●リプレイ本文
遠くなる影は八つ。
見送る影は五つあった。
そのうちの一人――
「駿河かぁ」
空の長から拝受してきた霊刀を蛟静吾(ea6269)に手渡した女浪人、天乃雷慎がふと呟いた。
「遠いですねぇ」
応えをかえしたのは、呪符をマハラ・フィー(ea9028)に預けた紅眼の僧侶、グラス・ラインだ。
「死人ですか‥‥」
ふうと刀根要は溜息をもらした。依頼の内容は、下手をすれば命にかかわる大事であるが、貸したファントムソードは生きて返してもらわねば困る。
要は小指に視線をおとした。マハラと約束を交わした小指にだ。
「私が行ければ良いんだけど‥‥」
クレセント・オーキッドが危惧の念をもらす。死人の対処にはクレリックが有効であるのだが、都合によって此度彼女は同行できない。
しかし心配だ。八人の冒険者の一人である木賊真崎(ea3988)は沈着冷静であるのだが‥‥。
そのことを口にすると、木賊崔軌が可笑しそうに笑った。
「ま、真崎みたいに動く前に考える性質な奴にゃいらん心配だな」
「でも‥‥」
「ああ。たまの無茶が首出さんよう気ぃつけといてくれれば良いが‥‥」
姉の顔を思い浮かべ、崔軌は首をすくめた。もしも真崎にもしものことがあれば、怖い姉に叱られるのは崔軌の方だからだ。
「それに、すでに二人兵糧の用意を忘れているしな」
志乃守乱雪(ea5557)と結城夕貴(ea9916)。彼らは道中で割高の保存食を求めねばならないだろう。
「難しい依頼になりそうね」
クレセントが西の空に眼をあげた。その彼方、謎を秘めたる青木ヶ原樹海が八人の冒険者を待っている‥‥
●
当の真崎。
彼は崔軌の心配するほど無茶な人物ではなかったようで。
――土地の者にも容易に分け入れぬ鉄色の海‥まずは現状を掴むのが先だな。
などと道中呟き、いきなり青木ヶ原樹海に入るをやめ、御影涼(ea0352)と乱雪、マハラとともに白隠のもとを訪れた。
「まずは禅師、現状をお聞きしたい」
「現状のお」
髭をまさぐると、白隠は真崎に眼をむけた。
「儂にもまだ良くはわかってはおらぬのだよ」
「では受けられた印象などはありませんか」
「そうよなあ。‥‥確かに樹海で死ぬ者は多い。それにしては死人返りや死霊の数が多すぎるような気がする」
「数が‥‥」
猛禽にも似た鋭い眼を伏せたのは涼だ。
「禅師、その理由について思い当たることはございませぬか。俺には京の場合と似ているような気がしてならぬのだが」
「京か‥‥」
白隠は吐息をついた。涼のいう京の場合とは、黄泉人復活の一件をさしていることに想到したからだ。
「まさか、この駿河にもまた黄泉人が現れると?」
声をあげたのはマハラだ。
「わからん。が、大事の発端はいつも小事から始まる。そう‥歴史は繰り返すものだからな」
「うーん」
マハラは唸った。
噂に聞く京や大和の荒廃ぶりの凄まじさ。あれと同様のことを、断じてこの駿河に起こさせてはならぬ。
「今ひとつお聞きしたい」
涼が口を開いた。
「早雲公が自ら依頼を出されたのは何故か。北条ならば、死人返り如き対処はできましょう」
「そうともいえぬよ」
白隠がこたえた。
「確かに死人返りだけなら北条、または風魔で始末はつこう。が、樹海には死霊までもがおる。死霊を斬る刀を揃えるのは、そう容易くはない。それに」
白隠は薄く笑った。
「今のじゃぱんの様子を見よ。早雲公も樹海だけにかまってはいられぬというのが正直なところであろうよ」
「ではおじいちゃん‥‥じゃなくて白隠様」
マハラが身を乗り出した。
「おじいちゃんでかまわぬよ」
「じゃあおじいちゃん。樹海の周辺の村のことを教えてほしいの。聞きたいことがあるから」
「よかろう」
