●リプレイ本文
「胸騒ぎが‥‥する」
鋼蒼牙(ea3167)はその言葉にならない暗い不安のような感情に突き動かされていた。
「四尾で終わり‥‥じゃない。何かが、まだ何かが終わってない気がする」
防寒着を引っ張り出し、バックパックに旅荷を詰める。依頼があった訳でもなし、報酬が貰えるのでもない。自分自身でも馬鹿げた行動だとは思いながらも鋼にその不安を止める術は他になかった。
当てはない。大妖復活の噂はあったが、調べても何ら確証は得られなかった。或いは只のホラだったのかもしれない。それは余りに無謀な試み。
「とりあえず秩父へ向かうか。‥‥一応、噂の発祥の地であるわけだし」
分かっていながらも鋼は愛馬に跨った。こんな気持ちで旅路へ望むのは一年ぶりだ。怪しげな噂話だけを頼りに仲間達と向かった那須行の日々を思い出し、鋼はふっと口元を緩めた。あの時は一手遅れで九尾の復活を止められずに悔しい思いをした。あれから一年。自分はどれだけ成長できただろうか。
「見てろよ、このままじゃ終わらない。しかし敵は狐なのか‥‥それとも‥‥」
四尾退治に同行した多くの仲間が同じように動き出していた。日向大輝(ea3597)も早々に江戸を発っている。
「どこから来たのかも目的も分からない。おまけに思わせぶりな死に台詞、まったく消化不良もいいとこだぜ」
日向は考える。
(「四尾の最後の台詞は『‥‥トオカ様‥我は見事‥』だったって話だが、見事ってことは何かを成し遂げたってことだよな」)
噂の出所は冒険者が流した偽情報とも言われている。実体が無いのはそのせいだと。しかし、実際問題として大妖復活の噂は秩父から各地へ広まった。そうする内に復活するのは四尾の狐だという話になり、最後には冒険者と篠塚伊賀守に討たれることで一連の噂話は決着した。噂は人々の関心にのぼらなくなった。
(「トオカ『様』ってことは、四尾より位が上の妖怪がいるってことだよな。ひょっとすると、そのトオカ様っていう奴はただのホラ話が別の形を得ることを怖れていたんじゃないだろうか」)
噂自体の真偽はともかく、その中に一片の真実が含まれていたとしたら。そのまま放っておけば誰かがそれに気づいてしまうかも知れない。ならどうすればいいか。より大きなものから目を逸らすには、別の小さな事件が起こればいい。
(「これはそういうことだったんじゃ‥俺達の目を逸らすための四尾の登場だったとしたら‥‥」)
考えるほどにその可能性は現実味を帯びてくる。内容が四尾復活に変質したのは、噂が江戸にまで広まりかけた頃だ。そして『記録にも残らぬほど古い』という余りにも出来すぎた出自。そして日向も調べた通り、四尾の痕跡を示すものはその土地には一切見つからなかった。
(「まだ事件は終わってない、否、もっとずっと前から始まっていて、俺達はきっとその一端を覗いたんだ。どうすれば解決できる? ひとまず残る手掛かりは秩父しか思い当たらないが・・・当たっててくれよ」)
刀根要(ea2473)は既に上野へ向けて旅立っている。
「前回の依頼の文、目覚めさせてはいけない者は目覚めた――。まだ誰も所有できていない彼のものは何を表すのかわかりませんが大きな力。それもどちらにでもつく可能性があるもの。目覚めた者を封じる手段はないかもしれないなら、こちら側に置けば切り札になりえるかも知れません」
手掛かりがないままでは推理はできない。今は憶測でも縋れるだけマシだ。要が目指すのは上野の古墳。産鉄の神や稲荷を祀る場所に行けば運良く情報を手に入れられるかもと、淡い希望を抱きながら一路北を目指して。その身にはためくは矢張り蒼天の羽織。
