‐ 十日夜 ‐ 前編
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■シリーズシナリオ
担当:小沢田コミアキ
対応レベル:7〜13lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 56 C
参加人数:12人
サポート参加人数:8人
冒険期間:11月24日〜12月01日
リプレイ公開日:2005年12月02日
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●オープニング
それを目覚めさせてはならぬ。時は既に遅かった。俺にはもう止められぬ。奴らの手に落ちる前に、後を託してここに記す。『輝血の瞳に、生血滴る腹、スギ、ひかげのかずら、峰を跨いで‥‥』。滅びの力を奴らに与えてはならぬ。願わくば、この伝を受け取りし者が、真に強き心を持つ者であらんことを――。
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上野に大妖復活の兆しアリ。そのような噂が流れ始めたのはおよそ一月近く前のことであった。妖狐玉藻に勝るとも劣らぬ恐ろしい大妖怪が目覚めつつある。ある時を境にそんな噂が武蔵国の外れで囁かれるようになった。出所は上野国との境、中村氏の領有である秩父郡。昨今の不安な世相からか、東国の各地でのそのような暗い噂は幾つも出回っている。これもそんな他愛のない与太話の一つだと、そう思われていた。
だがそれが上野を巡り、やがては風に乗って江戸にまで辿り付く頃になると、事態は急変する。
「謀反人、新田義貞の領内でどうやら妖狐が復活するそうだ」
「それがどうも記録にすら残っておらぬほど昔に封印されていた妖怪らしい」
「渡良瀬川の傍に狐がたくさん集っているらしい。その中に一際でかい狐がいたそうだ」
「狐どもは川辺の村を襲って滅ぼしたっていうじゃないか」
「間違いない、噂は本当だったんだ‥‥!」
これに義貞は迅速に対応を見せる。近隣領主攻略の任についていた新田四天王の篠塚伊賀守を呼び戻したのだ。篠塚は古参の家臣の一人であり、四天王の筆頭と呼ばれる荒武者。彼とその手勢の精兵百が狐討伐の兵として派遣された。霜月は二十六日のことである。
「キツネ如きが人間様の手を煩わすとは笑止。この篠塚が蹴散らしてくれるわ!」
馬上の篠塚は狐など恐れるに足らぬとばかりに豪放な笑い声をあげている。川に集っているという狐は全部で50匹ほど。多くは化け狐であろう。並みの軍では少々梃子摺るであろうが、義貞軍中でも随一の強さを誇る篠塚の兵であれば敵ではない。
問題は妖狐の実力のほどだが。件の大狐はたいへん動きが素早く、並みの剣客では触れることすら叶わぬという。空を飛び、あやかしの術で人を惑わす。噂ではこれを滅ぼすために江戸から冒険者の討伐隊が上野へ向かっているとも言う。
「して、如何致しましょう篠塚様」
「どこの馬の骨とも分からぬ有象無象など捨て置けい。そのような連中の手を借りるほどこの篠塚、落ちぶれてはおらぬわ。助太刀など無用、大殿の名の下に我ら百騎で打ち滅ぼしてくれる!」
――霜月二十三日、江戸、冒険者ギルド。
「上野からの依頼が来ているぞ」
舞い込んでいたのは上州で復活したという妖狐討伐の依頼。百鬼夜行では妖狐・阿紫に相当に梃子摺らされたが、冒険者たちもあの頃のままではない。手練揃いの十名ほどで討伐隊を組み、少数精鋭による短期決戦でこれを討ち取る。
「新田義貞もこれに兵を向けるという話だ。率いるは剛勇篠塚」
篠塚の兵は義貞軍中において最強の部隊だ。とはいえ義貞は源徳に弓引く謀反人。家康と親交のあるギルドの冒険者に易々と手を貸すだろうか。仮に手を組んで戦えればこれ以上の援軍はないのだが。
それより、と番頭は表情を曇らせた。
「少々気に掛かることがある。実はな。この話、依頼の主の素性が知れぬのだ」
依頼が届けられたのはかれこれ数日前。上野より文が届き、それに依頼の内容について簡潔にしたためてあった。『渡良瀬川のそばで四尾の妖狐復活の兆しあり、これを討伐されたし』。だが差出人の名も依頼の動機も分からずじまい。文には金子が添えられており、額も相場に見劣りせぬだけの大金が当てられていたのでギルドも依頼を出すことになった。文の出所を飛脚に尋ねたところ上野の新田領だという。
「聞けば、文を預かったのは街道の宿場町だそうだ。気になって調べてみたのだが、妖狐が出たという村のすぐそばの場所だな」
