●リプレイ本文
●迫る月
月が満ちる。
闇天の領域が侵食されて。
地にも光散りしぶき。
が――
それは闇の饗宴の始まりを告げる。
その時、人は人としての殻を脱ぎ捨て獣と成り果てるのだという。いや、それが本性であるのだろうか。
否、と。
叫ぶ者は七人いた。
そのうちの二人。アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)とフレドリクス・マクシムス(eb0610)はフードを目深に被り、ある館の前で潜んでいた。
館――それはグランから聞き出したマーヤが囚われているはずの場所である。持ち主はチャールズといい、有力な貴族であるらしい。
「やはり、見張りはいますね」
アレクセイの眼光はするどい。
虹色を描く庭の手入れをする男性。使用人の体を装ってはいるが、身のこなしが尋常ではない。おそらく武術を身につけている――
いくら誤魔化そうとしても、狼の如く鋭い彼女の眼から逃れることは不可能だ。
「それは当然だが‥‥」
フレドリクスは嗤った。
「いくら群れようとも関係ない。不老不死などという下らん幻想の為に、何の縁も無い娘を食らおうとする馬鹿な連中だ。容赦はせんさ」
「しかしチャールズには気をつけてください。仮にも貴族ですから」
アレクセイは苦笑をもらした。氷で胸を覆ってはいるが、フレドリクスが誰よりも熱い男であることは承知している。必要ならば貴族とてぶちのめすかも知れない。
「今回の一件を噂でばらまいておきました。またギルドから王国騎士団に報告して社会的に処断してもらうつもりですから抑えてくださいね」
「約束はできんがな。‥‥そういえば緋芽佐祐李(ea7197)はどうした? 俺達と共に先乗りしたはずだが」
「ああ、彼女は――」
その佐祐李は街の市場にいた。
露店が連なり、野菜や肉などを商っている。飛び交う客引きの声は威勢良く、かなり賑わっているようだ。
そして――
佐祐李の眼前には一人の女。チャールズの館の下働きの者である。
市場で張り込み、商人達の協力を得てようやく発見したものであるが。
「もし」
市場から外れたところで佐祐李が呼びとめた。
「はい?」
振り向いて女はわずかに眼を見開いた。
この地でジャパンの者を見ることは珍しいことではあるが。それよりなにより、並外れて大柄ではあるが声の主のなんと可憐であることか。一瞬見惚れて、慌てて女は我に返った。
「何か?」
「はい‥‥」
どのように切り込むべきか。逡巡は一瞬、すぐに佐祐李は館に少女が囚われてはいないか単刀直入に問うた。虚を突くことこそ兵法の要諦であるから。
「えっ――」
女の顔色が変わった。どのように云い含められているのかは分らぬが、どうやら思い当たることがあるらしい。
「知りません。あなたは何者なのですか?」
「私は――」
佐祐李は、囚われの少女奪還の命を受けた者であることを名乗った。そして続け様に打ち込む。言葉の強矢を。すなわち――
少女が館に囚われていると捕まえた盗賊が吐いたこと。その者の証言によりまもなくチャールズが処罰が下されるであろうこと。
「だから、協力して欲しいのです。人質がいる間は手が出せぬゆえ」
佐祐李は懸命の眼を向けた。
落ちる日の光はつよい。が、吹く風にはどこかしら乾いた涼やかさが含まれているようで。
休息のために馬から下りた五つの影の一つから、清水のような声がもれた。
「マーメイドを食べる‥‥許せんな」
ぽつりと呟いた若者の頬を、烏羽色の髪がなぶる。懐手したその姿は墨絵のように落ち着いて、美しい。山本修一郎(eb1293)である。
