●リプレイ本文
●出会い
江戸から那須への街道を10騎の騎馬がひた走る。
「我導丸!」
龍深城我斬(ea0031)が愛馬・我導丸の腹を蹴る。急いで潰してしまっては元も子もないが、遅参するわけにもいかない。
那須藩士から渡された鑑札のおかげで大した足止めもなく関所などを抜け、冒険者たちは那須城の近辺まで到達していた。
那須城への道程を確かめようと人を探していると‥‥
「おぉ、冒険者の方々ですね。江戸からですか?」
黒馬に跨った若者が鷲尾天斗(ea2445)たちに声をかけながら近づいてくる。騎乗しているということは武士であろうか。
「那須藩の方ですか?」
「鷲尾殿、その方は‥‥」
馬場奈津(ea3899)の顔に緊張が走る。
だよね。見覚えある顔だもの‥‥
「我ら江戸にて喜連川那須守与一宗高公の呼びかけに集まった一行。1人として欠ける事なく、只今到着いたしました」
馬場の声が聞こえなかったのか、鷲尾は馬上から声をかけた。
「以後、那須藩の為、力無き領民の為に士道を踏み外す事無く事に当たる所存。これから宜しく御願い致します」
「ウム、大儀。よろしく頼む」
馬上の武者が微笑みかけた。
「ところで、那須城へはどのように行けば宜しいのでしょうか?」
「鷲尾殿!」
鷲尾を見かねて馬場が下馬して跪(ひざまず)いた。
「久しいと言うほど経ってはおりませぬが、またお会いできて嬉しく思いますじゃ。
手裏剣使いの志士、馬場奈津(ばば・なつ)と申す。
先の弓の試合にてお会いした与一公にご助力申し上げたく、参上した次第」
事態を理解した一行が、慌てて下馬する。
「失礼を致しました」
馬上で口上を述べてしまった鷲尾は平謝りである。
「知らなかったのだから仕方がない。
私は臣下や民に平伏させるような関係を強いるのは好まない。共に那須のために手を取り合っていかねばならないのだから‥‥」
与一公も馬の背から降りると、鷲尾の肩に手をやって体を起こさせた。
誰もこの屈託ない若武者が藩主だとは思わないだろう。家紋を入れた着物も着けていないのだから、本当に仕方ないと言える。
「外道を狩る双刀の猛禽、鷲尾天斗。必ずお力になりましょう」
あまりクヨクヨしない。それが鷲尾の良いところである。鼻の頭の一文字創を少し触って照れるように苦笑いしている。
「私、生まれは豊後、示現流の使い手、刀根要と申します。微力ながらお力になりまする」
腰に手を当て、立て膝で控えると刀根要(ea2473)は頭(こうべ)を垂れた。
「龍深城我斬、冒険者なりに役に立てることがあると思います。気合入れていくんで宜しく!」
物静かな雰囲気だが、龍深城の心中は熱くたぎっている。
那須に那須に出向いての鬼退治‥‥ この前江戸を襲ってた連中との関係を想起しつつ、長丁場を覚悟して気合十分である。
「鬼との戦とは、また難儀な‥‥ 夜十字信人、剣術ならば少しは役に立てる。期待してくれ」
夜十字信人(ea3094)の口元には笑みが浮かんでいる。
この男、苦笑いとも歓喜ともわからない高揚感に包まれていた。この男の剣の腕は必ず那須で必要になるだろう。
「微力ながら鬼の駆逐に、尽力したいと思ってます。スールの誓いを胸に、今回も最善をつくさなあきまへんな」
西園寺更紗(ea4734)は銀の髪を揺らしながら斜に構えると、手の平を胸に当てて目を伏せた。
「橘雪菜と申します。私は、戦いの能力で皆さんより劣っているので、そういう場面ではあまりお役に立てないかもしれません。ですから、実務面で頑張りたいと思います」
