だ。
「そいつは俺も考えてたぜ〜」
こたえたのは柊である。内部、いや、はっきりいえば静香が怪しいと彼女はすでに見込んでいたのだ。
その時、素っ頓狂な声がした。柊の着替えを運んできた所所楽苺である。
「姉ちゃん、綺麗なのだ〜」
「そうかあ〜」
着なれぬ女着物に戸惑いつつ、柊は窮屈さから胸元をぐいと広げ――過ぎて、血管の透けて見えるほど白い乳房の半ばまでを露出させた。
「な、なりませぬ」
慌てて神楽龍影(ea4236)が柊の胸元をあわせた。いくら龍影が女と見紛うばかりの美形とはいえ、やはり男。それは眼の毒だ。
「良う似合うておるのに、そのようなことをされては」
「そうかあ〜」
とは、再び柊。
――もしあのひとが見たら、何ていうかな〜?
ふと胸の内で呟いた時、柊の口元に刻まれた微かな笑みは、年相応の少女のものであった。
近藤妾宅に日参していたみなもが息せき切って駆け戻ってきたのは、それから二日後のことである。
「どうしたのでござるか」
仲間に合図の、柊の植木鉢に水をやっていた田吾作が怪訝な面持ちで尋ねれば、みなもは金銀妖瞳をさらに怪しく煌かせ、
「妾宅の女性が今宵は客が来ると‥‥近藤局長がやってきます!」
半ば叫ぶように、云った。
●
「そこのぉ旦那ぁ〜‥、あんたも一杯つきあぇ〜‥」
やや呂律のまわらぬ声に、ぴたと大柄の侍は足をとめた。
静謐でありながら豪宕の気をまといつかせた、その侍の名は近藤勇。新撰組局長である。
「夏の夜とはいえ、寝てしまっては風邪をひくぞ」
酔漢の側に、近藤が屈み込んだ。
その彼の眼を見、翻然と太吾は悟った。近藤は己のことを見ぬいている、と。
「維新組局長、小坂部太吾と申す。黙って、これを持ってゆかれよ」
云って、太吾は懐から二種の薬水を取り出し、近藤に押しつけた。
「小坂部様、上手くいったようでございますね」
龍影が囁いたのは、将門雅が見つけ出した潜伏地である。紅緒は小さく首を縦に振ったが、すぐに龍影の昏い表情に気がつき、どうかしたのですか、と問うた。
「いや」
とこたえつつ、しかし龍影の面を過る翳りはさらにその濃さを増している。
二日前、たまらず薩摩藩邸を訪れ、三蛇と五条の乱、さらには勝麟太郎と薩摩との繋がりを問うたのであるが、新納忠続は知らぬ存ぜぬの一点張りで。一本気な彼としてはいたたまれぬのは当然である。
「それよりも神代殿、伊集院殿に御気をつけ下され」
「あなたも‥‥」
紅緒が唇をきっと噛んだ。
「将門さんや静守さんも仰っていましたが、私は、やはり信じられません」
「信じる必要は‥ない」
ぼそりと云ってのけたのは橋姫だ。夜と同色の瞳に刃の如き光ゆらめかせ、
「‥誰であろうと、敵なら‥斬る‥」
微かに、笑った。
やや後刻。
妾宅の屋根に、闇が凝ったような影が現出した。天井から近藤の様子を窺っていた影一である。
ここ数日近藤を尾行けていたのであるが、どうやら感づかれているふしがあり、今も、天井に大きな鼠が潜んでおる、と看破されたところだ。
やはり簡単には潜ませてくれないなあ。
ごちると、影一は屋根瓦の上に平蜘蛛のように這った。
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戦闘は雷鳴のように、突如閃いた。といっても、仕手は待ちうけていた冒険者の方であり――
やはり最初に気づいたのは、妾宅前で酔いつぶれた風を装っていた太吾で。インフラビジョンでいち早く異変を見ぬいた太吾が、鳳凰のように炎の軌跡は描いて舞ったのが合図となった。追うように空を裂いたみなもの氷輪は確実に襲撃者を薙いでいく。そして橋姫の羅刹の剣はざんばざんばと血飛沫を吸い――
「弱い‥。出てこい‥一流‥」
橋姫が血笑をあげた。
●
近藤寝所の前の縁に足をかけ――
刹那、静香の刃が閃いた。一瞬後、雷火散り、地に手裏剣が突き刺さっている。
「うぬは――」
走らせた静香の視線の先、ぼうと人影がわだかまっている。影一だ。
無音のまま、静香がつつうと影一に迫った。必殺の静香の剣風が吹き――
横から割って入った刃ががっきとばかりに静香の剣を受けとめた。
「ようやく正体をあらわしやがったな」
浮浪に身をやつした陽平がニンマリし――すぐにその嘲笑が凍りついた。圧倒的な力量の格差に、陽平ほどの手錬れが押されつつある。ずずう、ずずう、と――
