●リプレイ本文
「なな、なんと!?」
ギルドの隅に出来た人だかりに首を突っ込み、そこで交わされている会話の内容を把握したヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)は叫んだ。
「割と久々に、知己ボールスどのに会えるかと思っていたら、行方不明とは!?」
「うん、私も久しぶりに帰国したから、ボールス卿に挨拶でも‥‥て思ってたんだけど」
ケイン・クロード(eb0062)が、掲示板から剥がされた依頼書をヴラドに手渡した。
「ふむ‥‥どうやらよほどの事があったと見えるのだ」
「でも、黙っていなくなる事って今までにもあったよね? 急に決まった隠密任務とか‥‥」
デメトリオス・パライオロゴス(eb3450)はしかし、言っている途中で考えを変えたようだ。
「うーん、でも‥‥だとしても、今回は不自然な所があるみたいだし、早急に探し出した方が良さそうだね」
「政敵やデビルの動向など気になる要素は多いであるしな。まずは探し出して安否確認であるな」
「ええ、あの方の事ですし、大丈夫だとは思いますが‥‥」
「大丈夫じゃないってば!」
サクラ・フリューゲル(eb8317)の言葉に猛然と噛みついたのは、今回の依頼人ウォル。
「大丈夫じゃないから皆を呼んだんじゃないか! なのに何で、皆そんなに落ち着いてんだよ!? 師匠の事が心配じゃないのかっ!?」
「私はあんまり心配してないけど‥‥だって、ボールス卿だよ?」
戦闘力もサバイバル能力も持たない一般人が行方不明になったのとは訳が違うと、宥めようとしたケインだったが‥‥
「だからっ! だから余計に心配なんじゃないかっ! 師匠の腕でもどうにもなんない事とか、もしかして‥‥っ」
何か嫌な事を考えてしまったらしい。ウォルは蒼白な顔で視線を落とした。その膝が小刻みに震えている。
「‥‥ウォル、気持ちは判りますがどうか落ち着いて‥‥」
サクラがその肩にそっと触れる。
「まずはもう少し詳しく、状況を説明して頂けませんか? 慌てずに、ゆっくりで良いですから‥‥わかっている事が少しでも多ければ、それだけ早く見付けられますから‥‥ね?」
落ち着かせるように優しく語りかけたサクラだったが、それでも効果がないと見るや、身体ごとぎゅっと抱きしめた。‥‥それによって自分自身に襲ってくる小刻みな震えも抑えるように。
自分でさえこの状態なのだ。もっと付き合いの深いウォルや、それに彼女はさぞや‥‥
「ふげっ!?」
もがもが、じたばた。
「ボールス様が貴方たちを置いていく筈はないんです。‥‥だから、きっと‥‥きっと見つけますから‥‥!」
「もが、離‥‥っ! く、くるひ‥‥っ」
「私たちを‥‥ボールス様を、そして貴方自身を信じて‥‥ね?」
――きゅう‥‥くてん。
「あ‥‥あら? ウォル?」
かくかくかく。
揺さぶっても反応はない。原因は‥‥窒息と血圧上昇と、その他諸々?