(「例の大妖が記録にないものというのは現代でのこと、もっと古い時代の物なら、或いは――」)
苦しい読みか。しかし要には他に当てもない。四尾退治では篠塚から信頼を得られなかったがこのまま引き下がる訳にはいかない。蒼天の名をその身に戴く一人として、不甲斐ない真似は許されない。自らを叱咤し、愛馬・潮干を追って要は上野を奔走する。一方で赤霧連(ea3619)は、手紙を所持していた漁師を訪ねる羽雪嶺(ea2478)らに同行していた。
「詰まる所、手詰まりなのでしょう? ならば、振り出しから戻って来た道を再度進むのも遅くはないのですよ?」
連が笑うと同行の黒崎流(eb0833)とマリス・エストレリータ(ea7246)も釣られて笑顔になる。四人が渡良瀬流域の村へ辿り付いたのは二日目の夜であった。
「もう俺には関わらないでくれねえか」
文を天矢とリーゼに渡してもうこれっきり事件とは縁を切ったと思っていたのだろう。蒸し返されるのは好まないらしく、男は酷く迷惑そうな顔で三人を出迎えた。雪嶺が頼み込むと男は露骨に眉を顰める。
「悪いんだけどどうしても知りたいんだ。協力して欲しいんだ」
「自分からもお願いするよ。文を拾った正確な場所を教えては貰えないかな」
「‥‥村よりもう少し上流だ」
見つけたのは太田宿の東南にあたる場所だという。宝石は翡翠で、結構な額になるものが幾つか小さな瓶に詰められていたらしい。単純に小判よりも軽くて持ち運びやすいという理由だったのかも知れないが‥‥。
「翡翠か‥‥」
「瓶がどこから流れてきたかは漁師さんなら分からないかな?」
雪嶺の問いに男はただ黙って首を振るだけだ。それ以上は話が続かず、4人は丁重に礼を言って男と別れた。マリスが流の肩にちょこんと腰を下ろす。
「困りましたな。さて、これからどうしたものでしょうかな」
「そうだね。自分は少し思う所があるから北へ足を伸ばしてみるよ」
「それも困りましたな」
とマリス。
「また道中は黒崎様に運んで貰おうと思ってましたからな」
マリスは上野まで流に運んで貰って来ている。シフールの身で歩くのは疲れるし何より時間もかかるのだそうだ。
「‥‥かといって、飛ぶのも疲れるからイヤな訳ですな」
「と言われても弱ったな。ここから先はかなりの強行軍になるだろうし‥‥せっかく飛べるんだから、上空から辺りを探ってみるのはどうかな?」
「それなら、マリスちゃんは私が引っ張って言っちゃいますネ」
「赤霧殿が一緒なら自分も少し心惹かれるところではあるけどね。今度はのんびり出来るときにでもまたご一緒させて貰いたいね」
それにマリスがコクリと頷く。流が雪嶺へ視線を寄越した。
「黒崎さんは北か、僕は謎の手紙の送り主を探し出す。依頼主が誰だかはわからないけど、『何か』を止める手段は知っている可能性が高いと思うんだ」
ここまでの移動におよそ二日。もうこれ以上時間は掛けられない。マリスが3人へ交互に視線を動かすと、連が微笑んだ。
「多分何かを始めるには遅すぎるのでしょう? でも何もしないでその時を待つか‥‥無駄に足掻いてその時を待つか‥‥それだけはまだ選べます」
少しだけ切なそうな眼差し。それが余韻を残したまま毀れるような笑顔になる。自然と仲間達は頷き合っていた。旅荷を抱えて流が微笑む。
「健闘を祈る」
「うん、黒崎さん達も気をつけてね」
その東。太田宿。
義貞が本拠である金山城の城下町へ、ウェス・コラド(ea2331)は単身潜入を果たしていた。ここ暫くは流れ者への警戒が厳しくなったと風の噂に聞いていたが、その警戒振りはかなり物々しい。
(「篠塚め‥この間のことを根に持っているのなら失望だぞ‥」)
