●リプレイ本文
●
「はっはっは! 井氷鹿、流石は神と呼ばれるだけはある!」
豪快に笑ってのけたのは、緋布に錦糸の施しのある着物を纏い、胸元を深くはだけさせた傾いた井出達の男。名を虎魔慶牙(ea7767)という。
前回依頼の際、彼はその井氷鹿により瀕死の重傷を負わされているのだが、その闊達な様子からはとてもその事実はうかがえない。そも、この男には恐怖心などあるのだろうか。
馬鹿なだけ――と、きっとこの男なら冷徹に云うだろう。
小野麻鳥(eb1833)。冷厳なる陰陽師はちらりと眼前の若者を見遣った。ここにもまた馬鹿がいる、と。
若者――朱鳳陽平。新撰組十一番隊隊士である。
「京も鬼が闊歩してっけど、江戸もたいして変わんねえなぁ」
「慶牙は鬼より恐い」
とはレイナス・フォルスティン(ea9885)。ふん、と笑い、レイナスはステラ・デュナミス(eb2099)の繊手を手にとった。
「同じ興味をもつなら、この美しい指先にすれば良いのに」
「もう」
レイナスの手を振り払うと、ステラは胸を揺らしつつ、冒険者ギルドの上がり框に腰掛けた。
「今回の依頼の事だけど‥‥」
ステラは仲間を見回した。
「村に大変な事が起こっているかも知れないっていう法眼さんの心配はもっともだと思うわ」
「井氷鹿が動き出す、とでも?」
河童の忍び、磯城弥魁厳(eb5249)が問うた。
そうだ、と答えたのは木賊崔軌(ea0592)である。
「が、むしろ恐ろしいのは村長の方だ。狂信にとりつかれた人間ほど始末におえねえものはものはないからな」
「そうね。村長達が雄太くんを生贄に捧げようとしていた事は間違いないみたいだし」
考え込みながらステラが云った。
「それだけではない」
云って、麻鳥は手を広げてみせた。その掌には数本の黒い糸のようなものが乗っている。
髪の毛。魁厳が氷井戸の中で見つけたものだ。
「雄太だけではあるまい。他にも生贄に捧げられた者はいたはず」
「でも、具体的に村での行方不明者はいなかったみたいだよ」
天乃雷慎(ea2989)が云った。すると崔軌の瞳が氷の砕片のように光った。
「だからこそ恐ろしい。あの様子じゃあ村の大半は生贄の事を詳しく知らねえ‥となりゃあ、今まで外から調達してるって事だ」
「そういやあ」
慶牙が懐から血の滲んだ綱を取り出した。
「こんなものを小屋で見つけたぜ」
「気に入らないないな。生け贄を用意したければ、自分がなれといいたいところだ」
レイナスが吐き捨てた。すると崔軌の口から、やばいぜ、というくぐもった声がもれた。
「騒ぎの後だ。次の贄が出されてもおかしかねぇ」
「駄目だよ! 村の子供達の未来を血で汚しちゃ!」
雷慎の口から叫びに近い声が発せられた。そして雷慎はぐっと拳を握り締める。
「あの村で出会った子供達の未来を‥‥ボクは護りたいよ」
「よくいった、雷慎殿」
八人目の冒険者、シグマリル(eb5073)が云った。その蒼い瞳が、今や氷嵐を宿しているかの如く凄絶に光っている。
「イヒカへの贄なる慣習は、人の生を踏みにじる悪しきものだと俺は思う。人が生きていく上で誰かを殺さなくばならぬのなら、それは既に人ではない。妖の理というものだ。人を、捨ててはならぬ。村人にこれ以上、罪を作らせてはならぬのだ。故に、俺はイヒカを討つ。村を狂わせる悪神を退治する、それがカムイラメトクの、冒険者たる俺の、生だ!」
シグマリルが云った。
刹那、突風が吹いた。まるで何者かの怒りであるかのように。
それは冒険者をうち――
今、冒険者と国津神井氷鹿との最後の戦いが始まった。
●
「うげっ!」
冒険者達はのたうちまわった。村への道中、野営での事だ。
