●リプレイ本文
●彼の地へ
「森は落ち着くんだけど‥‥」
エルフにとって、森は母の胎内に等しい。人が海に郷愁を覚えるように、彼は枝葉のそよぎに胸が凪ぐ。
が、そこまでだ。封じられ、失われた記憶は濃い霧の彼方にあり、指先すら届かない。
ミシェル・バーンハルト(ea7698)は呟くと、屈み込んで足もとの草を手にとった。
「生活が掛かってて必死なんだろうけど、困ったね」
ミシェルは草の一本を引き抜いた。
集落への道中。
ところどころで薬になりそうな草を採取してみてはいるのだが、実際のところ、それがどれほどの力になるか分らない。が、此度の件に収束をつけるのはかなりの困難が予想される。片をつけるための手駒は多いに越したことはないだろう。
「久しぶりに、この集落に来たけど、更に現状悪くなっていない?」
誰に問うたものではないけれど。
溜息とともに声を落したのはセラフィーナ・クラウディオス(eb0901)である。
前回の依頼では、まだ話し合う余地も残されていたかも知れない。しかし双方に死傷者が出た以上、もはや単なる言葉のやり取りだけでおさまるはずもない。手遅れだとは思いたくはないが、妙手が必要だ。
「では、ゆくか」
ユイス・イリュシオン(ea9356)の言葉に頷き、七人の冒険者は凄風吹き荒ぶ集落に足を踏み入れた。
てらてらと。
殺気と憎悪のないまぜになった、まるで炎に炙られているかのような空気。そこかしこに得物をもった男達がうろついている。
戦端がひらかれようとする、そそけだった風。その中を、忍びやかに通りぬけた冒険者達はそれぞれの地に散っていった。
その一人。
ジャッド・カルスト(ea7623)は集落の長であるドレイクと相対していた。
さして愛想の良い男ではなかったが、此度はさらに仏頂面で――というより憤懣をかかえた凶相は突つけば火を噴きそうだ。
が、対するジャッドは柳に風だ。いや、そもそも彼自身が風といったところであろうか。怒りにはちきれそうになっているドレイクの相手をするのに、ジャッドほど適した者はいないかも知れない。今も、しゃれっとした顔で、
「先日はどうも。どうやら大変な事になってしまったみたいで‥‥私達がいない所でこのような事が起きてしまい申し訳ない」
と、謝罪と哀悼の意を示したと思えば、次の瞬間にはするりと相手の懐に滑り込む。
「そこで我々も協力させて欲しいのですがどうでしょう? 前回の調査は全て今回の為にやってきた事、無駄にはしたくないのです」
申し出る。心のひだに忍び込む術はほとんど芸術的といっていい。
が、仕掛けはこれからだ。仲間が動き得る時間を獲得する為の陽動。彼は唇一つで勝負に出る。
「山狩りについてお伺いしたのですが‥‥」
「そちらの方々はハーフエルフか?」
古老に問われ、コバルト・ランスフォールド(eb0161)は目深に被っていたフードをはずし、ライル・フォレスト(ea9027)は特徴的な耳を覆い隠していたターバンを取り去った。どうやら、この老人には頑迷な偏見はとりついていないようである。
「お聞きしたいことがあります」
ライルが切り出したのは今回の荷の襲撃の理由ついての心当たりだ。乱獲等の報復――そのライルの予測を裏付けるように、古老が頷いた。
「が、それだけではないのだがな」