マーヤの件に彼がかかわったのは此度が初めてであるが、彼は縁が深い。なぜなら、マーヤを攫ったグラン、そしてその居場所を伝えたヴァルキリーの娘とも彼は見知った仲であるから。ゆえに馳せ参じた次第であるが。
敵に対する怒りとともに、彼は安堵を覚えている。今回の敵は義賊の娘ではなく、鬼畜外道の輩。新陰の刃をとめる謂れはなく、冴えを極めることができるだろう。
その通りです〜。
と、修一郎の言葉に頷いたのはユイス・アーヴァイン(ea3179)である。
「今回も大仕事になりそうですね〜」
裏腹。口元をゆるりと緩めたユイスは大事を抱えているようにはとても見えない。常の通り。風に澱みはない。
が、エルマ・リジア(ea9311)の顔は昏い。それでも唇を引き結んだ姿は妖精のように愛くるしく、
「二度目はありません‥‥何がなんでも、マーヤさんを助け出さないと‥‥」
此度の望月。その時こそ不老不死の儀式が行われるに違いない。マーヤの命運が尽きる時。失敗は許されないのだ。
「依頼ですから彼女を助ける、というのはあるんですけれどね〜」
が、風は人の命では動かない。ましてや報酬如きでは――
風は己の意思で吹き、己自身の命じるまま疾るのだ。
「私はそれ以上に私情で依頼を選びますし、依頼に私情を挟むんですよ〜」
「あんたを見ていると、殺気立ってるのが馬鹿らしくなるな」
天陽に煌いた髪をはらりと揺らせ、金色の獅子を想わせる女戦士が顔を上げた。フィリス・バレンシア(ea8783)。戦場こそが似合う戦乙女である。
「フィリスさんが殺気立っている? 冗談でしょう〜」
楽しげにユイスの柳眉が動いた。
フィリスは例えて云うなら鞘の内の刃である。殺気など湛えているはずはない。抜くその間際まで、ひたすらしんと冷えているのであるから。
「しかし――」
アルカーシャ・ファラン(ea9337)がわずかに身動ぎした。フードから覗くその眼には琥珀の光。ちろちろと燃えている。
「愚かなことだ。金と暇が有り余るとこうなるわけだ」
彼もまた、嗤う。
しかしその眼の光は冷たく燃えたまま。
もしかすると。
マーヤの身を一番に案じているのは彼ではあるまいか。
全身のみならず、魂にすら無数の傷を負ったアルカーシャには分る。マーヤの哀しみや痛みが。ゆえに彼は己自身にすら憤っていた。なぜにマーヤを守り切れなかったのかと。
「まあ、人がどんな夢を抱いていようと、私の興味の範疇外なんですけれどね〜」
ユイスはアルカーシャの眼をじっと見つめ返した。
「ですけれど、そのやり方が気に入らないんですよ〜。そう、とても‥‥とても、ね」
クスリ、と。ユイスはいつものように微笑を頬にはく。
が、何故か此度は凄愴で。温度が数度下がったかのように風の蒼さが増した。
「何にしろ」
腰掛けていた岩から立ちあがり、フィリスは剣を確かめた。得物を確認する所作は身に染みついたくせのなものである。彼女は続けた。
「取られたものは取り返す。それだけさ‥‥」
淡々と。が――
至極当然の語調に、フィリスの限りない気概がある。当たり前であればこそ果たさねばならぬ誓いもあるのだ。
――ま、あの子に何があっても守るって云っちまったしね。
面影を追うように、フィリス蒼空を見上げた。
●月は出ているか
すでに夜。
ほぼ真円に近い月が白銀に夜空を染め――チャールズの館を見遣る物陰。闇に沈む冒険者達は合流した佐祐李の話を聞いたところである。
「下働きの者に接触したこと、吉とでるか凶とでるか‥‥」
アルカーシャは聡い。
敵の関係者との交流。それは情報の流通でもある。もし下働きの者が寝返れば、こちらの動きは筒抜けだ。
「まあ、仕方ないでしょう〜」
スクロールが翻り。ユイスの身から燐光が噴き零れる。
