【駿河】地蔵菩薩
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■シリーズシナリオ
担当:御言雪乃
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:10 G 51 C
参加人数:8人
サポート参加人数:6人
冒険期間:07月15日〜07月22日
リプレイ公開日:2007年07月28日
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●オープニング
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駿府城。
駿河において吉良氏が築いた名城である。
今、その駿府城の奥で四人の男が対面していた。
一人は二十歳に満たぬ若者である。
漢らしい濃く太い眉、すらりとした高い鼻梁、きりりと引き締まった唇。戦場をくぐり抜けてきた者のみが持ちうる厳しい顔立ちの中に、透徹した理知の光を秘めた瞳がかがやき、青春の美の結晶を完璧に仕上げていた。
駿河国守、北条早雲である。
そして、一人。こちらも若者であった。
不敵な面魂は、この世に恐れるものなどないようである。が、その身から発せられる気は驚くほど皆無で。まるで空に溶け込んでいるかのようだ。
風魔一族頭領、風魔小太郎である。
さらに一人。その者は侍であった。
澄んだ湖面のような雰囲気をまといつかせている。小太郎が空に溶け込んでいるとするならば、この男は空そのものといってよい。
北条家剣術指南役、水鴎流の二階堂主水である。
そして残る一人。こちらは老人であった。
が、この老人は老いた者が持つ弱々しさとは無縁である。枯れてはいるが、むしろ風魔小太郎や二階堂主水に匹敵するほどの活力を感じさせる――
白隠である。
「で――」
早雲が口を開いた。
「その修験者どもの正体は未だわからぬと?」
「うむ」
白隠が肯いた。
「冒険者の力をもってしても、未だ判然とはせぬ。ただ伊邪那美流の者としか」
「伊邪那美流、か‥‥」
呟いたのは小太郎である。聞きとがめた早雲は眼を転じて、
「小太郎。伊邪那美流の者どもについて心当たりはないか?」
「そうだな」
小太郎が首を捻った。
戸隠流や飯綱流など、修験道を源流とする忍びは存在する。が、伊邪那美流を名乗る忍びは存在しない。
「が、耳にしたことはある」
小太郎は云った。
「伊邪那美を奉ずる闇の者ども。この世の裏に潜み、太古より脈々と生きながらえているという」
「それだけか」
「それだけだ」
小太郎の答えに、ふむと早雲は唸った。
実のところ、早雲はそう国内にばかり眼をむけていられない事情があった。江戸において源徳家康が敗れ、京においては酒呑童子率いる鬼どもが御所を襲撃――今、ジャパンは激動の真っ只中にある。
その中で、一際早雲が関心を寄せているのが上杉謙信の裏切りだ。さすがの早雲も、これは予想の範囲外であった。
あの義に篤い漢が、何故源徳を裏切ったのか。上杉と秘密同盟を結ぶ北条としては、その謎の秘密は是非とも探り出さねばならぬ急務であったのだ。
「では残る手がかりは、やはり鯉ヶ滝しかないか」
「そのようじゃの」
白隠が主水に眼をむけた。それに応え、主水も肯いている。
「あの冒険者達であれば、必ずや鯉ヶ滝の秘密を探り出し、駿河を覆う謎の一端を明かしてくれるものと思われます」
「柳生も恐れる水鴎流の主水が云うのだ。確かであろう」
くすりと早雲が微笑った。すると主水が眉をひそめて、
「殿、いかがされましたか?」
「いや――」
早雲は微笑をおさめて、
「主水ほどの男が、いやに惚れ込んだものと思ってな」
その時、早雲の脳裡を八人の名がよぎった。北条と上杉の秘密同盟を支えた冒険者の名だ。
このジャパンにおいて、冒険者はすでになくなてはならぬ存在になっているのではないか。ひょっとすると、この駿河においても冒険者を登用するべき時が来たのかも知れぬ。そう早雲は思った。
