【上州血風録】月に願いを

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:2〜6lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 4 C

参加人数:6人

サポート参加人数:2人

冒険期間:11月05日〜11月12日

リプレイ公開日:2006年11月13日

●オープニング


 居酒屋の座敷。
 数名の弟分を前に、苛立たしげに杯をあおっているのは大沼一家の力助である。
「あ、兄貴、もうこれくらいにしといた方が‥‥」
「うるせえ」
 唾を飛ばして喚くと、力助は再び酒を喉に流し込んだ。
「仙蔵の野郎、ちょっと親分に眼をかけてもらってると思いやがって、でかい顔しくさって」
 力助はギリギリと歯を軋らせた。
 最近の仙蔵の態度。居丈高に命令する様は、まるで親分気取りだ。
 奴は親分の後釜を狙ってやがる。だが、そうはさせねえ。
「おい、ちゃんと手は回してるんだろうな」
「へい。いざとなりゃあ、半分はこっちのもんでさ」
 弟分の一人がこたえた。すると力助は口をゆがめ、
「半分か‥‥それだけじゃ、まだ足りねえな。あっちには用心棒どもがついてる。こっちも手練れを味方につけなきゃなんねえ」
「手練れっすか‥‥」
 呟いた別の弟分が、ぱんと手をうった。
「兄貴、そういや先日雇われた浪人者はどうでやんす。かなりつかえるようですが」
「ああ、あの浪人者か」
 力助がニヤリとした。
 幾日か前、浪人者二人が用心棒に雇ってくれと現れた。その際、腕試しと称して、その浪人者の一人と、用心棒の一人を立ち合わせたのだが――仙蔵についている用心棒の一人が、その浪人者の一撃をうけてあっけなく幣されてしまったのだ。力助は今、その様を思い出したのだった。
「腕といい度胸といい、あいつらなら申し分ねえが、さて‥‥今ひとつ得体の知れねえところがありやがるからな。おいそれとは信用できねえぜ」
 血筋のからねついた眼で、力助が云った。


「あの浪人どもが怪しいだと」
 仙蔵が腹ばいになったまま、煙管をとんと煙草盆にたたきつけた。その隣では、白い肩を覗かせた女が横になっている。こちらは加代であった。
「そうだ」
 こたえたのはわずかに開いた障子戸の向こうに座した浪人者だ。畑中監物。大沼一家の用心棒の一人である。
「用心棒になったとたん、江戸に用があるとかぬかして姿をくらませた」
「それが怪しい理由かい」
「ああ。それに奴らの眼つき、気にくわん」
「畑中さんの思い過ごしじゃねえのかい。それに怪しいたって、何者で、何のために大沼一家に潜り込んできやがったってっんだ」
「それは、まだわからぬが‥‥。そういえば数日前におかしな渡世人が現れたらしいが、そいつの手下ではないか」
「おかしな渡世人?」
 眉をひそめ、仙蔵が煙管を口にくわえた。
「そういやあ、うちの奴らが数人のされたらしいが‥‥しかしどこに逃げ隠れたか、あれから一度も姿を見せねえっていうぜ」
「しかし‥‥」
「もしかしたら」
 その時、加代が身を起こした。
「利助が何か‥‥」
 云いかけて、しかし加代はすぐに頭を振った。
「そんなことはないよねえ。あんな甲斐性なしが、何かするなんて」
「そうとは限らねえぜ」
 ぎろりと仙蔵は眼を光らせた。そして酷薄そうな薄い唇をめくりあげると、
「こうなりゃあ邪魔な利助と餓鬼を始末しちまうか」
「そうだねえ」
 薄く笑うと、加代は仙蔵の首に濡れたように朱い唇を近寄せていった。


 その夜のことだ。
 大沼一家の奥座敷で胡坐を組み、大沼一家の貸元である源五郎は子分に酌をさせつつ、ある夢想にひたっていた。
 京から来たという舞姫。その何たる美しさか。
 このような田舎には決して存在し得ない洗練された雅やかさ。さすが京で磨いただけのことはある。
 その舞姫を――
 何とか手中にできぬものか。源五郎はそれを模索している。
 いくらこの宿場が思いのままといっても、相手は京で高名という噂の舞姫だ。そう簡単に手籠めにはできない。
 では役人を使って‥‥
 源五郎の口を割って現れた蛭のような舌が、その時ぬらりと唇を舐めまわした。


