●リプレイ本文
「全速前進! 皆はん、海の男の魂見せとくれやす!」
舵でルイーゼ・コゥ(ea7929)が指示を出す。
海戦騎士団が用意した船は、重装備の軍船であった。小回りこそ利かないがしっかりとした造りで、団から予備物資も多く積まれている。チュリック・エアリート(ea7819)が船の装備強化を提案したが、それにエイリークが快く応じた結果だった。
冒険者が見据える先、波立つ海の上にあって、魔法陣はすぐにそれと分かる。
まるでそこだけ切り取られたかのように波が静まり、漆黒に染まっている。そこを鮮やかな赤い線が漂って、ゆっくりと文字とも模様ともつかないものを描く。吹き付ける荒い風の力だけで、船は中央を目指して突き進む。
目標とする地点は悪魔が群がって黒く染まり、様子は窺い知れない。マルガレーテがそこにいる事に間違いはなかった。
魔法陣に入ったとたん、インプの群れが船を指して襲いくる。セピア・オーレリィ(eb3797)がホーリーフィールドを展開し船を守り、他の冒険者達が悪魔に反撃する。
船が着実に生贄の岩へと近づいていくにつれ、冒険者達の警戒心は高まった。
「あれを!」
クリストファー・テランス(ea0242)が指をさす。船尾楼の上に影があった。
黒い翼を生やし、炎をまとった、おぞましい悪魔。
「ロギ!」
「ようこそ、冒険者」
牙の生え揃った口を歪めて笑うと、居心地悪そうに足元を踏みしめた。
「ずいぶん濡れてるね」
ロギの火の魔法対策に、ありったけ海水を含ませてきたのだ。ロギは浮上し、冒険者に背を向ける。
「関係ないけど」
赤い光が悪魔を包んだ。
閃光。耳をつんざく爆音。
悲鳴。
「舵が!」
船尾からすすけた煙が立ち昇り、タケシ・ダイワ(eb0607)は慌てて駆け寄ろうとする。
「どうって事あらしまへん! こっちはうちに任せて!」
ヴェントリラキュイか、船乗りシフールの声はすぐ近くで響いた。
「君達は魔法陣の一部になってもらわなきゃいけないのに、生贄の岩に突撃されでもしたら大変だ」
「寝言は寝て言いな。お嬢は返してもらうよ」
ルーナ・フェーレース(ea5101)がスリングを引き絞る。
「やってみなよ。出来るものならね」
身構える冒険者を悠然と見渡し、ロギは再び何かを唱えた。赤い光が彼を包む。悪魔の表情が一段と凶悪さを増したように見えた。
「行け!」
ロギの号令と共に、インプが再度攻撃を仕掛けてきた。後を追ってロギも楼から降下し、途中でその姿は掻き消えた。
インプ達は冒険者を翻弄するように、嘲り笑いながら飛び回っては、爪をつきたてる。しかしそれは冒険者達にほとんど傷を与えない。全員にレジストデビルが行き渡っている為に、悪魔の攻撃に対して傷は浅くすんでいるのだ。
レオパルド・ブリツィ(ea7890)は周囲を見渡す。
「どこへ消えた‥‥」
「ここだよ」
声はすぐ近く。
「綺麗な目だね。マルガレーテが好きなのかい?」
「何を‥‥!?」
節くれだった何かが、レオパルドの顎を掴んだ。気づくと、すぐ間近にロギの顔があった。悪魔は呪文を唱え、レオパルドに囁いた。
「――冒険者を殺せ――!」
それは悪魔の使う、人に行動を強制させる力ある言葉。しかしレオパルドはロギを睨みつけると、懐に隠し持っていた布袋を投げつけた。至近距離で避けられず、ロギは黄色を帯びた粉を浴びる。
驚いたロギは咽せながら空へと舞い上がり、姿を消した。冒険者はそれぞれに頷き交わす。
クリストファーはじっと目を凝らし、タケシに耳打ちした。
