●リプレイ本文
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「おそらく井氷鹿だろう」
そう告げたのは木賊崔軌(ea0592)の兄、木賊真崎である。
「井氷鹿?」
「ああ」
飄然たる弟に対し、いつも生真面目な兄は静かに肯いた。
「井戸の井に氷、そして鹿と書いてイヒカと読む。古来より住まう国津神に其の名を持つ神が居るな」
「国津神? てえと神様ってことか」
「そうだ」
答える真崎の眼はいつになく真剣だ。
「其の名に准えた妖ならばまだ良いが‥真実神ならば人知を超える者、人の意には相容れん」
云って、真崎は気づいた。崔軌がのほほんとしたままであるのを。
それが崔軌の理解力不足と解し、
「崔‥話、噛み砕くか? 」
「いらね」
崔軌が答えた。真崎は怪訝な表情を浮かべ、
「わかっているのか。相手は――」
「神だろう」
崔軌がふふんと笑った。
「神だろうが何だろうが知ったこっちゃねえ。大の大人が子供泣かす訳にゃいかねえんだよ」
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赤蜻蛉が群れ飛ぶ。まだ日差しは強いものの。
その景色の中、七人の冒険者は立っていた。
場所は雄太の村のはずれ。ここなら、まだ村人の眼は届かない。
「村が依頼を取り下げたってのに、鬼一法眼から依頼が出るとはねぇ」
虎魔慶牙(ea7767)がニヤリとした。すると小野麻鳥(eb1833)は冷徹に、
「井氷鹿が神かも知れぬと聞いてより、楽しくてたまらぬようだな」
「へっ」
慶牙の笑みがさらに深くなった。
「神に喧嘩売れるなんてことはめったにねえからな」
「虎魔殿、無茶は禁物じゃ」
磯城弥魁厳(eb5249)が忠告した。
河童の忍びである彼は常に事象を冷静に捉える。それは思考の無駄を省くべく叩きこまれた忍びとしての彼の性でもあった。
「ところで雄太君の事なんだけどさー」
赤蜻蛉を指にとまらせつつ、天乃雷慎(ea2989)が口を開いた。
「気になるんだよねー。村の人は解決したって云ってるみたいだけど」
「本当に解決したなら良いんだけど‥‥」
ふっと声をもらしたのは妖精じみた美しい娘で。
ステラ・デュナミス(eb2099)。戦うウンディーネと異名をとる彼女の言葉を聞きとがめて、快活な雷慎の表情が曇った。
「キミは解決していないっていうの?」
「ええ」
ステラが肯いた。
「困った時に助けなかった村人さん達が、わざわざ解決の方を報せにくるのは不自然。普通に考えれば――」
「揉み消し、か」
シグマリル(eb5073)が吐き捨てた。
「冒険者に嗅ぎ付けられては困る事があるので、奴ら無理矢理に収め込もうとしたな」
「そういうこったろ」
崔軌も口を歪ませる。
「枯れない井戸に枯れた川、イヒカ様に連れていかれた結花は川の二の舞避ける神頼み‥まあ人柱ってとこだろうな。その村の生命線に関わる事だ。探す雄太は目障り‥危ねえな」
「巫山戯るな」
ギリッとシグマリルが歯を軋らせた。
普段冷徹に見える彼にしたは異例の事――いいや、シグマリルを良く知る者なら云うだろう。それがシグマリルだと。
弱き者を守る為なら、彼は茨の道であろうとも突き進む。たとえその身が傷だらけになろうとも。
「村の平穏が、弱者たる孤児の姉弟の命に勝るというか。ならばカムイラメトクたるこの俺が、カムイに誓い、決して闇に葬らせはせぬ」
「それは私も同じよ」
ステラがそっと胸を抱いた。そこに、今も雄太の涙の雫が残っているようだ。
「これ以上、不幸はいらないでしょう」
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幾許か後。
村の入り口に三つの人影が現れた。雷慎、麻鳥、ステラの三人である。
迎える村人の表情は怪訝なものだ。その針にも似た視線の中、冒険者は村に踏み入った。特に雷慎に至っては昂然と胸をはって。
