●リプレイ本文
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「みなも殿」
「はい?」
呼びかける声に、少女が振り返った。
いや、少女ではない。身の丈こそ子供のそれだが、面にはほんのりと大人の女の艶のようなものがある。
和泉みなも(eb3834)。パラの志士である。
「一刀殿」
「気をつけてな」
橘一刀がみなもをひしと抱きしめた。みなももまた一刀を抱く。その真心を。
「黄泉人が神を利用して何かを企んでいるようなのです。思い通りにさせる訳にはいきません」
告げると、みなもはフライングブルームに跨った。
青空に染み入るように遠くなるみなもの背を見送り、所所楽柊(eb2919)はほっと息をついた。
「宗風サン」
呼びとめた。
ふっと足をとめ、ゆるりと振り向いたのは虚無の翳のある、しかし強い光を眼にためた男であった。
静守宗風(eb2585)。柊と同じく新撰組十一番隊隊士である。
「どうした」
「これ」
柊が身代わり人形を差し出した。そして仏頂面で、
「好きな時、好きな場所に帰ればいいんだぜ? 俺は勝手に追いかけて、遅れてでもそこに行きたい。知らねぇうちにあんたが消えたら困る俺が居る、それだけだ」
「ふっ」
宗風が笑った。
「俺にそのようにものはいらぬ。いや、此度だけはもつわけにはいかぬのだ」
「えっ」
柊の顔色がやや変わった。宗風が何かとんでもない覚悟をもっていると直感したのだ。
「宗風サン!」
「所所楽」
身代わり人形ごと、宗風は柊の手を握り締めた。
「それはお前がもっていろ。帰る場所がなくなっては困る」
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みなもを追うように江戸を出立したのは七人の冒険者であった。
即ち柊、宗風、ウィルマ・ハートマン(ea8545)、朱鳳陽平(eb1624)、明王院浄炎(eb2373)、眞薙京一朗(eb2408)、将門司(eb3393)。
馳せる京一朗の口から声が流れる。
「家族を護り仲間を護り、生活を守る。其は人も獣も同じ道理。領域を侵した代償を払う‥理屈じゃない。裏に謀があろうとも此度彼達をただ庇う訳にはいくまいな。それにだ」
十一番隊士である京一朗の眼がぎらりと光った。
「守る為に必ず戻る――交わした子供との約束を守るのは‥大人の努めだろう?」
「その通りや」
これも十一番隊隊士である司がふてぶてしくニヤリとした。
「せやけど観月谷が火事とは、どうにも妙や」
「ああ」
京一朗が肯いた。
「村長達も山を失う手段を取るに利は無い。となれば、恐らくは修験者達の謀。鎮火が奴等にとっての誤算であっても其を転じ黒帝達を煽る事が出来る‥どちらにせよ、得だ」
「黒帝は嵌められたな」
告げる宗風の声音は苦いものを含んでいた。
「真に討つべきは黄泉人だ。黒帝は利用されているに過ぎん」
「くそっ」
ぎりっと陽平――彼もまた十一番隊隊士である――は歯を軋らせた。
「奴らの狙い、だいたいわかったぜ。だが十一番隊の耳に入ったが運のつき、ぜってーぶっ潰す!」
疾風のように地を疾駆する陽平が拳を突き出した。放たれた高密度の闘気が空間を震わせ、世界が哭く。
「俺は谷にゆく」
浄炎が云った。
「おそらく黒帝を真に止める事が出来るは大口真神のみだろう。ならば黒帝を止めるには神に拝見し、誤解を解かねばなるまい。伝承が正しくば、人の本質を覚る鋭き感性を持ちし神。我らが心正し真実を持ちて向えば、あるいは判って貰えるやもしれぬ」
「俺もいくぜ」
陽平が吼えた。が、薄い笑いが冷え冷えと陽平の背をうつ。ウィルマだ。
「若さ、という気にはならんな。人命を捨て置きまず功を求めるか。なるほど。なんとも効率的でよろしいな」
「何だと」
ザッ、と。土煙をあげて陽平が足をとめた。
「誰が人命を捨て置いた?」
「違うのか」
ウィルマが冷たく陽平を見た。
「村が狼に襲われるかもしれないというのに、のこのこと谷にむかおうとしているではないか」
