【上州血風録】黒い町

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:2〜6lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 4 C

参加人数:5人

サポート参加人数:2人

冒険期間:10月09日〜10月16日

リプレイ公開日:2006年10月17日

●オープニング

 びゅうと吹いた風が道中合羽の裾を翻らせ――
 三度笠をゆらし、渡世人らしき男が埃風吹き荒ぶ宿場町に入ったのは陽が中天からやや傾きかけたころであった。
「母ちゃん」
 叫ぶ声に、ふと男が足をとめて見遣ると、小さな童が泣きじゃくっているのが見えた。さらにはその子の手を引っ張っている百姓らしき身なりの男の姿も。
「伊吉、来るだ」
「父ちゃん、でも母ちゃんが――」
 伊吉と呼ばれた童ののばした手の先、遠ざかりつつある駕籠がある。そこから覗く沈痛な面持ちの女の顔がひとつ。
 こんな宿場には珍しい美しい女であった。おそらく伊吉の母親であろう。
「可哀想に」
 声に、男が振り向いた。
 そこには古びた佇まいの居酒屋が一軒。その暖簾をわけ、初老の男が顔をだしている。
「知り合いか」
 男が問うた。
「ああ。加世という百姓の女じゃ」
「売られたか」
 さらに男が問うた。生きるため、百姓の妻や娘が身売りするのは珍しいことではない。
「いや――」
 初老の男が苦々しげに首を振った。
「身売りではない。連れていかれたのよ」
「連れて? 誰にだ?」
「大沼一家の代貸し、仙蔵じゃ。なまじ加世が別嬪であったことが災いした」
「なに?」
 男が怪訝な表情を浮かべた。
 それにはかまわず、初老の男が店内に引っ込んだ。追うように、男もまた居酒屋の中に足を踏み入れた。
「まだ店はやっとらんぞ」
「客じゃねえ。話の続きを聞きてえんだ」
「聞いてどうする? 余計なことに首を突っ込むと命がなくなるぞ」
「命がなくなるか。おもしれえ」
 男の精悍な面にふてぶてしい笑みが刻まれた。
「で、さっきの続きだ。どうして加世って女は連れていかれちまったんだ。察するに、加代って女は亭主子供持ちだろう」
「そんなことは関係ねえ。欲しいもんは何であろうが手にいれる。それが大沼一家じゃ」
「亭主は何をしてやがんだ。黙って指をくわえて見物してるだけか。それに宿場役人は何をしてやがるんだ」
「利助に何ができる。それに宿場役人も。‥‥この宿場で大沼一家に逆らう者などおりゃあせん」
「ふーん」
 男が口を尖らせた時、戸が開いて数人の男が店の中に入ってきた。
 風体からしてやくざ者であろう。大沼一家の身内にちがいない。
「じじい、酒だ」
「まだ店は開いておらん」
「何だとぉ」
 歯をむくと、やくざ者達は初老の男を突き飛ばすようにしておしのけ、奥に入り込んでいった。
「あるじゃねえか、ここによ」
 下卑た笑みを浮かべると、やくざ者達はてんでに器をひっぱりだし、樽から勝手に酒を注ぐと呑み始めた。その様子を、しかし初老の男はなす術もなく見守るしかない。そして幾許か――
「けっ、不味い酒だぜ」
 やがて呑むにも飽いたか、やくざ者達は器を放り捨てた。そして店を後にしようとし――
「待ちな」
 男が呼びとめた。するとやくざ者達は足をとめ、
「何だぁ。今、呼んだのはてめえか」
「そうだ。おめえら、忘れもんがあるぜ」
「忘れもん? 何だ、そりゃあ」
「酒代だ。ちゃんとおいていきな」
「なにぃ!」
 やくざ者達の顔が怒りでどす黒く染まった。
「てめえ、旅人風情が何でかい口たたいてやがんでぇ。大沼一家に逆らったらどうなるかわかってやがんのか」
「どうなるんだ」
「こう――」
 やくざ者が脇差の柄に手をかけようとした、その刹那――
 男の大刀の鞘が疾り、したたかにやくざ者の顔面を打ち据えた。さらに鞘は舞い、残るやくざ者の首を薙ぎ、腹に突き刺さった。
「お、おめえさん、なんてことをしちまったんだ」
 血反吐を吐いて地に這うやくざ者達を見下ろし、初老の男がふるえる声をだした。
「わ、悪いことは云わねえ。早く宿場から出るんだ」
「そうだな。ここにいると、じいさんにも迷惑がかかりそうだしな。まあ出直してくらあ」
 云って、男が暖簾をわけた。と――
「おまえさん、名はなんていうんだ?」
 初老の男が問うた。すると男は背を向けたまま、
「仁吉。俺は清水一家の吉良の仁吉ってんだ」
 こたえ、疾風吹く町に男――吉良の仁吉は足を踏み出した。

