禁猟区の掟  フクロウの夜

■シリーズシナリオ


担当:小沢田コミアキ

対応レベル:3〜7lv

難易度:易しい

成功報酬:5

参加人数:10人

サポート参加人数:2人

冒険期間:04月04日〜04月10日

リプレイ公開日:2005年04月12日

●オープニング

 ここは武蔵国の外れ、奥多摩のとある宿場町。 かつてこの町では博徒と的屋の間で血みどろの抗争劇が繰り広げられた。今では元の名前は忘れられ、いつからともなく鬼哭宿と呼ばれるようになった。鬼も哭く町、と。
「‥‥‥ィチ‥‥」
 三の辻の万屋。店先の鳥篭で鳥が鳴いている。
「‥‥‥‥ジュゥーィチ‥‥ジュゥー‥」
 鳴き声の先にはうず高く詰まれた品の向こうに老人の姿が覗く。その鳴き声はまるで老人へ呼びかけでもしているようだ。店へ男が一人、足を踏み入れている。老人は頸を起こした。
「お客さんかね。悪いが今日は仕舞いじゃ。出直してもらえんかのぅ」
「何を仰います、重一老。この店が開いていることなど、この十数年に一度とないではありませんか」
 答えた男へ、顔を起こした重一は満足そうな笑みを返した。老人に座敷へ促されて男が座布団に腰掛ける。出された茶を口にしてから、男は口を開いた。
「例の盗人のことなのですが」
「そうかそうか。あの旅の男、殺されよったか」
「はい」
 暫く前のことである。江戸で大金を盗んだ罪人がこの町へ逃げ込んだ。盗人を追って官吏も捜査の手をこの町まで伸ばしたが、その捕縛を前にして男が斬殺体で見つかったのだ。その後の官吏たちによる執拗な調査でも下手人は見つからず、真相はいまだ闇の中だ。
「罪人をすぐ目の前にして殺されたとあっては、官吏たちもこのまま下手人を放っておくことはできまいの」
 官吏も下手人を突き止めるために宿場に留まり、その影響でいまやヤクザ連中も殺気立っている。老人は湯飲みを手に、小さく嘆息を漏らした。
「‥ジュゥーィチ‥‥ジュゥーイチ‥‥ジュゥ‥」
 暫し無言になった店内へ鳥の鳴き声だけが響いている。黒いその鳥は濁った目で二人の男を見つめている。
「しかし。男は喉笛掻き切られて死んでおったんじゃろう?」
 ふと思い出したように老人が口にした。男が無言で頷く。
「そらあ困るのう。『斬られた』ということは、誰かが『刀を抜いた』ということじゃからなあ」
 その言葉に、傍らの男はピクリと肩を震わせた。男が老人の瞳を見据える。老人は笑顔のままだ。
「‥ーイチ‥ジュウーイチ‥‥」
 答えを急かすように鳥は徐々に鳴き声を大きくしている。長い尾羽を振りながら、仕舞いには目を剥いてヒステリックに鳴きだした。
「‥‥ジュゥーィチ! ジュウイチ! ジュウーイチッッ!!」
「こらナシマツ! 静かにせんかい!!」
 老人の一喝で再び辺りは静まり返った。ナシマツと呼ばれた鳥はビクリと動きを止めたが――。やがて、何事もなかったかのようにまた餌をついばみ始めた。重一は再び男へ好々爺の顔を向ける。 
「光物を持ち出さぬというのがこの宿場の絶対の掟じゃからな。ヤクザ者どもも、このまま捨て置きはしまいて」


 江戸、冒険者ギルド。
「依頼が来てるぞ」
 そう言って番頭は張り出した依頼を指した。
「例の鬼哭の町だ。向こうで官吏が追ってた罪人が何者かに殺された。お上の面子に関わることだ、生死を問わず下手人を突き出してほしいとのことだ」
 報酬は総額で金5両。但し、明確な証拠がなければ支払われない。これまでのところ目撃証言も一切なく、ヤクザ連中に殺られたのだと街ではもっぱらの噂だ。裏家業の連中が下手人ならば目撃者も口を割らないだろう。幾ら報酬が高くともこれでは絵に描いた餅でしかない。
「だがそれでも金になる以上は、危険を承知で一枚噛もうとする者もいるだろう」
 鬼哭には徐々に流れ者が集まり、きな臭さを増している。炎に吸い寄せられたのは羽虫か。血の香に誘われた獣の群れか――。