「狼をとめる為だ」
「違う!」
ウィルマが冷笑した。
「おまえはちっぽけな命を救う事よりも、大きな事を成し遂げたいだけだ」
「野郎!」
陽平の拳が唸った。
一瞬後、肉と肉が相打つ音が響き、陽平の拳は掌に吸い込まれている。司の掌に。
「朱鳳はん」
司はニヤリとした。
「やめとき。それからウィルマはん」
司は刃のような視線をウィルマに転じた。
「俺達は村人も大口真神も諦めたりせえへん。それが十一番隊のやり方や」
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「何をしている?」
鞭のような響きの声がとんだ。
はっとして振り返ったみなもの眼前、一人の女が立っている。
三十代後半の美しい女。村長の仙である。
「冒険者だな。何の用だ」
「警告に参りました。狼が村を襲おうとしております」
「狼が村を? ふふん」
仙が嘲笑った。
「馬鹿な事を」
「馬鹿な事ではありません。森が焼かれ、狼は怒っております。狼達が襲って来る前に非難を」
「黙れ」
仙が冷たく云い放った。
「これ以上村の事に口出しさせぬ。放っておいてもらおう」
「しかし」
みなもが口を開きかけた、その時――
只ならぬ気配を気配をみなもは感得した。地をどよもし迫り来る何かを。
「来ましたね」
六尺は超そうかという巨大な弓に、みなもはすると手をのばした。
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谷は静かであった。まるで生き物全てが死に絶えてしまったかのように凍りついている。
「気をつけろ」
宗風が命じた。この谷には黒帝のみならず黄泉人と修験者が潜んでいる可能性があるのだ。
「わかってる」
鬼相の惣面をつけた司が左手を太刀の柄にかけた。普段右利きの彼だが、新撰組隊士として活動する時のみ左利きとなる。戦場における毒蛇たる司ならではの業だ。
その時、
「黒帝!」
陽平が呼ばわった。が、応えはない。のみならず何の気配も。
「まずいな」
陽平は唇を噛んだ。すでに黒帝が谷から出たという事は、村が危難にさらされているという事だ。もはや一時の猶予もない。
が、何を思ったか浄炎のみが一本の樹木の根元にしゃがみこんだ。
「すまぬが、先にいってくれ」
背をむけたまま浄炎は云った。
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流星が疾った。
ぴたりと狼の脚がとまった。その足元に一本の矢が突き刺さっている。みなもの放った矢だ。
「逃げて! 早く!」
みなもが絶叫した。
狼の数が多すぎる。さしも弓の超越者たるみなもであっても、とてものこと一人で牽制しきれるものではない。
その時みなもは気づいた。仙が呆然と立ち尽くしている事を。
「何をしているのです。早く逃げてください」
仙を庇ってみなもが立った。
その彼女の鼓膜をうった叫びがある。朋のあげた悲鳴だ。
はじかれたようにみなもは矢を番えた。が、間にあわぬ。のみならず、みなもの虚をつくように狼が踊りかかり――
「ギャン」
二匹の狼がはじきとぱされた。
「あっ」
みなもの眼がかっと見開かれ――満面が輝いた。
そこに、刃をだらりと下げた二つの影があった。
京一朗と柊。希望の風とともに来る。
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木々は鬱蒼と茂り、零れるのはわずかばかりの木漏れ日のみだ。
その中をゆく冒険者達は身を強張らせた。強まりつつある異様な気の為だ。
清冽荘厳な霊気。神気である。
そして――
冒険者達は足をとめた。眩く光る金色の毛並みをもった、黒帝をさらに数倍した巨大な体躯をもった狼の前で。
陽平が口を開いた。
「大口真神か」
「そうだ」
金狼――大口真神の、深淵のような金色の瞳が動いた。
「人の子らよ、何をしに参った?」
「話をする為や」
司が黄泉人の暗躍について告げた。
