●リプレイ本文
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空っ風は土埃を舞い上げて六合の町を吹き過ぎる。
が、大沼一家の座敷には、そのような寒風など知らぬとでもいうかのように艶風が渦巻いていた。それは――
鬼灯(eb5713)だ。
十七歳の瑞々しい肢体をくねらせ、はちきれんばかりの肉体を源五郎にすりよせている。それだけで、もう源五郎の身体は爆発寸前まで追い込まれていた。いざとなれば手篭めにしてでも目論んでいたはずの源五郎は、今、鬼灯の張った蜘蛛の糸にからめとられた蛾と化しているのである。
「ま、舞姫よぉ、も、もうたまらねえ」
「だ〜め! 源ちゃんがちゃんとウチのいうことをきいてくれるまで、志津吉にはいてもらいます」
ふっと鬼灯は源五郎の耳に甘酒のにおいのする息を吹きかけた。源五郎はうっと呻いて股間をおさえ、
「な、何なんでえ、おめえのいうことってな?」
「一つは内輪揉めをやめさせること」
「う、内輪揉め!?」
「そうや。内輪揉めしとる様な組の姉さんには、ウチ恥ずかしゅうてよ〜ならへんわぁ。それと二つめは妾を囲う事を禁止」
「妾だと。そいつは‥‥」
源五郎は口ごもった。彼も数人の女を囲っているからだ。
すると鬼灯はぷっと可愛らしい唇を突き出し、
「どうしたん? やっぱり極道は硬派で男らしゅうないとアカンねん! 他所の女さろうて来るような男はウチ好かんわ」
「し、しかしだな‥‥」
「何やのん! アカンねやったら、ウチ、もう源ちゃんと仲良うしたらへん!」
「ま、待て!」
源五郎は悲鳴に近い声をあげた。
「わ、わかった。お前のいうことをきく。だから早くだな――」
源五郎が鬼灯の胸元に手を差し入れようとし――ぱしりと鬼灯の繊手にはたかれた。
「三つめ」
「ま、まだあるのか?」
「そう。お役人のことが」
「役人? 宿場役人のことか?」
「うん。あそこのお役人はん、ウチの事いやらしい目ぇで見てくるんよぉ。この前なんか腰に手ぇ伸ばしてきて、最悪やったわぁ!」
「何だと!」
源五郎の眼に、その時物騒な光が浮かんだ。刃に煌きに似た光である。
「野郎‥‥。俺の舞姫に色目を使うたあ、ふてえ野郎だ」
「せやろ。だからお役人とは、もう手を切って」
「わかった。だからだな――」
源五郎が志津吉を追い出した。そしてすぐさま鬼灯を押し倒す。
「源ちゃん、ちょっと待って」
「もう待てねえ」
荒い息を吐くと、源五郎は鬼灯の襟元をかき開き、小ぶりだが形の良い乳房を露出させた。
「美味そうだぜ」
源五郎が乳房にむしゃぶりついた。鬼灯の口から小さな喘ぎ声がもれる。
そして源五郎の手が鬼灯の裾を割り、下腹部をまさぐりだした――。
「――志津さん、幻術、お見事」
鬼灯が感嘆した。
その傍らに立つのは志津吉――男装した小野志津(eb5647)だ。彼女はにこりともせずに、
「このような色ぼけの男、幻術にかけるのは造作のないこと」
「いったい、どんな幻を見てるんやろ」
畳の上で腰を振る源五郎を見下ろし、鬼灯が嘲笑った。と、志津は障子の隙間から外を窺い、
「では私はもう一細工施してくることとしよう」
云った。
「せやったら、ウチは」
源五郎の傍に腰を下ろすと、鬼灯は彼の頬に白い指を這わせた。
「そうやぁ〜。源ちゃんはエエ子やなぁ〜。ウチに任せといたらエエんよぉ〜ウチに任せといたら〜‥‥」
呪詛のような言葉が鬼灯の可憐な唇を割ってもれる。続く春花の術発動の詠唱を耳に、志津はぴしゃりと障子戸を閉めた。
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志津は部屋に戻った。屋敷から出ることはかなわぬが、屋敷内の自由は許されているからだ。
と――
端座した志津の膝元にころりとソルフの実が転がった。
天井。微かな気配が一つある。
「仁吉殿に伝えてもらいたい」
「何と?」
天井を通して小さな声が忍び出た。
