●リプレイ本文
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空が良くないな。
暗鬱に雲が垂れ込めた空を見上げ、空間明衣(eb4994)は小さな吐息をついた。
「怪談話のようだな」
夜泣き石にまつわる諸々の事。先ほど表層のことながら説明を受けたところだ。
「怪談話か」
コバルト・ランスフォールド(eb0161)が冷笑を浮かべた。
「地面が人を喰らい損なった様にも映るが、な」
「気持ち悪いこと云わないでよ。ますます怪談じみてきたじゃない」
云って、顔をしかめたのはエルフの神聖騎士、セピア・オーレリィ(eb3797)である。
「でもさあ」
ふっと、沈思していた限間時雨(ea1968)が、その時顔を上げた。
「地面に掘り返された後がないのに骸が埋まってる、ってのは何だろ。あーすだいぶ、かな?」
「その可能性は高いわね」
所所楽杏(eb1561)が肯定した。その面は白蝋のようで。さすがに何時もの慈母の如き微笑はない。
「呪法でもなければ、その点に関する説明はつかないわ」
「だよね」
我が意を得たとばかりに、時雨の満面が朝日のように輝いた。
「地中に沈められたのかな」
「溺れた、というのか?」
コバルトが蒼氷色の瞳をむけた。その点は彼も気になっていたことだ。
すると時雨は金茶の瞳で見返して、
「うん。馬もかかわってるとなると‥首を絞めたのは手綱かもしれないな」
「馬か」
コバルトが意味ありげに呟いた。それを聞きとがめた蛟清十郎(eb3513)が柳眉をはねあげる。
「何か気づいていることがありそうですね」
「それよ」
一度息をとめ、次にコバルトは、彼の魔物に関する深い知識の内からある名を掘り起こした。
「けるぴー、かも知れぬ」
「待って」
突然カッツェ・ツァーンが戸惑った声をあげた。
「文献を漁ってみたんだけれど、けるぴー――水馬にはあーすだいぶの能力なんてないわよ」
「もしかすると」
杏が考え深げな眼をあげた。
「水馬が、その能力を得たのかも」
「どういうことじゃの?」
人に与した変妖――河童の磯城弥魁厳(eb5249)が不審げに眼を眇めた。
「水の精霊が土の呪力を身につけた、と?」
「ええ。夜泣き石に封印されていた水馬の封印を童が破り、手綱をかけた。その際に水馬が地面も自由に潜れる性質を持ってしまったんじゃないかしら」
馬鹿な、と言葉を零しかけて、しかし魁厳は息をとめた。
いかに常軌を逸した発案であっても、それは一笑に付すべきものではない。人は、この世のすべての理を読み取っているわけではないのだから。
「何にせよ、鍵は夜泣き石にありそうな気が致しますな」
「それと女童」
ぽつり、と呟いたのは平山弥一郎(eb3534)である。と、それを聞きとがめたシグマリル(eb5073)が湖面のように澄んだ瞳を向けた。
「気になっていたのだが、あなたは女童に関して何か知っていることがありそうだな」
前回村に赴いた時、実際に女童と対峙したのはシグマリル一人である。
恐るべき瘴気を発する者。もし女童が敵であるなら、その正体を知っておかねばならない。
が――
いや、と弥一郎は頭を振った。
実はこの時、彼は童の正体を悪魔と推測している。が、それはまだ証しのないこと。友人の遺言ともなってしまった童への警戒は密にせねばならないが、他言はまだ無用だ。
「ただ、私も女童が黒幕だとは思います」
杏の推量を裏付けるように云いおいて、弥一郎はふらりと外に出た。それを、慌てて追いかけたのは桂照院花笛(ea7049)である。
「弥一郎様」
呼びとめる。振り向いた弥一郎を見つめる花笛の眼の光は、はらはらと散る桜にも似ていた。
何故なら――
弥一郎と花笛は婚約していた。が、二人共通の友人の訃報により弥一郎は願をたて、それにより婚儀は延期となっている。花笛が愛惜の瞳で見返すこともむべなるかな。
その二人を冷然たる眼でちらりと見遣り、
「生きてある者にも想いがあり、また死したる者にも」
