●リプレイ本文
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中天に太陽は燃え、初夏というのに降りそそぐ光は灼けるように熱い。風が涼やかであるのがせめてもの救いだ。
七人の冒険者達は、濃い緑の中、村へと向かっていた。
「俺はどうも腑に落ちぬのだ」
ぽつりと、一人の壮年の男がもらした。紫色の華国風の衣服を纏った、岩のような体躯の持ち主で、踏み出す歩一歩に溢れる精気を噴き零している。
明王院浄炎(eb2373)。戦い忘れた者の為の牙たりうるを目指す彼は、
「山と共に生きる者が、何故その様な愚かな事に手を染めたのかが」
云った。
前回の冒険において、騒動の端緒が村人の行動である事を冒険者達は掴んでいる。山の民として本来敬うべき神域を、村人自らが冒したのだ。
「黒帝だって変だよ」
マキリ(eb5009)がこつんと石を蹴った。
「黒帝が村人を激しく攻撃するのは何でだろ? 神域を侵しただけなら俺達だって谷に入ったし」
「もしかすると」
突然、朱鳳陽平(eb1624)が足をとめた。新撰組十一番隊隊士である彼は、金色の光を放つ眼を僅かに開いた。
「修験者がからんでいるのかもしれねえ」
陽平は云った。
前回和泉みなも(eb3834)が一瞬目撃した修験者が、もし岩戸山の村に現れた修験者と同一人であるのなら、事はどす黒い様相をおびる事となる。何となれば、その修験者どもは石押分之子なる国津神を復活させる為、多くの村の娘を生贄としていたからだ。
うむ、と肯いたのは浅黄の羽織を身につけた、怜悧な面持ちの侍だ。
新撰組十一番隊隊士。名を眞薙京一朗(eb2408)という。
「神の宿る地に修験者とは、また気に入らぬ組み合わせだ。よもや残党か?」
「その可能性はあるな」
ぼそりと答えたのは、ひやりとする剣気を漂わせた男で。まるで漆黒の死神を想起させる、新撰組十一番隊隊士であるこの男――静守宗風(eb2585)は口をゆがめると、
「今度は大口真神を蘇らせるつもりか」
「いや」
京一朗はかぶりを振った。
「大口真神はすでに在る、と俺は見る」
「何っ」
宗風の表情が微かに変わった。ものに動じぬこの男にしては珍しい。
「神は、すでに在ると?」
「ああ。黒帝達を抑えた咆哮‥‥気になる」
「確かに、な」
四人目の新撰組十一番隊隊士、将門司(eb3393)が思案深げに眼を眇めた。
「俺は直接黒帝と刃を交わした。せやから、わかる。あの黒帝を抑える事のできる者は――」
「ふん」
ウィルマ・ハートマン(ea8545)が、騎士らしくもない冷笑を浮かべた。
「黒帝だか何だかしらないが、獣は獣、悪霊は悪霊だろう。神など、信者がいればイワシの頭でも悪魔でもなれる」
「どういう意味や?」
「単純に畏れ入る事などないという事だ」
ウィルマはさらに冷笑を深くした。そして女とは思えぬ凄愴の光を眼にためた。
「俺はやるぞ。人を殺した獣は可能な限り狩るべきだからな」
「待てよ」
眉を逆立て、陽平がウィルマの前に立ちはだかった。
「ちいっとお前さんの思考は危険だな。俺達が相手にしようとしてるものは単なる獣にあらず、神や精霊だぜ。下手に手出ししようものなら、交渉どころの騒ぎじゃなくなっちまう」
「交渉か」
ウィルマがぎらと陽平を睨みつけた。
「その言葉、狼に殺された遺族に云えるか? ただの獣でなければ許されるなど、ジーザス教にでも云ってやるんだな。ふん」
ウィルマは再び笑った。嘲りの混じった笑みを。
「新撰組は鬼より恐い‥‥というから、どれほどのモノかと思っていたが、存外にあまい」
「何だと、てめえ!」
陽平がウィルマの胸倉を掴んだ。
と、その腕を掴んだ者がいる。浄炎だ。
「ここで争ってどうなる? その闘志は後にとっておけ」
静かな声音で浄炎が云った。
