●リプレイ本文
●
冬の空に薄紅光が閃き、一枚の紙片が真っ二つに分断された。
冒険者ギルドの前。
桜華なる名の日本刀を鞘におさめ、木野崎滋(ec4348)は凄艶なる相貌に苛立ちを滲ませた。
「自らが招いた災いであろうに、都合のよい事だ」
滋は吐き捨てた。
依頼人である風祭右京。その若者こそ、彼女達の宿敵ともいえる飯綱衆の一人であった。
「そのとおりね」
氷の瞳でアイーダ・ノースフィールド(ea6264)は肯いた。
「多くの命を生け贄に使い、多くの精霊を弄んだ奴ら飯綱衆。その残虐非道なる行いはゆるせないわ。でも考えようによってはこれは好機よ」
「確かにそうだが」
カノン・リュフトヒェン(ea9689)がわずかに身を震わせた。一切の感情を置き去りにしたとしか思えぬほど冷静なるカノンが、だ。
「敵は強大だ。我々が勝つとは限らぬ」
「しかし、それでも」
ふっと宿奈芳純(eb5475)が穏やかな笑みを消し、
「何としても牛頭天王を斃さねば――いいや、迦具土神の復活をとめなければなりません」
託宣の如くに云った。
風祭右京より牛頭天王の目的は知らされている。霊峰富士に眠る迦具土神を目覚めさせることだ。
そうなればどのような事態になるか。答えはひとつしかない。富士が噴火し、駿河は壊滅するだろう。
「‥‥駿河壊滅、か」
腕を組み、何事もないかのように黒い影は呟いた。百鬼白蓮(ec4859)である。
白蓮はすっと眼をあげると、
「まあその前に我々が皆殺しになるかもしれぬがな」
「そいつは面白い冗談だ」
虚空牙(ec0261)は狼のように笑った。
「大極朧拳に敵はない。いかな魔神といえどきっと俺が斃してみせる」
「そう容易くはいかぬ」
それまで黙然としていた巨躯の女が組んでいた腕を解いた。メグレズ・ファウンテン(eb5451)である。
メグレズは視線を宙に投げると、表情を引き締め、
「貴殿は奴と直接戦ってはいない。だからわからぬのだ、奴の恐ろしさが」
「――それほどの奴か」
「ああ。貴殿の必殺技――絶招・闇時雨といったか。威力は確かに激烈かもしれぬが、それも敵に当たってのことだ。奴は六本の腕を自在に使う。その腕をくぐりぬけて牛頭天王の身体に攻撃を叩き込むのは至難の業。それに奴は人間の殺し方、壊し方を熟知している」
「殺し方、壊し方ですか」
すっと一人の若者が立ち上がった。
陸潤信(ea1170)。八人めの冒険者である。
潤信は仲間を見渡すと、笑みを相貌に浮かべた。
無理やりに押し上げたものではない。それは極々自然なものであった。
潤信は云った。
「戦い方なら私達も知っています。仲間と希望を信じて戦う。敵が誰であっても関係ない。それが私達の戦い方であったはず」
「そうだな」
滋が苦笑を零した。そして晴れ晴れとした顔で刀を腰におとした。
「確かに陸殿の云う通りだ。私達はどのような敵であっても、いつも仲間を信じて戦い抜いて抜いてきた。此度もそうするだけだ」
「そう」
ふっ、とアイーダも笑った。それは彼女には似合わぬ暖かなもので。アイーダは続けて、
「考えてみれば牛頭天王の腕は六本。私達は合わせて十六本。数の上では私達の勝ちよ」
●
富士に登り始めて二日目の夜。
潤信と芳純は青ざめた顔色で、身を震わせていた。
それは決して寒さのせいばかりではない。実は空腹のためであった。潤信は全日程の半分、芳純はまったく食糧の用意をしてこなかったのだ。
「仕方あるまいさ」
滋は笑みを二人にむけると、
「腹が減っては戦はできぬという。なら休むのも戦のひとつさ」
「しかし」
芳純は悔しげに唇を引き結んだ。
雪のため、空飛ぶ絨毯に乗っての索敵もできない。これでは何のために駿河までやってきたのか。
「私なら大丈夫です。アイツは西の方で魔王封印の為に戦っているんです。ならばこちらも負けてなんかいられない」
叫ぶかのような声で潤信は云った。アイツとは彼の妹のことである。
「どうやって戦うつものだ、その身体で」
外の雪風よりも冷然たる声音を発したのは白蓮だ。