古老の云わんとしているところは黒王の妻の殺害と子の拉致であろう。が、それをおいて、ライルは乱獲を行なった理由を尋ねた。すると古老は腹のすべてを吐き出すような溜息をおとして、
「人が増えると、その器もまた大きくならざるを得んのじゃよ。それにあわせて、欲望もまた育つ。古来より、人はそうして増殖してきた。が、それは人側の理屈じゃ。他の者にはそれなりの理はあろう。それをアーヴィングと黒王はまもるつもりなのじゃ」
「‥‥」
言葉もなくライルは頷いた。
人と自然の有り様。当初より、今回の依頼の根幹を慮っていたライルには古老の応えは素直に胸に響く。
代わって口を開いたのはコバルトだ。
「件のエルフ‥‥アーヴィングの居所をご存知ないか」
「なぜ――」
「見知りの者と」
「‥‥聡いのぉ」
古老が笑った。眼前の白磁の肌の若者を見なおしたようだ。
「が、それを聞いてどうする? アーヴィングと黒王を殺すか?」
「いや」
被りを振ったのはユイスだ。
眼力鋭い彼女は、眼前の老人の心底を見透かしている。いざとなれば、是非の判断をできるに違いない。
「あの狼の子と毛皮を黒王の元へ返す。それが全ての始まりであり終わりになり得る可能性だと思う」
告げる。ライルが引き出した問題へのどれほどの答になるかわからないが、少なくとも当面の争いの火消しにはなるはずだ。
古老は再び吐息をつくと、疲れたような笑みを浮かべた。
「冒険者とは強靭い者よのぉ。‥‥よかろう。できうるかぎり力を貸そう」
もしかすると、ミシェルの働きはひとつの鍵となったかも知れぬ。
殺気だった集落の中でも、子供は別だ。走り回り、転ぶ。それが本性。今も――
五歳ほどの子供が飼っている犬を追いかけて、転んだ。泣声をあげるその子を、ひょいとミシェルが抱き起こす。見れば膝がすりむけ、血が滲んでいた。
「おやおや」
ミシェルは子供の膝に手を掲げた。
白光。
それは慈愛の癒し。彼の思いとは裏腹に、子供の怪我は瞬時に消滅する。
まるで魔法使いを見るように――事実魔法なのだが――子供は目を真ん丸にした。
「あの‥‥」
女が近寄ってきた。どうやら子供の母親らしい。すがるような眼でミシェルを見ている。
「クレリック様でいらっしゃいますか」
「はい。僕は貴方達に平安を与えるために遣わされた者です」
●子狼
癒しを求める者は多い。いつの世も。
取り巻く怪我人にリカバーをかけつつ、襲われた時の話を聞き出すミシェルの見遣りながら、ユイスとセラフィーナは影のように疾った。
子狼の所在の知れている。古老から聞き出した位置は以前の個所とは違い、集落の奥の倉庫だ。見咎められずに近づくことは困難であったが、今、集落は福音の真っ最中である。
「これね」
木造の倉庫を前に、セラフィーナの視線は周囲を薙いだ。幸い見張りはいないようだ。
「よし、私が」
聖像の剣、撃つ。
幾度かの打撃で錠を壊し、ユイスが倉庫に飛び込んだ。が、倉庫内に灯りはない。すぐに戸を閉じたため、内部は闇に近い有様だ。
そうなればセラフィーナの独壇場である。夜目と静聴。彼女は常人には知覚できぬものを我がものとする。
「いたわ」
片隅。微かな息遣いを頼りに探り当てた布のかかった木箱。中に閉じ込められているのは夜の色の子狼――黒王の子供だ。