顔を上げてニッコリ微笑むと橘雪菜(ea4083)は一礼した。
「風御凪です。手当てには自信がありますから1人でも多く救ってみせます。薬草に詳しい水穂さんや回復の術が使えるカイさんも一緒ですから、3人で必ずお力になります」
隣にいる2人に風御凪(ea3546)は目をやった。街医者として頑張ってきた彼が認められる日は、そう遠くはないだろう。
「七瀬水穂と言うです。民の命は藩の最も重要な財産。これからの鬼達との戦いで犠牲になる人達を少しでも減らすため、医療体制の強化が必要と思うですよ」
まぶしい笑顔を放つ与一公を見て、手ごわいわねと七瀬水穂(ea3744)は感じていた。
この手の人物には押しも笑顔も武器にはならないからである。
(「ふふふ、水穂印のお薬を那須藩の特産品とする野望のためにがんばるですよ」)
しかし、それしきでくじける七瀬ではない。
「人数が少なく長期にわたる作戦なので、生存率を上げることにより戦力と士気の減少を防ぐ効果があるはずです。
これは那須藩にも当てはまるはずです。カイ・ローン、力を尽くしましょう」
牧師としてジャパンへ渡ってきたカイ・ローン(ea3054)であったが、その本質は回復の魔法を用いる医師である。
いままでも多くの者を癒してきたその能力はきっと役に立つはずである。
「那須は大変な時期を迎えている。みんな頼んだよ」
与一公の言葉に思わず全員が返事をした。
「殿、ここにおられたのですか。奔放も過ぎると害ですぞ。家臣の心配も考えていただきませんと」
中年の武士が近くまで馬を寄せると、フワッとその背から降りた。
「しかし、体を動かしておらねば滅入ってしまう。許せ」
与一公が少しバツが悪そうに首をすくめた。
「このように出かけるのであれば、某(それがし)に一声かけてくだされ。御供仕(おともつかまつ)る」
「しかし、評定だ何だと出掛けることを許してくれぬではないか‥‥」
「あれは建前。殿の命であれば、従いまする」
「ならば愛宕山まで付き合ってくれ」
「それは下知でございますか?」
「あ、あぁ。朝政、付いて参れ」
「御意」
うって変わって、どこか厳しい表情をする中年の武士に与一公もどこか決まりが悪い。
朝政殿‥‥ どこかで聞いた名前だが‥‥
「君たちも付き合うかい?」
「はっ」
それぞれの思惑で集まった冒険者たちであったが、元々、与一公に助力するためにと集まった面々である。
断る理由もなく、寸暇もなく彼らは馬上の人になった。
目指すは愛宕山。
●那須動乱
那須藩某所。
「キャア!!」
子供を抱えた女へ小鬼の斧が振り下ろされる。
しかし、痛みはない。代わりにヌルッとした物が顔を伝った。
「立てぃ!」
しっかと目をつぶった女は腕を引っ張られ、無理やり立ち上がらされた。
「イヤッ」
「しっかりせい。そのお子を助けたくば、走らんか!! ここは我らに任せよ」
女が恐る恐る目を開けると、そこには刀を振るって戦う足軽たちがいた。
腕を引っ張られる感触に首を回すと、鎧をつけた侍が辺りを見渡している。
「向こうだ。走れ!」
侍は指差すと女の背中を押した。
「深追いはするな!! 追い散らせれば良い。村の生き残りがいないか、よく調べるんだ!!」
侍は小鬼たちの中に突っ込んで行った。足軽たちもそれに続く。
「ゴブゴブ‥‥」
鎧をつけた体格の良い小鬼が侍の行く手を遮った。
気がつけば建物の影には別の小鬼たちまで潜んでいるようだ。
「謀られたか‥‥」
侍は、足軽たちを庇うように、それとなく小鬼たちの少ない方に追いやった。
