志道に心差す 六
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■シリーズシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:2〜6lv
難易度:易しい
成功報酬:1 G 36 C
参加人数:10人
サポート参加人数:3人
冒険期間:03月14日〜03月19日
リプレイ公開日:2005年03月20日
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●オープニング
日々は慌しく過ぎ去る。代わり映えのしない日常は時間の進みを鈍らせる。ただ苦しくも充ち足りていた時間の記憶だけが足早に遠ざかって行くようだ。あの動乱の日々から半月余りが過ぎた。
三月に入ったある日。冒険者が今日もギルドへ訪れると、番頭が呼び止めて手招きする。
「預かり物だ」
そういって手渡されたのは一通の手紙だ。差出人は道志郎とある。逸る気持ちを抑えて封を解くと、そこには簡潔な言葉でこうあった。
『今夜、九つ時に町外れの川原にて待つ』
義勇軍を率いて那須へ馳せ参じた道志郎は100匹からなる鬼の一群を討ち、初陣を勝利で飾った。味方に多数の死者を出しはしたものの、義勇軍の戦果としては望みうる最良の結果と言ってよい。茶臼山戦役での戦勝は唯一この勝利を数えるだけであった。
玉藻の復活を阻止すべく与一公の差し向けた那須軍の本隊は一矢と報いることなく惨敗を喫した。元より傾国の大妖を相手取っては負けるべくしての惨敗だった。勝算もなく戦地へ送られた兵達は復活の贄として捧げられたようなものだ。もしも鬼の群れがその那須軍の後背を突いて進軍していたらと思うとぞっとしない。
戦功を認められた道志郎は神田城へ招かれ、藩主与一公から直々に真新しい滋籐の弓と報奨金100両が与えられた。藤道志郎の名は一角の将として世人の知るところとなる。
「久しぶりだな。皆、元気でやっていたか」
その夜、道志郎は川原へ一人で現れた。その脇には軍備品が積まれた車が数台。
「今の俺の器量ではあの軍を率いるのは無理だ。残った兵も全部野に帰した」
軍資金の全てを使い果たした道志郎に軍を維持する余力は残っていなかった。当てにしていた報奨金も当座を凌ぐには遠く及ばず、こうして軍は解散された。
「百両と言っても鎧三つ買えば足が出る額だしな。いくら戦功を上げても臣下でもない義勇軍の扱いなんてそんなものだってことだ。俺はもう那須へは戻らない」
道志郎に限らず恩賞は最低限に切り詰められている。我々の歴史においても、これと似たようなケースがすぐに思い当たるだろう。13世紀に起こった正中の変・元弘の変、二度にわたる元寇での論功行賞である。満足な恩賞を与えられなかった御家人は幕府への不満を募らせ、鎌倉幕府滅亡の一因となった。那須藩の財政についての噂は既に江戸にも流れている。識者は敏感に反応するだろう。
「道志郎、九尾のことはどうするんだ。このまま放って置くのか」
「無論、このまま引き下がりはしないさ。だが今はその時期じゃない。来るべき時を待って今は己を磨きたいんだ」
復活を果たした玉藻がこのまま下野へ止まる理由もなく、警戒の強まった那須を離れて身を潜めているとも考えられる。そう道志郎は考えを語った。領国の外へ逃れられたとしたら那須藩は最早手出しが出来ない。他国の領内へ那須藩やその息が掛かったギルド那須支局が介入すれば政治的な問題になりかねないからだ。
「寧ろ、今度は源徳家康が動き出すだろうな。百鬼夜行の折には玉藻に江戸を攻められ、武名を傷つけられたままだ。このまま放って置く筈はない」
そうだとすれば、これ以上那須で動いていても活躍の場は望めない。あれだけの敗戦を喫した後だ、那須藩も当面は復興と藩政の立て直しに奔走することになるだろう。道志郎なりにそう世情を分析し、己の行く末を考えたということのようだ。