「お節介でしたらごめんなさい」
余りの惨状を見かねたのか、魂が抜けた様にボンヤリとしているウォルに、マロース・フィリオネル(ec3138)がメンタルリカバーをかけた。
「‥‥焦る気持ちは分かりますけど‥‥、焦ったまま行動すると大概失敗しますから」
いつもと同じ様に冷静に、動揺の気配さえ見せないマイ・グリン(ea5380)が言った。
「‥‥目を閉じて、深呼吸すれば少し楽になりますよ」
「う、うん‥‥」
すーはー、すーはー。
パニックの原因が師匠の失踪であるのか、それとも目の前で心配そうに覗き込んでいるサクラにあるのかは、最早判然としないが‥‥とにかく、多少は落ち着きを取り戻した様だ。
その様子を見て、それまで無表情に黙り込んでいたクリステル・シャルダン(eb3862)が、吹っ切れた様に顔を上げる。
「ボールス様はきっと大丈夫」
普段と変わらない様子で柔らかく微笑み、自分にも言い聞かせる様に優しく語りかけた。
「心配はボールス様を見つけてからゆっくりしましょう?」
必要なら、お説教も。
「あのう‥‥卿とは面識がないのですが‥‥」
騒ぎが一段落したと見て、ヒルケイプ・リーツ(ec1007)がおずおずと声をかけた。
「私もご一緒させて頂いても良いでしょうか?」
「おお、勿論である。手は多い方が良いであるからな!」
ヴラドが輪の中に引っ張り込んだ。
「ありがとうございます。円卓の騎士様が行方不明となればイギリスの大事件です! 捜索に参加させてもらいます!」
「でも‥‥何か変ね?」
ボールスの安否について、サクラから占いを頼まれていたレア・クラウスが、その結果に首を傾げた。
「‥‥無事‥‥だと思うわ。でも、これは‥‥」
無事と聞いて、仲間達は一様に胸を撫で下ろす。が、何か他に問題があるのだろうか?
「本当に、ボールス卿なのかしら?」
「レアさん、それはどういう意味でしょうか?」
だが、占った本人にも良くわからない。占いの結果が示すものは確かに対象の無事であるのだが、その対象が‥‥何か、おかしい。別人の様に感じるのだ。
「何かに取り憑かれた‥‥という事も考えられるであるな」
デビルが関与している可能性にも考えを巡らせていたヴラドが言った。
「とにかく、急ぐである」
まずは城に寄って、犬達と‥‥そしてルルに合流しなければ。
一行はそれぞれ、手配出来る限りの最速の手段で城へと向かった。
「それで‥‥いなくなった時のボールス卿の服装は?」
城に着いたマロースは、似顔絵を描いて捜索活動の助けにしようと、当日最後まで一緒にいた筈の人物、ルルに尋ねた。しかし‥‥
「そんなの、のんびり描いてる暇があったら、さっさと探しに行きなさいよっ!」
ウォル以上に取り乱した小さなシフールは、取り付く島もない。
「だいたい、森の中なんてそんなに人がいる筈ないでしょっ!? 町なかで探すのとは訳が違うんだからっ!」
「‥‥まあまあ、気持ちはわかるけど、落ち着こうよ?」
顔を真っ赤にして大声で喚き散らしながら飛び回るルルを、デメトリオスが宥めようとするが。
「あんたに何がわかるってのよっ!?」
ああ、ダメだこりゃ。
「‥‥失礼します」
ぶんぶんと忙しなく飛び回るルルに、マロースがメンタルリカバーをかけた。
「とにかく、手掛かりは少しでも多い方が良いと思いますので‥‥協力して頂けませんか?」
「‥‥わ、わかったわよ‥‥ええっと‥‥」
魔法の効果で多少は落ち着いたらしい。ルルは最後に見たボールスの様子を思い出そうと、腕組みをして首を捻った。
「ええと、シャツは白で、薄手の上着を羽織ってたわね。色は‥‥緑と黄色の縞々。それで、ズボンは赤で、靴が青‥‥」
ちょっと待て。その色彩感覚は色々ヤバくないか? と言うか、本当にそんな格好だったのか!?