「さて、アタリは引けるでしょうか〜」
燐光が闇を圧し、再び身が闇に溶けて。ユイスは眉根を寄せた。
「小さな方が幾人か。しかし、まだどれがマーヤさんか分かりませんね」
「なら、この子にお願いします」
差し出したエルマの手をもこもこが舐めた。
ボーダーコリーのグラーティア。
グラーティアならマーヤの匂いを嗅ぎ分け、彼女の元へと導いてくれるかも知れない。
「下手な魔法より、よほど役に立ちそうだ」
ふっともらして、フレドリクスは口を噤んだ。視線の端で蛍火が躍る。
「下手はひどいですね〜。凄いのをお見せしましょうか〜」
「見せてもらうさ。あそこで、な」
フレドリクスの指差す先に眼を遣り、ユイスはさらに笑みを深くした。
視覚がさらにはねあがり、物質はただの陽炎の如き揺らぎとなる。
「もう大丈夫のようですね」
エックスレイビジョンを終えたアレクセイが塀の一点を指し示す。彼女の眼には庭で倒れている見張りの姿が捉えられている。佐祐李の春花の術によるものだ。おそらく屋外の見張りのほとんどは寝入っているだろう。
肯首するとアルカーシャはすっと石塀に手を当て――見えぬ手に抜きとられたように、人が十分に通りぬけられるほどの大きさの穴が開いた。
「下手な魔法もけっこう役に立つだろう」
アルカーシャが皮肉に口元をゆるめる。チッとフレドリクスは舌打ちした。
グラーティアを先頭に、冒険者達はそろそろと長い廊下を進んでいる。再びのウォールホールで館への潜入を果たしたものであるが。
「どうやら佐祐李の情報通りだな」
フィリスが指摘した。
館の間取り。そしてグラーティアが歩む方向。共に下働きの女がもたらした情報が正しかったことを意味している。
が――
ユイスが一同を制止した。廊下の角に指を向け、眼で頷く。
受けて、エルマは身を低くして角を曲がり――
廊下の壁が青白く染まった。
「いいですよ〜」
顔を覗かせ、手を振るエルマ。続いて角を曲がった冒険者達は、氷柱の中で剣の柄に手をかけたままの男を見た。
「天使の顔に悪魔の業か‥‥」
以前敵がもらした言葉を佐祐李が繰り返した時。幾つかの足音が響いた。
「どうやら待ち切れなくなったようだな」
アルカーシャが不敵に笑う。傍らのフレドリクスの手には二振りの刃が躍る。その様は、まさに双翼を広げた鷲の如し――
「ここは俺達に任せて、先にゆけ」
「ならば露払いは私がやらせてもらう」
ぞわり。
フィリスの金色の髪が翻った。
●三獣士
一撃必殺。
それこそがコナン流の真髄であり、フィリスの信条でもある。
ましてや差し迫った状況の中、一切の容赦を欠いた彼女の一撃は文字通り敵を粉砕する。
頭蓋を砕かれた男が脳漿と血煙と骨片をばらまき、崩折れた。
「マーヤは?」
「いません」
マーヤが囚われているはずの部屋。その中から佐祐李の返答が響く。
「そんな」
部屋に飛び込み、アレクセイは気づいた。グラーティアが動かない。壁の一点に鼻を近づけたまま。
「怪しいですね〜」
ユイスが屈み込んだ。呪力を帯びたその眼は不可視の亀裂を見逃さない。さらに彼は呪言を脳裡に。触れた指の先は理をこじ開け、壁に空洞を穿つ。
「見つけましたよ」
にっこりと。
ユイスの眼の先――隠し部屋の中に初老の男が一人。おそらく彼がチャールズであろう。そして、その傍らに立つ痩せやつれた少女こそ――
「マーヤさん!」
走り寄り、佐祐李がマーヤを抱きしめた。
「‥‥どうして」
マーヤの口から小さな声が、ぽとりと。
「どうして、わたしなんかのために‥‥」
「約束したでしょう。希望の地に送り届けるって」
「約束――」
マーヤの顔が歪んだ。どこか超然としたその面が歳相応の面立ちとなり、佐祐李にしがみついて嗚咽をもらす。