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 いよう、街にはもう慣れたかい? まだ何かわからねえことでもあったら俺に聞いてくれよな。酒場で声かけてくれりゃあ相談に乗るぜ。見つからなかったら? そうだな、そん時ゃ三の辻の重一爺さんに聞いてくれや。町で一番の物知りの爺だ。何かと面倒見もいいしよ。
 にしても官吏が居座ってるおかげでヤクザ連中も相変わらずピリピリしてるねえ。的屋の奴らまで苛ついてやがるみてえだな。あいつらなら隣村の社を根城にしてっから、訪ねるときは適当に土産でも持ってくといいぜ。もっとも、奴らが派手に動けねえってんで堅気の連中は大助かりみてえだがな。そういや最近じゃ盛り場で武家の三男坊だとって兄ちゃんをよく見かけるなあ。そうそう、三の辻の宿に泊まってる娘さんはヤクザの客だ。間違っても手なんか出すなよ、何かあったら貸元の顔に泥ォ塗ることになっからな。
 他にも何か知りてえことはあるかい? 忘れんなよ、こないだのはツケてあるからな。まとめてかね払ったらなんでも教えてやるからよ。

●今回の参加者

 ea0063 静月 千歳(29歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea3619 赤霧 連(28歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea7030 星神 紫苑(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea9237 幽 黒蓮(29歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ea9771 白峰 虎太郎(46歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb0139 慧斗 萌(15歳・♀・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb0812 氷神 将馬(37歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb1119 林 潤花(30歳・♀・僧侶・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb1160 白 九龍(34歳・♂・武道家・パラ・華仙教大国)
 eb1440 秋朽 緋冴(35歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