「奴らは、この山火事であんさんらと村人を対立させようとしてるんや。嘘やない。奴らが石押分之子を反魂法で神降ろしまでしたんを俺らは見たんや」
「口は重宝なものだ」
大口真神が口をゆがめた。
「お前たちの云う事など証のある事ではない。それに、たとえ山火事が黄泉人の仕業であったとして、山を穢し、獣を殺戮したのは村の者の意思であろう」
「違う」
宗風が低い声で否定した。
「村の者も踊らされているのだ」
「愚かな」
大口真神の口が、憫笑の形に再びゆがんだ。
「お前たちは人の本質を知らぬ。利己的で貪欲、残忍。黄泉人などいなくとも、村の者はいずれ本性をむき出しにしたであろうよ」
「‥‥」
冒険者達は声を失った。大口真神の云う事はある意味真実であるのがわかっているからだ。
彼らは何度となく見てきた。人が平然と他者を殺し、踏みにじり、嬲る様を。人はもしかすると、この世で最も悪しき存在なのかもしれない。けれど――
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京一朗と柊は狼の群れに飛び込んでいた。背を合わせて戦うという戦法はあっさりと捨てている。村人達を襲い始めた狼をとめるには個々に動くしかなかったからだ。
一匹の狼が逃げ遅れた村人に襲いかかった。
と――
横からのびた十手が狼の牙を受け止めた。オーラにより賦活化した柊だ。
刹那、別の狼が柊に飛びかかった。閃く牙は血に飢えて――
柊は十手を放した。同時に横に飛び、さらには迫る狼は撃ちすえている。
「危ねえ。咄嗟に殺しちまうとこだったぜ〜」
強張った笑みを浮かべ、柊は額に浮いた汗を拭った。
「大元をどうにかすりゃ他も収まる。そう祈るしかねぇのが辛いとこだ。頼むぜ、みんな」
同じ時――
京一朗は倒れた子供を抱き起こそうとしていた。が、その隙をつくように狼が襲った。
「きゃっ」
咄嗟に子供が眼を閉じ――頬に滴る生暖かい液体に気づき、眼を開けた。そして、見た。京一朗が狼の牙を左腕を受け止めている様を。
「お、おじさん」
「大丈夫だ」
ニヤリとすると、京一朗は狼を薙ぎ払った。その時――
凄絶の殺気に背を灼かれ、はじかれたように京一朗は立ち上がった。
その眼前、漆黒の闇があった。殺戮と復讐に燃える闇が。
「黒帝」
京一朗の口から呻くような声がもれた。
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けれど――
「違う!」
陽平は叫んだ。
「確かに俺達は人の醜さをいっぱい見てきた。が、それと同じだけ人の優しさも見てきた。人は、おまえの云うほど愚かじゃない」
「その通りだ」
云うと、宗風は得物を捨てた。そして大口真神を真っ直ぐに見据えると、
「聞け、大口真神。俺も壬生の狼と呼ばれる新撰組の一員。嘘はつかぬ。俺の目を見よ、狼の神。それでも俺を信じられないのなら、今直ぐ俺を殺せ」
「よかろう」
大口真神がゆっくりと身を起こした。
刹那、吹き荒れる。大口真神の超絶の殺気が。
叩きつける颶風により、木々がざわめいた。
「殺してやろう」
大口真神の眼が爛と光った。
瞬間、大口真神の姿が消失した。としか見えぬほどの迅さで宗風に殺到する。
対する宗風は、ただ凝然と立ち尽くしていた。
すでに宗風は死を覚悟している。故に、この場でくたばろうとも悔いはない。ないが、一つだけ‥‥。
宗風は、生まれて初めて別れを辛いと思った。
その時だ。巨大な牙が閃いた。
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ぴたりと大口真神の牙はとまっていた。宗風の眼前で。
凍結したよう動かぬ大口真神の眼は、ある一点にじっと注がれていた。浄炎が抱いている一匹の子狼に。子狼は治療を施されていた。
「殺せ」
突然、声が降った。はっとして天を振り仰いだ冒険者達であるが、何者の姿も見出す事はできぬ。
その時、再び声が降った。
「何故殺さぬ。人など自然を蝕む下劣な存在にしかすぎぬであろう」
「天津甕星か」
