【信康切腹】介錯人、柳生十兵衛

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:フリーlv

難易度:難しい

成功報酬:0 G 78 C

参加人数:8人

サポート参加人数:7人

冒険期間:09月14日〜09月21日

リプレイ公開日:2007年09月21日

●オープニング


「切腹の沙汰、申しつくるものなり」
 本多正信が読み上げた。源徳家康の沙汰状の内容である。
 対する源徳信康は泰然としたままだ。この事あるを予期していた為である。
 信康は微笑すら浮かべて云った。
「承知仕った」
「なっ」
 血相を変えて信康の侍臣が腰を浮かせた。
 急進派の信康配下を抑える為、慎重派の者達が信康の始末を目論んでいると噂されているのを耳にした事はあった。が、仮にも信康は源徳家嫡男。さらにはジャパン全土に鳴り響いた剛勇の武士だ。そのような事態には至らぬと楽観していたのだが、まさかそれが真実となるとは――
「信康様に切腹など、正気の沙汰とも思えませぬ!」
「静まれ」
 静かな、それでいて否やを云わせぬ声音で信康が侍臣を制した。そして本多正信に眼を戻すと、
「末期の願い。ひとつ所望したいものが」


「ふん」
 書状を放り捨てると、若者はごろりと横になった。
 不羈奔放たる風のような男。染み入るような隻眼が空の雲を眺めている。
 柳生十兵衛である。
「十兵衛様、どのような内容の書状なのでございますか?」
 問うたのは半助。裏柳生の一人である。
 すると十兵衛は彼らしくもない苦い表情を浮かべて、
「信康様切腹の介錯をせよ、とさ」
「信康様切腹のご介錯!」
 半助が息をひいた。
 書状を託した柳生宗矩の只ならぬ様子から、内容は戦慄すべきものであるとは予想してはいたが、まさに想像を絶する――
 ややあって、半助は喉にからまる声を押し出した。
「――そ、それは真実でございますか?」
「あの親父がこんな冗談を云ってくるものかよ。江戸城を奪われた責を問われ、信康君切腹の沙汰がおりた。で、末期の願いとして信康君が俺の介錯を望んでいる、らしい」
「十兵衛様の介錯を‥‥」
 半助が唸った。
 信康様が十兵衛様の介錯を望んだ気持ち、わからぬでもない。稀代の剣豪の剣。天下の剛雄が受けるにはふさわしい剣ではないか。 
「――では、急ぎご出立の準備を」
「嫌だ」
「えっ?」
 半助は眼を丸くした。
 今、このお人は何と云った? 嫌? 宗矩様の書状に対して? 信康様の最後の願いに?
 十兵衛を良く知る半助にも、眼前の剣客が何を考えているのかわからない。ムチャクチャだ。が、まあ十兵衛がムチャクチャであるのはいつもの事なのだが。
 しかし、此度は事が事だ。いつものように、このまま十兵衛を放っておくわけにはいかない。
「十兵衛様、嫌と申されましても‥‥」
「ふん」
 子供のように十兵衛はそっぽをむいた。彼としては、たかが江戸城如きの為に信康を死なせたくはないのである。
 まだ少年の頃、十兵衛は宗矩の供として源徳家康・信康親子の前に出仕した事があった。宗矩としては十兵衛の剣の天稟を披露し、源徳家剣術指南役の地位を磐石なものとするつもりであったのであろうが、結果は惨憺たるものとなった。あろうことか、兵法指南の場で十兵衛は信康をぶちのめしたのだ。たった一撃で、十兵衛は父の夢を打ち砕いたのであった。
 十兵衛としては、剣術指南役という面倒な役が嫌で嫌で、それを父に思い知らせる為にとった行動であったのだが――結果は十兵衛の思惑を外れた。
 十兵衛の豪気、そしてその天才的な剣。それを家康と信康は愛したのだ。
 それから十兵衛と信康の交流が始まった。いわば十兵衛と信康は幼友達といってもよい。
「‥‥何とか助けられぬものか」 
 十兵衛は思う。が、それはあまりに無謀な願いで。それは十兵衛も承知している。
 突破せねばならない問題があまりにも多い。その第一は誰あろう、信康自身だ。
 信康は剛の者である。未練たらしく延命するのをよしとはするまい。
 では、どうするか‥‥
 突然、がばと十兵衛が身を起こした。隻眼に小さな光がともっている。
「奴らに頼んでみるか」

