【消えた時間】消えないものと消せないもの

■シリーズシナリオ


担当:STANZA

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:9 G 4 C

参加人数:10人

サポート参加人数:2人

冒険期間:09月16日〜09月21日

リプレイ公開日:2008年09月24日

●オープニング

「‥‥どうして私は、こんな大変な時に‥‥っ!!」
 北海沿岸の町を襲った災厄。その事件に関する噂を、冒険者達はボールスの耳には入れない様にと気を遣っていた。
 だが‥‥人の口に戸は立てられない。噂は嫌でも耳に入るもの‥‥
「仕方ないじゃない、ボールス様だって大変だったんだもん‥‥ううん、今だって大変じゃない! ちっとも治ってないんだから!」
 ルルが言った。
 今のボールスは、一見以前と変わりがなさそうに見える。
 だがそれは、彼が自分の置かれた状況に慣れ、欠けた知識を再吸収する事で何とか補っている結果にすぎなかった。
 ‥‥まだ、記憶が戻った訳ではないのだ。
「でも、それでも‥‥! 私が動いていれば、ほんの僅かでも‥‥まだ、救える命があったかもしれない! なのに‥‥っ!」
 ‥‥ガンッ!!
 ボールスは背にしていた壁に向き直り‥‥そこに頭を打ち付けた。
 まるで、その衝撃で記憶を取り戻そうとするかの様に。
「ちょ‥‥ダメ! やめてよ! そんな事したって思い出せる筈ないんだから! 余計酷くなっちゃう!」
 前回ぶん殴って何とかしようとした張本人が、慌ててボールスの襟首を引っ張る。
「とにかく‥‥もう遅いし、復興も始まってるし‥‥あちこちから救援だって来てるんだから」
 今ボールスが行っても、出来る事は何もない。
 いや、手は多い方が良いだろうが‥‥それはボールスでなければ出来ない事、ではない。
「だから‥‥今度また何かあった時、ボールス様にしか出来ない事がちゃんと出来るように、今は‥‥病気、治そ?」
 そう、それは病気なのだ。
 そして、確実に快方には向かっている‥‥実際、ちょっとした事で記憶の断片が蘇る事も、以前より多くなった。
 ただ‥‥バラバラになったパズルが、ひとつのピースを見ただけではその全体に何が描かれているのか全くわからない様に、蘇った記憶の断片はいくら集めても断片の集まりでしかなかった。
 それを繋げ、整理し、ひとつの意味あるものにしなければならない。

 それにまだ‥‥どうしても見付からない断片が、いくつかあった。

「‥‥フェリスの記憶が、これっぽっちも戻って来ないのよねぇ‥‥」
 どうにか落ち着きを取り戻し、仕事と勉強に戻ったボールスを見送った後、ルルはひとり溜息をついた。
 エルの事は、まだ会った事はないが自分の子供の様だと納得したらしい。だが、その母親については‥‥意識してか、あるいは無意識なのか、ボールスは尋ねようともしなかった。
「それに‥‥ロランの事も」
 前妻フェリシアの事を思い出せない‥‥思い出したくない理由はわかる。ボールスはきっと、未だに悔やんでいるのだろう‥‥彼女を救えなかった事を。
 だが、幼い頃からの親友だった筈の、ロランの事まで思い出せないという事は‥‥
「やっぱり、相当ショックだったのね‥‥」
 エルの父親が、十中八九ロランである事。
 ボールスは全てを自分の中に丸め込み、決して他人を悪く言う事はない。
「でも、だからって‥‥何も感じてない訳じゃない。傷付いてない筈がない‥‥わよ、ね」
 いっその事、思い出さない方が良いのかもしれない。
 当のロランも、一向に戻る気配がない。
 ならば、このまま‥‥城を脱出する時に死んだ事にしてしまっても。
「‥‥なんて、ダメよね、やっぱり」
 それは実際にあった事。なかった事には出来ない。してはならない。
 辛い事も嫌な事も、全てを呑み込んで、今のボールスがあるのだ。何が欠けても、元通りには戻らない。
 それに、彼には味方が大勢いる‥‥勿論、その筆頭は誰が何と言おうと自分だが。
「でも、どうすれば良いのかしら‥‥」
 傷口は癒えてはいない。癒える事などないのかもしれない。
「だったら、荒療治でも良いのかしら」
 血が流れたなら、流れ出た以上のもので満たせば良い。
 とにかく‥‥頼りは冒険者達。

 いつの間にか猫屋敷の庭には、空を切る剣の音が聞こえ始めていた。
 つい先日まではヘタレとしか言い様がないなどと酷評されていたボールスだが、今では剣の稽古も積極的に行い、既にウォルでは相手が出来ない程に上達‥‥と言うよりも、回復していた。
 だが、まだ足りない。力も、技術も‥‥そして思いも。円卓の騎士として人々を護る為には、何もかもが不足している。
 ボールスは、焦っていた。



