【サイレント・ジェシー】狂戦士

■シリーズシナリオ


担当:美杉亮輔

対応レベル:3〜7lv

難易度:やや難

成功報酬:2 G 46 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:09月09日〜09月16日

リプレイ公開日:2005年09月19日

●オープニング

 窓から差し込む黄昏の光に、部屋の中は赤銅色に染まっている。
 一面の血の海。
 壁といわず、床といわず、しぶいた鮮血が飛び散っている。
 すでに乾いてはいるのだが、部屋の中は濃い血臭が渦巻き――
 部屋の中央と窓際に人形が投げ出されている。奇妙に体をねじくらせた姿態で。
 いや、よく見ると――
 人だ。
 一人は中年の女性。苦悶に顔を歪めている。
 もう一人は少女だ。泣いているような表情のまま、面は凍結させている。
 二人はともに裸体で、めった刺しにされていた。
 そこは――人の手が産み出した地獄だ。
 その煉獄の中で、一人の若者が呆然と立ち尽くしていた。
 彼の名はジェシー。無実の罪という悪夢から逃れたジェシーは、今別の悪夢の中にいる。最凶最悪の悪夢の中に。
「あ――」
 どれほど刻が流れたか。
 一瞬。いや、永遠。
 ようやくジェシーが動いた。まるで雲を踏む足取りで窓際に倒れた少女の元に歩み寄っていく。
「――ミ‥‥シェル――」
 老人のようなしわがれた声で――呼びかけた。
 応えは虚無の沈黙だ。
 がくり、とジェシーは血溜まりの中に膝を折った。瘧がついたように震える指先をのばし――触れた。かつて薔薇色に輝いていた妹の頬に。
 冷たい。魂すら凍てつかせる暗黒の感触が彼の指を伝わり、全身をおかしていく。土色と化した妹の頬はすでに土そのものに回帰しているようだ。
「なぜ――」
 呟くと、ジェシーは妹の腹腔からはみ出た内臓を中に戻した。まだぬらつくそれは、戻しても戻してもはみ出てくるが、それでも異様な熱心さでジェシーは作業を続ける。
「はいらない――」
 ジェシーの頬を雫が伝わる。
「はいらない――」
 くおお。
 ジェシーが泣いた。
 くおん。
 ジェシーの内のなにかが哭いた。それは目覚め、ゆつくりと身をもたげ――嬉しそうに咆哮をひしりあげる。
「‥‥ジ、ジェシー――」
 ナリスがかすれた声をあげた。
 すると――
 ふっとジェシーが立ちあがった。顔に血まみれの指を這わせ――妹と母のものが入り混じった血を自ら顔になすりつける。
「ジェ――」
 さらに呼びかけようとして、ナリスの声が凍りついた。背を向けたままのジェシーから吹きつける凄愴の殺気に身動き一つならない。
 と――
 ゆっくりとジェシーが振り返った。不気味な血化粧を施した彼の面の中で、さらに血色の眼光が爛と光り――
 ジェシーは右手の包帯をしゅるとほどいた。そこには小さな切り傷が幾つか。ナリスには知る術はないが、それはジェシーが手にかけた者の数を示しており、彼はそれを戒めとしていたのだが――
「あ――」
 魅入られたようにナリスが足を踏み出した。そして助けを求めるかのように手を突き出し――
 その手をさけてするすると近寄ったジェシーは無造作に短剣をナリスの腹にをぶちこんだ。
「ぎ――」
 ナリスの口から奇妙な声がもれた。直後――
 ぐふっ、と。
 ナリスの口から血煙が吐き出され、さらにジェシーの満面を朱に染める。
 その血を拭おうともせず、ジェシーは腹に突き込んだ刃をこねた。その度にびくんびくんとナリスの身がはねる。
「あまり面白くないな」
 同族でもある友を、遊び飽きた人形のように投げ出すと、ジェシーの入り口のドアの隙間に眼をやった。一瞬、ちらりと過ったのはよちよちと歩く男の子と、その手をひく老人の姿だ。
「見つけた」
 にいっと。
 鎌のように口端をつりあげ、ジェシーはドアに手をかけた。