「役人への働きかけを頼む、と。噂を流してもらいたいのだ。大沼一家が完全にこの宿をのっとるのが間近だと」
「承知」
「ところで畑中の方は? 磯城弥殿だけに任せるには心苦しい」
「それはわかっている。だから薬を酒などに混ぜようと試みたが、なかなか‥‥」
「仕方あるまい。無理をして事が露見しては元も子もないからな」
「すまない」
こたえる声は闇のうち。やがて水上流水(eb5521)の姿は影と変じて彼方へと消失した。
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「もう一人はどうした?」
力助に問われ、黄金色に煌く髪をさらりと揺らした女浪人が顔を仰のかせた。
猪神乱雪(eb5421)。夢想流の使い手である。
「奴か? フッ ‥‥さあな。‥‥僕を斬る様に仙蔵からいわれていたそうだが‥‥」
云うと、乱雪はぞっとするほど美しい笑みを浮かべた。
死神の笑み。
力助ともあろうやくざ者が鼻白んで顔をそむけた。
「恐ろしいお人だ‥‥。だからこそ頼り甲斐もある」
力助はニッと口をゆがめると、
「実は折り入っての話があるんで」
「話? 僕は斬ることにしか興味はないぞ」
「その斬ることでさあ」
力助がきゅうと口をつりあげた。
「仙蔵の野郎を斬ってもらいてえんで」
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「早く誰か斬らせろ」
云うと、熱にうかされたような眼を、斉藤弥九郎は畑中監物にむけた。
「まあ、待て。すぐに斬らせてやるほどに」
さすがに辟易した様子で、監物は弥九郎に背をむけた。
それから一刻半ほど後のことである。
酒臭い息を吐きながら、一人監物は月光に濡れた夜道を歩いていた。一緒に飲み歩いていた他の用心棒達はすでに大沼一家に戻してある。
「猪神め。残るのはうぬ一人。必ず始末してやる」
呪うが如く、監物が独語した。その誰も聞こえぬはずの声を――
聞いている者があった。
闇の底にへばりつくようにして身を潜めた者。
磯城弥魁厳(eb5249)。河童の忍びである。
琥珀色に底光りする眼を、魁厳は監物に据えた。彼の鋭敏な聴覚は、すでに監物が一人であることを告げている。
殺るなら、今しかない。
魁厳は飛び出した。疾走の術により脚力は増大させてある。
一気に監物との間合いを詰め、ましらのように魁厳は躍りかかった。背をむけたままの監物には避けえないはずである。が――
魁厳の薙ぎつけた小太刀は空をうっている。背をむけたまま、監物は横に飛んでかわしてのけたのだ。のみならず地に降り立ったとき、監物は刃を抜き払っていた。
「何者かは知らぬが、そんな腕では俺は斬れぬ」
監物がにんまりと嗤った。と――
その監物の笑みがとまどいに揺れた。襲撃に失敗したはずの魁厳の口元をよぎる微かな笑みに気づいた故だ。
「き、きさま――」
「ほい、残念じゃったの。ワシはあくまで囮。本命はあちらじゃ」
魁厳がニヤリとした。刹那――
地から子供ほどの大きさの黒影が飛んだ。
何か。――犬だ。苦無をくわえた犬――ヤツハシが監物に襲いかかったのである。
「何っ」
さすがの監物が狼狽した。
もし敵が人であるなら、どれほどの手錬れであろうとは彼はうろたえはしなかったであろう。が、まさか犬が得物を口に迫ってこようとは――
一瞬の狼狽が監物の心中に亀裂をはしらせた。その隙を穿つように、ヤツハシの苦無が監物の背めがけて疾る。
「くっ」
再び監物は身を翻らせた。見事、彼はヤツハシの攻撃すらかわしてのけたのである。が――
ぬらり、と刃が監物の背に突き通された。
「き、きさま――」
「三途の川の河童からの好意じゃ。渡し賃は用意してやるで、安心して渡るがよい」
魁厳が小太刀――微塵をひねった。
瞬間、監物の口を割ってどす黒い血が噴出した。
「さて‥‥」
荒い息をつき、魁厳は力助の元から盗み出した根付をおいた。