 その頃、セブンオークスの領主館では‥‥
「あいつがおかしくなってる、今がチャンスなのに‥‥何で動かないんだ?」
 血色が悪くひょろ長い青年の問いに、領主ロシュフォードは鼻を鳴らした。
「少しは頭を働かせろ‥‥そんな事だから、領主の地位を剥奪されるのだ」
「剥奪されたんじゃない! 自分から出て来たんだ!」
「同じ事だ。それに私が宗主でも、お前の様な首から上に血の巡らぬ者は願い下げだ‥‥もっとも、上ってはいる様だが」
 青年の青白い顔は赤く染まっていた。
「今、事を起こせば‥‥相手の病に付け込んだ卑怯者として誹られるだろう。敵というものは、自らの社会的地位を高める為に存在するのだ‥‥お前の様に無闇に突っかかっては自分の首を絞めるだけだ」
 ましてや相手は円卓の騎士。武力で敵う筈もないし、倒せば国賊と呼ばれかねない。
「だが‥‥幸いあれはネタには事欠かぬ。付け入る隙が多すぎて、どこから突っ込めば良いかと迷う程にな」
 だから、慌てる事はない。今は、まだ。
「だったら‥‥僕がやる」
 ひょろ長い青年‥‥ジャスティン・スタンフォードは骨張った手を握り締めた。
「あいつがどうなろうと、何を忘れようと構わない。でも‥‥姉さんの事を忘れるなんて‥‥っ!」
 許せない。
 姉に対する思慕の念は既にない。その死に対しても、裏切り者には相応しい末路だと考える様になっていた。
 だが、それでも‥‥
 ボールスが姉の事を忘れ、幸せに暮らす事だけは許せない。
「‥‥まあ、勝手にするが良いさ」
 ロシュフォードは肩を竦めると、ひょろ長青年に背を向けた。
 ボールスを倒すなら力を貸すと言って勝手に居座っているこの青年を、彼は信用していなかった。ましてや戦力になるとも思っていない。
 追い出すのも面倒だから、ここに置いているだけ。
 それに‥‥彼が契約しているデビルが興味を持っているらしい。こんな小物の魂に、あのデビルが何故興味を持ったのか、それを知りたくもあった。まあ、知る事が出来なくても、それはそれで構わないのだが。
 ただの居候が何をしようと、害にはなるまい。邪魔になるなら消せば良いだけ‥‥よしんば何かしらの働きがあったなら、それを利用するだけの事。
 どちらに転んでも、ロシュフォードに損はなかった。

●今回の参加者

 ea1274 ヤングヴラド・ツェペシュ(25歳・♂・テンプルナイト・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5380 マイ・グリン(22歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7244 七神 蒼汰(26歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 eb3450 デメトリオス・パライオロゴス(33歳・♂・ウィザード・パラ・ビザンチン帝国)
 eb3862 クリステル・シャルダン(21歳・♀・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 eb8317 サクラ・フリューゲル(27歳・♀・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ec1007 ヒルケイプ・リーツ(26歳・♀・レンジャー・人間・フランク王国)
 ec3138 マロース・フィリオネル(34歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ec4979 リース・フォード(22歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ec4984 シャロン・シェフィールド(26歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)

●サポート参加者

暮空 銅鑼衛門(ea1467)/ クルス・ライン(ec3850

●リプレイ本文

 すっかり秋めいた陽射しが差し込む、猫屋敷の中庭。
 その隅に聳える大きな木の下で、冒険者達が上を見上げていた。
「‥‥で、あの人はあんな所で何してんだ?」
「ん、なんか‥‥一人になりたいからって」
 七神蒼汰(ea7244)の問いに、ウォルが答える。
 だからといって、わざわざ大木の天辺近くまで上る事もないと思うのだが。
「しかし、だいぶ涼しくなって来たとは言え、木の上じゃまだ虫もいるだろうに」
「それがさ、なんか‥‥変なんだ」
「変‥‥と申しますと?」
 サクラ・フリューゲル(eb8317)が首を傾げる。
「詳しく聞かせて頂けますか? その後のご様子や、今の状態など‥‥」
 現状をきちんと把握しておかなければ、必要な手伝いも出来ない。それどころか、却って害になる事をしてしまう恐れもある。
「なんか‥‥色々ちょっとずつ思い出してる、みたいなんだけど。でも、その度に‥‥なんか、オレの知ってる師匠とは違う感じに‥‥」
 今のボールスは、目の前に苦手な虫がいてもさほど驚かない。虫嫌いには変わりないのだが‥‥
「いつもなら大騒ぎするのにさ。なんか、つまんね‥‥じゃなくて、ええと、その‥‥」
 それに普段のボールスなら、皆が集まっている事を知れば呼ばれなくても下りて来る筈だ‥‥とても、嬉しそうに。
「やっている事が無駄だとは思いませんが、焦る気持ちは皆同じ、ですか」
 シャロン・シェフィールド(ec4984)が軽く溜息をついた。
「恐らく、余裕がない事の現れなのでしょうが‥‥」
「とにかく、折角集まったんだしさ、出来る事をやっていくしかないよね」
 デメトリオス・パライオロゴス(eb3450)がふわりと宙に舞い上がる。
「おいら、下りて来てって頼んで来るね」