 そして、また。
 別の夜の情景‥‥

「伊吉、どうした?」
 呼ばれて、伊吉と呼ばれた童が振り返った。
「お月様見てた」
「月? そんなもん見て、どうするだ?」
「あのね、あのお月様、いくつ上がったら母ちゃんが帰ってくるのかなと思って」
「母ちゃん?」
 口の端にのぼらせて、しかしすぐに利助は顔を顰めた。
 先日冒険者という者が現れて、加代を連れ戻すと云って去っていった。そんなことができるはずはないと、利助は内心腹の内で溜息を零していたものだが、その時の遣り取りを、どうやら伊吉が聞いていたものらしい。
「伊吉、つまらねえこと考えるんじゃねえ。もう遅いから、家の中に戻って寝るだ」
「でも、あの人達、母ちゃんを連れてきてくれるって云ってた」
「馬鹿!」
 思わず利助は怒鳴り声をあげた。
「そんな夢みたいなことが起こるはずがねえ。さ、早く寝るだ」
 伊吉の手を、利助はぐいと掴んだ。そのまま引きずるようにして粗末な家へと連れ戻る。
 ――お月様、母ちゃんが早く帰って来ますように。
 泣きたいのをこらえ、唇を噛みながら伊吉は月に願った。

●今回の参加者

 ea2639 四方津 六都(36歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb5421 猪神 乱雪(30歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb5521 水上 流水(37歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb5647 小野 志津(35歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb5713 鬼 灯(26歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb7311 剣 真(34歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

御影 祐衣(ea0440)/ 片桐 惣助(ea6649

●リプレイ本文


 風の音、乱れ。
 小野志津(eb5647)の謡がやんだ。
 それは素人の耳には見事であるのだが、御影祐衣は気にいらない。
「だめだな、それでは」 
「まあまあ」
 なだめたのは片桐惣助である。彼は擂鉢で痺れ薬をつくるべく、薬草をごりごりすり潰しながら、
「陰陽師にしちゃあ、よくやっている方ですよ」
「では困るのだ」
 依頼に出発するまでの一時。その刻をつかい、せめて一曲なりともある程度の形にしなければならない。
「おぬし、本当にやる気があるのか?」
「なくて、誰がこのように真似をするか」
 志津の応えは、いつものように冷厳。驚くほど兄に似ている。違うといえば、兄ほど洒脱ではないということだけか。
「さあ。もっと教えてもらおうか」
 すべては依頼成就のため。幼き命の願いのため。
 先日宿場に赴いた際、彼女は伊吉と約束したのだ。必ず母を連れ戻すと。
 見も知らぬ赤の他人。依頼人と仲間。
 それでも命をかけられるのは、互いに絆によって結ばれているからだ。
 絆とは約束。依頼を果たすという、あるいは仲間を信じるという。
 その約束を果たすため、志津は今、刻を翔けている。


 野良仕事に向かう大人と子供の姿があった。利助と伊吉の親子である。
 それを見送るのは二対の眼だ。そのうちの一つ――吉良の仁吉の口から溜息がもれた。
「せっかく暴れられると思ったのに、またおあずけかよ」
「まあ、そういうな」
 苦笑を零したのは志士、剣真(eb7311)である。
「今更あの親子をどうこうするとは思えぬが、用心するに越したことはない」
「そうは云っても、旦那」
 慌てて仁吉は真の袖をひく。利助親子の向かったところとは、まるで見当違いの方向に向かおうとした為だ。
「どこへお行きなさるんで」
「どこへと‥‥利助親子を追うんだ」
「あ、あの‥‥」
 驚いた。腕の冴えは猪神乱雪(eb5421)を見て良くわかってはいるが、こんなとんでもないお人がいるとは‥‥本当に大丈夫であろうか。
「仁吉」
 飛び出そうとする仁吉を、慌てて真はとめた。
「俺と違い、お前は顔を知られている。あまり出るな」
「ほお」
 仁吉が感嘆する。
 方向音痴ではあるが、その機転、さすが冒険者と云わざるを得ない。これなら任せて大丈夫だろう。


