●リプレイ本文
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「狼というのはやな」
六と名づけられた幼い狼の背を撫でながら、将門雅は動物誌に抜け目なさそうな眼をむけた。
「賢い獣や。無闇に襲ってくる事は無いけど、縄張りに入るんやから注意は必要やで」
「そうですー」
堀田小鉄がくりくりと瞳をまわした。
「群れで行動とかー、かしらがいるとかー、知能が思う以上に高いとかー。統率のとれた群れは怖いのですー」
「ふうん」
唸ったのはふてぶてしい気を纏いつかせた男だ。
新撰組十一番隊組長・平手造酒である。
「狼について詳しいようだが」
大丈夫か、というような眼をむけると、新撰組十一番隊隊士・朱鳳陽平(eb1624)はこっくりと頷いた。
「こてっちゃんの猟師しての腕前はかなりのモンだ。信用していいぜ」
「そうか。なら」
平手の眼がすうと刃のように細められた。
「気をつけなけりゃならねえ。統率のとれた敵の戦闘力は、単純に個々の戦闘力の和とはならねえからな」
「わかった」
新撰組十一番隊隊士である静守宗風(eb2585)が重々しく頷いた。瞬時にして彼の脳内では仮想戦闘演習がなされている。
ニヤリとしたのは、同じく新撰組十一番隊隊士である将門司(eb3393)だ。面白いなぁ、と彼は云った。
「壬生狼が狼と殺り合うかもしれんのか。白鷺はんは、どう思う?」
「確かに面白いけどよ〜」
司に白鷺と呼ばれた娘が答えた。新撰組十一番隊隊士・所所楽柊である。
柊は首を捻って、
「それよりも朋の云ってた、恐い神様って奴が気にかかるんだよな〜」
「ホロケウカムイ‥‥」
呟いた者がいる。蒼天のように晴れ晴れと明るいパラの少年。マキリである。
すると、ごつい岩が動いたかのように、明王院浄炎(eb2373)が顔をあげた。
「何だ、それは?」
「蝦夷に伝わる狼の姿の神様さ」
「また『神』ですか」
和泉みなも(eb3834)が溜息を零した。
「一体此の国は如何なって仕舞うのでしょうか」
「はは」
マキリが苦笑した。
「まだ本物のカムイかどうかわからないよ。狼がいるのは確かだろうから、ひょっとすると、その親玉みたいのがいるのかもしれないけどね。とりあえず谷に落ちたっていう人を助けることだけ考えればいいさ」
「ふふん」
眞薙京一朗(eb2408)が笑った。
マキリの思考は単純である。が、単一にして、超指向性を与えられた思考が、時として逆境を打ち破る力になる事を、五人目の新撰組十一番隊隊士である京一朗は十分に承知していたのだ。
「ともかくも朋の父親が落ちたという黒い谷にむかうのが急務だ。俺は」
京一朗が立ち上がった。そしてちょこんと端っこに座っていた朋を抱き上げた。
「村にゆく。一緒にいくか」
「うん」
朋は大きく頷いた。
「おじちゃん、強そうだもん。あの酔っ払いのおじちゃんと違って」
「おめえなぁ」
平手が苦く笑い、ニヤニヤしている陽平の頭をゴンッと殴りつけた。
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その日、村に一人の魔女と志士が降り立った。
ジークリンデ・ケリン(eb3225)。フレイムエリベイションによって精神を高揚させた彼女は、光背を背負っているかのように光り輝いて見える。
そしてもう一人はみなも。可憐な少女に見えるが、その実、端倪すべからざる水操師である。
ジークリンデがババ・ヤガーの空飛ぶ木臼から身を降ろすと、数人の村人が恐る恐るといった様子で近寄ってきた。
「ジークリンデ・ケリン。冒険者です」
名乗り、ジークリンデは事の次第を語った。すると村人の一人が走り去り、ややあって一人の女を伴って戻ってきた。
「朋が京に行ったというのは本当ですか」
噛みつかんばかりの勢いで女が云った。どうやら朋の母親のようだ。憔悴している。
