●リプレイ本文
●光陰
「朱美、か」
平山弥一郎が呟いた。その脳裏をよぎる娘の面影は決して美しいものではない。
朱美に関する事を話し終え、弥一郎は伊珪小弥太(ea0452)に注意を促した。
「二年の月日が彼女をどう変えたかわかりません。固定観念は捨ててください」
「わかってらぁ」
両手を後頭部におき、小弥太は柱に背をもたせかけた。
「二年前の話は知ってる。朱美の心情も推測できる。だから俺は傍で見ていようと思うぜ」
「傍で?」
問うたのは異風の冒険者だ。
人外の存在。河童の磯城弥魁厳(eb5249)である。
「どういう事じゃな」
「見るは、ただ見るさ。云っとくが憐憫じゃねーぜ。憎悪も哀切も全部受けとめんのが坊主であり、義侠ってもんだからな」
云って、小弥太は子供のような真っ直ぐな眼で弥一郎を見返した。
「だから、やいっつぁんの忠告はありがてーけど、俺はありのまま受けとめて、そこから物事見据えていくぜ」
「あなたらしい」
弥一郎は苦笑し、豊満な胸を惜しげもなくさらした白髪紅顔の妖艶な娘に眼を転じた。
「確か貴方も二年前の一件にはかかわりがありましたよね」
「ええ」
娘は頷いた。彼女――セピア・オーレリィ(eb3797)は美しい相貌に暗鬱な翳を落とすと、
「とはいっても、最後まで付きあった訳じゃないのよね。でも、まさかそんなことになってたなんて‥‥」
愕然とする。その時、憂い顔の一人の娘がふと言葉をもらした。
「今更と思うべきか、充分な時が過ぎたと受け取るべきか」
「所所楽林檎(eb1555)さん、だったわね」
娘の呟きを聞きとがめ、しなやかな肢体の女が眼をあげた。
名をアイーダ・ノースフィールド(ea6264)。獲物を狙う猫族のものにも似た瞳を、娘――林檎の面にむける。
「あなたも以前にかかわった事があるみたいね」
「はい」
林檎は肯いた。
とはいっても、彼女が直接関係したというのではない。彼女の妹が青井新吾と近しい間柄となったのである。
「果たして時が生きる欲を呼んでいるのか、それとも切っ掛けがあったのか。‥‥二年程の月日の意味を見極めたいと思っています」
冷然たる語調で林檎が云った。
と――
林檎の、雪女もかくやというような白麗の面からついと視線をそらせた者がいる。
水上銀(eb7679)。前髪を半顔に流した凛とした美貌の女浪人だ。
――朱美か。
心中、銀は嘆じた。
実は、この依頼を受ける前、銀は朱美本人を冒険者ギルドで見かけたのだ。その折、天津甕星のかぎろい――災兆の星の瞬きにも似た不吉の翳を感じ取り、銀は朱美に声をかけている。
――なんだい、なんだいその顔は? まるで小昏い夜道で夜叉にあったようじゃないか。しっかりおし。そんな様じゃ折角の器量良しがもったいないよ。
笑いかけ、ぽんと肩を叩いた。それに対し、朱美はただ頭を下げたのみ。
が、その薄い背の印象が、妙に銀の胸に残った。その時は何故かはわからなかったが、今弥一郎の話を聞いて彼女は翻然と悟ったのである。
――もの狂い、か。凶つ星の下に生まれついちまったんだねぇ。
銀は再び嘆じた。
「ともかく」
良く響く声が銀の夢想を破った。はっとして眼を瞬かせた銀の眼前、痩躯の若者がすらりと立っている。カイ・ローン(ea3054)だ。
カイは力強い声音で云った。
「子供を誘拐して売り払うなんていう理不尽な事を行う奴らは許せない。俺が叩きつぶす」
「威勢の良い事ね」
今度はアイーダが立ち上がった。
「私は一人でやらせてもらうわ」
「一人?」
魁厳が眼を見開いた。
「依頼を放棄するという事かの」
「そういうわけじゃないわ。でも、私はまだ朱美さんを信用できない。こんな気持ちの悪いまま動くなんて、私の趣味じゃないの」
「何だと、てめえ」
小弥太が足を踏み出した。
「朱美を疑ってやがるみてーだが、とことん真っ黒な奴ぁいねーんだよ。人であるなら、真っ白なモンをどっかに大切に持ってるもんなんだ」
「あまいわね」
「何っ!」
アイーダの胸元に小弥太の手がのびた。と――
その小弥太の腕をがっきと掴みとめた者がいる。崔軌だ。
「待てよ」