「この際だから、返すついでに藤の姓と一緒に実家に返してしまおうと思ってさ。これで俺は身一つだ」
そういって道志郎は後ろの車を指した。青年が選んだ道は、藤道志郎として掴んだ声望を捨て、一介の武人として己を磨く道だった。その時が訪れたら、今度はもっと力強く風を捉えるために。
「ただ先に兵たちを返したのは失敗だったよな」
そういって道志郎は笑顔を覗かせた。
「俺一人じゃ夜の内に蔵へ運び込めないだろ? 報酬は安いが、また手伝ってくれないか?」
当てもなくただ心の指すままに飛び出した青年は、冒険者達との出会いと動乱の日々を通じて一回り大きく成長した。やがて心に差した思いを胸に、再び道を探して歩み始めようとしている。彼の志した道がこの先どこへ続いていくのか、それはまた別の物語で語られるだろう。ただ今は、己の道を歩みだした青年の目指す先が、明るい未来へと続いていることを祈ろう。これはその餞だ。
「さあ、荷はけっこうな量がある。夜が明けないうちに取り掛かろう」
●リプレイ本文
「この荷物を運び込むん? 確かに倉を空にしたし良いんやけど、急やな」
車に詰まれた荷を見遣ってグラス・ライン(ea2480)がおどけて笑う。
「後処理とでも言ったところでしょうか。付き合った手前、最後までお手伝いいたしましょう」
早速車を引いてアルカス・アルケン(ea6940)が支度に取り掛かる。
「うちには力仕事はできんから、驢馬に車を引かせるんよ。ライも手伝ってくれんやろ? ライは馬操るんもうまいもんな」
「道志郎さん、正式に挨拶すのは初めてかな。ラインちゃんの面倒を見てくれてありがとうね、那須でも無事でよかった」
彼女はクゥエヘリ・ライ(ea9507)。まだ幼いラインの保護者でもあり、那須でも義勇軍として従軍していた冒険者だ。
「その節はありがとう、ライン。俺がここまで来れたのも皆のおかげだ」
「うちはラインちゃんの驢馬が道に迷わんように誘導やね。動物は飼い主に似る言うもんな」
「ライ? どういう意味なんかな、それ」
その二人のやり取りを横目に木賊真崎(ea3988)は苦笑を漏らした。
「皆で手分けすればそう手間でもあるまい。ウチの馬子さんにも頑張って貰わないとな」
「はい、馬君にもがんばってもらわないと」
イリス・ファングオール(ea4889)も愛馬に荷を引かせる。
「さあ、一つの道の終着点です。ほんの少し、今まで通って来た道を思い出してみましょう。それはきっと、次の道を歩む力になるでしょうから」
やがて準備が終わると一行は藤家を目指して出発した。この仲間達で歩みを共にするもの今夜で最後と思うと、李焔麗(ea0889)の歩調も心なしか緩やかだ。
「終わったら、お酒とか少し用意してちょっとだけお祝いをしませんか?」
「祝勝会ですか。折角の機会ですしね、お酒は嗜む程度ですが、今夜は酔いつぶれるまで付き合いましょうか」
イリスの提案にアルカスも今夜ばかりは楽しそうな顔を覗かせる。焔麗も思案顔で口にする。
「場所は川原でどうでしょうか」
「桜とか咲いてたら綺麗だったのかも知れないですけど‥‥でも、もう少ししたら咲くんですよね。それも楽しみです」
旅立ったあの日はまだ寒い冬の入り口だった。四半年にも及ぶ道程はとても一言では語り尽くせない。敢えて言い表すならば暗中模索と言おうか。何をなすべきかも判然とせぬままに、ただ手探りで進み、手痛い失敗を犯したことも一度や二度ではない。
(「自分の不甲斐なさに歯痒い思いをした事もありますね。とは言え、終わり良ければ‥‥ではありませんが。一時の勝利、喜んでも罰は当たりませんよね」)
その胸に残った感触を噛み締めるように、アルカスは小さく頷いた。
「人生とは即ち旅。頑張って進まないといけませんからね」