「それでね、頭に猫を被って、金色のマスカレード付けて、手にはヒラヒラの付いた扇子を持ってて、背中の羽根は七色に‥‥」
やっぱりダメだ。
マロースは二回目のメンタルリカバーを試みる。
「‥‥あれ? 私‥‥そう、そうよ! ボールス様の服装なんて、いっつも似た様なモノに決まってるじゃない! 色々コーディネートするセンスなんてないんだから!」
酷い言われ様だが‥‥今度はちゃんと、まともに答えたらしい。要するに、いつもの見慣れた格好という事だ。
「サクラも描いてみれば?」
すっかり落ち着きを取り戻したウォルが言った。この間ウォルの姿を描いた絵は、実物の2割増くらい美化されていた様だが‥‥
「ええ、そうですわね。その方が聞き込みもしやすいかもしれません」
「‥‥で、このわんこ達が一緒だったのであるな?」
ヴラドが行儀良く座った二頭の犬、セティと珠の頭を撫でる。
「確か、オーラテレパスや指輪で会話は出来た筈であるな?」
「ええ、インタプリティングリングがあれば‥‥」
ヒルケが答える。‥‥が、オーラテレパスも指輪も、誰も持ってはいなかった。
「テレパシーで話を聞いて貰えれば、詳しい状況がわかったかもしれないのにね。でも、ないものは仕方ないか」
デメトリオスが言った。
「別れた場所まで案内して貰うくらいは出来るよね?」
「セティ、珠。案内してくれる?」
「ワン!」
クリスの言葉に、二頭の犬は真っ直ぐに森の中へと走り出した。
二頭の犬は川沿いの道を脇目もふらずに歩く。片側には藪が茂り、反対側は土手になっていた。
「川沿い‥‥川にはまったであるか?」
ヴラドが二頭の様子を見ながら呟く。しかし脇を流れる川は水量も少なく、もし土手から足を滑らせたとしても大した怪我もせずに済みそうに思えた。
「雨でも降れば、また様相も変わるのであろうが‥‥」
「そう言えば」
ウォルが思い出した様に言った。
「前の日は雨だった‥‥かな。オレ、この辺は来た事ないけど‥‥城の近くの川は急に水嵩が増える事があるから気を付けろって、言われた事ある」
その時、セティが脇の茂みに駆け出した。
「ワン!」
そして、茂みの中で何かゴソゴソと動いていたかと思うと‥‥何かをくわえ、引きずってきた。
「それ、師匠の‥‥!?」
鮮やかな空色に染められた、夏用の薄手のマント。その端には獅子のマント留めが外れそうになりながら、辛うじてぶら下がっていた。
「ボールス様の‥‥!」
クリスが受け取り、それを確かめる。
「ここに何か、足を滑らせた様な跡があります!」
少し先で、ヒルケが叫んだ。
「やはり、川に落ちたのであろうか‥‥?」
そう言いつつ、それだけの事であのボールスが何か大事に至るとは、ヴラドにも想像が出来なかった。
「やはり何か理由があっての事であろうが‥‥」
しかし、どんな理由が?
「とにかく、これだけでは何が起きたのかわかりません。もう少し手掛かりを探してみましょう‥‥この近く、川沿いを探せばきっと何かがある筈です」
マロースは土地勘と視力を活かして、周囲を調べ始めた。
「‥‥挨拶は早く見つけて連れ帰って、それからでいいかな、なんて気楽に考えてたけど‥‥」
ケインが呟く。
「何だか大変な事になってきたみたいだ」
だが、自分以上に気が気ではない人が居るだろうと自分に言い聞かせ、ケインは気を落ち着かせた。
その‥‥最も気が気ではないであろう人物が、川の中ほどにある人の背丈の倍ほどの大きな岩の上に、何か光る物を見付けた。
「あれは‥‥ナイフ、でしょうか‥‥」
岩の上に、何かが刺さっている。だが、高すぎて手が届かなかった。
「待って、おいらが取って来てあげる」
デメトリオスがリトルフライでふわりと舞い上がる。だが、そこに刺さったナイフは余程強い力で差し込まれたのだろう、彼の力ではビクともしなかった。
「柄の所に紋章が付いてるよ。あ、これ‥‥!」
クリスの胸元にあるものと同じ、ボールスの紋章だった。
「でも、どうしてそんなに高い所に‥‥?」
不思議そうに呟いて、クリスは先程のウォルの話を思い出した。水嵩が増えた川に落ち、流されまいとそこにナイフを突き立てたのだろうか。
しかし今、そこにあるのはナイフだけ。持ち主は‥‥?