「何だ、おまえ」
小弥太の金茶の瞳が崔軌を睨みつけた。
「邪魔すんなら一緒にぶん殴っぞ」
「どういう坊主だ、おめえは」
崔軌は肩を竦めてみせた。
「伊珪の云い分もわかるが、こんなところで喧嘩したってはじまらねえ。ぶん殴らなきゃならねえ奴は他にいる。その拳は、その時までとっとくんだな。それに」
崔軌は思考をまさぐるように眼を伏せた。
「アイーダじゃねえが、俺にも気にかかる事がある」
「気にかかる事?」
魁厳が問うた。うむと崔軌は頷き、
「なんつぅか、器用なお嬢だと思ってな。その朱美って娘」
「器用、とは?」
「それさ」
崔軌は弥一郎に眼を転じた。
「弥一郎もすでに気づいてはいると思うが、朱美が尾行た巨槍使いの侍ってのは幽鬼蔵人って奴だ。ガチった経験があるから断言できるが、野郎は化けモンさ。そんな化けモンに気取られずに‥‥おかしかねえか」
「確かに」
カイが肯いた。
「過去の報告書に眼を通してみたが、どうやら背後には謀略家がいるようだ。何事にも気をつけた方がよい」
●懺悔
「あなたの罪は許された」
空に切られる十字。血の色にも似た真紅の瞳に見つめられ、女は深々と頭をさげた。
「ふう」
溜息を零し、セピアは去り行く女の背を見送った。
場所は江戸外れ。朽ちかけた家――というより、小屋が立ち並ぶ一角である。
そこで、馬に食物を積み込んだセピアは布教者に凝し、人買いに関する情報を集めていたのだが――
すでに数人、人買いに子を売ったという女が許しを請うてきた。人心の荒廃はセピアの予想をはるかに上回っていたようである。
「どうやら朱美さんのいう人買いの話も、まんざら嘘というわけではなさそうね」
呟いたセピアは、しかしこの時、奇妙な違和感にとらわれていた。
生きる為に子を売る者がいる事は理解できる。が――
多すぎはしないか。
●疑惑
セピアが貧しき人々の中にあったと同じ頃、崔軌は向島にいた。長屋をめぐり、神隠しに関する情報を集めていたのである。
結果、彼はセピアと同じ違和感を得る事になった。
神隠しの数。崔軌の予想外に、それは異様に多かったのである。そして、その犠牲者は子供のみならず大人にまで及んでいた。
――何かが江戸で起こっている。
そう崔軌は思わざるを得ない。さらには、その崔軌の懸念は畢竟朱美へとつながっていく。何故なら――
向島に来る前、崔軌は件の屋敷の下見を行っていた。それは隣家などない一軒家であり、とても蔵人の眼を逃れて探りえるものではなく。
ならば、どうして朱美は屋敷の秘密を探る事ができたのか。それは朱美が――。
●朱美
「そうですか」
頷いて、林檎は目の前の娘をじっと見つめた。
細面の綺麗な娘だ。そして気丈であった。
朱美。此度の依頼主である。
今、林檎は朱美本人から直接話を聞き終えたところであった。内容は無論、依頼に至るまでの経緯である。間に何かを介在させず、直接肌で朱美そのものを見届けるべく林檎は直接足を運んだのであった。
そして得た結論は、灰色であった。
確かに朱美の話には矛盾はみられない。が、それでも――
林檎には、どうしても胸を開いて朱美の手をとる事はできなかった。人の裡――魂の形を見定める真眼は未だ達意には至らぬとしても、林檎には朱美の魂の色は霞んで見えて仕方がなかったのである。
その時――
いきなり朱美の家の表戸が開いた。凍りつくような真っ暗な夜気の中、一人の若者が立って――いや、家の中に転がり込むようにして倒れた。
「もうよろしいのですか」
「ああ」
朱美に問われ、布団の上で身を起こした若者――小弥太は肯いた。
「義侠塾の鍛錬をしていただけだからな。大事ねえさ」
答え、小弥太は部屋を見回した。
娘の一人暮らし。よく片付いた、清潔そうな部屋だ。
と、小弥太は部屋の隅に異質な物を見とめた。
刀。おそらくは新吾のものであろう。
――やはり、まだ新吾の事を。
そう判じる小弥太の脳裡に、朱美を見張っていた御影祐衣の言葉が過ぎった。
落ち着かぬ様子。――そう祐衣は云っていた。
若年ながら、祐衣は慧眼だ。その見立ては確かであろう。
――朱美よ、おめえは何を考えてんだ?