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パラの浪人、橘一刀がどさりと書物をおいた。ふわりと埃が舞い立つ。
薄暗く、ひんやりとした御所の図書寮。みなもはふうと溜息を零した。
「何かわかったのか」
一刀が問うた。
「少しは」
みなもは答えた。
朝から図書寮にこもり、みなもは大口真神と眷属について調べていた。が、わかったのは神話上の伝承のみだ。
「大口真神は狼の姿をした神のようですね。人の言葉がわかり、人の本質を見抜く力をもっていたようです」
「狼――大神か」
大神総一郎がぽつりと呟いた。
「古来、そのようにじゃぱんの人々はとらえていた。その事は陽平にも告げたが」
ある種の感慨を込めて総一郎は云った。彼の属する御影一族の別名は天狼という。総一郎の姓である大神はそこからの派生であった。
「しかし神の理と人の理‥直接交わって、いい結果になった話は聞かねぇな」
書物から顔をあげ、所所楽柊は溜息を零した。凝った首を音をたてて動かす。
近年、突如姿を見せ始めた神々。井氷鹿、石押分之子、さらには猿田毘古神など、あまり人と良い関係は結べていないようである。
「それじゃあアカンのやろけど」
将門雅が肩を竦めてみせた。
本来ジャパンは八百万の神々が住まう国、人と神の共存する知でった。然るに昨今のジャパンはどうだ。人は神を敬う心をなくし、自然を我が物顔に蹂躙している。
「問屋に聞いてみたんやけど、確かに村からの毛皮の流入が増えているらしいわ」
「村の規模を考えるに、生活するに困らぬ範囲を超えているようです」
巫女姿の清楚な女性が付け加えた。名を明王院未楡といい、彼女は浄炎の妻であった。
「ねえ」
未楡が玄間北斗に微笑みかけた。元来、未楡は他人との交渉事は得手ではない。それを補ってくれたのが飄然たる忍びの北斗であったのだ。
北斗が片目を瞑ってみせた。
「なのだ」
「そう」
みなもが小首を傾げた。
「おそらくは村長の指示なのでしょうけど‥‥村長とはどのような人物なのでしょうか」
「なかなかのやり手らしい」
マイユ・リジス・セディンが答えた。
「前村長の娘であるらしいが」
「父親は穏やかなだけが取り柄の人物であったらしゅうござるな。それが亡くなり、後を継いだようでござる」
鳴滝風流斎が云った。すると九烏飛鳥が灼熱色の髪を揺らし、勝気そうな眼をあげた。
「その村長、おかしいで」
「おかしい?」
問うみなもに、飛鳥が肯いてみせた。
「その村、そう貧しくはない。せやのに神に喧嘩売ってまで猟域広げよういうのは、どう考えても変や」
「そうですね」
しばらく沈思すると、やおらみなもはフライングブルームを手に立ち上がった。そろそろ発つべき時が来た。
「村長の名は確か仙。‥‥じっくり見てきます」
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「新撰組よりお願い申し上げる。今暫く我等に猶予を頂けまいか?」
「何だって?」
村長宅。三十代後半の年頃の美しい、落ち着いた物腰の女が眉をひそめた。村長の仙である。
「馬鹿な」
仙の眼に険がはしった。
「これは村の事だ。余計な口出しはやめてもらおう」
「とは、いきませぬ」
京一朗の、湖面の如き聡明な瞳が村長を見返した。
「都への物流や人足を守るも治安維持の一貫。新撰組としても見過ごしにはできませぬからな。また朋の父御達の件に関しても調査の命が下り申した。故に、我ら隊士の妨げにならぬよう、其の間騒ぎをおこさないでいただきたい」
「ううぬ」
仙は歯を軋らせた。
黒帝討伐の出鼻を挫かれたようで業腹だが、相手は新撰組だ。下手に逆らうわけにはいかぬ。
「わかった。しばらく騒ぎはおこさないでおこう。が、それも僅かの間だ。いくら私でも、そうそう村の者をおさえておく事はできぬからな」
「承知した」