「自分では随分戻ったように思うのですが‥‥」
 デメトリオスの誘いを受けて身軽に木から下りて来たボールスは、丁寧に頭を下げた。
「それでも、皆さんがそう仰るなら、まだ何か足りない所があるのでしょう。お手数をおかけしますが、どうぞ宜しくお願い致します」
 一見、元通りに見える。
「でも‥‥なんか違うんだよ」
 ウォルが本人には聞こえない様に、小声で呟く。
「上手く言えないけど‥‥今なら師匠が円卓の騎士だって事、誰が見ても納得出来るって言うか」
 以前の彼は実力は伺い知れるが、どこか危なっかしくて頼りなさげで‥‥強いのはわかっていても何故か保護欲を刺激される、そんな不思議な空気を持っていた。
 はっきり言って、今の方がカッコイイ。
「でも‥‥そんなの師匠じゃない」
 何故そうなってしまったのか。何が欠けているのか‥‥。
「‥‥私達から見れば、卿の記憶の抜け落ちている部分は明白ですけど」
「それは、そうだけど‥‥」
 だが、それだけでこんなにも変わってしまうものだろうか。マイ・グリン(ea5380)の言葉に、ウォルは納得が行かない様子で首を傾げる。
 そんなウォルに、ヒルケイプ・リーツ(ec1007)が言った。
「辛いことを乗り越えたからこそ、今のボールス様があるのでしょうし、それを忘れたままでは半身の欠けたような状態ではないでしょうか。辛くとも思い出さないといけませんよね‥‥」
「‥‥ですが、他人が迂闊に触れて良い部分でもありませんし‥‥自力で思い出せる範囲まで誘導する事と、その間誰にも横槍を入れさせない事で精一杯でしょうか」
 マイは今回、自分に出来る事は余り多くなさそうだと感じていた。確かに普段なら他人が立ち入るべき領域ではないのだろうが‥‥
「横槍? ‥‥デビル、とか?」
「まあ、それもあるが」
 と、蒼汰。
「もし噂を聞きつけたら、アレが飛んで来そうだよな。姉さんの事を忘れるなんて許せない、とか何とか言って」
「あー‥‥アレか」
「とにかく、警戒は怠らないようにしないとな」
 そう言いながら、蒼汰はオーラセンサーを発動した。対象は‥‥ジャスティン・スタンフォード。ボールスと遭遇したら全てを台無しにしそうな彼が、目下のところ最大の敵だった。
「しかし、もはや猫屋敷内でやれることはやりつくしたであろうし‥‥」
 ヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)が「なにやら不穏な気配」とやらに鼻をヒクつかせながら言った。
「思い切って領地まで足をのばすのはやぶさかではないのであるが。そうなると余計に心配であるな」
 何しろその周辺はジャスティンの‥‥そればかりかデビルや政敵ロシュフォードの行動圏内だ。
「敵の懐に飛び込む形になろうが‥‥しかし、フェリシアどのの墓には行ってみるべきであろうな。教義解釈で聞いたことがあるのだが、墓を立て、死者を弔う事の本質は、死者を忘却せぬ事にあるという。墓と言うのは記憶を媒介する装置なのだ」
 記憶喪失には何か合っている気がする。
「タンブリッジウェルズやクラウボローの風土も記憶を呼び起こす作用があるやもしれぬ」
「正直、ある程度戻ったとは言え、今のボールス卿を更に人目に晒すのは気が進まないが‥‥」
 仕方がない、か。
 蒼汰は向こうで他の仲間達と話をしているボールスに目を向けた。