小弥太は眼を眇めた。朱美の中にあるはずの光を見定めるかのように。
さらに深更。
猫族の獣のように地を疾る影あり。それは夜闇に紛れ、疾風の如く件の屋敷の軒下に滑り込んだ。
最高度に研ぎ澄まされた全感覚。そこに伝わる異変はない。
影はゆっくりと軒下を這い進んだ。油などの異臭がないところをみると、少なくとも火攻めを企んではいないようだ。
と、影の動きがとまった。彼の聴覚が物音をとらえたのだ。
すすり泣く声が、する。
子供のものだ。それも数名の。
――位置は奥座敷というところか。
影――魁厳はそう判じた。
●視線
「逗留するのではなかったの」
呼びとめる声に、朱美宅から出て来た小弥太はぴたりと足をとめた。
朝の冷たい空気の中、物陰に隠れているのはアイーダだ。小弥太はがりがりと頭を掻くと、
「そういうわけにもいかなくってよ」
「当然よ」
そっけなくアイーダが云った。
「娘の一人暮らし。いくら僧侶でも居座れるはずがないわ」
冷淡に云い放つと、それきりアイーダは口をつぐんだ。その視線はじっと据えられたままだ。その先には朱美の姿がある。
昨日一日、ずっとアイーダは朱美を見つめつづけた。指先の動きに至るまで、全て。
それは識る為だ。獲物を真に識る事ができれば狩るのは容易い。
「もうすぐよ」
アイーダの朱唇から呟きがもれた。
「もうすぐ貴方をオーラセンサーでつかまえてみせる」
●屋敷へ
夜の闇は重く、黒々と辺りを圧していた。
その中、魁厳は二枚の紙片を取り出した。
蔵人と銀八の人相書き。絵画的ともいえるそれは、セピアによって描かれたものだ。
「わしが見張っていた限りにおいては、この二人はもとより、他の誰の出入りもなかったが。さて‥‥」
気がかりらしく魁厳は呟き、屋敷に眼を向けた。その眼前、今まさに林檎と銀が屋敷の戸に手をかけようとしていた。
現れたのは五尺ほどの背丈の老婆であった。
「夜分にすみません」
頭を下げると、林檎は連れが体調を崩したので休ませて欲しいと頼み込んだ。すると老婆はじろりと銀に眼を向け――銀は笠に隠した顔をやや晒した。それは林檎のミミクリーによって、すでに朱美に似せて変形させてある。
銀の猛禽にも似た鋭い眼が老婆の表情を窺った。ほんの僅かな動きも見逃すまいとするかのように。
が――
老婆の顔には何の表情もわかなかった。皺深い顔は魔物を模した仮面のように不気味に静まりかえっている。
ちらり、と林檎と銀は視線を交し合った。その時、彼女達の胸の内には墨を落としたかのような云いしれぬ不安が広がっている。
同じ頃――
●潜入
同じ頃――
崔軌が屋敷に足を踏み入れた。後に黒布を纏ったカイ、さらにはセピアが続く。
林檎のデティクトライフフォースの結果から、屋敷の内に子供のものらしい生命反応がある事がしれている。その数は四。
「他に生きている者はいねえ。が、蔵人は魔性、銀八は黄泉人だ。潜んでいやがるかもしれねえ」
崔軌の忠告にカイが頷いた。
「番所には、すでに数十もの行方知れずが届け出られている。うまく被害者を救い出す事ができれば、下手人について何かわかるかもしれん」
云って、カイは先にたって進み始めた。目指すは奥座敷である。