「ふ、ふはははは!」
いきなり高らかに笑い出したヴラドに、何事かと仲間の注目が集まる。
「こんな事もあろうかと秘かに覚えたこの魔法! いざ! ここでテンプルナイト奥義を解禁なのだ〜! サーチフェイスフル!」
ヴラドの体が淡い光を帯びる‥‥が、特に何も起こった様子はなかった。
「それ、どんな魔法?」
ウォルが尋ねる。
「聖なる母を信奉し、白の教義に忠実な者を探知するのだ! おお、すぐそこに感じるこれは、クリステル殿とマロース殿であるな!」
「‥‥それだけ?」
「むう」
前置きが長い割には効果が平凡だとか、そんな事を言ってはいけないのである。
「他の皆さんの探知魔法と併用して捜索範囲をカバーしていけばいいのだ!」
とにかく、周囲100m圏内にはそれらしき反応はなかった。
「じゃあ、おいらは空から探してみるね。でも、バラバラになると危ないし、定期的に情報交換もしたいから‥‥時間を決めて、ここに戻って来る事にしない?」
それから、とデメトリオスは続ける。
「こういう森の中の事って、結構中にいる人の情報力って大きいと思うんだ。川の近くにもし誰か住んでいるようなら、そこを訪ねてお話もしてみたいから、誰かもし見付けたらおいらに教えてくれる?」
「‥‥わかりました。‥‥私も絨毯で上空から探してみます‥‥ずっと森の中にいるのだとしたら、活動のしやすい場所‥‥、森の奥よりも、川沿いで開けた場所から探しましょうか」
マイはウォルとルルに声をかけ、絨毯に一緒に乗り込む。
「‥‥ウォルには呼び掛け役を、ルルさんにはテレパシーで‥‥」
「あーーーっ!」
突然、ルルが頓狂な声を上げた。
「そうだ、私ってばテレパシー使えたんじゃない!」
「何言ってんの、今更?」
言葉の意味が分からず、首を傾げるウォルの耳を、ルルは思い切り引っ張った。
「だって私、わんこ達に話聞けたのに!」
そう言えば‥‥すっかり忘れていた。皆それだけ動転していたという事だろう。
「今からでも遅くないわよね?」
ルルが犬達から聞いた話の内容を総合すると、どうやらボールスは川に流された誰かを助ける為に飛び込み、そして共に流されたらしい。
「では、今は誰かと一緒にいる可能性が高いという事ですね」
ヒルケが言った。
「その人はこの辺りに住んでいるのでしょうし、その人達が普段使っている道など無いかも探してみます」
今のところ、森の中では誰とも出会っていないのではあるが。
「後は下流に移動しながら、少しずつ調べてみましょう。川から上がった形跡も探してみますね」
ヒルケは川岸の植物にグリーンワードのスクロールを使いながら、何か痕跡はないかと目を光らせる。
『川を流れて来た人はどこにいきましたか?』
マロースも反対の岸部でエレメンタルフェアリーのハニエルに頼み『人が流されてこなかったか』と尋ねて貰っていた。
だが、どちらも余り有用な返事は返って来ない様だ。
「レアさんの占いで無事であるらしい事はわかりましたが‥‥」
詳しい居場所までは、地図もない森の中ではわからない。
サクラはクリスと一緒に探す事に決め、二人は川沿いに下流に向かって周囲を調べていく。
「それにしても、誰とも会いませんわね‥‥」
これでは折角の似顔絵も役に立たない。
「元々ここは、人との交わりを避けて暮らす人が多いそうですから、皆さん隠れていらっしゃるのかもしれませんわ」
クリスは時折フェアリーのジェイドにブレスセンサーを頼むが、今のところ何の反応もなかった。
「でも‥‥良かった」
「え、何が‥‥でしょうか?」
そっと微笑むクリスに、サクラが首を傾げる。
「事故なら‥‥誰かに囚われたのでなければ、まだ安心出来ますもの」
確かに、誰か敵の手に落ちた場合は命があるというだけでは無事とは言い切れない。救出も困難を極めるだろう。だが、ただの事故ならば‥‥
