●リプレイ本文
クラーナ村に到着してすぐ、冒険者たちは教会へと足を向けた。途中で行き過ぎる家並みは、焼け落ちてほぼ全壊のもの、石壁が真っ黒に煤けたものが目立つ。いずれも先の火事を免れ得なかった建物ばかりだった。
それに比べれば教会はまだ大分ましだといえた。屋根の半分ほどが焼け落ちてはいるものの、それ以外は比較的原型をとどめている。途中で話を聞いたところによれば、村でも家が全焼してしまった者は、皆この教会に身を寄せているらしい。
教会の前にたどりつくと、そこにいた小さな女の子が、冒険者たちの姿を認めて顔を上げた。
「あの、司祭さまは」
サーラ・カトレア(ea4078)が声をかけると、五歳前後と思われる少女は走ってどこかへ逃げて行った。
「‥‥逃げられてしまいました」
「やれやれ。おっかない連中だと思われたか?」
少し傷ついた表情のサーラの後ろから、シン・ウィンドフェザー(ea1819)が首を振った。こんな農村では武装している者自体が珍しいのだろうし、そこにこんな顔が混じっていれば子供も怖がるか‥‥と、シンは傷痕の残る己の面をそっと撫でる。
小さな庭を回って教会の敷地内へと入っていく冒険者たちの最後尾で、遊士璃陰(ea4813)が足を止めた。
「‥‥?」
忍びとして研ぎ澄ました感覚が、刺すような視線を感じたように思ったのだ。首をめぐらすと、先ほどの女の子が、少し離れた木陰から璃陰のほうをじっと見つめていた。覚えのある面差しだと気づいて、璃陰は相好を崩す。
「なんや。雑貨屋の娘はんやね。元気やったか?」
兄やんのこと、覚えとるか? 話しかけた璃陰を一瞥して、女の子は身を翻し背を向けた。あ、と声を上げる暇もなく小さな後ろ姿が見る見るうちに離れていき、璃陰は中途半端に手を上げかけたままそれを見送る。
ついて来ない璃陰を訝って引き返してきた風烈(ea1587)が、彼を見つけてその背を叩いた。
「どうした? こんな所に突っ立って」
「烈はん。俺、そんなに怖い顔しとりますやろか」
「は?」
このとき誰もある可能性に思い当たらなかったことを、のちに冒険者たちは後悔することになる。
●悪しき華
バックパックから目的の巻物を引っ張り出す。広げてそこに描かれた紋様に目を落とす。普段は寡黙なシルバー・ストーム(ea3651)の低く冷たい詠唱の声がその場に響き、淡い紅の光が彼の体を押し包む。
火の魔法『アッシュワード』のスクロールだった。配達人の殺された現場に残るわずかばかりの灰を集めて、そこから何か情報を集めるつもりなのだ。
「どうだ?」
クロウ・ブラックフェザー(ea2562)が尋ねると、シルバーは首を振った。
「やはり、ここで火の魔法が使われたようですね」
「他には?」
「この灰には、鞄の残骸は含まれていないようです」
烈が腕組みし、やっぱりなと嘆息した。
シルバーやカルゼ・アルジス(ea3856)が出発前にパリで調べたところによれば、死んだ配達人は、金具であちこちを補強したかなり頑丈な鞄を使っていたらしい。いくら強力な炎の魔法でも、それなら金具の残骸くらいは残りそうなものだ。
「犯人が持ち去った‥‥と見るのが無難だろう」
かがみこみ現場の周囲の地面を調べていたシンは、膝の埃を軽く払いながら立ち上がった。
「人が黒焦げになるほどの火力なら、普通はもっと周囲が焼け焦げていてもいいはずだ。それだけの炎に村人が気づかなかったっていうのもおかしいしな。シルバーの話を疑ってたわけじゃないが、炎の魔法の使い手なのは間違いなさそうだ」
矛先を向けられたシルバーが無言のまま静かに頷く。
血痕らしきものも烈が見つけていた。焼け焦げた黒っぽい地面のほんのわずかな色の違いは、視力に優れた彼でなければ見つけられなかっただろう。屍が埋葬されてしまった今となっては確かめようがないが、おそらく何かの凶器であらかじめ命を奪った上で、死体に火をつけたのだと思われた。
「念の入ったことだよな‥‥」
クロウがいまいましげに黒髪をかきまぜるのを一瞥し、烈は諌めるような視線を送った。
「少しは落ち着け」
「わかってるけどよ」
クロウはこの村が以前火事に遭った場に居合わせている。そのことは烈も、ここに来る前目にした報告書で知っていた。彼らが到着した頃には、もう火は消し止めるのが不可能なほど燃え広がっていたという。そのときクロウがどんな思いで燃える村を見つめたか、おそらくは本人にしかわからないことなのだろう。
「‥‥嫌な予感がするんだよ」
ぽつりと落とされた呟きに、その場の全員の視線がクロウに集まった。
「殺すだけならともかく、死体をわざわざ燃やすっていうのがさ」