●今回の参加者

 ea2639 四方津 六都(36歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb5421 猪神 乱雪(30歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb5521 水上 流水(37歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb5647 小野 志津(35歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb5713 鬼 灯(26歳・♀・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352)/ 片桐 惣助(ea6649

●リプレイ本文


「ほお」
 嘆声をあげたのは、普段ものに動じぬはずの吉良の仁吉である。
「勝さんから聞いてるぜ。おめえさん、凄え使い手だってな」
「勝殿か」
 こたえ、冷厳な眼差しにやや柔らかな光を浮かべたのは御影涼である。
 仁吉の、そして涼のいう勝とは、源徳家家臣である勝麟太郎のことであった。源徳家家臣であるはずの勝は薩摩藩や長州藩に平然と出入りする無頼奔放な人物で、その勝を北条早雲に見えさせるために以前涼は駿河に赴いたことがあったのだ。どうやらその勝から、彼の後ろ盾となっている清水次郎長に涼の噂がとどいているらしい。
「で、小政殿や石松殿は息災か」
「へっ。あいつらは殺したつて死にゃあしねえ」
 からからと笑うと、仁吉は涼の後ろに佇む五つの人影に眼を転じた。それに気づき、涼がゆっくりと口を開く。
「彼らは冒険者だ。此度の依頼を請け負うことになった」
「へっ」
 仁吉は素っ頓狂な声をあげた。
 冒険者の手練れであることは勝から聞いている。が、眼前の五人の顔ぶれはどうであろう。
 二人の不敵な面構えの若者はいいとして、残る三人は女だ。とてものことやくざ者の巣食う宿場に赴くことのできる者とは思えない。
 その思いが仁吉の表情にでも表れたのだろう――そうと見とめた三人の女の一人、猪神乱雪(eb5421)が足を踏み出した。
「何か文句でもあるのか?」
「て、訳じゃねえんだが」
 こたえ、仁吉はしげしげと乱雪の貌を眺めた。
 西洋人との混血である乱雪は驚くほど美しい。まるで人形のようだと仁吉は思った。
 さらにはその肢体。身なりは浪人者のようだが、ふたつの隆起は胸元を大きく膨らませ、今にはちきれんばかりだ。
「では何だ?」
 その言葉の終わらぬうち、びゅうと乱雪の腰から白光が噴いた。反射的に飛び退った仁吉の眼前を薙いで過ぎたのは乱雪の抜き撃った霞刀の刃であった。
「こいつは‥‥」
 額に冷たい汗を浮かべながらも、仁吉は感嘆の声をあげた。
 夢想流。
 乱雪の操る剣流を仁吉は読んだ。同じ清水一家の小政が使うのも居合いであるからだが、しかし乱雪の手並みの鮮やかさはどうであろう。
「これでも文句があるか?」
「いや」
 ニヤリとすると、仁吉は額に浮いた汗を拭った。
「ところで」
「?」
 ひやりとするほど静かな声に、あわてて仁吉は振り返った。見れば、声の主は先ほどの三人の女冒険者の一人で陰陽師だ。名を小野志津(eb5647)という。
「大沼一家のことだが、仁吉殿はどう見た?」
「ま、野良犬どもの群れってところだな」
「なるほど」
 志津は細く白いあごに指をあて一瞬沈思したが、すぐに眼をあげると、
「もうひとつ。仁吉殿には囮役を願いたいのだが、いかがであろうか」
「囮役?」
 仁吉は顔を輝かせた。派手に暴れることは望むところである。
 すると四方津六都(ea2639)が苦笑を零し、
「いや、何も暴れる必要は無ぇ。連中があんたに気を取られている隙に、俺達が仕掛けを施していくって寸法だからな」
「何でえ、そうか」
 承知したものの、仁吉は不服そうである。子供のように唇を突き出して頭をがりがりと掻く。
 その様子がおかしいと笑ったのは三人目の女冒険者、鬼灯(eb5713)である。
「何や面白いお人やなあ」
「あんたは?」
「鬼灯いいます。踊りを生業としてますよってにどうぞよろしゅうに」
「お、踊り?」
 仁吉は眼を白黒された。
「うちの舞は一度観たら忘れられまへんえぇ〜」
 灯が嫣然と微笑んだ。
 確かにそうだろう。
 灯の美麗な面を見つめつつ、仁吉はごくりと生唾を飲み込んだ。