「先生!」
 ふらりと戻った乱雪を見とめ、力助が破顔した。
「よく戻ってきてくれなすった」
 慇懃無礼に頭をさげる。それに対して乱雪はいつもの通り、泰然自若だ。そして突き出た胸元を隠そうともせず、
「江戸での用事も済んだのでな。こっちの方はどうだ?」
 と水をむけた。どうやら力助は乱雪を味方に引き入れるつもりらしい。それならば願ってもないことだ。
「へえ。仙蔵の野郎、ますますでかい面をするようになりやがって‥‥ところで、四方津の旦那は?」
「四方津六都(ea2639)か。奴は仙蔵に会いに行った」
「せ、仙蔵に!?」
 力助が眼をむいた。
「や、野郎。仙蔵の方につきやしたか?」
「勘違いするな。奴は仙蔵方の内情を探る為に近寄っているだけだ。心配はいらぬ」
「なら、良うござんすが」
 力助はまだ信用ならぬ様子である。そうと乱雪は見てとって、
「まあ僕達に任せておけ。お前の悪いようにはしない。いざとなれば――」
 きらと乱雪の右腰から白光が噴出し、力助の弟分の帯が断ち切れた。
「僕の居合いがある」
 にこりともせず、乱雪が告げた。


「俺につきたい!?」
 胡坐をかいた仙蔵が唸った。
 その提案の主、六都は柱に背をもたせかけ刀に手をかけている。
「そうだ。不服か?」
「不服ってわけじゃあねえが」
 仙蔵は言葉をつまらせた。
 六都の技量は先日目の当たりにしている。おそらく六都とまともにたちあえるのは畑中監物一人くらいのものであろう。
 故にこそ、信用できぬものの惜しいと思ったのだ。乱雪が力助にとりこまれているようである以上、手錬れの手駒は大いに越したことはない。
「しかし、どういう風の吹き回しだ。お前は力助の用心棒ではないのか」
 畑中監物が云った。すると六都は薄く笑い、
「ふん、長いものには巻かれろという諺もある。それより、ひとつ忠告しておいてやる。力助はどうやらお前を追い落とすつもりのようだ。奴さん、何やら勝算があるみてぇだから、精々気をつけておくことだな」
「力助が!?」
 うめいたものの、どうやら心覚えがあるようで、
「なるほど‥‥ところでだ、手下にするにあたり、ここはひとつおめえさんをためさせてもらいてえ」
「ためす?」
 六都はやや虚を突かれた。
「ためす、とは?」
「乱雪だ。奴を斬ってもらいてえ」
 云って、仙蔵はニンマリと口をゆがめた。


「これを」
 小野志津(eb5647)は金子の包みを差し出した。大沼一家屋敷内である。
「あがり、か」
「はい」
 肯いて、志津は源五郎を見上げた。そしてちらと顔を顰めた。
 源五郎は蝦蟇のような面つきで、相変わらず酒をあおっている。その酒を注いでいるのは鬼灯(eb5713)であった。
「おひとつ」
「す、すまねえ」
 ぬめりとした眼で源五郎が鬼灯を舐めまわすように見つめる。
 すでに桃色の夢の中。志津のことなど念頭から飛び去っている。
 と――
 源五郎は志津が考え込むように睫を伏せたことに気づいた。
「どうしたんでえ?」
「いえ‥‥」
 一端は言葉を濁し、しかしすぐに思い切ったように眼をあげると、
「実は、耳にいたしましたことがありまして」
「耳にしたこと? 俺に関係することか?」
「はい‥‥」
「ええい、面倒な奴だな」
 源五郎が身を乗り出した。
「いいから云っちまいな」
「それでは」
 と前おいて、志津が話し出した内容はこうだ。
 どうやら仙蔵力助が女にうつつ抜かす腑抜けを追落そうと画策している。そして、それは間近のことであるらしい。
「馬鹿な」
 源五郎は一笑に付した。が、鬼灯が同意するに及んで、やや顔色を変えた。
「確かに、うちも聞きましたえ」
「おめえ、どこからそれを仕込んだんでえ」
 志津にむかって源五郎が問うた。
「子分衆が立ち話しているのを耳にしました。生業柄、耳が良いもので」
「ほお」
 源五郎が眼を底光りさせた。
 信用したかどうかはわからない。が、毒は注がれたのだ。


 水上流水(eb5521)は居酒屋の厠の戸の前に立っていた。戸のむこうにいるのは乱雪である。
「噂の方は?」
「そっちの方は大丈夫だ」
 流水が請合った。
 ――力助は新しく雇った用心棒と手を組んで、仙蔵と源五郎を潰し、組の乗っ取りを謀っている。
 ――それを知った仙蔵は、古参の手下をまとめ、これを機会に力助と源五郎を潰し、組を自分のものにしようとしている
 彼が流した噂の全貌である。たった数刻でどれほど浸透したかはわからないが、このような小さな宿場町だ。爪火のようでも、いったん点されたそれは、まるで燎原をはしる火のように燃え広がるはずだ。
「それよりも」
 流水が話をきりかえた。
「六都さんから聞いたが、どうやら仙蔵の野郎、とんでもないことを持ち出したみたいだぞ」
「とんでもない? どのようなことだ?」
「乱雪さん、あんたを斬れってよ。そう六都さんはためされているらしい」
「そいつは――」
 さすがの乱雪が息をひいた。こたえに窮し、乱雪には言葉もない。ただその耳の底に、風の鳴る音がヒュウと響いた。