肯いた白隠は、一人寂然と外を眺めている乱雪に気がついた。
「面白いものが見えるか?」
「ええ」
乱雪が肯首した。
「子供のころに見慣れたはずの御山ですが、いま近くで見ると雰囲気が違って見えます。‥‥まあ、当時とは背丈がかな〜り違いますからねえ。十倍くらい」
「おぬし‥‥」
白隠がわずかに瞠目した。
「この辺りに住んでおったか?」
「ええ、まあ。‥‥不死の森。死の森。‥‥まあ、そういうことでして」
乱雪が微笑した。
乱雪の性が志乃守であることを知らぬ白隠は小首を傾げたが、すぐに疑念を放擲したように茶をすすりはじめた。それにむけて、乱雪が問う。
「禅師、富士山太郎坊と会われたことは?」
「太郎坊? 天狗か?」
「はい。ご存知なら楽ができるかと思ったのですが」
「生憎と太郎坊は知らぬのお。白狼天狗に知り合いはおるが」
本気とも冗談ともつかぬ顔で、白隠は再び茶をすすりはじめた。
と――
庵の屋根の上から風鳥のように降り立った者がいる。夕貴だ。
するとマハラは眼を真ん丸くし、
「ずっと屋根にいたの?」
「ええ。風魔の忍者さんに会ってみたいと思って」
「会えました?」
「いえ」
残念そうに夕貴は頭を振った。
「女装が見破られるか、試したかったのですが」
「女装!?」
白隠ほどの者が素っ頓狂な声をあげ、まじまじと巫女装束姿の夕貴を見つめた。
「おぬし‥‥正体は男なのか?」
「はい」
夕貴が頷いた。
「嘘つけ」
「嘘ではありませんよ」
「ふーん」
白隠は珍しげに夕貴を眺め回している。よほど感心したに違いない。
●
世には頑張りすぎるという性質の者がいる。それが他人の為ならなおさらという者が。
サラ・ディアーナ(ea0285)はその稀有な人種の一人のようで‥‥
「あら」
樹海近隣の村まで足を運んだ彼女は、一匹のもこもこを抱き上げた。
子犬。茶色の毛並みの雑種である。
「かわいい」
子犬に頬擦りしたサラは、一人の女童が駆け寄ってくるのを見とめた。
「あなたの?」
「うん」
肯く女童に、サラは子犬を手渡した。嬉しそうに子犬を抱く女童を見つめ、そしてサラは樹海に視線を転じた。
まだこの辺りに被害は出てはいないようだが、もし死霊どもが現れたらこの女童はどうなるか‥‥
――やらなきゃ!
サラはぐっと拳を握り締めた。
「死人返りが現れたのは知っていますね」
話術達者なマハラがきりだした。すると村長が皺深い面をこくりとさせた。
「それで聞きたいんだけど、この村で口減らしなんかはあったのかしら」
「口減らし?」
村長が顔をしかめた。その表情がすべてを物語っている。
「どうやらあったようね」
「‥‥仕方なかろう。北条様が国守となってからは暮らしも楽になったが、吉良様の頃にはひどかったからのお。自ら樹海に入った老人もおれば、泣く泣く赤子を間引いた者もおる」
「‥‥」
傍らで聞いていたサラが息をひいた。
自ら死地に赴く老人、または生き方を選ぶ間もなく死んでいった赤子の思いはいかばかりであったろう。サラの脳裏に、先ほど出会った女童の顔が浮かんだ。
ややあって、再びマハラが口を開いた。
「‥‥で、そのお祀りなどはどうなっているの?」
「地蔵尊をたてておる。が‥‥」
「が?」
サラが聞きとがめた。
「どうかしたのですか?」
「うむ。何者かに打ち壊されてしまってのお」
「打ち壊された!?」
サラとマハラが顔を見合わせた。
「それは、何時のことなのですか?」
サラが問う。すると村長は、
「一月ほど前かのお」
「一月ほど前‥‥」
頃としては死人返りの出現と符号するが――
マハラが唇を噛んだ。するとサラが何か思いついたように、
「あの‥‥近頃、近隣の村で行方知れずになった人はいませんか?」
「あんた」
