禁猟区の掟  イタチの夜

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:1〜5lv

難易度:普通

成功報酬:5

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:03月11日〜03月16日

リプレイ公開日:2005年03月20日

●オープニング

 ここは武蔵国の外れ、奥多摩のとある宿場町。
「おい手前、ぶつかっといて礼も無しかよ」
 物語はその一角にある酒場から始まる。すれ違い様に肩が触れたなんてことは良くある話。きっかけは、ただ男の虫の居所が悪かったというだけのことだ。
「詫び入れろや。聞こえてんのか、そこのガキ、手前だよ」
 呼び止められて振り返ったのはまだ幼さの残る少年だ。茶味掛かった髪と瞳。小柄な体躯は線の細さとあいまって、どことなく控えめな印象を与えている。場末の酒場には不似合いに見えた。
「悪ぃ」
 ぼそりと一言。少年は頭を下げる。踵を返した少年のその手を、男が掴んで引き留めた。少年が男を見上げ、視線がぶつかり合う。
「謝っただろが。大の男が小さいコトをぐだぐだとよ、みっともねえ真似すんなよ」
「黙って聞いてりゃ‥‥小僧そこに直れ、叩っ斬ってやらあ!」
 男が懐の短刀へ手を掛ける。その瞬間、酒場の空気が変わった。
「旅の人」
 不意に声が掛かる。酒場の隅。老人が一人。
「悪いことは言わん。この街じゃ刀だけは抜きなさんな」
「ンだ手前は! 爺はすっこんでろ!」
 声だけは威勢がいいが、周囲の反応は冷ややかだ。酒場中から暗い眼差しが余所者へ注がれている。酒場の主人が口を挟んだ。
「アンタ余所者だな。刃傷沙汰はご法度、ここじゃそういう取り決めなんだ」
 この宿場町は古くから一帯を仕切る博徒の火場所になっている。それと同時に、近隣の村を根城にしている的屋の庭場でもある。的屋と博徒の縄張りが共存を保っているのはさして珍しい話でもない。だがここ最近になってからは若者からなる新興勢力が幅を利かせてきている。若い連中は無茶もやる。街中をうろつく彼らはさながら血の匂いを嗅ぐ鮫。三竦みの宿場はいつ爆ぜるとも知れない瓦斯の密霧だ。火片の一つで街は赤く塗り替えられる。いつからか、街中で刀を抜いてはならないというのが暗黙の了解となっていた。
「アンタだってヤクザ者と揉めるような面倒事は御免だろう?」
「けっ。気分悪ぃな。他所で飲み直すぜ」
 いそいそと男が酒場を後にしようとすると、その背を引きとめる声がある。
「あんた、抜かねえのか」
 少年だ。
「半端はよそうぜ。オッサン、やるなら最後までだろ。抜けよ」
 少年の目つきが鋭く変わる。小さな背を反らして挑発するが、男は取り合わない。
「馬鹿か手前は。いちいち詰まんねえコトで命張ってられ――」
 半ばで男の胸倉を少年が掴み寄せた。少年の腕は細いがバネ仕掛けのように力強い。ぎぎりまで絞り上げられた縄索のように引き締まっている。襟元をきつく締め上げられて男の顔がみるみる赤く染まっていく。
「刀抜くのに周りは関係ねえよ。気にいらなきゃあ斬る。腹ん中にドス呑むってのはよ、そういうことだろが」
「‥た‥‥たすけ‥」
 男の手がもがくように宙を掻いた。掠れるその声は少年には届かない。少年から注がれる視線はただ獲物へ向けられている。
「その覚悟がなきゃあ、せいぜいさえずるだけにしときなよオッサン」
 少年が目を剥いた。
「ああ? 獣でもねえクセに吼えんなや」
 泡を吹いた男を足元へ叩きつけると、少年は無造作に男を蹴り飛ばした。呻き声を上げる男を振り返りもせずに彼は酒場を後にする。
「牙を剥けば、あ奴はさながら気位が高い虎じゃな。同じ畜生でも、まるで己以外は獣に非ずとでも言わんばかりに振る舞いよる」
 少年を見送りながら老人が呟いた。
「若い連中は限度ってモンを知らんからの。あ奴らにはやくざ者たちも手を焼いておるわ」
 あの少年のように年の頃もまだ十四、五といった若い連中が徒党を組んで最近では伸して来ているのだ。命知らずの若者を束ねるのはここ半年ほどで街に居座るようになった流れ者だという。
「旅の人、命拾いしたのう。あ奴はその流れ者の片腕じゃて。見た目はただの餓鬼じゃが、それ故に恐ろしいということもある。抜いとったら、ヤクザの前にあ奴にられとったろうなあ」