京一朗は立ち上がり、村長宅を後にした。
刹那、京一朗は肌がそそけ立つのを覚えた。
殺気だ。村に満ち溢れている。
「悠長な事はしていられぬな」
向かい風むかい、京一朗は足を歩みだした。
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黒い谷。
その渾名通り、木々は鬱蒼と茂り、樹下は薄闇のような暗さだ。
その暗き中、ウィルマは地にしゃがみ込んでいた。
「どうした?」
「足跡だ」
マキリの問いに答えると、ウィルマは足跡に眼を近づけた。
痕跡一つあれば、ウィルマにはおおよその事はわかる。数や体格、さらには健康状態に年齢までも。その朝に何を食したかまで判別できる。
「うん?」
一際大きな足跡がある事にウィルマは気づいた。おそらくは黒帝のものだろう。森の奥へと続いている。
さらには幾つかの人の足跡。こちらも最近のものだ。
「そこが営巣地か」
ウィルマは立ち上がった。そして仲間を呼び寄せる。
「大体の当たりはついた。迂回して営巣地を目指そう」
「へえ」
マキリが感嘆の声をあげた。自然を友とするカムイラメトクでもそこまではわからない。
「でも迂回しなくてもいいんじゃないかなあ。このまま歩いていけば、むこうから出てくるだろ」
「出迎えてもらう必要はない。追い詰めるのは俺達の方だ」
云い捨てると、ウィルマは振り返りもせず足を踏み出した。
キャッキャッ騒ぎながら、子供達が遊んでいる。凄惨な事件が続いたこの村には珍しい事だ。
と――
そう思って良く見れば、違う。皆子供ではない。中に一人、大人が混じっている。見た目は子供と変わらぬような――みなもであった。
「はあはあ、次は自分が鬼ですよ」
荒い息をついてみなもが両手を振り上げると、子供達が歓声をあげて逃げ出した。それを追おうとして――
ふと、みなもは足をとめた。そして首を傾げる。
(何してるんでしょうか、自分は‥‥)
みなもは駆け回る子供達を眺めた。どの子供の顔にも笑顔が溢れている。それは命の煌きだ。
みなもの金銀妖瞳が輝いた。太陽と月の光を集めたように。
今は共に遊ぼう。小さな魂にはそれが必要だ。
「捕まえますよ」
子供達を追って、再びみなもは駆け出した。
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「この先だ」
ウィルマが仲間をとめた。
谷の奥。冒険者が辿ったのは獣道であった。
「営巣地があるはずだ」
「おめえはどうするんだ?」
陽平が問うと、ウィルマはふんと笑った。
「心配するな。面倒事が起きれば援護してやる」
「そうかよ」
顔を背けて歩みだした陽平だが――宗風が不審な面持ちで佇んでいる事に気づき、足をとめた。
「どうしたんだ宗風サン」
「修験者の事だ」
宗風が眼をあげた。
「森の奥に続く足跡は村人のものではなかろう。となれば考えられるのは修験者だが‥‥何故、奴らは黒帝に襲われぬのだ?」
京一朗はゆったりと口を開いた。
「黒帝と話しました」
「何っ」
老人の顔が強張った。
「馬鹿な。あれは確かに頭はエエが、まさか口をきくはずが‥‥」
老人が声を途切れさせた。京一朗の眼から、それが冗談ではない事に気づいたのだ。
老人は震える声を出した。
「本当なのか、それは」
「ええ。どうやら黒帝は村の者を根絶やしにするつもりであるようです」
「恐ろしや」
老人が手を合わせた。
「もしおぬしの話が本当ならば、黒帝はきっと大口真神様の使いじゃ。その使いに逆らうなど‥‥わしたちは何という事をしてしまったのじゃ」
「だからこそ、我らが来た」
京一朗が老人の手を掴んだ。
「事をおさめる為に教えてほしい。村長の様子に、最近変化が無かったか。もし有ったとするなら、其れは狩場を広げ始めた時期と合致しないか」
「そういえば‥‥」
記憶をまさぐるように、老人が眼を瞬かせた。
