【鬼哭伝】新吾

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:9 G 4 C

参加人数:8人

サポート参加人数:7人

冒険期間:02月18日〜02月23日

リプレイ公開日:2008年02月27日

●オープニング


 男が歩いている。
 大川にかかる橋の上。月光に青く浮かび上がるその身には狩衣がまとわれている。どうやら陰陽師であるらしい。
 名は藤原晴道。冒険者である。
「うん?」
 突然晴道は足をとめると、欄干に身を寄せた。眼を眇め、きらきらと月光をはねちらす川面に視線をむける。
 そこに、異様なものが見えた。
 人だ。腰まで水に浸かっている。距離と暗さの為に人相のほどはしかとはわからないが、姿形から女である事は見てとれた。
(死ぬ気か)
 そう判断すると、晴道は橋を駆け渡り、川原に走り下りた。小石をはねとばしつつ水に飛び込む。
「待て!」
 晴道が声をかけた。が、女は彼の声など耳に入らないかのように、さらに水にもぐっていこうとする。
「待てというに」
 さらに叫び、晴道は女に近づいた。そして女の手を掴む。
「待て。死んでどうするのだ」
 晴道が女の手をひいた。よろけるように女は振り向き――
 綺麗な女だ。年は二十歳そこそこ。哀しげな、切れ長の眼が印象的であった。
 晴道はごくりと唾を飲み込んだ。このような凄艶な娘はあまり見た事がない。
「さあ、水から出よう。悩みがあるのなら聞いてやるほどに」
 晴道は女の手をひきつつ岸に戻り始めた。その時だ。
 晴道の口から苦鳴がもれた。何者かが彼の脚に爪をたてている。
「くっ」
 懐から短刀を取り出すと、晴道は水中の敵に刃を振り下ろした。が――
 晴道は愕然とした。刃がたたぬ。
「おのれっ」
 短刀を捨てると、晴道は印を組むべく娘から手を放した。
 刹那――
 二条の光芒が閃いた。続けて、ぼちゃりと水をうつ音。
 何かが水に落ちた――そうと気づき、晴道は川面を見下ろした。ゆらゆらと揺れながら奇妙な物が流れていく。
 それは――手首だ。断ち切られた左右の手首が、まるで木切れのように水に押し流されていくのだった。
 その時に至り、ようやく晴道はある事実に気がついた。
 彼の両腕。その手首から先がない事に。
「ああっ」
 晴道の口を押し開いて絶叫が迸り出た。が、その絶叫はすぐに止んだ。晴道の脚に爪をたてていた何者かが、晴道を水中に引きずり込んだのだ。
 しばらくばしゃばしゃという水音が響き――
 岸に晴道が這い出してきた。
 が、そこから先へは進めぬ。すでに晴道の両手首はなく、片足すらも何者かによって千切りとられていたからだ。
 その時だ。ぞわりと水が持ち上がり、水中から何かが姿を現した。
「あっ」
 悲鳴に似た叫びを発し、晴道は這いずり、逃れようとした。と――
 どかり、と何者かの足が晴道の背を踏んだ。
「な――」
 地に這った姿勢のまま、晴道が眼を上げた。その視線の先、一人の若者が笑っている。
 着流しの若侍。男らしい、どちらかといえば端正ともいえる顔立ちをしている。
 しかし、その面に浮かんだ笑みの不気味さはどうだろう。口の端を鎌のように吊り上げ、全ての生ある者を嘲るかのような笑み。魔性にしか作りえぬおぞましき笑みだ。
「印は結ばせぬ」
 血刀を引っ下げ、若侍は云った。そして水より現れた異形に眼をむけると、
「霊力ある者の血肉を喰らうと寿命がのびるという。せいぜい喰らうがよい。が、心の臓だけはもらうぞ」
「新吾様」
 嬉しげな声が響き、新吾と呼ばれた若者に娘が駆け寄った。
「わたし、お役にたてましたでしょうか」
「よくやった」
 さらに深く新吾と呼ばれた若者が嗤った。そして彼は娘の名を呼んだ。