「足手まといはいらぬ。ここで待っていてもらおう」
云い捨てると、白蓮はテントから姿を消した。アイーダも続こうとし――ちらりと振り向いた。
「ぶっきらぼうだけど白蓮さんは貴方達のことを思いやっているのよ。それを忘れないで」
どれほど時が経ったか。潤信が身を起こした。
「やはりじっとしてはいられない」
潤信が立ち上がった。芳純がとめたが振りきり、テントを後にする。
「命をかければ少しは役にたつはず」
潤信が足をすすめた。その時だ。
潤信は身を強張らせた。
寒風のせいではない。その風よりも、さらに凍てついた冷気にも似た殺気が吹きつけてくる。
「何っ」
はじかれたように振り向いた潤信は見た。白く霞む巨大な影を。
それは牛の頭をもっていた。そして六本の腕を。その六本の腕には、それぞれに得物が握られていた。
「牛頭天王!」
潤信が身構えた。
その瞬間だ。牛頭天王がテントを腕で地からひきはがした。雪風にさらされた芳純の姿が見える。
「死ね」
牛頭天王が右の第一の腕を振り上げた。その手には巨大な刀が握られている。
くわっと見上げ、芳純は印を組んだ。すでに逃げる気はない。
牛頭天王が刃を振り下ろした。
次の瞬間、地を埋めた雪が真紅に染まった。牛頭天王の刃が芳純を貫いたのだ。いや――
芳純ではない。刃が貫いたのは、芳純を庇った潤信であった。
「おのれは――」
牛頭天王がじろりと見下ろした。見上げる潤信の顔には血笑がうかんでいた。
「もう誰一人とてお前の手にかけさせるものか」
「ぬかせ!」
牛頭天王の左第一の手に握られた刀が閃いた。白い雪片に朱が滲み、潤信の首が空に舞う。牛頭天王は口をわずかに歪めると、再び芳純を見下ろした。
「もはや誰も助けてはくれぬぞ」
「そうかな」
声とともに、白い旋風が牛頭天王の周囲を疾った。
「‥‥右京か。何の真似だ」
「うぬを殺しに来た」
白い幕が薄れ、一人の美丈夫が姿を現した。
●
「奴だ」
滋が足をとめた。脳内に芳純の叫びが木霊している。テレパシーだ。
滋は踵を返した。雪の斜面のために滑りかけたが、何とか踏みとどまる。
「私は戻る。牛頭天王は任せろ」
「わかった」
カノンが肯いた。
「思い上がりでなければ意思を通わせた神もいる。私は火口に向かおう。上手くすれば味方となってくれるやもしれぬ」
その時だ。切れ切れの芳純の思考が滋の脳内に飛び込んできた。
――牛頭天王の真の狙いがわかりました。数百年もの間、星そのものの熱量をその身に溜め込んできた迦具土神を暴走させること。即ち、ジャパン壊滅。そしてジャパン人皆殺しです。
「ジャパン人皆殺し――」
絶句し、しかしすぐに滋は背をむけたまま叫んだ。
「駿河の民‥日ノ本の護りは任せた。頼んだぞ」
「私を誰だと思っているの」
アイーダが凄絶に笑った。
「必ず迦具土神の復活を防いでみせるわ」
●
結局、戻り始めたのはメグレズ、空牙、滋、白蓮の四人であった。
が、彼らの下山行はすぐに終わることとなる。驚異的な速さで牛頭天王が追いついてきたからだ。
「ここから先はいかせぬ」
空牙が疾った。その前を、雪風を裂きつつ疾走するのは白蓮だ。呪力により強化された脚は白蓮に獣並みの迅さをあたえている。
雪片を花びらのように舞い立たせつつ、白蓮が襲いかかった。ただ馳せる牛頭天王には避けえようはずもない。
「くらえっ」
白蓮がセイクリッド・ダガーを牛頭天王の眼に叩きこみ――
あっ、と白蓮が呻いたのは次の瞬間であった。
牛頭天王が霧散した。それが灰であると知るより早く、愕然とした白蓮の身を極太の槍が貫いた。一瞬後、白蓮の身は槍によって斜面に縫いとめられている。
「何っ!?」
空牙が急制動をかけた。ザッと雪煙があがる。
そのもうたる白霞のむこうに、ぬっと巨影が現れた。牛頭天王だ。口にくわえられているのは風祭右京の首であった。
「最古にして最奥の技、とくと味わえ!」
一気に踏み込んだ空牙が北斗七星剣を叩きつけた。凝縮された膨大な闘気により刃が赤光を放つ。大極朧拳最大秘奥義、絶招・闇時雨だ。
戛然!
