●リプレイ本文
●未来のかたち
黒雲が重く垂れ込めていた。
轟、と。雷が閃く。世界を震わせて。
一瞬、青白く浮かび上がったのは整った、しかしどこか彫像めいた冷徹な顔立ちの娘だ。
「血にまみれて死する神主、か。予言のことが無くても確かに不吉な情景ではあるな」
娘――神の剣たるカノン・リュフトヒェン(ea9689)が抑揚のない声音で呟いた。すると海の色をした瞳が印象的な、まるで少女のような娘が微笑みながらカノンの顔を覗き込んだ。
「恐いの?」
「誰に云っている」
冷然たる声にやや苛立ちを滲ませ、カノンがアン・シュヴァリエ(ec0205)を睨みつけた。
「アン殿こそ大丈夫か」
「そっちこそ、誰に云ってるの」
アンが人差し指を立てた。そして、
「私は、エジプトで地獄の釜が開くのを眼にしてるのよ。恐いものなんて」
アンは人差し指を振って見せた。
と――
「神聖騎士といっても色々ですね」
カノンの眼に剣呑な光がうかぶのを見とめ、蛟静吾(ea6269)が声を発した。
「未来を観る呪法か。凄いものだね」
唸った。
確かに、と肯いたのはルーラス・エルミナス(ea0282)である。遠くを――いや、遥かなる未来を見つめているかのような煌く瞳を静吾に向け、
「しかし、本当に運命を変える事ができるのでしょうか」
「変えられる」
静吾は力強く肯首した。
「未来は湧きいずる水の如く、無形だからね」
「無形‥‥」
「どのようにでも形を変えるという事ですね」
所所楽林檎(eb1555)が云った。そっけなく――しかし、限りない情熱を込めて。
黒の僧侶たる林檎は知っている。未来はただ座して待っているものではない事を。未来は人の想いと力とで勝ち取っていくものなのだ。
「未来は俺達の手に、って事だな」
涼やかな声と共に、ぎゅっと拳が握り締められた。
きら、と。薄暮にも似た薄闇の中ですら光が散った。
それは手の主の銀髪が輝いたのか。いや、違う。その存在そのものが輝いているのだ。
リフィーティア・レリス(ea4927)。神に愛された、女と見紛うばかりに美しいジプシーの姿がそこにあった。
●予言
人形のようだ。
小鳥を見て、渡部不知火(ea6130)はそう思った。
「小鳥さん」
観空小夜の声に、不知火は我にかえった。
「依頼人‥‥東雅宣さんとは、どのような方なのですか」
小夜が問うた。すると小鳥は、わかりまぬ、と静かに答えた。
「ただ‥‥明るく、それでいて生真面目な方とお見受け致しました」
「明るく、生真面目‥‥」
小夜が首を捻った。もし東雅宣が小鳥の見立て通りの人物であるとするなら、誰かの恨みを買っているという可能性は低い。
「それじゃ、何を託されたか‥‥聞いて良い?」
次に問うたのはアンだ。小鳥は一度逡巡したが、
「故郷に戻った後の、東雅宣様の未来です」
「故郷、ね」
考え深げに、リフィーティアが白く細い指を形の良い顎に当てた。
「では、その呪法を行った際、どんな単語を指定したのか教えてもらえるか。それがわかりゃあ、何かしらそういう場面が起こるトコを絞り込めるかもしれないし、な」
「はい」
肯いて、小鳥が口にしたのは二つの言葉であった。
『東雅宣』
『未来』
で、ある。
「それで、死、か」
アンが小首を傾げた。
「それだけじゃ特定できないね。何か、他に見なかった?」
「‥‥」
小鳥はかぶりを振った。すると木賊真崎が口を開いた。
「未来視を依頼する際の鍵として、神や悪魔の類も含める事は可能也や否や」
「可能です」
「そう」
不知火が肯いた。
「じゃあ、次は私。その呪法とやら、今度は私達の名前を織り込んでやってみてもらえるかしら」
「貴方様方のお名前を?」
