●リプレイ本文
鎧われて
確とは見えぬ
沙也なれど
違いの傷に
接触た感あり
●
桜花乱れ散る薄紅色の東海道を上り、冒険者達が駿河に辿り着いたのは、彼らが江戸を出立してから二日以上が過ぎ去っていた。日はすでに西に傾いている。
「ここか‥‥」
呟くと、女と見紛うばかりの美しい若者は白馬をとめた。
「さて‥‥やっと骨を休められそうな依頼だねぇ。毎回毎回あんな事をしていては、流石に命がいくつあっても足りやしない」
若者――クリス・ウェルロッド(ea5708)は再び呟くと、白馬から降り立った。
彼の云うあんな事とは、江戸におけるデビルとの闘争を指す。約半月ほど前、クリスは鬼道八部衆緊那羅王と名乗るデビルと戦った事があったのだ。
「吉次殿はいるかな?」
西中島導仁(ea2741)が、切れ長の美しい眼を一軒の家屋にむけた。
「いるだろう」
一見少年としか見えぬ小柄の若者が答えた。上杉藤政(eb3701)という名のパラの若者は、導仁を振り返ると、
「吉次殿の生業は鋳掛屋と聞いた。中にいるはずだ」
「じゃあ、早くいこうよ」
促し――
ぱたりと白井鈴(ea4026)は足をとめた。
「どうしました?」
問うたのは武闘着を纏った若者だ。荒削りだが、端正ともいえなくない相貌をしている。
そして、その眼。きらきらと光っている。希望の光をやどした眼だ。
陸潤信(ea1170)。華仙教大国生まれの武道家である。
「う‥‥ん」
曖昧に答え、鈴は素早く周囲を見回した。
幾つもの死線をくぐりぬけることによって培われた、彼の忍びとしての感覚。その超感覚に触れるものがある。
視線。誰かがじっとこちらを窺っている。
「白井、ゆくぞ」
「う、うん
山下剣清(ea6764)に促され、鈴は歩を進めた。
●
吉次は真面目そうな若者で、年は二十七。まだ独身であるという。
その吉次を前に、最初に口を開いたのはアイーダ・ノースフィールド(ea6264)であった。
「姪御さん‥‥沙也さんだったかしら。悪夢を見るという事らしいけど」
「はい」
心配げに吉次は肯いた。
「最近は毎夜といってよいほどで。さすがに俺も心配になっちまいまして」
「毎夜‥‥」
アイーダは腕を組むと、眼を伏せた。
「確かに気になるわね。夢魔に憑かれているのでもなければ、過去の記憶なんじゃないかしら」
「過去の――あっ!」
突然吉次が声をあげた。
「そういえば‥‥」
「そういえば?」
血の色に染まった八卦衣をまとった、どこか仄暗い気を漂わせた巨漢が身を乗り出した。
「何か思い当たる事があるのですか?」
巨漢――宿奈芳純(eb5475)が問うた。すると吉次は何度か首を縦に振り、
「はい。以前、沙也に夢はどんなだったかって尋ねた事があったんです。そうしたら沙也は炎の夢だと答えたんです」
「炎の夢?」
「ええ。炎に身体の裡から焼かれる夢を見たと」
「それは‥‥」
芳純はアイーダと眼を見交わした。
「で、吉次殿には、その夢の心当たりがあるという事だな」
藤政が問うと、吉次は肯首した。そしてごくりと唾を飲み込むと、
「沙也は焼け出されたんです。家が火事になっちまって」
「では、沙也殿の御両親は」
「死んじまいやした。その火事で。助かったのは沙也一人です」
「なるほどね」
クリスが薄く微笑った。
「沙也さんの年が十二と聞いて、その年で両親と離れるからには何かしら理由があるのだろうとは思っていましたが‥‥死別でしたか」
「ええ」
吉次は暗澹たる眼をクリスにむけた。
「焼け跡から黒こげの死体が見つかりやした。もう人相なんぞわからねえくらいの、ひどい有様だったようで」
「その死体は?」
「埋葬しました」
「そうですか」