さらには冒険者の一人がもたらした報告。樹海にある無数の地蔵菩薩像が何らかの結界の形を成しているかも知れぬという疑念だ。
未だ全ての像の位置を把握していない為、その結論は出ていないが、それもまた確認しなければならぬ事の一つに違いない。
が――
今は鯉ヶ滝である。一刻も早く、死霊が現れた謎を解明しなくてはならない。
「小太郎」
早雲は風魔小太郎を呼んだ。
「夜叉丸を急ぎ江戸へ走らせてくれ。鯉ヶ滝を探らせるのだ」
●
降りしぶく水飛沫は、しとどに草木を濡らせている。
鯉ヶ滝の滝の裏から、その時、一人の修験者が姿を現した。
顔には能面に似た不気味な面をつけている。さらには手には布をまきつけていて皮膚は見えない。
「奴は?」
別の修験者が問うた。すると仮面の修験者はくつくつと嗤い、
「おとなしくしておる。我らが結界をしいておる故、そう簡単には動けぬであろう」
「が、冒険者とやらが嗅ぎまわっておりまする。早くここから動かした方がよいのではありませぬか」
「ならぬ」
仮面の修験者がかぶりを振った。
「ようやく奴を封じたのだ。下手に動かせばどうなることか‥‥。あの方が到着するまで、そう時はかかるまい。それまでの辛抱だ」
そう云って、仮面の修験者は再び嗤った。その陰惨な嗤い声は、すぐに鬱蒼とした木々に飲み込まれ――消えた。
●リプレイ本文
●
「伊邪那美か‥‥」
風守嵐がもらした言葉は禍々しく空に響いた。
「奇しくもお前の方からもその名を聞くとはな」
云うと、嵐は一人の僧を蛟静吾(ea6269)に紹介した。
「言守の翁‥‥いや、琳思兼殿だ」
「これは――」
静吾の涼しげな眼がわずかに見開かれた。風の長達が言守の翁と呼ぶエルフの僧侶の博識なることは、かつて彼も耳にしたことがあったからだ。
「わしにできることがあればと思っての」
云って、思兼は調べておいた地蔵菩薩や樹海、伊邪那美に関わる事柄を披露し始めた。
地蔵菩薩は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩であるとされる。そういう意味においては、あながち黄泉津大神である伊邪那美と全く無関係というわけではない。
それを聞いて興味深げに顔を覗かせたのは、どこか妖精じみた雰囲気をまとわせた娘で。インドゥーラのレンジャーで、マハラ・フィー(ea9028)という。
「これ、作ったんだけど」
マハラが一枚の紙片を差し出した。
幾つかの印が示されたもの。村から鯉ヶ滝までの間で破壊されていた地蔵菩薩像の位置を記したものだ。
「どう、これ?」
「たいしたものだ」
記憶力を誉めたのである。誉めたのは小野麻鳥。彼自身、端倪すべからざる陰陽師だ。が――
「ふむ」
と、麻鳥は首を捻った。印は依頼の合間に調べたものであり、かつ鯉ヶ滝までの道筋に残されたものだけであるので、未だその全容は知れぬ。
「ドーマンセーマンかも思ったのだが‥‥」
麻鳥が呟いた。
ドーマンセーマンは五芒星のことで、セーマンは安倍晴明、ドーマンは芦屋道満の名に由来するともいわれる陰陽道で使用される呪印である。
「此度、俺も地図を作るつもりだ」
柚衛秋人(eb5106)が云った。もしかすると、その地図により何らかの真実が読み取れるかもしれない。
「しかし、年経ぬ僧侶までは辿り着けるかも知れない」
落胆の色も見せずに、ヨシュア・グリッペンベルグはマハラの作成した地図を手にとった。
「兄貴よ」
声に、木賊真崎(ea3988)が顔をあげた。
そこにいるのは木賊崔軌。真崎の弟である。
「兄貴が最近かかわってるの、確か駿河だったよな」
「そうだが‥‥。それがどうかしたか?」
「いや」
崔軌は苦笑を浮かべ、
「俺に一杯食わせた奴が風魔てのが、なあ?」
「なに?」
真崎が眼を眇めた。
崔軌のいう一杯食わせた奴とは風魔の九郎であり、三郎と名乗って上州沼田へと向かっていた。その沼田にいるのは誰あろう上杉謙信である。もしや北条と上杉の間に‥‥。
