●リプレイ本文
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渡部夕凪(ea9450)は思う。信康の胸中を覆う暗雲を晴らす為、やはり会っておくべきか、と。
「どうだい、十兵衛殿?」
「任せる」
十兵衛が答えた。
「ところで十兵衛殿」
夕凪が十兵衛の耳元に口を寄せた。
「家康公といえば‥愚弟との約束覚えてるかい?」
「愚弟?」
ああ、と十兵衛は肯いた。
真田忍びと悪魔が手を握り、源徳家康の暗殺を謀った事件。その折、十兵衛は夕凪の義弟から約束を取り付けている。
「覚えているさ」
「なら、暫くは笑う種に困らん土産持たずに三途を渡るは無しだよ」
夕凪の眼が真っ直ぐに十兵衛を見据えた。
他者に気取らせぬ為、のほほんとしてはいても、その実十兵衛は死ぬ覚悟をしている。その十兵衛の心中を夕凪は察していたのだ。
「お前にはかなわんな」
十兵衛がくすりと笑った。その笑顔は、夕凪の眼をもってしても、とても死ぬる覚悟の者の笑みとは思えない。
かなわないのはこっちだよ。内心、夕凪は苦笑を浮かべている。
その傍らで、三菱扶桑(ea3874)は肩を竦めて見せた。
「その信康だが、ああいう真っ直ぐな奴はこれと決めたら変える事はまずあるまい。となれば、やはり親父の方を説得するしかないな」
「確かに」
頷いたのは、琥珀色の瞳に艶を滲ませた女で。
空間明衣(eb4994)。生業を医師とする彼女に、一人の男が書状を手渡していた。
書状の主の名は陸堂明士郎。『誠刻の武』なる組織の頭目である。
「お手数掛けて申し訳ない団長。家康殿を上手く説き伏せれるよう頑張るよ」
「正念場だな」
明士郎が云った。そして励ますかのように明衣の肩に手をおく。
「わかっている」
頷くと、明衣は十兵衛に眼を転じた。
「ところで十兵衛殿。家康公とはどのような人物だ?」
「家康公か‥‥」
十兵衛が小首を傾げた。
「まあ狸といったところか」
「狸?」
「ああ。だが侮るな。一枚皮を剥げば、正体は虎だ」
「虎ねえ」
明衣が苦く笑った。
「まあ俺は俺らしくやるだけだ」
ニッ、と笑って見せた者がいる。
無造作に髪を背に流した男。南天輝(ea2557)といい、罠師を生業とする浪人者である。
「俺は所詮、傭兵紛いで戦場を駆ける生業だしな」
「好きにすればいいさ」
夕凪が云った。不敵に笑いつつ。それは獅子に挑む狼を思わせ――
「今此処に在るはただ八名に非ず。‥其の真意、解せぬ様ならば家康公はここまでの御仁さね。縦に連なる武士とは違い、横に広がる世に生きる者の覚悟、受けていただこうじゃあないか」
夕凪が云い放った。その身体を向かい風がうつ。
着物の裾翻し、夕凪は逆巻く旋風の中に足を踏み出した。
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御影一族お庭番である片桐惣助(ea6649)は、十兵衛の紹介状を携え、一人の侍と相対していた。
男の名は酒井忠次。源徳四天王の筆頭であり、吉田城主でもあった。
「柳生十兵衛殿の知り合いとか」
「はい。信康殿から、酒井殿は頼りになる方とうかがいましたので」
「そうか」
忠次の眼に喜色がわいた。
「若がそのようなことを申されたか。‥‥しかし」
云って、忠次の表情が曇った。信康切腹の沙汰の事実が脳裏をよぎったのであろう。
「その件で」
惣助が口を開いた。そして声を低め、
「此度、仲間が家康公との会談に臨もうとしております」
「殿と!?」
愕然とし、忠次が眼をむいた。
「な、何故じゃ?」
「信康殿切腹の沙汰、その取り下げを願う為に」
「ふうむ」
一度唸り、しかしすぐに忠次はかぶりを振った。
「無理じゃ。今日只今となってはいかんともし難い」
「策はあります」