北斗七星剣が受け止められた。牛頭天王の刃によって。
「くっ」
呻きつつも、しかし空牙は動けない。すべての闘気を一瞬にして放出してしまった故である。
ぎらっと牛頭天王の眼が血色に光った。第二の右手がもつ刃が閃き、空牙の首を刎ねる。噴いた鮮血が狭霧のように空を真紅に染めた。
「おのれっ」
メグレズの刃から衝撃波が噴出した。空間が吼える。
牛頭天王はわずかに身動ぎ、メグレズのソニックブームをかわした。渾身の力を込めたそれは著しく正確さを削ぐ。
が、それはメグレズにとって計算のうちだ。巨体に似合わぬ素早さで一気に間合いをつめる。
「この前の女‥‥生きていたか」
牛頭天王が舌なめずりした。その両刀が唸る。その右刀をメグレズは敢えて身をもって受けた。わずかに急所をずらせて。
「妙刃、水月!」
牛頭天王の刃とすれ違うようにしてメグレズの刃が牛頭天王に叩き込まれた。
やった、というメグレズの心中の快哉は爆発的な衝撃によってかきけされた。牛頭天王の左刀がメグレズを袈裟に斬りおろしたのだ。
「浅かったか」
メグレズが飛び退る。彼女自身の傷はたいしたことはない。
そのメグレズを追って他の腕がのびた。がっしとメグレズの腕をつかむ。
「ううぬ」
背後に回りこんでいた滋が斬りかかろうとし――足をとめた。メグレズを抱きかかえるようにして牛頭天王が振り返った故だ。
「来るか、女」
牛頭天王がニタリと笑った。右刀を青眼に、左刀をメグレズの首に凝し、第二の左右手でメグレズをとらえている。
「お前達は終わりだ」
紅蓮に燃える壁が現出し、滋の視界をふさいだ。そして凄まじい呪力をはらんだ瘴気が噴きあがり、黒龍のように火口へと飛翔した。
●
アイーダとカノンはすでに火口に到着していた。が、肝心の迦具土神の姿はみえない。
「探している余裕はない」
カノンはあらんかぎりの声で叫んだ。
「神に申し上げたい。私は――私たち人は、ここに来るまで多くの者を犠牲にし、助けられなかった。今更都合よく鎮まって欲しいとも、力を貸して欲しいともいわない。だが、人が、人の手で、この国と地を乱してしまった責任を取ることを示す時間が欲しい」
「‥‥」
アイーダが素早く周囲をみまわした。
何の気配もない。ただ不気味な鳴動が続いているだけだ。
アイーダが矢を手にとった。その時である。
世界が軋んだ。としか思えぬような轟音をたてて、天空より飛来した黒い龍のごときものが火口へとすべりこんでいった。
「今のは――」
「静かに」
カノンが制した。彼女の全身は高まりつつある振動と轟きをとらえている。いやそれよりも、二人の冒険者は冒険者たるその本能によって終末的な何かの到来を悟っていた。
「来るぞ」
カノンが飛び退った。
刹那である。火口から炎の柱がたちのぼった。直径数町にも及ぶとてつもない炎柱だ。
ぐらり、と富士が――いや、ジャパンそのものがゆれた。炎柱に貫かれ、たちまち暗雲が晴れてゆく。陽光はまだ中天にあった。
「ジャパンが――滅ぶ」
アイーダが呻いた。
と、炎柱が収束しはじめた。徐々に――そして、それは炎の巨人へと変じた。
「迦具土!」
吼える声が響いた。牛頭天王のものだ。
牛頭天王はくかかと笑うと、
「蘇ったか。よかろう。その身にためた熱量を解放し、この国を焼き尽くしてしまえ」
「いや」