「ボールス卿、メルドンは大丈夫です」
 リース・フォード(ec4979)は、巻き貝の貝殻をボールスの掌に乗せた。
「先日、救助依頼を受けて現場へ行って参りました。これはその時、子供達に貰った物です」
 耳に当てると、穏やかな波の音が聞こえて来る。
「彼らは、もう一度笑おうとしています。そして、その笑顔を私たちに見せてくれた」
「そうです。少しずつ復旧も進んで、周囲から応援も到着していますし、人々に笑いも戻ってきていました」
 リースと共に復興に向けて尽力したヒルケも頷く。そして、自分達が見たものや経験したことなどを、ボールスに話して聞かせた。
 ただ、死者や行方不明者の数、被害の大きさ等、今更どうにもならない事は伏せて。例え既に噂で聞いていたとしても、今更それを蒸し返す必要もないだろう。
「私達は無力ではありましたけれど、それでも笑顔が戻ったことはかけがえのない成果です」
「だから、大丈夫」
 リースはにっこりと微笑んだ。
「今は貴方自身がもう一度、笑えるようになりましょう? 貴方の笑顔に救われる人は、きっと多いはずです」
「ありがとうございます」
 ボールスは微かに微笑み、貝殻をリースに返す。
「本来なら私達騎士や民を守るべき立場に居る者が動くべき所を、あなた方冒険者の手まで患わせてしまって‥‥さぞかし、辛い思いをされた事でしょう。本当に、申し訳ありませんでした」
 やっぱり、何か違う。
「いや、だから‥‥俺はそういう事が言いたいんじゃなくて、ですね‥‥」
 微妙に話が噛み合わないし、他人行儀に過ぎる。確かに言葉遣いが丁寧なのはいつもの事だが‥‥なんか、寂しい。
「うーん‥‥おいらが初めて会った頃のボールスさんに、ちょっと似てるかなぁ」
 その様子を見てデメトリオスが呟いた。
 礼儀正しく、誰とでも気さくに話をする様に見えて、実は他人に対して壁を作っている‥‥最初の頃はそんな感じだった。
「あの時はまだ、亡くなった奥さんの事が忘れられないって言うか‥‥心の整理が付いてないって言うか」
 という事は、そこまでの記憶は戻っているのだろうか? もしそうなら、何も問題はなさそうだが。
「でも、流石にいきなりそんな事は聞けないよね‥‥もし違ってたら拙そうだし」
 もう少し様子を見る事にしよう。これから思い出の場所を巡るなら、その時の様子を見て判断も出来るだろうから。
「でも、その前に‥‥」
 木剣と木刀を手に、蒼汰が声をかける。
「ボールス卿、一度手合わせしてみません?」
「そうですわね。後ほど私もお願い出来ればと」
 サクラも前回剣の手ほどきをした手前、どれほど回復したのかを確認しておきたかった。
「‥‥お二人一緒にでも構いませんよ」
 余裕の表情でボールスが答える。
「以前はよく、三人で一緒に訓練していましたから」
「‥‥三人って‥‥」
 もしかして。
「あの、ボールス卿。その‥‥後の二人の事、覚えてます?」
 蒼汰の問いに、ボールスは暫く考え‥‥
「ああ‥‥そうだ。ロラン‥‥」
「思い出したんですか!?」
 ふとした拍子に蘇った記憶に、ボールスた戸惑いながらも頷く。
「でも‥‥あと一人は、誰だったか‥‥」
 あと一人‥‥それは亡き妻フェリスだった筈。
「やっぱり、思い出せないのか‥‥」
 蒼汰は呟き、手にした木刀を握り締める。
「とにかく、今は頭ン中空っぽにして‥‥そうすれば少しはスッキリして、また新しく何か思い出せるかもしれませんから、ね?」
 こんな状態の時でもなければ、自分の実力からしてまともに撃ち合いなど出来そうもない‥‥と、蒼汰は考えたのだが。
「なんか、いつより強そうに見えるのは‥‥気のせい、だよ、な?」
 だが、残念ながらそれは気のせいではなかった。
「メルドンの事や未だに戻らぬ記憶ゆえの不安‥‥それが迷いとなって出るかも、と思ったのですが」
 サクラの思惑も外れた様だ。
 ボールスの剣は迷いも躊躇も‥‥そして容赦もなかった。二人がかりでさえ、全く歯が立たない。
 蒼汰の木刀は一撃さえ加えられずに弾き飛ばされ、何度拾い直し、斬りかかろうとしても、攻撃の動作に移る前から動きを読まれている様な、そんな気さえした。
「これでまだ足りないって‥‥どこまで行く気だよ!?」
 それに、普段なら相手の実力を見て適度に手心を加え、攻略のヒントを与えるなど、相手にとっても実のある訓練となる様に配慮してくれるものを。
「‥‥やはり、それだけ余裕がない、という事でしょうか‥‥」
 強くはあるが、脆く危うい力。やはり、このままにはしておけない。
「ボールス様」
 撃ち合い、と言うか一方的に叩きのめされた手合わせを終え、サクラが声をかけた。
「想いは表裏一体‥‥。思いだせないという事はそれだけ貴方がその方の事を大事に想っていたという事ですわ」
「その‥‥方?」
「ええ。もう一人の方‥‥」
 言ってしまって、良いものだろうか。サクラは蒼汰と目を合わせる。
「‥‥一応、多少の予備知識は言っておく方が良いかな‥‥」
 フェリス‥‥いや、フェリシアと、その弟ジャスティンの事。
 だが、かいつまんで説明した蒼汰に、ボールスは不思議そうに聞き返した。
「私の‥‥妻? 私は誰とも結婚した覚えはないのですが‥‥この先も、誰とも」
「ああ、それはこれから少しずつ思い出して貰えれば‥‥って、ボールス卿、今何て!?」
 蒼汰の声が、思わずひっくり返る。
「これからもって‥‥」
 彼女の事も、まだ思い出していないのだろうか?
 蒼汰はちらりと背後を振り返る。そこでは、クリステル・シャルダン(eb3862)が少し心配そうな様子で成り行きを見守っていた。
 だが、ボールスはそれには答えず、視線を逸らした。
「‥‥私は‥‥疫病神、ですから」
「ちょ、誰がそんな事を!?」
「‥‥わかりません。ただ、その思いだけが蘇って‥‥」
 ボールスはまるでそこに何か大きな凝りでもあるかの様に、鳩尾の辺りをぎゅっと押さえつけた。
 彼の頭の中で、何か妙な現象が起きているらしい。記憶よりも、それに伴う感情の方が先に戻って来たのか‥‥。
「ボールス様も私も神ならぬ身。セーラ様でさえもままならぬ事はございます。何もかもを抱え込まれませぬよう‥‥きちんと思い出す事さえ出来れば、きっと全てが上手く行きますわ」
「しかし‥‥」
「私は実はもうそんなに心配はしてないんです」
 サクラはくすりと笑った。
「ボールス様は過去に負けてしまう程弱い方ではありませんもの‥‥過去に負けない現在がここにあるのですから‥‥後は時間だけです」
 だがボールスはサクラに、そして、そこに居る全員に背を向けた。関わり合いになるなと、そう言うかの様に。