篠塚は上杉攻略の任についていたが、近々義貞は上杉家の本拠である平井城へ総力をかけて攻撃すると巷では囁かれている。その戦には義貞自ら兵を率いて出陣するとの話だ。金山の後の守りを新参者だけには任せておれぬと、妖狐騒動のついでに篠塚を一度こちらへ戻したのだそうだ。新田家は、四天王と新参家臣3気の七党、それに新参家臣の家来の4氏族を加えて七党十一郎などと最近では呼ばれているらしい。
もともとこの金山城の守護の任に当たっていたのは新参家臣の華西虎山。一方の篠塚は四天王の筆頭とされる男で、武勇に優り、忠義に厚い男だということだ。この二人が護る間は金山城は安泰だろう。
(「新田家臣に九尾と繋がりのある華国妖怪の影があるらしいというが‥‥できれば奴ともう一度接触したいところだが」)
とはいえ何の肩書きもない一民間人が訪ねていったところで門前払いにされるのは目に見えている。ただでさえ太田は反抗分子狩りで殺気立っている。下手な動きを見せれば生きては帰れない。ウェスは思案した結果、金山へ忍び込むことを決める。地の精霊力を行使して金山の山中へ身ごと潜りこむ。地中から関を抜け、土の中を泳いで山頂を目指す。金山の急峻さは、だがウェスの思い描いていたものよりずっと厳しかった。これ以上は無理と悟るとウェスは土中より顔を出した。
(「これまでか。だが、ひとまずこれでよしとしよう」)
懐から紙を取り出し、一筆したためる。それを石塁に囲まれた登城口の辺りへそっと置くと、ウェスは道を引き返した。
連とマリスはほどなくして四尾が討たれた河原へ到着した。翌朝のことである。
「何故、四尾さんをはじめとする狐さんたちはここにいたのでしょうネ? 理由があるはずです、それを探しにきたのですよ♪」
連の持つ手掛かりは、仲間から教えてもらったあの手紙の内容。輝血の瞳に、生血滴る腹、スギ、ひかげのかずら、峰を跨いで――。
「まずはここからはじめましょう。本当にスタートラインです。私には全て植物の名前だと思ってしまうのは何故でしょうか?」
ひかげのかずらは霊力の宿る象徴とも呼ばれているらしい。それらの記述を追えば、後にとある伝承と符合することが発覚する。それはヤマタノオロチ伝説。日本神話に登場するこの魔龍は、八頭八尾、赤輝血すなわちホオズキのような瞳を持ち、腹には生き血が爛れ、身には苔や桧や椙を生やし、その身は八つの峰と谷を跨ぐほどであったという。
分かるのはそこまでだ。その後も連は足を使った調査を続けるようだが見込みは薄いだろう。マリスは連と別行動を取り、周辺の様子を探る役目に当たる。
「山登りとか山の調査は普通にやってたら時間足りないでしょうから、私の方で空飛んでめぼしい場所‥‥山をお奉りしてる神社や、山頂近くで異常が無いかチェックして来ます」
ムーンアローを使ったローラー作戦も試してみたがそれでは体が持たない。やむなくテレパシーを使った動物たちへの聞き込みにマリスは作戦を変更する。かなり苦しい調査が続くが、その中でマリスは一つ気になる情報をキャッチした。
(「‥‥お山の動きが慌しいですとな。ひょっとして噴火の兆し‥‥?」)
この辺りの火山といえば浅間山、赤城山。
(「動物たちの思い過ごしだとよいんですがな」)
壬生天矢(ea0841)とリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)の二人は江戸に留まっていた。とある宿に部屋を取り、二人は事件のことについて話し合っていた。
「江戸の大火以降何かが動いた。それが今、成されようとしているのだろう。事は一刻を争う」
「ああ。私もあの事件がこのまま終わりとは思えないね。きっと、何か裏がある」
