●リプレイ本文
ディアネー・ベノン治療カルテ3
●結末は緩やかに
人知のおよぶ事は、すべてやった。それこそ『神の領域』にまで手を伸ばし、様々な物を失い、冒険者たちはここにいる。
その中心に居るのは、たった14歳の少女である。昏々とと眠り続ける彼女の『ために』、一つの奇跡が完全かつ永久に失われた。
それは、宗教的には聖地を失陥するにも等しい代償であった。が、そのチップを卓にベットし持てる手札に賭けた事を、おそらく『この戦争』を一番実感している冒険者たちが、しっかりと自覚しているだろう。
ほどなく、彼女は目を覚ます。その時、全ての結果が出る。
そしてその行為が十全の成功だったとしても、それは『始まり』でしか無いのだ。
●刻(とき)の無い世界
『では、潜入します』
幽世(かくりよ)の住人となった10人の冒険者。聖女の復活を望み、そのために全てを尽くした物達。
彼らは今、肉体という呪縛を離れ、まさに『自由』という言葉をその身に体験していた。
もとい、約1名、潜在的にその能力と適正を持ちながら、頑ななまでに個我を維持し、その体験を維持出来なかった者がいる。魔法使いのゼディス・クイント・ハウル(ea1504)である。
彼は堅物で現実主義者であり、自分自身に対する精神的安定度が異常に高い。これは心身体的な能力ではなく、『意志』の問題だ。一瞬だけ自分の身体がアストラル体に転化したゼディスは、他の者に比べ自分の姿が異常なのにすぐ気づいた。他の者がほぼ例外なく『解放』を象徴するような姿になったのに、彼だけは『ロジック』の集合体のような、ソリッドな『物体』になっていたのだ。
「ま、これが俺の『本質』だ。そもそも魔法使いに『奇跡』を説くほうが間違っている。俺は予定通り、政務に関して問題の無いよう動くとしよう。『そっち』は貴様たちに任せる」
ゼディスはそういうと、さっさと傍観者を決め込んだ。
時刻は夜。ただし、幽体化している者達には認識できない。あるのは強烈な解放衝動とじわりと周囲の何かと解け合う柔らかさだ。物理的にたとえて言うなら、それは食虫植物の腹の中にも例えられただろう。
「貴様はどこに居る?」
フィーノ・ホークアイ(ec1370)が、何かキリキリした『もの』を発信した。周囲に伝播したそれが『言葉』に類するものだと全員が知覚したときには、『その用法と危険さ』も全員が認識していた。
現在の彼らの状態は、きわめて不安定な『意志』の集合体である。個我を維持しにくい現状においては、彼らは並列化された電算装置のように『一人が全員』に近い情報共有をしているのだ。
本来は緻密な訓練を経て維持すべき『自分』が、肉体の限界を超えてオーバーロードしている状態。このまま在れば、結末は全員融合し一つの塊になってどこかへ漂い去る。その行き先は、おそらく『原初の魂』とか『神の領域』とか、とにかく『そんな』場所である。
『ある程度の『維持』は皆さんでお願いします』
多分、ケーファー・チェンバレンの声だった。
『ただハウルさんのように、頑なすぎてもだめです。これから向かう場所は非常に脆弱な場所であり、我々はそこに『侵入』するということを忘れないようにしてください。私が出来るのは皆さんを『なるべく』安全に目的地へ案内することで、今も刻一刻と自分自身を『消費』しています。私は潤滑油のようなもので、結局ベノンさんが精神に『異物』を噛み込む事には変わらないのです。皆さんが望めば、小指一つ動かす手間で彼女の精神を完全に破壊することもできます』
いきなりレベルの高いオーダーである。つまるところケーファーが言うのは、『水泳できるから潜水艦を操縦してくれ』というレベルの話なのだ。はっきり言って無体だ。
が、聖遺物である『生命の紋章』とケーファーの支援があれば、『不可能ではなくなる』。もっとも、精神汚染やそのほか考えられるありとあらゆる『異常』が想定される。オーバーフローにオーバーロード、逆流や侵食。『そういったもののマージン』が、ケーファーの魂そのものなのだ。
「急ぐべきじゃな。人間一個分の魂で出来ることは、多寡が知れている」
きわめて現実的な、ヴェガ・キュアノス(ea7463)の言葉だった。彼女はかなり高いレベルで、現状を把握している。つまるところ、強靱な意志や願いを持つものが多いほどディアネーへの呼びかけは強く働くが、ケーファーの消耗は乗数倍で激しくなるのだ。
『潜入を開始します。ちょっと衝撃が来ますよ』
どづん!