「そうですわね。見付かりさえすれば安心ですものね」
そして、ヴラドと組んだケインは大声でボールスの名を呼びながら川沿いを歩いていた。上空からも、同じように彼を探す声が聞こえる‥‥ただし呼び方は「師匠ーっ!」だが。
「でもさ、大声で呼んで大丈夫かな?」
空飛ぶ絨毯の上から下を見下ろしながら、ウォルが尋ねた。
「もしかして、声かけちゃヤバい状況だったり‥‥」
「‥‥お尋ね者を追いかけている訳ではありませんから‥‥、ボールス卿を探すなら大声で呼ぶのが一番早いでしょう」
「まあ、そうなんだけどさ」
「‥‥上空からなら声も良く通ります。‥‥でも、危ないですから身を乗り出したりしないで下さいね」
「え? あ、うん」
言われて、ウォルは慌てて後ろに下がった。
そうして、どれくらい飛び続けただろうか‥‥
「ウォン、ウォンウォン!」
眼下の川岸で、ヒルケが連れていたボルゾイ、律丸が興奮した様子で吠えている。
「どうしたの? 何か見付け‥‥」
駆け寄ったヒルケの目に、微かだが岩の上に血が流れた様な跡が映った。
「これは‥‥!」
よく見れば、その辺りの砂利は踏み荒らされ、何かが引きずられた様な跡も残っていた。
その匂いを嗅ぎ、セティと珠が弾かれた様に川岸に拡がる森に向かって走り出す。
「見付けたのでしょうか?」
ヒルケも律丸に命じ、その後を追わせる。マイの愛犬ラビもそれに続いた。
やがて‥‥
森の奥、木々の間に隠れるようにして建つ粗末な小屋の前で、犬達は足を止めた。
「ここ、であるか!?」
息を切らしながら、ヴラドが奥義を唱えてみる‥‥が。
「おかしい、反応がないであるな‥‥」
ブレスセンサーには、二つの反応。だが、そのどちらも熱心な白の信者とは言い難いらしい。
「とにかく、聞いてみようよ。何か知ってるかもしれないしさ」
デメトリオスが扉を叩く‥‥と、現れたのは怯えた表情をした女性と、少年だった。
「怖がらなくても大丈夫です。私達は人を探しているだけですので‥‥」
と、マロースが見せた似顔絵に、少年が叫んだ。
「あ、この人!」
「知ってるのか!? おい、早く答えろ!」
「‥‥ウォル君、気持ちはわかるけど、落ち着いて」
少年に掴みかからんばかりの勢いで迫るウォルの襟首を掴み、ケインが引き戻す。
「ごめんね。でも、この子‥‥いや、私達にとって、とても大事な人なんだ。知ってたら、教えてくれないかな?」
それを聞いて、少年は今までのいきさつを話し始めた。そして、今朝気が付いたら姿が見えなくなっていた事を。
「わかんないよ、黙って行っちゃったんだ。それに‥‥言葉、通じないし」
「‥‥通じない?」
そんな筈はないのだが‥‥いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。犬達が裏口に向かって吠えている所を見ると、ボールスはそこから抜け出したのだろう。
冒険者達は二人に礼を言うと、再び森の中を走り出した。
暫く後。
「ボールスさまあぁぁっ!!」
木陰で休んでいる姿を真っ先に見付けたルルが、尻尾を振りながら走り寄る犬達よりも早く一直線にすっ飛んで行く。
クリスも安堵の笑みを浮かべて駆け寄ろうとした。
だが‥‥こちらの姿に気付いて立ち上がった彼の様子は、何かがおかしかった。はっきりと何がどうとは言えないが、妙な違和感がある。
「ルルさん、待って。何だか様子が‥‥」
しかし、止めようとしたクリスの言葉には耳も貸さず、ルルはそのまま飛び続ける。
『来るな!』
ボールスは一声叫ぶと、彼等に背を向けて走り去った。まるで、怯えて逃げる様に。
「師匠!? 待ってよ、何で逃げるのさ!?」
飛び出そうとするウォルを、ヴラドが制した。
「確かに、様子が変であるな」
聞き間違いでなければ、今の言葉はゲルマン語だ。何故、わざわざそんな言葉を?