●今回の参加者

 ea2557 南天 輝(44歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3874 三菱 扶桑(50歳・♂・浪人・ジャイアント・ジャパン)
 ea6649 片桐 惣助(38歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea8714 トマス・ウェスト(43歳・♂・僧侶・人間・イギリス王国)
 ea9450 渡部 夕凪(42歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb4802 カーラ・オレアリス(53歳・♀・僧侶・エルフ・インドゥーラ国)
 eb4994 空間 明衣(47歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ec0244 大蔵 南洋(32歳・♂・侍・人間・ジャパン)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352)/ 羽 鈴(ea8531)/ フレイア・ケリン(eb2258)/ フィーネ・オレアリス(eb3529)/ 星 森(eb5526)/ ミッシェル・バリアルド(eb7814)/ 神島屋 七之助(eb7816

●リプレイ本文


 江戸における信康の評判は悪くない。その剛勇ぶりは江戸市民にも愛されているようだ。
「そうか」
 伝えてくれた羽鈴に肯き、南天輝(ea2557)は彼らしくもなく難しい表情を浮かべた。
「流石に信康に死なれるのは困る。俺の友は那須で頑張ってるし、親父は千代丸とやらに力を貸してるしな」
「信康さんに会うの?」
 問うて、鈴はくすりと笑った。
「何が可笑しい?」
「権力者を輝が気に入ったら珍しいけど、楽しみだと思ったネ」
「ふん」
 輝が口を歪めた。
 別に権力者に好かれようとは思わないが、それなりの礼は尽くさねばならないだろう。
 が、あの男はどうなのだ?
 輝は、茶店の縁台に腰をおろして呆けたように空の雲を見上げている若者に眼をむけた。
 隻眼の無頼奔放なる男。柳生十兵衛だ。
「どうだい?」
 十兵衛の横に腰を下ろした者がいる。浪人の、空間明衣(eb4994)だ。
「私も空を眺めるのが好きなんだが‥‥。良く晴れているな」
「ああ。気持ち良いな」
 空を眺めたまま十兵衛が答えた。と、明衣もまた空に眼をむけたまま、
「信康殿の首でその場を凌いでも仕方なかろうにな」
 と云った。
 すると十兵衛が微笑った。それは童子の如く、ごく自然なもののように明衣の眼には映った。
「信康に切腹を思い止まらせるねぇ。‥‥取り敢えず十兵衛は死なせたくないみたいだな」
 酒臭い息を吐いて呟いたのは鬼――いや、鬼よりもごつく、鬼よりも恐い面相の男で。名を三菱扶桑(ea3874)という。
 彼は三度の飯より酒が好きという男で、この時もどぶろくの入った一升徳利を手に持ち、時々あおっていた。
 その扶桑の言葉に、ふっと微笑みをもらしたのは渡部夕凪(ea9450)という女浪人であった。彼女も先ほどから十兵衛を眺め遣っている。
「‥‥責を取るも取らせるも、詰まる所個の我侭さ。止める私達も‥嫌だと駄々こねる御仁もね」
 夕凪は独語した。その面からは笑みが消え、代わりに凄絶なる光が彼女の眼に浮かびだした。
 ――足掻こうじゃないか。
 心中、夕凪は呟いた。
 此度の依頼、成功する可能性は限りなく低い。ほとんど不可能事といっていい。
 それでも夕凪はやり遂げるつもりであった。
 それは信康の為ではなく、さらには源徳の為でもなく。夕凪はたった一人の男の為に困難事に敢然と立ち向かおうとしていた。
 柳生十兵衛。やんちゃな弟のように、どこか放ってはおけぬ男。
 ――後悔なんて似合わぬ顔はさせん‥此れは私の我侭か。
 苦笑を浮かべ、夕凪は十兵衛に歩み寄って行った。
 刻は辰。そろそろの出立の刻限だ。