 数刻後、三頭のペガサスが秋空を飛んでいた。
 スノウに乗ったクリスと、その前後を守る様に蒼汰の御雷丸と、シャロンのエーリアル。
「陸路で来られる方々の事も心配ではありますが‥‥」
 と、シャロンが慣れない高度とスピードに戸惑いつつ、クリスのやや後ろを飛ぶ。そうしながら、何か不審な影はないかと目を光らせていた。
「七神さん達の話では、ミミクリーで変身できる相手もいるとか‥‥デビルも姿を消して飛ぶ事が出来る様ですし‥‥」
 地上組は、ボールスがあの調子なら心配は要らないだろう。
「‥‥確かに、武力の面じゃ心配は要らないんだろうけど‥‥なあ」
 蒼汰がボヤく。今回はボールスの傍を離れない予定だったのだが‥‥その本人に、自分よりもこちらをと頼まれれば仕方がない。
「いつもみたいに一緒に乗って来れば、こっちもいっぺんにガード出来るってのに」
 何故か今回、ボールスはクリスを避けている様に見える。やはりあの「疫病神」という思いが引っかかっているのだろうか。
「そうじゃないってのに‥‥」
 それをわからせる為にも、一刻も早く正しい記憶を取り戻して貰わなければ。
 やがて目的地‥‥クラウボローの領主館に辿り着いた三人はペガサスを下り‥‥
「俺達は、入らない方が良い、かな」
 門前で蒼汰が言った。
「あいつに墓参りを許されたのはクリステル殿だけだったし‥‥オーラセンサーで監視は続けるから、何かあったらすぐに対応は出来る筈だ」
「はい、ありがとうございます。では‥‥お二人共、少しだけ待っていて下さいね」
 そう言うと、クリスは鍵もかけずに放置された門を潜り‥‥フェリスの墓の前に立った。
 手入れをされた気配はない。墓石は埃を被り、周囲には雑草が伸び放題。勿論、花など供えてある筈もなかった。
「ジャスティンさん‥‥本当にお姉さんの事が嫌いになってしまったのでしょうか‥‥?」
 確か、彼は以前「姉の事などもうどうでもいい」と言っていた。ならばボールスの事も、もう構わないでくれれば良いのに。
 そんな事を考えながら、クリスは丁寧に墓の汚れを拭き、薔薇の花束を供える。
「‥‥この、十字架‥‥少しだけお借りしても良いでしょうか? 今、ボールス様にはきっと‥‥これが必要だと思うのです」
 勿論、返事はない。
「‥‥お借りします、ね」
 そっと墓から外したそれを、クリスは大切そうに両手で包み込んだ。