 ドアが蹴破られた。
 静まり返った部屋の中に足を踏み入れたのは、刀を肩に担いだジャパンの若者だ。精悍な面の中で、切れ長の眼が尋常でない光を放っている。
「な、なんだ、貴様は――」
「黒夜叉のアニキ!」
 ゲスナと紅夜叉が叫ぶのが同時であった。
「黒夜叉? ということは、貴様が夜叉組の頭目だな」
「そうだ」
 応える若者――黒夜叉に、ゲスナは口を歪めて見せた。
「なら都合が良い。夜叉組などとご大層に名乗りおって、手下の不始末をどのように――」
「いや、アニキ――」
 紅夜叉が慌てて立ちあがった。ゲスナのことなどまるで眼中になく、ただ黒夜叉の怒りを恐れるかのように、
「すぐに知らせるつもりだったんだ。この仕事の始末をつけてから――」
「てめえは黙ってろ」
 一喝すると、黒夜叉はゲスナに眼を戻した。
「俺はこのジジイに話があるんだ」
「下郎! ゲスナ様に失礼をすると許さんぞ」
 はじかれたようにトーレが殺到した。が――
 トーレの手が黒夜叉に触れたと見えた刹那、彼の身は宙を舞っている。一瞬後、床に叩きつけられたトーレの口から大量の息が絞り出された。
「血の臭いをプンプンさせやがって――次は、殺すぞ」
 トーレの顔を踏みつけ、黒夜叉はゲスナに顔を近づけた。
「じじい、てめえ賞金首の身内に何をしやがった?」
「何? 何のことか分らんが――」
 老獪なゲスナは表情一つ変えない。が、黒夜叉の眼が凄絶の光を放つ。
「なめるなよ」
 黒夜叉がわずかに身動ぎした。それだけでトーレの口から踏み潰される蛙のような声がもれる。
「薄汚え真似しやがって。何にしろ、てめえとは縁切りだ。二度と、その面見せるなよ」
 黒夜叉が吐き捨てた。

「おのれ‥‥」
 クソ生意気なジャパンの若造どもめ。ゲスナが歯をキリキリと噛み鳴らした。
「所詮は金目当ての犬畜生でありながら、ほざきおって」
「しかしゲスナ様、手練れを失ったのは痛うございましたな。聞けばジェシーとやらもかなりの使い手ということ。もしやすると、母と妹の復讐に参るかも知れませぬ」
「それよ」
 執事の言葉に、ゲスナは顰めた顔を頷かせた。
「トーレ。どこぞに手練れはおらぬか。夜叉組などという綺麗事をぬかす世間知らずではなく、我が云うことに従う奴は?」
「――一人」
 ややあって、トーレが眼をあげた。
「一人?」
「はい。ベイドと申しまして、牢獄で処刑を待っております。少々御すのに骨が折れるかも知れませぬが、奴ならば‥‥」
「よかろう」
 ゲスナがニヤリとした。
「混血の小僧め。もし推参したならば、その時こそ息の根をとめてやるわ」

「‥‥ジェシーが狂乱し、殺戮にはしった」
 冒険者ギルドの中。ギルドの男は組んだ手に昏い視線を落した。
「我々は、間違っていたのか」
 苦しそうにもらす。が、応えはない。応えられる者は誰もいないのだ。
「しかし、始末はつけねばならぬ。すでに十数人、老人や子供すらも殺戮したジェシーの行く末はすでに決まっている。ならば、司直の手に委ねるよりは我らの手で――それが依頼人の願いでもある」
 依頼書の横に、キルドの男は金の入った袋をおいた。
「ジェシーを頼む。事切れる前にナリスが残した言葉だ」

●今回の参加者

 ea0163 夜光蝶 黒妖(31歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea0933 狭堂 宵夜(35歳・♂・浪人・ジャイアント・ジャパン)
 ea3179 ユイス・アーヴァイン(40歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea8745 アレクセイ・スフィエトロフ(25歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ea9027 ライル・フォレスト(28歳・♂・レンジャー・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9098 壬 鞳維(23歳・♂・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb0753 バーゼリオ・バレルスキー(29歳・♂・バード・人間・ロシア王国)
 eb0901 セラフィーナ・クラウディオス(25歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・ロシア王国)