死体を焼く理由として、すぐに思いつくものはふたつ。ひとつは死体の身元を隠すため‥‥だがそれはこういう小さな村の場合、あまりいい方法とはいえない。隣近所が皆知り合いだし余所者はすぐに目につくから、いなくなった者を割り出せばすぐに身元が割れる。それなら屍そのものを隠すか処分するかしたほうが、まだしも確実だろう。そしてもうひとつは。
「‥‥まるで見せしめじゃねえか」
もし仮に彼の知るあの悪魔の仕業であるのならば、これほど奴に似つかわしい所業はない。
「配達人さんはそのままパリに戻るつもりだったみたい。司祭さまにそんな話をしてるのを、村の人が聞いてたんだって」
「そうですか‥‥」
カルゼの言葉を受けて、シュヴァーン・ツァーン(ea5506)は目を伏せて考え込む。
「ね、シュヴァーンさんはどう思う? やっぱりネルガルの仕業だと思う? 一度戦ったんだよね?」
矢継ぎ早に繰り出されたカルゼの問いに微苦笑して、シュヴァーンはそのまま歩き出した。カルゼに付き合ってひととおりの聞き込みを終えたが、あまり芳しい情報は得られていない。とりあえずユベールへの報告も兼ねて、教会へと戻るところだった。
「確証はありません。情報が少なすぎますから。やはり確かな証拠をつかまねば、村の方の安心には繋がりません」
「それだけどさ。もし仮にネルガルの仕業だったとして、それが安心につながるかなあ?」
「安心とはいえませんが、少なくとも、隣人が犯人かもしれないという疑心からは解放されるでしょう?」
一瞬シュヴァーンの科白を吟味して、カルゼはなるほどーと頷いた。
「疑心は不和を生みます。不和は放っておけばやがて争いへと発展します。各地に残る伝承や歴史がそれを証明しています。司祭のユベール様が危惧しておられるのも、おそらくそういうことなのでしょう」
「じゃあ、犯人はそれが狙いで?」
「それもあるかもしれませんが、やはり」
ユベールが預けたという手紙が一番怪しい。
「兄に宛てた手紙です」
「お兄さん?」
ユベールの思いがけない言葉に、カルゼが聞き返し、シュヴァーンが念のために問うた。
「そのお兄様という方が、パリに?」
「まだ私が司祭になる前‥‥もう十年近く前になりますが、田舎での暮らしを嫌って村を出て行ったのです。レオン――兄の名前ですが、レオンとはそれきり会っていません。一度だけ手紙が来て、連絡先を教えてくれました。パリで冒険者として暮らしているそうで、知らせれば戻ってきてくれるのではないかと‥‥」
そう言ってうつむくユベールを前にして、冒険者たちは顔を見合わせる。
「なんというかまあ‥‥少し拍子抜けだな」
溜息をついたシンは、てっきりもっと重要な手紙――大司教宛てとか、ブランシュ騎士団宛ての手紙を想像していたらしい。自分が悪いわけでもないのに、すみません‥‥と消え入りそうな声で言うユベールに、別に謝らなくてもと烈が肩をすくめる。
「じゃ、俺たちは少し村の周辺を調べてみるから」
話には加わらず装備を整えていたクロウと璃陰が立ち上がると、ユベールが慌ててそれを追った。
「お見送りします」
「ええ? いいよ、別に。すぐ戻ってくるし」
「いえ、せめてこのぐらいは‥‥」
ユベールが席を離れると、教会に着いたときに冒険者たちと会った女の子がそのあとをついていく。彼になついているのだろう。司祭が離れたのを見計らって、声を潜めて烈が仲間たちに話を振った。
「どう思う?」
「やはり手紙が怪しいとは思いますが‥‥手紙がユベール様の兄君に渡ると、犯人にとって何かまずいのでしょうか」
「しかし話を聞く限りでは、まるきり私的な手紙のようだぞ」
「あれじゃない? そのお兄さんっていうのが実は今すごい腕利きになってるもんで、村に帰ってこられると困るとか‥‥」
「どうかな。少なくとも俺は、レオンなんて名の凄腕の話は聞いたことがないが」
「えー? じゃあシルバーはどう?」
「‥‥‥‥」
首を振ったのは、どうやら特に語るべき意見がないという意味らしい。
手紙の内容を聞けば何かがわかるはずだと、皆勝手に思い込んでいたのだが、実際にはますます犯人の意図がわからなくなってしまったのだった。
「『気をつけてくださいね』、やて」
とん、とかすかな音をさせて、枝の上から地面へと着地する。疾走の術を使っている今は、こうした軽業はさして苦もなく操ることができた。出がけに心配そうに言ってくれたユベールの科白を反芻し、璃陰はほうと溜息をついた。
「可愛えなあ、ユベールはん」
「‥‥あの人、多分俺たちより年上だと思うけど」
水をさすクロウの科白も、璃陰は微妙に聞いていなかった。
「前ん時はそれどころやなくて気がつかへんかったけど、案外ええ男やしなあ。こう、儚げっちゅうの?」
確かにあの若い司祭の顔立ちはよく見れば意外と端正だが、よく見なければ端正だとわからない、つまり地味だということだ。そんな男性に『可愛い』『儚げ』という形容をする璃陰の審美眼は、クロウにはどうも理解しがたい。