 江戸、冒険者ギルド。
「悪いな、今ある依頼はそこにある分だけだな」
 そう言って番頭は張り出した依頼を指した。
「暫く待てば直に条件のいい依頼も舞い込む筈だろう。どうしてもと言うのなら、ない訳ではないが‥‥碌な話ではないぞ」
 そう前置きして番頭は話し始めた。奥多摩の宿場町が何やらきな臭いという噂がある。
「今の所は依頼も来ておらぬが、早い内から一枚噛んでおけば、儲け話にありつけるかも知れんな」


 再び奥多摩。街道には宿場町へ向かう一団がある。
「下手人は博打で首が回らなくなり、商家の蔵から大金を騙し取った盗人だ。額に汗水せぬくせに、食うに困れば人から奪う犬畜生。手心を加える必要はない」
 男は数人の手勢を率いている。彼らは江戸から逃れた罪人を追う官吏。
「畜生のことだ、追い詰められれば牙を剥くかも知れぬ。だが我らに柔な牙は通らぬ。そうなれば後はせいぜい少しばかり悪知恵が働くだけのこと」
 西日に背を押されて男達は街へ急ぐ。
「良いか、これはイタチ狩りだ。卑しい盗人など人とは思うな。今夜中に片をつけるぞ」
「応!」
 遠めに見えた宿場は夕焼けに薄く染まっていた。充満した火気は次第に飽和へと近づいている。今はまだ濃度の偏りが揺らぐ陽炎。その揺らぎすらも起こらぬほど濃く危険が立ち込めた、その時は。宿場の夜は赤くむせぶのだろう――。

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 いよう、どうだい調子は? 最近じゃここも物騒でかなわねえよな。ん? 俺の名前? ああ、俺のことは好きに呼んでくれて構わねえよ?
 にしても、最近じゃ的屋がショバ代を吊り上げたおかげで露天商も軒並み青息吐息みてぇだよな。何でもこの間ちっとばかしヤクザと揉めて用心棒に大金払ったとかって話しだし、あいつらも金に困ってるってとこみてぇだな。それから三の辻の重一爺さん。爺さんとこのナシマツが病気だと。可哀想に、噂じゃあ目が開かなくなるかもってなあ。
 そうそう、大事なことを忘れてたぜ。ここいらに江戸から盗人が逃げ込んだって話だぜ。そいつを追ってお上が街へ乗り込んで来るってんで、盆も当分は閉めるって話だ。テラ銭が入らねえってんで貸元もぴりぴりしてらあ。今の時期はヤクザ連中には近づかないのが賢い生き方だね。もっとも跳ねっ返りの若い連中は血が見れそうだってんで歓迎してるみてえだけどな。あいつらの居所かい? そうさね、今の時期は二の辻の酒場ってとこかね。聞かれたから答えちゃあいるが、自分から火の粉に飛び込む阿呆は長生きできねえぜ。
 他にも何か知りてえことはあるかい? 安くしとくぜ。って、当たり前だろ、金取るのはよ。こっちもネタ仕入れんのには手間かかってんだからな。これだから素人さんは困るぜ。ま、初めてってことで今日のところはツケにしといてやらあ。そんかし、次は弾んでくれよ? 約束だかんな。んじゃ、またな。



*用語解説
 火場所:博徒の縄張り。盆(賭博場)を開く権利を独占し、テラ銭を徴収した。
 庭場:的屋の縄張り。露天商へ営業権を与える見返りに金銭を要求した。
 テラ銭:賭博場に入る際に胴元へ支払う場借り賃。参加費のようなもの。
 貸元:博徒の親分。戦後の暴力団組織で言うところの組長に相当する。
 ヤクザ:今日では戦後に成立した暴力団組織を指す言葉だが、ここでは博徒集団を指すものとする。