静かなる忍び――惣助が静かに告げた。
彼は、此度の一件を家康の策と読んでいた。先の戦での責を嫡子が負う事での家臣の引締め。今一つは信康の立場を窮地に追込む事で動くであろう十兵衛、さらにはその十兵衛が頼むであろう冒険者の動きを計算しての事であると。
「江戸城奪還に関る全ての協力」
惣助がさらりともらした。
「もし仲間の交渉がまとまれば、即刻信康殿の謹慎は解かれましょう。その時は信康殿の良き参謀役となっていただきたく。ただし、それまでは暴発などせず、是非ともご自重お願いしたい」
「‥‥よかろう」
重々しく頷くと、忠次は惣助の手をがっしと握り締めた。
「もはや若の命、救う事ができるのはお主らだけじゃ。若の事、宜しく頼む」
「承知しました」
頷きかけ、惣助の眼がちらりと動いた。
酒井忠次屋敷。
その屋根瓦が動き、一つの人影が滑り出て来た。
黒装束を身にまとっている。覆面の為に人相はわからない。
そのまま人影は屋根の上を飛ぶように疾り――ぴたりと人影の動きがとまった。その眼前に、別の人影が立ちはだかっている。惣助だ。
「何者だ。源徳屋敷でも見張っていたな」
「ほお。見事な隠形だ」
人影の覆面の内から含み笑いがもれた。
刹那、人影の手から手裏剣が放たれた。
空を切る流星のようなそれを、惣助はかわしてのけた。それは惣助なればこそだ。が、わずかに体勢は崩れ――
再び惣助が視線を戻した時、そこに黒装束の姿はなかった。
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縁から差し込む陽の光を浴びて、炯たる眼差しの漢は座っていた。
源徳信康。東海一の弓取りと謳われた源徳家康の嫡男である。
その前に、一人の女浪人が座っていた。夕凪である。
「先日の非礼の詫びに参りました。そして一言進言したき事が」
夕凪が云った。
「進言?」
信康の眉がわずかにひそめられた。すると夕凪は小さく頷き、
「御身が在る事への危惧、父であり主君である家康公への想いと御立場を承知した上で申し上げる。我等の嘆願成就の暁には嫡男の座、退かれませ」
「何っ!?」
さすがに信康の顔色が変わった。
「俺に嫡男である事をやめろ、と申すか?」
「はい」
夕凪が、今度は大きく頷いた。
「一度手放した命を以って、冒険者と縁深い一介の武将として主君を支えるもまた道かと存ずるが‥如何か?」
「一介の武将か‥‥」
信康の眼が、空ゆく雲を追うように上げられた。
「俺は十兵衛のような生き方に憧れておったが‥‥今はまだ想像もできぬな」
「そうですか」
夕凪は刀の鯉口を切り、ちゃりんと鍔鳴りの音を響かせた。
それは約定の合図である。武士と武士が命を賭けた。
「今生の別れに非ず。また合間見えましょう、信康殿」
「待て、夕凪」
信康が呼びとめた。が、すぐに、いや、と眼を伏せ、
「他の者達に伝えてくれい。すまぬ、と」
信康が云った。
まさに、その同じ刻。
六人の冒険者が源徳家康と相対していた。
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岡崎城奥。
そこに九人の人間が相対していた。
上座に座っているのは豪然たる漢で。常人を遥かに凌駕する精気をまといつかせたその者の名は、源徳家康といった。
対するのは柳生十兵衛だ。その背後には輝、扶桑、トマス・ウェスト(ea8714)、カーラ・オレアリス(eb4802)、明衣、大蔵南洋(ec0244)の六人が控えている。
「久しいの、十兵衛」
家康が十兵衛をじろりと見た。
「其方ほどの男が放浪しているのは惜しい。そろそろ源徳の為に働いてはくれぬか。其方が望むのなら、儂は一万石出しても良いとさえ思っておる」
「興味ござらん。それより――」
「信康が事か」