御影 涼(ea0352)/ 風斬 乱(ea7394

●リプレイ本文

 鬼哭宿の中心に位置する三の辻。
「んん〜マッタリと、きな臭いよね〜♪」
 慧斗萌(eb0139)が目指すのは、辻を曲がって暫く進んだ先に敷居を構える万屋、重松だ。縁台には重一と、そして赤霧連(ea3619)の姿。
「王手‥」
「――待ったです!」
 それは今日一日の間に何度となく繰返された風景だ。転がり込んでいたのは連だけではなく。
「イラシャイ。ワタシ、華国カラ来た白九龍(eb1160)タヨ」
 店の奥から白が顔を出した。見知った萌の顔を見ると気まずそうな表情を見せたが。
「ワタシ、爺サンのトコ世話にナてルヨ」
 すぐに取り繕うと白は他人を装う。萌が面白がって華国語で話しかけた。
『九龍さんは何でこんなとこで雑用やってるのかなぁ〜??』
『何しに来た。俺の邪魔をするなら――殺すぞ』
 声の調子を少し落とすと、白は念を押す。
『この方が何かと凌ぎ易いんだ。くれぐれも邪魔だけはするな』
「白さんや、どうかしたかの」
「ナテモないヨぉ。コノお客サン、連サンに会いニ来たて言テルヨ」
 怪訝な顔の重一へ白は愛想笑いで振り返った。萌も何事もなかったように振舞うと、思い出したように口にする。
「そうだったよ〜、今日は連ちゃんに会いにきたんだったよ〜。一緒に居れば虎ちゃんとの遭遇もし易いしね〜♪」
「へ? 虎ですか?」
 萌が言っているのはキミのことだ。尤も、この街の誰もそんな名で彼を呼んだりはしない。通じないのも無理はないことだが。
「連ちゃんも、虎なキミ君にらぶらぶだしね〜☆」
「? キミ君は私の大切なお友達なのですよ♪ 詰まる所、私はキミ君のお友達第一号ですネ☆」
 何の根拠もないそんなことを連は自信満々に言ってのける。ただ前だけを見ているその様はどこか眩しく映るが、一面では危うくもある。
「気を抜いたら後ろからバッサリな鬼哭の街、連ちゃんみたいな子猫ちゃんが、一体どうなるやら〜?」
「任して下さい! キミ君と私が居れば不可能なんてないですよ☆」
 だが思惑を外れてキミは一向に姿を見せなかった。客の来ない重松ではのんびりとした時が流れていく。白がマメに掃除や品の整理をし、縁台では相変わらず連と重一が駒遊びに興じている。世間話をしながらの微笑ましいその様は、傍から見れば爺と孫のようだ。
「にしても近頃物騒じゃのう。尤も、掟を破った阿呆は報復を受けても仕方ないがのう」
「ムムム‥‥重一おじいちゃん、報復では暴力の連鎖は絶えませんよ?」
 そういいながらも連の視線は盤面から離れていない。頭の中では王手を逃れる算段で一杯のようだ。王将を盤上の隅へ逃すと、連は顔を起こした。
「不可能なことなんて世の中にはありません。諦めなければ意外にできちゃうものなんです☆」
「じゃが、今度の『待った』ばかりは聞いてやれんのう。ほれ、この王手で詰みじゃぞい」
 パチンと小気味いい音を立てて重一の駒が連を追い詰めた。連の素直さは騙そうとすることが馬鹿らしく思える程だ。それ故に危険を前には余りに無力だ。これからきっと痛い目にあって学ぶこともあるだろうが、連を見ていると、そんな痛みは出来ることなら生涯知らずに済めばとすら思えもする。
「‥‥若さじゃのう」
 さて、そんな賑やかな重松を秋朽緋冴(eb1440)も訊ねてやって来た。街一番の物知りだという重一に話を聞くためだ。
「今回の事件で一番得をしそうな方は誰ですかね」
「さあのう。万屋の爺に分かることじゃぁないわい」
「やっぱり早期解決が望ましいのですか」
「面倒事が長引くのを喜ぶ者もいまいて」
「この街の事を詳しく教えてもらえますでしょうか」
 どの質問へも重一の反応は芳しくない。重一は眉根を寄せて困った顔を作る。
「詳しくと言われてものぉ。お前さん、何を知りたいんじゃ?」
 確かに街の古株とはいえ神仏でもない。それに知っていることにしろ、漠然と聞かれたのでは何から話していいものか。会話が途切れ、気まずい空気。座敷の二人へ白が茶を差し出す。それへ手をつけると緋冴は思い出したように口にした。
「そうそう、しばらく滞在する予定でいるのですが宿を紹介して貰えませんか」
 その質問へ重一は漸く笑顔を覗かせた。
「それなら通り向こうの宿がええじゃろ。ヤクザの息の掛かったとこじゃが、旅の者が身を落ち着ける分には問題もなかろうの」
 その手の話なら顔の広い重一にも口が聞けるというものだ。
「それから白」
「ハイぃ、ナニか用かジュイチさン?」
「ヤサを探し取るという話だったの。隣村の廃屋を紹介ことできんことも‥」
「ソコ、何とか宜シク頼む、何テモするョ!」
 懇願する白へ、重一は暫し思案顔を見せたが。
「今日はよう働いて貰うたし、よかろ。村へは重一の紹介と言えば通じるはずじゃ。このまま店におってもよいし、好きにするとええ」
「アリガト! 恩にキルよ!」
 そのやり取りを傍目に萌は小さな肩を竦めて見せる。
「みんな頑張るね〜。でも萌っちは見てるだけにするよ〜」
 何せこの街と来たら、放っておいても勝手に騒動が起きるのだ。係わり合いのない内は高みの見物を決め込むに限る。
「こんな面白い街、江戸の芝居小屋でも敵わないね〜」

 酒場には星神紫苑(ea7030)の姿がある。足を棒のようにしながら、彼は盗人殺害の目撃者を探していた。
「あんな物騒で楽しそうな事件に遭えたのに、放っておく手もないからな」
 盗人の殺された夜、彼は偶然現場に居合わせた。怪しい三人組が盗人を路地裏へ連れ出し、待っていたガキが無慈悲にも男の喉を掻き切ったのだ。
「暗がりで見通せなかったが、あの光物はおそらく刀。長さからして短刀といった所の筈」
 その瞬間を目撃したとはいえ、下手人探しの依頼を受けた冒険者である彼が名乗り出たとして、誰が信じよう。金目当てのでっち上げとされるのは容易に想像できる。他にも証言者が必要だ。住人への聞き込みでは埒が明かず、彼は酒場を回っている。
 そんな折に、氷神将馬(eb0812)も店ヘ顔を出した。
「いらっしゃい。あ、あんたは」
「ほう。覚えていてくれたのか」
「そりゃあ旦那、ツケの客の顔は忘れませんて」
 その反応へ彼は満足げに頷いて返す。
「そうだったな。今日は纏めて払ってやるから心配には及ばん。ここは美味い茶を出す。贔屓にしているぞ」
 食うに困らぬ武家の三男坊との触れ込みで酒場に溶け込んだ彼。疑う者はいないだろう。席へついた氷神は客を相手に世間話に興じている。
「なんだ、あの殺しの下手人はまだ見つからんのか。まあ誰か証人でも居ない限り解決はしないであろうがな」
 不意に氷神は声を潜める。
「‥‥で、殺しを見たって奴はいないのか?」
「さあねえ。‥‥そう言えばここの所何か嗅ぎ回っているよそ者がいたな。ほら、噂をすれば」
 その先には星神の姿が。氷神は話もそこそこに席を立つと彼へ声をかけた。
「お前。狙われているぞ」
 ハッタリだが不意を突かれた星神は僅かに表情を動かした。畳み掛けるように氷神は口にする。
「口を塞ぎ全てを忘れろ。下手なことをしなければ安全だ。それが無理ならほとぼりが冷めるまで江戸へ逃げることだな」
「何の話か知らないが‥‥さあ、どうだろうな」
 すぐに取り繕うと、はぐらかすように星神は返した。
「まぁ、本当に危なくなったときは全力で逃げるさ。何事も命あってこそだからな」