●今回の参加者

 ea0063 静月 千歳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea3619 赤霧 連(28歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea4445 鴨乃 鞠絵(21歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea7030 星神 紫苑(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea9237 幽 黒蓮(29歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb0139 慧斗 萌(15歳・♀・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb0812 氷神 将馬(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1119 林 潤花(30歳・♀・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb1160 白 九龍(34歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb1440 秋朽 緋冴(35歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 街には徐々に流れ者達の姿が増えつつあった。夕刻の宿場はきな臭い空気がたちこめている。
「元は普通の名前だったこの街も〜、血で血を洗う抗争から〜、今では誰でも鬼の哭く街、鬼哭(きこく)の街って呼んでるってさ〜」
 慧斗萌(eb0139)が薄羽を羽ばたかせて仲間を振り返る。
「私は血みどろの抗争を眺めるのが大好き」
 漆黒の瞳に街を映しながら林潤花(eb1119)が呟く。流れる黒髪、だが透き通って白い肌は彼女がエルフの血を引くことを窺わせる。
 二十年ほど前、流れ着いた渡世人が的屋を作り、博徒と血みどろの抗争を繰り広げた。今では元の名前は忘れられ、いつからともなく鬼哭宿と呼ばれるようになった。
「何か〜泥棒さんが逃げ込んだんだってね〜」
 官吏への牽制でその内ヤクザが男を浚うだろうと専らの噂で、それに一枚噛もうと若い連中も動き始めている。話に噛んでないのは的屋くらいだ。街中が男の動向に注意を向けている。
「ふーん、そんなに良い男なんだ。ぜひ会ってみたいわね」
 二人が交わすのこの国の言葉ではない。華国のそれだ。
「面白いね〜☆ んじゃあ、萌っちも手伝っちゃおっかな〜?」
「暫く身を隠せるのであればヤクザであろうが的屋であろうが俺は別に構わんがな‥‥」
 テーブルの端では白九龍(eb1160)が終始無言で二人の会話に耳を傾けている。小柄な体躯はパラのそれだが、何より異様なのはその左腕。厚く巻かれた包帯は上腕部を根元まですっぽりと覆い隠している。三人組はこの街でもかなり目立つ組み合わせだ。
「そうだ。イイこと思いついちゃった」
「なになに〜?」
 林が萌へ耳打ちし、ヤクザ者達に渡りをつける算段を話し合い始める。二人を横目に白が眉を顰めた。その様子に気づいた林がニコリと笑みを向ける。
「白君も協力してくれるわよね?」
「手は貸すが、面倒事は御免だ」
 憮然として白は荷物を背に抱える。返答はそれだけで十分だ。お代を置くと、三人は揃って席を立った。

 一帯を仕切るヤクザは三の辻に商家を構えている。貸元へ話を通すため秋朽緋冴(eb1440)は屋敷を訪ねていた。冒険者は渡世人とは違うものだが、堅気でない流れ者という意味では似たようなものだ。
「この宿場は色々噂になっているようですが、私はいざこざを起こす気はりません。元貸しは器量のあるお方と話に聞いています。よろしければ何か聞かせてもらえませんか?」
 丁寧に頭を下げて取り成しを頼むが、応対に出た子分は渋い顔だ。
「ダメだ、親分は忙しい。大事な客がきてんだ。俺が話しつけといてやるから今日のところは帰んな」
「有難うございました。それでは宜しくお願いします」
 元より組に義理があるのでも、また草鞋を脱ぐつもりでもない。丁寧に礼を言うと彼女はその場を後にした。
「何やら表にはお客人のようですが」
 同じ頃、屋敷の奥には静月千歳(ea0063)の姿がある。以前にヤクザの仕事を請け負っていた彼女は土産を手に貸元を訪ねている。
「それにしても、先日はお力添えできませんで、申し訳ありませんでした」
 千歳を前に座敷で杯を傾けるのは身の丈七尺はあろうかという偉丈夫だ。毛むくじゃらの腕は丸太のように太く、厚い胸板は刃など突き通させないのではと思わせる程だ。ここ一帯を仕切る博徒の貸元である彼の後ろ盾があれば街でも凌ぎ易くなるだろう。
「おう。気にすんな」
「お心遣い痛み入ります。ところで逃げ出した猫はどうなりましたか?」
 その言葉で杯を運ぶ腕が止まった。貸元の頬がぴくりと動いた。笑ったのだろうか。
「おい」
 低く太い声は威圧的で思わず身を竦めて仕舞いそうにもなる。
「この街に来た時は隣の宿を好きに使いな。何かあったら俺の名前を出せばいい」
 ほっと胸を撫で下ろし、千歳が微笑みを漏らす。
「そう言えば、逃げた鼠を追いかけて、庭の中に猫が数匹入り込んでしまいお困りだとか。早く厄介事が去ればよいのですけど。でも、死体でなどとなれば、それはそれで面倒ですね」
 返事はない。貸元は黙って杯を傾けている。それを黙認の意と取ると、千歳は暇を告げた。丁寧に礼をし、彼女はその場を辞す。
「色々と、楽しい事が起こりそうですね」