「お前の趣味はまあ別にいいけどさ。ちゃんと気をつけてるか?」
「わかっとるって」
さすがに顔を引き締めて璃陰は周囲を見回す。丘の上から見下ろす村の様子には、特に異状はみられない。村から逃げるとき、同じようにこの丘から焼けるクラーナ村を見下ろしたことが、自然と思い出された。
「くそっ」
自然と苛立ちまでも蘇ってきたのか、クロウが短く悪態をついて屈みこみ地面を調べ始める。しばらく這うようにして近辺を探し回ったが、特に足跡などは見つけることはできなかった。
「まあ奴だとしたら、飛べるから足跡が残るとは限らないしな‥‥」
呟いて立ち上がる。クロウが念入りに地面を調べている間、璃陰はずいぶん遠くまで行ってしまったようだ。追いかけようと歩き出して、ふと靴の爪先が何かを蹴った。見下ろせば黒い棒状のものが、地面からわずかにのぞいている。
「炭‥‥?」
見回すとそのあたりだけ、何かを燃やしたように地面に焼け焦げが残っていた。こういう見晴らしのいい立地では珍しくないことで、クロウももしこのあたりで野営をしろといわれればこの場所を選ぶだろう。自分たちのほかに誰か冒険者でも通ったのか、それとも犯人の痕跡かと、試しに掘り返すことにした。
「‥‥‥‥!!」
自分が見つけたものが何であるか、すぐに気づいて手が止まる。
最初黒い炭の燃えかすだと見誤ったそれには、小さな指が五本ついていた。その反対側の断面はやはり焼け焦げていたが、よく見ればそこから細い華奢な骨が、途中でへし折られたように鋭く尖って突き出しているのを認めることができた。
それは芯まで真っ黒に焼けた、子供の腕の残骸だった。
●苦い果実
クロウが腕の残骸を持ち帰ったものの、それが誰なのかは結局わからなかった。灰になっているわけではないので、アッシュワードも意味をなさない。
「事件に関係ないはずはないと思うんだが‥‥」
死んでから子供の腕を引きちぎったにしろそうでないにしろ、おぞましい仕打ちには違いない。何かがわかりそうでわからず、烈はもどかしげに息を吐いた。その様子を見ながら、シュヴァーンが唇を引き結んだ。
「最後の手段ですね」
彼女の言う『最終手段』とは、村の人間を集め、『配達人を殺した者』と指定してムーンアローを放つことだった。範囲内に犯人がいるならば、これで確実に見つけられる。もしも犯人がすでに逃げていたりすれば魔法はシュヴァーン自身にはね返ってくるはずだから、彼女が痛い思いをする以外は問題ない。
だが、この計画は意外な結果に終わることになる。
詠唱するシュヴァーンを、居並ぶ村人が不安げに見守る。
呪文が完成すると、その手の中から光の矢が飛び出した。それは目にも留まらぬ速さで空中を裂き、人垣の中へとまっすぐに飛んでいく。とたんに、火がついたような泣き声が響き渡った。
「あれは‥‥」
村に着いたとき教会の前にいた、あの女の子だ。雑貨屋の娘なのだと璃陰が言っていた。一瞬驚きのあまり言葉をなくした冒険者たちの前に、顔を真っ赤にして進み出てきたのは、すると雑貨屋の主人ということになる。
「なんてことをするんだ! うちの娘に」
「離れてください! その子が配達人様を」
「何を馬鹿げたことを。うちの子はまだ五つだぞ。そんなことができるはずがない」
「でも、魔法が‥‥」
「冒険者というのがこんなに乱暴者だとは思わなかった。こんな小さな子にあんな魔法を使うとはね!」
ムーンアローは射程範囲内に指定した相手がいる限りは、決して標的をあやまたない。だが怒り狂い唾を飛ばす親に、そんな説明が一体どれほどの意味を持つだろうと、シュヴァーンは思わず口をつぐむ。この魔法は確かに探す相手を見つけるのに便利ではあるが、本来が攻撃のための呪文なのだ。現にムーンアローを受けた少女は、痛いようと親にすがって泣いている。
「‥‥すみませんでした」
その言葉をしぼり出すのにはひどく努力が要った。
雑貨屋の主人はまだ泣いている子供を抱き上げると、司祭のほうを鋭い目で睨みつける。
「わざわざ大金をはたいてこんな連中を雇うなんてな! それなら村が食いつなぐための食料でも買ったほうが、まだしも村のためになったろうに。レオンも今ごろはこんななのかと思うと、がっかりだよ」
「そんな言い方‥‥ッ」
「よせ」
食ってかかろうとしたクロウをシンが押し留めた。ユベールは答えられずに、泣きそうな顔で下を向いている。
足音も荒く男が教会を出て行く間際、抱き上げられていた女の子がふと顔を上げ、親の肩越しに冒険者たちのほうを見た。誰もがやりきれない思いで雑貨屋の主人の背を眺めていたから、その様子を全員がはっきりと目にしていた。あどけない顔立ちをした子供の、痛みに泣いていたはずのその面を。
――そのとき確かに、少女は嗤っていたのだ。