【鬼哭伝】朱雀

■シリーズシナリオ


担当:御言雪乃

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:5 G 42 C

参加人数:8人

サポート参加人数:9人

冒険期間:03月23日〜03月26日

リプレイ公開日:2008年03月30日

●オープニング


 竜光は足をとめた。暗闇の中、提灯を手にした娘が途方に暮れたように佇んでいるのを見とめたからだ。
「どうされた?」
「はい」
 竜光に問われ、娘が向き直った。
「所用で出ていたのですが、思いの外遅くなってしまいまして‥‥」
 娘がちらと眼をむけた。
 その視線の先を眼で追って、竜光はははあと合点した。そこに竜光は墨田川を見出したからであった。
 近頃幾人もの人間の死体が川で発見されている事は竜光も知っていた。川に棲む魔物が襲っているのだと噂する者もいる。
 竜光は苦笑した。
「送ってしんぜよう」
「ありがとうございます」
 娘の顔が輝いた。
「では」
 竜光が先に立って歩き出した。後に娘が続き――
 ゆらり、ゆらり、と。娘の持つ提灯の灯りが、隅田川にかかる橋の中央辺りに達した時の事だ。
 娘の足がとまった。
「どうしたのだ?」
「はい」
 恐る恐るというように、娘が月光をはねちらす隅田川の川面に眼をむけた。
「今、川に何かが浮かんでいたような‥‥」
「何っ」
 竜光が欄干に走りよった。そして川面を覗き込む。
「どこだ? どこに見えた? 何も見当たらぬが‥‥」
「あ、あそこにございます」
 娘が近寄り、川面を指差した。
「うん?」
 娘が指し示す方に眼をやり、竜光が身を乗り出した。
 刹那――
 強大な力が、どん、と竜光を押した。たまらず、声を発する暇もなく竜光は宙に身を躍らせている。
 水しぶきが散った。
 娘はじっと川面を見下ろし――
 ニンマリすると、川に身を投じた。


 項垂れたように一人の娘が座っている。朱美だ。
「どうした、朱美?」
「‥‥」
 問う声に朱美は顔をあげ、戸惑ったような微笑を浮かべた。
「新吾様‥‥。いえ、何でもありません」
「嘘を申せ」
 新吾は優しげな笑みを顔によぎらせた。
「気になっているのであろう、冒険者の事が」
「いえ‥‥はい」
 朱美が小さく肯いた。
「騙し、殺しあわせるというのは‥‥」
「馬鹿な」
 新吾の笑みが冷笑に変わった。
「復讐したいと申したのはお前の方ではないか。俺を殺そうと――いや、彼奴らは事実、この俺を殺したのだ。あのお方の力なくば、この場に俺は立っていなかったであろう。お前の為、あのお方の為、そして何よりも俺の恨みを晴らす為、冒険者どもには復讐せねばならぬのだ」
 云って、新吾は朱美を抱き寄せた。そして口付けし――再び抱きしめた時、新吾はニタリと魔性の笑みを浮かべた。