「ギャオ」
体格の良い小鬼の後ろからいやらしい目つきの小鬼がノソリノソリと現れて、侍たちの方へ手を掃った。
「逃げろぉ!!」
侍が叫ぶと同時に足軽たちが小鬼たちを切り開こうとするが、一刀のもとに切り伏せられるほど、小鬼も甘くはない。
肉の壁に阻まれて殺されていく足軽たちを目にしながら、侍もこの世から意識を手放した‥‥
さらに別の場所でのこと。
「山鬼じゃあ!! 足軽は下がれ!!」
馬上の侍たちが列を組んで矢を放った。足軽たちの後退にあわせて馬を操り、山鬼たちに休まず矢を射掛けているが頑強で鳴らす山鬼相手ではさほどの傷を負わせることはできない。
戦力差は殆どない。しかし、後から後から沸いて出る鬼たちに、藩上層部は現状で前線の死守は不要と命令を出しており、彼らはそれをよく守っていた。
那須藩の戦力は無限ではない。相手の戦力がわからない以上、相討ちは避けなければならないのだ。
「いやじゃぁ」
小鬼に止めを刺して逃げ遅れた足軽が山鬼に囲まれた。
恐怖に駆られながらも刀や槍を振るって応戦するが、地力が違いすぎる。ボロボロになるまで殴りつけられ、終には肉片と化した。
その間にも侍たちが矢を射続けていたが、蛮行を止めることはできなかった。
「ええぃ。口惜しい!」
侍の狙った矢はビョウと風を切り、山鬼の瞳を貫いた。
「ウガァアァァアア!!」
痛みで怒りに我を忘れた山鬼が1体、侍たちに突進してくる。
「各々方!!」
応と掛け声が返ってきて、矢が次々と放たれ、山鬼を矢襖(やぶすま)にした。
「退くぞ」
足軽たちが十分に後退したのを確認して、侍たちは馬の首を廻(めぐ)らせた。
山鬼と小鬼は深追いしてこない。ちらっと人影のような物が見えた気がした。
おそらくあの影は助からないだろう。
さらにさらに別の場所でも村や砦で火の手が上がっていた。
神聖暦999年秋、下野国那須藩は動乱へ突入しようとしていた。
●汗馬山
愛宕山‥‥
この頂上からは那須一帯が見て取れる。箒川を挟んだ福原郷は勿論のこと、遠く那須の山並みが見渡せるのだ。
眼下には平城が見える。
「あれが神田城。お主らの探しておった那須城のことだ」
与一公が風景の中の1点を指差した。
下野国を治める城にしては物足りない感じのする小じんまりした城であったが、塀や石垣、櫓や堀が張り巡らせてあり、全体的に見ると城下町をも内包した城塞都市として見た目以上の規模を誇っているようだ。
「旅で疲れておるところに、いきなりこれは酷でしたかな」
朝政殿は慣れた感じで馬を操り、与一公の側を固めている。
秋風に2人の体からは湯気が立っている。馬も汗を流して、興奮気味に蹄を鳴らしていた。
「与一公はいつもこのような鍛錬を?」
辛うじて付いて来れたのは刀根1騎。冒険者たちの馬が疲れていたことを差し引いても、騎乗経験の差は歴然だった。
「この地は、よく兵馬の鍛錬に用いておるのだ。家臣たちもよく音を上げておる」
与一公は困ったように笑みを浮かべた。
「殿と同じに考えられては困りまする」
全く‥‥ 刀根はそう思ったが、さすがに朝政殿に同調する意見を口に出したりはしなかった。
カカッ、カカッ‥‥
馬の蹄の音が近づいてきた。
「与一公、あれを!!」
西園寺が遠くを指差した。
煙が上がっている。それも1箇所や2箇所ではない。
「なんと」
与一公は、迷わず斜面へと馬を進ませた。
「一大事でござる」
朝政殿がそれに続こうとして、手綱を引いた。