 鬼哭の街を西に数刻ほど歩けば、寒村がある。白峰虎太郎(ea9771)が辿り着いたのはそろそろ日も暮れる頃合だった。
 彼は以前にギルドを介して張元から依頼を受けた彼は的屋へ挨拶に出向いている。重一の話ではヤクザに次ぐ勢力だと聞いていたが、その有様は博徒共と比べるべくもない。
「こないだはご苦労だったな。ウチにもアンタほどの腕が立つ奴がいりゃあ苦労はしねェんだがな」
 出迎えた張元は流民と見紛うばかりに小汚い格好をした小男だった。土色の肌はひびのような皴に割れ、痩せた体に目だけがぎょろっとしている。その眼光だけが異様に鋭い。ほとんど朽ちかけた社には十数人からの的屋の一家がたむろしていた。手土産の酒で白峰を囲んでの小さな酒宴が開かれた。
「どうだい。あんた、ウチの組に入ンねぇかい?」
 窪んだその目に覗き込まれ、白峰は言葉に詰まった様子で杯を止めた。真意を測りかねるように張元の眼を窺うが、その視線を向けられていると逆に奥底まで見透かされてしまう気持ちになる。そんな白峰の様子をじっと見ていた張元はやがてこう返した。
「冗談だ」
 空になった猪口を逆さに振ると、張元は自嘲気味に嘯いた。
「どっちにしろ、俺達ぁ身内が食うだけで精一杯さね」
「は、張元!」
 そこへ表から緊張した声が飛び込んでくる。次の瞬間、粗末な戸板を吹き飛ばして数人の武装した男達が堂へ踏み入った。白峰が張元を庇うように立ち上がる。敵は5人、思わず腰の物へ伸びそうになった手が寸でで止まり、もどかしそうに空を掴む。
「盗人殺しの下手人が、的屋の張元の差し金であるとの報せが入った。神妙にお縄につけい!」
 踏み込んだのは官吏の連中だ。子分たちが殺気立つが、それを片手で制すると張元は素直に縛につく。
「俺ぁヤってねえ。お上も話しすらぁ分かるだろ」
 振り返った視線が白峰と交差する。その目に引き込まれる様にして、彼は知らずと頷いていた。それがどんな意味を持つかを思い知るのは、すぐ後のことである。

 同じ頃、二の辻の酒場。
「くすくす、期待以上にきな臭くなってきて、お姉さんは嬉しいわ」
 林潤花(eb1119)は街の若い連中の中にいた。
「アンタの言った通りだったな。偽の投げ文で官吏を手玉に取るとは、恐れ入ったぜ」
 隣にはガキ共を束ねるあの男の姿。席には今日も所狭しとご馳走が並べられている。それを男は殆ど丸呑みにするようにして一人で平らげている。そんな男へ林も手酌で応じ、そのお零れに預かる。
「おう、キミ」
 ちょうど酒場へ顔を出した彼を男は手を上げて招きよせた。無愛想に頭を下げた彼へ林が駆け寄る。キミの細い腕を取って両手を絡めた。
「ああ? 何すンだよ」
 興味のない素振りで突き放すキミへ、林は擦り寄るように身を預ける。
「野暮なこと聞くわね。私とキミ君はあの寒い冬の夜、他人に言えない秘密を共有した深ーい仲なのよ」
「なんだ、お前ら知り合いか」
 男がからかうように口にし、キミが露骨に顔を顰めた。
「悪ぃ。今日は出直す」
 林を振り解くとキミは踵を返すが、その背を男が呼び止める。
「飯でも食ってけ、キミ。‥‥な?」
 キミは半ば睨み付ける様に男を振り返ったがやがて。
「‥‥ッス」
 無言で頷くとキミは席に着いた。何事もなかったように食事は続けられた。
「それにしてもあんな投げ文で動くなんて、官吏も余程手詰まりみたいね。濡れ衣を着せられた的屋はどう動くかしら」
 途端、男が林の手首を掴んだ。
「‥‥!?‥‥え?‥」
「俺の前で隠すな、騙るな。濡れ衣って言ったな‥‥?」
 林を覗き込むその目は蛇のように狡猾な光を放っている。
「的屋が濡れ衣だって何故知ってる?」
「確かに的屋が本当に下手人ってことも考えられるわね。忘れてたわ」
 林の腕をねじ上げる男の長い腕には、無数に傷が走っている。潜り抜けてきた修羅場を物語っていた。
「ふふ、私は強い男も好きよ」
 妖艶に笑むと、男が力を緩めた。林も胸を撫で下ろす。
(「でもそういう男がゴミ屑のように死んでいくのを見るのはもっと好きだけどね」)