「仙は、いやに強気になりおった。修験者に護摩供養をしてもらってからな」
「修験者!」
闇天の星のように、京一朗の眼がぎらと光った。
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むくり、と巨大な闇が身を起こした。
漆黒の毛並みを持つ巨狼。黒帝である。
「ホホウ」
黒帝の口が歪んだ。笑ったように見える。
「コノ前ノ人間ドモダナ。殺サレニ来タカ」
黒帝が云った。瞬間、数十匹の狼が散開し、低い唸り声をあげる。煮え立った獣気が辺りに満ちた。
「待て!」
司が片手をあげた。
「黒帝! 俺らは闘いに来たんやない。話をしに来たんや」
「話、ダト」
「そうだ」
陽平が両手をあげた。戦意のない証として。浄炎も宗風も得物を放し、傍の木に立てかけた。
「ここには大口真神が住まうと聞く。神聖な場を血で穢すのは冒涜になってしまうからな」
陽平が云った。
その瞬間だ。黒帝の身から急速に殺気がひいた。どうやら大口真神の一言がきいたようである。
「話トハ、何ダ」
「理由を訊きたいんだよ」
マキリが云った。
「今回の争いを、カムイ達が理不尽に起こしてるものと思えないだ」
「何か理由があるんやろ、賢き獣よ」
「知ッテ、ドウスル」
司にむかって、黒帝はぞろりと牙を剥き出して見せた。
「村ガアル限リ、コノ地ハ穢サレ、蝕マレテイクダロウ。人間、滅ブベシ」
「待ってくれ」
浄炎が声をあげた。
気迫のこもった音声。空気すら震わせたそれに、黒帝がちらと眼を動かした。
浄炎が一歩踏み出し、云った。
「神は――大口真神は善人を守護し、悪人を罰する存在として畏怖を持って信仰されし神。ならばわかるはずだ。村の中にも善き心を持つ者がいる事が。山の掟は自然との共存共栄。それを破った村に責はあるかもしれぬ。が、その善き心をもった者に責はない」
「どうして、そんなに村を憎むの?」
問うたマキリであるが――すぐに、彼ははっと眼を見開いた。
黒帝の背後の樹の陰。一匹の子狼が横たわっている。
黒帝と同じ漆黒の毛並みを持つ子狼。どうやら瀕死の傷を負っているようだ。
「まさか」
はじかれたようにマキリは顔をあげた。
「聞いて、黒帝。もしかしたら、この地のカムイを利用する為に村人――」
刹那、何かが空を裂いて飛んだ。
一瞬後、二つの影が動いた。一つは横に飛んだマキリであり、もう一つは抜刀しつつ地を馳せた宗風である。
二つに切れた錫杖が地に落ちた。
「うぬら!」
宗風の刃のような視線が飛んだ。その先――数名の修験者が佇んでいる。
「生きておったか」
一人――能面に似た仮面を被った修験者がくつくつと嗤った。
その時だ。突如、仮面が割れた。
ウィルマの矢の仕業――そうと気づくより早く、冒険者達は愕然たる呻きを発している。
仮面の下から現れたもの。それは人のものではなかった。
干からびた土色の皮膚。木乃伊の顔だ。
「黄泉人!」
反射的に陽平が七支刀に手をのばした。が――
陽平の指は凍結した。森を――いや、世界全てを震撼させるかのような、天にむかってひしりあげられた雄叫びの為に。
「どうやら神はお怒りのようだ」
黄泉人は唇の端をニィと吊り上げた。
「この地で争うのはまずかろう。ここは退散するとしようか」
修験者達が背をむけた。そうと知っても冒険者達は動かぬ。
いや、一人――
陽平のみは、遠くなる黄泉人の背にむかって指を突きつけた。
「てめえらの勝手にゃさせねえぞ。必ず新撰組が守ってみせる」
「何ヲ守ルツモリダ」
黒帝の眼が鬼火のように光った。対する陽平に怯えはない。むしろニッと笑うと、
「神域を冒した者が仕方ねえが、何も知らぬ者へは手は出させねえ。それから、おめえらにも」
「デキルカ」
「できる!」
陽平は、握り締めた拳を顔の前に掲げてみせた。
「新撰組は、正しき者を守る剣であり、盾だ」