「この斜面は、慣れた者でもなかなか馬では踏み入れぬ。そなたらは来た道を引き返しなされ! 那須城の場所はもうおわかりであろう?」
それだけ告げると、朝政殿も急な斜面を滑り落ちるように下りていった。
刀根も続こうとしたが、馬が怯えて進めない。他の者たちは、端からこんな場所を降りるのは無理と諦めていた。
「仕方ない。来た道を戻りましょう」
刀根を先頭に冒険者たちは山を下りはじめた。
●懐刀
「拙者、小山朝政と申す。そなたらは、わしの預かりとなった。以後、宜しゅうの」
この中年の武者は小山小四郎朝政(おやま・こしろう・ともまさ)殿。下野の南部を地盤とする豪族で、先に汗馬山まで一緒に騎馬駆けした、あの御仁である。なるほど聞いたことがある訳だ。与一公の懐刀とも言われる人物である。
付け加えると、朝政殿の弟である結城朝光(ゆうき・ともみつ)殿は、烏帽子親に源徳家康公を持つほど小山氏と源氏との繋がりが深い。与一公が家康公の親藩なのは懐刀である彼の影響が皆無とは言い切れない‥‥とは噂に聞いた話だが、あながち嘘とも言い切れまい。
「それで‥‥ あの煙は何だったのですか?」
那須城についた後、指揮が混乱すると足止めをくらって1晩ヤキモキした風御たちは、朝政殿の座敷に呼び出されていた。
「鬼の襲撃があったのだ。多くの犠牲が出ておる。今のところ事態は落ち着いておるが‥‥」
快濶な朝政殿の表情が僅かに曇った‥‥
少し前の那須城、城の内‥‥
各砦や村から落ち延びてきた兵や民でごった返している。朝政殿が東の陣屋から引き連れてきた者たちである。
「すぐにでも駆けつけるべきです!」
朝政殿は与一公に詰め寄った。
散発的だった鬼たちの襲撃が活発になっている。確かにすぐにでも動くべきだろう。
「敵の規模もわからぬのだ。未だ動いてはならぬ。
個々で動いておるのなら、すぐにでも兵を差し向けよう。だが、組織だって動いておる気配がある以上、軽々しく動いては敵に付け入らせる隙を作る。我慢いたせ。何も反撃せぬとは言っておらぬ」
「しかし、足軽や女子供が多く犠牲になっております」
「それはわかっておる。時が来れば全軍で押し返す」
与一公の視線が若い藩士の言葉を遮ろうとしたが迷いがあった。藩士を抑えることはできない。
「那須藩の兵力は限られております! 全てを動員すれば今年を越せるかどうか‥‥
刈り入れは済んでいても収穫の済んでいない村があります。冬の備えもままなりませんし」
「今は待て‥‥」
そう言うしかなかった。いちいち尤(もっと)もだが、何か気にかかる事があるようだ。
「何を逡巡しておられるのです」
「今ひとつ確かめなければならないことがあるのだ」
与一公は動こうとはしない‥‥
話を戻そう。
「さて、俺たちに何ができるかだけど」
龍深城が口を開くと全員が注目した。いい加減、沈黙には耐えかねていたらしい。
「まあ、俺達が戦場で動くんなら、ある程度自由に動ける遊撃隊としてだろうな。
一般の兵たちと混ざって戦うだけじゃ、僕たちが参戦する必要はないだろうし‥‥」
言いながら自分で頷いている。
「遊撃隊をするなら俺の役目は示現流の一撃必殺の初太刀での斬りこみ役か。前衛は任せてくれ」
夜十字は愛用の野太刀を抜いてズシリとくる感触を確かめた。
「色々考えたんだが『優秀な囮部隊』ってのは必要なんじゃないか? ただの囮部隊じゃない。『優秀な』だよ。
敵陣の真っ只中で剣をぶん回し、槍を突き、とにかく派手に暴れ、敵の気を引く。
そんな危ない、けれど、価値のある隊だな」
「そうだね。