周辺には川沿いに幾つか村があり、おそらくはそのいずれか。時期を考えれば川辺の村が滅ぼされた直後のことだ。おおかた近隣の村の者が明日は我が身とギルドを頼ったのだろう。だとしたら氏素性を伏せるのもまた分からぬ話。
「ギルドとしては貰うものさえ貰えれば、依頼人がどこの領地(くに)の者でも差別はせぬがな。気になるなら調べるなり好きにするといい。しかし。狐、か」
番頭は思案げに目を伏せた。
江戸の冒険者にとって『狐』という言葉が指すのは、ただ一つ。春に那須で復活して行方を晦ませた九尾の狐・玉藻。復活するのはその玉藻に比肩するほどの大妖怪だという話であったが、所詮、噂は噂ということだろうか。四尾であれば敵わぬ相手でもない。
(「だが解せぬな。阿紫ほどの妖狐が放たれるのは確かに厄介ではあるが、今の我らにとっては昨年ほどの脅威ではない。それも、なぜ今の時期に?」)
‥‥。
‥‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「お休みのところ失礼いたします。――ご報告申し上げます。江戸が大火に包まれ、被害は甚大とのこと。加えて、シャンが手筈通りかの城中にて実権を握りつつあることも合わせてご報告申し上げます」
暗闇の中。ひんやりとした妖しい静寂が辺りを包んでいる。
頭を垂れて声の主は続ける。
「かねてより進めてあります『八つ』の件も順調に御座います。冒険者どもが動いておるようですが、計画に狂いは御座いません。あとは『つるぎ』さえ手にすれば直ぐにでも『目覚め』の準備は整うことでしょう」
その向こうの闇で何かが体を持ち上げた。コンコンと咳き込むような声。
その気配を察して、声の主が制止する。
「‥‥なりませぬ、貴女様は我らが王。そのような下らぬことをなさってはならぬお方! 貴女様が出向かれるほどのことではございませぬ!!」
再び沈黙。
闇の向こうで何かが囁く。
「セン‥」
「は。その件はこのセンめが既に手を打って御座います」
そういって声の主は脇を振り返った。そこに、ざわ、と何者かの気配。
暗闇に赤く瞳が燃え、低くしゃがれた声が空気を震わす。
『‥トオカ様‥‥‥この命‥‥すべて貴女様のため‥』
そこにボウっと灯りが浮かぶ。
『‥‥必ずや‥この使命‥‥成し遂げて‥‥‥ご覧に入れます‥‥』
ゴウと炎が燃え上がった。それに一瞬だけ照らし出されて、一匹の狐――センが眩しそうに目を細める。そのときにはもう炎は彼方へと飛び去っていた。
「彼奴めがその身を賭して、御憂いを晴らしてご覧にいれるでしょう。貴女様が出向かれるまでも御座いません。貴女様はお目覚めなされたばかり、これまでの永き眠りを思いますれば、未だまどろみの中におわすようなもの。いま暫くお休みになられ、お体を労わられますよう。今はお力を取り戻されるが肝要かと存じ上げます」
センはそうして恭しく頭を垂れる。
闇の向こうの気配は、その言葉に満足したように体を横たえた。声は続ける。
「お任せ下さい。冒険者などは取るに足らぬ存在。此度もまたこのセンめが彼奴らを欺いてご覧にいれましょう」
●リプレイ本文
霜月二十四日朝。
冒険者による四尾の狐討伐対は江戸を発った。手練の冒険者ばかりが揃い、狐への対策は万全。だが鋼蒼牙(ea3167)はそれでもなお心中に這い忍ぶ暗い予感を拭い去れずにいた。
「上野で狐か‥‥。‥‥‥狐、な」
那須動乱では九尾復活の陰謀まで後一歩の所まで迫った鋼。彼にとってはやはり妖狐といえばあの九尾の狐・玉藻。今回の相手が仮にもあの九尾と並ぶ妖狐と噂されたとあれば、心中穏やかではない。鋼はそんな重い表情をしているが、刀根要(ea2473)の顔は晴れやかだ。
「やっと狐の手がかりに近づけたんですね、与一公がいつか那須に戻るその日のためにも、この刃は常に研いでおきましょう。いざお声が掛かった時には腕がなまってましたでは、格好付かないですからね」
ふと苦笑を洩らしながらも精悍な表情に曇りはない。要は那須で与一公の兵として狐と戦った一人だ。先の政変により下野を追われた彼だが、それでも那須のことを忘れた日はない。
「たとえ下野より遠く離れた空の下にあっても、私の心はいまだ蒼天のもとにあります。その誇りを胸に、妖狐へ一矢を報いるまで」
(「流香さん。私は必ず戻る、行ってくるよ」)
江戸で帰りを待つ妻を想い要は静かに闘志を燃やす。羽雪嶺(ea2478)はそんな友の姿を目に、誇らしげな思いで彼の後に続いた。
(「僕も要さんはいい人だと思うな。江戸で待ってくれてる皆のためにも、頑張るよ」)
上野までの道程は二日程をかけて行われた。途中で幾つかの関を抜け、一晩の野営を経て新田郡へ。