「五人で大丈夫でしょうか」
 問うたのは、初動が江戸であるため離れられぬ片桐惣助である。すると涼は莞爾と笑い、
「此度は布石のみ打つということだ。まずは大丈夫だろう。が――」
 本仕事にうつった時は‥‥
 その言葉を、涼は苦いものでもあるように溜息とともに嚥下した。


「おや、どこかにお出でで?」
「ああ。酒でも飲んでくる」
 宿屋の女中に愛想を返すと、男は抱いていた子犬をおろした。
「可愛いですねえ」
「哮天という」
 こたえると、男は女中に子犬の世話を頼み、自身は表に出た。
 そこは上州の宿場六合。そして男はセブンリーグブーツを用い、一足先に宿場に乗り込んだ水上流水(eb5521)であった。

 ここか。
 心中で呟くと、流水は一軒の居酒屋の暖簾をくぐった。見渡せば飯を食っている者が数人。中にはすでに酒を飲んでいる者までいる。
 そこは仁吉が最初に訪れた居酒屋であった。見れば、奥から茶をもった初老の男が出てくるところである。
「何にするかね」
「酒を頼む。肴は適当にみつくろってくれ」
 親父に頼み、流水は何気ない風を装い耳を澄ませた。地元の者らしい男達の話し声が耳に飛び込んでくる。
 が、仕事の話ばかりで大沼一家に関することは一言も口にすることはない。やはり大沼一家に関して話すことは禁忌であるらしい。
 それでは、と――
 客数が減ったのを見計らい、流水は奥にむかった。


 その二人の浪人者が六合に姿を見せたのは、仁吉が訪れたのと同じ砂塵舞う刻であった。
 浪人者がこの宿場に現れるのは別段珍しくない。が、しかし、この二人は宿場の者の眼をひいた。何故なら一人は眩い金糸の髪揺れる女であるから。さすがにこのような田舎で混血の女浪人を見るのはめったにない。
 その宿場の者の好奇の眼に晒されながら、しかし浪人者二人は気にした風もなく馬をすすめる。それは宿場を練り歩くようであり――
 一人、乱雪が眉をひそめた。
「なんとも辛気臭い宿場町だな・・・・人々の活気がまるで感じられん」
「それも仕方なかろうさ。やくざ者に牛耳られた町だからな。が、それもすぐに終わる――ここか」
 六都が馬をとめた。
 そこはかなりの間口をもった大店のように見える。が、屋号が書かれているはずの暖簾様のものに染め抜かれているのは大沼の二文字だ。
「ゆくぞ」
「承知」
 六都に続いて、乱雪もまた馬から飛び降りた。

 同じ頃――いや、正確には六都と乱雪からわずかに遅れて、一組の男女が宿場に足を踏み入れていた。
 偶然にも来合わせた宿場の者は、女の方の顔を見て相好を崩したが、すぐに溜息混じりに首を振った。
 ――あのような美しい女子がこのようなところに来たらどうなるか‥‥
 しかし次の瞬間、女がもらした一語を聞きとがめ、宿場の者は眼を丸くした。
 ――今、あの女はなんと云った? 確か‥‥
 なんや、久しぶりに楽しめそうな宿場町やから、うち興奮してきたわぁ〜 。
 女はそう云ったのではなかったか。
 いったい何者か。
 驚いて振り向いた宿場の者の視線を背に、男装の麗人と変じた志津と灯はゆっくりと六合に入り込んでいった。


