●リプレイ本文
「最後に娘の夜泣きを聞いたのは、何年前だったかしらね‥‥」
顎に指をあて、白い絹のような雲を見上げたのは所所楽杏(eb1561)である。
「随分前になりますね」
微笑し、聖水をキルト・マーガッヅが手渡した。すると、彫刻的な顔立ちの娘が金茶の瞳を瞬かせた。
「でも土の中からしゃれこうべとは不気味な話だね。瓢箪から駒よりはありそうではあるけれど、実際見て驚く度合いは全然違うよねぇ」
「それは、そうじゃろう」
黒髭をたくわえた、巌のような男――ゲラック・テインゲア(eb0005)が苦笑し、娘――限間時雨(ea1968)を見遣った。
「見目麗しい女性でも出てきてくれたら楽しいのだがのぉ」
「おいらは胡瓜がいいなぁ」
うっとり。河童の黄桜喜八(eb5347)が夢想する。
「食べるのは私じゃだめ?」
胸をぶるんと震わせてセピア・オーレリィ(eb3797)がしなだれかかった。喜八、鼻血噴く。真っ赤な噴水、ああ綺麗――
その様子にセピアはくすりと悪戯っぽく笑ってから、
「でも不思議だよね。近隣や旅人の夥しい死体‥‥。わからないことが多いわね」
「わからないといえば、夜泣き石と子供、馬との関連だ」
云って、氷蒼色の瞳を翳らせたのはコバルト・ランスフォールド(eb0161)だ。
「伝承が残る土地である以上、何かしらの要因は内部にあると考えるのが妥当だろう。その亡骸がもし贄であったとしたら‥」
「あったとしたら?」
「目的は解呪、か‥」
「解呪!?」
セピアが紅玉を溶かしたような瞳を見張った。
「解呪っていったい何の?」
「まだわからん。夜泣き石と呼ばれるモノを調べてみないことには、な」
「ところで――馬のことなんだが」
ベアータ・レジーネスが口を開いた。彼は遠い眼をして、
「ナイトメアかも知れない」
「ないとめあ?」
もう一人の河童の冒険者、磯城弥魁厳(eb5249)が問い返した。ナイトメアなる魔性はジャパンでは馴染みがない。
するとベアータは小さく頷き、
「ああ。ケンブリッジで戦ったことがある。かなり強いアンデッドだった」
「あんでっど? ‥‥ああ死霊じゃな」
「死霊の馬、ねえ」
暗鬱な眼で木賊崔軌が首をほりぼりとかいた。
「‥‥ま、コバなら何ぞ引っかかるモンあるかも知れねえ。年寄りだし」
「誰が年寄りだ、誰が」
コバルトが冷然と崔軌を見返した。が、すぐに顎に手を当てると、
「死霊だけでなく、昨今の悪魔騒ぎの件も念頭に入れておかねばならないな」
自らに云い聞かせるが如く独語した。沈着冷静こそコバルトの真骨頂である。
「では私は童の方を」
うっすらと微笑んでいるのは平山弥一郎(eb3534)だ。
「気になることがありますのでね」
「気になること?」
聞きとがめ、蛟清十郎(eb3513)が青い眼差しを投げた。彼と平山弥一郎は不思議に縁が深く、これまで七度顔を合わせている。
「知っているのですか、その童のこと?」
「いや、まだわかりませんが――」
さらに弥一郎の笑みが深くなった。最近届いた恃みの友人――小野麻鳥の訃報。その哀しみが、さらに彼の菩薩の表情を深めている。
「ともかく、この世という奴は、とかく人の方が怖い場合が多いですからね」
「ふむ」
暗然たる面持ちで清十郎は肯首した。
以前拘わったさとりの妖怪。彼奴まもた人の心の闇に呼応して現れた。
「それはわかるが――」
木立に背をもたせかけ、パラの若者がひやりとする声をあげた。名をシグマリル(eb5073)
といい、蝦夷地のカムイラメトクである。
彼は続けて、
「やはり人骨のこと、気にかかる」
「人骨?」
「ああ。発見された人骨、もしや人に見つけられる事を望んでいたのではないか、とな」
