●リプレイ本文
再び上州入りした冒険者ら手分けして行動を開始した。
連合の村へはカイ・ローン(ea3054)らが向かい、不破斬(eb1568)らは募兵の試験へと望む。
「九尾の復活を行った虎人が関わっているなら、良からぬことを企んでいるに違いない。九尾自身は倒せずとも、害を撒き散らすのは防ぐぞ」
「さて、上手く入り込むにはどうしたものか」
不破は一行を離れて太田の馴染みの宿へ向かう。できるだけばらけて、こちらの動向を窺わせぬよう用心が必要だ。斬は酒を手土産に人足達に混じって募兵に向かうらしい。道志郎もイリス・ファングオール(ea4889)に見送られて、陸堂明士郎(eb0712)と共に宿へ向かった。
「陸堂さん、危険な任務だが今回も宜しく頼む」
「虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。相手が虎人だけにな‥‥」
連合の村は太田宿から数里の距離にある。カイとグラス・ライン(ea2480)、そして李焔麗(ea0889)の三人は連合と接触するため村を訪れた。
「おや、カイ君ではないか〜。こんな所へどうしたんだい〜?」
訪れた三人をトマス・ウェストが出迎えた。旧知のカイが事情を説明する。
「‥‥という訳で連合を束ねる上将殿に面会をしたいんだ」
「そうだね〜。松本君は我々幹部にも滅多に顔を見せないからねぇ。面会するのは難しいと思うのだがね〜」
「そう思ってな、うちな、手紙を出してたんよ」
と、グラス。きょろきょろと辺りを見回すと、屋敷からマハラ・フィーが報せを受けて顔を出した。二人はインドにいた頃の知り合いだ。
「話は通してあります。上将様は表には出られませんが、連合の代表との会見の場を用意しておきました」
彼女のとりなしで三人は連合の代表と会見を持つことができた。
「私は道志郎の名代のカイ・ローンと申します。この度上将殿にご報告したいことがあり参上いたしました」
「では上将様の代理として私たちがお話を承ろう」
連合側が交渉役に出してきたのは三人。村の庄屋と、侠客の親分。そして客分の身である元新田四天王の由良具滋。紹介を受け、グラスが微笑を浮かべる。
「うちは道志郎さんと志を共にする、グラス・ラインや」
「よろしく、異国のお嬢さん。――それで、用件とは」
「報告したいこととは義貞の軍の華西虎山についててございます。かの者は那須にて九尾の復活を行った華国渡りの虎人ということです」
「あんな、那須の妖孤復活時に活動していた華国の虎人が暗躍していることを知ったんや。今度は手遅れにはしたくないんよ」
「それは真のことですか。こちらもそんな情報はまだ掴んでいない」
「詳しく聞かせちゃあくれねえかい」
庄屋がヤクザが思わず身を乗り出した。グラスが先日の太田での調査のあらましを語って聞かせ、最後にカイがこう続ける。
「義貞の軍にどのくらい狐が根を伸ばしているか分かりません。道志郎殿は神剣探索での庶民連合の立役者。この上州で同じく民の為の連合を設立した上将殿にとても関心があり、上州の騒乱を治めるのに協力できないかと考えたからです。よろしければ、一度お会いしていただけないでしょうか?」
「彼等は今回、支配者層に根を張ってるんよ。うちの想像やけど、暗躍ではなく表立って妖魔が一般世界に紛れる自分達の国を創ろうとしてるんやないやろうか」
「よろしい。こちらとしては協力者は多いほどいい。それでは具体的な話を詰めましょう」
「そこは私の一存では‥‥」
カイが言葉に詰まるとヤクザが目を剥く。
