●リプレイ本文
暗闇の中、すい、と小さな影が飛び去る。影は背中に生えた羽を羽ばたかせ、視界から消えていく。油断なく剣の柄に手をやったまま、フェール・クラウリットが壁ぎわに立っていた。
ベルシード・ハティスコール(ea2193)は、少し余り気味の服を風にさらわれながら、彼女が飛んでいった先をじっと見つめる。屋敷の見取り図は、ベルシードが調べた分と、リリィに聞いてきたグリュンヒルダ・ウィンダム(ea3677)の分とを合わせて、全員が把握していた。
ベルシードは、そっとフェールを振り返る。
年は自分よりずっと上だし、剣の腕だって冴えている。しかし、どうも放っておけない。ベルシードはいつでも前向きで、悩まない性格だ。
だけど‥‥。
どうして一人で抱えこんじゃうんだろう。
彼の様子を見つめながら、ベルシードはゆっくりと近づいていった。
「‥‥どうした」
「うん‥‥。何か僕、うまく言えないんだけど‥‥」
どう言おうかと思案し、ベルシードはようやく口を開いた。
「あんまりごちゃごちゃ考え込むの、得意じゃないんだ。だから‥‥少しだけ言わせてね。フェール‥‥悩んでいるみたいだから。そういう時は、自分の気持ちに正直になってみるのが一番だよ」
正直に。フェールは口を閉ざした。ベルシードはひょいと顔をのぞき込む。
深くフェールがため息をつくと、視線を落としたまま口を開いた。
「父が死んだのは三つの時だ。‥‥俺には、ほとんど記憶が無い。だから、俺はもし家庭を持つ事があっても、そんな悲しい思いをさせたくない」
フェールは、自分の持つ剣を見下ろしている。
「‥‥これは俺の最後の“砦”だ。狼の証は、これが最後。母は再婚して、俺には血の繋がらない父と弟が居るんだ。だから、ウルフマンである父よりも‥‥義理の父との記憶の方が強い」
本当の名前は、フェール・クラーク。ウルフマン、レイウッド・クラークの息子‥‥
闇の中から何かが近づくのを察し、先頭を歩いていたグリュンヒルダが手を横に差し出した。やや後ろに続くエグゼ・クエーサー(ea7191)も、足を止める。
視界の中に、小さな影は入り込んできた。
「‥‥あ、皆様準備は出来ましたか?」
「セルミィさん‥‥そちらはどうですか?」
ヒルダが聞くと、セルミィ・オーウェル(ea7866)は手をすうっと胸の前にやって頷いた。
「はい、フェール様とベルシード様が、隠し通路近くに潜伏しておられます」
シフールであるセルミィは、見つかりにくい事を理由して屋敷の周囲を一回りしていた。今のところ、何かが近づく気配は無い。
「あんまり無茶はするなよ、悪魔が来るかもしれないんだからな」
エグゼが言うと、セルミィは笑顔を返した。
「はい、エグゼ様もお気を付けて‥‥」
セルミィは軽く手を振ると、すう、と闇の中へと戻っていった。ヒルダ踵をかえし、エグゼと、一番後ろに立っていたエルリック・キスリング(ea2037)を見た。
「‥‥どうやら、謎の神父も手荒な連中も、隠し通路を利用していたようです。となると、一番危険なのはフェールさんとベルシードさん‥‥」
「彼らをフォローするには、私たちが出来るだけ派手に立ち回って中の者の気を引く事です。彼ら3名だけでは、悪魔相手に荷が重すぎるでしょう」
キスリングがヒルダに答える。オーラの使い手であるヒルダと、対悪魔用武器を仕入れてきた、というエグゼは対悪魔戦が起こったとしても戦える。
「もし悪魔が出てきた場合、私はリカバーでフォローにつとめます。‥‥時間が惜しい、参りましょう」