「マストの所に。様子を窺っています」
タケシは言われたとおりの方向へ、ホーリーを放った。ぎゃっと声が上がって、ロギが姿を現す。
「何で‥‥!?」
「その粉ですよ」
クリストファーが警戒して、スリングで狙いながら言う。
「私の視力で、貴方にかけた妖精の粉の動向を観察させて頂きました。‥‥もう透明化はききませんよ」
「洒落た使い方だね!」
皮肉たっぷりにロギは吐き捨てる。
作戦は成功したが、発案者のタケシの表情は優れない。
「‥‥戦闘の咄嗟にもう一度祈りを掛ける自信がありません‥‥これで早期決着となればいいのですが」
突入前、レジストデビルを掛けたのは彼だが、他人に間違いなく成就させるにはまだ修練が足りなかった。
同じくグッドラックを掛けた、アルフレッド・アルビオン(ea8583)も同意する。
「僕の方は対応できますがねぇ。でも、レジストデビルほど完璧じゃありませんから」
「でもこの混乱では、船は自由には動けない‥‥どうやって岩に近づくの?」
ロギを警戒しながらセピアが言う。
「‥‥マルガレーテさん‥‥」
左手に持った聖なる釘を、レオパルドは握り締めた。この場で使用しないのは、彼女を守るために取っておきたいからだ。
「お嬢を助けたいなら、俺にその釘よこしな」
背後から、密やかな声。チュリックだ。
「俺が行く。奴を船にひきつけといてくれ」
「しかし‥‥」
「決めてきたんだ。命を張って、お嬢を守る‥‥とな」
その目には決意が宿る。チュリックは不敵に微笑んで見せた。
ロギはそれでも笑みを崩さなかった。
「なら、こうだ」
ロギの周囲に黒い靄がたって、そのまま球となって悪魔を包み込んだ。
「結界? なら、大きなダメージを与えれば消えるはず!」
セピアはレオパルドを促し、一斉に駆け出した。セピアは槍を、レオパルドは鞘にしまっていた錆ついた剣を抜き、左右から攻める。
群がってくるインプ達は、ルーナとクリストファーが連携して押し止めた。
ロギは動かない。
「食らいなさい!」
突きと斬撃が、一斉に黒い球に叩き込まれる。
しかし武器ははじかれた。剣に至ってはそのまま真っ二つに折れてしまった。
ロギが哄笑する。今度はタケシのホーリーが飛ぶ。しかしこれもまた打ち消された。
「悪魔は抵抗できないはずなのに‥‥あの結界は無敵なのか‥‥?」
「そうさ。こうやって」
ロギはセピアに迫った。結界の中にセピアは入り込む。そこには黒い炎が燃えていて、肌を焼く痛みが襲う。次いで、ロギの爪がわき腹をえぐる。
ロギが再び離れた時、セピアは眉をしかめ、痛みに耐えていた。
「僕の間合いに入ってこない限りはね」
くすくすと、癇に障る声でロギは笑う。
「レジストデビルが切れたみたい‥‥」
「今、リカバーを‥‥」
その時、インプがなにやら騒がしくし始めた。揃って、船の向こうへ行こうとしている。レオパルドの攻撃を待たず、ロギは羽ばたき、そちらを見やった。
「待て!」
「――!」
黒く凪いだ海の上を、泳ぐ影があった。
チュリックだ。
重い水は人並みほどにしか泳げないチュリックには酷だった。身を切るような冷たさも、最低限にしたとはいえ衣服を着ているのも辛い。
お嬢‥‥!
その思いだけで水をかき続ける。
「あの女‥‥!」
ロギは一も二もなく方向を返した。ロギに離れられては、結界を破る術が無い。
――オオオオ――
空気を震わせるような声が、どこからともなく響き渡った。
それは次第に大きく、怒りをはらんで。
オオオオオオッ!!