「おいおい、あんたらは会見の申し込みだけに来たってかい? こっちゃ、あんたらがその道志郎だとかの名代だってぇからこうして会見の席を持ったんだぜ? こっちに手間取らせるんならきっちり絵図かいてから来いや。それとも何だ、手前ェはただのガキの使いか?」
「申し訳ございません」
焔麗が割ってはいると頭を下げた。
「ご指摘はごもっとも。それはこちらの手落ち。その点はどうか平にご容赦下さいますよう」
「いえいえ、こちらも言葉が過ぎました。どうか頭を上げては頂けませんか」
「相済みません。現在、道志郎は金山城へ潜入捜査に赴いています。明日まで待って頂ければこちらも本人を立てての会談が出来ますが、ご指摘の通り我々も本日は名代として参りました」
流暢な言葉で淀みなく口にすると、焔麗は相手方の目を交互に覗き見た。
「そちらさえ宜しければ、私達の判断であなた方との共闘体制を構築したいと考えます。きっと道志郎も同じ判断を下したでしょう――否、我々は道志郎の名代、これが道志郎の返答です」
「悪くない。こちらとしても心強い味方は多い方がいい。由良殿はどうお考えか」
由良は客分として遠慮もあってか終始無言で成り行きを見守っている。グラスが最上の笑みを見せると、由良は微笑を向ける。
「お願いしてもいいよね!」
「我らは今や崖際。選択の余地は無い、ここは受けるべきであろうな」
昼を過ぎた頃から、大手口には多くの浪人風の男達が列を成して集りつつあった。大手口からは険しい岩山の中にある登城口を通って本丸のある実城へと続く。急峻な金山にそびえる城を見上げ、陸潤信(ea1170)は既視感のようなものを覚えてふと足を止めた。
「ここが稀代の名城、金山城ですか‥‥」
素人目にもどれだけこの城が落とし難いかは肌で分かる。石塁に連ねられた登城口とその先には堅牢な石垣でなる城壁。生半な攻めではびくともしないだろう。そしてそれは同時に、その内へ入らば容易には外へ出れぬということでもある。この潜入、もしもこちらの手の内が露見することがあらば生きては帰れぬだろう。陸は気を引き締め直して浪人達の列へ並んだ。
登城口の前ではまず素性を改められ、この面接を通った者は登城門の前へと連れて行かれる。
「姓名と正業は」
「名は‥‥斉藤潤信」
冒険者であることを知られては厄介だ。ふと頭を過ぎった斉藤という姓を咄嗟に名乗り、陸は笑顔で取り繕う。
「狩人をやっておりましたが此度の戦乱で生計がままならなくなり、口に糊するためこうして参りました」
答えながら陸は腰に吊るした兎の毛皮を示して見せた。今朝方山で捕らえたものだ。
「腕力と体力には自身があります。山歩きにはこの通り慣れておりますから、金山で戦になりましたらお力になれるかと思います」
「よし、次」
この日集った男達はざっと五十人ほど。多くは食い詰め浪人だ。その他に百姓、猟師、工夫、町人、それから腕自慢の武芸者達が混じっている。
「佐竹康利(ea6142)、武芸者だ。浪人の身で士官の口を探してるとこだぜ」
「よし、次」
「自分も武芸者だ。不二藤志郎、上野の乱なら少しは暴れられるかと思って志願した」
その列に偽名を名乗った道志郎も混じっている。陸堂の案で付け髭をし、髪型も変えて変装している。服装も他の者達へ紛れるようにと浪人風に繕っている。受付の侍は道志郎へ鋭い視線を投げかけたが、やがて。
「――よし。次だ」
そのすぐ後には陸堂が続き、一行はばらけて内部へと潜入した。道志郎の傍には万が一の護衛として陸堂がつき、他の仲間は怪しまれぬようつかず離れずの距離を取る。
「浪人、不破斬だ。しかし武芸者が多いな。俺も武者修行中の身だ。諸国を巡りながらよろずの品を売って身を立てていたが、やはり武士に商売は向かんものだな。雇ってくれれば懸命に働くぞ」