 一方、地上を行く者達はマロース・フィリオネル(ec3138)を先頭に、周囲を警戒しながら馬を進め、或いは魔法のブーツで先を急いでいた。
 マロースは当初、ペガサスで先行するクリス達の護衛に就くつもりだった様だが‥‥流石に地上からでは護衛にならない。それに戦力的にも先行の三人はバランスが取れていた。
「マロースさんには、こちらの護衛に回って頂いて良いでしょうか?」
 ボールスの要請ならば、仕方がない。
 マロースは時折デティクトアンデッドを唱え、デビルやアンデッドの影に注意を払いながら馬を進めた。
 その後ろでは‥‥
「‥‥私はフェリシアさん絡みの件には深く立ち入った事がありませんので、思い出の場所巡りとは言ってみても‥‥」
 愛犬のラビに周囲を警戒させつつ、ボールスと馬を並べて進むマイが言った。
「‥‥私の記憶にあるのはタンブリッジの一部やロランさんの件で訪れた町辺りまでで‥‥そう言えば、ロランさんの事については、どの程度まで覚えているのでしょうか?」
 故郷を追われた際にはぐれた後、再会を果たし‥‥現在は行方不明である事まではわかっている様だ。だが、その行方不明となった原因については‥‥?
「‥‥それが‥‥」
 良くわからない、らしい。
「順番通りに思い出してる訳でもないのかな?」
「‥‥そう、ですね。思い出す、と言うよりは‥‥」
 デメトリオスの問いに、ボールスは首を傾げた。
「気が付いたら戻っていた‥‥そんな、感じです。自分でも何を忘れていたのか‥‥何を思い出したのか、それが良くわからなくて」
「じゃあ‥‥これは覚えてるかな? ほら、おいらと初めて会った時の事」
 ‥‥気になる異性ならまだしも、同性との馴れ初めなど普通は覚えていない様な気もするが。
「ボールスさんが初めてギルドに依頼を出した時だよ。デビルが猫に化けたやつ」
「ああ‥‥」
 どうやら、その記憶は戻っている様だ。
「あの時、猫に化けたデビルを倒すのを躊躇って‥‥それで、おいら達に仕事が回って来たんだよね。あの飼い主だった男の子、今頃どうしているのかな」
「‥‥後で、代わりの子猫を届けて貰いましたが‥‥」
 そんな事で許される筈もない。彼はきっと、今でも自分を憎んでいるのだろう。憎まれる事は構わないが‥‥
「やはり、私は‥‥誰かを不幸にする事しか、出来ないのかもしれません」
「‥‥え? いや、おいらそんなつもりで‥‥」
 デメトリオスは慌てて話題をすり替えようとした。
「ええと、そうだ‥‥エル君! エル君の事は? ちゃんと思い出せた? ボールスさん、とても可愛がってたよね?」
「ええ、とても良く懐いてくれて‥‥」
「懐くのは当たり前だよ、だってお父さんだもん」
 だが、ボールスは首を振った。
「あの子の父親は、ロランですよ?」
 一瞬、場の空気が凍り付いた。
「私はロランが戻って来るまで、父親代わりに預かっているだけですから」
「‥‥ボールスさん!?」
 その認識は、間違っていない。間違ってはいないのだが‥‥
「‥‥それは‥‥エルさんの前では言わない方が良いかと」
 マイの言葉に、ボールスは勿論だと頷いた。
「まだ、言うつもりはありませんよ。もう少し大きくなって‥‥きちんと理解出来る様になる迄は」
 その言葉も、普段からボールスが言っていた事と全く同じだった。だが‥‥
「やっぱり、きちんと思い出して貰わなきゃ‥‥」
 報告書や伝聞でしか知らない筈のリースにも、今の状態が非常に拙いものである事は理解出来た。忘れたい程辛い事をわざわざ思い出させるのは、かなり気が重いが、それでも。
「‥‥ボールス卿、頑張って取り戻しましょう?」
 ボールス自身と、大切な人達の為に。
「辛い事ばかりじゃなかった筈です。楽しい事も、きっと‥‥」
 語れるだけの言葉はない。ただ励ます事しか出来ないけれど。だが、それで少しでも辛さを軽くする事が出来るなら‥‥。
(「故郷と愛するものを失う、であるか。余と近いものがあるのだな‥‥」)
 その様子を見ながら、ヴラドは自身の置かれた境遇に思いを馳せていた。
(「しかして、余がこうして底辺から教皇庁で這い上がったのも、そのような逆境をバネにしてこそなのだ。恐らく、ボールスどのの強さも、過去をいかに昇華させるかにかかっているのであろう」)
 それは、本人に任せるしかない。後はボールスの心の強さ次第だろう。
「‥‥大丈夫ですわ」
 そんなヴラドの心中を察したかの様に、サクラが言った。
「ですから‥‥それまで波風を立てようとする者から護る事が私の‥‥私達の役目です」
 混乱に乗じて、間違った記憶を植え付けられる事のない様に。


「かーさまー!」
 暫く後‥‥タンブリッジウェルズの城で合流した仲間達の姿を目ざとく見付け、エルが転がる様に走って来た。
「‥‥やっぱり、最初はかーさまか」
 蒼汰が苦笑いを浮かべ、傍らのボールスを見る。
 先程仲間達に聞いた、エルに関する記憶がおかしくなっているという話は蒼汰にとってもショックだったが‥‥
「とりあえずは何も覚えていないよりはマシ、だと思うしかないよな」
 これなら自分が考えた台詞は言う必要もなさそうだ。もっとも‥‥考えてみたら、ボールスに演技力を期待するのは間違っていたかもしれない。
「棒読みがバレて、却って疑われるだけ、だったかも‥‥な」
 蒼汰の心配を余所に、ボールスはクリスに手を引かれてやって来たエルを軽々と抱き上げ‥‥
「いつもと変わらない、か」
 エルも特に違和感を感じている様子はなさそうだった。
 寧ろ違和感があるのはエル本人に関して、かもしれない。蒼汰はこの間会ったばかりだが、クリスは暫く会っていなかった筈だ。
「こんなに重くなっているとは、思いませんでしたわ‥‥」
 本当は、エルを抱き上げてボールスの所まで連れていくつもりだったのだが。
「もう、赤ちゃん扱いは出来ないわね」
「える、あかちゃんじゃないよ! おにーちゃんだもん!」
 子供の成長は、本当に早い。
「そうね。じゃあ‥‥エルにもお手伝いして貰おうかしら」
 嫌な思い出に直結するであろうクラウボローへ向かう前に、薔薇園でお茶を。
「はーい!」
 元気なお返事を返すと、エルはボールスの腕から抜け出し、クリスの手を引いて厨房へと走って行った。
「記憶に関わるものには少しずつ触れていくのが良いでしょうね」
 ヒルケが言った。でないと、刺激が強すぎるかもしれないから‥‥。