「はい」
頷くと、みなもは新撰組隊士が朋を送り届ける予定である事を告げた。女――母親はほっと胸を撫で下ろし、
「良かった。ひょっとして黒帝にやられてしもうたんやないかと」
「黒帝?」
「狼の親玉だ」
声がした。女のものだ。
振り返ったみなもとジークリンデの視線の先、一人の女が立っていた。三十代後半の美しい女で、どっしりと落ち着いた物腰がある。
何者か、という二人の視線に答えるように、女は村長だと名乗った。
「もし黒い谷に行くなら、黒帝を斃してくれ」
薄ら笑いを浮かべて村長が云った。
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「恐い神‥‥静守はん、どう思う?」
村にむかう唯一の街道を辿りつつ司が問うた。宗風は前を見据えつつ、
「神かどうかは分からんが、恐れるに足る何かがあるからこそ、それを恐れるのだろう。‥‥が、何がいようとかまわん。存命しているなら、何としても朋の父親は朋の元へ送り届ける。帰るべき場所がある者は、そこへ帰るのが一番の幸せだろうからな」
云った。その決然たる語調の中に含まれるどこか寂しげな響きを聞き取って、司は怪訝そうな眼をむけた。
「静守はん‥‥どうかしたんか?」
「いや」
かぶりを振り、それに比べ俺は、という言葉を宗風はのみこんだ。
「うん?」
突然司が足をとめた。そして身を屈め、一本の矢を拾い上げた。
「どうやら、ここで狼に襲われたようやな」
辺りを見回しながら司が云った。折れた数本の矢が見える。戦闘の跡だ。
「そうなると、ここら辺りで谷に落ちたはずやけど」
司は云った。その間も警戒は怠らない。
狼は狩りをするに長けた獣である。不意打ちなどくらわされてはたまらない。
「ああ」
宗風が谷を覗き込んだ。
思ったより深い。が、斜面はなだらかである。木に掴まれば下りる事ができるかもしれない。
「よし、落ちた痕跡を探すぞ」
宗風は云った。
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「朋!」
母親が朋を抱きしめた。今にも泣き出さんばりの風情だが、当の朋はきょとんとしている。
「あほ!」
母親が叱った。
「黒帝?」
陽平が聞きとがめた。すると、その前に一人の女が立った。村長だ。
「新撰組のお人だね」
陽平の纏った浅黄色の羽織に眼を遣り、村長が云った。
「あんた、誰だ?」
「村長だ」
「ふうん。なら、話が早い」
陽平は、今聞いた黒帝について村長に尋ねた。すると村長は微かに顔を顰め、ジークリンデに話した内容を繰り返した。
「そいつが朋の親父を襲ったんだな。で、その黒帝って奴の事だが‥‥被害者は啖われちまったりしてるのか」
「いや」
村長は首を横に振った。
「噛み殺されちゃいるが、ね」
「殺すだけ、か‥‥」
陽平は眉をひそめた。
もし襲われた村人の肉が啖われているなら、理解できる。冬場、飢えた狼が人を襲う事例はあるからだ。
が、違う。狼は人を啖ってはいない。となれば、狼の襲撃には表に見えぬ理由があるという事だ。
「その黒帝って野郎が襲って来るのに、何か心当たりはねえのか。縄張りに踏み込んだとかさ」
「知らぬ」
冷然たる語調で村長が答えた。
「‥‥観月谷?」
京一朗が問い返すと、朋の母親から紹介された村の古老はうむと頷いた。
「今では誰もが黒い谷と呼んでおるがの。それがもとの名じゃ」
古老が答えた。友の母親の紹介という事で、どうやら口が軽くなっているらしい。
「漆黒の巨狼の住まう谷‥‥故に黒い谷か。よほど村の方々は黒帝を恐れていらっしゃるようだ」
「ではない」
古老は皺深い顔を振った。
「村の者が‥‥いや、わしら年寄りが恐れているのは、大口真神様じゃ」
「大口真神?」
京一朗の眼がきらりと光った。
「どうやら神の御名のようですが」
「そうじゃ。観月谷の真の支配者。それが大口真神様じゃ」