「そう思い詰めんなよ? 終いにゃ禿げっぞ。‥つか同じ面でそりゃ勘弁してくれ」
崔軌が笑った。が、真崎は笑わない。
彼は――彼のみは北条と上杉の極秘の繋がりに気づきはじめていたからだった。
「しかし‥‥」
それぞれに打ち合わせる冒険者を見回し、緋神那蝣竪はふっと溜息を零した。
「何だか厄介そーな事に関わってるのね、紫辰君」
「ふん」
葉隠紫辰(ea2438)の口の端がわずかに歪んだ。その面に怯えはない。
那蝣竪はくすりと笑った。
「でも、久しぶりに会ったけどイイ顔するようになってるじゃない。安心したわ」
「ふん」
紫辰が立ち上がった。面のことなど、彼はあまり興味はない。それより遠く西の地に渦巻く瘴気の渦を幻視し、彼は狼の如く眼を光らせた。
「死霊を溢れさせ、地の封印を破り‥‥黄泉を繋ぐ穴を開けようとでもいうのか。何が狙いであるにせよ、無辜の民に死を振り撒く修験者共は、最早看過できる存在ではない。俺の忍道にかけて、その企み‥‥挫いてみせる」
「そうだ」
肯いたのは秋人である。水精を身におび、さらには水神加護ある魔槍を抱き、この場合、流水の如き男は莞爾と笑った。
「こそこそしている奴らにロクなのはいないと思うが、なにを企んでいるのやらだ。つまらない悪巧みなら、引っ張り出して叩き潰さないとな」
●
木々に溶け込みそうな小さな庵の前、一人の老僧が立っている。白隠だ。
「老師、お手数をおかけしました」
御影涼(ea0352)は目礼すると、
「で、お願いした儀は?」
「そこにおる」
白隠が眼をちらりとやると――そこに忽然と人影が現れた。雲水だ。笠の為に顔は見えない。
「風魔小太郎じゃ」
「これが――」
結城夕貴(ea9916)が――結城夕貴ほどの剣客がぞくりと身を震わせた。彼の鋭敏な感覚をもってしても、風魔小太郎の気配を感得しえなかったからだ。
が、その驚愕は太股を露わにした桃色の巫女装束、さらには狐耳をつけた夕貴の姿からは窺い知れない。
「風魔小太郎殿、初めてお目にかかる」
挨拶し、涼が切り出したのは伊邪那美流のことだ。
「大昔の神話か何かで聞いた覚えのあるような名前だよね‥‥」
夕貴が呟くと、小太郎の笠が動いた。肯いたのである。
「伊邪那美とは、このジャパンの古の神の一柱だ。そして伊邪那美流とは、その伊邪那美を崇める者どもと聞いたことがある」
「伊邪那美を崇める者ども‥‥」
「ふーん」
夕貴には珍しく、かなり関心をひかれたようである。少なくともこの一件、駿河の命運を決める一事になりそうであったから。
「じゃあ老師」
「何じゃ?」
問う白隠に、夕貴は妖しく笑ってみせた。
「安全の為に城に居てもらいたいのです。で――」
夕貴の手がすいと白隠にのびた。ややあって、僧形の老武士の姿があらわれた。
「ほお」
小太郎の口から感嘆の声がもれた。夕貴の変装の技量に感心したのである。
その時――
小太郎の笠が揺れた。彼のみは、朧に空に溶け込んだ気配をとらえている。
がさりと藪をかきわけ姿を見せたのは紫辰とマハラ、そして真崎だ。隠密行動に長けた三人は一足先に鯉ヶ滝まで偵察にむかっていたのであるが――
「どうでした?」
「でした?」
サラ・ディアーナ(ea0285)が問うと、彼女の肩の上にちょこんと座っていた妖精のアーヴィンも口真似して問うた。
「うむ」
こたえ、紫辰が口にしたのは鯉ヶ滝周辺の呪術的仕掛けのことだ。
「外からではわからなかった」
「が、奴らの呪の詠唱が気になる」
真崎が眉根を寄せた。
実は、彼は滝付近においてグリーンワードを試みていた。その結果、老僧の姿がその近辺にあったことが確認できたのである。
「其の呪が解か封か‥何れにせよ、奴等が駿河に現れた目的は今あの滝の中に在る。やはり潜り込んでサラに確かめてもらわねばならぬだろうな」
「はい」
やや青ざめた顔でサラが肯いた。
「では、ゆくか」
静吾に促され、ついに冒険者達は動き出した。此度の依頼の最後の幕をひく為に。
●
マハラの合図で、他の冒険者達が足をとめた。