雄太と交わした約束。その魂の繋がりが、小柄である彼女の背を押していたのであった。
村長は柔和な微笑を面に刻んでいた。
「再びの来訪とは‥‥もう雄太がお願いした件は片付いておるはずですが」
村長が云った。
「そうはいかぬ」
麻鳥はやや顎をあげ、冷ややかに村長を見下ろした。
「冒険者ぎるどの規約には、本人からの依頼の取り下げでない場合、違約金をいただくことになっている」
「違約金?」
村長が不審げに眉をひそめた。が、すぐに笑みを満面におしあげると、
「いいでしょう。違約金ならば私が――」
「いや」
麻鳥が手をあげて制した。
「これは本人が立ち会わねばならぬ決まりになっている。雄太を呼んでいただきたい」
「それは――雄太は今、所用で出かけております」
「じゃあ待たせてもらうわ」
ステラがニコリと微笑んで見せた。
「結花さんからも経過を聞かせてもらいたいし」
「い、いや‥‥結花もまた、今村にはおりませぬ」
「いない? ――そう」
ステラの蕾のような唇の端がつっとあがった。
「きっと雄太君と同じところに行ったのね」
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陽は中天にあり、慶牙の姿は山中にあった。
そこは結花の匂いが途切れたとう場所。魁厳の忍犬――ナラヅケとヤツハシが見つけ出した地点だ。
「さあて」
むっとする肉圧――ともいうべき無意識的な熱量を発しながら、慶牙は周囲を見回した。
「うん?」
その時、慶牙は樹陰に隠されたように存在する小さな小屋を見出した。
樵小屋かと思ったが、違う。歩み寄って調べてみると、小屋の戸には小さ鍵がおりていることがわかった。
「ほお」
ニヤリとすると、 慶牙は戸に蹴りをぶち込んだ。あまりの衝撃に小屋そのものが震える。
二度、三度――やがて戸が爆発的な衝撃に抗しきれず吹き飛んだ。
「どれ」
もうもうと粉塵立ち込める小屋の中を慶牙は覗き込んだ。
内部はがらんとしており、特別な物は見受けられない。無論人の姿などない。
が――
内部に踏み込んだ慶牙は一本の綱を拾い上げた。何の変哲もないものだ。ただ、その綱には色褪せた血が染み付いていた。
「俺だ」
突然、ぬっと入り口に顔を覗かせた者がいる。崔軌だ。
「脅かすな。あやうくぶった斬るところだっぞ」
野放図に慶牙が笑った。ふん、と崔軌は皮肉に鼻を鳴らす。
「足跡を見つけたぞ」
崔軌が云った。
「足跡?」
「ああ、獣道じゃねえ。人の通った跡だ。この小屋からまっすぐ氷井戸まで続いてやがる」
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「やっほー♪ みんなーッ、久しぶりー、元気だった?」
雷慎が手を振った。
村外れの林の中。木陰から覗くのは、前回遊んだ子供達の顔だ。妖精の去夜に誘われてやった来たのだろう。
「雷慎姉ちゃん!」
一人の子供が声をあげた。それが切っ掛け。雷慎の天真爛漫の心と子供達の無垢なそれはすぐに溶け合い、木々の間に歓声が響き渡った。
そして、ひとしきり――
「ちょっと休憩」
荒い息を整えるように雷慎は腰をおろすと、子供達を周囲に座らせた。
「雄太君がいないみたいだけど、どうかしたのかな?」
子供達を見回し、雷慎が問うた。 すると例の腕白そうな男の子――正吉といった――が、
「雄太はイヒカ様に連れていかれちゃったんだよ」
「イヒカ様に?」
やはり、と内心の動揺を押し隠しつつ、雷慎は問うた。
「そうか‥‥。ねえ、ちょっと聞きたいんだけど。友達が急に居なくなったりするのって寂しいよね?」
「うん」
子供達が一斉に肯いた。すると雷慎は子供達同士で手を繋がせ、
「じゃあさ、ちょっと考えてみてくれる。もし、今隣に居る友達がイヒカ様に連れていかれちゃったらって」
「‥‥」
子供達が互いの顔を見交わし始めた。どう答えていいのか、良くわからないようだ。
が、一人。小さな女の子が眼に涙を浮かべた。