●サポート参加者

獅臥 柳明(ea6609)/ キルト・マーガッヅ(eb1118

●リプレイ本文

 御武運を。
 だいそれた言葉もなく。
 ただ、蒼き魔女キルト・マーガッヅは仲間を見送った

●闇へゆく
「‥‥正直、分からなくはなかったんだぜ」
 無骨な面をさらに石のように硬く。狭堂宵夜(ea0933)はごとりともらした。
 身内の命を怪物に奪われた過去を持つ宵夜には、理由はどうあれ息子を殺されたゲスナの気持ちは理解の範疇だ。が、ゲスナは復讐の矛先を向ける相手を誤った。もはや同情の余地はない!
 小振りの得物――忍び刀を宵夜は腰に落した。
「俺はゆくぜ」
「どこへ?」
 問うたのはアレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)。いつもの颯爽たる風情はひそめられ、今は闇をやどした狼のように昏い。
「バーゼリオ・バレルスキー(eb0753)と同じさ。この前逃げ出したハーフエルフがトチ狂ってついにギルドから討伐隊が出た、とでも噂を流すさ」
「もし――」
 アレクセイのもらした呟きに、宵夜の足が止まった。
「――もし、あの時、故郷の手前で別れずに、彼の家まで送り届けたのなら‥この悲劇を防ぐ事はできたんでしょうか?」
 満河のように流れる刻を戻すことはできないと知りつつ、アレクセイが疑問をおとす。戦く声音は少女のように――もし、と。
「‥‥わからねえ。ただな、俺がもう少しだけでも強かったら、とは思うぜ 」
 吐き捨てるように宵夜は応えた。
 何故かむかついたからだ。何にむかついているのかはわからなかったが。
 姿を消した宵夜を追って立ちあがりかけたアレクセイは、ふと動きをとめた。
 街外れの小屋の中に彼等は潜んでいたのであるが、その窓際に座り込んでいる夜光蝶黒妖(ea0163)の姿はどこか儚く。放っておけばこのまま消え失せてしまいそうな不安にかられ、アレクセイは戻った。
「黒妖、大丈夫?」
「あ‥‥ああ」
 夢から醒めたようにあげた黒妖の顔。それを見つめるアレクセイの眼は痛ましげに、細められた。
 多くの依頼を経て、そして多くの仲間と触れ合い、ようやく口数も多くなり、娘らしい表情も垣間見せるようになったというのに――
 今、可憐ともいえる美しさはそのままに。黒妖の面は蒼く凍てついている。
「大丈夫‥だよ」
 返す応えは氷のように冷たく。
 何も感じない。
 何も考えない。
 人を想うことが、これほど辛いのなら――感情などいらぬ!
 故に。
 魂を深淵の底に沈め、黒妖は再び心に仮面をつけた。
「俺も‥いくよ。ゲスナのところへ‥ね」
 ゆらり。
 幽鬼のように黒妖は立ちあがった。

 街に。
 毒が滲むように、ある噂が広がりつつあった。
 ――脱走した混血が狂い、冒険者が討伐に向かった。また混血の母親と妹が無残な姿で転がっていたらしい。
 ゲスナの手が血に汚れているというスパイスをきいたそれは、確実に口から口へと、まるで流行り歌のように伝えられていき――
 今も、自警団らしき男があたふたと駆けていく。ご注進に及ぶ先はおそらくゲスナの元だろう。
 見送る銀色の髪の吟遊詩人は、ただ――
 緩やかな笑みを浮かべていた。怖い笑みを。