二人が前回見つけた、真の依頼人の手紙。
「件の手紙の依頼人は俺達が探している『何か』を知っていた。そしてそれが『何か』を復活させてしまうことも。さて、それはいったい何か。俺の予測では江戸城地下にあるんだが‥‥」
手掛かりは余りに少なすぎた。しかし二人はこのまま手を拱いているわけにはいかなかった。
「ダメもとだ、源徳公に宛てて上申書を提出してみよう」
「ああ。頼む、リーゼ」
たかが冒険者がそのようなものを送っても、結果は目に見えている。許可は期待できないだろうことは二人にも分かっていた。しかし、この策謀の気配を知っていながら見ぬ振りをすることは、二人にはできなかった。何度も遂行しながら、二人は江戸城地下調査の上申書の文面を練り上げた。
去る霜月二十六日の新田領内での四尾討伐の依頼を受けて、以下のことを報告いたします。
四尾討伐はそれだけで終わりを見せることはなく、謎の依頼人の姿は未だ見えず。その依頼人からの手紙に奇妙な事が書かれておりました。『輝血の瞳に、生血滴る腹〜』、この下りが八岐大蛇伝説を指す可能性が仲間から示唆されています。思い当たるは草薙の剣。しかしこれは京へ返還されました。
では、狐達は何を狙っているのか。先の神剣争奪の際には江戸の為と東国連合に身を起き、奮闘して参りました。地下で精霊が発した『もう一つの剣』を匂わす言葉も気にかかります。大蛇が蛇のような何か‥‥例えば地脈。水脈。また、霊峰富士の噴火する姿を大蛇に例えた説もあります。
「時は既に遅かった」――。事は一刻を争います。どうか江戸城地下の調査許可を願います。城の方を監視としてつけて頂いてかまいません。また、我々の調査が困難な場合は、何らかの手を早急に打つ事を申し上げます。
書面の最後に二人で署名を入れ、封をし、そこにも二人の署名と合わせて宿の所在を記しておく。
「私が源徳公なら、こんな怪しげな噂話にいちいち反応しないとは思うけど、今回は他に打つ手なしだしね」
「そうだな、最善は尽くした」
手掛かりがない以上、飛躍した憶測になるのは仕方がない。それでも、自分たちにやれる精一杯のことだけはやったと二人は思う。
「それじゃ私は江戸城へ届けてくるよ」
「任せた。俺は少し調べたいことがある。また後で宿で落ち合おう」
文は源徳のもとだけではなく、鷹見仁(ea0204)の手から朝廷にも送られた。
「妖狐玉藻にも匹敵するほどの古の大妖‥‥まさか、アレか?」
先日の神剣騒動の折に、仁は草薙の剣の伝説について調べ直していた。草薙の剣が歴史に登場するのは、朝廷が大和を平定する際にヤマトタケルへ遣わしたときがその最初である。しかしこれ以前に剣が表舞台に現れたことはなく、その出自は定かではない。一般には古の刻にスサノヲノミコトがヤマタノオロチの尾より見出した竜殺しの魔剣・天叢雲であると言われているようだ。
「もし大妖ってのがオロチだとしたら‥‥彼の剣が何らかの鍵となっている可能性も考えられるな。俺は絵描きだが文字を書かせてもなかなかのもんだぜ」
取り出した箋にさらりと一筆。
『過日、神剣を奪還する為に戦った者の一人として忠告す。近頃、狐達に大妖復活の企みせし兆しあり。彼の大妖、かつてその身に神剣を秘めしものなり。故に狐が彼の剣を狙う恐れあり。重々注意されたし』
どれだけの効果が望めるかは高が知れているが、やらぬよりはましという話もある。たとえば神皇家が信頼する者の添え状を得た上で京都へ向かって直に工作したとしても或いは難しいだろうが。何の後ろ盾もなく文一つで朝廷を動かせるとは思えないが、今は他に打つ手はなかった。