「それは――」
馬鹿な、と云いかけた清十郎を、しかしシグマリルは、制止した。
「人骨にも家族があって故郷があって、今も帰りを待っている大切な人がいたのかもしれない。だが、人骨は黙して語らずだ。誰もその声を聞き届けることはできぬ」
が、彼らはやはり聞いてほしいのだ――そうシグマリルは慨嘆した。
「人骨が発見され、その依頼を江戸のギルドで俺が受けたのも、カムイの思し召しだろう。何者の仕業か明かして、俺は人骨達の供養としてやりたい」
「では、ゆきましょうか」
すっくと杏が立ちあがった。もはや救える命はそこにはないが、拾うべき想いはそこにある。
「晒された骨達の想いを聞き取りに」
●
セブンリーグブーツなる呪法具のおかげで、一足先に村に辿り着いたのは時雨、杏、コバルトの三人であった。
そのうちの一人、時雨は摘み取ってきた路傍の花を手向けると、無縁仏として葬られている墓標に手をあわせた。
「原因はきっと見つけてやるからさ。成仏してね」
時雨は誓う。同じく杏、コバルトも黙祷した。
「ごめんなさいね。すぐにはお弔いはできないの」
「もう少しの辛抱だ。必ず怨みは晴らす」
誓う。彼らも、また。
「夜泣き石ですか‥‥」
村長は戸惑った顔を冒険者に向けた。
云い伝えのことなど放っておいて、すぐさま下手人を探せば良いのに――そう思っているのは明白だ。
すると弥一郎は自若と笑って、
「はい。他にも不思議な童のこと、不気味な馬のことなど教えていただきたいのですが」
「童と馬と申しましても、私は直に見たわけではありませんし‥‥所詮は与太話でございますよ。それより――」
「いや」
弥一郎が村長を押し止めた。
「何が真相につながるかわかりませんから。――では、夜泣き石の伝承についてお聞きしたい」
「夜泣き石ですか‥‥」
咳払いをひとつし、村長が話し出した内容はこうだ。
昔、この村に妖怪が現れた。悪さをするその妖怪を、ある日旅の高僧が封じ込めることに成功した。僧は大きな石をもってその封印の要としたのだが、その後しばらく、その石の下から妖怪のすすり泣く声が村中に響き渡ったという。
「それで、いつしかその石のことを夜泣き石と呼ぶようになったということで」
「なるほど」
ゲラックが腕を組んで、ふうむと唸った。
「で、その妖怪とはどのようなものなのじゃろうか?」
「わかりませぬ」
村長は頭を振った。
「云い伝えには妖怪とあるだけで、それがどのようなものであったかは伝えられておりませぬ」
「では、それがどこにあるかはご存知で?」
「村の者なら、誰もが知っております」
こたえ、村長は杏に視線を転じた。そして、わずかに嘲りをこめて、
「しかし、夜泣き石などこの件には拘わりありませぬよ。あれはただの云い伝えで」
「そうでしょうか‥‥」
杏は小首を傾げた。
冒険者が揃う前、彼女はすでに村の童などより夜泣き石についての話を聞き終えている。結果、その誰もに共通していることがひとつあった。
恐れ。畏怖。
村長は知らず、村人の中には夜泣き石に対する恐怖が現存しているのであった。
●
村長宅を辞した後、ゲラックと弥一郎は葬られた骨の元と向かった。
辿り着いてみれば、そこには清十郎とセピア、喜八の姿があり、すでに墓は掘り起こされていた。
「村長の話は?」
「聞き終えた」
一度十字を切り、それからゲラックは清十郎を見返した。
「これが、そうか埋められていた人骨か?」
「そうでごぜえます」
こたえたのは岩のような顔をした農夫らしき男である。
「あなたは?」
弥一郎が問うた。
「骨を見つけた伊作です」
「ちょうど良い」
骨にのばしかけていた手をとめ、弥一郎が立ちあがった。
「あなたが骨を見つけた場所はどこでしたか」