 二の辻の酒場では跳ねっ返りの若い連中がたむろしていた。
「キミ兄、あれ‥」
「‥‥ほっとけ」
 キミと呼ばれたのは、先刻、酒場で大人相手に揉めていたあの少年だ。視線の先には赤霧連(ea3619)。
「えへへ、私のことは連って呼んで下さいネ☆」
 キミの視線に気づいて、連は小首を傾げてにこりと微笑む。
「おい、キミ兄は手前なんざお呼びじゃねえってよ。調子こいてっとヤっちまうぞ、ああ?」
「くすくす。主達は獣と言うよりもケダモノですの」
 酒場の隅でした声に一斉に少年達が声の主へ視線を向ける。年端もいかぬその少女の名は鴨乃鞠絵(ea4445)。少年達が詰め寄るが、鞠絵は涼しい顔だ。
(「さてはて、面白き事になりそうですわえ」)
 少年の一人が鞠絵のいる卓を蹴り飛ばした。鞠絵は浮かべた余裕を崩さない。懐へ手を忍ばせると、短刀を抜いた。酒場の空気が変わる。
「あれ、困りましたの。其方が手を伸ばさねばこの刃、斬れるものではございませぬが、この切っ先、触れれば斬れますわえ」
 だが少年達の反応は鞠絵の想像していたものとは違う。誰からともなく呆れ交じりの溜息が漏れた。不意に、ブン、と風を切る音。振り向いた鞠絵の横で少年が椅子を振りかぶっている。次の瞬間にはそれが容赦なく鞠絵の頭を殴打していた。
「すっげ、マジで鞠みてーに飛んだぜ」
 頼みにしていた忍びの術も荷が重くて印が結べないではどうにもならない。もっとも術を使えたにしても手習い程度の腕前では高が知れているが。鞠絵の側へ少年がしゃがみこんだ。短刀を奪い取ると、髪を掴んで頭を引き起こす。
「嬢ちゃん、お痛が過ぎんぜ? 刀抜くってことは、ここじゃ『殺して下さい』って意味なんだって、知ってた?」
「って事は‥‥殴り合いなら良いんでしょ?」
 入り口を振り返ると、立っていたのは幽黒蓮(ea9237)だ。
「ンだ手前は?」
「喧嘩を売りにきたの。それとも、こうした方が早い?」
 言うが早いか少年の鼻っ面を素早く拳が襲う。それが合図となり、たちまち少年達は黒蓮へ襲い掛かった。この場だけで7、8人はいる。これでは多勢に無勢だ。少なくとも、誰の目にもそう見えた。
 機先を制して黒蓮が正面へ拳の連撃を叩き込んだ。くの字に折れた少年の懐へ潜り込んで肘で持ち上げると、右からの攻撃を受け止める。持ち上げたその腕で今度は左の少年へ打ち下ろしの拳。鼠径部へ無慈悲な一撃をくれる。
「一人、二人、これで‥‥三人!」
 背後に迫っていた相手の拳を振り向き様に受け止めるとお返しに拳の連撃。更に4人目の腹に思い拳を叩き込んだ所で、黒蓮の頭部を強烈な一撃が襲った。
「名を売りたいって奴にイチイチ構うな」
 砕けた銚子をキミは放り投げると、踵を返した。
「キミ兄」
「‥‥つまんねェ。後は好きにしろ」
 振り返りもせずキミは酒場を後にする。残された黒蓮は鞠絵と共に床に転がり、少年達にその場で押さえつけられた。
「で、どうするんスか」
 声が向けられたのは一番奥の席。所狭しと敷き詰められた皿には山盛りに料理が盛られ、その卓へ男が一人で座っている。おそらくは彼が親玉。鞠絵が顔を起こした。
「我を置いてみませぬかえ?」
 その声は彼の興味を引くことはない。
「焼き味噌、熱燗、モツ煮込み、丼飯‥‥」
 男はただ何事かを呟いている。自嘲気味に黒蓮が嘯く。
「半殺しの目に遭うくらいは覚悟の上だけど、度量のない小者にいいようにやられるなら癪だわね」
「――丼飯。隣のガキは焼き味噌の皿で勘弁しといてやれ」
「ッス」
 少年が鞠絵の髪を掴んで頭だけ引き起こすと、顎の下に器を置いた。事態を飲み込めていない鞠絵へ、少年は拳を振りかぶった。
「へへっ」
 へし折られた鼻から血が噴き出し、顎を伝って皿を満たしていく。黒蓮へは空の丼が宛がわれ、その顔からすっと血の気が引いた。
「そうやって暴力でガキどもを従えてるってワケね‥‥‥‥でもこのスリルには憧れるかも」
 上ずった声で嘯くと、それに男は可笑しそうに少しだけ唇を歪めた。
「‥‥減刑。モツ煮込みでいい」
 丼の代わりに小振りの鉢が置かれ、次いで骨の軋む鈍い音。酒場に黒蓮の呻き声が漏れた。