「‥‥朱美と」
 冒険者ギルドの手代は云った。
「川原の土に刻まれておりました。おそらくは死に際に藤原晴道様が刻まれたのでしょう。おそらくは下手人の名ではなかろうかと」
 手代は溜息をつくと、傍らの娘に眼をむけた。名を由美。藤原晴道の恋人で、今回の依頼主でもある。
「すでに数名の冒険者が殺されております。いずれも陰陽師、もしくは僧侶。そして心の臓を抉り取る手口。察するに同じ下手人でありましょう」
 手代は冒険者達を見回した。
「由美様の願いをかなえ、是非とも下手人をとらえていただきたく‥‥宜しくお願い致します」

●今回の参加者

 ea0452 伊珪 小弥太(29歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 ea0592 木賊 崔軌(35歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea6264 アイーダ・ノースフィールド(40歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea7767 虎魔 慶牙(30歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb1555 所所楽 林檎(30歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 eb3797 セピア・オーレリィ(29歳・♀・神聖騎士・エルフ・フランク王国)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)
 eb7679 水上 銀(40歳・♀・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

木賊 真崎(ea3988)/ 円 周(eb0132)/ 小野 麻鳥(eb1833)/ 所所楽 柚(eb2886)/ 城山 瑚月(eb3736)/ 晃 塁郁(ec4371)/ 土御門 焔(ec4427

●リプレイ本文

 吾を灼く
 新たなる陽や
 朝焼けの
 朱美と染め抜き
 夜叉と照り映え


「あっ!」
 と、セピア・オーレリィ(eb3797)は愕然たる声を発した。
 彼女の眼前、一人の若者が立っている。正体はアイーダ・ノースフィールド(ea6264)だが、所所楽林檎(eb1555)のミミクリーを施されたその顔は――
「知っているのか」
 問うたのは、とてつもない熱量を身裡にみなぎらせた男である。
 名は虎魔慶牙(ea7767)。世をむこうにまわして威風堂々と――稀代の傾奇者だ。
 セピアはやや強張った顔を慶牙にむけた。
「さっき林檎さんが話してくれたでしょ。青井新吾よ」
「青井新吾だぁ」
 素っ頓狂な声をあげたのは伊珪小弥太(ea0452)である。
「とっくの昔に死んじまったんだろ。確かなのかよ」
「確かよ」
 怒ったようにセピアが答えた。
「ね?」
「はい」
 林檎――その時、林檎自らはミミクリーにより朱美へと変形していた――が肯いた。二年前のあの日――新吾の葬儀の日、林檎もまた新吾の顔を目撃している。
「アイーダ殿」
 磯城弥魁厳(eb5249)が黄色の妖瞳を、アイーダの冷然たる面にむけた。
「朱美殿が新吾と呼んだその若侍、本当にそのような相貌をしていたのかの」
「本当よ」
 氷の砕片が含まれたような声音で、そっけなくアイーダが答えた。が、魁厳は気にする風もなく、ふうむと唸った。
「まさか新吾殿が生き返ったのか」
「馬鹿な」
 木賊崔軌(ea0592)が口を歪めた。
「二年前の死人が生き返るもんかよ。なあ、水上」
 崔軌が水上銀(eb7679)の同意を求めた。が、銀は答えることなく、覗いた切れ長の右目を伏せた。その曖昧な態度は、普段豪放ともいうべき彼女にしては珍しい事だ。
 何故なら――尾張家当主、平織虎長もまた復活を果たした人間であるからだ。それも新吾同様長い期間をおいて後に。
「じゃあ、その新吾ってのは何者なんだ? 新吾という男、聞いた話なら義に深く、しかし既に亡き者なんだろう」
 慶牙が問うた。誰にともなく。
 が、応えを返す者はなく。ただ鉛のような、冷たく重い沈黙が冒険者の肩に圧しかかり――
「その新吾は人間だったのかしら」
 アイーダの一言が沈黙を破った。
「人間?」
「ええ。デビルや黄泉人なら、以前死んだという新吾さんに化ける事も可能よね」
「!」
 声もなく冒険者達は顔を見合わせた。ややあって、戦慄すべき疑念を振り払うように銀は重苦しい口を開いた。
「凶つ星が輝きを増してきたようだね」
「凶つ星?」
 魁厳が首を傾げた。すると銀は苦笑し、
「ああ。憶測だからさ、話半分に聞いてほしいんだがね。あたしは、何者かが心臓を用いて江戸に呪いをかけようとしているんじゃないかと考えてるさ」
「呪い?」
「ああ。どうやら朱美は火の性を持つようだ。その朱美を何かに見立て、水による呪いをかけようしているのかも」
 銀が告げた。侍である銀に宗教的知識は皆無である。よって彼女の推測はここまでであった。
 その時、土御門焔がはっとしたように眼を見開いた。
「そういえば、陰陽道には五行というものがあるそうです」
「五行?」
 銀が眉根を寄せた。
「何だい、五行ってのは?」
 問うた。が、焔はかぶりを振った。彼女の占星術に関する知識は素人並みで、わかる事といえばこれくらいだ。
 仕方なしと、銀は由美に眼を転じた。そして新吾に変形したままのアイーダを指し示して、
「見覚えあるかい」
「はい。晴道様と町を歩いていた時、一度。一目見て寒気がしたので良く覚えております」
「どうやら晴道さんに目星をつけていたようだねえ」
 銀が由美の肩に手をおいた。
「気を落とすんじゃないよ。きっと仇はあたしたちがとるから」
「はい」
 言葉より、銀の手の温もりに由美が微笑んだ。

