●リプレイ本文
蜘蛛女の憂鬱4――ジャパン・江戸
●深い傷
村を守護していた妖怪、女郎蜘蛛の真奈は死んだ。300年以上生きたその身体は絶命と同時に朽ち果て、後には何も残らなかった。
存在したことの痕跡さえ残せない。全てがまるで、『無かった事』かのように消えてゆく。死とはかくも残酷で、そしてはかない。
針井(はらえ)村に残った冒険者達のほとんどは、怒りにも似た感情を抱えていた。悪魔の襲撃によって、村の受けた被害は家屋の消尽二棟のみ。人的被害は、皆無。
つまり、真奈は文字通り身命を賭して村人を守ったのである。
だが、村人の疑心は根深い。村人たちは、真奈が災厄を招いたようなことを、密やかに話し始めていた。
「何を馬鹿なことを言っているの!!」
怒りもあらわにそう言ったのは、ノリコ・レッドヒート(ea1435)だった。
「真奈さんが命がけで皆さんを守ってくれたから、今全員無事でいるというのに、あなたたちは真奈さんが妖怪だからと言って、疫病神のように言うんですか!!」
「おさえろ、ノリコ」
「いやよ、兄さんも分かっているでしょう! あの人は本当に、村のために命がけで戦った。無駄と知りつつ、かなわないと分かっていても戦ったのよ! それなのに、それなのに‥‥」
リューガ・レッドヒート(ea0036)の制止を振り切って言葉を放つノリコ。しかし後半は感情が溢れかえって、言葉を成さなかった。
「妖怪もまた神敵‥‥しかし真奈どのは違う。我が輩が思うに、真奈どのはジャパンで言う『土地神』の役を全うしたのじゃ。せめてもの救いは、その責務に曇り一片も無かったことじゃろう‥‥」
神職者らしく、ゲラック・テインゲア(eb0005)が言う。しかし、ノリコの心は晴れない。
「身にしみねば分からぬと言うのなら、滅べば良いのです」
山城美雪(eb1817)が、冷たく言った。
「この300年平和に村を運営できたのは、あの真奈の存在あってこそ。これから先、この村を守る者は居ません。平和に慣れすぎた村がどうなるか、そんな想像力も無いのなら、滅んでも文句は言えないでしょう」
滅べ、という美雪の言葉に、村人はうろたえた。村人はこれからも冒険者が居て村を守ってくれると思っていたのだ。
「馬鹿言うな」
リューガが、さすがに鼻白んで言った。
「俺たちは金をもらって仕事をしているんだ。誰がそんな慈善事業みたいなことをしてくれると思っているんだ? 自分で言うのもナンだが、俺は義理に厚いつもりだ。が、そこまでの義理はこの村には無い。村を守りたければ自分たちで守れ。その時、真奈がどれだけ村の大事を防いでくれていたか分かるだろうよ」
いつになくつっけんどんに、リューガは言った。ぐびりと煽る酒も、今日は今ひとつ旨くない。
「‥‥‥‥‥‥」
アザート・イヲ・マズナ(eb2628)とジャイアントのゼットは、終始無言だった。
●魅了の瞳
村に対する防衛策は、ほとんど取られなかった。
相手が空を飛ぶということもあるし、村は防衛に適した地形になっていない。大規模な防衛陣地を作るにはまったく不向きで、結局出たとこ勝負の迎撃しか対処法が無かったのである。
真奈の結界がいかに効果があったか、今になって身にしみる。
アザートの提案で、呪符を使用するためのたき火を絶やさずに用意しておき、村の広場に陣取り冒険者は交代で不寝番をすることになった。村人にはしばらく、屋内に避難してもらうことにした。
例の槍は協議の末、リューガが引き受けることになった。一撃当てる攻撃ならば、《フェイントアタック》を持っているリューガが適任だったからである。
夜、リューガが不寝番をしていると、家屋の影から人の気配がした。リューガが腰を浮かせ、槍を手に取る。
「兄さん?」
それは、ノリコだった。
「なんだよノリコか。驚かすな。それにお前は寝て居なきゃだめだろう。ちゃんと寝ないと、明日がきつい――」
しゅるりと、滑るようにノリコが着衣をほどき始めた。そしてまたたくまに、全裸になる。
「ノリコ――」
「兄さん‥‥私、前から兄さんの事が‥‥」
ジンジンジンジン‥‥。
リューガの思考に、もやがかかっているようだった。目の前の裸体に目がくらみ――いや、ノリコの視線に、脳が麻痺させられてゆく。
――やばい。
リューガの本能が、激しく警鐘を鳴らしていた。しかし、ノリコから視線が離せなくなっている。
『兄さん、その槍をちょうだい』
リューガは、その言葉に従いそうになった。槍を差し出したリューガの手に、ノリコの手が伸びる――。
ととん!
「兄さん!」
鋭い声と共に、目の前のノリコに2本の銀の矢が刺さった。
GAAAAAA!!