「その通りです」
答え、昂然と南洋は面をあげた。
「ほお」
家康の口から微かな嘆声がもれた。彼は一目で南洋が命を捨てる覚悟である事を見抜いたのだ。
「信康の助命嘆願よな」
「のみならず、此度は源徳家に迫る危機をお知らせしに参りました」
「源徳家に迫る危機、とな」
家康の眼が微かに眇められた。すると南洋は左様、と頷き、
「伊達・新田に冒険者召抱えの動きも見られ、早急に何か手をうつ必要が出てきております」
「うむ」
家康が肯首した。服部半蔵の調べでも、伊達と新田にそのような動きのある事は確かめられている。
「で、其方はどのようにせよと考えるのだ?」
「冒険者を味方につける事が肝要かと。その冒険者ですが、何より嫌うは信義にそむく事。しかるに家康公のなさりようは信義に乗っ取ったものとは思えませぬ。なにとぞ信康様への沙汰の御再考を給わりますよう」
「これを見てほしい」
明衣が一枚の紙片を掲げて見せた。明士郎より託された書状である。
「私が団長補佐役として所属する誠刻の武の団長からの書簡だ。江戸城を奪還する際には協力するとある。もちろん信康殿の切腹をなしにする事が条件だがな」
「信康君の切腹を考え直してくれるのなら、羽有渡丸を譲っても良いぞ〜」
云って、けひゃひゃひゃと笑ったのはトマスである。彼のみは、家康を前において常と変わらぬ態度であった。
「やあ、摂政君、いつぞやの新年会以来だね〜。おっと今は藩主君かね〜?」
「其方には見覚えがあるが‥‥羽有渡丸とは?」
「霊鳥にございます。大きすぎまする故、庭にて控えさせておりまするが」
答えたのは、家康の脇に控えた初老の男だ。
本多正信。家康配下第一の謀臣である。
トマスは一度正信を見遣ってから、再び嘲るように笑い、
「家康君。アレは君がこの国を治めるべき王だという我が輩からの証だ〜。羽有渡丸にも、我が輩のような世界の理に背こうという者より、君のような国をまとめようとする者の側がよいだろう〜と云い聞かせてある。どうかね〜?」
「霊鳥のお」
家康の態度はさして変わらない。
スモールホルスは上位の精霊。ジャパンにおいては貴重なものだ。欲する者も多いであろう。とはいえ、信康の首と秤にかけられてはたまらない。
その家康の考えを読み取ったのか、トマスはさらに嘲笑を深くした。
「まあ、これでも無理というのであれば、江戸の人心、主に冒険者は源徳からますます離れていくだろうね〜」
「馬鹿な」
正信が冷笑した。
「そのような事で江戸の民人の心が離れるなどあろうはずがない」
「そうとばかりは云えません」
カーラが口を開いた。そして貴婦人とも見える典雅な相貌を家康にむける。
「これは信義の問題なのです。先ほど新田・武田・伊達の各家が仕官の依頼を出しました。が、それに応じる者は皆無。それこそ、まさに人々が信義を求めている証左ではないでしょうか」
「‥‥」
無言のまま、家康がカーラを見つめた。
実はこの時、家康は新田家仕官の依頼に九人の冒険者が参加している事実を掴んでいる。それを知らず、カーラは続けた。
「家康公が私達に信義を示してくださるのならば、我々冒険者は犬馬の労を厭わず、家康公の江戸奪還に協力を惜しまないことを約束致します。その第一として、謙信公の真意を質したい思っております」
「俺も力を貸すぜ」
輝が不敵に笑った。
「江戸城奪還は俺の意思でもある。伊達には俺の友達が大事に思っている奴が殺されているし、那須藩には俺の義弟もいるしな。まあ御影一族や誠刻の武ほど正確な団体ではないが、俺の罠を手伝った冒険者を手伝わせる約束ぐらいならできるぜ」
「なるほど」
家康が眼を閉じた。それきり口を閉ざす。
鉛のような重苦しい沈黙が降りた。そして、それを破ったのは他ならぬ家康であった。
「では問う。この家康の為に動く冒険者は何人じゃ?」