「どうもちょこまかと動き回る連中が多いようだな。こういう時は腰を据えて動かないと痛い目に合うものだ」
 騒ぎのあった酒場を遠めに窺っていた氷神将馬(eb0812)は、その足で隣の飯屋へ入っていく。
「親父、適当に見繕ってくれ」
 腰を下ろすと、注文を取りに着た店の娘へ軽く挨拶を交わす。
「俺は氷神将馬だ。まあ、食うには困らん武家の三男坊。この街には昔の馴染みがいてな、時々会いに来ることにしてるのさ」
 彼はこうして盛り場で飯屋を梯子している所だ。何軒か回れば美味い飯を食わせてくれる店も見つかるだろう。ついでに眼鏡に適う良い茶を出す所が見つかれば上出来だ。
(「以前に訪れたことがあるが、鬼哭はまだ右も左もわからん街だ。ちょっとした活動の基盤を用意しておくのが良いだろう」)
 この街と長く関わることを予感した彼は街での足場固めを計算して動いていた。数日も通い詰めれば店の者や常連客とも馴染みになれるだろう。堅気も含めた人脈はいずれ大きな力となる。焦る必要はない。どっしりと構えて、刻を得たその時に悠然と動けばいいのだ。
(「さて、後一芝居して俺のことを印象付けておくか」)
 態度とは裏腹に氷神は用心深く抜け目ない。用意した筋書きを終えれば狙い通りに事は運ぶだろう。足場固めを考えたのは彼だけでなく、商家を後にした緋冴も露天を回ってやがて同じ酒場に行き着いていた。血の気の多い連中と関わるのは慎重を要するが、盛り場で聞き耳を立てる分には損もない。
「あなた、追われてるんでしょ?」
 酒場へ入ってきたのは林達三人組だ。隅で一人酒を煽っていた男へ、林が男の隣に腰掛け、囁いた。
「助けてあけよっか」
 男には林のその笑みが天使の微笑みに見えたことだろう。端から見ればニヤリと笑った狡猾な笑み、獲物を取って喰うときは殺気を隠すもの。微笑みの端に浮かぶ毒が一番恐ろしい。
(「この物騒な街では油断できんな」)
(「血の気の多いのは何も若い衆だけではないようですね」)
 それを横目に窺いながら傍観者達は気を引き締める。この街じゃ知恵と実力と運の足りない者から順に姿を消していく。刀を抜いてはならないといえ、依然ここは狩場なのだ。