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魁厳が監物と相見えていたのと同じ頃、幽鬼のような影が一つ、利助の家へとむかっていた。
――いうまでもなく斉藤弥九郎である。
と――
弥九郎の足がぴたりととまった。前方にごろりと転がった大木のようなものを見とめた故である。
「なに‥‥蛇か!?」
大木の正体に気がつき、反射的に弥九郎が抜刀した。そして蛭に似た舌でぬらりと唇をなめると、
「利助親子を殺る前に、お前をまずは血祭りにあげてやろう」
「させぬ」
声が響いた。
慌てて眼を眇めた弥九郎の視線の先、うっそりと立つのは――おお、剣真(eb7311)だ。
「ここから先は行かせん」
真の身から闘気が噴き零れた。その熱波のような殺気を感得し、弥九郎がサメのように笑う。
次の瞬間、一語も発することなく弥九郎が真めがけて殺到した。
「きええい!」
「しゃあ!」
空に雷火のような火花が散り、二つの刃が噛みあった。弥九郎の斬撃に真が抜き合わせたのである。
受け止め得たのは、新陰流の手錬れである真ならばこそだ。が、それは渾身の業で――。
続く弥九郎の第二撃が空に閃き、真の袖が千切れて飛んだ。
「ふっ。良い腕だが、ここまでだ。俺を楽しませてくれた礼に、一撃で冥土へ送ってやる」
その言葉の終わらぬうち、びゅうと弥九郎が刃を薙ぎつけた。が、咄嗟にふるった真の法城寺正弘がまたもやそれをはじき返し――真が後方に飛び退った。
「逃がさん!」
叫び、踏み出しかけた弥九郎の足が凍結した。背後――別の殺気があることに気がついたからだ。
「何者だ」
「利助親子はもういない。私が逃した」
「なにっ!?」
弥九郎の刃が唸った。が、その剣風の届かぬ先を殺気の主――流水は飛んでかわしている。
「待て!」
弥九郎もまた飛んだ。そして流水との間合いを一気に詰める。
「死ねい!」
弥九郎が絶叫した。その時――
煌!
突如空に眩い光球が現出した。
何でたまろう。強い光は、それまで闇に慣れていた弥九郎の眼を刺し、たまらず彼は眼を閉じた。
刹那――
袈裟に薙ぎ落とされた光流は弥九郎の背を割っている。真の法城寺正弘だ!
流水が疾走の術をつかって駆けつけるのにあわせ、彼の飼う燐光――燦のダズリングアーマーから眼を守るべく瞳を閉じていた故になし得た一撃であったが、弥九郎には知る由もなく――
土気色に変じつつある顔に、愕然とした表情を刻みつつ、ゆっくりと弥九郎は崩折れていった。
流水に案内されたむかった先――一軒の小屋の中に利助親子はいた。
「襲撃者は始末した。が、これからどうする?」
真が問うた。すると利助は困惑した顔をむけ、
「どうする、とは?」
「加代のことだ。このまま捨ておくわけにはいくまい。助ける気があるのか? お前が助けに行くなら手を貸すぞ」
「そ、それは――」
利助が言葉を途切れさせた。が、それも仕方あるまい。只の百姓がやくざ者にそう易々と逆らえるはずもない。
その時――
「助ける」
声をあげた者がいる。――伊吉だ。
「ねえ父ちゃん、母ちゃん助けるよね」
伊吉が云った。
迷いのない声。真摯で、真っ白な語調だ。
その声音に、やがて利助の表情が変わった。
「わかった。母ちゃんを助けよう」
「その言葉を待っていた」
真が会心の笑みを浮かべた。
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その翌日のことである。
町の居酒屋の中に流水の姿があった。
「おい知ってるか。力助の用心棒が仙蔵の用心棒を切り捨てたそうだぜ」
「そういや、いつも物騒な面つきで歩いてる――確か畑中とかいう浪人者が戸板で運ばれてるのを見たぞ」
一人の酔客が流水に酔眼をむけた。
「そうだろ。調子に乗った力助が、仙蔵を斬るって息巻いてるらしいぜ」
「本当かよ」
別の酔客がぶるっと身を震わせた。
「また血なまぐさいことが起こるんだなぁ」
「ああ。たっぷりとな」