「ええ。私達が動いた事は未来に対する分岐。例祭時に彼が命を落とす事が何かの切っ先だとすれば‥視えるモノは変わるかもしれないわ」
「宜しゅうございます」
不知火の名を聞き、小鳥が眼を閉じた。そして呪唱。
呪言が紡がれる度に、高密度の異次元的力場が形成され、小鳥の意識を取り込んでいく。それは魂の亜空間への飛翔だ。
ややあって小鳥の眼が開いた。
「霧、が見えました」
「霧?」
「はい、霧が。そして、その中に一人の若者の姿が見えました」
「若者? どのような若者なの?」
「美しい若者です。まるで‥‥」
小鳥が言葉を途切れさせた。その身が小刻みに震えている事に気づき、不知火は息をひいた。
「ど、どうしたのだ?」
「恐ろしいのです」
「恐ろしい? 何がだ?」
「その若者が、です。とてつもなく強く、そして美しく‥‥恐ろしいモノ。‥‥貴方方は、このじゃぱんにおいて、誰も見た事がないモノを初めて目にする事になるでしょう」
「誰も見た事がない‥‥」
不知火が小鳥の手を掴んだ。
「それは、何だ?」
「わかりませぬ。ただ、そのような気がするのです」
「‥‥」
その時、アンの胸に、噴火する火山の映像が浮かんだ。駿河に不二――富士という霊峰がある事を、彼女は駿河に関する情報とあわせて真崎や小夜から聞かされていたのであった。
やがて、不知火は青ざめた顔で立ち上がった。
「ゆかれるのですか」
「ゆく」
問う小鳥に、不知火は答えた。
「人の世は終わると告げられても。神しか知らん運命とやらに大人しく従う義理も無い‥だろ? ‥互いにな、嬢」
不知火は不敵に笑った。
●拒絶
「例祭準備で多忙と存ずるが。申し訳ない」
漆を流したような黒髪をさらりと肩まで垂らした、超然とした風情の男が詫びた。八人目の冒険者――小野麻鳥(eb1833)である。
「それはかまいませんが」
東雅宣が答えた。そして探るかのように、
「しかし冒険者方が参られるとは、一体何が‥‥」
「その事ですが」
すかさず林檎が口を開いた。
「例祭に関する事で怪しい動きがあるのです」
「怪しい動き?」
「左様」
麻鳥が肯いた。
「近頃この国の彼方此方で祭事の変事発生が多発、駿河も自分及び一族関与する様々な事件がそれを証明している」
云って、麻鳥は御影一族が関与した幾つかの事件をあげてみせた。
「為に、此度祭礼も可能性高しと小鳥殿の占いにでた。故に我らが駆けつけたというわけだ」
麻鳥が告げた。慌てて静吾と林檎が止めようとしたが、もう間にあわぬ。
「小鳥‥‥ははあ」
呟くと、雅宣は溜息を零した。
「どうやら小鳥殿は嘘をつかれたようだな」
「いや、それは――」
小鳥を庇うべく口を開きかけた静吾であったが、雅宣が手をあげて制した。
「小鳥殿が憂うからには、何かが起こるのだろう。そして私も冒険者。貴方方の事も十分承知しているつもりだ。しかし」
雅宣は憮然とした眼を冒険者達に向けた。
「私は嘘が嫌いだ。貴方方にはお引取り願いたい」
●殺気
「イザナギノミコトとイザナミノミコト?」
問い返すカノンに、神社近くに住む老人はこっくりと肯いたみせた。そしてここの津島神社の祭神である二柱神について説明を始めた。
ややあって、
「要するに、この国を作った神であると」
ウイングドラゴンヘルムで耳を隠したカノンが問うと、老人は再び肯いた。そして眼を瞬かせ、
「しかし異人さんが神社に興味をもたれるとはのう」
「例祭があると聞きましたので。‥‥神社建立にかかわる例祭らしいが、どのような様子で行われるのですか」
「それほど大きくはない神社だがの、毎年厳かに行われるぞ」
津島神社といえば尾張が有名だが、ここの神社は祭神など少し違うようだ。
「揉め事などは?」