しかし、とウェス・コラド(ea2331)が顎を撫で付ける。
「依頼人は不明、か。‥‥‥同封されていた報酬の金は、よく調べておいた方がいいかもしれないぞ‥‥」
怪訝な顔をした雪嶺へウェスが皮肉めいた顔を向ける。
「ジャパンの狐は木の葉をコインに化けさせるそうだからな。相手が相手だけにいろいろ考えてしまうのさ‥‥‥コケにされたくはないのでね」
「確かに、上位の狐は幻術を使うというな!」
ゴルドワ・バルバリオン(ea3582)が横から首を突っ込んだ。
「むぅ、しかし考えてみれば我輩、妖狐を直にこの目にするのは初めてだな! 文献等で見たことは有るのだが!!まぁ、我輩に出来る限りの事をしてみようではないか!!」
妖狐はこの日ノ本でも数える程しか存在しない酷く珍しい妖怪だ。昨今では九尾の狐がらみの事件で表へ出ることが多く噂も耳にするが、どのような妖怪なのか詳しく知る者は少ない。
ゴルドワの言葉を聞きとめてレヴィン・グリーン(eb0939)が眉を動かした。過日に江戸で四尾の狐と戦ったというレヴィン。不意を突かれて傷を負わされたというその時の様子を悔しそうに語って聞かせる。
「今回も厳しい闘いになりそうですね‥篠塚さん達と協力できれば良いのですが」
ふと傍らの所所楽石榴(eb1098)を見遣ると、婚約者でもある彼女もまた不安を隠せない様子だ。
「妖狐達の討伐かぁ‥‥」
頬を掻きながら天を仰いだ。
「狐達は、ずっと川辺に集まったままなのかな? 月の出てる時間帯には、相手にしたくないんだけど」
青空に白昼の月。狐の中には月光を利用した術を使う者もいると聞く。あの月が闇夜を照らす時間に相対するのは、できれば避けたい所だ。大事を取った一行は、この晩は野営を行うこととした。
「それじゃ俺らはここらで別れるな」
壬生天矢(ea0841)の駆る黒華が隊を横に逸れた。それにリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)と日向大輝(ea3597)、字冬狐(eb2127)も続く。
「正直な話わからない所が多いからね。あたしらは引き返して周辺の村で調査を続けるよ」
「噂通りのことがそのまま起きるって言うのも変な話だ。偶然の一致なのか誰かがわざと撒いてるのか‥‥」
日向がいうと冬狐も憂えげに顔を曇らせた。
「それも、何故今なのか‥‥」
依頼人が不明というのは危険な依頼の典型だ。依頼主の素性とその背景にあるものを探り、後顧の憂いを絶つ。天矢が手綱を引き馬首を返す。
「――健闘を祈る」
四騎は蹄の音を残して道を引き返す。
「さて、私達も先を急ぎましょう」
明けて26日。冒険者達は早朝から渡良瀬川沿いに狐の探査を開始した。討伐には新田四天王の篠塚が遣わされるという話も江戸を出る前には耳にしている。雨宮零(ea9527)が番頭の言葉を思い起こしながら呟いた。
「篠塚さんは冒険者に中々手をかそうとはしないだろうと聞きますが‥‥」
鋼らが狐の噂を住民から聞きだした所、ここより更に北西だという。やがて太田宿の傍まで差し掛かると篠塚が近くで兵を動かしているという情報を耳にした。
「流石に噂の義貞だけはあるな。動きが早い。俺達が動くべきは篠塚が兵を動かす時だろう、多分」
太田宿の金山城を発った義貞は上流の村へ向かったという。おそらく新田の方では狐の動向について何かの手掛かりを掴んでいるのだろう。
「日中の内に片をつけたいな。急ごう」
そこから更に馬へ鞭を入れ、数里。前方へ見事に一糸と乱れぬ隊伍を組んだ騎馬の一軍が視界に入る。先頭には見事な武者鎧に身を包んだ偉丈夫が一人。要が鞭を入れて馬を追う。
「新田四天王が一人、篠塚伊賀守様とお見受けします」
「何奴だ」
要が篠塚の横に馬首を並べた。
「私達は依頼で動く冒険者の一人、狐退治のお手伝いをさせていただきたいと思います。ですが私達は少数、精鋭の篠塚様の軍には及びません邪魔はしませんのでよろしくお願いします」
手綱をしっかりと御しながら強い眼差しを篠塚へ向ける。ふと気づいた篠塚が睨みを効かせる。
「その羽織‥‥見慣れぬ紋だな。お手前の藩名と姓名は?」
蒼天の羽織がはためかせて要が胸を張る。
「我が主君は那須公。政変により国を追われた身ですが、今も心は那須にあります」
「那須与一‥‥源徳にへつらう狗の、そのまた飼い狗か」
篠塚の表情が一変する。篠塚が主君義貞は源徳に弓引く上野騒乱の叛主。一時とはいえ源徳の下についた那須藩にも当然のようによい感情は持っていない。
「狗の助けなぞいらぬわ。失せい」