大口真神が静かな眼をあげた。
「お前は、人を下劣な存在と云う。我もそう思っていた。が、確かにそうであろうか」
大口真神はちらと冒険者達に視線をむけた。
「我は見たのだ。この者達の内に宿る光を。我は今一度、その光に賭けたいと思う」
「馬鹿な」
声が嘲笑に揺れた。
「かつて人を信じ、挙句がこの有様だ。よかろう。蛆虫どもを信じ、共に滅びるが良い」
「うるせえ!」
陽平が怒号をあげた。天にむかって。
「人はてめえが云うほど愚かじゃねえ。躓き迷う事もあるが、善き世界を目指す――」
陽平が大口真神に眼を戻した。
「見ててくれ、俺達の――いや、人の生き様を」
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京一朗と黒帝、今相対す。
黒帝は、かつて司の刃をはじきとばした存在だ。技量に劣る京一朗に勝ち目はない。
――が、負けるわけにはいかない。
京一朗が心中に叫んだ時だ。黒帝が動いた。同時に京一朗も。
「黒帝殿、御止め下さい。此度の火事は大口真神様を利用する為の黄泉人達の策略の可能性が高いのです」
みなもが叫んだ。が、両者はとまらない。
疾風と影が交差し、牙と刃が閃いた。二つの光流が疾り――
牙がとまった。そして京一朗の刃も。
彼らの耳は、その時、天にひしりあげられた神の雄叫びを聞いたのだ。
黒帝は一歩退いた。
「何故、殺サナカッタ?」
黒帝が問うた。その眼は一匹の狼をじっと見つめている。
ふっと京一朗は血笑を浮かべた。
「踊らされるのは好みじゃない。それに只殺めるのみの甘い遣り口は十一番隊らしくないんでね」
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ウィルマは木陰に身を潜めた。
観月谷の近く。猟師としての超越的勘により不穏な気配を捉えた彼女のみ残っていたのである。
「ほう」
薄く笑いつつウィルマは矢を番えた。彼女の眼は、数人の修験者と一人の少年の姿を捉えている。
美しい少年だった。この世の者ならぬ、いっそ神々しいといってよいほどの。
しかしウィルマは少年に禍々しいものを感じ取っていた。事実、少年から放たれるとてつもない霊気によって周囲の空間が歪んで見えた。
こいつが本命だ。
ウィルマの猟師としての直感がそう告げていた。
「距離は一呼吸分。風は無風。鼻歌を歌いながらでも外すかよ」
満腔の自信をもってウィルマは矢を放った。
誰が想像し得ただろうか。ウィルマほどの手練れの者の一撃をかわす者がいた事を。
「ちっ」
舌打ちするとウィルマは再び流れるような動きで矢を番え――
愕然とした。少年の姿が見えぬ。
「どこだ」
ウィルマが恐怖の滲んだ視線を走らせた。が、少年の姿はない。
と――
ウィルマの喉ががっきと掴まれた。そのままぐいと持ち上げられる。
恐るべき膂力だった。ウィルマは身動き一つならぬ。
「面白い」
少年が微笑みながらウィルマを見上げた。
「何だ、お前?」
「ウィルマ・ハートマン」
少年を見下ろしつつ、ウィルマはニンマリした。
「覚えておけ。お前を殺す者の名だ」
「ふふん」
天使のように微笑み、少年はウィルマの喉を砕いた。
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「人と獣が共存するんは難しい。せやからお互いがその領域を冒さんように神域を作ったんやろ。生きる為とはいえ程々にせんとあかんで」
鬼相の惣面を外し、司が云った。が、仙は茫然自失のままだ。
多くの村人が犠牲になった。その責を仙は負わねばならないだろう。
報せてくれた老人に礼を告げ、京一朗は背を返した。
村と狼達の関係が、これからどうなるかわからない。冒険者にできるのは、所詮はここまでだ。
が――
「ありがとう」
冒険者の背に声がとんだ。子供達の声だ。
――あの子達がいる限り、この世界はもっと善くなる。見ててくれ、大口真神。
冒険者達は思った。
それから数刻後である。瀕死のウィルマを冒険者達が発見したのは。