「ばかな」
ドレイクが嗤った。
山狩りの前に冒険者に時を与えるなどできる相談ではない。勝手に押しかけた役立たずな連中などには用はない。
が――
ドレイクの顔色が変わった。
囁くように。その耳に響く言辞。錐のように。
「黒王の子供を捕まえたようだね」
「な‥‥」
「冒険者を舐めてもらっては困りますな。これくらいの情報なら短時間で仕入れる事ができるし、様々な修羅場も潜り抜けている。我々に任せる価値はあると思いますが?」
声は夜風のように密やか。此度の騒動。その元凶が那辺にあるか知られてよいのか、と。
「子狼は我々に任せてもらう。そちらも脅威が無くなった方がいいだろう?」
「弱っているようだ」
ユイスが呟いた。
古老の話ではほとんど餌に口をつけないという。無理やり口に肉と水を押し込んでいるようだが、この様子では長くはもつまい。もしあと少し遅ければ、この子狼の命すら失われていたかも知れぬ。
抱きとろうとユイスが手をのばせば――
子狼が牙をむいた。ほとんど唸り声すらあげられぬのに。矜持は親譲りというわけか。
ならば、その誇りに報いよう。
ためらうことなく、ユイスは子狼に触れた。
憎と断。
子狼がユイスの白い手首に噛みついた。幼いとはいえ、肉食獣の牙だ。容易に彼女の肉を裂く。
が、かまわずユイスは子狼を抱き上げた。
何かが、溶ける。
暴れ、ユイスの手首を噛み裂く子狼とユイスの‥‥
やがて、子狼はおとなしくなった。ユイスの真意を理解してくれたと思えぬが、静かにしてくれただけでも上首尾だ。
「行きましょう。古老が母狼の毛皮を手にいれてくれている頃よ」
楔を断ち切るように、セラフィーナが倉庫の戸を開け放った。
●森へ
「こっちだ」
叢を調べていたライルが立ちあがった。視線の向いた先はさらなる深緑が待ちうけている。
古老が知り得るアーヴィングの居場所。それはさしたるものではなかった。
ゆえにライルの出番となる。
前回の探索で狼や山犬の行動範囲などは見当をつけてある。あとは研ぎ澄ました眼と耳の判断だ。森との会話。それをなしうるための技術をライルは習得している。
「‥気をつけてください。‥いつ襲撃があるか分りませんから」
サクラ・キドウ(ea6159)が注意を促した。
ここは緑の海。すでに森のものたちの掌のうちだ。
サクラは得物にそっと手をそえた。
魔力のこめられし木の剣。いざとなれば頼もしい相棒になる。
とはいえ、サクラは黒王達と戦うつもりはない。是非がどちらにあるかは分らないけれど、刃と牙が噛み合うことで解決になるなら、事態はこれほど深刻化していないからだ。
そして幾許か。
光の斑が降るように、ふいにその刻は、来た。
むっと吹きつける獣臭。灼熱の殺意。
無意識的に冒険者達は身構えた。眼前に爛と燃えるのは幾十かの獣の目だ。
そのとき――
コバルトが足を踏み出した。
すでにフードをはずし、さらしている。
違うのだ、と。
我もまた、人と呼ばれる存在とは異なる地平に住む者なのだ、と。
彼は賭けている。己の敵意のなさを感じとってくれることを。ゆえに、無手。戦ってはならぬから。
が――一匹の山犬が地を蹴った。閃く牙は人形のように突っ立ったままのゴバルトの首に――彼は元より迎撃の武はもたない。
ガッ!