「お待ちを、篠塚様」
零が白馬に鞭を入れて追いすがる。
「此度は相手が相手です。僕たちで睨み合ってる場合じゃありませんよね。それに兵も大事でしょうし‥‥」
「貴様、たかが浪人風情がこの篠塚と五分に口を聞こうてか!」
篠塚が金棒を手に取った。
それに呼応して篠塚の背後の隊が割れ、隊列を崩さず流れるような動作で冒険者達を取り囲んだ。馬は休めずにこれだけ統率を取った用兵振り。咄嗟に動こうとした要を鋼が制した。
「刀根さん」
鋼が首を横へ振る。こうなっては相手が悪い。五十からの騎馬武者に取り囲まれては五分の力も出し切れぬままいいようにやられるだけだ。
篠塚が眉を動かした。
「ほう‥‥貴様は少しは兵を見る目があるようだな。ならば我が隊の強さも肌で感じておろうが。退けい、貴様らの出る幕なぞないわ!」
篠塚の一喝で冒険者達は手綱を緩める。彼らを尻目に篠塚の兵は馬を追う。なす術なく見送る冒険者らの前で彼らの背は遠くなった。
「はぁ‥‥」
零が疲れたように嘆息した。情や小賢しい理では篠塚の心には届かなかった。ただ武名に信を置く剛勇を見誤った冒険者らの失策だ。零がまたため息を洩らす。
「それでも依頼を受けたからには妖狐退治に行きますけどね。はぁ‥」
篠塚の兵の尻を追いながら馬を進めると、やがて篠塚は支道へと逸れた。街道を逸れた兵はやがて林道へと分け入っていく。雪嶺が馬蹄の響きの内に何かを聞き分けて仲間を振り返った。
「川の音だよ。きっとこの先に狐がいるんだ」
すぐさまレヴィンが詠唱を始める。滔々と風の精霊への囁きが唇から洩れ、レヴィンが淡い蒼に包まれる。
「いますね。この先に数十の気配、おそらくは狐の群れ」
ほぼそれに時を同じくして篠塚の兵が速度を上げた。篠塚の声が当たりに響き渡る。
「精強なる新田のつわものどもよ。これより先は狩場と心得い。これは戦に非ず狐狩りよ! この篠塚が荒武者どもよ、ともに猟果を競い合わん!」
怒号が響き、馬を落りた新田兵が次々と狐へ切りかかる。林を抜けた先の川原にはレヴィンの察知したとおり五十からの狐が体を休めていた。ゴルドワが真っ先に駆け出した。
「雑魚は我輩が引き受けた、妖狐を頼んだぞ!」
それにすぐさま石榴が続く。
「戦場‥‥扇舞の僕には、似合いの舞台だよね」
くすりと笑みをこぼし、石榴が扇を開いた。躍り出たその身と共に黒髪を棚引かせ、単身中央へと抜ける。戦場に扇が閃く。
「忍ばず、目立ち、引き寄せて‥‥皆に攻撃の機会を与えられれば、それこそが僕の目的ってね♪」
「加勢する、化け狐くらいなら俺の剣でも何とかなるだろ」
鋼もその身に闘気を纏わせて戦列へ加わった。川原では篠塚の五十とほぼ同数の化け狐が応戦の構えを見せている。その中に一際大きな狐の姿。その尾は四つ又、長く生きて霊力を得た古狐が更に年月を重ねて至るとされる上位の化け狐。四尾の狐。
駆けながら零が柄に手を掛ける。
(「‥差出人がもし狐関係なら、狙いはやっぱり‥‥? さて、気を引き締めていかないと‥‥僕は死ぬ気は毛頭ないですから」)
「‥‥名は雨宮零。参ります」
居合いの一閃は、だが空を切る。四尾はその体を羽毛のように風に乗せて令の脇をすり抜けた。その瞳に映るのは後方に続いていたウェス。
「コラドさん!!」
零が振り返るのと同時に四尾は爪を振りぬいた。しかし前足の手応えは虚しく空を切り、ウェスを見失った四尾の視線が空を泳ぐ。彼の足元でウェスは水へ潜るように砂利の中へと身を沈めた。やがて彼の体が完全に地中へ消えたかと思うと、今度は四尾の影から腕が伸び出た。大地に手を着くとそこからズルリとウェスが這い出てきた。
「今更復活して、こんな所で何をしている‥‥仲間に嫌われているのか?」
それに振り返った四尾は燃えるような赤い瞳で彼を睨みつけた。
「人間如きが、この四尾の霊威を持つ我に楯突こうとは愚かな」
白毛が逆立ち、威嚇するように四つ又の尾がゆらゆらと揺れる。
「貴様ら猿どもに何を理解できようか。我ら狐の一族は策に老長けた智謀の霊獣。貴様らなぞ我らの掌中で踊る駒に過ぎぬ」
「そうはいきません」
ウェスを庇うように進み出たのは要。かざした左手には薄く透ける闘気の盾。全身にも厚く闘気を漂わせ、その力を宿した切っ先を狐へと向ける。
「蒼天の牙はまだ沈まない、また輝く為にお主は狩る」
「魔物ハンターの一人として、危険な妖狐を野に放つわけにはいかない」
左右の金属拳と爪に闘気を宿して雪嶺もそれに並ぶ。その隙に零も四尾の背後へと回り、三人で妖狐を包囲する。要が脇を見遣ると金棒を手にした篠塚の姿。