「そんなの、やだ」
「わたしも」
別の女の子も声をあげた。そして別の子も。そして、そして‥‥
「そう」
雷慎は肯いた。太陽のように微笑んで。
「ねえ、この子の名前、教えてあげよっか」
去夜を掌に乗せると雷慎が云った。
「えっ、妖精さんの?」
「うん、去夜っていうんだよ」
「去‥‥夜?」
「そう、去夜。夜が去るっていう意味」
云うと、雷慎は一人の子の手をとった。そして、そっと握り締めた。まるで温もりを交し合うように。
「みんな、これだけは覚えておいてほしんだ。どれだけ辛く凍える夜が続いたって、明けない夜はないんだよ。未来を信じていれば、きっと暖かい輝く明日がやってくるんだよ」
「‥‥」
子供達は良くわからない顔つきだ。が、今はそれで良い――と雷慎は思った。子供達の心に友を思う暖かさがあれば、この村にもまだ希望はある。
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そこは直径三尺を越す大穴だった。もはや井戸と呼べる代物ではない。
氷井戸。
その前にシグマリルと魁厳は立っていた。すでに数箇所他の井戸は調べ済みである。そのどれにも抜け穴などはなかった。
その時、魁厳は忍犬であるナラヅケとヤツハシの異変に気づいた。何かを訴えるかのように魁厳をじっと見上げている。
「匂いがするのじゃな、結花殿と雄太殿の」
氷井戸に綱をかけつつ、魁厳が周囲を見回した。
「村長の方は大丈夫じゃろうか」
「麻鳥とてれぱしーで連絡がついた。奴に任せておけば大丈夫だ。それより一人で大丈夫か?」
シグマリルが問うと、魁厳は井戸に手をかけ、
「シグマリル殿にはここで見張っていてもらわねばならぬ。綱を切られでもしたら厄介じゃからの」
答え、魁厳は身を躍らせた。
井戸の内部は、その名の通りひやりと冷たく、そしてじとりと湿っていた。
どれほど降りたのだろう。繋ぎ合わせた数本の綱の端に至り、ようやく魁厳は水面を見出した。
周囲は薄闇といっていい。が、忍びとして鍛え上げられた魁厳の視力は、水面に半分ほど浸かった横穴を見出している。大人一人が立って歩けるほどの大きなものだ。
魁厳は水中に身を浸した。
その瞬間だ。彼の足を何かが掴んだ。
びくり、として魁厳は手をのばした。そして、ほっと息をつく。
何じゃ、水草か。
苦笑をもらしつつ、魁厳は手にもからみついた水草に眼をおとし――
今度こそ愕然とし、魁厳は息をのんだ。
彼が今手にしているもの。水草ではない。髪の毛だ。
その瞬間、魁厳は確信した。井氷鹿はここにいる!
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崔軌、雷慎、慶牙、シグマリル、魁厳の五人は氷井戸に潜入していた。時刻はすでに深夜だ。
半分ほど水に浸かった横穴の中は闇。が、用意した提灯を点けるわけにもいかず。一度潜入を果たした魁厳の後を、他の四人は這うような速さで追っていた。
「本当に、この奥に雄太がいるんだろうな」
じれたかのように慶牙が問うた。すると魁厳はこくりと首を縦に振り、
「この先に水より高い、開けた場所がござった。そこに確かに雄太殿と思しき泣き声が」
「ふーん」
肩を竦め、慶牙が再び歩みを進めた。
それから――
どれくらい進んだだろうか。冒険者達は行き止まりに突き当たった。
「ゆくぞ」
シグマリルが身軽に水から上がった。そして眼を凝らす。
「うん?」
シグマリルは眼を瞬かせた。
大自然の申し子であるシグマリルは眼がきく。墨を流したような闇の中に、彼はぼうと霞む小さな白いものを見出した。
「やはり、な」
崔軌が白い影を抱き起こした。
雄太だ。縄で縛られている。
雷慎が雄太の胸に耳を押し当てた。
大丈夫。弱まってはいるが、確かに鼓動を打っていた。
その時――
慶牙ははじかれたような刀の柄に手をかけた。
この地に立ち込める、息詰まるような瘴気――それよりもさらに一際濃密な妖気ともいうべき殺気を、慶牙の常人を遥かに凌駕する感覚が捉えたのだ。