「頼むぜ。少しでも耳を貸してくれよ‥‥!」
流は上野を駆け抜けて更に北へと足を伸ばしていた。
「翡翠は北陸に産地があると聞いたことがある。そういえば、ヤマタノオロチも高志(越)の国から来るという話もあったな」
江戸を立つ前に幾つか気になる報告書に目を通した結果、流は一つの推論を得るに至っていた。
「例の伝を出したのは、おそらく夏から行方不明になっている隠殿という忍び」
素性や目的は分からないが、おそらく隠は北へ何かの調査に赴いた。翡翠はその時に換金したのだろう。何かを掴んだ隠はそれを知らせる間もなく『敵』の手に落ちた。例の文は敵の手に落ちる前に僅かな希望を託して河へ流したのだろう。
「おそらく、いや間違いなく隠殿の伝えたかったのはヤマタノオロチ復活の陰謀。そして気になるのは、上野の地勢だな」
この辺りには浅間、赤城などの火山が多い。もしオロチの正体が火山であったなら? 赤く輝く瞳、生き血で爛れる腹、背に生えた多くの植物。その姿を想像するとき、流は噴火する火山の情景を思い浮かべることを禁じえない。
「惜しいな。時間さえあれば、まだやれたかも知れないものを」
これ以上北へ進めば帰りが遅くなる。数日中には江戸へ戻ってやるべきことがある。
「自分の推理が正しければ、次に狙われるのは草薙の剣の可能性が高い。何とか源徳公を動かして未然に防がないと」
江戸を立つ前に知己の者へ源徳宛の書状を持たせたが、おそらく証拠もない状態では向こうも動かぬだろう。この数日で手にした情報は明確な証拠とは言い難いが、それを持ち帰って再度報告をせねばならない。
「調査が当たる率は五分より悪いとは思っていたが、自分の推理に確信を持てただけでも収穫だったと思うことにしようかな」
一刻も早く街道を引き返して江戸へ舞い戻らなければならない。ここまで至るのも殆ど不眠不休だったが、帰りは本当に寝る間すらないかもしれない。ふらりと足元が覚束ない。流はその場で手をついて路傍の木へ背を預けた。
「少し眠るか‥」
同じ頃、上野を走り回っていた要の調査も終わりを迎えていた。気になるところは全て当たったが、やはり何一つとして見つからなかった。既に日向が調べたように、疑わしい場所がないという確認が取れただけである。
「無念です。ここまでか。せめて雪嶺だけでも何か手掛かりを得ていたら」
その雪嶺は大凧で上空から地勢を調べたりと方々手を尽くしていたが成果は芳しくなかった。辛うじて得られたのは一つ。文が見つかった渡良瀬を上流へのぼり、支流の一つひとつを虱潰しに調べると、その一つが金山城のすぐ傍を通ることが分かったのだ。
「そういえば藤丸さんが隠さんの居場所は金山に囚われてるのかもっていってたよね。急いで江戸に戻って報告しないと」
さて。他にも秩父方面へ向かった者達がいる。レヴィン・グリーン(eb0939)は婚約者の所所楽石榴(eb1098)を伴って再度調査へ赴いていた。
「トオカとはお稲荷様、狐さんのことだそうですね」
そして例の文の指し示すのはおそらくヤマタノオロチ。
「蛇さんに狐さん‥‥妖怪の類とはいえ動物学者としては興味が尽きませんが、今はそういう場合ではありませんね。今は通用するかは未知数ですが知識として役に立てれるよう此処は考え処ですね」
「『我は見事‥‥』、この後に無念を示す言葉を紡ぐのはおかしいね‥‥なら、あの狐は任を果たしたという事? トオカという名が、その黒幕で‥‥何か起きようとしているなら‥‥見極めなくちゃ」
隣のレヴィンを振り返ると、その碧の瞳が石榴を優しく映している。
「ええ、行きましょう。私たちのできる限りを尽くしましょう」