●川原探索
「どうやら、何者かの影在り‥か」
 藤原晴道の死体が発見された川原。片膝ついて草に問いかけていた木賊真崎が顔をあげた。
 グリーンワードによって彼が得た情報は二つ。死体の傍にいた者の数は三。そのうち一人は女であった。
「他の場所でも試してみたが、結果は同じだ」
 真崎が云った。その手には一枚の紙片。城山瑚月が番屋で聞き込み、作成した死体発見現場の地図だ。 
「ふうむ」
 崔軌は唸った。
「残る二人の性別はわからず、か。現場や遺体の傷からして、人だけの仕業とも思えなかったが」
 番所の役人の言葉を思い出し、崔軌は舌打ちした。藤原晴道の手首の傷は確かに刃によるものだが、身体中の肉が喰われているのは断じて人の仕業とは思えない。
「井氷鹿といい、水絡みじゃ碌なモンに当たらんな最近。‥そういや寛永寺が燃えた後、江戸の結界は今どうなってる?」
「わからん。少なくとも結界云々の話は聞かんな」
「そうか」
 崔軌は真崎の手の紙片を覗き込んだ。
 記された死体発見場所。それは常に川に関わりがある。
 それではと大川流域を調べてみたのだが、目撃などの情報はない。
「何つうか、小骨が刺さってる感じでじれってえ」
 崔軌はがりがりと頭を掻いた。

●変異
「変わった?」
 セピアが問い返すと、女が肯いた。
「そうだよ。恋人‥‥確か新吾って侍が死んだかって事で、ここに越してきた時からひどくふさぎこんじまってたんだがね。ところが近頃急に明るくなっちまってさ」
 女が云った。
 場所は朱美の住む長屋。女は大工の内儀で、同じ長屋に住んでいる。今の返答は、朱美の様子についてセピアが行った質問に対してのものだ。
「明るくねえ」
 セピアはちらりと林檎に目配せすると、
「それで、最近の様子はどうなの?」
「それがさあ」
 女は声をひそめた。
「何だか様子が変なんだよ。そわそわしてるっていうかさ」

 女が去った後の事だ。
 林檎の愛犬である火夏が一声吠えた。見ると小弥太が歩み寄って来るところであった。
「朱美さんとは会えましたか?」
 黒髪へと変えた林檎が問うと、小弥太はこくりと肯いた。
「ああ。とりあえずは挨拶だけしといた」
「全く悪びれてはいないようですね」
 林檎が冷然と呟いた。その彼女の脳裏には、妹である所所楽柚の言葉が蘇っている。
 この長屋に来る前、柚は晴道の死体が発見された川原で過去を垣間見ていた。そこに――晴道の死体の傍に、柚は三人の姿を見とめている。
 ――朱美さんと新吾さんです。
 柚は云った。三人のうちの二人の名を。
 残る一人、と云おうか一つと云うべきか――は、ぬめぬめとした鱗に覆われた異形であった。フォーノリッヂでは正体まではつかめない。
「でも、おかしいわね」
 セピアは眉をひそめた。
「前回は証言に従っていったら魔性に襲われ、今度は連続殺人事件の現場にダイイングメッセージ? 無関係だとは思わないけど、ちょっとばかり出来すぎてる気はするわね」
「何を企んでやがるかわからねえがよ」
 小弥太は快活に笑った。
「が、俺は主導権握られんのぁ好きじゃねーんだ。裏かいてやるのも仕掛屋としての意地‥‥ってね」
「でも気をつけてください」
 あくまで淡々とした口調で、林檎は注意を促した。
「調べてみたのですが、被害に遭ったのは全て僧侶、もしくは陰陽師であったのですから」
「あなたも、よ」
 とはセピアだ。彼女は護衛役として林檎と共にあったのである。
 セピアはあらためてグランテピエの柄を握り締めた。
 きらり。
 聖騎士の手の内にある事を喜んでいるかの如く、聖槍の穂先が煌いた。