告げて、しかしすぐに古老は生かったに、さらには寂しげに口を歪めた。
「ふん、誰も大口真神様の存在など信じぬようだがな。だから村長め、猟域を広げる為、神域を冒しおった」
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浄炎とマキリ――セブンリーグブーツを使用したものの、蒙古馬の鋼盾に歩調をあわせていたため、多少遅れた――が着いた時、すでにその場には宗風と司、ジークリンデとみなもの姿があった。
「落ちた場所の特定はできたのか」
浄炎がごとりした声音で問うた。するとジークリンデが一枚の紙片を開いて、見せた。
「村の人達に聞いたみたのだけれど、この辺りで間違いはないようです」
「ふむ」
浄炎が云った。
風のそよぎ、緑の匂い。本来静謐で、かつ命に満ち満ちているはずの大自然の中で、この辺りだけがざわついている。それを浄炎のみは感じ取った。
「ジークリンデ、観えるか?」
「いいえ」
蒼の瞳を、さらに蛍火のように蒼く光らせ、ジークリンデがかぶりを振った。彼女はテレスコープの呪により超望遠の能力を得る。が、崖下は木が生い茂り、見通しはきかない。
「ここをおりるしかあるまいな」
浄炎がぼそりと呟いた。
陽平の前に、血の滲んだ布を身体中に巻いた一人の男が横たわっている。黒帝に襲われ、生き残った村の男だ。
「聞かしちゃくれねえか、襲われた時の事を」
「話す事はない」
男が震える声で答えた。
「黒帝に襲われた。そして俺以外の者はすべて殺された。それだけだ。人の知恵と獣の牙をあわせたもつ化け物に人間が敵うはずがねえ」
嘆くが如く、男が呟いた。
「あっ」
ひび割れたような声が発せられた。宗風の口から。足を滑らせたのだ。
紐から手が離れ――ひゅうと飛んだ縄ひょうの刃が木に巻きつき、宗風の身を支えた。
「大丈夫か、あんた?」
「す、すまぬ」
「静守殿、これを」
木の枝からはずした紐を、フライングブルームに横座りしたみなもが宗風に手渡した。
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二人の翔ぶ者達が、風をまいて低空におりてきた。
「いました!」
ジークリンデが叫んだ。テレスコープとインフラビジョンの併用により、朋の父親を見出したのだ。
「どこだ!」
浄炎の叫びに、ジークリンデは指で指し示して答えた。
「待ってください!」
走り出しかけた皆を、みなもが制止した。足をとめた司が顔をあげた。
「どないしたんや、みなもはん?」
「一瞬だったのですが‥‥修験者の姿が見えました」
「何っ!」
司だけでなく、宗風の口からも愕然たる呻きがもれた。
修験者。それは彼ら二人には特別な意味をもつ。
「急げ!」
雷に撃たれたかのように宗風が駆け出した。
「いたぞ!」
駆け寄り、浄炎が血まみれの男を抱き起こした。
「まだ息はある。おい」
浄炎が男を揺さぶった。すると男は微かに眼を開いた。
「朋の父御だな」
「あ‥‥」
男が小さく頷いたようだ。浄炎は無造作に袖を千切り取ると、男の傷口にまきつけた。
「娘御が待っているのだ。気をしっかり持て」
叱咤するように浄炎が云った。
朋の父親は生きていた。が、傷は深い。死んでいてもおかしくないほどの傷だ。
それが生きていた。そして、ここまで這いずってきた。生きて帰る為に。朋を再び抱く為に。
「その想い、無駄にはせぬ。必ず朋のもとに届けよう」
「よし」
薬水を含ませ、さらには自身の防寒衣をかぶせて、宗風は朋の父親を背負い上げた。
その時、宗風はマキリがしきりに鼻をひくつかせている事に気がついた。
「どうしたのだ」
「獣の匂いがする」
「!」
はじかれたように、一斉に冒険者達が身構えた。
その時だ。彼らの眼前に、ゆらりと獣が姿を見せた。
狼だ。それも一匹ではない。十数匹はいるだろう。