「ボールス様、どうしちゃったの? まるで、私の事忘れちゃったみたいに‥‥」
流石のルルも異変を感じ取ったのか、その場でぴたりと止まり‥‥木立の向こうに姿を消したボールスにテレパシーを投げた。
『ボールス様、お願い、待って! どうして逃げるの!?』
返事はない。代わりに、恐怖と動揺、そして困惑が入り交じった混沌とした思念が返って来た。
『お願い、戻って来て‥‥私達は敵じゃないから!」
「くぅん‥‥」
犬達も追いかけるのをやめ、その場に座り込んでゆっくりと尻尾を振っている。
やがて‥‥
『君達は‥‥追っ手じゃないの?』
おどおどとした様子で木立の影から顔を覗かせたボールスの口から出た言葉は、間違いなくゲルマン語だった。
「あの‥‥ご無事ですか?」
もしかしたら、知らない顔がいるので警戒しているのだろうか。ヒルケはそっと一歩、前に進み出た。
「初めまして、ヒルケイプ・リーツと言います。ウォルフリードさんから依頼を受けて、あなたを探しに来た冒険者の一人で‥‥あ、他の皆さんはご存知ですよね?」
だが。
『‥‥何? 何を言ってるのか、わからない‥‥』
ゲルマン語が返って来た。
わからないとは、どういう事だろう。不思議に思いつつも、ヒルケは同じ内容をゲルマン語で言い直してみた。
『‥‥ウォルフリードって‥‥誰? 君達は‥‥?』
『ねえ、なんでゲルマン語を使うの?』
デメトリオスが尋ねた。
『それに、なんで行方不明なんかに‥‥大体の事はさっきの人達に聞いたけど、頭の怪我は大丈夫?』
『な、なんでって‥‥君達こそ、どうして‥‥さっきの、何語? ここ、どこ? 僕は‥‥どうなっちゃったの?』
言葉が通じる事に安心したのか、ボールスは今にも泣きそうな表情で声を詰まらせた。
見たところ、頭の怪我はすっかり治っている様だが‥‥
『‥‥失礼します』
マロースが近寄り、メンタルリカバーをかけた。これで、少しは落ち着いてくれると良いのだが。
だが、多少落ち着きを取り戻した様に見えても、彼のおどおどと怯えた様子は消えなかった。それに‥‥
「クリステルさんの顔を見ても尚、この状態というのは‥‥」
普通では考えられない。
「まさか、記憶喪失‥‥であるか?」
ヴラドの言葉に、クリスは無意識に胸元のマント留めに手を触れる。
『‥‥それ‥‥』
その様子に気付いたボールスが、不思議そうに尋ねた。指の隙間から見えるそれは‥‥
『それ、僕の紋章‥‥だよね? どうして君が‥‥君は、誰?』
言葉はわからない。だが、言われている事は何となく理解出来た。
クリスはマント留めを両手でぎゅっと握り締め、震える手と膝を何とか落ち着かせようと、ゆっくり大きく息を吸う。
「師匠‥‥?」
ウォルがふらふらと歩み寄り、ボールスの両腕を掴んだ。
「ねえ、記憶喪失って何だよ? オレの事、忘れちゃったの? ねえってば、師匠!!」
掴んだ腕を、大きく揺さぶる。
「いや‥‥オレの事なんか忘れたっていい。けど‥‥何でだよ!? 何で‥‥大事な人の事まで忘れちゃうんだよ!? 思い出せ! 思い出せよ、師匠!!」
「‥‥ウォル」
ぽろぽろと涙を零しながら喚くウォルの肩に、落ち着きを取り戻したクリスがそっと触れる。
「ありがとう。でも‥‥大丈夫よ」
「大丈夫なわけ、ないじゃないか!」
ウォルの目から見ても、クリスが心中の動揺を無理矢理に抑え付けているのは明らかだった。
「それでも‥‥大丈夫だから。誰かゲルマン語のわかる方に、通訳をお願いしましょう。ね?」
「でも‥‥っ!」
食い下がるウォルに、サクラが言った。
