ディアネー・ベノン治療カルテ1

■シリーズシナリオ


担当:三ノ字俊介

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:12人

サポート参加人数:2人

冒険期間:04月20日〜04月25日

リプレイ公開日:2007年05月03日

●オープニング

●知っているようで知らない『麻薬』
 麻薬という言葉を聞くと、皆さんはどういうイメージを持つだろうか?
 犯罪、中毒、金、金、金。おそらく『恐ろしい毒物』という認識が普通であろう。
 しかし、実は麻薬も適量ならば、かなりの良薬であるという事実は意外と知られていない。例えば精神を病んでいる人に、緊張緩和のためにその類の薬が処方されることは結構ある。現代日本でも、医師が重度の精神病患者(正確な単語ではないが)に対して、『抗うつ剤』という名で処方される『覚 醒剤』というものもあるのだ。ガン治療にも使われていることをご存じの方もいるだろう。正確には、治療ではなく苦痛緩和のための処方だが。だが戦場で負傷した兵士にモルヒネを投与するのは、麻酔薬代わりの意味もある。
 つまりは、使われ方次第なのだ。国際赤十字でも、『モルヒネはタバコより安全で害毒性は少ない』とまで言わしめている。
 ただ、人間は快楽に弱い。
 禁煙が大変なように、麻薬中毒というものは身体よりも精神に傷跡を残す。ハイになった快楽の記憶と、醒(さ)めたときの気分の落差に心が耐えられなくなり、次の麻薬、強い麻薬へと状態がエスカレートしてゆくのだ。やがて『本当に薬が体内に無ければ異常をきたす身体』になってしまう。こうなると、麻薬から脱するのは絶望的である。
 ジ・アースでは、麻薬治療では僧侶の魔法《アンチドート》で、一定の成果を挙げている。ただこれは肉体的な話であって、精神までは治せない。異常な精神状態を安定させる《メンタルリカバー》などの魔法があっても、『快楽の記憶』までは消せないからだ。
 唯一の治療法――いや、武器はまさに『強靱な精神のみ』である。
 僧侶魔法の無いアトランティスでは、麻薬の横行は激しいものがある。下層階級の蔓延状態は深刻で、麻薬様成分を保持した野生の草木はわりと多い。カオスニアンはその道のプロが多く、香料と毒草と麻薬を使用した秘伝の調合術で、ほぼありとあらゆる恐獣を調教している。そして、これは認めるしか無いのだが――カオスニアンの調合した麻薬はかなりの高額で取引されているのが現状だ。正直な話、効きが違う。
 麻薬には麻酔効果もあるから、ケガの治療などで使用される場合もある。外科手術はアトランティスではタブーだが、壊疽(えそ)などを起こした組織を切断する必要がある場合、カオスニアンが調合した麻薬を使用するのは、実は医師や薬師の中ではある程度暗黙の了解だ。先だって『リバス砦』で報告のあった、瀕死の恐獣を蘇らせた何かも、その辺の関連物品ではないかと思われる。

●ディアネー・ベノン、その症状
 麻薬治療は、まさに『忍耐』の一語に尽きる。
 人としての尊厳すら保つのが難しい麻薬の効果については前章で記したとおりだが、現実的に物を見た場合、その治療風景は非常に凄惨である。
 中毒患者は、医師の言うことなら何でも聞く。それが、どのような無理難題でもだ。人間としての尊厳を秤にかけて、麻薬に転ぶ。それが中毒患者というものである。
 なぜか?
 麻薬中毒を治す医師は、『麻薬をくれるから』である。
 麻薬治療は、摂取した麻薬を投与し、その分量を減らしてゆくことで行われる。つまり麻薬治療の『魔法のような』抜本的治療というのは無く、患者の意志力のみが武器というのが現状だ。
 無論、《アンチドート》で麻薬を『抜く』ことは可能である。そして《メンタルリカバー》で、平常を維持することも不可能ではない。
 しかし神聖魔法の立ち後れたアトランティスにおいて、それらを十全の状態で維持するのは、物理的に不可能だ。ディアネー・ベノンに投与された麻薬が超が付く強力なモノであるだけに、魔法で強引に『毒消し』してしまうのは、正気の世界に蜘蛛の糸でバンジージャンプをするようなものである。糸が切れて地面に激突すれば、それは精神の崩壊を意味する。
 ゆえに、ディアネー嬢については、慎重な対応が望まれた。
 故ケーファー・チェンバレンの手記によると、麻薬治療の最大の特効薬は『精神的支柱』だそうである。その人物がもっとも『意志力』を発揮する状況を構築することが、最大の治療薬となるらしい。例えば、子供のために麻薬治療に立ち向かう母親など。その支柱が強靱であればあるほど、麻薬治療は早期に完了できるとある。
 見つけ出すか、造り上げるか。いずれにせよ『使命を果たした今のディアネー・ベノン』には、新たな支えが必要である。
 ありとあらゆる方法を模索し、今はここに居ない日之本一之助のように、『状況』を作るべきであろう。