 三の辻の宿を出ると、暫く歩けば歓楽街の入り口だ。その直ぐ先はガキ共の幅を利かす二の辻にぶつかる。
「また、面倒な方向に転んだものですね。さて、どうしたものか」
 静月千歳(ea0063)は暫く通りを進むと、とある酒場の前で足を止め、暖簾を潜る。入り口の看板にはこう、店の名が掲げられている。狩座屋、と。
「先日殺された男の方。何でも数日前に例の若い方々の内の一人と揉めていたとか」
 目的はここに顔を出すという情報屋だ。実の所、下手人が誰だろうと千歳には係わり合いのないことだ。だがヤクザの客としては貸元の関心事には敏感にもなるという所だ。
「キミの奴と揉めたのは確かだね。けどよ、あのガキ、見た目はああだからな」
 情報屋の話ではキミという少年は短身痩躯の華奢な体格。普段からぼんやりした控えめな印象なので、見た目にはとても強そうに見えない。
「余所者が知らずに手ェ出して痛い目見るってのはよくあることさねぇ」
 結局千歳が話に聞けたのはそれくらいだった。
「悪いねえ。まあ懲りずにまた訊ねてきてくんな」
「いえ、お構いなく」
 席を立った千歳は、一度振り返って思い出したように口にした。 
「ところで、その男が塒にしていた場所や、よく出かけていた場所は――」
「さあねぇ。俺は知らねえよ?」
 とぼけた返事だが、千歳はもう一度丁寧に礼をすると店を去って行った。それを見送る情報屋の前へ、杯が差し出される。振り返ると、先まで千歳の座っていた席は女が腰掛けている。幽黒蓮(ea9237)だ。猪口を運んだ男の動きが止まる。
 酒面の底には金色の光。飲み干すと、男は杯を逆さに置いて笑う。チリンと、金貨の擦れ合う音。
「で、噂の狂犬が俺に何の用だい?」
「やっぱり私のことも知られてるのね。話が早いわ」
 薄く苦笑を漏らしながらも、黒蓮は切り出した。
「そうね‥‥率直な所、情報を知ってる者の目から、今の対立はどう映るのか聞きたいわね。この流れに乗っていけば、ゆくゆくこの街はどこに行き着くのか」
 その質問に返ってきたのはこんな答えだ。
「金だよ」
 男の表情にさっきまでのとぼけた風はない。彼は続けた。
「ここだけの話だが、盗人の野郎、鬼哭のどこかに金を隠したみてえなんだよ」
 男は周囲を窺うと声を潜めた。
「その額、しめて五百両」
「!」
「金の下にゃあ人と物が集まる。手にすりゃあ莫大な資金になるって訳だよ。先にそれを物にした奴が――鬼哭の主になるだろうなぁ?」
 そして促すような情報屋の視線。黒蓮は慎重に口を開く。
「私は誰の下につくつもりもないわ。強いて言うならそうね‥‥今の私に欲しい物は『耳』かしら」
「へへっ。アンタにはまた特別にネタをおろしてやっから、今後とも一つよろしく頼まあ」
 嵐の前の静けさを知る者は強い。いずれ誰かしら火を投げ込むだろう。ひとたびその刻が来たら、寄る辺のない者から嵐に飲み込まれていくことになる。
 酒場を後にした黒蓮は、行く先を思って表情を翳らせる。名を売って伸していくからにはムチャを覚悟で阿呆になりきらねばならぬこともある。それが覚悟だ。
「‥‥あと何回、私は痛い目を見るんだろう‥‥」
 広がる鬼哭の町並みは、その行く末を暗示するように夕焼けに赤く染まりつつあった。