江戸を出る前、石榴は冒険者仲間から気になる話を耳にしていた。富士山近辺の修験者たちの間で、富士に異変があると噂になっているらしいのだ。何かが起ころうとしているのは間違いない。
答えは出ないまま調査は続く。足を棒にしながらの聞き込みは思ったほどの成果を見せない。それでもレヴィンが慇懃な対応で譲歩を募るうち、二人はある風習についての話を耳にする。
「この辺りには『十日夜』という風習があるのですね? もし宜しければもう少しばかり詳しくお教え願えませんでしょうか」
その儀式は、旧暦の十月十日の夜に、神へ捧げものをするという儀式だ。神無月十日は国中から全ての神々が出雲国へ集るという神迎えの日。こ日ノ本からこの日、八百万の神が消える。
「十日夜の火に、大火が起きたのは偶然‥?」
ぽつりといったその言葉が合図だったかのように、石榴の細い肩がガタガタと震え出す。
「あの晩はすごい大勢の人が死んでいったんだよ? それこそ、江戸が代償として捧げられていたのなら‥」
その晩、石榴は下町で一晩中消火活動に当たっていた。頬を焼く熱気と、止まぬ半鐘。赤黒い空。飛びしきる火の粉、空を覆う黒煙。怒号と悲鳴。大火の晩の光景がまざまざと蘇り石榴の顔から血の気が引く。あの晩の死者は四万とも五万とも言われている。ふらりとよろめいた石榴の肩をレヴィンが掻き抱いた。石榴がレヴィンの胸に顔を埋めて震える声で呟く。
「ねえ、全てが封印をほころびさせる手段のひとつに過ぎないとしたら‥‥」
それに答える代わりにレヴィンは石榴の背へ手を回した。ぎゅっと強く抱きしめるとやがて石榴から震えが引いていく。レヴィンの思考が彷徨いだす。
(「それほどまでの代償を捧げて目覚め施用と擦るなら、やはりヤマタノオロチなのでしょうか」)
例の文を見るに『何か』を目覚めさせる直前だが、決定的なものがまだ足りないようにも受け取られる。目覚めに必要なのは、相応の代償。或いはそれを伴う儀式。
ふと石榴の脳裏にある記憶が過ぎる。
「ヤマタノオロチというと、草薙の剣だよね。もしも、もしもだよ‥?」
草薙はスサノヲがオロチの屍骸より見出した龍殺しの魔剣。
そして剣とは斬るもの。
「敵の狙いが草薙だったとして‥‥龍を殺す剣で‥一体何を斬ろうっていうの‥‥?‥」
再び江戸。
『江戸は滅ぶ!それが吾が望み!幾百のときを越えての望み!』(by阿紫)
クロウ・ブラッキーノ(ea0176)は昨年の夏の記憶を思い起こしていた。それは百鬼夜行で江戸を狙った妖狐・阿紫の言葉。
「幾百年前に何かあったのだと思いマスガ、それにしても粘着体質スギデスネ」
阿紫と江戸との因縁は分からないが、それによる結界の綻びが引き起こした地脈の乱れが九尾を封じた殺生石の結界を緩めたのではという報告もある。クロウはその記憶に何か引っかかりを抱えている。それは同行の雨宮零(ea9527)も同じことだった。
「さて、どうにもひっかかりますね」
四尾は倒したものの、どうにも胸のつっかえが取れそうにはない。
「前回の四尾狐は僕達がいなくても退治できたような様子。四尾の最後の言葉‥‥『我は見事‥‥』というところから推測すると、初めからあのように死ぬつもりだったような気がします」
だがその先の考えは続かない。押し黙る二人。
やがて二人の声が重なる。
「「狙われているのはやはり」」
―――江戸。
「ですか」「ですカ?」
順当に考えればそれが一番自然に思えはする。しかし江戸は大火の大被害にあったばかり。江戸の寺社も寛永寺を始め、多くが焼け落ちた。これ以上何を狙う必要がある? クロウが思案げに目を伏せる。
「ふむゥ」
■クロウ脳内会議
A『とりあえず江戸が狙われてるっぽいデスガ』