「おい」
 声に、新吾は帯を巻く手をとめた。
「蔵人か」
「蔵人か、ではない」
 蔵人と呼ばれた巨漢がぎりと歯を軋らせた。
「女を抱くとは‥‥相も変わらず、酔狂な奴だ。まさか情でもうつったか」
「情?」
 新吾が噴出した。そして腹を抱えてげらげらと笑う。
「何を笑う?」
「何を笑う、だと」
 新吾はまだ笑いの尾をひきながら、
「これが笑わずにおられようか。この俺が、あんなつまらぬ女に情をうつすだと。――ふふん」
 新吾は嘲笑った。
「情など抱くものかよ。これはまあ、遊びというものだな。面白いぞ、女という生き物は。嬲り甲斐がある。どうだ、貴様も遊んでみては?」
「くだらぬ。それより――」
 月光を蒼く散らせ、蔵人は槍の穂先を新吾に突きつけた。
「わざわざ冒険者に朱美の名など知らせおって。どういうつもりだ?」
「ふふ」
 新吾が再び嗤った。
「面白かろうが。火に吸い寄せられる蛾の如く、朱美の名に魅せられたように八人の冒険者が集まって来おった。奴らは気づくまいが、呪術的因果はすでに結ばれ、奴らの魂に朱美という名の呪的腫瘍が根を張っている。いずれ花が咲こう。毒の色をした花がな」
「馬鹿な」
 蔵人は舌打ちした。
「面倒事を自ら引き起こしおって」
「ふふん」
 新吾が口を歪めた。
「座興がなければ、面白くないではないか」
「座興ですめばよいが。‥‥うぬは冒険者の力を知らぬ。なめてかかると、手痛い目にあうぞ」
「そういえばおぬし、何度か冒険者に斬られておったのう」
「ぬっ」
 蔵人の槍が踊った。眼にとまらぬ一閃は空間ごと新吾を斬り裂いている。いや――
 ふわりと新吾が飛び退った。
「剣呑、剣呑」
 新吾が手を振った。放物線を描いて赤黒いものが飛ぶ。
 ぐちゃりと蔵人の手が、その赤黒いものを掴みとめた。
「先ほど殺した陰陽師の心の臓だ。もってゆけ」
「ふん」
 蔵人が唾を吐き捨てた。
「時が迫っている。遊びはほどほどにしろ」
「いやだ。おっと――」
 新吾はまたもや飛び退った。蔵人の凄絶の殺気に灼かれた為だ。
「相変わらず物騒な奴だな。戯れ言もわからぬか。いや」
 新吾の眼が夜行獣のように蒼く光った。
「戯れ言ではない。冒険者の事、意味があるのだ」
 新吾が手をあげた。
 刹那、ばさと羽音が響き――新吾の手に、一羽の鴉がとまった。
「彼奴を見張らせる。ふふ、どう動くか‥‥」
 可笑しそうに、新吾が呟いた。応えるかのように鴉は漆黒の羽を広げ、不吉に啼いた。 

●今回の参加者

 ea0452 伊珪 小弥太(29歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 ea0592 木賊 崔軌(35歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea5708 クリス・ウェルロッド(31歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7767 虎魔 慶牙(30歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea7901 氷雨 雹刃(41歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 eb1555 所所楽 林檎(30歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 eb3797 セピア・オーレリィ(29歳・♀・神聖騎士・エルフ・フランク王国)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)

●サポート参加者

カノン・リュフトヒェン(ea9689)/ 小野 麻鳥(eb1833)/ 明王院 未楡(eb2404)/ 眞薙 京一朗(eb2408)/ 所所楽 柚(eb2886)/ アレーナ・オレアリス(eb3532)/ 平山 弥一郎(eb3534)/ レア・クラウス(eb8226)/ 土御門 焔(ec4427