「あるものかよ。まあ酒に酔った年寄りがくだをまくくらいのものかのう」
「ふむ」
頷いて、カノンは何気ない風を装い、ところで、と言葉を継いだ。
「先ほど見かけたが‥‥神主はお若いようだが」
「おお、雅宣か。最近戻って来おった。アレの父親がぎっくり腰になっての、それで仕方無しというところじゃろう」
「そうですか‥‥」
カノンの肩から力が抜けた。もしやすると雅宣の父にもすでに凶手が及んでいたかもしれぬと案じていたが、そうではないらしい。
「どうした?」
カノンが手綱をひいた。
愛馬クラフトがひどく興奮している。異常だ。
カノンは周囲に刃のような視線をはしらせた。
すでに夜。闇のおりた蒲原宿に人影は多いが、不審な者の姿は見受けられない。
が、いる。と、カノンは判じた。
「‥‥来たか」
カノンは呟いた。
あえて冒険者としての身分を隠さず聞き込みを行ったのは、この事あるを見込んだからだ。もし何者かが雅宣の命を狙っているのなら、その周辺に出没する冒険者を見過ごすはずがない。
と――
クラフトが静かになった。どうやら気配が消えたようだ。
「まだ仕掛けては来ぬという事か‥‥」
呟くと、再びカノンは馬をすすめた。
●例祭
笙や篳篥、太鼓の音が、穏やかになりはじめた蒼空に響いている。
「この後、平舞があるそうだ」
静吾が云った。そしてあらためて周囲を見回す。
昨夜のうち、静吾は村長を訪ね、例祭に関する事を聞き出していた。さらに周辺の様子も脳裏に叩き込んである。事前準備は済ませてあった。
「津島神社は、この村においてはかなり重要なものらしい。だから例祭となればかなり人が集まる。狙ってくるとするなら、儀式の後だな」
「拙いですね」
境内を埋め尽くす人々を眺めやりながら、林檎が溜息を零した。
「周りは林です。外に出られると守るのが難しくなる」
「魔物はどこから、どのような手段で襲って来るかわからぬからな」
冷厳な口調で云い、同時に麻鳥は白く細い自らの指に視線を落とした。
その指――はめられた指輪の宝石の中、蝶は静かに沈黙していた。
「わかったよ」
忌々しげな呟きがもれた。これもまた人の中に紛れたリフィーティアである。
リフィーティアは服の中に隠したティルナを確かめると、云った。
「小野からのてれぱしーだ。しっかり見張れって云っていたが‥‥。この位置じゃ、な」
「それよりも、中です」
衣冠姿の雅宣を見つめるルーラスの眼に強い光が浮かんだ。
「我々が入る事ができるのは境内まで。もし何らかの方法で住まい内部にでも潜入されたら、もはや我々に打つ手はありません」
「面白くなったっていやあ、面白くなったが」
「冗談じゃない」
ルーラスがリフィーティアを睨みつけた。
「命がかかっています。遊びじゃないんですよ」
「おまえ――」
リフィーティアが一瞬息をひき――ややあって天使のように微笑んだ。
「そんなに雅宣を守りたいのか」
「ええ。私は」
ルーラスがソウルセイバーの柄に手を添えた。刹那、彼の身裡を紅蓮の炎が駆けめぐった。
それは闘志だ。剣となり、盾となる。
「命を守る、その為に私は騎士となったのです」
ルーラスが云った。
冒険者中、しかし、たった一人だけ社務所に入り込んだ者がいる。アンだ。
とんとんとん。
アンは肩を叩いている。相手はカノンが話した老人だ。
今、アンはミミクリーにより幼き風を装っている。もともと彼女のジャパン語は拙い為、それも幼い風を装う助けになっていた。さらにアンの機知に富んだ会話は老人を楽しませてもいた。まるで愛孫がそうであるように。するりとアンは老人の胸の内に入り込んだのだった。
●刃
雅宣が立った。先ほどまで平服であったが、夜の神事がある為、彼は再び衣冠姿にもどっている。