「な、何なんだ、それは?」
ふらふらになりつつ慶牙が問うた。それに対して、まるで研究の徒であるような態度で答えたのは魁厳である。
「井氷鹿に使う為、腐った魚や河豚の毒を一緒に煮ているでござるよ」
「!」
冒険者達は一斉に眼を見交わした。これは効くかも知れない。ひょっとするとジャパン最強の兵器かも‥‥
もしこの場に風守嵐、蛟静吾、リスティス・ニーベルング――三人とも村までの距離が二日であった為、調べはかなわなかった――がいれば、きっとその意見に同意するに違いない。
「よし、こいつがありゃあ」
よろけつつ崔軌が立ち上がった。その手には八つの一文銭を紙縒りで細工したものが握られている。
「この八個総てを雄太に届けられる様、揃って帰るぜ、皆?」
崔軌が云った。
そう、対決は明日。
●
秋天に高らかな笛の音が響き渡っている。それにつられて――というわけでもなかろうが、村人が家々から飛び出してきた。そして、そこに八人の冒険者の姿を見出すと、みるみる満面を怒りでどす黒く染め始めた。
「何しに来た! おめえらのせいで人身御供をだせねばならなくなっただぞ!」
村人の一人が叫んだ。
「‥‥」
冒険者達には声もない。やはり彼らの読みは当たっていた。今、村には生贄の嵐が吹き荒んでいる。
しかし、それでも――いや、それだからこそ雷慎は胸を張る。希望を信じる者は頭を垂れてはいけないのだ。
雷慎は村人の間に佇む子供達に顔を向け、にっこりと微笑んだ。
「皆、心配しないで」
と云い――ある事に気づいて雷慎は眉をひそめた。子供達の中に、あの腕白小僧の姿が見えないのだ。
「まさか――!」
愕然として雷慎は瞠目した。その眼には恐怖に近い色が浮かんでいる。
「急いで! あの子が生贄にされちゃう!」
「任せよ」
と、足を踏み出しかけた麻鳥であるが。その前に立ちはだかる者がある。
皺深い顔の老人。村長だ。
「これ以上勝手はさせん。お前達が氷井戸を冒したせいで、すべての井戸は涸れてしもうたんじゃぞ!」
村長が叫んだ。すると一斉に村人達から怒声がわいた。中には自らの家族を生贄にとられた者もいるのだろう。冒険者に向ける怒りは狂乱に近いものがあった。
その時、ぎらと慶牙の眼が光った。
その瞬間、村人達は幻視したのである。慶牙の背後に立つ獰猛な虎の姿を。
「そんなに喧嘩がしたいってんなら、この俺が相手になるぜ」
「なんじゃと! 全部お前らが悪いくせに!」
「なら、私達を生贄にすれば良いわ」
「な、何っ!?」
村長が眼を白黒させた。他の村人達も息をのむ。そして声の主に――ステラをに眼をむけた。
「お、お前は何を云っているのじゃ?」
「生贄になるって云ったのよ。私達の話を聞いて、それでもまだ納得できなかったらね」
「話?」
「ええ」
ステラが頷いた。
「イヒカが貴方達にとって神に等しい存在であり、水源をおさえられている以上、従う気持ちはわかるわ。けど、神に頼りきったが為、本来村の為だった生贄に村人を使う。‥‥それが目指したこと? もっと外へ目を向けて、新しい道を探してみるべき時ではないかしら」
「な、何を‥‥村の事は儂らが考える。余所者に何がわかるんじゃ」
「わからねえよ」
軋るような声をあげた者がいる。崔軌だ。
その腕をぐっとシグマリルが掴んだ。が、崔軌はとまらない。
「村の人間じゃねえ俺に何か解るかよ! 解った振りする気もねえ。ただ目の前で泣いたガキが居る‥それで充分だ」
「若造が。‥‥知った口をきくでない」
「うるせえ!」
崔軌が爆発した。眼にもとまらぬ迅さで腕をのばし、村長の胸倉を掴む。