ノリコが恐ろしい形相で吼える。リューガが我に返ると、目の前の裸体のノリコは、右腕を黒い獣のそれに変形させていた。そして声のした方向には、もう一人ノリコがいた。
「悪魔かっ!」
リューガが唇を噛み切って悪魔の邪眼――おそらくは魅了――を断ち切る。そして一挙動で体勢を立てなおし、槍を構え悪魔に突き出した。悪魔があわててそれを避ける。
「神敵調伏!」
別の物陰から、ゲラックが魔法の剣を抜いて飛び掛かっていった。悪魔はそれを回避すると、本性を現した。片角の悪鬼。それは紛うことなき、真奈を殺した悪魔だった。
『今少しのところを――』
悪魔が、言葉のようなものを発した。
「『其が狙いしは角を持ちし悪鬼なり』《ムーンアロー》!!」
美雪の渾身の《ムーンアロー》が悪魔を射抜く。美雪の姿は見えないが、どこからか狙っているはずだ。
ビィン!
『鳴弦の弓』の音に、悪魔が煩そうな顔をした。アザートのものだ。
リューガと美雪が、符を燃やし始める。
戦いが、始まった。
●悪魔殺し
ノリコの牽制射を無力と見た悪魔は、まずノリコに向かっていった。弱い者を叩く。悪魔は実に狡猾だった。避けようとしたノリコはいきなり石化の邪眼の捉えられ、移動不能になった。
「ノリコ!」
リューガが追うが、間に合わない。しかし、まだここに登場していない人物のことを、悪魔は失念していた。
「《ローリンググラビティ》!」
悪魔がいきなり空中に持ち上げられ、地面に叩きつけられた。
「甘いわい!」
ゼットだった。そして倒れた悪魔に向かって、リューガが槍を突き出す。
じゅっ!
GUAAAAAA!!
完全にミートしたとは言いがたいが、それでも命中した。焼かれた悪魔が吠え、その余波で噴出した炎にリューガが焼かれる。
ギン!
振り向いた悪魔が、リューガに向かって邪眼を放った。リューガの足元が石化し始めた。
ごっ!
そのとき、美雪の《ムーンアロー》が悪魔の脳天を叩いた。さすがに、悪魔がもだえ苦しむ。
ザザン!
ゲラックとアザートの斬撃が、悪魔に痛打を与えた。悪魔はたまらず、上空へ逃れようとした。
「私より、先に兄さんを!」
腰まで石化したノリコが、ゼットに向かって言う。ゼットはリューガに向かってリバースの《ストーン》を唱え、リューガの石化を中和した。その時、ゲラックとアザートは悪魔を飛び上がらせないように悪魔につかみかかっていた。
「いくぞ!」
リューガが悪魔に向かって突き進む。《フェイントアタック》を駆使して、悪魔に一撃浴びせようとした。悪魔がそれをなんとかかわす。悪魔も必死だ。
「むん!」
ゼットが悪魔に《ホールド》を仕掛けた。通常打撃は効果が無いが、組み伏せることなら相手が実体を持つ以上不可能ではない。悪魔はゼットに組み付かれ、ゲラックとアザートにつかみかかられ、行動に大きく制約を受けた。
「今だ!」
アザートが言う。リューガはそのまま、悪魔に向かって渾身の一撃をたたき込んだ。
ずが――――――――ん!
槍が根本まで悪魔の身体に埋まった瞬間、強烈な炎が噴き上がった。それはいっそ、爆発と言っていい。組み付いた3人もリューガも、それに巻き込まれた。
GRRRR‥‥‥‥。
爆炎が消えると、悪魔はまだ生きていた。胴体のほとんどを失い、眼球をはみ出させ内臓を腹腔から垂らし、ケロイドのように焼けた体表をさらしながら、まだ生きていた。
冒険者たちも、ただでは済まなかった。組み付いていたゼットはほとんど瀕死の状態で、つかみかかっていたゲラックとアザートも酷いやけどを負っている。直近に居たリューガも言わずもがな。
バキッと、リューガとアザートが『身代わり人形』を破壊した。二人の傷はすぐにふさがった。
「《クリスタルソード》!」
ゼットが、最後の力を振り絞るように魔法を唱える。
「使え。とどめは頼んだぞ」
地面から生えたその剣を取り。
リューガは悪魔に斬りかかった。
悪魔は頭を割られ、絶命した。
悪魔の肉片はウジの固まりになり、冒険者の手によって焼却された。
●伝説の終わり、物語の始まり
村には、小さいが真奈を鎮護するほこらが作られた。美雪が舞を奉納し、それは一つの伝説から物語になった。
「ありがとうございました」
村長が、冒険者達に礼を言う。
「村は、これからが大変だ」
アザートが言った。
「真奈の守りを失った今、鬼種や災害などにも見舞われるだろう」
「それでも、わしらはここで生きて行きます」
村長が言う。
そう、生きて行くしかない。真奈の遺志に報いるなら。
【おわり】