●今回の参加者

 ea0266 リューグ・ランサー(31歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea0439 アリオス・エルスリード(35歳・♂・レンジャー・人間・ノルマン王国)
 ea0447 クウェル・グッドウェザー(30歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea1504 ゼディス・クイント・ハウル(32歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea2564 イリア・アドミナル(21歳・♀・ゴーレムニスト・エルフ・ビザンチン帝国)
 ea3062 リア・アースグリム(27歳・♀・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea5243 バルディッシュ・ドゴール(37歳・♂・ファイター・ジャイアント・イギリス王国)
 ea6382 イェーガー・ラタイン(29歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7463 ヴェガ・キュアノス(29歳・♀・クレリック・エルフ・ノルマン王国)
 ea7906 ボルト・レイヴン(54歳・♂・クレリック・人間・フランク王国)
 eb7880 スレイン・イルーザ(44歳・♂・鎧騎士・人間・メイの国)
 ec1282 悠木 忍(25歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●サポート参加者

ムド・ドクトール(ea8012)/ シュタール・アイゼナッハ(ea9387

●リプレイ本文

ディアネー・ベノン治療カルテ1

●政治の道具
 ディアネー・ベノンは、政治の道具である。
 誰も、それを否定することは出来ない。彼女は貴族であり、その責務を放棄しない限り、貴族で在り続けなければならないからだ。庶民は貴族にあこがれを抱くが、その実が大変な重責と不自由な生活で塗り固められている事を知る者は少ない。
 ましてやメイの国でその名を成した彼女が、今更政治の表舞台から立ち去ることなど許されるはずが無かった。それは、すでに政治の道具として組み込まれてしまった『状況』である。彼女の帰還はセンセーショナルで、そしてメイの民にとってはまさに『女神』のごとく敬われたのだ。
 が、その物語に影がさしていないわけではない。ディアネー嬢が『名無しの砦』で受けていた仕打ちは衆知のものであり、そして『捕虜の中で現場を目撃した者』にも『命乞いのために彼女を穢した者』にも、秘密を完全に守らせることなど不可能なのだ。恥を知り自責の念のある者ほど、『誰かに吐き出したくなる』。善人のほうが、口が軽いのである。
 が、それを責めることなど出来ない。彼らとて、死線を渡る寸前まで行ったのだ。正気と狂気の狭間で葛藤し、くじけた者に罪を負わせることは、酷というものだろう。そして何より、あの地獄を生き抜いたディアネー・ベノンが、望むはずがない。望むようであれば、もはやそれはディアネー・ベノンではない。
「はてさて、難儀なことじゃ」
 と、ヴェガ・キュアノス(ea7463)はつぶやく。
 ディアネー・ベノン治療チーム――あくまで仮称だが――となった冒険者達は、実に深刻かつ真剣に事態を改善しようとしていた。なぜなら政治の道具は、『存在することに価値のあるもの』だからである。つまり帰還した直後からすでに責務を負わされ――いや、厳密には帰還する前、つまり『在るだけで』価値あるものだからだ。