●リプレイ本文

 朱を穿ち
 慟哭を吸う
 海原で
 撃ちてし止はむ
 それぞれの縁


 眞薙京一朗は、暗澹たる眼をあげた。
「新吾の死は、志を成す為の手段を違えた己への‥半ば自害であった」
「妹は手はさしのべたのですが」
 所所楽林檎(eb1555)は夢幻の美しさに満ちた純白糸をゆらせて肯いた。すると平山弥一郎が溜息を零し、
「やり方を安直な方法にしてしまったが、人々を想う気持ちは本物でしたね」
「やっぱりな!」
 伊珪小弥太(ea0452)がニカッと笑った。
「俺が相対した野郎とは全然違うぜ」
「ほう」
 異形の冒険者がもらした。河童の忍び、磯城弥魁厳(eb5249)である。
「で、伊珪殿はどうするつもりかの」
 問うた。
「貴殿、わし達の心臓をもってこいって云われておるのであろう」
「へっ」
 小弥太が嗤った。
「俺を誰だと思ってるんだ。んな事、するわきゃねーよ」
「では、どうするつもり?」
 次に問うたのは、ぞくりとするほど妖艶な娘で。
 セピア・オーレリィ(eb3797)。美しく危険な、棘持つ薔薇のような神聖騎士だ。
「朱美に会いにいこうと思ってる」
「はっ」
 嘲笑う声が響いた。
 はっとして振り向いた五人の冒険者達は、そこに三人の異様な者達を見出している。
 一人は見知った顔だ。肉食獣の如き獰猛な気を身裡にはらんだ男。虎魔慶牙(ea7767)である。
 もう一人。異人だ。蒼い瞳は宝石のように煌いている。が、そこに浮かんだ光は冷徹そのものであった。――クリス・ウェルロッド(ea5708)という。
 そして、三人目。嘲笑の主。新田家家臣である冷血の使者、氷雨雹刃(ea7901)である。
「あまいな、貴様」
「なんだぁ、てめえ」
 小弥太が眉を逆立てた。
「俺が甘い、だと?」
「ああ」
 嘲笑を頬に滲ませ、雹刃が肯いた。
「朱美とやらが、未だ家にとどまっていると思うのか。馬鹿が」
「何っ」
 六尺棒をひっ掴んだ小弥太の手を、小野麻鳥がおさえた。
「やめよ」
「でもよぉ」
「馬鹿者。おまえはすぐ頭に血がのぼる。それでは大事は成せぬ」
「大事?」
「そうだ」
 麻鳥が肯いた。
「新吾は、おまえと朱美との間に呪術的感染経路が構築されたと云っていたのだろう。となれば、逆もまた然り。経路を呪的に反転利用すればよい」
「‥‥」
 小弥太がこっくりした。どうやら居眠りしていたらしい。
 麻鳥は肩を竦め、
「いざとなったら朱美に小弥太の名を呼ばせろ」
「よおし!」
 小弥太が拳を握り締めた。
「要するに、愛と勇気だな」
「そうですね」
 人形めいた表情で林檎がこくりとした。
「あたしは伊珪さんの判断はあながち間違ってはいないでは、と思います。続けることが自然。だからこそ違和感があれば気づきやすいという考え方もありますから」
「私もその方が良いと思うわ」
 セピアも同意した。そして突き出た乳房を押さえるように腕を組み、
「あからさまに動けば敵も不穏を感じるでしょ。表面上は前回の動きを継続した方が、敵も油断すると思うわ」
「ふふ」
 嘲弄するかのような含み笑いがもれた。はっとして振り向けた冒険者達の視線の先、薔薇の花の香りを嗅ぎつつクリスが嘲笑っていた。
「何ともはや、報われない恋の物語のようだね。騙し騙され踊り踊らされ‥‥まさに、悲劇という名の、劇といった感じかな」
「てめえ」
 小弥太が再び六尺棒を握り締めた。
「今、劇ってぬかしたか」
「云ったよ。まぁ‥嬢が生きられるとすれば、私達に対する復讐心でだけかな。女性にずっと思われてるなんて、男冥利に尽きるじゃないか」
 クリスが楽しげに嗤った。刹那、ぶんと六尺棒が唸り――
 がっきとばかりに慶牙の手に掴みとめられた。
「やめておけよ。仲間割れなんぞしちゃあ、それこそ敵の思う壺だぜ」
「そいつの云う通りだ」
 木賊崔軌(ea0592)が手首にきゅうと布をまきつけた。
「柚の過去視によりゃあ、殺害現場に居たのは三人。朱美の名を残したのは、そいつらの仕業だ。狙いは俺達。朱美を救う様に仕向け、お互いに噛み合わせようって腹だろう。だったら」
 崔軌がニヤリとした。
「奴等の手口は消すより利用‥乗ってやろうじゃねえか」
「あっ」
 所所楽柚が悲鳴に近い叫びをあげた。はじかれたように林檎が駆け寄る。
「どうしたのです?」
「ね、姉さん」
 柚は蒼白の顔をあげた。
「じ、邪悪が蘇ります」
「邪悪?」
「はい。死した体は流れずとも、解放された力は流れに乗り、火を欠いた四行のみが、各地から集まり江戸湾に流れ、大きな溜まりとなり‥‥このままでは江戸湾に大いなる災厄が眼を覚まします」