「うむ、よし。お前で最後だな、それでは城へ案内しよう」
十名ほどの侍に囲まれて一行は金山をのぼる。その中には忍軍・闇霞に身を置く音無藤丸(ea7755)も混じっている。彼にはこの依頼に当たり胸に期するものがあった。
(「触れれば切れてしまいそうに細い糸ですが、或いは隠様の手掛かりが掴めれば」)
彼は夏に隠(なばり)と名乗る忍びからの依頼を受け、数名の忍びたちと共に活動した経験を持つ。その隠は北へ潜入捜査に赴いてそのまま行方を絶った。生死は不明。最後に、彼ら忍びへ宛てて白紙の文が届いて以後、彼の消息を示すものは一切ない。もはや隠の行方を追うのは絶望的と思われていた。
動きがあったのはここ暫くのことだ。
藤丸が目に留めたのは先の四尾の狐騒動。その依頼人は河から拾った文を見て大妖復活の兆しを知ったという。冒険者伝に聞いたその文の内容に藤丸はとある既視感を覚える。
(「考えるほどにあの文面は隠様のもののように思えますね。単独で組織を相手にするような方ではないはずですが‥‥。もし隠様であったとしたら、川上や水場から運任せのような手段でしか情報を流せないほどの苦境。無事でいて欲しいのですがね」)
近くには渡良瀬へ繋がる川が幾つか見られる。もし隠が消息を絶ったのがここだとすれば、気を引き締めてかからねばならぬだろう。既に藤丸は城周辺に漂うある種の殺気に感づいている。事前に仲間達から報告は受けていたが、金山城周辺には複数の忍びが配されているようだ。
(「とはいえ、この堅牢ぶりは想像を遥かに超えていますよ」)
当時は山城といえば砦程度のものが普通だ。ここまで徹底して石塁と石垣で固められた代物は藤丸も初めて目にする。仮に城内で窮地に追い込まれたとしても、おそらく無事に逃げる方法などあるまい。加えてこの急峻な岩山という立地。猟師である陸もその険峻ぶりに舌を巻く。
(「この城を攻めるのがどれだけ容易ならざるか。こんなところに虎が紛れ込むとは、厄介ですね」)
できる限り道中の施設や警備にも目を光らせながら進むと、やがて一行は実城の入り口まで辿りついた。康利が城門を見上げて感嘆を洩らす。
「しっかしこりゃあ立派な城だな! こんな城で仕官が叶うとは名誉なことだな。なあ、お前等もそう思うだろ?」
「まったくだぜ。しかも次の戦は何でも上杉の居城を総攻撃するとかいう噂だろ」
「なるほどな! 総攻撃とは威勢がいいな。それで、その上杉の城ってのはどこにあるんだ?」
「平井城だ。あんた、そんなことも知らんで来たのか」
「はっはっは。細かいことは気にすんな!」
持ち前の人好きの良さを生かして康利はすっかり浪人達に馴染んでいる。城門を潜ると中は物々しい空気に包まれている。本丸を見上げる月の池の傍には陣幕が張られ、一行はその内へと案内された。藤丸の視線は目敏く月の池へ向けられる。
(「なるほど、あそこに用水が一つ」)
小さな庭池ほどの大きさのそれは岩を穿った井戸だ。城内にはこうした用水が複数置かれているらしい。陣幕は武者屯に面して敷かれ、奥のほうに小さく区切られた区画がある。一行は二手に別れさせられ、互いに見合うような形で配置された。佐竹ら冒険者達は適度に散って二手に構える。
「上杉攻めの大戦の兵に取り立てて貰えるって訳だからな。こいつは腕が鳴るよな!」
それに侍の一人が目を留めた。
「威勢がいいな。よし、お前。まずはお前から腕を見させて貰う。前に出ろ」
どうやらここで剣の腕前を試されるようだ。浪人からもう一人が呼ばれ、木刀が与えられる。その時だ。不意に侍達に緊張が走る。陣幕の中に姿を見せたのは華西虎山。この金山城の守護と太田宿の開発に当たっているという新参家臣。藤丸が眉を動かした。