荘厳な声が流れた。炎の巨人――迦具土神から発せられたものだ。
牛頭天王の四つの眼に不審の光がせゆれた。
「いやとはどういうことだ。お前は見てきたはずだ。人間どもの醜さを。お前が命をかけて守ろうとした人間どものな。あのように愚劣な生き物に生きる値打ちなどあろうか。さっさと」
「確かに」
牛頭天王を遮り、炎の巨人が肯いた。
「確かに我は人山津見八神を通じ、世の闇を見た。人の醜さを見た。怒り、悲しみ、嘆きはこの心に刻みつけられている。しかし、我は最後に見たのだ」
「見た? 何をだ」
「希望」
迦具土神はこたえた。
「希望、だと」
「そうだ。いと小さきものであったが、確かにそれは存在した。その希望を信じ、我は今一度人を助けようと思う」
「馬鹿な」
牛頭天王の顔が憤怒でゆがんだ。
「この国どころか、世界すべてを滅ぼすほどの力をもっておりながら虫ケラを信じるだと。愚かな。ならば、もはや何も云うまい。このうえは牛頭天王の全呪力を注ぎこみ、おまえを暴走させてやるわ」
「そうはさせぬ」
滋が叫んだ。
「お前は私達が斃す」
「死にたいか、女」
「たとえ死すとも、後に続く者達がいる」
アイーダが弓の弦を引き絞った。渾身の力を込めて。そして云った。
「その者達がきっと素晴らしい明日を開いてくれる。だから私達は安心して死ねる」
「虫ケラが、ほざくなあ」
「その虫ケラの力」
メグレズが身を折った。同時に牛頭天王の足を払い、背にのせる。
「見せてやる!」
「なにい、小娘!」
怒号する牛頭天王の巨体が空に舞った。殺到するカノンと滋。両肩を脱臼したメグレズは動けない。
二筋の白光が疾った。カノンと滋がたばしらせた刃だ。
通常の牛頭天王ならば難なくさけられた一撃であった。が、投げられた身の牛頭天王にその余力はない。
血しぶきとともに牛頭天王の二本の腕が飛んだ。
直後である。地響きたてて、牛頭天王が大地に叩きつけられた。
「おのれ」
むくりと身を起こした牛頭天王の動きに乱れはない。恐るべき強靭さであった。
が、牛頭天王の口から苦鳴がもれた。流星のように流れたアイーダの矢が牛頭天王のふたつの眼を射抜いたのである。
「くそう、虫ケラどもがあ」
立ち上がった牛頭天王の身が地から噴き上がる炎につつまれた。大地の怒りそのもののような凄まじい紅蓮の炎に。
それが迦具土神のよんだ炎と知り、カノンが牛頭天王に迫った。
「怒りを」
「祈りを」
アイーダが矢を放つ。そして、滋もまた。
「願いを」
三つの光の奔流が牛頭天王を斬り裂いた。
「ば、馬鹿な」
牛頭天王の巨体がよろめいた。その先には灼熱の炎をふきあげている火口がのぞいている。
と――
ぐっと牛頭天王は足をふみしめた。振り返り、
「迦具土よ。お前はきっと後悔するぞ。人間などを信じたことをな」
ニンマリすると、ふらりとよろけた。まるで壊れた人形のように火口へと落ちていく。
「‥‥終わったのか」
疲労にまみれた顔を冒険者はあげた。その眼前で、迦具土神は太陽のように燃えている。
迦具土神が問うた。
「お前達の名は何という?」
「冒険者」
カノンがこたえた。すると迦具土神からある波動が伝わってきた。それは微笑である、と何故か冒険者は思った。
かくして富士は――ジャパンは守られた。
季節は冬。しかし春はもうそこまで来ていた。