●五行
 魁厳の姿は増上寺にあった。
 異風の彼であったが、それほど人目をひく様子はない。それは魁厳の身に刻み込まれた隠身の業によるものであった。
 その魁厳の前には初老の僧侶が一人。位の高い僧侶である事が分かる。
「人の体にある五行を用いて行う儀式に心当たりはございませんでしょうか」
 魁厳が問うた。すると老僧はふむと考え込み、
「陰陽思想ですな。追儺の儀式がそうであるとも云われておりますが‥‥確かに人の身に五行に相当するものがあります。が、それを用いての儀式などはございません。もしあるなら邪法であるかと」
「邪法‥‥」
 魁厳が晃塁郁に眼を転じた。
「邪法といえば‥‥晃殿は金狐教について調べておられたの」
 問うた。すると、はい、と晃は肯いた。
「動きはないかと調べてみたのですが、江戸においてはまったく」
 晃は答えた。
 金狐教。それが、何故此度の件にかかわりがあると晃が思ったのか、実際のところ彼女自身にも良くわからない。ただ晃の武道家としての勘が告げていたのだ。来るべき風雲の中に金狐教の名があると。そして、それは後日事実となる。

 同じ頃、銀は江戸の町を歩いていた。新吾の人相書きを片手に。
 それは当てのない行為だ。が、五行に関して知識のない銀に、他にとるべき行動はない。
 ただ、銀はシフール便にて白隠に教えを請うていた。それが届けば――
「禅師、頼んだよ」

●朱雀
 慶牙は巨大な体躯を折るようにして頭を下げた。
「純の近くにいて、予想しながら守れなんだは俺の咎。すまぬ」
「ふん」
 小鬼と呼ばれた二人の少女――らんと小町は顔をそむけた。肩を竦めると、慶牙は庵の縁に座った少女に歩み寄っていった。
 らんと瓜二つの相貌を持つ少女。さやかである。
「さやか」
 慶牙は呼んだ。それに対し、さやかは戸惑ったように顔をあげた。記憶を失くしているのだ。
 ふっと笑うと、慶牙は、ながと、と云った。
「この名だけは忘れてはならぬ。お前の幸せを一番願った男の名、故に」
「ながと‥‥」
 さやかが小さく呟いた。その小さな胸に、何故だか暖かいものが染み広がっていく。
 彼らしからぬ微笑を残すと、慶牙は、さやかからやや離れた柱に背をもたせかけ、ゆるりと杯を傾けている若者に近寄っていった。
 美しい男だ。慶牙ですら寒気のするほどに。
「法眼」
 慶牙がどかっと縁に腰を下ろした。
「このような開けっぴろげなところで、よくあのじゃじゃ馬二人が逃げ出さぬものだな」
「ふふん」
 法眼と呼ばれた若者――鬼一法眼は花のように笑った。
「鴉天狗がうろついている。その眼を逃れ、何者もこの地には入れぬし、出る事もかなわぬ」
「ほお」
 感心したように唸り、慶牙は法眼をちらりと見た。
「聞きたい事がある」
「何だ」
「僧を狙い心の臓を抉り取る手口、水の異形、それらに関りある話を何か知らないか。雄太は気を失っていて、井氷鹿のもらした言葉など知らないと云っていたが」
 問うた。さらに、此度の件に関する詳細を語る。すると法眼の笑みがさらに深くなった。
「朱美という娘が火の性をもつとは面白い読みだな。抉り取られているという心臓、確かに五行においては火に相当する」
「では、水の異形とどうかかわりがある?」
「さて」
 法眼は指をのばすと、床に滴り落ちた水滴を使い、何か図柄を描き始めた。どうやら、それは江戸の略図であるらしい。
「異形の正体はわからぬが、少なくとも井氷鹿ではあるまい。それよりも火と水にかかわりがある地が江戸に一つある」
「どこだ、それは?」
 身を乗り出し、慶牙が問うた。
 答えの代わりに、法眼が江戸略図の一点を指し示す。そこは――
 江戸湾。