鼻っ柱をいきなり殴られたような衝撃に、全員がうめいた。物理的に表現するなら『暴力』ではあるが、『それ』がディアネーの精神世界を構築するものの中でも、非常に密度の高い『苦痛』であることを知覚し、身震いした。
怒、悲、痛、窮、怨、呪、肉、邪、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、苦、殺、苦、苦、殺、苦、破、苦、苦、苦、壊、苦、苦、苦、苦、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す!! 殺す!!! 殺す!!! コロセ!! コロセ!! コロセ!! コロセ!! コロセ!! コロセ!! コロセ!! コロセ!!
「――――――――――――――!!!!」
永遠のような一瞬の後、全員がなんとか『その領域』を通過することに成功した。しかし『生の苦痛』に全身を通過された冒険者たちは、全身から嫌な汗が噴き出すのを抑えられなかった。幽体でなければ、胃の中身を全部吐きだしていただろう。
「い‥‥いまのは‥‥」
リューグ・ランサー(ea0266)が呻く。
「多分、『記憶』、だと思います」
エリスティア・マウセン(eb9277)が、蒼白な顔をして言った。女性陣は、言外に含むところがあるような表情だった。もちろん男性というジェンダーを持つリューグに、女性というジェンダーだけが理解できる『不快さ』をきっちり認識できるわけではない。それはクウェル・グッドウェザー(ea0447)も同じで、まるで全世界の価値観がひっくり返ったような顔をしていた。
――に、人間はここまでおぞましくなれるのですかっ!!
言葉にはなっていないが、波動のようなものが周囲に伝播した。怒り、絶望、そして恐怖。人間の醜さを文字通り『垣間見た』クウェルにとって、もしかしたらこの衝撃は、今後の信仰の維持にかかわるほどだったかもしれない。イェーガー・ラタイン(ea6382)に至っては、過日自分がディアネー嬢を娶る考えを起こしていたことを、文字通り後悔していた。あまりに軽々しすぎたことを、強制的に認識させれられたのだ。
「先へ」
早々に復帰したのは、イリア・アドミナル(ea2564)であった。
「進まなくちゃ、意味がありません」
その時全員が、すでにケーファーの声を聞き取ることが出来なくなっている事に、気づいていた。
●幸せの原風景
そこは、柔らかな日差しの降り注ぐ庭園だった。あまりに平穏な光景に、全員が『この場所』を誤解しそうだった。
リアルな、そして極限の虚構。そこは永遠に刻の止まった場所で、破壊されることも失われることも無いが、ゼディスあたりに言わせれば『停滞の象徴』となるだろう。
「繭、ですね」
リア・アースグリム(ea3062)が言った。
これは全て、ディアネーが作り出した虚構である。彼女の回帰願望でもなんでもいい。心がその『逃げ場所』に選んだ風景だ。おそらくディアネーは、死ぬまでこの世界で夢を見続ける。
「ここは『墓場』よ。ディアネーが自分で決めた、生前葬の埋葬場所。あの子は緩慢な滅びのために、この風景を選んだのよ」
悠木忍(ec1282)が言う。
フロイトでもなんでもいい、世の中の『精神学者』とか『心理学者』の本を紐解いてみるといい。彼らの著書の多くは、『人間の無意識は自壊を促す因子を持つ』というような内容が、言葉を変えて書かれているはずだ。著者にもよるが、その多くは『人間には自殺願望がある』というようなことについて触れられているはずである。
なぜなら、少なくとも彼らの研究サンプルの中で、自らを明確な意志を持って殺す生物は、人間しか存在しないからである。彼らの研究は一度この点に集約し、しかるに『なにゆえ?』と思考を展開させてゆく。
つまり、地球上に人間だけなのだ。生存本能と自殺願望を併せ持つ生物は。
そして、死に過剰な美学を持ち合わせるのも人間だけである。様式美でもなんでもいい、『言葉で語れる何か』を理由に自らを殺す。それが人間の持つ、他の生物には無いパーソナリティである。