云って、シグマリルは神鳴る弓を手にとった。
「先ほど地面が人を喰らい損なったという話があったが、俺はそうは思わない。死の淵で、誰かに気づいてもらいたく抗ったのだ」
そして、俺達はその想いを受け取った。
「殺された者達の無念、晴らしてみせよう」
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被害を防ぐことのできなかった非力を詫び、しかし表情をあらため、杏は村の迂回を注意する標を立てることをもちだした。
「周囲に、でございますか?」
村長は露骨に顔を顰めた。
「泣声の聞こえる夜に、被害者が出た事は偶然ではありませんよ」
未だ到着せぬシグマリルの言を借り、杏が云う。
おそらく――杏の真性の力とは、母のそれに由来するものであるのだろう。それとも僧侶の深淵たる言霊か。
やや怒りを込めた杏の云い様に、村長は叱られた子供のように大人しく諾なったのである。
「では、もう一度遺体を検分させていただきますよ」
今度はにっこりと。いつもの春風漂わせ、杏が願じた。
「見事な調略じゃな」
杏の耳元で、そっと感心しきりの魁厳が囁いた。
千変万化の陸奥流で遅れをとることはないが、とてものこと杏の操る見えぬ糸を斬る自信はない。
すると杏は事なげに微笑ったものだ。
「子供の相手は、もっと難しいのですよ」
そして、離れて暮す夫のことも。キルト・マーガッヅの顔が瞬時脳裏をよぎった。
というわけで。
明衣は手を合わせ、それから最も新しい遺体の側に屈み込んだ。
男。年の頃なら三十半ばというところか。
さらに――
明衣は遺体の爪に土が詰まっているのに気がついた。おそらくは土をかきむしった際に詰まったものだろう。ということは、やはり土に埋まった時点ではまだ息があったのだ。
「うん?」
遺体の衣服をはだけた時、それは明衣の眼に飛び込んできた。
胸の辺りに、紅葉に似た小さな痣。それは、まるで手のような‥‥
多分。
事の真相に一番近い位置に立っていたのはコバルトであったろう。
女童が抱いていたという赤子。それがもし人ならざる存在だとすれば‥この怪異の元凶はその赤子であるという可能性が高い。
今にも泣き出しそうな鈍色の空の下、コバルトは村の女を呼びとめた。
「聞きたいことがある‥‥」
コバルトの眼が女のそれを――その奥を視る。隠すことはできぬ。コバルトには。
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「これが破られた呪符ですか」
夜泣き石の下部に貼りつけられた紙片を覗き込み、花笛が呟いた。
「読み取れますか?」
「やってみます」
弥一郎にこたえ、花笛は小声で呪を唱えた。一瞬、呪符に残された呪紋が輝いたように見えたが――
「だめですね、これだけでは」
「そうですか」
弥一郎もまた岩下の穴を覗き込んだ。
小さな穴だ。とても水馬が封じられていたとは思えない。
「でしょう」
声に――
弥一郎が振り向くと、杏が銀糸揺らせて佇んでいた。すでに彼女は岩下の穴の検分を済ませていたのだ。
「そちらはどうでした?」
「だめね」
項垂れるように、杏は頭を振った。
夜泣き石に妖しを封じたという高僧についての情報を得ようとしたのだが、村の中には詳しく知る者はなく。御伽噺のひとつと大差なくなっていた。酌喇黒玉に預けた忍犬がもう少し育ってくれていたら、もう少しは何ほどかの手掛かりが掴めたかも知れぬが。
「こちらも同じようなものだ」
溜息ついたのはシグマリルである。
昔、荒地は沼であったのではないか――その仮説を魁厳と共に検証したのだが、荒地は荒地のままで。さらに村には水にかかわる妖しの伝承などないらしい。
「こっちも、ね」
セピアは死体が埋まっていた周辺を掘り返してみた。が、得るものはない。
「暑い中、草臥れ儲けだったわ」
実際は、彼女に見惚れた村の若い衆に掘らせたのだが――これは内緒だ。
「やはり童か」
すべてはそこに集約する。