「アンナさん!」
錆びた剣の折れた切っ先から、青白い炎が飛び出した。剣に宿っていた女騎士の魂。それはロギの結界を無視して中へと入り込む。
ロギの動きが止まった。
結界の中に、何かが爆ぜる様な轟音が響いた。間をおいて、もう一度。
そして、黒の球体の中から青い炎は、抜け落ちた。明滅しながら、結界が落とす影でさらに黒くなった海に沈んでいく。
「全く‥‥驚くことばかりしてくれるよ‥‥!」
発せられたロギの声は、いささか消耗しているように聞こえた。そのせいか否か、チュリックとの距離が開いているにもかかわらず、ロギは止まったままだ。
「身体が‥‥動かない」
「結界は無敵でも、その影までは効果が及ばないみたいだねぇ」
ルーナが印を組んだままの格好で勝気な笑みを浮かべた。
「シャドウバインディング‥‥!」
ロギは絶句し、そして喚いた。
「インプ! 海に飛び込め! 僕の影を消すんだ!」
「させません!」
タケシのホーリーとクリストファーの礫が、近づいてくるインプを邪魔する。
チュリックはもがきながら、それでも生贄の岩へと辿り着こうとしている。
「‥‥あとは、あそこにいるのが、おびき寄せる為の偽者じゃなければいいんだけど」
「いえ‥‥本物ですよ」
やけに落ち着いて、アルフレッドは答えた。彼の顔を伺うように見上げたルーナに、アルフレッドは悪戯っぽく微笑んだ。
「だって、偽者ならロギがあんな惨めに、あせる必要はないでしょう?」
海から何とか這い上がった瞬間、冷えた風がチュリックを襲う。
「おじょ‥‥う!」
歯の根がかみ合わない。
マルガレーテは岩の岸で海へと向かって、祈りの姿勢を保ったまま、虚ろな顔で何かを呟いていた。対岸にはイレールが座り、同じように呟く。
恐らくはイレールも、元から生贄候補であったのだろう。
チュリックにも気づかない所を見ると、レオパルドに掛けようとした魔法で、操られているようだ。
「待ってろ‥‥悪魔になんか、もう、触れさせやしないから‥‥」
震える手で釘を取り、岩の中央へ当てる。持っていた銀のナイフの柄の部分で、打ち込む。
手元が狂う。血がにじむ。それでもチュリックは釘を沈めていく。
インプの一体が命令をこなし、ロギはついに影の楔を断ち切る。一直線に岩へと向かうが、辿り着く直前、釘は全て大地へと打ち込まれた。衝突し、悪魔は跳ね返される。
チュリックはそれを確認すると、ゆっくりと腰を浮かせた。寒さで真っ赤に染まった手が、マルガレーテを捜し求める。
「お嬢‥‥」
しかしそれまで保っていた気力が尽きたか、そのまま前へと倒れこんだ。握っていた銀のナイフが滑って、マルガレーテの足元まで転がる。
「チュリック!」
「ふ‥‥はは、弱い人間! 様ないや! 呪文さえ、妨げられなけりゃ‥‥!」
ロギは安堵して笑った。
しかし次の瞬間、その場の誰もが凍りついた。
マルガレーテが、銀のナイフを拾い上げ、自らの腹に突き刺したのだ。
ロギは再び、色を失う。
「そんな‥‥僕のフォースコマンドを‥‥」
「ごめん‥‥こうしないと、悪魔の命令は解けないって、お父様が‥‥」
相当に痛むだろうに、マルガレーテは笑った。
「これで、生贄の呪文、やり直し‥‥時間、稼ぐから」
それだけ言うと、マルガレーテはまた祈りの姿勢に戻った。傷を負っても、長い間意識を止めていられるわけではないようだった。
ロギは肩を震わせる。
「お前達全員海に沈める‥‥! あの女が、絶望して二度と逆らえないように‥‥!」
「さて、出来るかな」
声が空から降り、結界に新しい影が降り立った。フライングブルームを駆る漆黒のローブの魔法使い。僚船の冒険者だ。
ロギはその時、波を砕く音に気づいた。
「帆をたため! 減速!」
「錨を降ろせ!!」
僚船に二つの声が木霊する。舵を取る海戦騎士と、ルイーゼの声だ。不浄の船を留めた僚船の冒険者がこちらまで連絡を取りに来、航海術に長けたルイーゼを連れ帰って合流を早めたのだ。
船は両舷の錨を海底の岩に絡ませ、大きく揺れて停止した。
生贄の岩とルイーゼの船の間である。機敏な動きで双方の船に渡しが掛けられる。二つの船は広い足場となった。
「頭領の魂、返してもらうぞ!」
僚船の冒険者達は以前にロギと剣を交えた者も多い。恐れる事なく、黒い結界へと向かっていく。
ルーナ達もまた、その戦いに身を投じる。
群がるインプを魔法と飛び道具が抑え、近接の者はロギへと向かう。
回復の術を持つ者は、仲間が戦う隙を見て、生贄の岩への負傷者の元へと急いだ。
「やあっ!」
セピアの突き出した槍がロギの脇腹を貫き、悪魔は大きくよろめいた。自らの力が多く残っていないない事を悟り、ロギは悔しさに顔を歪めた。
「ここまでやってきたのに‥‥忌々しい、ヒト共め!」
身を翻す。それは逃亡を意味していた。
「逃がさない!」
追いすがろうとした冒険者達だが、何よりも早く飛び出したのは、青い炎であった。
スピードを殺さぬまま、体当たりを仕掛ける。魂の攻撃を受けた悪魔は、ふらつき、高度を落とした。
明滅する青い炎が叫ぶ。
――レオ‥‥パルドォォォッ!