硬質化した静けさの中、冒険者達はじりじりと進んだ。音をたてぬよう、廊下は端を歩く事も忘れない。
が、魔窟への潜入は、彼らに無視できぬ緊張を強いていた。頼みの綱はセピアのホーリーフィールドだ。
と――
突然カイが足をとめた。暗視の利く彼の眼は、ある部屋の中央に転がされた小さな幾つかの人影を見とめている。
反射的に飛び出そうとする崔軌であるが、その時、待てというカイの低い叱咤が飛んだ。
「俺に任せろ」
云って、次にカイは人影に呼びかけた。
「助けに来た。こっちに来い」
「‥‥」
むくり、と四つの人影が身を起こした。差し込む月明かりから、怯えた顔をした子供達である事が見てとれる。
「さ、こっちへ」
カイが促した。その声に誘われるように子供達がカイの元に駆け寄り――
ぴた、と子供達の足がとまった。眼に見えぬ壁に阻まれてでもいるかのように。
「やはり」
カイの眼がぎらりと光った。
「念の為にホーリーフィールドを展開しておいたのだ。その手にはのらぬ」
「ギィッ」
子供達の口から化鳥のような声がもれた。と、同時に眼が血のような赤光を放つ。
魔性。その姿は断じて人ではありえなかった。
「青き守護者、カイ・ローン参る!」
叫びと共に、カイの手からピグウィギンの槍がびゅうと疾った。
「あれは――」
「カイの声!」
林檎と銀が同時に呻いた。刹那、はじかれたように老婆が後方に飛び退った。
「逃さぬ!」
疾風のように銀が襲った。が――
「あっ」
呻く声は銀からあがった。確かに老婆の胴を薙いだ銀の刃は、しかしその身体に傷一つつける事はかなわなかったのだ。
「私が」
林檎が繊手を差し伸べた。
その瞬間、空間が軋み、老婆の身も軋んだ。何かとてつもない力が老婆の身に突き刺さっている事は明白であった。
グギィィィィィィ。
耳を塞ぎたくなるような絶叫が老婆の口から迸り出た。が、再びの林檎のブラックホーリー発呪により、苦鳴ごと老婆の身体が空に溶け消えた。
煌と、一閃。
崔軌のオーラソードが闇を裂き、子供に擬態した魔性を斬り下げた。
「どうやら終わったようね」
十手が効かぬ為、ホーリーフィールドで四人の子供達を守っていたセピアがほっと息をついた。
「そうみたいだな」
気配を探りつつ、カイが子供の一人を抱き上げた。
辺りに殺気はない。どうやら、この屋敷に潜む魔性は駆逐してのけたようだ。
「ゆくぜ」
自身も子供を抱き上げながら――ふと、崔軌は足をとめた。
「奴ぁ、一体何が目的だ‥?」
●笑み
夜闇の中、名を呼ぶ声がした。朱美のあげたものだ。
「ここだ」
答えは颯爽たる若侍の口から発せられた。
「云いつけ通りに致しました」
「よくやった」
涼やかな微笑を浮かべると、若侍は朱美を抱きしめた。そして――
若侍はニィと唇の端を鎌のように吊りあげ、嗤った。それは魔性のモノにしか成しえぬおぞましき笑みであった。
ややあって、暗がりの中、すうと一つの人影が浮かび上がった。アイーダである。
朱美を尾行していた彼女であるが、はからずも密会の場に遭遇した。
朱美と若侍。二人の会話の内容まではさすがにわからない。が、名を呼ぶ朱美の声だけは聞き取る事はできた。
「‥‥新吾?」
アイーダの呟きだけが、ごとりの夜の底に転がった。