「村の西の外れ。街道沿いの荒地でしただ」
「では、その荒地について――」
さらに問いかけた弥一郎をセピアが遮った。
「それはもう訊いたわ。土はかたくて、誰かが掘り起こしたようには見えなかったらしいわ」
「それは――」
「ええ。おかしいわね」
セピアが眼を眇めた。
土が柔らかくないということは、人骨は最近埋められたというわけではないということを意味している。が、それではまだ亡くなって間もない死体が見つかったという事実と矛盾するのだ。
釈然としないながらも、今度はセピアがしゃがみ込んだ。そして、ついと一体の死体に手をのばす。それはまだ死んで間もない男の骸であった。
「外傷はないみたいね」
つぶさに検分し、呟く。が、同じように調べていた清十郎が、死体の口をこじ開けてみてあっと声をあげた。
遺体の口。そこから土がぼろぼろと零れ出て来る。
「これは――」
清十郎とセピアは顔を見合わせた。
その時――
他の人骨を吟味していた喜八はあることに気づいていた。
人骨の中の幾つか。首の骨が砕けているものがある。
「面白れえ」
にいっ。と、喜八の嘴状の口が動いた。
●
その頃、村の童達は歓声をあげながら空の一点を見つめていた。
蒼空の中、小さな雲と見紛うばかりに浮かんだものは――おお、凧だ。それも人ひとりがつかまることができるほどの大凧である。
「あれが夜泣き石か‥‥」
大凧の陰。そこから声がもれ聞こえてくる。
何か、と、もし覗く者があれば、あっとうめくに違いない。
そこにいたのは――河童。魁厳なのである。
風に吹かれつつ、彼が見下ろしているのは夜泣きと呼ばれている大岩であった。
「村の西の外れにあるのじゃな」
魁厳が呟いた。そして位置関係をしっかりと脳裡に刻み込んだ。
と――
魁厳はあるものに気がついた。
夜泣き石の近く。紅い点が見える。
何か。
眼を細めた魁厳は、ようやくその正体を見とめ得た。
人。緋の衣をまとった童だ。
――おかしい。夜泣き石の近くに童は近寄らぬはず。
杏の云っていたことを思い出し、魁厳は地にむけて手を振った。
「あれは――」
魁厳の合図を見とめ、シグマリルが愛馬馬トゥイマチャスの腹を蹴った。トゥイマチャスは風をまいてを疾駆し、やがて大岩がみえてきた。
「あれが夜泣き石か」
シグマリルがさらにトゥイマチャスの速度をあげた。
そして――
突然、シグマリルは手綱を引き、馬首を巡らせた。
誰もいないはずの禁断の地。夜泣き石の近くに人影が見える。
暮れなずむ夕景を背に、ぽつと佇むのは女童の姿だ。
血で染めたような真紅の衣を纏っている。人形ように整った顔立ちは非人間的なほど美しい。
そしてもうひとつ。シグマリルはあることに気がついた。
童の腕の中。赤子が抱かれている。
「そなた――」
「‥‥」
女童に応えはない。その代わりに――
きゅう、と女童の唇が吊り上がった。それだけで――
シグマリルの身が凍りついた。コロポックルの部族と部族の巫女チュプオンカミクルを守るために戦う、大いなる勇者である彼ほどの冒険者が。
その時、女童が動いた。そうと知りつつ、シグマリルは動かない。いや、動けない。動いてはならぬと卓越した彼の本能が告げている。死にたくなければ、と。
ようやく彼の呪縛が解けたのは、女童の姿が消え去ってしばらく後のことであった。
トゥイマチャスから飛び降りると、シグマリルは女童の立っていた地点に駆け寄った。すでに女童の姿は跡形もなく消えうせているが、それでも念のためと彼は屈み込み――そして、見つけた。蹄の跡を。
いや、それは本当に蹄であろうか。シグマリルは疑わずにはいられない。
なぜなら――そこには、水かきとしか思えぬ痕跡も残されていたのだから。