●紅の地へ
「‥‥」
 息をのみ、セラフィーナ・クラウディオス(eb0901)は顔をそむけた。
 その秀麗な面は蝋のように白く――背後のユイス・アーヴァイン(ea3179)、ライル・フォレスト(ea9027)、壬鞳維(ea9098)は言葉もなく立ちすくんでいた。
 街でジェシーの潜む森の情報収集――ハーフエルフに対する恐怖と憎悪が蔓延し、それは困難を極めたが――を終えた冒険者達。その彼らの眼前には血の海。いや、その跡。
 すでにジェシーの家族とナリスの死体は片付けられ、乾き変色した――それでも妙に生々しい血の痕跡のみが残されている。
 ジェシーの故郷の家。
 ジェシーが帰ることをを夢見ていたところ。虚無。
 その時。
 ライルは奥のドアが少し開いていることに気づいた。整頓されたそこは、おそらくはジェシーの部屋なのだろう。
 デスクの上には花瓶としおれた花が一輪。それはジェシーの帰りを待つ者の想いだ。
「さすがに、これは酷すぎるわ・・」
 ようやくセラフィーナがしわがれた声をもらした。
「私は――」
 ふっと口を開いたのはユイスである。
「大切なモノを失う悲しさは本当に、本当によく解りますよ〜。ですけれど‥‥だからこそ止めます。“全ての生けるモノは、流された血の数を忘れてはならない”‥‥私の力と業、その全てを以って、ね」
 告げる。
 銀のネックレスに手をのばし。
 ふわりとした口調は常の如しだが、その面にはいつもの涼やかな笑みはなく――それが彼の覚悟の程を示している。
 そして――
 握り締めた。
 ネックレスチェーンの先。羽の銀細工を。
 その意味は――交わした心は永久に。
 そう。彼に――ジェシーに永遠の安息を。それが冒険者の約束だ。
 と――
 ドンッ、と、鈍い音が響いた。
 ハッと眼を遣る冒険者の視線の先――ライルが拳を壁に打ちつけていた。
「考えが甘かった‥‥」
 そして、一撃。
「ジェシーに嘘ついた‥‥」
 二撃。
 三撃、四撃、五撃――
 ライルの腕を、鞳維が掴んだ。
「もうやめてください。これ以上やると手が潰れてしまいます」
「でも――」
 ギリギリとライルは歯を軋らせた。その肩に、そっと鞳維が手をおく。優しく、そして次第につよく――
「誰も、何も、憾むことはないのです‥‥。己の不甲斐無さを悔やんでいるのは、ライル殿だけではないのですよ」
 いつもどこか哀しんでいるような鞳維の顔。
 その言葉を発した時だけ自嘲めいた笑いがゆれたが――それは道化師のもののように、やはり哀しげであった。