「五十人!?」
 さしもの流水が息をひいた。居酒屋の親父は暗鬱な口調で、
「それは身内の者だけだ。用心棒まで入れると六十はくだらんだろう」
「こいつは‥‥」
 厄介だ、という言葉を流水はあやうく飲み込んだ。
「ところでだ。加代という女のことを知っているか。できれば居所を知りたいんだが」
「それを知ってどうする?」
「助けだす」
「なにっ!」
 親父が眼をむいた。が、すぐに怒気を顕わにすると、
「冗談もほどほどにせい。加代を助けだすなど――」
「冗談で、こんな上州くんだりまでは来ない」
「で、では本気で――」
 親父はぎゅっと唇引き結んだ。
「お前さん、吉良の仁吉って渡世人の知り合いだとかいったな。よかろう」
 親父は大きく首を縦に振ると、声を低めた。
「わしもはっきりとは知らないんだが、加代の居所は――」


 志津と灯が宿場役人の番所に着いた時、そこにはすでに彼女達の噂が届いていた。
「その方たちか。京の踊り手とは」
 役人の一人が眼を輝かせた。すると志津は小さく肯首し、
「左様。ここで興行を行われていただきたくお願いに参りました」
「それは良いが――」
 役人が灯に手をのばした。その刹那――
 灯の身が桜の花となって散った。
「な、何じゃ!?」
 役人がびくりと身をひいた。花の妖精かと我が目を疑ったが、よくよく眺めてみれば、灯の艶やかな姿はそのままである。
「な、何をした?」
「ちょっとした幻術です」
 にこりともせずに志津がこたえ、それをまるで物の怪でも見るように鳥肌たてた役人が見つめ返し――
 その様を、ちらと灯は妖艶な眼差しで見遣り、すぐに彼女は別の役人に顔をむけた。
「あらぁ‥‥男前やわぁ! 逞しいて強そうやし‥もぉエエひと居てはるん?」
「い、いや、そのような者はおらぬ」
「そやったら――」
 灯がそっと役人の手をとった。柔らかでしっとりとして白く――まるで白蛇のような繊手に包まれて、役人の腰は砕けた。
 それを見下ろし、ちらと灯は舌をだした。それは花の妖精というより、小悪魔というに相応しかった。


 大沼一家の屋敷内の中庭で、六都と乱雪は数人の浪人者と相対していた。いうまでもなく大沼一家の用心棒である。
「用心棒に雇ってもらいてえんなら、腕を見せな」
 蝦蟇のような印象の大男が口を開いた。
 大沼の源五郎。大沼一家の貸元である。
 すると乱雪は面白くもなさそうに、
「僕はかまわない」
 と云いつつ、腰の霞刀の柄に手をかけた。
 が、その肩をがっしとおさえた者がいる。六都だ。
「いや、俺がやろう」
「どっちでもよいわ」
 用心棒の一人が抜刀した。そのまえに、するすると六都が進み出る。
「いつでも良いぞ」
「ぬかせ」
 きらと日光をはねつつ、用心棒が刃を疾らせた。風すら斬る一撃であるが、しかしその一刀はがっきとばかりに六都の十手に受け止められている。
「俺は我流だ。無型ゆえ、貴様には見切れん」
 閃いた六都の一刀は用心棒の胴を無造作に薙ぎ払った。
「四方津、とどめは僕が」
 乱雪が刃を鞘走らせた。刹那、きぃんと雷火が散り、用心棒の一人が繰り出した刃と乱雪のそれが噛み合った。
「おのれ!」
 どうと崩折れた朋輩を見下ろし、さらに別の浪人者が抜刀した。さらに、一人、二人と――
 ――面倒な。
 心中で舌打ちしつつ、乱雪が刃をはねた。大沼一家に入り込む前に揉め事は起こしたくなかったが、降りかかる火の粉は払わねばならない。
 その時――
「親分」
 響いた声に、殺気で硬質化していたその場の空気が砕け散った。
「何だ、仙蔵?」
 不興げに振り向いた源五郎の前で、一人のやくざ者――仙蔵がニンマリした。
「京の舞姫とかいうえらい別嬪が挨拶に来てますぜ」