 ふうわり、と。
 まるで歩く様まで舞を舞っているよう。覗く項は白く、ぞっとするほど艶かしい――鬼灯である。
 熱い眼差しを向ける商人風の男をやり過ごし、鬼灯は独語した。
「確か、この辺りやと思ったんやけど‥‥」
 立ち止まり、周囲を見回す。
 朱塗りの格子戸。それこそ鬼灯の目指す家屋の目印であり、仙蔵が加代をかこっているところであった。
「あっ、あった!」
 鬼灯がはしゃいだ声をあげた。
 無理もない。
 加代が酷い仕打ちを受けていないか。病などで身体をこわしていないか。人一倍心配していたのは彼女であったのだから。
 が、そこからが見事であった。
 まるで影に変じたか。軒先を伝いつつ、音もなく朱塗り格子戸の家屋に近づいていく。その時――
 にゅっと突き出た腕が、鬼灯のそれを掴み、暗がりに引きずり込んだ。
 あっと鬼灯が驚いたのは一瞬であった。すぐに腕の主の顔を見とめ、淫蕩に笑う。
「六都さん、こんな暗がりに引っ張りこんで、うちをどうする気?」
「んな冗談云ってる場合か」
 六都が顎をしゃくって見せた。その先、格子戸が開いて一組の男女が姿を現した。
 一人は仙蔵だ。してみると、もう一人は加代であろうか。
「じゃあな」
「今度はいつ来てくれるんだい」
 人目もはばからず、加代が仙蔵にしなだれかかった。
「さあな。近いうちに」
「そう。‥‥ところで、利助達はもう始末してくれたんだろうね」
「しっ」
 仙蔵が加代を黙らせた。

 ややあって、暗がりから六都と鬼灯が姿をみせた。すでに仙蔵と用心棒の姿は消えている。
 そうと知って、なお六都と鬼灯は動けない。二人の耳の底には、加代の一言が反響している。
 今、加代は何と云った?
 利助達を始末したか、だと?
 それにあの態度。とてものこと、嫌々連れてこられた者のとるそれではない。
 ここに至り、翻然と六都と鬼灯は悟った。加代の真意に。
 彼女は無理やり仙蔵にひきこまれたのではない。全て同意の道化芝居だ。のみならず、加代達は亭主と我が子の命すら奪おうとしている!
 俄かには信じられぬ異常事であるが、もし今の加代の一言が本当のことであるなら利助達が危ない。急がねば手遅れになる!
「鬼灯、すまぬが流水につなぎをつけてくれ」
「利助さん達のことを伝えるんやね」
「そうだ。俺は怪しまれぬよう仙蔵を追う」
 云い捨てると、六都は物陰を飛び出した。


 その頃、志津は役人番所にいた。興行の報告をする為である。
「おかげさまで興行をおこなうことができました」
 志津が頭を垂れた。すると役人は、
「何のことだ?」
 と問うてきた。
「知らんぞ、そのようなことは」
「えっ‥‥」
 志津は戸惑ったような顔をあげた。
 確かに前回赴いた時に興行の知らせは届けたはず。それを知らぬとは――
 そう志津が疑惑の眼をむけた時、役人が小者に命じた。
「この者、恐れ多くも届けなしにて興行をおこないおった。不届き故、とりおさえよ!」
「なにっ!?」
 という声もろとも、志津はがっきとばかりに小者におさえこまれてしまった。それをやや恐怖の眼で見下ろしつつ、
「こやつ、奇怪な幻術で人を誑かしおるという噂もある。かまえて油断すな」
「お、おのれ‥‥」
 志津は歯噛みした。
 この時、察しの良い彼女はすでに役人の真意に気がついている。源五郎の手がまわったのだ。
 一瞬、彼女は幻術でこの場を逃れようと試みたが、やはり役人を敵にまわすのは拙い。あやうく彼女は術の行使を思いとどまった。