 二の辻をキミが一人で歩いている。二人、という言い方もできるかも知れないが、正確ではないだろう。彼の後を少し離れて連が歩いている。当のキミは道連れだとは思ってもいないようだが。
「いい加減になあ‥‥」
 不機嫌そうにキミが振り返る。その瞳を前に連が口にしたのは意外にもこんな言葉だった。
「ところでキミ君は、本当にカラッポなのですネ」
 連の漏らした苦笑にキミは思いがけず表情を揺らがせた。踵を返し、キミは歩き始める。
「ねぇ、キミ君? 私と一緒にこの街を大々的に変えてみませんか」
 連が正面へ回り込むと、キミは顔を背けた。更に回り込んで連はキミの顔を覗き込む。
「具体的に何をするといいますと‥‥これからキミ君と話し合って決めるのですよ。人助けなんてどうですか? ほら、‥‥だってカッコいいじゃないですか☆」
 笑顔で、でも大真面目に。連の瞳は真っ直ぐだ。
「三の辻の万屋を訪ねな」
 キミは大きく一つ嘆息すると言った。
「お前みたいなお人よしはこの街じゃ生きてけねえよ。重一ジジイなら面倒見てくれるはずだ。だから俺にはもう構うな」
「ということは、OKしてくれるんですネ??」
「はァ???」
 素っ頓狂な声を上げたキミへ連はなぜか照れ笑い。
「エヘヘ。だってほら、私を助けくれようとしてくれるじゃないですか」
 キミはもう一度大きく嘆息すると今度こそ踵を返した。その背へ連が声を投げかける。
「騙すより騙される方が、私は好きです」
 振り返らずにキミが手を振ると、満足そうに笑って連はそのまま駆けて行った。やがてその足音が遠くなると、キミは歩みを止めた。
「邪魔は消えた。出てきなよ」
 通りへ姿を見せたのは林達三人組だ。
『俺はここまでだ。こいつらと係わり合いになるのは御免被る』
 白がキミへ一瞥をくれる。言葉が分からないのか、キミは肩を竦める。それには答えずに白がその場を後にした。代わりに林が口を開く。
「例の盗人、あげるわ」
「おい、約束がちが‥‥」
「役人に突き出して点数を稼いでも良いし、しばらく匿って、この状態を続けてヤクザの財政を悪くすることも出来るわよ。私はきっかけを作っただけ。選ぶのはあなた達よ」
 ふと盗人はキミを前に目を見開いた。キミが男を覗き込む。
「お、お前はあん時のガキ‥‥!」
「おっさん、また会ったな? あんたが例の盗人かよ」
 キミが男の口を塞いだかと思うと、その喉を短刀で掻っ切った。
「ほら、刀抜くのに回りは関係なかったろ?」
 飛沫が舞い、その場に濃い血溜りが出来上がる。キミは死体になった男を無造作に転がした。
「‥‥でも、可愛いよねェ虎ちゃん☆ 虎ちゃんより強い奴は、この世に沢山居るけど〜。この世の全てが気に入らない、やり場のないエネルギーを持て余すって表情〜」
 キミの周りを飛びながら萌がおどけた声を出す。
「虎って呼ぶな。重一のジジイから聞いたのかよ」
「ん〜、いいねェ〜実に破滅的でさ♪ あはは〜、怒った〜☆」
 旋毛を曲げたキミを煽るように萌は瞳を覗き込んだ。
「これから長い付き合いなんだしね〜仲良くしようよォ、虎ちゃ〜ん?」
 その一部始終を物陰から窺う男がいる。
(「‥‥とんでもないモノを見てしまったな」)
 彼は志士、星神紫苑(ea7030)。官吏側の動向を窺っていた彼は、この近辺で動いている官吏の動向を探っていたのだが偶々彼らよりも先に男と、そして林達三人組に出くわしてしまったのだ。
(「連中が狩りと称して捜索しているほどだ、下手人は余程の大金を盗んだに違いないと張ったんだが」)
 結果として目撃した光景は興味で関われる範疇を超えている。気づかれないように彼はその場を後にする。折角金になる話を嗅ぎつけたと思ったのに、これでふいになってしまった。
「盗人が死ねば金の在り処は一から探す必要があるな。だがそれ以前に、下手人を往来で殺られたとなれば官吏も捨て置けないだろう」
 過ぎた事は仕方ない。この街と関わる時間が少し長くなっただけのことだ。
「楽しませてもらうとするか、色々とな」