結果として妖狐復活を阻止はできなかったが、彼らは確かに志の証左を残した。前非を悔いれば、悔悟は今も数多と浮かぶ。それは否定できないが。
(「それでも今のこの結果が、きっと私に出来得る最善だったのでしょう。悔やみはしても、やり直したいとは思いません。過去を受け入れ、未来へと歩みましょう」)
振り返れば多くの出会いがあった。那須の地で、またその道中で。共に戦った那須藩士達。道志郎と共に道を歩んだ仲間。それはきっと良き出会いで有ったと、焔麗には確かに感じられた。いつしか誰もが言葉を止め、残り僅かな道中を噛み締めるように黙している。
「故郷へ続く帰り道とか、まだ知らない場所へ続いてたり」
イリスが呟いた。歩みはそのままに足元へ落ちた視線が彷徨う。
「道はたくさんあるけど、全部自分の足と意思で歩いていけるなら、素敵な事ですよね。空はきっとどこに居ても繋がってるし‥‥」
やがて見上げた夜空には満天の星。それは行く末を照らすように瞬いていた。
月は出ていないが、星の美しい空だ。
「道志郎との旅もこれでひとまずの一区切りか‥」
手を止めて夜空を見上げていた風守嵐(ea0541)は、いつしか感傷的になっていた自分を恥じるように頭を振った。屋敷に先回りした彼は侵入の手筈を進めている。
「‥なかなか良い経験をさせて貰った旅だったぞ」
それは那須で何度も見上げたのと同じ空だ。仲間と離れ隠者として見上げた空。死の淵で仰いだこともあった。人ひとりの力なぞ夜空に散らばる小星のように高が知れている。そう自嘲気味に嘯いても見るが。
(「‥‥だが、この星空の如く集まれば、人の力は――」)
不意に通りで馬蹄の音。塀を登ると、仲間達の姿だ。準備は整ったらしい。真崎が目配せを送り、嵐も頷き返した。踵を返し、ふと嵐はもう一度だけ首を上げる。
「全てが終わった訳では無い‥‥だが、この一瞬だけはな」
一つの終わりを前に張り詰めていた気持ちが緩むのも否めない。だが仲間が共にいれる最後の刻だけは。
「‥‥さて、最後の一仕事か‥これでようやく終わるな」
忍び込んでいた榊原信也(ea0233)が内情を探ったところでは、周囲に人の目はなく警備も薄い。
「‥まあ、何というか。‥‥蔵の中身も全部売り払ってしまった訳だしな‥」
とは言え、ぶつくさと文句を言いながらも手だけはきちんと動かしている。家人に知られぬよう蔵まで辿る経路を調べ上げ、蔵の鍵も破ってある。一見するとてきぱき動いているようだが、実は遁走の術のせいだというのは内緒の話だ。
「‥‥こっちだ、手筈は整えたぞ‥」
勝手口の鍵を開けて信也は仲間達を導き入れた。それを合図に、銘々に荷を抱えて班有作業が始まった。とは言え、女性も多い。これまで縁のあった者たちも手伝いに顔を見せたが、大変な作業になりそうだ。
「エルフのウィザードとしては、体力ある心算なんですがね‥‥」
「‥‥本音を言いますと私も力仕事はあまり得意では無いのですが、まあ人手は有れば有る程良いでしょうし」
焔麗も苦笑で見合わせ、アルカスも肩を竦めて返すと代わりに弓や刀を抱え上げる。
「まあ、そんな事を言っても仕方がありませんね。これも、トレーニングとでも思って、頑張りましょう」
「あ、うちも一緒に持ちます。みんなで力合わせれば多少は重たいものも早く運べますよね」
ライが槍の端を支え、バランスを取りながら二人で勝手口を潜っていく。道志郎も鎧を担ぐと、足音を忍ばせて続く。
「あんまり無理はするなよ、何度かに分けて運べばそれでいいんだからな」
「これなんかやったら持てそうや。よかった、うちも手伝える」
グラスも矢筒を抱えて満足そうに微笑んだ。音を立てぬよう武具の類は小分けに茣蓙にくるんである。河原からも特に騒ぎになることもなく、是までの所は順調。
「‥真の難関はその後だし、な。‥‥涼も何やら含みがある様だが‥まあ、其方は任せるとするか」
「さて、最後の仕上げといきますか」