(「あれが‥‥」)
(「‥‥兄者の因縁の虎人‥‥」)
陸の兄である御守衆の風守嵐はかつて那須の地で虎人の兄弟によって苦い敗北を喫した。この華西という男はそのうちの兄。もう一人は茶臼山戦役の際に陸の古い友である朱雲慧が相対し、最後には嵐が雪辱を果たした。御守の一族はこの虎人とは深い因縁の中にある。
同行している陸堂もまた、朱とともに道志郎の軍で弟虎人と戦った経験を持つ。当時はまだ駆け出し冒険者であった陸堂はその虎人相手に一太刀と報いず敗れた苦い過去を持っている。あれから数ヶ月。見違えるほどの成長を遂げた彼は、今度はその兄である虎人とまた敵同士として対峙する。今はまだそのときではないが、いずれ斬らねばならぬ相手。
(「奴を追えば上州で起きている一連の事件に関する糸口が必ず見えて来る筈だ。そしてそれは江戸の事件に、ひいては妖狐へと繋がる手掛りになるだろう」)
陸堂ら集った五十近くの志願兵を見回した虎山は鷹揚に口を開いた。
「貴様らの腕を試させて貰う。見所のある者は倍の金を出す。各々、鍛え上げた力を存分に出し切るがいい」
「それではこれより試験を執り行う」
佐竹と相手が共に中央へ進み出た。
「さぁて。それじゃあ。この俺の剣を目に入れてやるとするか、ね!」
始めの合図と同時に閃光の剣撃。ドウっと音を立てて対戦相手が転がった。捻じ伏せるような力量差であっという間の早業だ。力任せの剛剣は対戦相手を軽々と吹き飛ばした。
「よし。お前は合格だ。次」
試し合いの終わったものは陣幕の隅の区切られた所で再度名を改められ、そこで木刀を返してまた列へと戻る。藤丸も忍法は見せずに無難にこなし、そうして次々に模擬戦が行われて。やがて。
「次。不二藤志郎。不破斬」
呼ばれたのは二人の名。道志郎が黙って中央へ歩み出た。斬もそれに続く。
(「道志郎と当たることになるとはな。だが怪しまれる訳にもいかん」)
(「斬、俺も同じ思いだ。全力で当たらせて貰う」)
視線を合わせ、二人は対峙する。出立前に斬が軽く稽古をつけたときは、剣捌きはもうじき斬に追いつくかという程に上達を見せている。
開始の合図があり、二人は同時に構えを取った。先手を打ったのは道志郎。木刀のぶつかりあう乾いた音が金山に木霊する。斬は道志郎の刀を裁くと再び構えを取る。
「なかなか気合の篭った初太刀だな。だがまだこの俺は倒せんぞ」
「何を! まだまだ!!」
「ならば見せてくれよう、不破流狼剣術の技を」
(「とはいえ、今はまだ新田の連中に手の内は見せたくはないな」)
技の多様さでは斬に圧倒的に分がある。しかしいずれ敵対する連中の前では奥の手はできるだけ伏せておきたい。大技は控え、斬は基本に習う動きに徹する。自然と隙も小さくなり、攻めあぐねた道志郎にも疲れが見えてくるようになった。
(「流石に手強いか。だが斬、このままでは終わらない」)
(「何をやっている道志郎。気負っているのか、体が硬い、そんな動きでは話にならんぞ」)
道志郎の攻撃を斬が悉く受け捌く。対する道志郎も反撃を躱しきり、戦いは暫しの膠着を見せる。斬の額を苦しい汗が伝う。
(「このまま続けても新田側に却って手の内を晒すことになりかねんな。ここは敢えて手早く片を‥‥」)
斬の技は陸奥流。刀を握るその拳にも勝機を忍ばせている。木刀を握る斬の左腕が微かに緩んだ。
その、瞬間に。
(「斬、隙あり――!」)
(「甘い。そんなに力んだ剣では俺には通用しないぞ!」)