恨みの叫びしか上げなかったレイスからの、呼びかけ。レオパルドは頷く代わりにロギへと走った。レイピアを構え、雄叫び一声、その喉元を、貫いた。
「ヵ、は‥‥ッ!」
ロギの瞳のないその眼に、レオパルドの顔が映る。
しかしそれもすぐに、黒くくすぶる細かな塵に、姿を変えた。
残ったのは丁度掌に収まるぐらいの、白い玉。転がっていくそれを、僚船に乗っていたチェインヘルムの少年が拾い上げる。僚船の仲間の方へ戻った彼は、小突かれ、叩かれ、撫で回されて迎えられた。
「終わった‥‥」
喜びよりも先に、安堵のため息が口から漏れ出した。
マルガレーテが目を開けると、そこは船内であった。見覚えのある顔が、心配そうに自分を見下ろしている。彼女の瞳が順繰りに彼らを見ていくと、その顔に歓喜や安堵の色が宿る。
「‥‥夢を見たの‥‥あれは、多分、お母様だわ」
まだ夢うつつで、幸せな気分であった。
「生きなさい、って‥‥幸せそうに微笑んでいたわ」
「ええ‥‥貴方のお母様は、気高く、立派で、勇敢な方でした‥‥」
レオパルドが言うと、マルガレーテは可笑しそうに笑う。
「やだ、知らないくせに、まるで友達みたいに!」
「‥‥彼は知ってますよ。アンナとは戦友なのです」
先に正気づいていたイレールが、いとおしそうに娘の金髪をなぜる。マルガレーテは不思議そうに目を瞬かせた。
チュリックの掌から、重力の帯が伸びる。グラビティーキャノンは生贄の岩と呼ばれていたそれを、穿ち、砕く。彼女の他にも幾名かの冒険者が、その破壊に携わっていた。二度とそれが使われないように。
「一時はどうなる事かと思ったがね。やれやれ、しばらく戦いはごめんだよ」
「俺はもう、寒中水泳は御免被るね」
竪琴を奏でて周囲を鼓舞するルーナと、チュリックは笑いあう。陸地に残してきた仕事があるが、今は考えたくなかった。
「マルガレーテさんが目を覚ましましたよ」
甲板へのハッチを開けて、顔だけ出したクリストファーが呼びかける。
「そうか‥‥」
身体は疲れ果てていたが、自然と顔が綻んだ。
「どんな様子だい?」
ハッチに近づきながらルーナが問うと、彼は意味深な笑みを浮かべた。
「石化したドラゴンを山から連れ戻すのに、ぜひ我々に同行して欲しいそうですよ」
二人は思わず、顔を見合わせた。出てくる言葉は一つ。
「「あのじゃじゃ馬‥‥!」」
船内へと降りていく彼らの遠く背後、ドレスタットからの迎えの船の白い帆が、荒い波間に見え隠れしていた。