正門には鋼蒼牙(ea3167)と御影涼(ea0352)の姿がある。鋼へ頷き返すと、涼は門戸を叩いた。
「夜分遅くに失礼します。この度の那須の戦で道志郎軍で副将を務めてました御影涼と申します」
「この度は、突然の訪問失礼致しました。自分は鋼蒼牙と申します」
二人揃って、畏まって頭を下げる。出迎えた壮年の侍は着衣に乱れもなく、気難しさを窺わせる。
「使いの者から大まかに話は聞いている。道志郎がお世話になったとか」
父親は深々と腰を折った。
「愚息がご迷惑をおかけ致した」
「漸く那須の雑事が片付き戻ってきた所です、一連の事について藤家当主にご報告する義務有りと伺った次第です」
涼が話を切り出したのを見計らって、鋼も口を開いた。
「確か‥‥道志郎さんでしたか。いや、此度の那須での活躍を聞きまして‥‥。自分も冒険者として‥‥。また、人にものを教える身として、その道志郎さんの親御さんである、あなたに話を聞いておきたいと思いまして」
終始無言の父親へ、いつしか二人は熱っぽく語り掛けていた。道志郎がどう悩み、どう考え、どう行動したか。この数ヶ月、何度も行動を共にし、彼の成長をつぶさに見てきた仲間として。道志郎がやがておぼろげながらも己の道を見出し、そして今一人の武士として旅立ちの決意をしていることを。
不意に、ガタンと屋敷の裏手で物音がする。そっちを見遣り、父親は眉を顰めた。
「猫でも入り込んだようですね。あれは最近一人立ちした年頃でしょうかね」
「子はいつか親の元を離れて一人立ちするものです。どうか、黙って見守っては頂けないでしょうか」
含みを込めて鋼が言い、涼も真摯に訴えかける。
「これは家族の問題だ」
それは余りにも正論だ。
「こんな夜更けに押しかけて来て話さねばならぬような問題かね? これはまず道志郎と私とで話すべき問題だ。お引取り願おう」
蔵の方角へ視線をやると、父親は二人へ丁寧に頭を下げた。踵を返したその背へ涼がすがるように言葉を投げかける。
「彼は那須で大将として立派に務めました、悩み苦しみもしましたが堂々とした武士振り、それは傍にいた私が保証します‥‥彼を誇りに思って下さい」
ふと父親の足が止まる。その背が何か語ろうとするように震えたが、そのまま振り返りもせずに戸は閉められた。
結局、荷の大半は蔵へは運び入れられなかった。家人に追い出された一行は、荷を車で引いて河原まで戻って来ていた。夜明けまでまだ暫く残されている。道志郎の門出を祝ってささやかながらに祝杯があげられた。
「皆お疲れ様、結果だせてよかったね」
甘酒で乾杯したグラスが頬を赤らめてて微笑んだ。
「道志郎さんも、ぐぐっと飲んで貰いますよ〜。‥‥ちょっとだけですから♪」
「お、ああ。そういえば皆で飲むのは初めてだよな」
こんな和やかな雰囲気で膝を付き合わせるのもこれが初めてだ。普段は余り酒を口にしない焔麗も今夜ばかりは頬を赤らめて楽しんでいる。もっとも、酒は一滴も飲めないという鋼は一人だけ茶で乾杯していたのだが。
「もう、俺はあんたと会う機会はそう無さそうだが、あんたの志‥‥見せてもらったよ。あんたのこれから‥‥期待してるぞ」
「道志郎さん、今度旅立つ時にはうちもっと助けられるように頑張るよ。うちは皆みたいに活躍は何も出来んかったかも知れんけどまた呼んでね」
暫しの別れになる道志郎と杯を交わし、思い出話を肴に話は尽きない。一方で信也は甲斐甲斐しく酒をついで回っている。
「‥‥ったく、いくら祝杯やるからって何で俺が」
ずぼらな性分だとは本人の弁だが、案外根は世話焼きなところもあるのかも知れない。いつしか笛の音に合わせてイリスが歌い始めた。イリスの故郷の歌、旅をしながら覚えた歌。軽やかに、時にしんみりと。
「なあ、道志郎さんお別れの挨拶はしたん?」
道志郎を見上げてグラスがぽつりと呟いた。