「志津吉ってのは、てめえか」
「はい」
 こたえ、志津は深く会釈した。が、当の源五郎は志津には見向きもせず、ねっとりとからみつくような視線を灯の全身に這わせている。
「で、俺に用ってのは何なんだ」
「この宿場での興行のお許しをいただきたく、参上いたしました」
「興行? そいつはいいが、ただってわけにゃあいかねえぜ」
「それは、これで」
 紙に包んだ金子を志津が差し出した。しかし源五郎はちらりと視線をくれただけで、手で紙包みをはたくと、
「こんなはした金には用はねえ。どうしても興行がやりてえってんなら、あがりの半分を寄越しな。それと――」
 源五郎が熱病にかかったかのような眼を灯に吸い付かせた。
「ここにいる間、俺の晩酌の相手をしてもらう。いいな」
「それは――」
 あわてて断ろうとした志津であるが。その袖をやんわりと灯がひいた。
「よろしおます」
 雅やかに微笑って、灯は膝の上の子狐の頭を撫でた。
「この子――風汰もここが気にいったみたいやから、お相手さしてもらいます」
「ものわかりがいいじゃねえか」
 云って、源五郎がぬたりとした蛭のような舌で唇を舐めまわした。


「助かった。貴殿の手配のおかげで、四方津殿達が救われたようだ」
「そいつは良かった。が――大変なことになったな」
 云って、流水が杯を卓においた。その前には志津がいつも通りの湖面のような面持ちで座っている。
「まさか大沼一家に出入りしなければならなくなるとはな」
「動きにくくくはなったが、これも考えようだ」
 志津の声に動揺はみられない。透徹した彼女の理知はこの事態をすら見越していたのかも知れなかった。
「確かにな。ところで宿場役人の方はどうなった?」
「だめだな。気骨のある役人はいない。が、一家の力が弱まった時にはどうなるか‥‥」
「では利助の方は?」
「話は聞いた。加代のようなことはよくある事らしい」
「それで全員泣き寝入りか」
「仕方あらへん」
 彼女らしくもない、冷えた眼で灯が流水を見返した。
「たかが一人で、とても大沼一家には立ち向かわれへん。子供がおってはなおさらや。ところで加代さんの居所は?」
「居酒屋の親父のいうところでは、どうやら仙蔵が外で囲っているらしい」
 云って、やおら流水が立ち上がった。そして厠へとむかう。
 その姿を、ちらりと見遣った者がいる。半ば強引に大沼一家の三下を酒場に連れ込んだ六都だ。
「あれだけの規模だ、一家の中での派閥争いとかもあるんじゃねぇか?」
 三下の杯をさらに酒を注ぎつつ、六都が問うた。三下はぐいと杯をあおり、酔眼を六都の面に据える。かなり酩酊しているようだ。
「だ、旦那ぁ、そ、そりゃあ色々ありまさあね。仙蔵の兄貴が、ひ、筆頭だが、力助のあ、兄貴も‥‥」
「なるほど」
 頷くと、六都が席を立った。
「だ、旦那ぁ、ど、どこへ?」
「厠だ」
 こたえた六都の眼は薄青い光をおびていた。


「先生、ま、一杯」
 大柄な男が乱雪の杯に酒を注いだ。男の名は力助。酒場で六都が聞き出した男である。
「いいのか、僕に酌などして」
 用心棒達の中において、乱雪達は異分子である。それをはばかっての言辞だったのだが、力助はニヤリとし、
「いやあ、先生の手並みに一目ぼれしちまったんでさあ。それに畑中さん達は仙蔵のお気に入りですからな」
「ほお」
 意味ありげに乱雪の眼が眇められた。
「仙蔵というのは、確かこの組の代貸だな。僕の見るところ、仙蔵より、いや親分よりも君の方が器量があると見えるがな」
「せ、先生、そいつは‥‥」
 まんざらでもない様子で、力助が眼をぎらつかせた。その時――
 乱雪が立ち上がった。
「少し酔いすぎたようだ。風に吹かれてくる」

 刻は秋。夜風はすでに冷たさをおびている。
 その風に吹かれつつ、乱雪は中庭に立っている。
 と――
 庭木の陰からすうと白いものがのびた。
 何か――
 手だ。それは紙片を握った一本の手であったのだ。
 乱雪は素早く紙片を受け取ると懐にねじ込んだ。
 再び乱雪が縁に上がった時、すでに流水の気配は消えうせていた。


「奴ら、どうにも気にくわん」
「ふん」
 用心棒が苛立たしげに吐き捨てた。六都に胴を薙ぎ払われた浪人者である。
 と、別の浪人者が酷薄そうな薄い唇をゆがめた。名を畑中監物。彼もまた大沼一家の用心棒の一人であった。
「心配するな。いい気になるのも今のうちだ。彼奴ら、必ず始末してやるわ」
 云って、畑中は唇の端をきゅうとつりあげた。l