 三河岡崎まで、およそ九十七里。
 十兵衛と冒険者一行はさしたる事もなく信康の元へと辿り着いた。
「ここにいるのですか」
 片桐惣助(ea6649)が広大な屋敷を見渡した。
 源徳家屋敷。いわば江戸における下屋敷のようなものだが、今、信康はここにいる。謹慎蟄居を命じられているとの事だ。
 惣助は注意深く周囲を見回した。
 屋敷は竹矢来もなく、常の如くの有様であった。他に人影は見えず――
 惣助は全感覚を最高度に研ぎ澄ませた。
 彼は、主である御影涼から三河は敵地であると認識せよと命じられていた。信康切腹の噂はすでにジャパン全土に広まっている。この機を窺う為に、どのような勢力が暗躍しているか知れたものではないからだ。
 その事は河童の武道家である星森も指摘していた。此処で信康に死なれると、暗躍するものが笑うだよ、と。
「‥‥十兵衛殿」
「ああ」
 十兵衛が肯いた。
 さすがに稀代の剣豪。惣助が感得した殺気にも似た視線の糸を、彼もすでに感じ取っていたのだ。
「ゆくか」
 十兵衛が足を踏み出した。
 と、その十兵衛を呼びとめた者がいる。浪人の大蔵南洋(ec0244)だ。
「まずは十兵衛殿の腹積もりを聞いておきたい。正式な切腹の沙汰が下った以上、最早相手は慎重派ではなく家康公その人となるだろう。その事は承知か」
 問うた。
 南洋は現実的だ。かつて江戸城陥落の際、信康を逃れさせたという彼なりの事情があるのだが、そのような心情的なものを抑え込み、南洋は根本的な事態の困難さを指摘したのである。
 が、この場合、十兵衛はニヤリとした。
「承知している。俺は、その家康公に喧嘩を売りに来たんだ」
「けひゃひゃひゃ」
 面白くてたまらぬようにトマス・ウェスト(ea8714)が笑った。そして門番達に綱の先をおしつけた。
「我が輩の可愛い鈍器丸を預けるよ〜。くれぐれも粗相のないようにな〜」