●交流
「うん?」
 小弥太が眼を瞬かせた。その視線は部屋の隅にむけられている。
「確か、そこに刀があったはずだが」
「ああ」
 朱美はやや強張った笑みを浮かべた。
「あれはお預かりしたもので。先日お返ししたのです」
「へえ」
 上がり框に腰をおろした小弥太は天井を見上げた。
「きっと大切な物だったんだな、それ」
「わかるのですか」
「わかるさ」
 小弥太は朱美を見ると、童子のように微笑った。
「とっても大事そうにおかれていたからな。まるで宝物みたいに」
「‥‥」
 朱美は言葉もなく、小弥太を見返した。何故だかその面に、苦渋の色が過ぎったように小弥太には見えた。
 と――
「伊珪様」
 朱美がおずおずと口を開いた。
「少しお付き合いいただけましょうか」

 その時、大川の川原に六人の冒険者がいた。
 崔軌は地に、魁厳は水中に潜み、銀は新吾へと変形している。林檎とセピアはその銀を取り巻くように立ち、慶牙はぶらぶらと川岸を歩んでいる。
 が――
 彼らは、襲撃の場所を特定したわけではない。ただ――少なくともセピアは読んでいた。朱美にかかわりがある者に敵の方から近寄って来ると。
 そのセピアの読みは間違っていなかった。しかし――

「動き出したようね」
 アイーダの眼が蛍日のように蒼く光った。その眼前、小弥太と朱美が夜道をゆく。
 どこに向かうのかはわからない。が、この時刻の外出は不自然だ。何かあるに違いない。
 こそとも音をたてず。さらには一切の気配すら消し。
 まるで影のようにアイーダは二人を尾行し始めた。 

●対峙
 煌々たる月の光の下、朱美が江戸川の川原におりたった。
「綺麗」
 朱美が川面を見つめた。
「わたし、昔、文を流した事があるんですよ。好きだった人のもとへ届くように」
 云って、朱美が水の中に足を踏み入れた。
「待て」
 咄嗟に小弥太は声をあげたが、足は凍結している。小野麻鳥により、水の異形――井氷鹿に注意させよと警告されていたからだ。
 その間、かまわず朱美はさらに水の中に。すでに膝まで水に浸かっている。
 その時――
 ずわりと水がもりあがり、五尺ほどの大きさの何かが水中から出現した。
 良くはわからない。ただ全身が鱗に覆われている事だけは見てとれた。
「ぬっ」
 呻く小弥太の眼前、その何かが朱美に襲いかかった。悲鳴もあげえず、朱美は何かの手の内でぐったりとしている。
「や、野郎」
 たまらず小弥太は足を踏み出した。その足首を水が洗う。
 刹那――
 別の何かが、あらたに水中から現出した。
 着流しの侍。水に濡れてなお颯爽たるその顔は――
「新吾!」
 小弥太が叫んだ。すると侍――新吾はニヤリと嗤い、
「ほう。気づいていたか」
 云うと、朱美に刃を突きつけた。
「てめえ‥‥」
 小弥太は歯を軋り鳴らせた。
「朱美をどうするつもりだ」
「どうもせぬ。うぬが、俺の下僕となれば」
「何だと!」
 小弥太の眼に金色の炎が踊った。
「馬鹿か、てめえ。俺が大人しく下僕なんぞになると思うか」
「ならねば、この通り」
 新吾が朱美の喉に刃を凝した。
「うぬに朱美が見捨てられるか。好むと好まざるにかかわらず、うぬと朱美の間に呪術的感染経路ができあがった。つまりは、どの冒険者より強くうぬの魂に朱美の名が刻まれたのだ。ふふ」
 新吾が刃の先を小弥太にむけた。
「下僕たる証として、仲間の心の臓、俺に差し出せ」
「てめえ‥‥」
 無意識的に小弥太が足を踏み出した。その時だ。
「きゃー、人殺しー!」
 叫び声があがった。
 はっとして小弥太は振り返り――再び眼を戻した時、そこには新吾、さらには朱美と異形の姿なく、ただ闇が凝り固まっているだけで。
 呆然と佇む小弥太の肩を声の主――アイーダが掴んだ。
「大丈夫、ぼんやりして?」
「‥‥」
 言葉もなく、小弥太はただ立ち尽くしていた。