●紅の決着
 黄昏の近い森。
 木漏れ日は黄金の斑を散らし――ジェシーが逃げ込んだという森の中である。
 幾つめかの罠の設置を終えるとライルは立ちあがった。
「森に逃げ込んだということは、ジェシーにはレンジャーとしての技能があるのかも知れない」
 ライルは油断なく視線を巡らせた。
 罠の設置で、ある程度の敵の誘導――追いこむことは可能だ。が、ジェシーもまたレンジャーの技能をもっているのだとしたらその限りではない。いや――
 森についての知識を得たライルには見とおしがつくとはいっても、ここを故郷とするジェシーにはやはりかなうまい。
 駒数ではこちらが優位だが、盤はジェシーの手の内だ。
「ぬっ」
 呻いたのは鞳維だ。
 その足元に黒々とわだかまるもの。
 首を深く切り裂かれた死体だ。
 現実を押し出すように鞳維はかたく眼を閉じた。
 二十六人。ジェシーが手にかけた者の数。街で得た情報だ。
 やはり――
「ジェシー殿を誰かがとめなければ‥‥」
 石のような呟き。
 そして鞳維は死体から続く足跡を探した。が、彼の猟師として眼力はまだ駆け出しの部類。ジェシーの痕跡を追うのは無理だ。
 と――
 何を思ったか、ユイスがするすると一人前に進み出た。
「ユイスさん、迂闊に動くと危ない!」
 呼びとめるセラフィーナの声にも足をとめることなく、そのまま藪をかき分け――
 きら、と。
 一瞬黄金光が煌き、ユイスの首を刃が刎ねた。
「あっ!」
 驚愕の絶叫を放った冒険者達であるが――
 その眼前でユイスの姿は微塵と消失し、わきあがる霧の如き灰煙の彼方に鬼火が揺れた。
 鬼火。
 血色の赤光を放つ眼――ジェシーだ。
「うまく出てきてくれましたね〜」
 細い笑いは水晶のように。
 三人の冒険者の背後で、アッシュエージェンシーを仕掛けたユイスが身を起こした。そうと気づき、ジェシーの口がきゅうと吊りあがる。満面血に汚れたそれは闇の、紅の、魍魎の、悪鬼の笑みだ。
「見つけたわ、ずいぶん前と様子が変わったようだけど、何しているの?」
 顔をそむけたくなる己を叱咤し、セラフィーナは喘鳴のような声で問うた。そしてライルもまた。
「ジェシー‥‥噂を聞いて心配して来たんだよ」
 強張った微笑に、強張った声。仲間の為の陽動であるはずが‥‥ライルの視界が濡れて塞がれた。
 が、報いられたのは――さらに吊りあがる笑い。噴き零れる血の光。
「どうやら何を話しても無駄のようね。せめて同族の手で引導を渡してあげるわ・・覚悟はいい?」
 嘆きを振り捨て。決然とセラフィーナが矢を放った。
 刹那、ジェシーが動いた。流星と化した矢をかわしざま、一気にライルに迫る。
 対するライルは――涙とともに迷いを散らし、忍者刀をかまえつつ、素早く横に飛んだ。
 が、迅い。ライルの予想を遥かに上回る疾さで斬撃が来た。
 戛!
 天陽よりも眩しい火花を散らせ、迫る刃をかろうじてライルは受けとめた。いや――斬撃にともなう衝撃は凄まじく、ライルの手から忍者刀をはじきとばしている。
 ギンッ!
 ジェシーの眼が紅蓮に燃え――
 殺られる!
 冷たい絶望とともにライルが暗器をかまえたとき、ジェシーが横にはねとんだ。一瞬後、まだジェシーの残影すら残る空間を鞳維の蹴りが貫いた。
「荊の御盾の名は公主様の他には屈せぬ誓い。だから、貴方には屈しない」
 叫び、鞳維は盾をかまえた。
 その僅かな動きを見逃さず、ジェシーの刃が舞った。衝撃は爆発のようで。受け流そうとし、しかしかなわず、鞳維の膝ががくりと折れた。
 息すらかかる距離で。
 互いに見交わすのは同族。
 漆黒の瞳と深紅のそれ。
 かつて傷だらけのジェシーの体を支えた鞳維は今、同じジェシーの刃の重みを受けとめている。
 なぜ、こんなことに――
 膨れあがる怒りと疑問が、鞳維に爆発的な力を与えた。それは灼熱の奔流と変じ――鞳維の脚が地を擦って疾った。
 蹴りは旋風。
 されどジェシーもまた颶風。
 鞳維の蹴りを逃れて空に躍ったジェシーの剣が真一文字に斬り下げられ――軌跡を変え、飛び来ったセラフィーナの矢を薙ぎ払った。地に降りざま、さらに矢をかわす為に後方にはねとぶ。ただでさえつよいセラフィーナの矢は、今、想いの重さだけ鋭さを増している。戦鬼ジェシーですら後退させるほどに。
 そのとき――
 すでに夜が降りた樹闇が紫光に染まった。
 棒立ちとなつたジェシーの身に紫電がからみつき――それが戦闘をぬって仕掛けられたユイスのライトニングトラップの仕業と知るより早く、ライルは地を蹴っている。
 一筋に。ただ一筋に。
 ジェシーに迫り、胸にダガーを突き刺した。
「ジェシー‥‥」
 刃は思いの外容易く、ジェシーの肉を、心臓を、そしてジェシーの命を貫き――
 一瞬、ジェシーが微笑んだように見え――
 すっとのびたジェシーの手が、ライルの腕を掴んで、さらに深く突き入れさせた。

 降る虫の声に抱かれるようにジェシーが横たわっている。
 その満面は鮮血にまみれたままだが、すでに月色の死に顔はなぜか心地よく眠っているようで。
 すがるように泣くのは鞳維である。
 ただ。
 天に帰ることを願う獣のように。
 地に手をつき、空を仰いで彼は慟哭した。

●闇の終着
 狂気のハーフエルフ来訪の噂に怯える街には人通りはなく――
 暗い街路をひた疾る四つの影は、とある屋敷の近くでぴたりと足をとめた。

 幾許か後。

 ジェシーの噂を聞いたゲスナは、嗤っていた。深々と椅子に腰掛け、血の色の葡萄酒を口にふくみつつ。
 と――
 ゲスナの嗤いが凍りついた。
「いかがされました?」
 執事の問いに、ゲスナは顔色を変えて呻いた。
「き、聞こえぬか、お前には――」
 ゲスナは耳を押さえた。が、脳内には防ぎ切れぬ声が木霊する。
 ――母と妹への仕打ち忘れたとは言わさないぞ。
 ――腹を切り裂き腸を引きずりだしてやる。
 ――どこだ、どこだ、どこだ、どこにいるのだ。
 ――斬る潰す砕く斬る潰す砕く斬る潰す砕く‥‥