水鳴りの音が響いてくる。鯉ヶ滝はすぐ近くだ。
その時、静吾が首を捻った。
ここに至るまで、冒険者達は数度死霊と戦っている。この地は死の樹海だ。それはわかる。
が、わからないのは修験者の襲撃がないことである。真崎などは終始警戒を怠っていなかったようだが‥‥
●
呪が流れている。鯉ヶ滝を取り囲むように結跏趺坐する修験者達があげるものだ。それは低く静かに空に渦を巻き、この地をこの世ならぬ異世界となさしめている。
と――
一人の修験者が立ち上がった。仮面をつけた修験者だ。
「来たか」
仮面の内からしわがれた声がもれた。その眼前、すっくと立つのは涼、静吾、夕貴、秋人の四人だ。
「待て!」
仮面の修験者が印を組みはじめたのを見とめ、涼が制止の声をあげた。
「俺達は戦う為に来たんじゃない」
「何? 戦う為ではない?」
「そうだ」
涼の蒼の眼がさらなる蒼みをおびた。
「お前達が、この地で伊邪那美を奉っている理由を知りたい。富士は不死に通ず。その道を塞いでいた地蔵尊を破壊する事で封印を解き伊邪那美を蘇らす‥‥」
涼の貴族的な面にわずかに嘲りの色がよぎった。
「‥‥は、まさかできるわけがない、な。もしできるとするなら、お前はさしずめ伊邪那岐ということになる」
「その名を口にするな」
仮面の修験者が軋むような声をあげた。
何かある、と静吾はにらんだ。仮面の修験者の反応はあまりに異常である。
刹那、数人の修験者が印を組みかえた。瞬間、白銀の光矢が冒険者めがけて疾る。さすがにそれはかわしえず、冒険者達の口から苦鳴がもれた。
が、一人、美しい顔に血笑をうかべている者がいる。夕貴だ。
「弱いです! 手ぬるいです! その程度の力しか持たないなんて、伊邪那美とやらも大したことないですねっ!」
「ほざいたな」
再び数名の修験者が印を組んだ。
「させぬ!」
静吾と秋人が地を蹴った。唸るは名刀三条宗近と魔槍河伯の槍。
「さあ、派手に遊ぼうか」
秋人が叫んだ。
●
影のように滝裏に穿たれた洞穴に忍び込んだ者がいる。サラ、紫辰、マハラの三人だ。真崎は迎撃の為に滝裏の入り口に残っている。
と――
どれほど進んだか、いきなり紫辰が足をとめた。前方にややひらけた場所があり、そこに端座した人影が見える。僧形の老人だ。
「あれか‥‥」
「‥‥」
マハラが首を捻った。先ほどマハラはブレスセンサーを試みている。その際、この洞穴の内部に存在は感じ取れなかったのだ。
そのマハラの疑念は知らず、サラが老人に近寄っていった。
「これは‥‥」
サラが瞠目した。
老人を中心にして注連縄がはられている。壁には複雑な紋様の呪符が貼られ、所々得体のしれぬ像がおかれてあった。
さすがにサラにも詳しいことはわからない。どうやら古神道系の結界であるらしいことだけは推察がついたが。
その時――
「‥‥呪の詠唱がやんだ。そなたらの仕業か」
老人が問うた。はい、とサラは肯き、紫辰に目配せした。
真崎から滝は傷つけるなと警告を受けている。破壊するのは結界のみだ。
「今、助ける」
薄闇の中でさえ燃え煌くような霊刀を、紫辰はゆっくりと振りかぶった。
吹きつける熱風の如き殺気――いや、むしろ瘴気に近い気にうたれ、反射的に真崎は刀をかまえた。その眼前、ゆらりと立っているのは仮面の修験者だ。
「どけ。中のモノに触れることは許さぬ」
「できるか」
真崎の眼がぎらりと光った。
刹那、二影が交差した。閃く光流は二条――煌きが水飛沫に散った後、肩から血をしぶかせ、がくりと真崎は膝を折っている。
一瞬後、真崎の足元にからりと落ちたものがある。断ち割られた仮面の半分だ。
「ぬっ」
見上げた真崎の口から只ならぬ呻きがもれた。
仮面から覗く修験者の半顔。それは人のものではなかった。干からびた皮膚は不気味な木乃伊のもののようで――
「黄泉人!」
「見たな」
再び修験者が刃を振りかぶり――はじかれたように飛び退った。洞穴の奥から現れた三人の冒険者と老僧の姿を見とめた故だ。
「ええい、奴が解放された以上、もはやここまで」