ヤバそうになってるところを助けたり、単体で強い相手を叩いたり‥‥ 一般の兵で対処できない事をやることになるだろうな」
「ま、早い話、腕に自信があって、命知らずなやつらは足軽さんの中には居ないのかねってことなんだが」
龍深城の言葉尻に乗って自分たちを売り込んでおくつもりなのか、夜十字は不敵な笑みを浮かべている。
「遊撃隊の話は兎も角として、足軽を組み込むのは無理だろうな。隊の動きが鈍くなっては意味がない」
朝政殿が口を挟んできた。
「ま、俺でよければ訓練相手にはなるよ。これでも腕には自信があるんだ」
「うむ‥‥ 多少の効果はあるかもしれんが、如何せん時間がない。
それに、剣術指南や兵法指南に嫌われたら、いざという時にどうなるか‥‥ 軋轢の芽を作らぬ方が良いだろうな。
藩政に踏み込んだ進言は、まずは手柄を立ててからだな。そうでなければ皆に認めてはもらえぬ」
穏やかな口調で朝政殿は夜十字の意見を批評した。しかし、全てを否定されたわけではない。
「ま、見習いだから仕方ないか‥‥」
「東に行けば鬼がいるんだろう? 必要ならいくらでも手柄を立ててやるさ」
龍深城は納得したみたいだが、夜十字は少し不満げだ。
「なら、うちの具申も意味ないんやろうね」
「聞かねば判断できぬ。申してみよ」
西園寺が自虐的に笑うと、朝政殿は発言を促した。
「先を尖らせた破砕槌の様な物を何人かで持ち、その周りを普通の長槍を持った足軽が追従する突撃隊を作ってはどうやろか?
他にも大盾、長槍、弓矢と役割を分担した足軽を運用してはどうかと思うのやけど」
「那須兵は騎馬と弓に特化しておるからな。疾風迅雷と言えばよいかな。重い兵器は向かぬ」
根本から兵法を改めるのには多大な労力と時間、そして財力が必要だ。
よほどうまく説明しなければ説得できない‥‥ 西園寺はそう感じた。
「今あるものを活用する方向でいくのが良いじゃろうな。弓矢の心配がないのは安心だ。
集団運用するとなると刀などよりも効果が上がりやすいじゃろう。個人の技量よりも物量が物を言う武器じゃからの」
すでに弓隊があることは馬場にとって朗報だった。まぁ、弓矢の盛んな那須にないはずはないのだが‥‥
「武器の生産体制とかが気になるんだけど‥‥ 槍と大盾で武装した壁隊は無理でも、遠距離攻撃する弓隊はいい訳だよな‥‥」
「弓矢の補給は恙無(つつがな)く進んでおる。それに那須は弓矢の産地だ。その辺は安心せい」
「輜重部隊はどうなってるんやろう? 兵糧の運搬は戦を左右する思うんやけど」
龍深城の疑問に自信ありげに答えた朝政殿に西園寺が悪戯っぽく話しかけた。腹案有りといったところか‥‥
「それは我らも懸念しておるところだ」
朝政殿は小さく溜め息をついた。
「これこそ冒険者に任せんと、どうするんおす?」
「成る程‥‥ 那須に出張所ができると言うておったからな。それは名案だ」
朝政殿が感心しているのを見計らって、西園寺は他の話題を切り出した。
「鬼の動向はどうなってるんやろか。うちらで探ってもいいんやけど」
「しかし、それでは‥‥」
朝政殿の反応を確かめたが、小さく呟いたまま口を開こうとはしない。
「各所の関所や砦、櫓は当然として、村々にも馬を配置して最新の情報や火急の連絡の手段として馬を配置することはできないのでしょうか? 馬借制とでも申しましょうか」
「う〜む、交代制で当たれば足軽たちに田畑の心配などさせずに済むかもしれぬのう」
刀根は手ごたえがよくないのを感じて別の話題を切り出し、馬場がそれに賛同した。
「無理‥‥だな」
「どうしてですか!