 ゆえに。救出直後、足下のおぼつかぬ状態でありながら救出しに来た冒険者に化粧を請い、衣装を整えさせて衆目に身を晒した彼女は、つまり自分の価値を正しく把握していたのである。
 そのため本治療最大の問題は、残り少ない薬物よりも彼女の健康状態よりも、『ディアネー・ベノン自身』であった。
「どうか今はお休み下さい。政務に関しては私が取りなしておきますから」
 リューグ・ランサー(ea0266)の、まさに懇願にも匹敵する説得に、ディアネー嬢はやっとで応じるという状況だ。体重をかなり落とし、食もまともに通らないというのに、彼女は『貴族の責務』を全うしようとしているのである。
 一見、これは良い兆候のように思える。しかしヴェガとゼディス・クイント・ハウル(ea1504)の統一した見解は、立ち止まってしまって倒れてしまうことを怖れる、彼女の心の危うさの象徴であるということであった。今の彼女にはそれしか依るべきものが無く、そして自分の余命にもある程度の覚悟を決めているのである。
「ベノン嬢は、生きるだけ生き切って燃え尽きるつもりだ。その動機は、おそらく家名か名誉か――いずれにせよそれでは『俺の戦争』が成り立たない。彼女には、戦争の『旗印』として生きてもらわなければならん」
「それがいかぬというのじゃ。おぬしも策士を標榜するなら、女心ぐらい読めるようにならぬか」
 ゼディスをたしなめるように、ヴェガが言う。ディアネーの身の回りを世話する者の人相改めをしたのはゼディスだが、女性からは大変不評であった。彼は必要なら、ディアネーの寝所や湯浴みの場所まで改めるからである。合理的だが、デリカシーは足りない。もっとも彼に言わせれば、『必要外のデリカシーを気にして、戦争には勝てない』ということらしいのだが。
 いずれにせよリューグは、スレイン・イルーザ(eb7880)を補佐に伴い、政務を代行し時間を稼ぐために王城へと赴いた。ヴェガは治療のための方策を模索し、ゼディスは屋敷の警備のために様々なことに腐心していた。ゼディスは認めたがらないが、屋敷一つどころか村を一つまとめ上げて組閣し、そして村人を含めた村その物をごく短期間で一個の防塁にまとめ上げた某天界人の手腕は、はっきり言って飛び抜けている。今は亡き若き僧侶も、『今居てくれれば‥‥』と思う者は多い。
 逆を言えば、それだけ頼っていたという意味でもある。ゆえに、今こそが残された者達の、『真の力量』が試される時と言える。

●『死人返り』を探して
 アリオス・エルスリード(ea0439)は、ディアネー・ベノンの治療のために必要不可欠な麻薬『死人返り』の入手のために奔走していた。しかし行き着いた結論は、『メイディアで入手できる可能性は、限りなくゼロに近い』ということだった。
「そりゃあ、原料は山向こうの『カオスの地』だし、精製方法も分からない。ましてや強力すぎて人間に使えないんじゃ、一般に流通しているはずも無いわよねぇ‥‥」
 ギルドスタッフの烏丸京子が、キセルとふかしながら言った。結局アリオスがたどり着いた有望な情報入手先は、事情通の彼女だったのである。
「諦めるわけにはいかない。金ならいくらでも払う。なんとか入手できないか? 原料の黒芥子だけでもいい」
 京子は考えるような顔になったが、あまり気が進まない様子で口を開いた。
「取引に応じてくれそうな相手なら、一応居るわね。相手次第だけど。でも、ふっかけられるわよ。多分、あなたが考えているより二桁ぐらい多い金額で」
「それは‥‥」
「ネイ・ネイ。彼女なら、入手は容易いでしょうね」
 うっ! と、アリオスがうめいた。以前ネイ・ネイと取引をしたときに、担当した冒険者達はいいようにもてあそばれたからだ。
 だがいよいよとなれば、それも覚悟しなければなるまい。
 もっとも、都合良く現れてくれればの話しだが。