 信康の侍臣によって十兵衛と冒険者達が通されたのは奥座敷であった。まだ主の姿は見えず、他の武士の影もない。
 ややあって廊下を踏む足音が聞こえ――がらりと戸が開き、姿を見せたのは衣服の上からでもそれと分かる、筋骨隆々たる若者であった。
 その眼光は炯たる光をおび、全身には獅子の如き精気を満ち溢れさせた――まさに漢と呼ぶにふさわしい若者。信康である。
 信康は上座に着くと、すぐさま十兵衛に声をかけた。
「十兵衛、よく来てくれた」
 信康は満面に笑みを浮かべた。まるで子供のようである。十兵衛と会うことが嬉しくてたまらぬようであった。
「此度は手数をかけ、すまぬ」
「なんの」
 十兵衛もまた微笑った。と、信康は十兵衛の背後に眼を遣り、問うた。
「その者達は?」
「一人旅は心細い故、道連れを頼みました者達でござる」
「馬鹿な」
 信康は可笑しそうに笑った。
「このジャパンで柳生十兵衛に喧嘩を売る馬鹿がいる者かよ」
 云って、信康は八人の冒険者の中で一際目立つ金髪の女に眼をとめた。
「その方達、何者じゃ?」
「冒険者です」
 女――金糸の髪煌かせ、カーラ・オレアリス(eb4802)が答えた。すると信康は眼を輝かせ、おお冒険者か、と声をあげた。
 と、信康は南洋の只ならぬ眼の色に気づき、笑みを消した。
「何か、俺に話したい事があるようだな」
「はッ」
 南洋が肯いた。
「腹を召される事、翻意していただきたい
 南洋は云った。
「家康公が三河に引き篭もってからも、源徳家を信じ、未だ那須と武蔵の豪族達は伊達に抵抗し、苦しい戦いを続けておりまする。貴方様が腹を召されても、この者達の窮状が変わる訳ではありますまい」
「それはわかっておる」
「いいえ、わかってはいらっしゃいません」
 カーラの叱咤にも近い声が飛んだ。
「那須では与一公が孤立無援の中、いまだ必死に奥州連合と戦っておられます。もし伊達勢が関東の支配を確立すればどうなりましょうか。与一公は滅ぶしかありません」
「与一公か‥‥」
 信康はぎりっと歯を噛んだ。その様子を見てとり、カーラが身を乗り出した。今こそフィーネ・オレアリスから聞いた情報が役に立つ時だ。
「士は己を知るものの為に死ぬ、と云います。大勢が時勢に流される中、ただ独り信義を貫き必死に戦われている与一公を見捨てるのが――今尚、奥州勢との戦は終わっていないのに、戦から逃げ出して腹を切るのが源徳武士なのですか」
「源徳武士は逃げたりなどせぬ」
「では、何故唯々諾々と切腹の命に服しようとするのですか。武士の本分は失敗の折にこそ見えます。腹を切って『責任を逃れる』か、死線を超える生命力を以って失敗を上回る『武功を為す』か。‥‥死ぬ覚悟があるのならば、臥薪嘗胆してでも生き『士(さむらい)』として信義を果たすべきでありましょう」
「その通りだ」
 明衣が立ち上がった。そしてずかずかと信康の前まで歩み寄ると、どっかと腰を下ろした。
「死んで責任が取れるとは便利なものだな。江戸城の攻防戦で貴殿を信じ、生きたくても散っていってしまった者にあの世で詫びるつもりか?」
「う――」
 信康が言葉に詰まった。
 彼は誰よりも武士らしい武士である。故に信義の重さは十二分に承知していた。それに応えられぬ苦しみも。
「‥‥その者達にはすまぬと思っている」
 やっとの事で信康は声を押し出した。が、明衣は苛烈だ。怒気すら込めて、
「私は医師を生業にしておる身だ。だから病や怪我で生きたくても叶わなかった者を知っている。それに比べて貴殿はどうだ。貴殿はまだ闘えるだろ?」
「く――」
 信康がぐっと拳を握り締めた。爪が掌の肉を破るほどに。
「‥‥闘える、か」
 ふっと信康は掌を開いた。爪が破った肉から血が滴っている。
 真っ赤な血。生きてある証だ。
 確かに、俺はまだ闘える。そう信康は思った。
 刹那、信康の身からゆらりと炎の如きものが立ち上がった。それは、抑えても抑えきれぬ信康の闘気であった。
 が――
 信康の闘気がふっと消えた。その面には寂しげな笑みすら浮いている。
「だがの」
 信康は口を開いた。
「やはり江戸城を守りきれなかった責はとらねばならぬ。その責を捨ておいて、俺だけおめおめと前に進む事はできぬのだ」
「まだまだ半人前のヒヨッコの癖に良く云う」
 せせら笑う声がした。
 はじかれたように信康の眼が動いた。その視線の先、扶桑が皮肉に口を歪ませている。
 さすがに信康の眼が吊りあがった。
「俺が雛だというか」
「ああ、俺から見ればな。そういう言葉を吐くのは、何かを成し遂げてからするものだ」
「き、貴様――」
 信康の眼に怒りの色がよぎった。が、扶桑は平然としたものだ。溜息すらつき、
「俺は貴様なら再び起つと思い、徳姫を逃したのだ。それが、どうだ。今となって死ぬなどとぬかしおって。どうせなら汚名を返上して名誉を回復した後に切腹してはどうだ。それならば徳姫も胸を張って生きてゆけよう」
「とられたなら、とり返せばいいだろう」
 輝が云った。ふっと笑みを浮かべて。
 それまで、輝はじっと信康と冒険者のやり取りを見ていた。信康の人となりを知る為に。
 その果て、輝は気づいたのだ。
 ――どうやら、俺は信康を好きになったらしい。
「一度の喧嘩で引き退るなんて馬鹿らしいぜ」
「そうだ〜」
 からからと笑った者がいる。
 トマス。
 自称『世界最凶のドクター』は見下すように顎をわずかにあげて、
「我が輩を知っているかね〜?」
 と、問うた。
 知らぬ、と信康が答えると、トマスはニヤッと口の端を吊りあげ、
「家康君に世話になった者だよ〜」
 と、告げた。
 トマスは以前、家康に横柄な態度をとった事があった。が、家康はそれを許した。トマスは、その家康の寛容さに好意を持っているのであった。だから――
「家康君の息子である君には生きて江戸、ひいてはジャパ〜ンを治めてもらわないとね〜。本心では君達に我が輩の研究の後ろ盾になってほしいというのもあるがね〜。それに第一、我が輩は政宗君を好かないのだよね〜」
「くっ」
 突然、信康が肩を揺らせた。苦笑しているのである。
「面白い男だな、お前は。父上が許したというのも分かる気がする」
「信康殿」
 ふっと。夕凪が声を出した。静かな、それでいて重い声音だ。信康の表情があらたまった。
「何だ」
「戦に散った者達の想い、信康殿の首一つ程度でつりあうとお思いか?」
「何っ?」
 信康の眼に殺気が散った。が、かまわず夕凪は続ける。国は人よ、と。
「理想論だが、ね。一握りでしかない大名の為に家人を与え兵糧を与え土地を与えるは誰ぞ? 其れが何故か、大名子息の御身には当然過ぎて見えもせぬか? 腹を切って責を取る、最も容易な決断さね。後の事なぞ何の危惧する苦労も無い。‥御身が陣中一派の要石で在る事をお忘れか。其の者達の手綱を以後誰が引く? 元より他者に抑えられぬからこその派閥、自軍に属する各藩とて浮き足立つ今内部に火種を撒いてどうなさる。分裂は他国に攻め入る絶好の機を与える愚行。先ず陣を一枚岩と成す、家康公と直に会い御身にしか適わぬ事を成されよ。生きてこそ取れる責が‥有る筈だ」
 一気に告げた。
 無礼は承知の上だ。手打ちにあうなら、それも仕方なし。命を賭けねばならぬ難事と夕凪は覚悟している。
 そして――
 信康は穏やかな眼で夕凪を見つめ返した。
「命を賭けての諫言、胸に響いた。がな、お前は気づいておらぬ。俺が生きてあればこそ、源徳は二つに分かれるのだ」
「信康殿が?」
「そうだ」
 信康が肯いた。
「俺が生きてある限り、俺を生かそうとする者とそうでない者は二派に分かれるであろう」
「では、未だ源徳についている武将の下に身を寄せ、客将から再起を図っては如何だ?」
 輝が提案した。するとカーラも勢い込んで、そうです、と云った。
「房総辺りの反奥州の勢力をまとめあげ、水戸との連絡線を作り、那須藩を支援して、伊達と奥州への楔を為せば良いのです」
「だめだな」
 信康はかぶりを振った。
「切腹の命に逆らって出奔した時から、俺は源徳の敵となる。その俺を受け入れる事は、即ち源徳家康を敵とする事。そうまでして俺を迎え入れる者があるとは思えんな」
「し、しかし‥‥」
 できるできないではなく、伸るか反るかです――という言葉をカーラは飲み込んだ。
 信康の云う事は至極もっともだ。よほどの奇術のタネでもなければ一か八かどころか――万に一つも事が成る可能性はない。
 と、信康が大きな吐息をついた。そして良く光る眼で冒険者を見渡した。
「聞いてくれ。俺は源徳家嫡男であると同時に、源徳家康の家臣でもあるのだ。その俺が君主の命に逆らえばどうなる? 源徳家の規律が瓦解する事は鏡にかけて見るが如しだ。それだけは、ならぬ」
「‥‥」
 冒険者達には声もない。
 武士というものは――いいや、武将というものは、かくも哀しき生き物なのか。この男は――源徳信康という男は、源徳家の為に敢えて身を滅ぼそうとしている。
「ここまでだな」
 十兵衛が立ち上がった。