 それから半刻ほど後のことだ。
 流水とつなぎをとりおえた鬼灯は、捕り手に捕らえられ、番所に連れてこられた。
「これはどういうことなんや」
 捕らわれた蝶のようにもがいた鬼灯であるが、同じように捕らわれている志津を見ると暴れるのをやめた。
「志津吉、これは‥‥」
「舞姫‥‥」
 志津が口を開いた。その時――
 番所の戸が開き、源五郎が姿を現した。
「お役人様、大沼の源五郎にございます」
「よくぞ参った」
 役人がふんぞりかえった。
「その方に頼みがある」
「頼みとは?」
「この不埒者を、しばらく預かってもらいたいのだ」
「そりゃあ、良うござんすが」
「では任せるぞ」
「へえ」
「くっ」
 さしも沈着冷静な志津も、きりきりと歯を軋り鳴らせた。最後の仕掛けをほどこす前に、このような田舎芝居を見るはめになるとは‥‥源五郎を甘くみていたということか。
 が、気がつくと鬼灯は片えくぼを彫っている。
 彼女も忍び。いざとなれば十七歳のはちきれんばかりの身体で源五郎を篭絡する自信はある。
「舞姫よ、さあ立ちな」
 云って、源五郎がぬたりと笑った。


 風は少しもなく、それでいて妙に底冷えのする夜であった。
 その夜の底を、利助親子の住む家屋に近寄る影がある。数は三。月の青い光に浮かび上がったのは、それぞれに長脇差を腰に落としざしにした渡世人ふうの男達であった。
「おい」
 呼ばれ、ぎくりとして男達が立ち止まった。
「だ、誰だ?」
「仙蔵の思うとおりにさせるかよ!」
 薄闇の中、声が――流水が云った。
「なにっ! てめえら――」
 皆まで云わず、男達が抜刀した。そうと見透かし、流水が豹のように襲った。
 新藤五国光がきらと光り、しかし刃風は空をうっている。
「かまわねえ。こいつは俺に任せて利助親子を殺っちまいな」
 流水と対峙している男が怒鳴った。すると、それとばかりに残る二人が飛び立つように駆け出した。そして利助の住む家屋に迫り――
「待て」
 と、その眼前に立ちふさがる影一つ。すでに抜刀し、刃を月明かりに濡らしているのは仁吉だ。
「ここから先はいかせねえ」
 仁吉の刃が月光をはねちらした。次の瞬間、男の一人が血煙に包まれる。
「ほお」
 残る一人と斬り合い、手傷を負った真が感嘆した。
 しょせんは渡世人と侮っていたが、かなり使える。
 ともかく、ここは任せても大丈夫だろう。
 真は背を返すと、家の戸をどんどんと叩いた。
「な、何でございます」
 と、恐る恐る利助が顔を出したところをみると、外の騒ぎが届いていたものとみえる。
「助けにきた。伊吉と共に早く逃げるんだ」
「えっ」
 と、利助は狼狽の色をみせた。真のことを怪しんでいるのは明白である。
「ええい」
 面倒だと云わんばかりに、真は戸を無理やり押し開けた。
「長々と話している刻の余裕はない」
 叫ぶと、真は利助の胸倉を掴んだ。
「助かりたくば、伊吉を起こせ。早く!」
「へ、へえ」
 ここに至り、ようやく利助は真のことを信用しはじめたようである。このような場合であるにもかかわらず――むろん、それは興津鏡の効果もあいまっている。
「ゆくぞ!」
 伊吉を抱えた利助を促し、真は家を飛び出した。外では、まだ仁吉と流水が戦っている。流水がややおされぎみだが、仁吉がいれば問題なかろう。
 そう判断した真は利助を急かせた。闇の奥に姿を消せばこちらのものだ。
 剣戟の音が響く中、二影と、抱えられた小さな一影が夜に埋没していった。


「何だとっ!?」
 仙蔵が喚いた。その眼前には、血まみれの弟分が二人、地べたにへたりこんでいる。
「利助を殺るのにしくじっただと」
「へ、へえ」
 肯くと、弟分は仔細を話し出した。
「どこの、どいつでえ、そいつらは?」
「見たことねえ面で」
 どうやら、この男は仁吉の顔を知らぬようである。それは冒険者にとって幸運であった。それというのも――
 仙蔵は小首を傾げた。
 いったい何者が邪魔だてしたというのか。
 仙蔵の眼がちらりと動いた。六都はそこにいるし、乱雪も力助と共にいるのは確認済みだ。
 では誰が――
「力助の野郎か‥‥」
 仙蔵が押し殺した声をもらした。