「逆を言えば、この風景に全てが存在する、と言えるのか」
エリスティアの解説(正確には言語様な知識の並列化)を聞いたヴェガが、周囲を見渡した。ヴェガにはよく見たことのある雰囲気だった。死を待つばかりの病を患った、施療院の静謐さ。ただしそれは、全ての患者が死んで沈黙した『死の風景』そのものだった。本来施療院にせよ病院にせよ、その場所は人間が生活している『生あるがゆえの』生臭さがあるはずである。が、ここは細菌一つ無い静寂の中だった。
かさっ。
小さな葉擦れの音ともに、植え込みの影から金髪の少女が現れた。人形を持っていて、実のところあまり可愛いとは言えない。
ただ誰もが、その少女がディアネーであること理解した。
少女はくるりと身を翻すと、植え込みの奥へ消えてゆく。
――お母様、お客様ですー。
そんな声が聞こえたような気がする。植え込みの中から再び少女が現れた時、その背後には二人の大人がいた。一見して貴族の夫婦に見えて、そして異常なのが、どう目を凝らしてもその顔が分からないことだった。
――いらっしゃいませ。お客様が来るとは珍しいですね。
母親――らしきものが言った。幼ディアネーはそのスカートに抱きついている。
「我らは客ではない」
フィーノが、力強い言葉を発した。
「今、メイの国では、客人である天界人が命を捨てて居る。なあ、ディアネー。寝ておる場合ではないぞ。この地は元々我等のものであろう? ならばこの手で護るのが、筋という物だ」
きっぱりと、フィーノは言い切った。
――この子の事は、放っておいていただけませんか。
父親らしきものが言う。
「いいや引かぬ。貴様には成さねばならないことがあり、そのために命を使い潰した者がいるのだ」
「我が君」
と、リューグ。
「私は、貴女に出会って真の主君を得ました。まさに騎士として得難い栄誉です。しかし、それもあなたが生きてくれればこそ。貴女が生きて下さらねば、私も死んだも同然です。いえ、私だけではない。貴女はすでに、多くの命を救いその翼の下に容れました。もはや貴女無しでは、生きられぬ者が数多くいるのです! 我が君! どうか、どうかお戻り下さい!!」
バリーン!!
「「「「!!!!」」」」
突然、世界が割れて赤斑化した。いや、砕けたとか、そう表現したほうがいい。
「これは――血!?」
クウェルが呻く。
おびただしい数の人形。100や20ではない。すべて血まみれで、壊れていた。
――いらっしゃいませ。お客様が来るとは珍しいですね。
母親が、さっきと同じ台詞を言った。
「――これは、全部ディアネーじゃ」
人形を見て、ヴェガが呻いた。血の海に横たわる、壊れた人形、人形、人形――。
「ど‥‥どういうことですか」
リアがうめいた。のどが渇き、嫌な汗が出る。
「心理学的に言うなら、この人形は全部『ディアネーさんが切り捨ててきた自分の一部』です」
エリスティアが言う。
「『現実』を維持するには、人間は結構多くのものを必要とします。しかし『個我』を維持するために、自分の心の一部を切り離してしまうことがたびたび起こるのです。例えばドメスティック・ヴァイオレンスを受けた子供などに、『こういう現象』が見受けられます」
人間は忘却の生物である。人間の脳は、実に都合良く『嫌なこと』を優先して忘れてくれる。
が、いじめや家庭内暴力などの恒常的な暴力行為にさらされた子供は、その事実を『他人の事』にしてしまって自分の精神を切り離してしまうことがある。
そして、今のディアネーがまさにそれだった。人形は、視覚化された『彼女の忌まわしい記憶』である。
「どうしたらいいんですか?」
イェーガーが問うた。
「方法は――」
エリスティアが、さすがに言いよどむ。
「方法は、『自分で現実を認識する』しか無いです。自分自身に立ち向かえるのは、自分だけです」
つまり、ディアネーに全てを受け入れさせるしか無いのだ。
「是非もない」
ヴェガが言った。
「わしらは『そのために』ここまで来たのじゃろう。ならば、行動するしかあるまい」
どくん!!
――ぐっ!!