「ガキの事考えるのに、若いも年とったも関係ねえんだよ。村の為とか、そうじゃねえだろ! 自分の子を化け物の餌にするのが、本当にあんたらの望む生き方か?」
「生きて戻れぬと知りながら贄を差し出す、そいつぁ、もう殺しだぜ」
慶牙が皮肉に笑った。しかし村長は眼を慶牙を睨みつけると、
「村の事など何も知らぬ余所者が好き勝手な事をほざきおって。儂らが村の為にどれほど苦労しているかも知らんくせに」
「だから他所の村の者を犠牲にしたか」
「なっ――」
息をひくと、村長は声の主――麻鳥を睨みつけた。
「お、お前は何を云っておるのじゃ」
「とぼけても無駄だ」
麻鳥が云った。そして彼は続ける、雄太の事を忘れたのか、と。
「さらには他所の村の者を浚って生贄にしている証拠も掴んでいる」
「ば――」
馬鹿な、と云おうとして村長は気づいた。村人達の動揺に。
「お、お前達、どうしたんじゃ。このような余所者の云う事など信用するでない」
「し、しかし‥‥」
村人達は口ごもった。もし冒険者の云う事が真実とするなら、この村のみの問題ではすまなくなる。
すると雷慎が村人達を見渡した。
「イヒカ様に生贄を捧げて生きる村‥‥悲しくない? 自分達の伴侶が、子供が犠牲になって現在(いま)を護ってくれても、そこに未来はあるの? 希望はあるの? 自分達の生きてる村に誇りをもてるの? 以前、子供達に聞いたんだ。そしたら、みんな嫌だって。‥‥その所業も子供達に押し付けちゃうの?」
問う。想いの全てを込めて。そして、次に魁厳が口を開いた。お主らの中で雄太殿の目を見た者はおるか、と。
「ワシは見た。姉の帰りを一睡もせずずっと一人で待っていた目じゃ。‥‥その姉を見つけ出す為にあの子は必死の思いでぎるどまで来て依頼料を出した。家中をかき回してやっと見つけた金に違いない。本人にできる最大限の努力だろうよ。じゃから、その願いを叶える為ワシらは来た。確かに水源の維持は大事じゃ。が、今のやり方以外では駄目か? わしら冒険者の中には水源を探り当て、水を湧かす能力を持つ者もおる」
その時、ステラの身が清新な蒼の光に包まれた。その一瞬後の事だ。地から水がこんこんとわきだした。
おおう、と村人達がどよめくと、魁厳は懐から金子を取り出した。
「別の水源を持つ気があるなら、ここに百両を置いてゆく故それを使い、冒険者に依頼なされ」
「そんなもの、いるものか!」
村長が小判を蹴り飛ばした。
「貴様、まだ――」
掴みかかろうとする崔軌を、またもやシグマリルがとめた。そして、振り向きざま村長の顔に拳を叩きこんだ。
「うがっ」
獣のような悲鳴をあげて村長がもたうった。のみならず、血まみれの顔に凄まじい恐怖の相を刻みつけ、じりじりと後ずさりつつある。
何が起こっているのかわからない。ただ異様な光景に村人達の顔は色を失い――
一人、麻鳥のみは冷笑を浮かべている。
「俺が送り込んだ井氷鹿の幻影に怯えるが良い。今まで貴様の手により人身御供とされた者達がそうであったようにな。村守るは長の役目とはいえ、狂信的手段をとった時点で村の安寧は終わったのだ‥‥愚かな」
「ゆくぞ」
シグマリルが氷井戸に向かって歩みだした。もう村人の誰も冒険者を止める事はない。ただ村長のみは、その場にがくりとへたり込んでいた。
●
麻鳥が氷井戸を覗き込んだ。
「急々如律令!」
麻鳥が指刀を疾らせた。空に五芒星を描く。籠目紋、別名ドーマンセーマンと呼ばれる呪法印である。
「――駄目だ」
麻鳥が印を解いた。
「つながらぬ。奴はてればしーの効果範囲外にいる」
「それでは、やるか」
すでに隠密行動で氷井戸への最短道を探り当てていた魁厳が、井戸の中に毒鍋の中身をぶちまけた。そしてシグマリルの綱を垂らすと、するすると伝い降りていった。