「私が話してみますね。ボールス様とは同郷ですし‥‥少しは安心して貰えるかもしれません」
そして、ウォルを下がらせ故郷の言葉で話しかける。
『私はサクラ。サクラ・フリューゲルと申します。貴方は覚えていないでしょうが、貴方を知っている者です。貴方はどこまで覚えているのですか?』
そして、わかったのは‥‥
故国を追われた直後から現在までの約15年分の記憶が、丸ごと抜け落ちている事。本人の感覚としては、11歳の少年である事‥‥ただ、何かがおかしいという自覚はある様だが。
頭の怪我は意識を取り戻した時に自分で治したらしいが、傷が癒えても記憶が戻る事はなかった。
「‥‥厄介な事になったであるな‥‥」
大方の状況を把握したヴラドは、大きく溜息をついた。
とりあえず今夜はその場で野営する事を決めたが、いつまでもそうして森に隠れている訳にはいかない。かといって何処かに身柄を移すにしても、搬送中に政敵に嗅ぎ付けられたり、デビルに発見される危険がある。
記憶はいずれ戻るにしても、その間に政務を疎かにすれば、それこそ政敵やデビルの付け入る隙となるだろう。
「とりあえず、主君たるイギリス王と、領地の部下たちの双方へは断りを入れれば問題はなかろうが‥‥」
『あの‥‥僕は今‥‥僕が忘れたっていう未来の僕は、どうなってるの?』
ケインから温かい食事を受け取ったボールスは、自分を取り囲む見知らぬ顔触れに尋ねた。今の彼にとって、本来の自分は未来の存在という事らしい。
『従兄を頼って、イギリスに渡らなきゃって‥‥そう思った事は覚えてる。でも、ここはイギリスなんだよね? 計画は‥‥上手く行ったって事?』
それを聞いて、クリスは彼が途中ではぐれたと思い込んでいる弟レオン、それに王宮から逃げる時に別れた爺やとロランも無事である事を伝えた。
『ボールス卿もライオネル卿も、今ではこのイギリスが誇る円卓の騎士であるよ』
ヴラドの言葉に、ボールスは不思議そうに首を傾げた。
『レオンが騎士になるのはわかるけど‥‥僕が?』
ボールスは自分の手をじっと見つめた。その手は自分の記憶にあるものよりも、遙かに大きくて力強く見える。だが、それでも‥‥
『信じられないよ。だって僕、力もなくて、剣術も苦手で‥‥レオンにだって負ける事が多いのに。僕が得意なのは、魔法だけだし‥‥それだって、そんなに使える訳じゃない』
そんな自分が騎士‥‥しかもイギリス最高の騎士達と称される円卓の一員だなんて。今の彼には、何かの冗談としか思えなかった。
「‥‥ボールス卿にも、そんな時期があったんだね」
ケインは一人離れて膝を抱えているウォルに、温かいスープを差し出す。
「お腹に入れると、少しは落ち着くよ? ほら」
だが、ウォルはそれを受け取りはしたものの、口を付けようとはしなかった。
「‥‥何で‥‥忘れちゃうのさ? こんな、あっさり、簡単に‥‥」
「ま、あっさり簡単に死なれちゃうよりは、よっぽどマシだわよね」
ウォルが寄りかかっている木の上から、ルルのヤケクソ気味に元気な声が聞こえた。
「‥‥って事で‥‥チャンスよチャンス!」
ルルはボールス目掛けてすっ飛んで行く。‥‥って、何がチャンスなのか。
『ボールス様! 私、ルーファ・ルーフェン。ルルちゃんって呼んでね! 忘れちゃったものはしょーがないわ。だ・か・ら』
ルルは満面の笑顔で微笑んだ。
『もう一度最初から、お友達から始めましょっ♪』
そして、隣のクリスをじろりと睨み付ける。
「今度こそ負けないんだからっ!」
‥‥陽気なシフールは、あくまで前向きだった。
そして、ボールスはその言葉を少し違った意味で捉えたらしい。