退け、の掛け声とともに、仮面の修験者――黄泉人が空に舞い上がっていく。その様をちらりと見遣りつつ、もはや追っても及ぶまいと判断した夕貴は修験者に肉薄し、一気に斬りさげた。
「必殺! 真っ向狐爪斬り!」
●
鯉ヶ滝に凍りつくような静謐が降りている。濃い血臭とともに。
地には数名の修験者達の骸が横たわっている。斬られ動けなくなった故に舌を噛み切って果てたのだ。
一方の冒険者達も無傷ではすまず、ある者は薬水で、またある者はサラのリカバーによる治療を受けていた。
その時、冒険者達はざわざわれと空気がざわめいていることに気づいた。ふと見回せば、そこかしこに死霊の姿が見える。かなりの数だ。
その瞬間、老僧の身から光が発せられた。それは眼も眩むほどの、それでいて根源的な安らぎを覚える黄金色の光で。
「あっ」
冒険者の口から驚愕の声がもれた。
彼らの眼前、死霊達が後退していく。黄金色の光に抗しかねるように。
やがて光は弱まり――その光の中に現れたのは老僧ではなく、一人の青年僧であった。
いや――
その若者を青年と呼んで良いか、どうか。
男には見えぬ。かといって女にも見えぬ。それはいっそ人の範疇を越えた中世的な、それでいて神々しいまでの存在であった。
「あ、あなたは一体――?」
問う涼に、僧は薄く微笑を刻んだ面をむけた。
「人は、私のことを地蔵菩薩と呼ぶ」
「!」
今度こそ冒険者は絶句した。そして確信した。眼前の僧の正体が地蔵菩薩であることに。
はっと冒険者達が我に返った時、すでに地蔵菩薩は流れるように遠ざかりつつある。
「ま、待ってよ」
無遠慮にマハラが呼びとめた。
すると地蔵菩薩がぴたりと足をとめた。
「聞きたいことがあるの。並べられた地蔵菩薩は死者を導いていたの?」
「そうだ」
地蔵菩薩が静かに答えた。
「像に私の力を付与し、この地に結界をしいた。といっても、私の役目はそれだけではないのだがな」
「では、再び結界を成す方法は?」
次に問うたのは紫辰だ。すると地蔵菩薩は微笑みを消しもせず、
「それは私の役目。そなたらには無理だ」
「では――」
「人の子らよ」
地蔵菩薩がマハラを制した。
「そなたらの好奇心はわかる。が、この世には人が触れてはならぬものがあるのだ。身を滅ぼしたくなければ、この地にこれ以上かかわるのはやめたが良い」
云うと、再び地蔵菩薩は歩みだした。さして足を動かしているとは見えぬのに、その歩みは飛ぶように早く――
「ま、待ってくれ!」
再び紫辰が呼びとめたが、すでに地蔵菩薩の姿は鬱蒼とした木々の彼方に消え去りつつある。
冒険者達は憮然たる眼を見交わした。慌ててその後を追おうとしたものの、地蔵菩薩の姿を隠すかのように死霊達が再び群がりだしている。もはや追うのは不可能であろう。
「どういうことだ?」
秋人が溜息に似た声をもらした。彼の伝承の知識では解明の糸口は掴めない。
地蔵菩薩。黄泉人。伊邪那美。
この地に、いったい何が隠されているというのだろう。
確かに死霊が樹海から溢れ出した謎の一端は解き明かすことができた。が、幾つかの謎は残ったままである。いや、むしろ解明された謎はごく一部といっていい。
圧倒たる謎を秘めた緑の地獄は、今冒険者達を飲み込まんとしていた。
が――
サラのみは、その頬に明るい微笑をやどしている。
地蔵菩薩の封印を解いた今、樹海から溢れ出す死霊の数も減りゆくことだろう。そうなれば死霊の恐怖に蝕まれつつあった村々にも平安が再び戻ってくるに違いない。
サラの脳裡に一人の少女の姿がよぎった。
里。
死霊に取り囲まれ、恐怖に震えていた少女だ。
今、里はどうしているだろう。サラは思った。
きっと笑顔でいるに違いない。無垢な、希望に満ちた微笑み。その笑顔は人々に伝播し、やがてこの地を笑顔で満たすだろう。
そうなればいいな。
サラの眼に星のような光がやどった。闇の地を照らす星の光が。
こうして――
駿河をめぐる冒険行に一旦終止符がうたれた。が、それはさらなる巨大な陰謀の幕開けでもあった。