しかしその剣先は斬の読んだ軌道を大きく逸れた。斜め上から抉りこむように首根を狙ったそれは、一撃で意識を刈り取る重みを乗せた剣撃。刹那。鈍い音と共に転がったのは道志郎。首根への剣撃は斬に膝を付かせるには至らなかった。逆に捨て身になった斬の反撃に道志郎は倒れる結果となった。
(「道志郎、これを狙っていたのか。いつまでも守られてばかりでは詰まらんだろうと思っていたが‥‥」)
「士別れて三日なれば即ちまさに刮目して相待つべし、か。まだ伸びる剣筋だ。藤志郎殿のさらなるご精進を祈る」
「かたじけない。不和殿も、また是非いつかお相手願いたいな」
肩口を押さえながら道志郎が立ち上がる。華西が満足げに口を開いた。
「二人はなかなか見所があったな、隊での活躍も期待しているぞ。よし、次」
道志郎と斬は他の参加者達同様に、いちど陣幕の奥へと向かう。二人ともそこで木刀を返し、用意されていた名簿に名を記す。
その時であった。
「―――――!」
陣の奥から道志郎へ向けてひと刹那の光が走る。それは光の反射か、否。
(「!」)
(「‥!‥‥」)
(「!」)
(「――!」)
いや、違う。それは淡い銀光。光の矢。
道志郎の腕を掠めるようにそれは命中する。
「‥痛ゥ」
不意に刺した痛みに思わず呻きが洩れる。それに間隙を置かず道志郎の両脇を数名の侍が囲んだ。
「不二、お前はなかなか見所がある」
「特別に別室へ案内させて貰おう」
仲間達に緊張が走る。
陸堂の体中をざわざわと不快な予感が駆け巡り、全神経が警鐘を鳴らす。
(「しまった‥‥! 待ってろ、道志郎殿、今助けに‥‥!」)
その腕を康利が咄嗟に掴んで引き止めた。振り返った陸堂へ佐竹は苦しげに首を振って返す。今ここで剣を抜けば城の侍全てを即座に敵に回すことになる。仮に大立ち回りして道志郎を奪い返せたとしても、城門を閉められればとても逃げられない。
なぜ華西は顔を晒し、余りに分かりやすい偽名を名乗ったか。なぜ忍者の暗躍するこの街で、特に対策を講じていなかった道志郎が前回の調査を無事に終えることができたのか。華西は連行される道志郎を一瞥すると唇の端をニヤリと歪めた。敵は、待ち受けていた――。
那須で九尾復活に暗躍していたのは二匹の虎人だけでなく、もう一人細面の学者風の青年が混じっていたと、陸は嵐から聞かされていた。茶臼山戦役で死亡した弟虎人は狐の援軍を従えていたという。もしその青年が虎ではなく狐の一族であったとしたら。妖狐は月魔法を使うという。月の術であるムーンアローの前には変装だけでは抗し難い。
(「‥兄者‥‥兄者‥兄者‥! ‥‥申し訳もありません‥‥‥ッ!」)
そのことを覚悟して臨んでいれば、或いは。違った結末もあったであろう。しかし思い知ったときには遅かった。護る事‥‥それは兄との約束。道志郎の今は、大勢の冒険者の手を経てそこにあった。その重みと共に兄から託された絆。それはたとえ身を盾にしてでも護らねばならなかったもの。
それはこの場にいる多くの仲間達にとっても同じことであった。藤丸もまた仲間のグラスから道志郎のことはよく聞かされている。今まさに飛び出してでも道志郎を救いたい心情は藤丸も同じ。だが今成すべきは、この場を巧く切り抜けて城を脱し、仲間へこの報せを届けること。ここで奮戦して全滅すれば道志郎の命脈も同時に絶たれることとなる。陸堂もそのことを悟り、血が滲むほどに拳を握り締めた。
(「自分がついていながら‥‥何たる不覚‥‥‥!」)
「どうした。次、陸堂明士郎」
無情にも試験官の声が告げる。俯いて小さく肩を震わせる彼を華西が一瞥した。
「もうお遊戯は見飽きたな。ここからはこの俺が相手をしてやろう」
部下から木刀を受け取ると華西は中央へ進み出る。
「さあ、来い」