明かりの灯った屋敷へと、キスリングは足を速める。ドアに手を掛け乱暴に開け放つと、キスリングは声を上げた。
「リアンコート領主、捕縛に参った!」
キスリング、今日はやる気満々だな‥‥。エグゼはそう呟きながら、アックスを握る手に力を込めた。この武器は威力こそそれほど高くは無いが、悪魔やゴーストにもダメージを与える事が出来る。
奥の部屋から姿を現した男2人に、エグゼが視線を向ける。
「何もんだ、お前達。‥‥ここはリアンコートの屋敷だぞ」
「何言ってんだ、お前達こそ騎士様‥‥ってガラじゃないだろうが」
はっ、と笑うとエグゼはアックスを構えた。男は言葉を返さず、エグゼに斬りかかる。
一人はエグゼがアックスを振り込み、もう一人は、ナイフを構えたヒルダが攻撃を盾で受けつつ、ナイフを持った手を男に斬りつけた。
さらに、階段から一人‥‥。キスリングは、階段から駆け下りる男に下からレイピアを突いた。剣先がかろうじて脇をかすめる。男は素早い身のこなしで、ショートソードを振りかざして来る。
極力身を軽くして来たヒルダには勝らずとも、彼女の攻撃にしっかり反応している。
一方真っ先にアックスを渾身の力で斬りつけたエグゼは、その後そのダメージで思うように動けない相手の攻撃を避けつつ床に叩き伏せた。
息を吐きながら左手で顔を擦ると、エグゼの手の甲に血がついた。キスリングが、エグゼの顔を手を差し出す。ひりひりとした痛みが、すぐに和らいだ。
目を開くと、キスリングは一階の奥へと視線を向けた。
「どうやら、エルフェニアさん達は無事、裏手の階段から上がったようですね」
「まだ一階に残っていないか、見て回りましょう。‥‥後は、ベルシードさん達ですが‥‥」
ヒルダは、やや心配そうに二階の方を見上げる。
リリィに聞いた所によると、おそらく隠し通路へは領主の部屋から通じているのだろう、との話だ。
「とにかく、一階と周辺に隠れている者が居ないのを確認したら、私達も向かいましょう。二階に多くの手の者が居るかもしれませんから」
ヒルダはキスリングとエグゼに言うと、それぞれ確認の為に散った。
ばったりと男達が床に倒れ込む、その横を銀色の髪を翻し、剣をかざす影が駆け抜ける。エルフェニア・ヴァーンライト(ea3147)は遊士璃陰(ea4813)の術にかからなかった残り二名に接近。踏み込みつつレイピアを刺した。
一人が、エルフェニアに剣を横薙ぎに斬りつける。後ろから駆けつけた璃陰がそれを刀で弾くと、間に割り込んだ。
「‥‥あっちもこっちも敵だらけ‥‥どうなってんのや」
「遊士さん、急いでください!」
マリー・アマリリス(ea4526) が声をあげる。エルフェニアはギリギリの所を避けながら、剣を更に突きつけた。
倒れた男を見下ろし、すうとエルフェニアが視線を前に上げる。階下の戦いも、そろそろ片が付いたようだ。屋敷中がしいんと静まりかえっていた。
早足でエルフェニアが廊下を歩く。と、ぐいと後ろから璃陰が腕を引いた。隣のドアから、何かの影が飛び出す。
「まだ居たのですか‥‥」
呟き、剣を抜くエルフェニアの横に璃陰が立って刀を振る。一人の攻撃は避けたが、もう一人の突撃までは避けられなかった。
深々と突き刺さった剣を掴みつつ、璃陰の体が後ろに揺れる。
「代わりましょう」
エルフェニアは遊士を後ろに庇うと、レイピアで突いた。しかし相手は二人‥‥。じり、とエルフェニアが一歩下がる。
すると背後に何かの気配が立った。
マリーが璃陰を回復させたのか?