『‥‥そうだね。忘れてしまったなら‥‥今すぐに思い出せないなら、もう一度やり直せば良いんだ』
自分がやるべき事も、大切な人達の事も。
『僕、戦いは苦手だけど‥‥頭を使う事なら得意だから。今までずっと、王になる為の勉強もしてきた。だから、領主の仕事くらいは何とかなると思うんだ‥‥勿論、今の僕には知らない事だらけだし、皆に色々教えて貰って、助けて貰う必要があるけど』
思い出す事を諦めた訳ではない。だが、今はそれが最良の方法である様に思えた。
『誰か、僕にイギリス語を教えてくれない?』
ボールスもまた、あくまで前向きだった‥‥その肩にちゃっかり座ったシフールに負けないほど。
『‥‥では‥‥どうしますか? ‥‥政務に戻るつもりなら、いつまでも森の中にいる訳にはいきませんが‥‥』
「やはり、猫屋敷であろうか?」
「‥‥はい、ボールス卿と一番付き合いの長い侍従長‥‥執事さんもいる事ですし」
「そうですね、お城では規模も大きすぎますし」
マイとヴラドのやりとりを聞いて、ヒルケが言った。
「診て貰える人のいるところで療養するのがいいと思いますし、ボールス様に危険が迫った時に巻き込む恐れがありますから、このまま森に‥‥あのお世話をしてくれた方々の所は避けるのがいいと思います」
『ネコ‥‥ヤシキ?』
『キャメロットにある、ボールスどののお屋敷であるな。犬と猫‥‥特に猫だらけなので、そう呼ばれているである』
『猫は‥‥余り好きじゃないけど』
――ええっ!?
その言葉に、その場にいた全員が驚きの声を上げた‥‥通訳を通して聞いた者も含めて。
「ああ、そうか‥‥」
彼が猫好きになったのは亡き妻フェリスの影響だと聞いた事がある。しかし、今のボールスにとっては彼女と出会った事さえ存在しないのだ‥‥勿論、息子の事も。
『そう言えば、どうしてあの家から出て行ったの?』
何となく重い空気が漂い始めた気配を察して、話題を変えようとデメトリオスが尋ねた。
『それは‥‥だって、あの家、寝台がひとつしかなかったんだ。僕がいると、あの二人は床で寝なきゃいけないから‥‥』
言葉が通じて、自分は床で寝るからと言っても、あの二人はきっと首を縦には振らなかっただろう。
『黙って出て来たのは、悪い事をしたと思ってる。だから‥‥明日、もう一度あの家に寄って貰えないかな? きちんとお礼が言いたいから』
その日の夜半。交代で見張りを立て、殆どの者が寝静まった頃‥‥
『あの‥‥クリステル、さん?』
見張りに立ったクリスに、ボールスがおずおずと声をかけた。
『あの、それ‥‥もう一度見せて貰えない、かな』
それ、とは彼女の胸元に留められたマント留めの事だ。
言葉は通じないが、身振り手振りで何とか意志を伝え‥‥ボールスは受け取ったそれを裏返してみた。
『‥‥クリス、テ、ル‥‥』
他の単語は読めないが、名前くらいなら何とかわかる。
自分の紋章に刻まれた、その名前。
『‥‥そうだ、追っ手から逃げる途中で‥‥』
ボールスは独り言の様に呟いた。
『紋章を見せて助けを乞おうと思ったら‥‥どこで盗んだって言われて‥‥全然信じて貰えなかった事があったっけ』
だからきっと、未来の自分はここに名前を刻んだのだろう。大切な人が、この紋章のせいで嫌な思いをしないようにと。
『‥‥あれ?』
それは、いつの事だったろう? 嘘つきと言われ、殴られたのは‥‥もっと、ずっと後の事だった様な気がする。
『少しずつだけど、思い出せるかもしれない。でも‥‥ごめん。今は君の事、何も思い出せないんだ』
通じない事を承知で、ボールスは言った。
『でも、いつか必ず、思い出すから‥‥』