B『各地の妖狐騒動と江戸にどんな関係が?』
A『江戸は風水都市デス。江戸へ流れる川が汚れたら間接的に風水の結界を壊す事になりませんかネ』
B『川?』
A『四尾は渡良瀬川流域から動いてまセン。川で血を流す事に意味があると考えるとネ』
B『確かに江戸を滅ぼすなら風水は邪魔っぽデス』
(というワケで‥‥)
「せっかくだから私はこの風水を選ぶゼ!」
「あ、えっと‥‥‥クロウさん?」
いきなり大声を上げたクロウに面食らいながらも零が尋ねると、クロウは落ち着いてこう答えた。
「渡良瀬川の水が江戸湾に流れ込むのであれば狙いは風水カナと」
「なるほど‥‥そういえば前回の調査で見つかった謎の手紙」
それを目覚めさせてはならぬ。時は既に遅かった―――。
「もう、事は始まっていて‥‥『滅びの力』‥何かを手に入れようとしているのかもしれない?」
「それじゃこういう筋書きはどうデスカネ?」
■目論見予想
江戸結界破壊
↓
風水操作でフジヤマ爆発
↓
風水ぱわぁ(=地脈?)を利用し大妖復活
うーん‥‥。
「でも、もし先の四尾が現れたことと関係しているのであれば‥‥裏にいるのは妖狐ら、なのかも知れませんね」
クロウが調べてみた範囲では、この風水都市・江戸を作ったのは太田道灌とうい人物。およそ百年程前のことだ。太田道灌の風水理論や設計構想などの詳細までは調べられなかったが、この関東の地の精霊力の流れを大きく左右する土地だという話は噂として今にも伝わっている。
風水の考え自体は、地脈――すなわち地の精霊力の流れに力点を置いた理論によって成り立つが、精霊魔法の体系との関連がはっきりとなされている訳ではない。その理論の実証性は、たとえば現に存在を証明できる魔法などとは違ってあやふやなのが実状である。とにかく言えるのは、江戸の街は、その地勢からもまた設計からも、風水上では関東の重要地点だということである。
ふとクロウが顎を撫で付けた。
百鬼夜行による結界の破壊が北北東への地脈の流れをも破壊していたとも言われているが、この北北東の方角は日光への道筋と重なるようにして多くの寺社が存在するらしい。江戸から那須方面へ向けては大きな地脈の流れが存在するようだ。
「百鬼夜行の狙いは江戸だけでなかったようデスョネ? なら江戸だけでなくもう少し大きな視野で考えてみるといいっぽデス」
仮にこの江戸の街が関東地方の風水バランスを抑える役目を果たしていたとしたら。寛永寺の消失で江戸の鬼門は開いた状態にあるらしい。大火の影響でそのバランスは既にずたずただろう。
「百鬼夜行以降、妖怪騒動が報告された場所と鬼門や龍脈付近で騒動が起きてたトカ。お〜の〜!」
「龍脈?」
と、零。
「僕、不思議に思ってたんです。ヤマタノオロチって本当にいるんでしょうかって」
零には伝説上の化け物の復活が零には何だか現実味を持った実感として考えることができず、その引っかかりはずっと残ったままだった。
「ひょっとしたらたぶん間違ってるかも知れませんが、オロチって自然現象のことを指してるんじゃないかって思うんです。たとえば、八つの河川が流れているのを大蛇に見立ててとか‥」
しかしその推論に合致する河川は東国には見られなかった。
「だから間違ってたんだなって黙ってたんですけど、さっきのクロウさんの言葉を聞いて、僕‥」
「走るのは河じゃなく龍脈ト? 事態を東国だけでなくもっと大きな目で見る訳デスネ?」
八つの龍脈。列島を走る八つの地脈の流れ。
「そして八岐大蛇と関係するのは‥‥」
――再び秩父方面。
「オロチといえば、草薙の剣が、その象徴とされてもおかしくないんじゃないかな?