その時、全員が呻いた。心臓が拍動数を増し、周囲から悪意のようなものが身体ににじみこんでくる。
いや、それは『狂気』だ。
「なんだこれは!」
血の海に膝をついたリューグが、瀕死の体でうめいた。
「ケーファーじゃ」
ヴェガが言う。
「ケーファーが今、『完全に消滅した』んじゃ」
ケーファー・チェンバレンの霊体は、その多くのエネルギーを失いながらも冒険者たちを守っていた。しかし今、ついにすべてをすり潰したのである。
その代償は、慣れぬ幽体状態に『直接』染みこんでくるこの『狂気』。薄皮一枚がこれほど状況を左右するという状況は、彼らにはあまり経験がない。特に精神防御の弱いものから、確実に深刻な精神汚染が進んでゆく。
――どうする?
全員が同じ問いを思い浮かべ、そして思考が停止した。
物量と暴力で解決することは可能である。しかしその結果は、どう考えてもディアネーの完全な破滅しか無かったからだ。彼女を主君と仰ぎ、そして救いたいと思っている者に、そのようなことが出来るはずが無い。唯一出来そうなゼディスは、ここには来られなかった。
実体の維持さえ困難になってきた者も、早々に現れた。もはやこれまで――と、この中では唯一現実主義者であるイリアが覚悟を決めて呪文の詠唱に入ったとき――。
「ディアネー」
リア・アース・グリムが必死に足を進めていた。血だまりから汚穢を吸い上げるように、リアの下半身が紅く染まってゆく。
「私、あなたの気持ちが分かります」
話しながら、必死にリアは歩を進めて行く。
「私は昔、両親を化け物に殺されました。悲しくて、悔しくて、だから私は、剣を取り神の教えを学びました。たくさんの化け物を斬って、たくさんの人々の笑顔を得られました。でも、そんなのはただの欺瞞――。私が本当に欲しかったのは、『あの時』に父さんと母さんを守れる力! 本当に欲しいのは、失った家族の笑顔でした!!」
リアがディアネーの所にたどり着き、その身体を抱き寄せた。
「私は、間に合いませんでした。でも、貴女はまだ間に合います。間に合わせることが出来るのです」
そして、しっかりとその身体を抱きしめる。
「一緒に、帰りましょう‥‥」
沈黙。
そして確かに、ディアネーはうなずいた、はずだった。
すべてが光に飲み込まれ、全員は意識を失った。
●聖女帰還
元に戻ってみれば、あっけないほど静かな夜だった。
傍観していたゼディスによれば、霊体化から帰還まで、ほんの1〜2分のことだったらしい。とにかく全員無事に戻り、ゼディスは本来の仕事――つまりは政治的裏工作に向かおうかと思っていたところで――。
「ゼティス・クイント・ハウル」
確かに、ベッドの少女はそう声を発した。
「状況を説明してください。ここでのことは大抵覚えていますが、外部の状況については情報が足りません」
「御意」
そこで、ゼディスが初めて、臣下の礼を取った。
一同から、安堵のため息が漏れたことは言うまでもない。
●その後の話
後日のことについて、多少補足しておこう。
ディアネーは、着実に体力を取り戻し、政務復帰の準備を進めている。入れ墨については、当人が『政治に使える』という理由で、当分の間削除しないことになった。薬物依存は、かなり根が深いので完治まで時間がかかりそうだが、着実に進んではいる。
オルボート城塞はフィーノらがしっかり歩き回り、体勢を整えつつある。ただし『お客様』は減っていない。イロイロ裏工作して『聖女の配偶者は危険である』という状況を作ったのだが、『それはそれで』と求婚を申し出る人物が増えたのだ。まあ、そういう『危険は大好きです』という人もいるということである。
またどういうワケか、いつからかディアネーの配下に、ネイ・ネイが加わっていたことを特記すべきであろう。ゼディス辺りは「害無し」と完全にスルーしていたのだが、その事実が発覚したとき、ディアネーの周りの者たちは文字通り『すっ頓狂な声』を上げた。もっとも、『東方最悪の暗殺者』が『敵ではない』という状況である。驚くに値はするが、歓迎してもいい話だ。
遅い雪解けは、ついにカオスの地とメイの国を隔てる山脈の通行を許すようになる。ゴーレム兵器を得て精鋭部隊による進行をするメイの国勢力と、数を面状に押し出してくるカオス勢力との、まさに差し違えも想定した総力戦が始まるのだ。
機は熟した、と言えるだろう。
【おわり】