流水がぽつりと呟いた。
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一刻ほど後のこと。
偶然にも、二人の男が同時に同じことを喚いていた。
一人は力助で‥‥
「斬るぜ、仙蔵を! 乱雪の旦那が畑中の野郎を斬ってくださった今しか好機はねえ! 乱雪の旦那、手を貸してくださるでしょう」
力助が熱い眼差しを乱雪に送った。その先、乱雪は抜いた氷のような刃に己の顔を映している。
――よかろう。十分に手を貸してやるさ。
刃に映った乱雪の顔が酷薄に笑った。
そしてもう一人は仙蔵で。
「くそ! 畑中の旦那まで殺られちまうなんて。もうこうなったら黙っちゃいられねえ。力助を殺る! それとついでといっちゃあなんだが、源五郎親分もだ。鬼灯とかいう女に骨抜きにされちまいやがって。‥‥奴にはもう大沼一家を率いる力はねえからな」
叫ぶ仙蔵の手の内には書状が一枚。そこには――畑中殿、こちらの準備は整った。力助――と書かれている。
ニタリ、と毒蛇のように口をゆがめると、仙蔵は書状を握りつぶした。
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それが起こったのは源五郎、仙蔵、力助が顔を揃えた席のことであった。
突如、仙蔵が長ドスを力助に突きたてたのである。さすがにこの席で仙蔵が事に及ぶことは力助にとっては意外であったらしく、何の抵抗もできずに力助は幣れ伏した。さらに――
仙蔵は返す刃で源五郎までをも斬り伏せた。
「せ、仙蔵‥‥てめえ‥‥」
「親分、あんたはもうお終えなんだよ」
仙蔵が文字通りの血笑をうかべた。その時――
がらりと障子戸が開いた。そこに佇む者は――乱雪!
「キミに僕の太刀筋が見切れるかな」
「野郎!」
仙蔵が長ドスを振り下ろした。が、鍔鳴りの音が響いた時、仙蔵は刃を下ろした姿勢のまま倒れている。
刀の柄に手をかけたまま、乱雪はふふんと笑った。
「さあて、首魁どもはくたばったが‥‥」
乱雪は周囲に視線を走らせた。そこでは仙蔵の手下が源五郎や力助の手下に襲いかかっている。すでに血まみれの乱戦の様相だ。
「この分では僕が手を下すまでもないな。果たして何人生き残るか‥‥。たとえ生き残りが数人いようと、もう大沼一家は終わりだ」
きらっと光芒が瞬き――乱雪は仙蔵の手下を一人斬り捨てた。
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「誰?」
何者かの気配を感じ、加代は表戸を開けた。仙蔵が帰ってきたと思ったのだ。
が、外の暗がりに人の姿はなく――
いや、何者かいる。物陰に沈むように人影が一つ。
「お前は――」
何者かの正体を見とめ、加代は息をひいた。
利助! よく見れば、その背後に隠れるように伊吉の姿も見える。
「お、お前達、何を――」
加代は怒鳴りかけた口を閉ざした。伊吉の濡れたような眼がじっと見つめていることに気がついたからだ。
「い、伊吉‥‥」
加代は言葉もなく、ただ立ち尽くしていた。
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「あの親子はどうなるんやろか」
鬼灯が振り返った。
塵風舞う六合の町。そこにはまだ、大沼一家壊滅の漣は見られない。
「わからん」
志津がかぶりを振った。
「が、私達にできるのはここまでだ。あとは利助達が切り開いていくしかない。役人達も今更大沼一家の生き残りを手助けはしないだろうからな」
「大丈夫だ」
真が小さく微笑った。
「利助は命がけで加代を助けようとした。その気持ちがあれば何とかなるさ」
「だと良いがな」
流水もまた六合の町を振り返った。
彼の脳裏には、母親を慕う伊吉の真っ直ぐな眼がはっきりと焼きついていた。それはあまりに無垢で眩しく、まるで新雪のように清らかで――
昏い冬をくぐりぬけた先、春は必ず来る。
乱雪はそう思った。