草薙の所在は京都。
「剣とは斬る物‥‥龍を殺す剣で何を斬るの?‥それはひょっとして‥」
石榴の表情が蒼白になる。
「‥‥龍脈‥?」
列島を走る数多の地脈の流れが切れれば、その先に待つものは?
「彼等の手に渡らせちゃいけない‥‥絶対に阻止しなきゃ‥!」
同時刻。京都。
『我らが狐の一族の王たる貴女様に、このセンめの忠誠をお見せ致しましょう』
京の市中に狐が一匹紛れ込んでいる。彼の名は、川(セン)。九尾復活の陰謀に加担し、華国から流れてきた妖狐。那須動乱では狐川の偽名を名乗り、江戸からの地脈の流れを切断して殺生石の結界を解くと言う悪謀を成したその男。
その彼は復活した九尾に付き従い、今は奥州藤原の下へ身を寄せている。
『上州騒乱、神剣騒動、江戸大火‥‥この国の命運はもはや貴女様のたなごころ一つ。ですが貴方様からすれば藤原が如きも唯の駒に過ぎませぬ。それは壮大な囮。かねてより進めてあります「八つ」の件も、後は「つるぎ」を奪うだけ』
奥州藤原氏の陰謀を陽動に、水面下では更なる計画が勧められつつあった。京都と霊峰富士、そして風水都市江戸。それらを複雑に結ぶ地脈の流れ。そこへ目をつけた九尾は、それら地脈のエネルギーを狂わせる策略を推し進める。制御を失ったエネルギーは暴走を始め、やがて捌け口を求めて動き出す。その先にあるのは霊峰・富士。出口を求めて渦巻くエネルギーの抑えが効かなくなったとき、膨大な力は一気に爆発するだろう。そしてそれを為すのは神皇家に伝わる一本の神剣。奥州騒動すらを陽動として、日本の滅亡をかけた陰謀がいま実行に移されようとしていた――。
北へ旅立っていた仁は現地で日向と意見を交換し、推論に確信を得ていた。
「今回の件はおそらく妖狐達が八岐大蛇を復活させようとしたのがその発端。それを冒険者の流した噂がたまたま言い当てていたため、その処理に偽の大妖として四尾を放ち、俺たちに討たせた」
噂は変質し、四尾の死を持って決着を見る。だがその裏ではもっと大きな策謀が進められている。絶つべきはその陰謀。
「それが真相なのだろう」
「俺の考えもまったく同じだ」
「人間は何かが起こって解決した後は何も起こっていないところよりも安全だと思いがちだからな」
二人の考えは完全に一致した。しかし時はもはや遅かったのだ。
仁が京へ送った文もやはり朝廷を動かすには足らなかった。確たる証拠がないのだ。江戸では天矢とリーゼ、それに流も源徳へ書状を送ったが動きは見られない。天矢は苦しげに呟く。
「もはや、手後れかもしれぬ」
この致命的な遅れを待ったまま14日の夜は過ぎる。鋼も何も成果を得られずに失意のまま江戸へ戻っていた。全身を苛む無力感と屈辱。一年前、センによって九尾復活への手掛かりを立たれたあの晩と同じ感覚。
「‥‥あぁ。もう玉藻が復活して1年になるのか‥‥」
15日の月道が開くのを前にして証拠を揃えられなかったのが、冒険者にとって最大の仇となった。或いは背後に九尾の存在があると気づくことが出来れば、事態は少しは変わっていたかもしれない。だが時はもはや遅かったのだ。
江戸へ京からの急報が届くのはそのすぐ後のことである。
阿部晴明の占いで東より災いが来るとの卦が出たのだ。未だ確たる証拠はないもの、事前に寄せられていた文の内容を重く見た朝廷は急遽、神剣を治めた宮中の剣璽の間の警備を強化する。時は遅かったが、冒険者の努力が僅かなりとも一矢を報いたかたちとなった。だが供えは万全ではない。物の怪がその剣を手にするのか、はたまた人がそれを護りきるのか。
命運は、天に委ねられた。