「篠塚様、人ならざる者が相手です、ここは同じ人の身として肩を並べてみては如何でしょうか」
「そうだよ篠塚さん。それに魔物には魔法効果がないと通用しないものもいることだしどうかな? 強いあなたなら魔法付与できれば闘えると思うんだけどね」
「痴れ犬が! この篠塚の武に小細工など無用!」
篠塚が大金棒を薙いだ。それが雪嶺の鼻先を掠め、慌てて雪嶺は飛び退ってかわす。両腕で持ち上げた大金棒を振り回しながら篠塚が四尾への間合いを詰める。その目には冒険者の姿など映らず、ただ待ち受ける強敵との戦いに昂ぶって揺れるように震えている。
「妖狐よ、何ゆえこの地に現れた! 我が君義貞殿の民を脅かすのならば、この俺が狩るまでよ」
機を盗んで篠塚の金棒が横殴りに狐を打つ。妖狐はそれを事も無げにかわし、駆け抜けざまに爪撃を浴びせてみせる。噂通り、相当な素早さだ。篠塚の怪力もまた負けては射ない。狙いを外した金棒は川原を抉り、砂利を弾き飛ばした。あの打撃が入れば華奢な狐ならば骨まで砕かれるだろう。妖狐の爪は鎧に阻まれ大した傷ではない。あれなら一、二撃程度貰った所でどうということはない。
妖狐とて倒せぬ相手ではない。冒険者も反撃に転ずる。雪嶺の爪が妖狐の背を切り裂き、要の剣もその足を薙ぐ。避けきれず妖狐の血が辺りへ舞い散った。
「ぬうぅ‥‥貴様ら、よくもこの我を‥‥!」
窮した四尾は身を屈めると地を這うように二人の間を駆け抜けた。篠塚の金棒が追うが僅かに一手遅い。妖狐はいとも容易く囲みを抜けた。当てれば倒せる、だがその一撃が難しい。要が後方を守る仲間へ呼びかける。
「レヴィンさん、援護をお願いします」
しかしその援護はない。
妖狐は大きいといえ、それは他の狐と比べての話。それ自体は子馬よりやや大きい程度でしかない。背丈だけならば篠塚とほぼ変わらぬ程度だ。それでいて猿などより比べ物にならない程の速さで動く。ああも素早く飛び回られたのではレヴィンも狙いを定められない。
(「ここで下手に撃てば味方を巻き込むことになりかねません。それだけは、私にはできない‥‥!」)
風の精霊魔法の使い手であるレヴィン。彼の放つ雷撃は狐に対しても巧くすれば力ある刃となる。だがそれも撃てぬのでは竹光も同然だ。期せずしてレヴィンの戦闘者としての弱さが露見する結果となった。
術士の援護はなく、要らは己が技だけを頼りに奮戦する。しかし妖狐の素早さは並々ならず、追い回すだけで四人がかりでもいいように翻弄されている。間合いに捉えることすら容易でない。追い回す零にも疲れが滲み始める。
(「せめて一時、わずかでも足を止められさえすれば‥‥!」)
その時だ。妖狐の足元の草が立ち上がり狐の足を打った。ウェスのプラントコントロールだ。
「‥チッ‥‥」
それを間一髪で妖狐は飛び退いてかわした。そのまま宙へと妖狐は逃げる。川原の草では丈が短すぎる。とても植物を操作させて後を追うなど悠長なことはしていられない。
「ならば強引な手を使わせて貰うぞ」
ウェスの体を土煙がたちのぼった。茶けた霊気がその身を渦巻き、奔流となってその手から放たれる。重力波が妖狐を掠めて飛んだ。その空の歪みに引き摺られるように妖狐はたまらず地面に足を付く。
「隙あり!!」
その瞬間を零は見逃さなかった。着地点へ既に待ち構えている。腰溜めに態勢を落とし、その手が刀に伸びる。居合いの要諦は鞘の内にあり。その一閃の置き場を探り、一瞬の内に零の両瞳が狐の喉元を捉える。そこへ目掛けて狙いを研ぎ澄ませ。ただ切っ先へ心を乗せて。零の放つは必殺の居合い斬り落とし。その名も――。
「―――無影斬」
剣光が煌き、そこに大輪の紅が咲いた。
川原の化け狐どもは瞬く間に篠塚の兵らによって狩り殺された。たかがすばしこいだけの狐だ。精鋭兵を持ってすればすべて片付けるのにそう時はいらぬ。
「‥‥霍乱するまでもなかったかな」
石榴らの加勢もあり雑魚はすぐに片付いた。闘気に身を固めた鋼も数匹を屠り、これで配下の狐は全て討ち取った。ここまでに冒険者も新田兵も被害はほぼ皆無。残るは妖狐一匹のみ。一対五十超。圧倒的に思える兵力差だが、鋼の脳裏には反って嫌なイメージが沸き起こる。多数の味方と、獣離れした素早さを誇る一匹の魔獣。五十といっても一度に相対するのはせいぜい3、4人がいいところ。篠塚が大金棒を振り回すところを計算にいれればそれも厳しいくらいだ。下手に動けば同士打ちの危険があるばかりか、術を使われれば或いは一網打尽にされる恐れすらある。
「気をつけろ、気を緩めるんじゃない――」
その時だった。
「――無影斬!」