立ちあがった弥一郎に、縋るように花笛が歩み寄った。
「弥一郎様、ご無理はなさらずに――」
「全てが終わったら――」
それまで待っていてくれ――その言葉を、弥一郎はあやうく飲み込んだ。
今はまだ、早い。
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そして、夜。
ひたり。
ひたり。
僅かな星の瞬きの下、はらわたの冷えるような音が響いてきた。
闇の中、すうと清十郎が立ちあがった。腰には太刀おとし、傍らの地には日本刀が突き立ててある。
と――
足音がやんだ。
「油じゃな。柵まであるか」
闇の奥から声がした。童のものらしい甲高い、しかし年ふりた語調の声音である。
そして闇で見えぬはずなのに、
「うぬの仕業か?」
云って。ぴしゃりと地に撒いた油を踏みしめつつ、何者かが近づいてくる。
やがて、清十郎は見た。鬼火のように眼を爛と光らせた青黒い毛並みの馬を。さらには、その背に跨った女童の姿を。
組み上げられつつある様相に亀裂を入れてやる。清十郎は望み、
「怪馬の使役者よな」
「然り」
こたえ、女童は馬をすすめた。二間、一間‥‥間合いは詰まり、馬上から見下ろす女童が愛くるしい唇をきゅうと吊り上げた。その唇から獣のような牙が覗き――それが清十郎の限界であった。ほとんど反射的に鞘走らせた太刀の一閃は、それでも不規則な軌道を描きつつ魔馬の首に疾り――ひょいとのびた女童の右手にがっきとばかりに受けとめられた。
少し、刻は遡る。
清十郎を除いた九人の冒険者は、その時夜泣き石の近くにひそんでいた。
紫煙をくゆらせ、呑気そうに大理石のパイプを口に運んでいるのは明衣である。
「余裕ね」
物陰に隠れるのに、むっちりとし過ぎた胸と尻をもてあまし気味のセピアが、溜息とともに云った。すると明衣は夜目にも鮮やかな薔薇色の唇をふっと笑ませ、たんと灰を落した。
「焦っても仕方ないだろ」
「まあね」
その時――
むくりと魁厳が身を起こした。乾いた音が響いているのは、彼の手の内の髑髏の歯が噛み鳴っている故である。
そして、また。コバルトの指輪の中の蝶も羽ばたきはじめている。
「村の外から‥‥蹄の音が、こちらに向かってきておる!」
押し殺した声を、魁厳が発した。
それきり――動かぬ。触れれば折れそうな繊手であるのに、清十郎が押せど引けど、刃は女童の手の内におさまったままだ。
「ぬっ」
咄嗟に太刀を放し、清十郎は飛び退った。その手が地に立った日本刀をまさぐるようにのび――逃さぬとばかりに、女童の胸元から飛んだ影がある。払いのけようとした清十郎の腕をかいくぐり、その影は清十郎の胸にしがみついた。
その正体を見とめ、あっと清十郎は息をのんだ。
赤子だ。産着に包まれた二尺にも満たぬ小躯のそれは、紛れもなく。
が、よくよく見れば、何とおぞまき赤子であろうか。まるで老人のように皺深い顔の中で、夜行獣のような黄色い眼がぎらぎらと燃え立ち、小さい口からは乱杭歯がこぼれ――
「ええい、放せ!」
たまらず清十郎は赤子を引き剥がそうとした。
が、離れぬ。それどころか磐石の重みを増し――清十郎の足がずぶと土中に沈んだ。
この赤子があーすだいぶを――
そうと気づいた時にはすでに遅く、すでに清十郎の身は腰まで土に埋まっている。さらに――
女童の手からひゅるりと布が疾った。それは空を蛇のようにうねりながら清十郎の首にからみついた。
「くくく。溺れ死ぬがよいか、それとも息をつまらせて死ぬるか。せいぜい抗ってみせい!」
女童が身を仰け反らせて笑った。刹那――
夏には似合わぬ木枯らしが鳴った。次の瞬間、見えぬ刃にはたかれたように怪布が清十郎からもぎ離され、同時に魔馬に吸い込まれようとした矢を、今度は女童の左手がひっ掴んでいる。
「沈められて朽ちた命の代わりに――」
チャン、と。 ソニックブームを撃ち終えた刃が鍔鳴らせ、時雨の意気が先鋭と化して女童を貫く。
「私が斬ってやる」
「ぎゃう!」
時雨を狙い、赤子が再び飛んだ。
が――
破ッ!