●聖女の治療風景
「どうでした、食べてくれましたか?」
 ディアネーの部屋から出てきたイリア・アドミナル(ea2564)とリア・アースグリム(ea3062)に、クウェル・グッドウェザー(ea0447)が問いかけた。彼女たちの手には食器の乗った盆が乗せられており、そのほとんどが手つかずになっていた。
「食事を拒否しているわけじゃないんですが‥‥」
 イリアが、難しそうに眉間にしわを寄せている。
「ディアネーさんの心は、凍り付いています。責務を果たすことを拠り所にして立っている、カカシのようなものです。役目を果たせば倒れるだけ。悲しみも苦しみも感じない代わりに、喜びも感じない。彼女の肉体が生きているというだけで、心はほとんど死んでいます」
 室内から、悠木忍(ec1282)の《メロディー》の音が聞こえてくる。それも、彼女の心に届いているのだろうか。
「言いにくいんですが、その、身ごもっているとかそういうのは‥‥」
 イェーガー・ラタイン(ea6382)が、申し訳なさそうに訊いた。
「今のところ無いです。月のものも来たし、それは幸いでした」
 それに、イェーガーが複雑な表情をした。妊娠『不確定』なら、それを理由に自分が彼女の側に寄ろうという考えがあったのだ。自分が、彼女を支える役を担いたいと思っていた。
 後でその考えを話したら、リアにひっぱたかれ、女性諸賢からジト目で見られたが。同席していたボルト・レイヴン(ea7906)が雑事を理由にその場を逃げ出すほど、気まずい空気が流れたことは言うまでもない。正直、記録者もドン引きものの思考である。
 というか、傷に塩どころか唐辛子を通り越して、ハバネロをすり込むような行動だ。厳しい書き方かもしれないが、ジェンダーの違いをもっと考え配慮すべきであろう。

●罠の口が開く
 さて、忍のほうはというと、『現実の壁』に直面して、やや疲労を隠せないでいた。
 ディアネーは、良くできた少女である。いや、『よく出来すぎていた』。『ベノンの聖女』と呼ばれている現実を直視し、その名を貶めないように必要なことをきっちりしている。
 つまり、うろたえない、騒がない、恐れない。それは自分の死に対してでもあり、すでに彼女の目は死を見据えていた。
 忍は、彼女の側に居ないときは、寝食を忘れてケーファーの遺した資料と治療法をひたすら検証した。ディアネーのように一方向だけを見て、他の様々な雑念を追い出していた。そうでもしないと、彼女の前で笑顔を作り続けることが出来なかったからだ。
 そして、忍はディアネーの最後を予知した。
 張り詰めた糸は切れる。固い枝は折れる。ディアネーはまさにそういう状態であり、彼女は最後の最後に『貴族の責務として』死を願うだろう。そしてそうなったら、もはや救うすべは無いのだ。限界まで耐えて折れた心は、決して回復しないのである。
 ただ、忍は健常者であり、彼女の行動はともすれば何らかの実を結ぶ行為だった。そしてそれが奇妙な違和感を感知し、数日を置かずに看過できないほどに膨れあがった。
 ――おかしい、おかしい! 何か分からないけどおかしい!!
 彼女はその違和感を解消するために、ケーファー・チェンバレンの遺した資料を全て洗い直した。そして正答らしいものをおぼろげながら彼女が見つけたとき、致命的な事態が進行中だった。
「いけない!」
 脱兎のごとく、忍は資料室を飛び出した。