「私はフェリシア様とお会いした事がありませんから、ボールス様からお聞きしたフェリシア様の思い出を伝える事しかできませんけれど‥‥」
 以前お土産に貰ったローズティーを淹れながら、クリスが穏やかに話しかける。
「この庭の事は覚えていますか?」
 秋薔薇が咲き乱れるその庭は、ボールスが受け継いだ時には無残に荒れ果てていたのだと聞いた。そして、それを蘇らせたのはフェリスだと。
「‥‥名前‥‥」
「‥‥え?」
「あなたに、名前を付けて欲しいと頼んだのは‥‥覚えています」
「‥‥あ」
「それに、子守歌‥‥とか。すみません、調子に乗って面倒な頼み事ばかり‥‥あれはもう、忘れていいですから」
 その言葉に、クリスは思い切り首を振った。
「ごめんなさい、なかなか良いものが思いつかなくて‥‥でも、あの‥‥忘れたりは、しません」
「でも‥‥ボールス卿。覚えているなら、どうしてそんなに他人行儀なんです?」
 二人の距離感を不思議に思いながら、リースが尋ねた。
 そこまで思い出したなら、自分達がどんな関係かもわかっている筈だ。なのに‥‥付き合いが長いとは言えない彼でさえ違和感を感じるほど、今の二人には距離がある。
 だが、ボールスはそれには答えず‥‥ただ黙って、色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭を見つめていた。


「律丸、怪しい人や動物がボールス様に近付いたら、吠えて知らせてね? ただし、危ないから近付かないで‥‥吠えるだけで良いから」
 領主館の門前。ヒルケに言われ、大きな犬はゆったりと尻尾を振った。
 マイもまた愛犬に警戒を命じ、他の仲間達も少し離れた場所から四方八方に目を光らせる。
「あの‥‥どう、でしょうか?」
 そんな中、クリスはボールスに先程の十字架を手渡した。
「安らかな眠りを守ってくれる様にと、お墓にかけてあった形見の品です。勿論、貸して頂ける様にフェリシア様にきちんとお願いして来ましたわ」
 だが、ボールスの反応は余り芳しくなかった。
「見覚えは‥‥ある、様な気はします。でも‥‥」
 ――ズキン。
 頭に小さな痛みが走った。だが、それを表には出さず‥‥
「すみません、折角ですが‥‥戻して来て頂けませんか? これは‥‥私が持っていては、いけない物ですから‥‥」
 何故そう思うのか‥‥理由はわからない。だが、自分にはそれを持っている資格がないと、ボールスは感じていた。
 それを受け取ったクリスが門の中へ姿を消した途端‥‥
「‥‥う‥‥っ」
 ボールスは膝を付いた。
「ボールス卿!?」
 仲間達が慌てて駆け寄る。が、同時に蒼汰のオーラセンサーにも反応が‥‥
「くそ、こんな時に!」
 その声に、シャロンは弾かれた様に飛び出し、クリスの後を追った。
「ボールス卿は勿論、その大切な人にも手は出させません。下がりなさい!」
 墓の前に現れたのは、そこに眠る本人‥‥の、筈はない。
「ジャスティン、さん?」
 クリスの声に、シャロンは手にした弓に矢を番える。
「何をするつもりですか? 答えによっては‥‥」
「別に、何もしないさ」
 フェリスの姿をしたジャスティンが答える。
「僕はただ、話がしたいだけ。それに、用があるのはあんたじゃない」
 と、それは大きな鳥に姿を変え‥‥
 仲間達に守られた、ボールスの前に舞い降りた‥‥再びフェリスの姿となって。
「‥‥私を忘れる筈がないわよね‥‥ボールス?」
「てめえ、余計な事してんじゃねえ!」
 ボールスの視界を遮る様に、蒼汰が割って入った。
「フェリシア殿の事は俺達が絶対に思い出させる! てめえは引っ込んで‥‥ぐッ!」
 フェリスの腕がすっと上がり、そこから黒い光が蒼汰に向けて伸びる。
「蒼汰さん!」
「駄目です、ボールス卿はここを動かないで下さい」
 飛び出そうとしたボールスを制し、マロースが蒼汰に駆け寄った。結界を張り、リカバーをかける。
 ボールスの周囲には、既にサクラが結界を張っていた。
「お引き取り下さい。こちらも手荒な真似はしたくありませんので」
 言いつつ、ヒルケはスリングに石をセットし、構える。
「初めて会う相手に意見をされたくはないだろうし、そう簡単に踏み込める話じゃない。だけど‥‥踏み込むべきじゃないのは君も同じだ」
 石の中の蝶に反応はない。どうやらジャスティンの単独行動の様だ。それなら自分にも勝ち目はある‥‥リースは拳を握り締めた。
「どうしてもって言うなら、俺も黙ってはいないよ?」
「ああ、悪かったよ‥‥先に手を出したのは僕の方だからね。つい、出ちゃったんだ‥‥そいつにはちょっと、因縁があるからさ」
 そう言ったジャスティンの姿は、元の血色の悪い青年に戻っていた。
「それに‥‥もう僕が何か言う必要もないみたいだし」
「――ボールス様!?」
 墓場から戻ったクリスが慌てて駆け寄る。途端‥‥ボールスは糸が切れた様にその場に崩れ落ちた。
「ふん、案外ヤワだよね。でも‥‥思い出したなら、それで良いさ」
「‥‥ジャスティンさん‥‥」
 二人を背後に庇いながら、サクラが問う。
「貴方は何を手にしたいのです?」
「別に、何も。僕はそいつが苦しむ姿が見たいだけだよ」
 ジャスティンは倒れたボールスに視線を据えた。
「お前に、幸せな未来なんかない。そんなもの、僕が全部ぶち壊してやる!」
 そう言うと、ジャスティンは再び鳥に姿を変え‥‥
「待ちやがれ、こん畜生!」
 だが、そんな声に応えて素直に待つ様な相手なら苦労はしない。
「‥‥いい加減、捻くれてないで戻れよ‥‥」
 蒼汰はがっくりと項垂れる。もう、鳥の行方を目で追う気力もなかった。