「出やがったぞ」
吹きつける殺気の方向に向き直り、慶牙は刃を抜き払った。
「雄太を連れて先にゆけ」
慶牙が叫んだ。僕もやるよ、と雷慎もまた霞刀を鞘走らせた。
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氷井戸の傍。寂然と佇んでいた麻鳥とステラが振り返った。がさり、と叢を踏み分ける音がしたからだ。
ややあって幾つかの人影が現れた。村長と屈強そうな村人数人だ。
「もしやと思って来てみれば‥‥」
村長が歯を軋らせた。
「ここは余所者が踏み入って良い場所ではないのだぞ」
「結花や雄太ならば良いのか」
麻鳥が冷たく云い放った。
すると村長の形相が変わった。怒気に満面をどす黒く染める。その背後では村人達が鎌をかまえた。
「‥‥仕方ないわね」
ステラが一歩進み出た。そして指先を村長に――つつうと外し、横の木に向けた。
刹那、ステラの指先から水の塊が噴出した。
呪力により空中の水分を凝縮固定化した水弾。最強級に威力を増幅されたそれは、まるで鋼鉄の塊であるかのように樹木に亀裂を走らせた。
「私は神じゃないけど、これくらいの事はできるのよ。邪魔しないで」
驚倒する村人達を前に、ステラが女神の如く微笑んだ。
その時だ。氷井戸の縁に指がかかった。
「大丈夫か?」
「ああ」
麻鳥に答えると、崔軌が氷井戸の中から姿を見せた。その背には雄太がくくりつけられている。
「全員、無事か?」
「いや」
崔軌の眼に憂慮の光が揺らめいた。
「慶牙と雷坊がまだだ」
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ぬっと立ち上がった姿は人型に見えた。闇の為に詳しい様相はしかとは判別できないが。
ただ空間を歪ませるほどの瘴気は感得できた。神でなかったとしても、小物の妖でない事は確かだ。
これが国津神!
これが井氷鹿!
胸を吹きすぎる戦慄に、むしろ慶牙は野太い笑みを浮かべた。
「いいねぇ。人為らざる者の力、見せてもらおうか」
そう慶牙が嘯いた時だ。突然慶牙ががくりと身を折った。そのまま地に崩折れる。
何が起こったのか分からない。ただ灼けつくような激痛と脱力感に身体中が蝕まれている。
「に、逃げろ、雷慎」
慶牙が声を絞り出した。雷慎の足ならば井氷鹿から逃れられるかも知れない。
「できないよ、そんなこと!」
慶牙を庇い、雷慎が刀をかまえた。が――
雷慎もまたばたりと倒れ伏した。まるで見えぬ刃に突き刺されたように。
――や、やべえ!
心中に呻きつつ、慶牙は震える手で震える手で懐を探った。が、そこに薬水はない。
絶望の黒い手に掴まれ、慶牙の意識は闇の底に沈み込んでいった。
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冒険者ギルドの中、雄太を伴ってシグマリルは報告を済ませた。
結果、慶牙と雷慎は助かっている。氷井戸奥に戻った冒険者によって、二人は重傷の状態であるところを発見されたのだ。
何故井氷鹿が二人を見逃したのか。それは今もってわからない。
ただ麻鳥のみは指摘していた。雷慎が所持していた油の容器が壊れており、二人が油ある事を
その時、シグマリルはふと振り向いた。
何か不可思議な気配がする。それはカムイラメトクである彼なればこそ感得しえたものだ。
雄太の手をひいて、シグマリルはギルドの外に飛び出した。その眼前、ひらりと舞う蝶が一匹。
「これは――」
まるで見えぬ糸にひかれるように、シグマリルは蝶の後を追った。そして幾許か。
シグマリルはある寺の境内に辿り着いた。そして彼は、そこに一人の美丈夫の姿を見出した。
「あなたは――」
「シグマリル、遅かったな」
鬼一法眼が微笑った。
「鬼一法眼殿、あなたにお願いしたい事が」
「わかっている」
鬼一法眼が肯いた。
「雄太は俺が預かろう」