村長がじろりとサラを睨んだ。
「どうしてそんなことを知っていなさる」
「では‥‥あるのですか?」
「ああ」
村長が疲れたように肯いた。
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しなやかな、それでいて闇と同化しそうなほど朧な印象の若者が樹海を見渡している。
葉隠紫辰(ea2438)。サラ達の護衛のために村に同行したのである。
「昼尚暗き、生も死も呑み込む深き森‥か。闇を棲家にする者ですら、畏れを禁じえないものだな」
「おめえさん」
声がした。ちらりと走らせた視線の先、毛皮をまとった男が一人。身形からして猟師であろう。
「樹海には入らねえ方がいい」
「聞きたいことがあるのだが」
紫辰が海色の瞳で猟師を見つめた。
「樹海に死霊が跋扈していることは知っていよう。そのことに関してなのだが‥‥最後に樹海に分け入った折、普段と違うことはなかったか?」
「違うこと?」
猟師が眉根を寄せた。しばらくして、
「そういや、お地蔵様が壊されていたなあ」
「お地蔵様?」
大きな声をあげたのはマハラだ。
「マハラ‥‥村長の話は聞けたのか」
「うん」
紫辰の問いにマハラが首をこくりとさせ、次に猟師に眼を転じた。
「今のお地蔵様の話‥‥樹海の中にもあるの?」
「ああ。たくさん‥‥誰が立てたのかわからねえのが、数も知れねえほどな。いや――」
「どうかしたのか?」
紫辰が問うた。すると猟師は気恥ずかしそうに笑い、
「あの坊様がたてたんじゃねえかって噂はあるんだが」
「坊様? どのような御坊なのだ?」
「年とった坊様で。――いや、忘れてくれ。埒もない話で」
「いや」
多少じれて、紫辰が詰め寄った。
「何でもよい。聞かせてくれ。その御坊がどうしたのだ」
「へえ‥‥その坊様なんだが‥‥。俺の爺様が童の時も、今と同じ年取った姿で見たとか云って」
「なに!?」
紫辰の眼がぎらりと光った。もし今の話が真実だとするなら、その僧侶は何歳になっているというのか。
「その僧侶は今、どこに?」
「そういや最近見かけねえなあ」
「見かけぬ? そうか‥‥。では最後にひとつ聞きたい。最近樹海に分け入ろうとした者はいるか?」
「最近?」
猟師が眼を見開いた。
「虚無僧や修験者の集団を何度か見かけたことがあるが‥‥」
「虚無僧?」
同じく村に同行していた涼が、猟師の一言に反応した。
以前、彼は駿河にて虚無僧の一団と戦ったことがある。また同族の者が人魚の娘をめぐって別の虚無僧集団と争ったこともある。涼の脳裡にその件のことが過ぎったのだ。
「虚無僧どもは不死を欲していた。もしやすると‥‥」
涼の瞳が、空の蒼を映したかのように涼やかに煌いた。
●
蛟静吾(ea6269)がすらりと刃を抜き払った。背をあわせた夕貴もまた抜刀する。
魔剣三条宗近と霊刀ホムラ。ふるうは共に佐々木流である。
「ええいっ!」
夕貴が上段から一気に刃を振り下げた。全精魂を込めた一撃は死人返りを唐竹割りにしている。
散りしぶく緋霧のような鮮血のむこうで、静吾は怨霊と相対していた。
青白い炎にも似た姿形。そこに人の残滓は見えぬが、吹きつける熱風の如き怨嗟はまさしく人のものだ。
「どれほどの恨みをのんで死んだかはわかりませんが、僕は斬らねばならない‥‥」
鋭い呼気を発し、想いをのせて静吾は袈裟に刃を斬り下げた。呪力のこもった長剣の刃は、重い唸りを発して怨霊を両断している。
おおん。
怨霊の呻きがこだました。その響きを断ち切るかのように、再び静吾の刃が翻り――
「見事なものですね」
乱雪が、静吾と夕貴の技量を賞賛する。すると夕貴は何ほどのこともなかったかのような顔で、