「‥‥ご心配をおかけしました。でも、もう‥‥大丈夫です」
 翌日になって漸く目を覚ましたボールスは、寝室に顔を揃えた一同に向かって丁寧に頭を下げた。
「あの‥‥よろしければメンタルリカバーをおかけしましょうか?」
 効果があるかはわからないが、とマロース。
「いや‥‥大丈夫です。ただ、少し‥‥色々な事が一度に押し寄せて来たので‥‥」
 まだ、多少混乱しているらしい。それに顔色も良いとは言えなかった。
「全部‥‥戻ったの?」
 デメトリオスが尋ねた。
「全部‥‥ではないかもしれませんが、多分、肝心な所は」
「じゃあ、もう自分を責めたりする必要ないって、わかるよね? 事件も事故も、ボールスさんのせいじゃないんだからさ」
 だが、ボールスは首を振った。
「それでも‥‥私が疫病神である事に変わりはありません」
「どうしてそうなるのさ? ありえないよ‥‥おいらにだって考える頭はあるもん。何が正しいかは、ちゃんとわかるよ?」
「でも‥‥」
「奥様が亡くなったのは事故だと聞いています。ボールス様が責任を感じる事は‥‥」
 ヒルケが尋ねる。だが、それはもういいのだと、ボールスは答えた。
 ならば何が問題なのか‥‥?
「‥‥どうやら、私達は席を外した方が良さそうです」
 マイの言葉に、冒険者達は一人、二人と席を立つ。
「じゃあ、俺達は念の為に周囲の警戒を続けておくから‥‥ええと、ごゆっくり?」
 蒼汰が静かにドアを閉めた。
 残されたのは‥‥
「あなたも休んで下さい。ずっと付いていてくれたのでしょう?」
 寝不足のせいか、目を赤く腫らしたクリス。
「私は‥‥もう、大丈夫ですから」
「‥‥嘘です」
 小さく微笑むと、クリスはベッドに置かれたボールスの手に自分のそれを重ねる。
 だが、ボールスはそっと、その手を引っ込めた。
「私が‥‥悪いのです。あの時、フェリスの気持ちを受け入れなければ‥‥こんな事にはならなかった。私が断っていれば、フェリスはきっと、最初からロランと結ばれていたでしょう」
 そうすれば‥‥きっと今よりも、全てが上手く行っていた筈だ。
 そして、今度も。
「私があなたの事を忘れたままだったら‥‥あなたもいずれ、新しい出会いを見付けるでしょう。その方が、きっと‥‥」
 ――ぎゅっ。
 突然、クリスはボールスを抱き締めた‥‥持てる限りの力で。
「嫌です。例え冗談でも‥‥」
 冗談のつもりは、ないのだが。
 真面目すぎると言われるかもしれないが、ボールスは先に逝く者として、最愛の者達に少しでも明るい未来を遺したいと考えていた。
 だが、現実は厳しい。
 今のままでは、例え自分が円卓の騎士ではなかったとしても、これ以上先へは進めないだろう。
 進めないなら‥‥進めないままに歳月だけが過ぎて行くなら、傷が浅いうちに別れた方が良い。

 ‥‥しかし、そう思いながらも‥‥ボールスには自分の背に回された細い腕を振り払う事は、どうしても出来なかった。