という裂帛の気合が空を震わせ、赤子は鉄槌を受けたように地に落ちている。
ホーリー。五指揃えた右手前に出し、杏の放つ聖衝撃。
その時、鳴弦が。
花笛の、魁厳の爪弾く聖糸が互いに共鳴し、空間を黄金色に清めていく。何で魔性がたまろうか。
たまらず赤子が飛びあがり――
「我が弓に宿りしカムイよ、悪しき者を貫け!」
ぐさり、と。かっと裂けた赤子の口の中央を、シグマリルの蒼く輝く矢が貫いた。さらに一射二射。たちまち赤子は針鼠と変じる。
「おのれ!」
初めて女童の悠然たる態度が崩れた。そして絶叫する、殺れ、と。
呼応するかのように魔馬の眼が、零れた月光の色に煌いた。
一息遅れて、あっと冒険者達はうめいている。魔馬から吹きつける氷嵐にうたれて。
「どうじゃ――?」
凱歌に輝くはずの女童の瞳が、しかしこの時不審に揺れた。冒険者の数が一人足りぬ――
と、女童は見た。氷嵐を躍り越え――ホーリーフィールドによりアイスブリザードを防いだ――セピアが、風車のようにシルバースピアを旋回させつつ迫ってくるのを。
「とった!」
セピアが叫ぶ。と――
その身にぐるりと怪布が巻きついた。
「馬鹿め」
再び女童は魔馬に殺れと命じた。が、魔馬の身から再度氷嵐が吹くことはない。
「無駄だ。そやつの呪力は封じた」
「なにい」
いつの間に近寄っていたか、すぐ近くに佇む黒白の美影身――コバルトに気がつき、女童が歯噛みした。
「うぬは何をした?」
「めたぼりずむだ」
コバルトがこたえ、その前にずいと弥一郎が進み出た。
「貴女とは初めての気がしませんね」
微笑む。それは菩薩のように柔らかく、恐い笑みだ。すると女童もニタリとし、
「蔵人が云っておった冒険者は、うぬのことかよ」
「ほほう」
ぎらり。弥一郎の眼が薄蒼い光を放ち、同時に闘気の尾をひきつつ彼の刃が袈裟に閃いた。
闇に燐光の弧を描き――その剣先わずかに逃れて、女童は馬上から飛んだ。
「逃さぬよ」
地に降りたつ女童目指し、するすると明衣が間合いを詰めた。その身は貪狼の如く、強靭に無慈悲に――
繰り出された薙刀――牙狼の一撃を女童に防ぐ術はない。いや――
牙狼は女童の数寸手前でとまっている。
とめているのは――おお、黒炎紋渦巻く、漆黒の結界だ。
「やるのお」
云い捨て、女童はすうと身を空に浮かべた。そのまま暗天に吸い込まれていく。
同じく怪布も空に、魔馬は馬首を返し――追おうとして、魁厳はすぐに足をとめた。
追いつける手段――セブンリーグブーツを身につけている者の数は少ないし、それに何より、杏に引きずり出された清十郎のことが気にかかる。
慌てて魁厳は瀕死の清十郎に駆け寄った。
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赤子の妖しの骸を夜泣き石下の穴に埋め、花笛が魂鎮めの呪をあげて再封印を施し、今――
冒険者は村を去ろうとしている。
「これで哭く声はやむのじゃろうか」
村を見遣り、ふと魁厳がもらした。するとシグマリルが秀麗な面に陽の光を滲ませて、
「やむさ。すべての想いは解き放たれたのだから」
云った。
その時――
風音がやんだ。
まるで怨嗟の慟哭が消えたように、冒険者には思えた。