「江戸湾は江戸を守る南の朱雀を象徴する場所です」
 土御門焔が説いた。するとクリスは顔を顰めて、肩を竦めてみせた。
「じゃぱんの呪術に宗教が絡むのか。また面倒だね。おかるとは私の好む所では無いなぁ」
 ちらりとクリスは横を歩く雹刃の顔を窺った。
「氷‥白蛇さん、何か縁起でもない事を考えてるんじゃないだろうね」
「ふん」
 答えず、雹刃はただ嗤ったのみだ。はあ、とクリスは溜息を零した。このような笑みをもらす時、雹刃はきっと良からぬ事を企んでいるのだ。
「知りませんよ、この依頼がどうなっても」
「ふん」
 再び雹刃は嗤った。
「どのみちこの依頼、ろくな終わり方はするまいよ。どうやら奴らは朱美を説得するつもりのようだが‥‥無駄だ。今救った処で後を追うのは見えている」
 ふっと雹刃は唇を皮肉にゆがめた。
「情に溺れて喰らい合うか。馬鹿めが」

「万物は五つの要素からなる。五行思想とはそのような考えです」
 増上寺の高僧は答えた。
「では、その五行によって死者が生き返る事はあるのか?」
 雹刃が問うた。すると高僧はかぶりを振り、
「五行思想には、そのような術はありません」
「ない? となると‥‥」
 やはりじーざすの魔術か、という言葉を雹刃は心中で呟いた。さらにはでびるの力かと。
 雹刃の脳裏にあるのは平織虎長の事だ。
 彼を蘇らせたという超絶の技術。その術を手に入れる事ができたなら、新田家にとってどれほどの利益になるか。
 雹刃の口辺に邪悪な笑みが浮いた。


 小弥太が戻ってきた。
 足取りは重い。どうやら朱美は自宅に戻っていないようだ。
「会えなかったみたいですね」
「ああ。でも会う事ができりゃあ、きっと朱美を取り戻してみせる」
「あなたならできそうですね」
 林檎の頬に微かな微笑が浮いた。普段そっけない彼女にしては珍しい事だ。
 戦い、鍛え上げた上の悟り。林檎の信奉する黒の教義は一言で云ってしまえばそのようなものだ。それは刃をつくるによく似ている。熱し、叩き、冷やし、また熱し、そして鍛える。その過程を経ることにより、刃は真正の姿を現すのだ。もし小弥太が鋼なら、さぞかし見事な刃ができるに違いない。
 その時。
 ふっと林檎は自身の指に――いや、正確にはその指にはまったジーザスのダイヤモンドに視線を落とした。
「どうした」
 崔軌の問いに、林檎は眼をあげた。
「殺気を感じます」
「そうね」
 セピアが肯いた。彼女の皮膚感覚は蜘蛛の糸のような微細な殺気をとらえている。
「いるわ、敵が近くに」
「来るだろうとは思ったが」
 崔軌が周囲に針のような視線をはしらせた。が、見えぬ。敵らしき者の姿が。
 いや――
 いる。一羽の鴉が木の枝にとまり、じっとこちらを窺うように見つめている。
 空を翔ぶ夜行が高く鳴いた。異常を感じ取っているのだ。
「もはや二日目。仕方ねえな」
 小弥太が鴉に歩み寄っていった。
「明日、新吾に会いてえ」
 云って、小弥太はある河原の名を告げた。が――
「駄目ダ」
 鴉が答えた。
「会ウ時ト場所ハ、コチラガ決メル」
「何っ」
 小弥太が眼をむいた。作戦上、仲間を潜ませる必要がある。その為、場所の指定は必須であった。
 しかし、かまわず鴉は続けた。
「札ハ我ラガ握ッテイル。従ワネバ、朱美ヲ殺ス」

「ふふ」
 雹刃が嗤った。建物に陰に潜んでの事だ。
「どうしたのです?」
 問うクリスに、雹刃は血筋のからみついた眼に剣呑な光を浮かべてみせた。
「林檎の唇の動きを読んだ。奴らが接触してきたぞ」 