どれほど進んだか――
水に浸かった横穴が過ぎ、前回雄太を見つけた広い空洞へと出た。
「いたでござる」
最も眼のよい魁厳が人身御供となった者達を見つけた。五人いる。娘と子供だ。
冒険者が助け出そうと駆けだした。その刹那だ。
息もつげぬほどの濃密な気が吹きつけてきた。鬼気というか妖気というか、形容しようもないほどの異様な気だ。
「出たな」
レイナスが剣の柄に手をかけた。
聖剣アルマス。対悪魔用の剣だ。
そのレイナスの前に、ずずうと迫りくるモノがあった。
十尺ほどの巨大な体躯。薄く燐光につつまれたそれは人型に見えた。
「井氷鹿!」
レイナスが刃を抜きうたせた。迅さをこそ身上とするアビュダの剣だ。なんで井氷鹿にかわせようか。
が――
聖剣アルマスがとまっている。井氷鹿の身の寸前で。まるで眼に見えぬ壁に遮られてでもいるかのように。
その直後である。レイナスは強烈な脱力感と激痛に襲われて地に崩折れていた。
「愚かな。人間の分際で、我に逆らうなど」
井氷鹿からしわがれた声が流れ出た。
「野郎。くらえっ!」
崔軌が油をぶちまけた。続いて左拳を繰り出す。闘気をのせた衝撃波は井氷鹿にむかって――いや、地にむかって放たれた。
ビシャッ!
衝撃波によって油がはねた。数滴にも分散したそれは、雨垂れの如く井氷鹿に降りかかる。
「ぬぬう」
呻きともつかぬ声を発して、井氷鹿が後退った。それを狙い、シグマリルもまた油を投げた。今度こそ油は井氷鹿に降りかかり――
麻鳥は炎を操作しようとしてやめた。誰も提灯を灯していない。ファイヤーコントロールの呪法は炎を生み出す事はできないのだ。
そうと見て、シグマリルは矢を放った
「雄太の涙を枯らせたお前を、滅す!」
一射、二射、三射――だめだ。レイナスの剣をとめた呪壁のようにものによって、シグマリルの矢はことごとく弾かれてしまっている。
それでも――
油が効いたのか、井氷鹿がすずうとひいていった。
逃さぬ、とばかりに後を追う冒険者であったが、やがてその足がぴたりと止まった。
行き止まり。目の前には岩肌があるばかりだ。
「馬鹿な」
麻鳥が岩肌を調べ始めた。が、どこにも抜け道らしきものは見当たらない。
では、井氷鹿はどこへ‥‥?
●
ほんのわずか後の事だ。
氷井戸からわずかに離れた井戸から、黒い人型のぬらりとしたモノが這い出てきた。それは地を滑るように這い進むと別の井戸に入り込み――
さらに別の井戸から井戸へ。やがて黒い人型のモノは森の中へと姿を消していった。
●
ひらり、ひらりと蝶が舞う。
その後を追ったシグマリルと崔軌は、やがて花のように立つ鬼一法眼の姿を見出した。
「村はどうなった?」
「わからねえ。しかし村長の仕業は遠からず他の村にも知れるだろう。それからだな、あの村は。どう未来に立ち向かっていくのか‥‥まあ水源を見つけるとかで麻鳥が村に残ってるんで何とかなるだろう。それより――」
崔軌は鬼一法眼に九つの一文銭を手渡した。冒険者の八個に結花の分を入れた数だ。
「雄太に渡してくれ。少しでもあいつを守ってくれるように」
「自分で渡せ」
鬼一法眼が微笑った。それは妙に楽しくてたまらぬもののように見え――
「その方が雄太も喜ぶだろう。あいつは冒険者になりたいそうだ。お前達の背を追って走るつもりなんだろう」
「なら、教えておかないとな」
九つの一文銭を手に、棒きれを振る雄太にむかってシグマリルは歩みだし行った。たった一つの事を告げる為に。
それは――
剣は人を傷つける。いつか、その刃に己も傷つくだろう。その事を胸に刻んで戦う、それが冒険者だ。