黄色く尖った牙が、噛んだ。飛んだのは木片だ。
「‥今は‥戦う気はありません。だから‥道を空けてください!」
山犬の口に木剣をはませ、サクラが叫んだ。獣の襲撃速度に対応できたのは自在の立地を旨とするレオン流の使い手サクラならではだが‥‥
が、山犬はきかぬ。狂ったようにサクラの木剣に食らいつく。
それは他の獣達も同じだ。牙をむき、ただ殺到するためだけに力をためている。
さすがにたまらず、ライルもまた忍び刀を抜き払った。が、戦意の先はさがる。
戦う為に来たのではない。流された血はあらたな哀しみを呼ぶことを知る冒険者達である。
そのとき――
びょう、と。
森を、地を、天を。魂すら震わせて咆哮がひしりあがった。直後、見えぬ旋風にうたれたように、一瞬にして狼と山犬が静まる。そして、急速に凪いでいく殺気を払うように、夜の王が姿を見せた。それは、許されたということか――
「アーヴィングは治療が必要でしょう‥。もし、何かしたら総がかりでかかれば私なんて簡単に始末できるでしょう‥」
木剣をおろし、サクラが口を開いた。
言葉が通じるか否かは判断しようもないが、それでも、告げる。
そのサクラを、その言葉を、北の星のような蒼い眼がじっと凝視ている。凍りつくような数瞬が過ぎ――やおら黒王は身を翻した。
痛みの消失は、胸の内の炎をも抑える。
広場に集まったミシェルの治療を受けた者達の顔からは、皆一様に険が拭い去られている。
その者達を前に、ユイスは先ほどから説得を続けている。
「――人が生きる為の糧として狩猟をする、それを止めろとは云わないし云えない。だが森には森の生活があり、乱獲すればめぐり廻って人に災害となって還って来る。今回の争いもそのひとつにすぎない。互いの領分をわきまえて共存する事が狩猟を生業とする村の在り方ではないのか」
うつ。
ユイスに外連はない。手管もない。
真正の想いを込めた言の葉。ゆえに厳しく、暖かい。そして貴族として培った話法。
対する集落の者は咳きひとつなく。
集落の者はより森に近く、森の理の内にいる。ユイスの説く言葉が正しいことであるのは、誰より彼ら自身が承知しているのだ。それなのに、何故このようなことに‥‥
「怪我人死人が出ては感情的にもなるでしょうが、山狩りで首尾良く黒王達を根絶やしに出来ても働き手に多大な犠牲が出たら、子共や娘を売ったりしないとこれからの冬が越せない羽目になるかも知れないと思いますよ」
ミシェルもまた能弁だ。説くことこそ、聖職者の本質がある。そして彼にはその技術もあった。
「狩猟の他にも収入源が有れば、例えば薬草とか木工の細工物とか‥‥狩りの方も来年の事は考えて子連れの動物は狙わないとか」
ミシェルは懐から幾束かの草を取り出した。集落周辺で摘み集めた薬草の類いだ。
ちらりと見遣ったジャッドの視線を受けて、ドレイクは力なく肩をおとした。
「いらぬ」
振り払おうとするアーヴィングの手を、サクラが掴みとめた。
「‥とりあえず現状、あなたに死なれてはこまりますから‥。あなたが正しい正しくないに関わらず‥」
相変わらずのそっけない口調だ。が、それゆえ、理非をつきつける刃ともなる。コバルトもまた頷いた。
「ハーフの協力なぞお断りだろうが、俺も‥人にもエルフにも与する気は無い」
無理やり押さえつけ、背を露わにする。
予想通り傷は深い。おまけに化膿もしているようだ。
メタボリズムを施す為に手をかざしたコバルトを、しかしアーヴィングは押しやった。
「よせ、お前達の助けはうけぬ」
「‥万全に動けない状態で、狼達の力になれるのか?」
あくまで冷ややかに。
項垂れたアーヴィングの前に、ライルが跪いた。
「どうだろう、手をひいてはもらえないだろうか。囚われていた黒王の子はすでに仲間が確保し、森に返すよう段取りもついている。また乱獲もやめるように仲間が説得している。それに、集落にも君のことを心配している人がいるんだよ」
アーヴィングが一瞬身動ぎした。古老のことに思い至ったらしい。
ライルは再びターバンをとき、半人の証しを露わにした。
「俺も森や命を踏みにじる行為は悲しいし、あの子と似たような目にも遭ったから、気持ちは判るつもりだ‥‥でも、憎しみは憎しみしか生まないよ」
万感の想いを込めて。捨てたはずの過去は、今、輝きをもっている。
眩しそうに眼をしばたたき、アーヴィングは太い息をついた。胸の内の何かを吐き出すような、それは大きな吐息だ。
●さらば、黒王
ユイスがそっと子狼をおろした。
ただ畏敬の念を視線にこめて。セラフィーナも母狼の毛皮を地におく。
夜の王は、玉座に向かうかのように、ゆっくりと足を踏み出した。