「うちな迷子で流れ流れてこの国に来たんよ。そんでな、親しい人とお別れをしっかりとしてないんよ。後悔せんようにした方がいいと思うんや」
「ありがとうな、グラス。でも家には帰らないって決めたんだ」
「何ならうちも一緒に謝りに行こうか? 道志郎は頑張って大きな事なしたんよ、家を出るにしても仲良くして欲しいんよ」
それに道志郎はゆっくりと首を振って答えた。
「今はまだその時じゃないんだ」
いずれ道志郎自身が決着をつけることだろう。不意に彼の肩を抱いて、涼が酒を勧めた。すっかり酔いが回っているのか、いつになく饒舌だ。
「俺も道志郎と共に行動する事で初心に戻れた気がするんだ。お前は道を志しそして道を見つけた‥‥その成長を見れた俺達もまた其々道を志し前へ進むんだ」
仲間達を見回した。感極まって深く息を吸い込み、感嘆の吐息を漏らす。
「縁とは不思議で素晴らしいものだよな」
隅では真崎が一人で座っている。乾杯の盃を開けたまま酒の進まぬ彼へ、嵐がそっと酒を勧めた。顔を起こした真崎は、僅かな逡巡の後で盃を差し出した。取り分け苦労の多かった二人だ。それだけで通じるものもある。真崎も返杯すると、二人はもう一度盃を合わせた。
「きっとうちにはわからない思いが、一緒に旅した人たちにはあるのでしょうね」
そんな皆をライはぽつんと一人で眺めている。深い信頼で結ばれた仲間達と、その輪の中に居場所を見つけたグラスが、ライには少しだけ羨ましく思えた。
時は足早に過ぎ去る。やがて夜が白み始めると、宴はお開きとなった。
「‥‥いずれまた、皆の道が交わる事はあるでしょう。それは遠からぬ事かもしれないし、ずっと先かもしれません。その時まで、しばしの別れです」
「舗装された道だけが道ではありません。進む意思さえあれば何処でも道になるのです。これからも苦しい道中になるかもしれませんが、幸運を」
焔麗とアルカスの言葉は穏やかだが、力強い激励の言葉だ。その餞に道志郎は思わず身を震わせた。別れ際、真崎が声を潜め、密かに道志郎へ告げる。
「‥必要と感じたら訪ねてくるといい。猫の手程度の役だが、な」
「おそらく他の皆も同じ想いだろうがな。別れの言葉は言わぬ」
それを耳ざとく聞きつけて、嵐も頷き返す。
「その心に持った志を捨てぬ限り、オレ達はいつでも“その時”の呼びかけに呼応するつもりだ」
「前、道志郎さんが偉くなったら〜って話をしたけど」
まだちょっと良いの回った様子でイリスが呟いた。彼女は言葉を選ぶように俯くと思考を巡らせた。本当はもう今のままでも、ちゃんと立派だと思ってはいるけれど。その思いは言葉にはせず胸に止めて。
「ん〜‥‥でもやっぱりこう、もうちょっと‥‥」
眉根を寄せて小首を傾げると、道志郎へ手招きする。
「どうした、イリス?」
「そうだ、ちょっと目を瞑ってみてください‥‥」
怪訝な顔をしながらも道志郎が言われるままに目を閉じると。
『グッドラック。‥‥また会いましょう♪』
唇に軽く触れるようなキス。驚いた道志郎を置いて、彼女はそのまま駆けて行った。
「え、あ、‥‥い、イリス‥‥?‥」
不意を突かれた驚きというには少し違うものがある。
「ひょっとして道志郎さん」
「‥‥お前、まだだったのか‥?」
意地悪く信也が問うと、道志郎の顔が真っ赤に染まった。
「なんやあ? そうやったんか道志郎さん」
「あははははは」
誰からともなく笑い声が漏れた。この門出に湿っぽい空気は似合わない。進む道は暫し道は分かれようとも、まだ別れのときではないのだ。
こうして仲間達はそれぞれの岐路についた。一つの終わり、だがまだこの道は終わらない。真崎の唯一の気がかりは、狐川の存在だ。
(「完全に裏をかかれた相手だ、追う気がないと云えば嘘だが‥」)
玉藻と行動を共にしている可能性も高い。いつそれが訪れるのかは分からない。だが縁が繋がっていれば、いずれ機も巡る。
「道志郎に習い『今はまだ時期ではない』、そういう事にしておくさ」