クリスは、面にやや落胆の色を過ぎらせた。
死体は何も語らない。通常そう思われているようだが、違うとクリスは思っている。実際のところ、死体は雄弁だ。調べれば色々な事がわかるのだ。
が、肝心のその死体がないとなればやむなし。
藤政は深い溜息を零した。
「夢の内容が知れれば、その根源となるものがわかるとは思ったが‥‥沙也殿にそのような過去があったとは。で、その夢の事だが‥‥沙也殿がうなされる際、うわごとでもいいので、出来るだけ発音に近い形でどんなことを云っていたか、教えていただけぬか?」
「うわごとですか‥‥」
吉次が首を傾げた。
「大抵はうーとか声をあげるだけなんですが‥‥。そういえば何度か、出ないで、とか云っていたような」
「出ないで?」
導仁が瞠目した。
「その、出ないで、という言葉に間違いはないか」
「はい。確かに出ないで、と云っておりやした」
「そうか‥‥」
考え深げに導仁が呟いた。
出ないで。わずか四文字にしか過ぎないこの言葉が、棘のように導仁の胸に突き刺さっている。
理由はわからないが、何故か重要な気がする。この言葉が。
「やはり沙也殿に会わねばならぬか」
「じゃあさ」
鈴がひょっこっと顔を覗かせた。
「沙也の事について聞かせて。今、どんな様子なのかな」
「落ち着いています」
吉次が答えた。しかし哀しげに、
「でも元気はありません。両親が亡くなったんだから、当然といえば当然なんですが」
「そう」
鈴の顔から笑みが消えた。
教師をしていたから彼にはわかる。子供の心がいかに脆く、傷つきやすいものかという事が。
「大変だよ、これは」
鈴は独語した。
余人は知らず、鈴は理解している。此度の依頼において、もしやすると沙也への対応こそが最も重要かつ困難なものである事を。
「でも、僕は依頼を受けたんだ」
鈴は拳を握り締めた。そして決意した。必ず依頼を果たすと。
依頼人との約束を守る事。それは鈴にとって、命を賭けるに値する事なのだ。
●
沙也は美しい女の子だった。
ただ――
その眼のみは異様であった。子供とは思えぬ昏い瞳。まるで地獄の深淵を覗き込んできたかのようであった。
「ハーイ。私はアイーダ。よろしくね」
敢えて陽気にアイーダが声をかけた。普段冷静冷淡な彼女とはまるでそぐわぬ態度だ。無理やり顔に押し上げた笑みがひくついているのも仕方ないだろう。
我ながら似合わないわね。
内心肩を竦めつつ、アイーダは強張った笑みをさらに大きくした。
「沙也さんね。少しお話を聞かせてもらえないかしら」
「わたしに‥‥話?」
戸惑ったように沙也が眼を瞬かせた。その虚無的ともいえる瞳をじっと見つめ、鈴は横笛を取り出した。
「音楽、好き?」
「音楽?」
「そう」
肯くと、鈴は笛を奏で始めた。軽やかな、春の風を思わせる調べが漂う。沙也の表情がわずかに和んだように見えた。
「気に入った?」
アイーダが問うと、沙也が小さく肯いた。
「じゃあね」
アイーダが沙也の手をとった。そしてふわりと握る。
「今度は大人な冒険者を紹介するわ」
「冒険者?」
「そう。私の仲間」
アイーダが答えた時だ。沙也の顔色が変わった。
声が、聞こえている。沙也の耳にだけ。いや――その胸の裡にだけ。
テレパシー。思念波のみにての会話方法だ。
(姿をお見せできず申し訳ありません。陰陽師の宿奈芳純と申します)
声は云った。
「何っ」
はじかれたように沙也が周囲を見回した。が、何者の姿も見えぬ。
当然だ。お前は外見が化け物だから沙也と会うな、という仲間の命に従い、芳純は数十間離れた位置にてテレパシーを施していたからだ。
(恐れないでください)
芳純は云った。そしてゆっくりと云い聞かせるように、