村に農耕馬として貸し与え、緊急時に早馬として使えばできないことではないはず。足軽たちを収穫も兼ねて里へ返すこともできます。
藩内に情報網が張られているのと同じことなのですよ。些細な情報でも、鬼の動向を掴むきっかけになるかもしれません。
この国に鬼が集まるには重要な秘密があるに違いありません」
「これ以上、足軽を割けば兵力に影響が出る。うまい案を考えついたらその時に申せ」
「形振(なりふ)り構っていられる状態ではないように思うのですが‥‥」
「馬はそう易々と手には入らぬ。何頭か求めるのならば何とかなろうが、早馬のためだけに人や金を使うわけにはいかぬな。
戦支度で、すでに相当の無理をしておる。支援してくれる方もおられるが、金で解決する問題でもないしのう。
重要な軍事物資である馬を急に集められるほど軍備は甘くはない」
煮え切らない朝政殿に刀根はくいついたが、理で諭されてはもっと現実味のある案を考え出すしか方法はなさそうだ。
「それならば、兵への応急手当の仕方の講習や薬草の増産、医師や僧たちに協力を要請して医療体制を整えるなど、そういった方面での整備も考えてみては?」
風御は医療体制の改善を強く推した。
「遅いな」
「今からでも遅くはないはずです!」
「しかし、時が足りぬ。薬草が育つにはどれくらいかかる? そのために必要な人員は? 藩士や足軽、果ては民に、誰がどれだけの時間をかけて手当ての方法を教えるのだ? 医師や僧をいつまでも拘束するわけにもいかぬ」
「それは‥‥」
「兵法、戦法、後方支援、そなたたちの案が不要だと言うわけではない。しかし、すぐそこまで敵が来ておる。時間がないのだ。
それに、藩士に無用の混乱を与えるわけにもいかぬ‥‥
冒険者ギルドとの連携が必要である現状でギルドと藩士の間に軋轢を生むことは避けねばならん」
再び沈黙が流れた。
橘は話題を変えた方がいいように思い、口を開いた。
「江戸での百鬼夜行は‥‥『鬼門を開け、鎮守の森や湖や川などが穢された』ということでしょうか。
とくれば、江戸の守護を取り払い、『何か』をする気であるのは明確ですね」
「江戸での調査により、北の地の『鬼の国』に関する記録が発見されたと聞いています。朝政殿は何か知りませぬか」
橘と馬場だけではない。全員の関心事である。
「鬼の国か‥‥ 須藤権守貞信(すどう・ごんのかみ・さだのぶ)様が鬼たちを討伐して、この地を朝廷から拝領したと聞いておる。詳しく知りたければ記録方のところへ行くが良い」
さすがに朝政殿に全てを求めるのは酷である。それにうかつな情報を与えられるよりは記録をあたる方が幾分真実に近づけるだろう。
「殿にはそなたらの意見を伝えておく。時間のかかる懸案も殿の裁可のあったものは準備を始めることになるだろう」
真面目な表情でそう言うと、朝政殿は立ち上がった。
「活躍の機会はすぐに来る。それはでは我慢しろ」
笑みを残して朝政殿は部屋を出て行った。
●今はまだ、そよ風
「那須か〜。考えてみりゃこれから寒くなるんだよなー」
「その通り。雪が積もる前に鬼どもを蹴散らさねば、雪と戦わなくてはならぬぞ」
愚痴りながら酌をする鷲尾に、朝政殿が大声で話した。他の藩士たちがドッと笑う。
着任の挨拶がてら鷲尾やカイが設けた酒の席である。
朝政殿と前もって話し合っておいたおかげで、具申で藩士たちとは揉めずに済んだ。
「戦場(いくさば)では遊撃隊として動かせて頂きます。他にも俺たちにできることを頑張ります」
「相わかった。励めよ」
藩士たちの印象は悪くないようだが、心ではどう思っているのか‥‥
暫し歓談して宴会はお開きになった。まずまず成功と言えるだろう。
「うわー、紋付袴なんて着るの何年ぶりかね。肩こる〜」
鷲尾は紋付を外すと、足を投げ出して縁側に寝転がった。