「待て」
降る雪音のように静かだが、夜気を震わせる声音に、ぴたりと静香の動きがとまった。
裏庭に向かう角、そこに宗風が立っている。傍らには、彼同様静香のみに注意を払っていた龍影の姿も見えた。
「闘いを抜けて、一人、どこへ行くつもりであった?」
宗風が問うた。
「良いところに来てくれました。今、刺客を防いでいたところ――」
「静香殿」
ぴしゃりと静香を遮ったのは、ようやく戦闘を終えて駆けつけた田吾作である。返り血に朱に染まった胸を大きく喘がせ、彼は云う。
「もはやここまででござる」
「とうにキミの逆心は見えてるぜ〜」
柊が無念そうに肩を落す。そして、
「自分から大掃除でもかって出ちまったか? ‥間違いだったと思うぞ。‥最後の分かれ道だったのにな、残念だ」
「拙者もでござる。あの折‥豺牙組を討ち果たした静香殿に、拙者は真実、悪即斬の心を見たと思うたが――良い敵、ござんなれ。全力でお相手つかまつる」
田吾作が刃をかまえた。一時は感服までした敵。せめて転の極意でもって報いよう。
その田吾作の肩をぽんと叩き、司が足を踏み出した。
「あんさんからは色々と訊かなあかん事があるからな。双蛇はその為に使う。簡単に逝けると思うなよ」
「謀反だな」
静香の口から、ぞろりと声が押し出された。
「私に云いがかりをつけて、何を企む?」
「なにを――」
冒険者達は歯を軋らせた。確かにこれ以上静香を追いつめる手札はない。
冒険者達の胸に逆巻く敵愾の炎が一瞬ゆらめいた。その時――
「伊集院静香、往生際が悪いぞ」
声が飛び、裏から現れたのは――近藤勇!
「平手君から、お前のことは聞いている」
子を亡くした父親の声音で、近藤が告げた。
●
「誰?」
裏庭付近の騒動と同じ刻。
すっと障子戸が開き、入り込んだ朧な気配に、声があがった。
女だ。おそらくは近藤が囲っているという芸妓であろう。
「お静かに」
気配――紅緒が女を静めた。
「不埒者が侵入致しました。十一番隊が対処にあたっております。そして、ここは私が――」
振り向き様、紅緒は女の隣に敷かれた夜具めがけて刃を疾らせた。眼にもとまらぬ一閃であるが、その剣先、さらに迅い白光の噴出に、紅緒は飛燕のように飛び退った。
「‥‥夢想流」
頬の糸のような傷からたらりと血を滴らせ、紅緒の可憐な面が醜く歪んだ。その眼前、芸妓であると思っていた女が鍔鳴りの音を響かせている。
「不破蘭子。十一番隊、新伍長だ」
「なにっ!」
女のこたえに愕然と紅緒がうめいた時、近藤の布団がはらりとはねのけられた。そして含み笑いつつ身を起こした者は――
「平手――造酒!」
「そういうこった」
平手がニヤリとした。
「てめえがなかなか尻尾を出さねえんで苦労したぜ」
「なるほど‥‥。もう少し新撰組で遊びたかったのですが、そうもいかなくなったようですね」
「神代紅緒、覚悟してもらうぞ」
再び蘭子の鞘から刃が閃いた。それは凝固したように立つ紅緒の肩に吸い込まれ――
「あっ」
蘭子の口からひび割れた声がもれた。
鋼の刃を、紅緒の繊手が受けとめている。寸鉄身におびぬ、文字通りの素手のみで、だ。
「何モンだ、てめえ」
平手の眼が蒼く燃えた。それにせせら笑いを返しつつ、
「人ですよ、もちろん」
云うと、紅緒が身を翻した。咄嗟に追おうとした蘭子であるが、苦い声で平手が制止した。
「刃のきかぬ紅緒においそれと敵うわけがねえ。それより」
一升徳利をひっ掴み、平手が立ちあがった。
「行くか。外で、すげえ奴らが待ってる」
●
ぴた、と。
紅緒は足をとめた。そしてからくり仕掛けのように、ゆっくりと振り返り――
「尾行けてくるのは良いですが、これから先は地獄。死ぬ覚悟はありますか?」
問う。すると、すぐに水音があがった。まるで何者かが川に飛び込んだような――
「だめです。まだ気配がもれていますよ」
そう告げると、再び紅緒は暗い地を蹴った。ややあって、闇の中に、なお黒々とした影がわいた。
影一。まさに名の通り影と変じていた彼であったが、今、隠形を解き――
●
これは後日の事である。
捕らわれた暗殺者の身元はすぐに判明した。五条の乱の残党であり、仲間の復讐の為に、せめてものことと近藤を狙ったのであったのだ。
そして、伊集院静香は――
連日責めが加えられたが、未だ口を割らぬという‥‥。