(私は、心で沙也殿に話しかけているのです)
「何?」
沙也が立ち上がった。
その瞬間だ。沙也の言葉にならぬ悲鳴が芳純の心に流れ込んできた。
恐れ。沙也の悲鳴の原因はそれだ。
「大丈夫よ」
アイーダが沙也を抱きしめた。そしてはっとした。
沙也の身体が瘧にかかったかのように震えている。心が崩壊しかけているのだ。
おかしい。
鈴は思った。
確かに、突然心の中に話しかけられれば驚くだろう。が、沙也の様子はあまり異常である。
「沙也、落ち着いて!」
鈴が叫んだ。
その瞬間、沙也は悲鳴をあげて気を失った。
●
「毎夜の悪夢。‥‥よほどの心の傷であるのかもしれんな」
焚き火に半顔を赤く染め、剣清は呟いた。そして芳純を見た。
「沙也の心の内、見えたのか」
「その事ですが」
芳純は暗い眼をあげた。
「どうやら沙也殿は、両親を殺したのは自分だと考えているようです」
「何っ」
冒険者達が呻いた。
「本当ですか、それは」
「はい」
芳純は、問うた潤信に肯いて見せた。
「その瞬間、悲鳴にも似た様々な言葉が沙也の心の内に飛び交っておりましたので、しかとはわからなかったのですが」
芳純が重い声で答えた。できる事なら眠っている沙也にテレパシーを仕掛けてみたいところなのだが、沙也をこれ以上傷つけぬ為に止めてくれと吉次に拒絶されれば、さらなる無理はできぬ芳純である。
「ともかく、明日火事の現場へといってみよう」
導仁が云った。
何故、沙也の家は焼かれねばならなかったのか。沙也の家に火を放ったのは誰なのか。
疑問は尽きぬ。が、その謎が解かれた時、沙也の悪夢の正体を見極める事ができそうな気がする。
潤信は星の瞬く夜空を見上げた。そこに沙也の寂しげな面影を思い描く。
「貴女が真に安らぎを得られる日々を取り戻す為に、私は諦めません」
星よりもなお輝く瞳で、潤信は呟いた。
そして、また一人。同じように夜空を見上げ、沙也の為に尽力する事を誓う者がいた。
今はまだ手は出せる年頃ではないが、あと五、六年もすれば果実も熟れる。将来性の高そうな子の為だ。がんばるとするか。
そう思う剣清の顔は、すっきりと晴れやかであった。
●
翌日。巳の刻。
潤信の姿は、沙也が住んでいた村の村長宅の内にあった。
「なるほど」
六十年配の男が肯いた。村長である。
「あの沙也が悪夢に‥‥」
「村長様には、何かご存知で」
「いや、知っているというわけでは‥‥。火事の知らせを受け、駆けつけはしましたがの。しかしすでに火は消えた後で。近くに住む者が沙也を保護しておりましてな。それで私が幾日かは預かりましたが」
「では、火事直後の沙也さんの様子をご存知なのですね。とのような様子でしたか」
潤信が問うた。すると村長は憐憫の光を眼に浮かべ、
「ずっと伏せっておりました」
答えた。
わずか後。
四人の冒険者の姿は村はずれにあった。導仁、クリス、藤政、芳純の四人である。
さらに一人。沙也を保護したという女もその場にいた。
彼らの前には、黒こげた焼け跡が横たわっている。未だに熱とともに怨嗟が渦巻いているような無残な光景であった。
と――
足音を耳にし、ふっと導仁が振り返った。
「山下殿か」
「ああ」
剣清が肯いた。
「近くに住む者達に、沙也と父親について訊いてまわった」
「おお。で、どうであった?」
「たいした事は‥‥。只、夫婦仲は良くなかったようだ」
「そうなのですか?」
クリスが流し目をくれてやると、女は頬を赤らめ、ええ、と答えた。
「庄吉さんは酒癖が悪くてねえ。呑んで帰った日なんか、しょっちゅう房さんを怒鳴りつけてたよ」
「沙也さんにはどうなのですか」
「さすがに沙也ちゃんにはそんな事はなかったと思うよ。いくら実の娘じゃないと――」