「しかし‥‥ 那須の鬼の一件と江戸の阿紫の一件、関係あるのか? あるなら今度こそケリを付けてやる。『鷲尾』の名に賭けて‥‥」
「そうですね。世に災いを成す百鬼夜行の根源ならば、何とかしなくては」
カイに独り言を聞かれて照れたのか、鷲尾は大きく息を吐き、同意を示した。
「それじゃ、お爺さん、また来るね〜」
七瀬が那須城にある薬草園を後にすると、そこへ風御とカイが歩いてきた。
「なかなかうまくいかないものですね」
那須城へ逃げ込んできた兵や民の応急処置をして回った風御は、手当ての重要性を説きながら地道に宣伝していた。
ついでに藩医の先生たちにも挨拶を済ませてきたところだ。
一通り見て回ったので、七瀬の様子を見に来たのである。
「あそこは与一公のための薬草園だから場所を貸すことはできないって‥‥ ちょっと残念です」
「それなら朝政殿の屋敷内に作っても良いと。耕すのが大変ですよ」
「カイさん、ありがとう。試す価値はあると思うですよ。水穂の野望の一歩目なのです」
ギュッと拳を握る七瀬に風御とカイは苦笑いを浮かべた。
武家の奥方や姫には応急手当の指南や薬草の扱い方を伝授したいので集まってほしいと触れを出したばかり、事態が動くまでには少し時間がかかりそうである。
馬場と橘は、朝政殿のお墨付きで記録方を訪れていた。
江戸での調査や文献だけではわからなかった情報が得られるかもしれないからだ。
「妖弧・阿紫に率いられた百鬼夜行の鬼達の逃げた方向と、『鬼の国』の話しと‥‥ 無関係と考えるのは厳しいですね。
予想では、妖弧に関する何かも、下野は那須にあると考えてます。知りませんか?」
「鬼の国ですか‥‥ 那須家の祖である須藤権守貞信(すどう・ごんのかみ・さだのぶ)様が八溝山(やみぞさん)に住む悪鬼・岩嶽丸(がんごくまる)を討伐されて以来、そのような話は聞かぬが‥‥
勿論、鬼たちが現れなかったわけではない。国などと呼べるものではないだけでな」
記録方の志士は記録の1つを紐解いた。
「八溝山とはどこにあるのじゃ?」
「那須藩の東だ。土地の者は鬼の言い伝えを信じておって決して近づかぬ」
(「与一公は、これを気にしておったのか」)
馬場は、江戸での弓技大会の後の宴で与一公がふと漏らしていた言葉を思い出していた。
「貞信様はエルフたちに弓の手ほどきを受けて、神秘の力を秘めた弓で岩嶽丸を討ったと伝えられている。
えぇと‥‥ そのエルフたちは弓矢と共に姿を消したと書いてあるな」
「妖狐に関しては?」
「かつて、関東のこの地に妖狐が襲来したということは口伝に残っていますが、それ以上はここにはありません。
貞信様以降、この地を治める者として喜連川家が那須の歴史を記し始めてからの記録が主だから、それ以前のことは別の方法で探すしかないな」
2人は記録を読みといていったが、短時間では他に目ぼしい情報は得られなかった。
しかし、うまくいくことばかりではない。
「冒険者風情が藩の内政に関わるだと? 余計なお世話だ」
一部には、そんなことを言う藩士もいる。
槍や馬は揃えておいて損はないということで準備が始まったのだが、それが藩士以外のためのものだと聞き及んで気持ちよく思わないのだろう。与一公のためにと作られている薬草園に冒険者が踏み込んできたことも、あまり快く思われてはいないようだ。
ほんの一部だが、火種は火種。燻っているものに火がつかないとは限らない。
那須藩の内部不統一‥‥ このままではそんな事態にも発展しかねなかった。
勿論、藩士候補生として参戦した冒険者たちに、そんな気は毛頭ない。
「兵が足りぬ‥‥ 解決せねばならぬ問題も多々あるというのに‥‥」
朝政殿の苦悩が、帰路に着く冒険者たちの心にも重くのしかかってきた。