「剣侠、陸堂明士郎、お相手致す」
陸堂が木刀を掴んで進み出た。刀を握る華西にそれほどの凄みは感じられない。どこか拍子抜けするものを感じながらも陸堂はそれを打ち消して陸堂は深く呼吸を整える。木刀を片手に自前の軍配で防御の構え。華西が眉を吊り上げた。
「何だ、仕掛けて来ぬのか。ならば、こっちからいくぞ!」
飛び込みざまの剛剣。躱せぬ剣速ではない。呼吸を合わせながら軍配でいなすと電光一閃。だが華西はその太い腕を交差させたかと思うと陸堂の剣撃を受け止めた。
「陸堂といったな、なかなか小器用な太刀筋だ。まともに相手にすると面倒だな」
華西がそこで見せたのは左片手上段の構え。それは圧倒的な力量差がなければ成立しない構え。胴の隙に誘い込み後の先を取れるだけの実力差がなければ通用しない。陸堂が眉を吊り上げた。
(「愚弄する気か‥‥技量はこちらが上。先のようなまぐれは次はないぞ」)
その心情を見透かしたように華西は空いた右腕を開いてそっと突き出した。
(「俺の剣を右腕で受けての後の先狙いか‥‥? ここは隙の大きい左から回転して突きを見舞うべきか、それとも待って後の先を取るのに徹するべきか?」)
陸堂が僅かに軸をずらす。華西はなおもじりじりと間合いを詰める。もう華西の掌と陸堂の軍配が触れ合おうかという距離だ。
(「来い、このまま待ち受けてやる。いずれにせよ初太刀は軍配でいなし切れる」)
不意に華西は掌を閉じた。
「何!」
華西が僅かに右半身を引いた。それは剣の術理の動きではない。むしろ陸堂の陸奥流に近い、否、それはもっと純度の高い‥‥。一部始終を見守っていた陸の脳裏に嫌な予感が過ぎる。
(「あの体捌きは、まるで‥‥」)
華西は引き絞った拳を陸堂の胎へ目掛けて突き出した。陸堂が軍配を振るう。だが拳は彼の体よりも一尺近く離れた所で静止した。しかし拳打は止まってはない。固められた拳から気の塊が陸堂を襲う。
(「馬鹿な‥発頸だと‥‥!! こんな代物、受けられるのか‥いや、避け‥」)
これを堪えれば陸堂の強打は今度こそ華西を捉えるだろう。陸堂は覚悟を決める。丹田に鈍い衝撃。臓腑を直接叩かれたような鈍痛の後、陸堂の振り下ろした剣は余りに力なき剣であった。難なく躱わした華西の反撃。木刀が陸堂の鼻先で寸止めになる。
「‥‥ま、参った」
「ふむ。なかなか見所があるな。よし、次も続けて相手をしよう」
募兵への潜入では望む情報の多くが得られたが、道志郎の身柄を敵に奪われるという致命的失敗を犯した。試し合いは夕刻に終わったが遂に道志郎は帰ってこなかった。
「ひとまず試験はこれをもって終了とする。今日のところは宿へ帰り、追って沙汰を待て」
高村綺羅(ea5694)は反上州連合の長である冒険者・松本清の情報を捜し歩いていた。彼等がどういった信念を持ち、どういった志を持っているのか。何か裏はないのかと懸念した綺羅だが、さしたる成果はあがっていない。
ギルドには松本清による依頼が数件行われたことがあったが、それは全て依頼人や依頼内容について守秘義務があるあめ綺羅が知ることはできなかった。辛うじて、過去に清が幾つかの依頼を成功させた記録が残るばかりだ。太田での聞き込みも行われたが、連合と清に関する噂は余りに多過ぎて、その中から有益と思われる情報を見つけるには至らない。綺羅は知る由もないが、それらの噂は清の仲間の冒険者が意図的に流した偽の情報。もともと成功する筈もない調査であった。