慌てて女は口をおさえた。が、冒険者達が何で聞き逃そうか。
藤政が瞠目し、女に近寄った。
「実の娘ではないというのは、本当の事なのか」
「え、ええ」
苦く笑いながら、女が首を小さく縦に振った。
「子供ができなかったらしくてね。だから赤ん坊をもらってきて」
「沙也と名づけ、育てたのですね」
クリスの眼がきらりと光った。クリスは敏感に、事件の裏に蠢く何モノかの気配を感じとりつつあったのだ。
「如月」
導仁が呼ぶと、蝶のものに似た羽根をもつ妖精が彼の前でひらりと舞った。
「火付け犯を見たか、草に訊いてくれ」
こくり、と肯くと、如月はふらりと草に飛び寄り――幾許か後、首を横に振った。どうやら草が見たのは、沙也や火事騒ぎを知って駆けつけた村の者達のみのようである。
藤政が焼け跡に踏み入った。そして周囲を見回し――肩を落とした。
全焼といってもよい状況で、この中でもし事件があったとしても、とても痕跡など確かめられようはずもない。
「では、私が」
芳純が歩み出た。そして焼け跡の中へと進み入る。
ほぼ中央。立ち止まると、芳純は印を組んだ。同時に、彼の口から呪がもれはじめる。
瞬間、辺りの空気が硬質化した。芳純の周囲の空間が歪んでいるに見える。芳純が織りあげた術式により、呪文空間が形成されたのだ。
そして、芳純の視覚は過去に飛ぶ――
幾許か後。疲れ切った顔つきで、芳純は焼け跡から出てきた。
「その瞬間」
芳純が重い口を開いた。
「地より炎泥が噴き上がり、庄吉殿と思われる男性がのみこまれました。さらには幾つもの炎泥の柱が立ち上り――」
「何が――」
潤信の口から呻くような声がもれた。
「何が起こったんだ一体?」
「わかりません」
芳純が答えた。
「只、その場にいたのは沙也殿と御両親だけであったのは間違いないようです」
「!」
冒険者達ははたと顔を見合わせた。彼らの脳裏に、前夜芳純がもらした言葉が蘇っている。
――どうやら沙也殿は、両親を殺したのは自分だと考えているようです。
●
「吉次さん」
井戸端で汗を拭っていた吉次に、アイーダが声をかけた。
「へえ、何か?」
吉次は手をとめた。
「沙也さんの事なんだけど」
云うと、アイーダは腰に手をあて、挑むような眼をむけた。
「あの子、両親を殺したのは自分だと思っているわ」
「えっ」
愕然とし、吉次は息をひいた。
「ば、馬鹿な。あの子がそんな事をするはずがない」
「私もそう思っているわ」
アイーダの眼の光がさらに強まった。
「でも沙也さんがそう思うには、そう思うだけの理由があるはず。吉次さんには思い当たる事はないの」
「それは――」
吉次が口を開きかけた時だ。悲鳴が響き渡った。沙也だ。
アイーダが裏口むかって駆けた。悲鳴のした方だ。
「これは――」
冷静沈着たるアイーダの身が凍結した。彼女の眼前、裸形の男が沙也の首に手をかけている。その前で、鈴もまたアイーダ同様身を強張らせ、立ちすくんでいた。
「動くな!」
声が降った。頭上より。
はっとアイーダと鈴が振り仰いだ。そして、見た。屋根の上に立つ一人若者を。美しく、かつ冷酷そうな美丈夫だ。
「まずは一匹いただいてゆく」
若者がニヤリとした。
刹那だ。疾風が吹いた。
その一瞬後、アイーダの口から苦鳴があがった。その肩から鮮血がしぶいている。
アイーダが叫んだ。
「風の中に、何かいるわ!」
「ははは」
若者の哄笑が響き渡った。
「しばらく遊んでおれ」
「ぬっ」
呻いたものの、動けぬ。迂闊に動けば身体が切り刻まれるし、それより何より沙也が人質にとられている。
そして――
疾風がやんだ時、沙也を含めた三人の人影は消えうせていた。