「待て、勝手はさせんぞ」
初老の男が叫んだ。
その前に、豪奢な肉体が立ち塞がる。
「邪魔をするな。長生きがしたいのだろう」
フイリス。獅子の如く凄絶な笑み。
すっと歩み出たエルマの相貌も細く吊りあがっていく。
「そんなに『永遠』になりたいのなら‥‥願いを叶えてあげましょうか」
天使は今、蒼き光に包まれ、氷の魔女と変貌し――
「そこまでだ」
声に、はじかれたように冒険者達は振り向いた。
廊下に男が一人。精悍な容貌の若者だ。腰に剣を落している。
「何者だ?」
アレクセイの問いに、若者は口の端を歪めた。
「三獣士、ガロン」
「何!?」
フィリスが呻いた。
三獣士。これが――
背をはしる戦慄は一瞬。すぐにフィリスの全身から殺気の炎が立ち上る。
ようやく――
ようやく存分に刃を奮うことができる。知らず、フィリスの満面を覆うのは凄艶な笑みだ。
刹那、ガロンが動いた。颶風と化してフィリスを襲う。
光流は大気に亀裂を刻み――胴薙ぎの一撃を、かろうじてフィリスは盾ではじいた。返す刃はフィリス得意のカウンターアタックだ。
疾る刃。それは狙い過たず、無防備なガロンの胸に――
「あっ!」
ひび割れた声はフィリスの口からもれた。
フィリスの必殺の刃。それはガロンによって受けとめられている。
盾ではなく、素手によって――
しゅん、と。
旋風。
刃で頬を刎ねられつつ、フレドリクスは飛び退った。同じく退ったアルカーシャはぬらつく汗に満面を濡らせ、眼をあげる。
「刃がたたぬだと!? ‥‥おまえは何者だ!」
「三獣士、セレス」
濡れたような黒髪の女が妖しく笑った。
「三獣士!」
二人の冒険者は息をひいた。
が、驚愕は一瞬だ。修羅場を潜り抜けてきた彼等は、すぐさま臨戦体制に滑り込む。
フレドリクスは再び猛禽と変じ、アルカーシャの指はスクロールへとのび――
「良い腕だ。が、俺には効かぬ」
ガロンが刃を突き出した。それは気死したたかのように棒立ちのフィリスの胸を貫き――寸前で、飛燕のように割って入った一刀に撥ねあげられている。
「やらせはせんよ」
修一郎が刀を構えなおした。
眼光は鏡面のように。しかし胸の内は大波が揺れている。
刃が効かぬ敵。長引けば不利となる――
刹那。
白煙が噴いた。世界は銀灰色に塗り込められ――
「おのれ!」
獣の俊敏さでガロンが動いた。が、すぐにその足がとまる。
廊下の先。続くはずの大理石の床は石壁に遮断されている。
ぎりっと歯噛みし、ガロンが石壁に拳を打ちつけたとき、背後に気配がした。
晴れはじめた白煙に朧と浮かび上がる影。黒髪の妖女、セレスだ。
「ガロンともあろう者が、まんまと取り逃がすとはね」
「ぬかせ。‥‥しかし、奴ら、ただの鼠ではないぞ。中でも金色の女の腕の冴え、さすがの俺も肝を冷やしたわ」
「ふふ。わたしの方も壁と穴でまんまと逃げられた‥‥冒険者、侮れない相手よ」
「面白い」
二人の妖人が忍び笑った。
その時、ごそりと物音がした。腰をぬかしたように座り込んでいるチャールズだ。
「せめて、こいつの首を持ち帰るか」
「そうね」
セレスがキュッと唇を吊り上げる。肉食獣の牙が覗いた。
●希望の地へ
二騎がゆく。
一騎は佐祐李、そして残る白馬にはアレクセイとマーヤの姿があった。
朝焼けの彼方に消えて行くその騎影を見つめながら、アルカーシャは胸の内でそっと呟く。自問する。マーヤに此度の傷が消える日がくるのであろうかと。
「大丈夫です」
アルカーシャの想いを読み取ったかのように、力強くエルマが頷いた。
傷ついても歩むことをやめない限り、人は必ず希望の地へと辿り着けるのだから。