また、太田のヤクザについても調べたが、こちらも芳しくはない。現在の上州の侠客が義貞により厳しい監視下に置かれているのは、前回の調査で既に明らかになっている。早くから連合に合流したとある一家を除いては皆静観の構え。新しく手にすることが出来た情報といえば、太田近辺のヤクザが連合に与する冒険者によって連合に接近しつつあるという情報くらいであった。
(「彼等も一枚岩ではないはず。きっと相手側への内通者もいるだろうとは思う」)
問題はいかに見つけ出すかだ。義貞が忍びを放っていることを予想は出来ても、炙り出す作戦がなければ易々と見つけられるものではない。おそらくこれから連合に合流を見せる一家のどこかに紛れているだろうと当たりをつけているが、それだけでは決め手に乏しい。どうにかして内通者を見つけたいという思いばかりが空回りする。
「敵に情報を渡しちゃいけない。綺羅が裏から皆を支えないと‥‥」
じきに太田に陽が落ちようとしている。夕闇迫る太田の街へと綺羅は溶け込んでいく。表で動く皆の身の安全を支えるのは裏方の役目。日の当たらぬ仕事だがそれが綺羅のなすべきこと。
(「忍びは影でしかないから‥‥」)
一方でイリスも虎人がここで何を目論んでいるのかを探りたかったが、攻めあぐねていた。
(「でも戦争に反対した由良さんが追い落とされる位だから‥‥ん〜‥」)
昨今では渡良瀬の狐騒動を始め、上野でもきな臭い噂が増えてきた。それに冒険者も動き始めてからは義貞も警戒を強め、もうじき大規模な浪人狩りが始まるといった噂も流れ始めている。そうでなくとも新田兵の警戒は日増しに強くなり、こうしてよそ者が自由に動けるのも今のうちだけだろう。
聞けば、どうやら近々上杉家を相手に大きな戦があるらい。義貞としては上杉攻略の前に足元の不穏分子を一掃しておきたいのかもしれない。平山城攻略には義貞自ら赴くという噂も流れており、篠塚は城代として金山城の守護のために呼び戻されたと実しやかに巷では囁かれている。
街の噂では篠塚の帰還は比較的好意的に捉えられているらしい。太田宿はここ十数年で新田家の元を離れて他の家の手に渡り、また義貞が取り戻すという移り変わりのあった土地だ。義貞本拠の新田館と比べれば民の忠誠は低い。度重なり長引く戦への倦怠感が街を包む一方、職人や商人は戦による需要で潤っている。街の反応は大きく二つに分かれるようだ。侠客などを中心に反感を持つ民は連合へ接近しつつある様子だ。特にこの戦乱を大きく後押しした新参家臣へは強い反発を持つ者も多い。
ついでに、那須で遭遇した学者風の男の似顔絵を持って方々を訪ねて見たが、顔を見たという者と会うことはできなかった。例の男が妖狐であればどんな姿にも自在に変化できただろうから、
ただ一つだけ妙な噂をイリスは耳にする。
「え、妖華堂さんが‥‥?」
先日太田で清に斬られたとされる華西家の家臣・妖華堂の姿を見た者がいると市中で噂になっているというのだ。街の噂では妖華堂の正体は化け狐だとか、清が斬ったというのは嘘だというような話がいわれているらしい。
「とりあえず、後で道志郎さんに報告しないと」
そう呟いてイリスは金山城を振り返った。
(「今頃はお城で頑張ってる頃でしょうか‥太田で会うのはまだ危険かもだし‥‥私は先に帰って江戸で待ってますね」)
夕刻。金山城を後にした仲間達は太田宿を離れて連合の村を訪ねてきていた。村では墨党の攻撃で負傷した村人達へカイやグラスが治療を施している所だ。
「あ、みんな帰ってきたんやな」
気づいたグラスが仲間たちへ駆け寄る。だが戻ってきた冒険者らは皆沈痛な面持ちで俯いたままだ。
「あれ、なあ。道志郎さんは?」
「どうしたんだ、道志郎さんは一緒じゃなかったのか!?」
カイが問い詰めると仲間達が経緯を話し出した。その報せは連合の幹部の下へすぐに届けられることとなる。