●
「あの〜スンマセン‥‥」
突然かかった声に、川で洗濯物をしていた女たちが振り返った。そしてまたまた吃驚。
「あんた――」
言葉をなくす。
無理もない。彼女達の前にいるのは村の者達には馴染みのない――河童。
「オイラ、友達を探してるんだ。この辺りを通った筈なんだ。知りませんか?」
河童――喜八が問うた。
しかし女達の間にはざわめきの波が伝わっているだけで応えを返す者などない。彼女達にとっては西洋人と同じく、河童もまた異人種であるのだ。
ふっと溜息を零し、喜八は得意のうるうる戦法に出た。瞳濡らし、ちょこんと首傾げ、
「ここに来る途中、人攫いとか気持ち悪い馬とかって耳にしたんだ。何の事だ?心配だ」
悄然と問う。その様子に、さすがに気の毒になった――ツトムとクロスケがきゅーきゅー鳴いて可愛いのも当然寄与している――女が、友達って河童さんかい、と問い返してきた。
「いや、人間だ」
こたえつつ、喜八の興味は彼女達から急速に薄れつつあった。とてものこと、この善良そうな者達の内に猟奇殺人を犯した者がいるとは思えない。
●
蹄――
いや、馬のこと。
「その馬、首はちゃんとついてましたか?」
清十郎が問うた。すると件の馬の目撃者であるという老人は驚いたように瞠目し、すぐにいやいやと手を振った。
「気味の悪い馬でありましたが、首はちゃんとついておりました」
「そうですか‥‥」
清十郎は眼を伏せた。もしや民間伝承にある首なし馬という魔性であろうかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「今、気味が悪いと云ったが」
次にコバルトが口を開いた。
「何故、そう感じたのだ?」
「雨も降っておらぬのにどっぷりと濡れておるし‥‥歩くとぴしゃぴしゃと音までしておったしのお」
「では、それを見た場所を教えてもらえるかな」
眉をひそめた老人を宥めるかのように、時雨は強いて日向の声で問うた。と、老人はますます表情を強張らせ、
「村の西の外れだよ」
云った。
●
「ここか‥‥」
弥一郎は面をあげ、手を目の前にかざした。
黄昏に黒々と、大岩が転がっている。――これが伝承の夜泣き石だ。
懐手のまま、弥一郎が夜泣き石に近寄った。矯めつ眇めつ岩を検分する。
その時――空いた背中がひやりとして、弥一郎ははじかれたように振り返った。
「気のせいか――」
乾いた声で呟くと、弥一郎は再び岩を調べ始めた。そして、気づく。岩の後、地面に近い辺りに貼られた古びた呪符が引き裂かれていることに。
●
鬼火のような蛍火が漂う中、ゲラックは大盥にいれた骸を聖水で拭いていた。かれこれ一刻ほどの間。
それは、冒険者以外の者は、いや冒険者達ですら眼を背けずにはいられない光景だ。
何故なら――
白骨ならいざ知らず、骸の中にはどろどろの腐肉がごびりついている者がある。それを聖化する。素手でもって。普通の者なら反吐の中でのたうちまわっている行為である。
それをゲラックは聖句を唱えつつ平然とすすめていく。肉を、魂を清めて、憐れなる兄弟達を神の御前に導くために。
「骸たちよ。気持ち穏やかではなかろうが、安らかに眠れるよう、せめて我輩が身を清めてやろうのぅ」
「!」
その時、傍らで祈りを捧げていたコバルトと杏、セピアが雷にうたれたように立ちあがった。
「どうしたのじゃ?」
「声が‥‥」
杏が掠れた声をもらした。
「声?」
「ええ。泣声がするのよ」
声が終わるより先にセピアは駆け出している。そして――
他の冒険者もまじえた捜索の後。彼らは街道沿いの荒地であるものを発見した。
大地から生えた二本の棒。
――それは人間の足であった。