妖狐を追い詰めた零が必殺の居合いを浴びせようと刀を抜いた。その瞬間に彼の眼前でまるで虚空が火を噴いたかのように炎があがる。それは零の着流しに引火し、瞬く間に彼を炎に包んだ。
「おお、あれは狐火か! まさか実際に使いこなせる狐がいたとはな!」
ゴルドワの目の前で、零は視界を炎に奪われて狙いを外した。牙を剥いた妖狐に篠塚の兵が囲みを下げる。流石にこの程度で恐慌に陥る篠塚らではなかったが、狐の妖術を目の当たりにして少なからず動揺が走る。
「手数を止めちゃだめだよ!」
慌てて雪嶺が両手の連撃を浴びせるが、当たったのは左の拳まで。横とびにかわした妖狐は手近な兵士の喉下へ喰らいついた。すぐに味方がそれを囲んで切りかかるが、男を放した妖狐はそれもかわして次の獲物へ飛び掛る。
そうはさせじと雪嶺が背後から狐へ飛びかかった。闘気を纏った爪で狐の腹を薙ぐ。
「四尾、そうはせない! 隙あり!!」
「隙などないわッ!」
その眼前へまたもや炎が障壁となって攻撃を阻んだ。怯んだ所へ炎を目隠しに狐の爪が足を切り裂いた。たまらず雪嶺が膝を付く。その無防備な首根を掻き切らんと爪が雪嶺を襲う。
「雪嶺!」
咄嗟に要が飛び込んでの体当たりで雪嶺を突き飛ばした。ほぼ間髪おかず狐の爪が空を薙ぐ。もつれ合って転がる二人へ止めを刺さんと狐が体をもたげる。だが、追いすがる四尾の背へ今度は鋼の放った闘気の塊が炸裂した。
篠塚の兵から歓声があがるが、それはすぐに揺れるどよめきへと変わる。命中した闘気は妖狐の体表を散りながら流れるだけでたいした傷を負わすことはできない。
「くっ‥‥。九尾ほどではないとはいえ‥‥やはり強力な相手である事には変わりはないか‥‥!」
四尾は狙いを変え、鋼へと一足飛びに間合いを詰めた。遅い繰る爪撃を二刀で咄嗟に受けるが、後が続かない。もう一方の爪をかかげて四尾は赤い瞳でニタリと笑った。
「まずは貴様からだな。貴様の腸は食い破った後に日に晒して、時間をかけて鳥獣に喰わせてくれよう」
「俺なんかに勝ったからっていい気になるなよ? ここに来てる連中はもっと手練揃いだ。俺弱いし」
「何がいいたい、小僧‥‥」
それには答えず鋼が不敵に笑う。彼の顔へ赤い影が這っている。それは四尾の背をも覆っていた。見上げたそこには炎を纏って飛ぶゴルドワの姿。
「炎の術を使うのならこの我輩とて同じ! 同じ術者として競い合おうではないか!」
言うが早いかゴルドワが急降下からの体当たりをぶつけた。四尾の肢体が傾いだ。その隙に鋼が逃げ延びる。四尾は風に乗って兵達の間を縫うように逃げ延びるが、炎に身を包んだゴルドワも追いすがる。
「流石は四尾! ファイヤーバードを遣った我輩と互角の速さで宙を飛ぶとはな!」
「ぬうぅぅ‥‥!」
高速で空を駆ける二人の戦いに誰もが目で追うことしかできない。二人の速さはほぼ互角。だが四足で地を蹴る分、小回りの面で狐に僅かばかり分がある。やがて魔法の力が切れ、妖狐は追撃から逃げ切ろうかに見えた。
兵の中から、レヴィンの瞳が要へと注がれている。その合図を鋼もまた見抜いた。
「雨宮さん!」
掌中に色濃くバラ色の生気が溢れる。
「受け取れ!」
零の刀に濃い闘気が宿る。それと時を同じくして狐の地を蹴る音。着地した妖狐が大地を蹴りまた飛び上がる。その瞬間をレヴィンはずっと待っていた。
「今です!」
地から湧き上がったように電撃が妖狐の足を駆け上る。不意を突かれた四尾の足がビクンと跳ねた。一刹那の隙。ゴルドワの巨体が妖狐目掛けて突進する。その攻撃を四尾は宙へ飛び上がってかわした。その飛翔の瞬間、膝のバネを利かせて体を沈めた僅かな間に勝機が潜んでいる。既に死角には要が回りこんでいた。
十分にタメを作った剣撃は真下からの薙ぎ。それは妖狐の腹を縦に切り裂く。四尾は咄嗟に体を無理に捻って飛び退ろうと試みるが、要の陰に隠れた雪嶺が駄目押しの拳を放つ。
「爆虎掌!」
気弾は柔らかな腹を震わせ、妖狐の動きを止めた。強烈な二連撃、だがそれでも妖狐の息の根を止めるには至らない。
「これならどうです!」
闘気を纏った零の刀が妖狐の背を切り裂いた。鮮血が宙を舞う。その血の華は次に遅い来た恐るべき一撃の風圧で消し飛んだ。篠塚の大金棒が彼の全体重を乗せて妖狐の頭蓋を砕く。闘気も魔法も帯びていない純粋な武。手練ら4人の技を受けた妖狐は、最期の鈍撃に吹き飛ばされてその場で半回転して地を這った。
「流石は妖狐、恐るべき生命力‥‥」
要が刀を振りかぶった。瀕死の妖狐の瞳は、それでもなお気高い光に満ちている。
「‥‥トオカ様‥我は見事‥」
ゴポリと喉から血の泡が吹き出した。そこから先は声にはならない。要の刀が喉を切り裂いた。壮絶な笑みを浮かべ、狐は息絶えた。