「怨霊を祓うのは巫女さん、なんてアリでしょう。ってか、此度僕は刀ふるうくらいしかできないのでね」
こたえ、ちらりと腐肉の塊となった死人を見遣った。
死霊に恨みはないが、依頼主は駿河国守である北条早雲。うまくすればお家再興がかなうかも知れぬ。
と――
「さすがに樹海近くだと死霊どもが多いな」
乱雪から借りた惑いのしゃれこうべを片手に、紫辰が呟いた。
すでに、ここまでに数体の死人返りと怨霊を斬り捨てている。この様子ならば、もし樹海に分け入ればどれほどの死霊どもと遭遇することになるか‥‥。
「他に死霊は?」
「近くはいないようだ」
乱雪の問いに紫辰がこたえた。その彼の手の上、古びた髑髏はまさに沈黙している。
「間違いはない」
真崎もまた肯いた。
彼のバイブレーションセンサーにも反応はないからだ。また愛犬わんこさんも尻尾をふりふりしている。
「では‥‥」
真崎が手近の大木に身を寄せた。何度目かのグリーンワードを試みるつもりなのだ。
――最近この辺りで見かけるモノは?
――死霊。
樹木がこたえた。続けて真崎が問う。
――其れ以前に見かけた者は?
――僧侶。
僧侶?
真崎が首を傾げた。もしかすると紫辰が猟師から聞き出したという不老の僧侶のことなのかもしれない。
――では見慣れないモノは?
――修験者。
「修験者?」
真崎が再び首を傾げた。
その修験者というのも、おそらくは猟師のもらしたものだろう。樹木が覚えている以上、この件に関わりがある可能性がある。
真崎がそっと大木に手を触れた。
この深い樹海の中、この樹木達は何を見てきたのだろうか。幾世代もの人の生き死にの間も、きっとこの樹木達は世の移り変わりを見守り続けてきたに違いない。
――人の世とは儚いものだな。真崎は思った。
その傍ら、静吾が地にしゃがみ込んでいる。地にあるのは大きな水溜りだ。
「その声、聞かせてもらいますよ」
静吾が云った。
まさしく――静吾は水溜りとの会話を可能とする者なのである。それこそ、彼を蒼き水龍といわしめている所以であるのだが。
そして――
静吾が問うた。死人が増え始めたのはいつ頃からなのか、と。
が――
水溜りは沈黙している。何の応えも返さない。
そう。静吾は失念していた。水溜りが話してくれるのは、水溜がいつどういう理由で出来たかと、もっとも最近水溜を踏んでいった者がどんな奴でどちらにいったかという二項目であることを。
仕方なく静吾は立ち上がり、先ほど夕貴が幣した死人返りと歩み寄っていった。
「どうやら農民のようだな」
静吾が覗き込むと、片膝ついて調べていた乱雪が、ええと顔を頷かせた。
「このような地で最近亡くなるとは、どのような物好きかと思っておりましたが‥‥」
乱雪が掌に視線を落とした。
先ほど行ったホーリーライトに、この死人返りは反応していた。ということは、この死人返りには特別な使命をもたぬということである。
「失踪した方でしょうか」
サラが柳眉をひそめた。
「おそらくは」
「何か人を引き寄せるような魔法や術式が内部で施されているのか、もしくはデビルなどが人を魅了して樹海に引き込んでいるのではないかと思ったのですが‥‥」
「まだ分からんさ」
こたえたのは涼である。
「数体の死人返りを調べただけだからな」
農民。旅の者。今まで遭遇した死人返りの風体からは、サラの危惧している点は見当たらぬ。また黄泉人と思われるふしも。
それよりも――
おや、と涼は死人返りに手をのばした。今は腐肉の塊となっており、しかとは判別できぬが‥‥
血が少なくはないか?
そう涼が思った時、マハラが周囲に視線をはしらせた。
「どうした?」
「気配が」
マハラがこたえた。彼女の獣並みに鋭敏な感覚は、この時、からみつくような視線を感得していた。