「おもろい」
ニヤリと笑った司の腰から二条の眩い白光が噴いた。
刹那、動いた。数匹の狼が。
迎え撃つ閃きは四。刃が太陽の怒りの如く踊り、矢が月光の憐憫の如く疾る。
「ギャン!」
四匹の狼がもんどりうって倒れた。
「どうや、狼の中には蛇はおるんやで」
司が会心の笑みを浮かべた。
が、みなもは次なる矢をすでに番えている。そのみなも眼に、恐怖に近い色を見とめて、慌てて司は振り返った。
「ぬっ!」
司の口から只ならぬ声がもれた。
彼の眼前、異様なモノがいる。闇が凝ったような毛並みの漆黒の狼だ。
「これは‥‥」
司が声を失った。
漆黒の狼のとてつもない体躯の大きさはどうだろう。大型の肉食獣ほどもあり、優に並みの狼のそれを数倍していた。
さらには、その眼。鬼火のように青白く爛と光っている。
「黒帝――」
ジークリンデが息をひいた。爆炎惨禍の魔術師と恐れられている彼女をして怯ませる凄絶の何かを、漆黒の狼――黒帝はその身から放射しているようだった。
その殺気に触発されたか、みなもが矢を放った。空気を裂いて流星のように飛んだそれは鋭く剛く――しかし黒帝は陽炎と変じたかのように身を捻ってかわした。そして、そのまま黒帝は一陣の颶風と化してみなもに殺到した。
「しゃあ!」
地を滑るようにして司が黒帝に肉薄した。
今、相打つは蛇と狼。一方は牙、一方は刃を牙と変えて。
きらり。
光を乱反射させて、司の小太刀がはじきとばされた。黒帝は地に降りざま、次の跳躍に備えて身をしならせ――
その黒帝の眼前に、マキリが躍り出た。ひゅうと縄ひょうで旋風巡らせながら。
「やらせないよ!」
「小僧」
「!」
驚愕に、マキリの手がとまった。
今、小僧と呼んだのは黒帝ではなかった。いや、まさか、しかし――
そのマキリの疑念を打ち壊すかのように、黒帝の口が再び開いた。
「小僧、邪魔スルナラ殺ス」
「おまえ‥‥」
逡巡は一瞬、すぐさまマキリは再び縄ひょうを振り回しはじめた。
「死ぬのは嫌だけど、逃げるのはもっと嫌だ」
「よう云うた」
ずうんと、浄炎が進み出た。闘気をやどした彼の身体は薄紅色に燃え上がり、その一歩毎に大地を揺るがしているかのようだ。
「この俺も退く事はない」
「ヨカロウ」
黒帝の身が躍り上がり――
いや、一瞬早く、轟きが響き渡った。
それは狼の咆哮のようだ。が、そのような狼の雄叫びが本当にあるものなのか、どうか。
ひしりあげられたそれは凄まじく、その場にいた者全ての魂を震わせた。その咆哮はいっそ神々しいといってよいほどで、冒険者全員を打ちのめし、魅了している。いや、あの黒帝ですら、すでに身動きもならぬ。
ややあって――
黒帝の口が開いた。
「見逃ガシテヤル。村ニ戻ッテ伝エヨ。皆殺シニシテヤルトナ」
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立ち去りかけた新撰組十一番隊と冒険者であったが、遠い声に気づき、足をとめた。
「あれは――」
京一朗は眼の上に手をかざした。
遠く小さな人影が見える。懸命にこちらにむかって駆けてくるようだ。
「朋、か?」
京一朗が声をもらした。
小さな人影がやや大きくなり、顔が見てとれるようになった。間違いなく朋だ。
「おじちゃん!」
飛びつくようにして朋が京一朗に抱きついた。
「どうした、朋坊?」
「お礼‥‥云ってなかったから」
はあはあと荒い息をつきつつ、朋が云った。
「お礼など‥‥」
京一朗が苦笑した。
「そんなものはいらぬ。それよりこんなところまで一人で‥‥危ないではないか」
「村の人もそう云ってたけど、母ちゃんがいってこいって云ってくれたから」
「そうか」
宗風が肯いた。その宗風を見上げ、朋が問うた。
「もう会えないの?」
「いや」
宗風はかぶりを振った。
「今度はおまえを守る為、俺達は必ず戻ってくる」
宗風は云い――
朋はにっこりと肯いた。