「な、何人?」
冒険者達は返答に窮した。今ここで、何人の冒険者の協力が得られるとは確約できないからだ。
「答えられぬであろう」
冷然たる語調で家康が云った。
「儂も冒険者の事は存じておる。そも冒険者とは独立独歩の存在。いわば個人軍じゃ。それがまとめあげられるとは思えぬ」
先の華の乱の折、冒険者は確かに源徳についた。が、それは源徳の依頼にのっただけで、もし他の諸将の依頼があった場合、冒険者がどう動いたかはわからない。
「今、其方達は協力を惜しまぬと云った。それはとどのつまり、得られるのは其方達の協力ということじゃ。他の冒険者の協力は約束手形にしかすぎぬ。もし冒険者という組織があり、其方達がその束ねであったならば、その協力は磐石の重みを増す。しかし、今の其方達の言葉だけで儂が首を縦に振る事はできぬ」
「しかし、それでは信義が」
カーラが思わず叫び声をあげた。が、家康はそれを手で制した。
「今、信義と申したがの、信康を切腹させてこそ、その信義を果たせる事になるのじゃ」
「馬鹿な」
巨体を揺らし、扶桑が吐き捨てた。
「嫡男を切腹させて、何故信義を果たす事になるのだ?」
「嫡男故よ」
家康の眼が微かに光った。そして、もし、と続けた。
「江戸城を奪われたのが他の武将であったならばどうなっていたか。その場合も、儂は切腹を申しつけていたであろう。しかるに信康だけ罪を免じたならばどうなるか。身内にのみ甘いという誹りは免れまい。それこそ信義に背くことではないか」
「やれやれ」
呆れたとばかりに首を振った者がいる。扶桑だ。
「あの息子にしてこの親父ありか。‥‥ならば問いたい。ご大層な理屈をこねているが、では敗軍の将であるあんたはどう責を取るんだ?」
「殿の苦衷がわからぬか」
軋むような声が響いた。正信の口から発せられたものだ。
「誰が好き好んで御嫡男に死の刃をむけよう。もし殿が腹切って済むなら、誰も苦労はせぬ」
正信が冒険者達を睨みつけた。そして声を震わせ、
「源徳を源徳ならしめているのは何か。それは偏に殿の存在に他ならぬ。源徳に家康公がおわすからこそ、諸将がひれ伏すのだ。上杉に謙信、武田に信玄、伊達に政宗がおるようにな。恐れ多い事ながら、信康様には未だその器量はない。殿は源徳家を守る為、敢えて非情不遜の仮面を被っておられるのだ」
「悪いが、自分はこいつらが云っている協力は約束出来んな」
扶桑がじろりと家康をねめあげた。
「自分は気に入った奴に力を貸す事にしているんでな。‥‥そういえば、今話に出てきた伊達政宗に自分は会った事があるが、酒を酌み交わすのが楽しそうな奴だった。あんたの息子も酒を酌み交わすのが楽しそうな漢になりそうなんだがな」
「‥‥」
家康の表情がわずかに動いた。その瞬間、扶桑は家康の父親としての苦悶を見てとった。
その時――
「それでは――」
と、カーラがたまらずといった様子で口を開いた。
「那須藩はどうなるのですか。伊達家が安定すれば、次は那須藩が総攻撃にあうは必定――」
「わかっておる」
家康が重々しく頷いた。
「だがの、那須藩の前に、まずはやらねばならぬ事がある」
云って、家康が冒険者達を見渡した。
「此度は大儀であった。退ってよい」
「‥‥」
ある者は憤然と、またある者は悄然として冒険者達は立ち上がった。と――
「待て」
突然家康が冒険者を呼びとめた。そしてカーラに眼をむけ、
「其方、確か謙信の真意を質すと申しておったな」
「はい。信康さんの命を救っていただけるのなら」
「ならば越後にゆけ」
「越後? で、では――」
「そうじゃ。ただし謙信の真意を質すなどという生ぬるい事ではない。謙信を――」
瞬間、家康の眼が虎のそれの如く、剣呑に底光りした。そして、家康は続けた。
「寝返らせてみせい」