    ◆◆◆

「さて、今日は少しおぬしを綺麗にしてみようと思う」
 ヴェガが、ディアネーにほほえみながら言った。
「いつまでもその烙印をせおっているワケにもいくまい。ほんの爪の先ほどだが、その刺青、削って治療を試してみようと思うのじゃ。うまく消せるようならば、少しずつ消してゆこうと思う」
 ディアネーの左半身は、つま先から顔に至るまで数々の刺青に侵食されている。それを背負ったままでは、大衆の目に映るにはやや問題がある。
 皮膚を削るのは、リアが担当した。女性で刃物を扱わせるのが、一番上手かったからだ。
 帰還以来の養生で張りを取り戻した、柔らかな皮膚に刃を立てた時。
「待って!! 刺青を削っちゃだめ!!」
 ばん! と扉を開けて、忍が入ってきた。リアとヴェガ、イリアが頓狂な顔をしていた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
 そのとき、悲鳴とも絶叫ともつかない声が、室内に響いた。その直後、リア『らしい物体』が打撃音と共に部屋を転がった。
 刺青を消そうとしていた者達は、何がおきたか把握できなかった。ただ床に転がったのがリアだけではなく、ディアネーも共にであったことを知覚し理解するのに、数秒を要した。
「ヴェガさん! 《コアギュレイト》を!!」
 忍が言う。ヴェガが即座に《コアギュレイト》を発動させると、弓なりに痙攣した姿のまま、ディアネーの身体が異物を噛み込んだ歯車のように停止した。
 ――これでは足りない。
 唐突に、ヴェガの脳裏にそんな言葉が疾った。
 そして、その言葉の通りの『現象』が起こった。ディアネーの鼻から、耳から、目から次々と血が流れ出したのだ。
 ――心臓の異常活動による血圧の急激な上昇。
 ――毛細血管の破裂による異常出血。
 ――劇症の意識障害と異常行動。
 ヴェガの脳裏に、次々に言葉が疾る。
 ――『死人返り』です、『生きている限り、彼女は壊れ続け』ます。凍らせるか石化させ‥‥。
「イリア! 《アイスコフィン》じゃ! すぐに!!」
 ヴェガが、イリアに指示を出した。
「精霊よ!」
 ヴァキィイイインッ!!
 氷の棺桶が、ディアネーを覆い尽くした。生命活動も停止しているので、これ以上の『異常事態』は進行しないはずである。
「な‥‥何があったの?」
 リアが、頭を振りながら立ち上がった。したたかに打ち付けたらしい。
「『罠』よ。麻薬の罠が発動したの」
 忍が言った。そのとき、男性陣も部屋にやってきて状況を見て驚いていた。
「『死人返り』を刺青にしていたのは、遅効性の罠の『仕掛け』よ。ケーファーも言っていたじゃない。『傷口にすり込むことで血液と溶融し、麻薬の効果を現す』って。『刺青』っていうのはその仕掛け。刺青は血を流すような刺し方をしないから、血と混ざらず『死人返りにしては』微弱な効果しか表さなかった。でも、戦傷を負ったり今みたいに刺青を消そうとすれば、『死人返り』が血と混じって完全に効果を発揮する。その結果は、今みたいに彼女は『壊れ続ける』。戦場で擦り傷一つでも負えば、『メイの象徴』は『原因不明で死ぬ』のよ。『カオスの呪い』とか、そういう風に見せることも出来たかもしれないわ」
 忍が一気に言い切った。
「そして救出された後も、刺青に触れれば『異常な死』を迎える。『やはりカオスは恐ろしい』そういう風に世論を動かすことも出来る――と思う」
 悪辣な罠だった。ディアネーが死なずに済んだのは、忍がからくも間に合い、そして対象の時間を止めることの出来る魔法《アイスコフィン》を使えるイリアが居たという、偶然が重なっていたからに過ぎない。
 ――そして、あの『声』。
 ヴェガが、思う。確かに、ヴェガの知識の及ばぬ智賢が、ヴェガの脳内を通過したのだ。
「これで、状況は選べなくなった」
 ゼディスが言った。
「政治の道具である以上、このまま凍らせたままにしておくことは出来ない。となれば解毒するしか無いだろうが、そうすると強烈な依存症との戦いになる。無論、麻薬は与え続けなければならない」
 ゼディスが、いっそ憎たらしいぐらいの冷徹さで言った。
「つまり、我々はベノン嬢の確固たる精神的支柱をすぐにでも構築し、麻薬を抜いて依存症との戦いに『勝利させ』なければならない。無論、麻薬の量も含め『限られた条件の中で』だ。まさに、『激戦』となるだろうな」
 誰もが、心の中に絶望の二文字を浮かべた。しかし、最悪の事態を免れたのも事実である。
 戦いは、始まったばかりなのだ。

【つづく】