「海が赤く染まる?」
 慶牙の問いに、漁師は恐る恐るといった様子で肯いた。どうやら無意識裡に発せられる膨大な慶牙の熱量に気圧されているらしい。
「へえ。でも、見間違いじゃねえかと」
(見間違いじゃねえ!)
 心中、慶牙は呻いた。
 鬼一法眼が告げた江戸湾という言葉。もしやと思って探ってみたが‥‥やはり何か、ある!
 その時――
 ひゅるりと風に乗ってエレメンタラーフェアリーが翔び来たった。白蛇丸に預けていたはずの小春だ。
「ほう、いよいよか」
 慶牙の満面に、野太い虎の如き笑みが浮いた。


 風が強い。暗雲が重く垂れ込めている。嵐が来るのかもしれない。
 びゅうと砂塵が舞った後、白い着流し姿の侍が現れた。新吾だ。
「ずいぶんと待たせるじゃねえか」
 小弥太が吐き捨てた。
 が、新吾は薄ら笑いをうかべたまま小弥太の背後を見遣った。そこに三つの人影がある。一つはセピア、一つは眞薙京一朗、そして残る一つは林檎の妹だ。
「‥‥やはり、な」
 新吾の表情が動かない事を見てとると、眞薙京一朗――にミミクリーにより変形した崔軌が口を開いた。
「おめえを斬ったはずのこの面がわからねえとは‥‥てめえ、何モンだ?」
「命無き者‥‥悪魔ですね」
 妹に変形していた林檎の眼が鋭く光った。
「あなたの生命を探査しました。が、何も感じない。それはつまり、あなたは命無き存在であるという事です」
「ふふふ」
 新吾の口から含み笑いがもれた。そして、それは次第に大きくなり、爆発した。
「よくやった。及第点をやろう」
 新吾は片目を瞑ってみせた。
「確かに俺は青井新吾ではない」
「では、何者です?」
「鬼道八部衆が一人、緊那羅王」
「って、うるせーな」
 小弥太が前に進み出た。
「おまえが何モンだろうが知ったこっちゃねーんだよ。それより朱美はどうした?」
「くくく」
 新吾が可笑しそうに嗤った。
「まさか、貴様、この場に俺がのこのこと朱美を連れて来ると思っていたのではなかろうな」
「何っ」
 小弥太は愕然として呻いた。
 確かに緊那羅王の云う通りだ。緊那羅王が人質たる朱美をこの場に連れてくるはずはなく、また連れて来ると約束していたわけでもない。さらには朱美を連れてこさせるような仕掛けも施さなかった。それで、どうして朱美を伴って来ると思ったのか。
 全ては思い込みだ。そして、その誤った思い込みの上に全作戦は構築されていた。
「く、くそっ!」
「ふふん」
 緊那羅王はじろりと小弥太をねめつけた。
「それで、俺に話とは何だ。約束のもの、渡す気になったか」
「うっ――」
 小弥太が絶句した。
 刹那――
 爆発音が轟いた。その一瞬後の事だ。緊那羅王の背後に雹刃の姿が現出した。
 ぎらり。雹刃の眼が凄絶に光った。
「殺ったあ!」
 雹刃の備前長船が緊那羅王の胸を深々と貫いた。
「ぬっ」
 緊那羅王が抜刀し、振り向きざま刃を疾らせた。が、その時にはすでに雹刃は備前長船の柄を放し、大きく飛び退っている。
「ちぃぃぃ!」
 慶牙が抜刀し、猛獣のように馳せた。緊那羅王の眼を逃れ、離れたところで寝そべっていたのだ。
「危ない!」
 林檎が叫んだ。彼女は先ほどの生命探査により、川中に潜む何者かの存在を感じとっていた。
 瞬間、慶牙の前に水中から飛び出した影が躍った。全身に鱗を生やした、漆黒の体躯の異形のモノだ。
「やらせぬはせぬ!」
 その異形のさらに高空、叫びが響いた。微塵隠れにより水中から消失、異形のモノの上空に出現の座標軸を固定した魁厳だ。
「ええいっ!」
 魁厳が小太刀を薙ぎ下ろした。衝撃に異形のモノが地に叩きつけられ、弾み、川に転げ落ちた。