雅宣は中庭に降り立った。そこを横切った方が社務所には近いからだ。
と――
突然、雅宣の足がとまった。その首に、太い腕が巻きついている。
「なっ――」
息をひいた雅宣の耳に、囁くしわがれた声が届いた。
「クサナギはどこだ?」
「く、くさなぎ? し、知らぬ」
「ふむ」
声は答え――すぐに刃の切っ先が、雅宣の背を浅く抉った。
「どうやら本当に知らないようだな。ならば、死ね」
「待て!」
叫びが響き、刃がぴたりととまった。刃の主の身体に痛みがはしった為だ。
「ぬっ」
呻きつつ、刃の主――禿頭の巨漢は振り向いた。
そこに、いた。すでに抜き払った細身の直刀を片手にだらりと下げ、うっそりと佇むアンが。
「どうだい、ぶらっくほーりーの味は。‥‥やらせないよ」
アンが云った。すると禿頭の巨漢は陰惨にニヤリとし、
「できるか」
「できる!」
別の叫びが轟き、反射的に禿頭の巨漢は後ろ殴りに刃をふるっている。背に吹きつける凄絶の殺気にうたれた為だ。
次の瞬間、雷火散り、二つの影が地に降り立った。
一つは飛び退いた禿頭の巨漢であり、そしてもう一つは塀から飛び、刃を疾らせた後に地に片膝ついた――
「うぬは――」
「渡部不知火だ」
立ち上がり、不知火はニヤリとした。
「霧の事を小鳥が云っていたので、もしやと思ったが‥‥確か霧隠れの忍びだったな、おめえ」
「土鬼だ。しかし、良くわかったな、ここで俺が襲うと」
「ふっ」
不知火は笑った。
「土に潜る事のできるおめえが狙うとするなら中庭だろうと見当をつけたまでの事さ」
「くっ」
禿頭の巨漢――土鬼は悔しげに歯を軋り鳴らせた。そして次の瞬間、ぎらりと眼を光らせた。
その刹那だ。突如不知火の身が空に舞い上がった。自ら浮かんだのではない。落とされたのだ。
「ははは、馬鹿め!」
哄笑をあげた土鬼の手から刃が飛んだ。それは狙い過たず雅宣の胸に――
ずかり。刃が胸を貫いた。
雅宣の――いや、静吾の。異変を知り、疾り来たった静吾が身を挺して雅宣を守ったのであった。
「おのれっ!」
土鬼が血を吐くような声で呻いた。すでに彼の鋭敏な感覚は近づきつつある五つの凄愴の殺気を感得している。
「ここまでか」
土鬼の身が土中に没し始めた。それはこの世ならぬ、夢幻のような光景であった。
●
静吾は眼を覚ました。
瞬間、激烈な痛みが彼の身裡をはしりぬけた。どうやらかなりの怪我を負ったらしい。
「大丈夫ですか」
雪の精のように清冽な面にわずかに憂いを滲ませ、林檎が問うた。静吾を抱きかかえているのは彼女であり、その手には静吾のものであったヒーリングポーションが握られている。
「じーざす教が関与しているかもと思ったが」
痛みに静吾が顔を顰めた。するとルーラスは落ちていた忍刀を拾い上げ、落ち着きを取り戻した雅宣のもとに歩み寄った。
「霧隠れの忍びであるらしいのですが。‥‥命を狙われる覚えはあるのですか」
「ありません」
雅宣はかぶりを振った。が、何を思いついたか、すぐに眼を見開き、
「そういえばあの忍び、くさなぎはどこだなどと云っておりました」
「くさなぎ?」
麻鳥の眼に氷のような光がやどった。
「で、雅宣殿、そのくさなぎとやらに心当たりは?」
「ございません」
「ふむ」
麻鳥は細い顎に手を当て、考えに沈みこんだ。
何か、胸騒ぎがする。ジャパンの――いや、少なくとも駿河の命運にかかわる大事が起こりつつあるような。
その麻鳥の懸念を読み取ったかのようにルーラスが口を開いた。
「この一件、奥が深そうですね」
「ますます面白くなってきたな」
銀色の月光に濡れて、リフィーティアが楽しげに微笑った。それは花のように美しく、刃のように冷たい笑みであった。