「いるぞ、奴を探せ!」
 ゲスナの絶叫を聞き、屋敷の屋根に潜んだ影がニヤリとした。
 ムーンシャドゥ により転移したバーゼリオだ。
 次いで彼は月精を呼び、地に闇と幻を降ろした。

「おめえがジェシーって野郎かい」
 屋敷内と裏から駆けつけた護衛らしき者の一人が口を開いた。
 ざんばらの髪の、刃で切れ込みを入れたような眼の男。ベイドである。
 その目の前には俯いた影がひとつ。面は窺えぬが、特徴的な耳はハーフエルフのものだ。
「おめえには恨みはねえが、娑婆に出る為だ。死んでもらうぜ」
「待てや」
 静かな、しかし聞くものを緊縛せずにはおかぬ声音。
 ゆらり、と。
 巨漢が足を踏み出した。

 刃風のような唸りがあがり。
 鋭い手刀の突きをうけて、裏口を出たところでトーレが崩折れた。
「な、なんだ!?」
 突然のことに、さすがに狼狽の態のゲスナが慌てて周囲を見まわし――見とめた。裏門を塞ぐように立つ漆黒の娘を。そして、裏口に背を向けて立つ金色の娘を。
「なんだ、貴様ら――」
 誰何は途中で立ち消えた。金色の娘の拳がゲスナの顔面にめりこんた為だ。漆黒の娘は無言のまま、執事に刃をつきつけている。
「例え石塔の牢獄に繋がれ、そこで命を失い魂だけになっても、お前だけは許さない」
 告げ、金色の娘はゲスナの顔に二撃目をぶち込んだ。血反吐と歯片がばらまかれたが、かまわず三撃、四撃、五撃――
 ライルが拳を壁に打ちつけたように、今、金色の娘――アレクセイはゲスナを打っていた。
「き、きさまら、わ、儂にこのような真似をして、ただで――」
 地に倒れたゲスナがくぐもった怒声をあげようとして、息を詰まらせた。その胸の上に漆黒の娘が足を踏み下ろしている。
「お前は‥全て‥失う‥何処にも‥逃げることはできない‥俺が‥逃がさない‥」
 すう、と。
 漆黒の娘――黒妖がゲスナの耳に花のような唇を近づけ、囁いた。そして――
 憤怒の黒く研ぎ澄まされた刃をゲスナの耳に突きたてた。
「音無き世界で‥怯え狂え‥」

 闇に高く長く――
 忍び泣くような笛音に、宵夜の満面が凄絶な笑いに彩られた。
「どうやら潮時だな。だが、おめえだけは弊すぜ」
「やってみろよ」
 サメのような笑み。ベイドは刃を舞わせ、蝙蝠のように襲った。
 刹那、宵夜の身も前に。
 技量はベイドの方が上だ。が、勝機は刃の内にある。
 交差は一刹那。
 ベイドの刃を右刀で受けとめつつ、刃を滑らせ肉薄――
 宵夜の左刀が閃いた。

 それは蒼く澄んだ空の下。
 四つの墓標を前に。
 五つの影が佇んでいた。
「天路が清く穏やかでありますように‥‥」
 鞳維の祈りが流れ、ライルが膝を折った。手袋を外し、ダガーで手の甲に十字の傷をつける。
 それは誓いだ。痛みと深紅の。
 ――忘れないよ、絶対。
 そして、もう一人もまた誓う。
 セラフィーナは胸に。奥に。魂に。
 これから先、幾度となく手を血に染めることがあるだろう苦難の道、しかし、ジェシーに誇れるように我が道を進むのだ、と。
「もう‥感情なんていらないのに‥何でこんなに‥辛いんだ!」
 ぽつりと。もらしたのは黒妖である。そして、信じられぬように、己の頬を伝う雫を拭う。
 たまらず――
 アレクセイは泣いた。
 今は、ただ。
 泣いた。

●ピンナップ

ライル・フォレスト(ea9027


PCシングルピンナップ
Illusted by mina

ライル・フォレスト(ea9027


PCシングルピンナップ
Illusted by 魁真 志信