さて少し時を遡る。
本隊を離れた日向ら四人の冒険者達はそれぞれに調査に着手していた。
「俺達12人分で50両超にもなる大金を出しておいて名乗りは無し、しかも狐を四尾とまでしっかり書いてる、なんか怪しいなこの依頼」
「狐に見つかる事を恐れて? 或いは存在自体を誰にも知られたくないのか‥‥」
冬狐が問題の文へ目を落とした。テレパシーのスクロールで依頼人と会話をと考えていたが、まずは肝心の依頼人を探さないでは話にもならない。
「ひとまず差出人のいそうな村をと思いましたが‥‥」
差出人のいそうな村といっても何の当てもないのでは見当もつかない。村落といってもこの渡良瀬川流域だけでも一体幾つあることやら。それらを虱潰しに当たるとなるとぞっとしない。果たして一人でどこまでやれるか分からないが、冬狐は仲間を離れて近隣の村へと走った。
一方で天矢はリーゼを伴い、飛脚が文を預かったという問題の宿場町へ足を伸ばしている。
「依頼人は妖狐討伐願いと共に何かを伝えたかったのではと俺は思うね」
天矢の胸中にはどうしても解けぬ疑問が残る。
(「それに。そもそも記録に残っていない大妖の復活を何故察知出来たのか」)
ギルドに依頼が来たのは二十三日。逆算すれば依頼人が江戸への文を宛てたのは早くても二十日頃だ。これは義貞が篠塚を太田へ呼び戻すのよりも数日早い。四尾のことが噂に上り始めた前後すぐのことだろう。とすると、まだ義貞が動く前の怪しげな噂話の段階で依頼人は大金をはたいてギルドへ依頼を持ちかけたことになる。
江戸に残った仲間の一人は、江戸近辺から注意を逸らす目的なのではと考えを述べた。だとしたら、何から注意を逸らすのだろう‥‥? それであれば、大火の後では意味が薄い筈だ。
「ひとまず、依頼が届いた経緯を逆に辿っていこう。その背景にあるものが何なのか、答えが出るはずだ」
天矢は旅籠を巡り、リーゼは飛脚への聞き込みを行う。普段は居酒屋で客商売をやっているリーゼ、こうして町人衆に溶け込むのは慣れたものだ。文を預かった街が分かっていれば、そこから依頼人まで手繰るのは思ったほど難しい作業ではなかった。程なくして二人は問題の人物に辿りついた。
「河で、そいつを拾ったんだ」
ギルドへ文を託したというその男は、近隣の村で漁師をやっているという男であった。一月ほど前、網で河をさらっていたところ不審な瓶が上がった。金目の物かと思い拾い上げると中には一通の文。『それを目覚めさせてはならぬ。時は既に遅かった――』。何か気味の悪い内容だったが、中には一緒に幾つかの宝石が入っていたという。
「なるほどね、それでそいつを売り払って懐にいれちゃったってわけか」
リーゼが思案げに腕組みする。
男も最初はくだらない与太話だと思ったらしい。だが大妖復活の兆しとの噂が流れ始めるにつれ、何だか気持ちの悪い思いを男は抱えていた。
「そしたらよ、ここ少し前から四尾の狐が出たとかって噂になって‥‥それで、どうにも気持ちが悪いもんだからアレを売った金を全部纏めて江戸のギルドってとこに厄介払いしてスッキリしようかと思って‥‥」
「そいつは悪かったね。わざわざ」
「リーゼ」
目配せする天矢へリーゼが頷き返す。
「とりあえずその文は預からせて貰うけど構わないよね?」
「ああ、こっちこそ手放しちまいたいよ。引き取ってくれ」
依頼人から得られた情報はそれだけだった。
直接の依頼人の所在が分かっただけで、天矢の疑問は何一つとして解決しなかった。依頼人は文を河で拾ったのなら、それを書いた者はいったいなぜそのような情報を知りえたのか。しかも依頼人の漁師は、一月も前にそれを拾ったのだという。
(「何故だ‥‥!?」)
天矢の背筋が寒く震えた。
上野へ大妖復活の噂が聞こえ始めたのは霜月に入ろうかという頃合であったという。つまり、この文は噂が広まる前に書かれたということになる。更にこの文を何者かが書いた時期を考えれば、もっと以前ということすらありえるのだ。この文をしたためた者は一体何者で、なぜそのようなことを事前に知りえたのか。
「依頼人の拾った文を書いた奴を見つけるしかないな。時間もない、急ごう」
しかし穂何の公算もないまま現地へ来ての場当たり的な調査では思うように行く筈もない。往復で四日近くも掛けて得られた貴重な時間はただ無為に過ぎる。漁師を捜し当てた時のようにはいかず、リーゼも焦りが募る。
(「とりえあず現地に行ってから聞き込めば後は口八丁でとか思ってたけど、考えが甘すぎたね。これは」)