「金山の城に囚われたのであれば、もう助かりますまい」
「やっと話が纏まった矢先にこれかい。あんたらも残念だったな」
冒険者らは道志郎に雇われた身。連合との共闘もそもそも道志郎抜きには意味を成さない。カイが縋るが幹部らに取り付く島はない。
「何とか我々と協力して道志郎殿を救出する知恵と力を貸しては頂けないでしょうか」
「我々が危険を犯して金山まで道志郎殿を救い出すことに、何か利があるとでも?」
「そ、それは‥‥」
「理ならば――あります」
その声は焔麗。緊張のせいか少し上ずった声音。
「ほう。それは是非お聞かせ願いたいですね」
「ご存知でしょうか。いま、江戸の冒険者ギルドではあなた方の長である松本清殿や、反上州連合については多少なりとも不信感を持っている者も多く、事実としてギルドもあなた方の依頼を受けることを推奨してはおりません。誤解を恐れずあえて申し上げますが、冒険者は連合を信頼していません」
いま現在ギルドへ依頼を持ち込んで冒険者を主戦力と頼らざるを得ない連合にとって、冒険者ギルドの不審というこの事実は極めて不利。
「我らの依頼主である道志郎は一介の浪人なれど、今や江戸の多くの冒険者に人脈を持っています。あの那須公とも親交を持ち、先の神剣争奪では庶民連帯の立役者となり、四候による政争を回避に貢献しました」
そこで区切ると、焔麗はいちど皆の顔を見回した。その時には焔麗の論調はいつもの凛と力強い理力に溢れていた。
「日計不足、歳計有餘――。私の国の諺にこのようなものがあります。目先の利得はなくとも、長い目で見れば必ず利益があるという意味です。この『冒険者の信頼』という札をあなた方がみすみす失うことは、大魚を逃すことになりますよ」
奇しくも連合の冒険者らは由良の名を使って武士の切り崩し工作に出たところだ。民衆は松本、武士は由良、そして冒険者を道志郎が抱えれば連合にとっては大きな武器になる。
「面白い」
「ゆ、由良殿」
「圧倒的に人材で劣る連合が生き残る術は、信頼できる味方を得ることであろう。道志郎とやらの元には有能な冒険者が揃っているらしい。連合にとって悪い取引ではないと考えるが?」
とはいえ金山の堅牢ぶりは仲間達がその目で見てきたばかりだ。とても忍び込めそうなものではない。
「一つだけならば、策はある。椿水道と呼ばれる城の者でも殆ど知らぬ秘密の抜け道だ」
金山のほとりに渡良瀬へ流れる小川がある。それを遡った所に椿の木があるという。そこを潜ると城へ向かって横穴があり、その先は空洞になっている。暫く横穴を歩くと地下水源にぶつかり、それは金山城の月の池と呼ばれる井戸に繋がっているという。ここを通れば堅牢な関を通ることなく城内へ忍び込める。
だがこれには水中を息継ぎなしで移動できる体力が必要な上に、武器防具は殆ど持ち込めぬ。訓練された忍びを除けば適任者はかなり限られるだろう。
「私の部下に優秀な忍びがいる。これを出そう。だが出せるのは3人が限度だ。そちらからも人員を出して貰うことになるだろう」
「はい。任せられる者が二人おります。いずれも信頼できる優秀な忍びです」
「5人か‥‥」
余り大人数を送るのは適さぬが、万一を考えるとやや心許ない。もう少し作戦を練りこんで人員を調整する必要があるだろう。ともかくも焔麗の交渉により道志郎の命運は首の皮一枚で繋がった。
(「身の丈以上の評価や他者をダシに使うことは道志郎さんの望むことではないでしょうが‥‥今は許して下さい」)
敵方に囚われたとなっては、道志郎の命もそう長くはないだろう。残された時間はもう殆どない。
急がなければ、何もかも急がなければならない。