 信康は奥座敷に座っていた。すでに十兵衛と冒険者達一行が辞して後、幾許かの時が経っている。
「何者だ?」
 突然、信康が口を開いた。すると、ぞわりと信康の下――床下に何者かの気配がわいた。
「片桐惣助。御影に仕える忍びです」
「御影?」
 信康は小首を傾げた。
「御影とは聞いた事のない名だが」
「俺の主は貴公を逃す為に先の戦で刀をふるいました」
「おお、冒険者か」
 信康の眼が輝いた。そういえば御影涼という名に聞き覚えがある。
「その御影に仕える忍びが、俺に何の用だ?」
「俺は現状を覆す場合に備えて動いています。その為、信康殿を支持する者の名を聞いておきたい」
「酒井忠次だが。しかし、それを知ってもどうにもならぬぞ」
「それはこちらで判断します。それよりも不審な事が」
「不審な事?」
「はい」
 床下から肯く気配がした。
「将たる者、従う者あれば最早一介の武士に非ず、己が命も自由にならず。音に聞く豪の者の行動と思えず、寧ろ切腹承諾する事で何か狙っているかとさえ見えますが。その点、如何?」
「ふん」
 信康は笑った。
「惣助とやら。お前はずっと床下に潜み、我らの話を聞いていたのであろう。俺の考えが那辺にあるか、己で考えてみるがよい」
 信康が云った。
 そのすぐ後の事である。霧のように惣助の気配が消えたのは。