足を使ってひたすらに探すといえば聞こえはいいが、結局は運任せだ。大量の人員が当てられれば見込みもあろうが、素人が一人二人でどうにかなるものではない。
同様に日向の調査も行き詰まりを見せている。周辺の村々を回って話を聞けば、妖狐に関わる伝承は幾つかは見られる。もともと上野は狐狸の多い土地柄だ。化け狐のような妖怪は多く、その親玉として妖狐がいるという話もある。だが記録にも残らぬほど古いという今回の妖狐については誰も知らなかった。周辺に禁域の有無も探るがそれらしいものは見当たらない。
「弱ったな‥‥ひとまず四尾の封じられていた場所だけでも予測してみるか」
取り出した木片に線を走らせ渡良瀬川と見立てる。そこへ村の位置にあわせて点を打ち、化け狐の言い伝えのある場所を更に書き込み、襲われた村々へ×印をつける。九尾の妖狐・玉藻は復活してすぐに行方を晦ませた。だが今回の四尾は幾つかの村を襲っている。ひょっとするとねぐらの周りの村を順に襲っているのではと考えたが、どうもそうではないようだ。×印は流域にまばらに分布しただけだ。
疑念をこらえつつ、日向はそこへ地形を重ねて書き込んだ。妖怪が封じられるのであれば、みだりに人の分け入らぬ地に置かれるだろう。伝承と禁域、地形。そして襲われた村々。それらを加味すれば四尾の封じられていた場所が見えてくるはず。その日向の予測に、結果は芳しい答えを返してはこない。これまでの聞き込みの労がまったくの徒労に終わったと知り、日向はガックリと肩を落とした。
(「いや、待てよ‥‥」)
ふと。日向の心中にある思いが過ぎる。
ここまで予測を立てて挑んだのに、悉く外れて掠りすらもしない。これだけの条件で絞り込めばどこかしらに痕跡が浮かび上がってもいい筈だ。それすらも見当たらないのは逆に不自然だ。
「妙だな。そもそも‥‥本当にそんな大妖怪なんて存在したのか??」
大妖復活の噂が出回り始めたのも、もともとこの上野新田郡ではなく隣の秩父郡、中村氏の領内だという。天矢とリーゼも村々を回ったが、九尾の狐に匹敵するほどの大妖怪の痕跡はなにも見つけられなかった。冬狐も手掛かりを得られず落胆を隠し切れない。
「時期的な事を考えると、江戸の大火に関わりそうです‥‥」
ふと冬狐は記憶を遡る。
「狐といえば、玉藻さん退治に神剣をという話もありましたね。あの神剣は『穢れた西の施設を浄化する為に使う』為のもの。可能性は低いかもしれませんが、今回の件と何らかの因果関係があるかもしれませんね」
調査を終えた冬狐が仲間と合流した時には、既に妖狐との戦いは決着し篠塚の兵も引き上げた後であった。
此度の討伐行は冒険者にとって散々な結果であった。経緯はどうあれ妖狐は討伐されて依頼料も無事に支払われたが、反って悔しさを募らせる結果にしかならなかった。
別れ際に、篠塚は冒険者らにこういい捨てた。
「江戸の連中は妖狐・阿紫を討ったと聞いたが、ただ剣を振り回すだけで魔法だ何だと腰が引けた者ばかり。江戸者がこの程度ならば、源徳など恐るるに足りぬな」
「しかし私が戦った妖狐は‥‥」
「どこまで信じてよいやら。おおかた、狐に化かされおったのだろう。不甲斐ない」
現に篠塚の金棒は魔法も闘気も帯びていないが妖狐を討ち取った。
「妖狐などはただすばしこいだけでこの篠塚の敵ではない。貴様らの邪魔立てがなければああも梃子摺りはせなんだろうに。あれなら若い頃に討伐した大熊の方がよっぽど強敵であったわ。貴様らとはもう見えることもないだろうが、去らばだ」
冒険者には返す言葉もなかった。
戦果は足手纏いにならなかっただけという所で、本来持ち合わせていた筈の実力を発揮できたとはいい難い。辛うじて最後に挽回を見せたが、篠塚からは強い不信感を頂かれる結果となった。しかも、同時に進めていた依頼背景の調査も満足に進まずこれでは両手落ちだ。狐退治が終わってからと楽観していたが、何の読みも手立てもないのに1日やそこらで手掛かりが掴めよう筈もない。鋼が悔しそうに洩らした。
「さすがに、九尾と同じ‥という事は無いだろうがな。調べるに越した事は無いんだが」
現地に留まって調査ができればいいのだが、ギルドへ戻って報告をせねばらならない。一行は泣く泣く上野を後にする。
「記録にも残らずに忘れられていたのなら、もっと早くに復活してもいいはずだ‥‥」
ウェスの疑問はもっともだ。それに策謀の舞台に立てば強敵である妖狐といえど、ただ矛を交えるだけならばさして恐れる相手でないこともわかった。あれではまるで死にに現れたようなものだ。それに、四尾が今際に口にした名は‥‥?
「ま‥‥‥報酬があろうがなかろうが、この件はじっくり調べさせてもらうが」