「あーあ」
 クリスは溜息を零すと、梓弓に矢を番えた。緊那羅王の視覚に入らぬ距離をとっている為、五行星符呪は使用していない。
「やっぱりやっちゃったよ、氷‥白蛇さんは」
 ごちると、クリスは火矢を放った。雹刃が飛び退った直後の事だ。
「ぐおっ!」
 緊那羅王の左目に矢が突き刺さった。炎がじりじりと緊那羅王の半顔を焼く。
「おのれっ!」
 獣のような怒号をあげると、すうと緊那羅王の身体が空に浮かび上がった。そのまま翼あるが如く空を飛翔する。
「待て!」
 小弥太が追いすがったが、時すでに遅し。緊那羅王の姿は暗天の中に溶け込むように消えていった。


 セピアがグランテピエの穂先を突きつけた。
「どういうつもり?」
「何の事だ?」
 雹刃が冷然たる眼をむけた。
 セピアの紅眼と雹刃の蒼眼。空に火花が散った。
「独断で攻撃を仕掛けた事よ」
 セピアが云った。
「これで朱美さんを助ける事はできなくなったわ」
「何を腑抜けた事を」
 雹刃はせせら笑った。
「あの状況では、どのみち朱美は助けられぬ。なら悪魔を始末するに如かず。それに‥‥ふふ」
 雹刃は冷笑した。
「悪魔の手より助けたとて、どうなる? 朱美はすでに幾つもの命を手にかけているのだぞ。助かったとて、待っているのは磔獄門。ならば愛する男の手にかかって死ぬる方がよほどに幸せだ」
「ぬん!」
 セピアはグランテピエを疾らせた。鋭い穂先は雹刃の顔面を貫き――いや、寸前でグランテピエの穂先はとまっている。
「‥‥そうかもしれない。でも、私はみとめないわ!」
 云った。そのセピアの声は怒りに震えていた。


 小船が揺れている。江戸湾の只中だ。
 その上、二つの人影が見えた。朱美と緊那羅王である。
「朱美」
 緊那羅王が口を開いた。
「冒険者ども、おまえを見捨てたよ」
「えっ」
 朱美がはじかれたように顔をあげた。しかしすぐに表情を曇らせると、
「仕方ない事です。わたしと、あの人達とは何の関係もないのですから」
「そうかな」
 緊那羅王が笑った。
「おまえは伊珪小弥太という男に好意をもったはずだ。そして信じはじめていた。が――」
 新吾の唇の端がきゅうと吊り上がった。
「奴らはおまえを見捨てた。踏みにじった。打ち壊した。そう、奴らにとって、おまえは小指の先ほどの価値もなかったのだ」
「やめて!」
 朱美は耳を塞いだ。が、緊那羅王はその朱美の手を耳からもぎ離すと、
「冒険者はおまえを二度殺した。ならば、この俺がおまえの死に意味を与えてやろう」
 告げると、緊那羅王は刃を朱美の胸に突き立てた。
「あ‥‥」
 朱美の口から声にならぬ呻きがもれ、一筋の涙が瞳から零れ落ちた。
「新吾‥‥様」
「朱美」
 緊那羅王は朱美の耳に口を近づけ、囁いた。
「おまえは馬鹿な女であったよ」
 ニンマリすると、一気に新吾は刃を引き抜いた。鮮血が噴出し、群青の海を真紅に変えていく。新吾は狂ったような哄笑をあげた。
 瞬間、海が煮え立った。豪と音たて、渦を巻く。
 それだけではない。その渦に巻き込まれるように、明滅する呪文が海面で旋回している。
 突如、渦が割れた。そして闇色の光が噴出した。
 それは、大いなる邪悪の目覚めであった。

       了