エルフェニアがちらりと視線をやると、エグゼとキスリングが立っていた。エグゼはアックスをたたきつけると、そのまま男を部屋の中へと押し戻す。
「早く行け、逃げたら終わりだぞ!」
「‥‥分かりました、お願いします」
エルフェニアが振り返ると、璃陰はマリーの手当を受け、歩き出していた。まだ刺された所を手で庇っているが、思ったよりはしっかりとした足取りだ。
「行こか、エルフェニア。はよ行かな、逃げてまう」
璃陰はエルフェニアを追い抜くと、奥の扉に視線を向けた。
風が吹いた。セルミィは、振り返ってその方向を見やる。しかし、そこには何も無い。気のせいだろうか‥‥。確かに今、誰かが通り過ぎた気がしたが。
庭に置いた、ベンチの下。それが隠し通路への入り口となっていた。狭い縦穴のはしごを登らなければ、穴からは出てこられない。穴の周囲にファイヤートラップを仕掛けたベルシード、彼女は穴の近くに潜んだまま、フェールと話している。
セルミィは、何となくフェールの事をみんなが気にしているようだったのを思い出し、もう少しフェール達をそのままにしておいてあげた方が‥‥。
ああ、また。セルミィの視線の先で、窓がきぃ、と音をたてて開いた。
姿も無いのに‥‥。
「‥‥フェール様、ベルシード様‥‥!」
セルミィの引きつったような声を聞き、ベルシードが顔をあげた。
この部屋で最後‥‥。ここにも、悪魔の気配は無い。
マリーは安堵の息を漏らすと、部屋を後にした。二階では、エグゼとキスリング達が調べ物をしている。階段を上がってゆくと、セルミィが部屋から出てきた。
「あ、マリー様」
「セルミィさん、夫人の様子はどうですか?」
「大丈夫です、フェール様や璃陰様も付いていらっしゃいますし。ヒルダ様は、シャンティイのお城に向かわれましたよ」
おそらく、騎士団を呼んでレイモンド卿にも知らせるのだろう。マリーは眉を寄せた。
「領主はお亡くなりになりましたけど、夫人は裁判にかけられると聞きました。‥‥悪魔崇拝が露呈し、屋敷に悪魔まで出てきたのですから‥‥」
むろん、悪魔であると確定したわけではない。しかし、おそらく間違いあるまい。
夫人は、ショック状態だった。無理もない、あんな事が目の前で起こっては‥‥。
突然現れた、影。
「どこから入って‥‥」
エグゼは、突然姿を現した影を見てアックスを握りしめる。痩せた青年だった。神父のような服装をしている。彼の手から黒い光が伸びた‥‥。
手を挙げようとしたエグゼの手を璃陰が掴んだのは、忍びの者としての勘‥‥もしくは、相手を見抜く目だったかもしれない。
「‥‥あかん、エグゼ。‥‥みんな、動いたらあかん」
小さな声で、静かな口調で璃陰が言う。
神父の前に、ばったりと男が倒れた。つい先ほど、エルフェニアが押さえ込もうとにじり寄っていた相手だ。彼は、もう動かなかった。堅くこわばったマリーの視線が、すう、と神父に向けられる。
璃陰の言葉が聞こえていたマリーは、神父に何も言わない。何もしようとしなかった。
「‥‥死臭アスターを起こしたのは、あんたやな‥‥」
璃陰の問いかけに、神父は視線を向け‥‥少しだけ、微笑した。
目的の人物の死。それを見届けると、すう、と姿をかきけした。
何かが‥‥窓から出ていく気配がした。
キスリングからの報告を、リリィはじっと真剣な表情で聞き入っていた。もうすっかり元気になって、教会の手伝いなどをしているという。
「ヒルダさんが、お礼を言っていました。屋敷の見取りを教えて頂いたおかげで、突入の際にとても役に立った、と」
「いいえ、そんな事かまいません。良かったです」
リリィは嬉しそうに笑顔を浮かべる。しかし、領主の死を聞いて表情を曇らせた。
「‥‥そうですか」
「屋敷の地下からは、翼の生えた獅子の紋章が書かれた絵を見つけました。そのほか、霧の森で見つけた麻薬。祭壇、そして悪魔をモチーフとした装飾品など、ですね」
フゥの樹という組織、その中に見え隠れする神父の事。キスリングの話を聞き、リリィは黙り込んだ。同じ屋敷の中に悪魔が出入りしていたのだ、終わった事とはいえ恐怖感はぬぐえない。
彼女が屋敷に戻れる日‥‥それは、まだまだ先の事かもしれない。
普段決して足を踏み入れる事のない、優雅で洗練されたその空間‥‥それは、リアンコートの屋敷より遙かに立派で豪華だった。何せ騎士団を常駐させているくらいだから、それだけの財力を持っているのだろうとは皆思っていたが、確かにこの周辺では一番大きい城だ。
窓辺に置いたベンチに腰掛けていたのは、透き通る程細くしなやかな銀色の髪の青年だった。金色の髪は腰の下まで伸び、肩でさらりと流れている。顔立ちは中性的で柔らかく、女性だと言われても違和感が無い。
ちら、と視線をこちらに向けると、微笑を浮かべた。
「ご苦労でしたね」
「いいえ‥‥ご命令とあらば、何処なりと向かいます」
フェールは、毅然とした様子で答えた。ここに呼ばれていない‥‥いや、居ないのはエグゼのみ。エグゼは城の厨房を使わせてもらっているはずだ。レイモンド卿は椅子から立ち上がると、フェールを促して歩き出した。
ヒルダが、レイモンドのやや後ろを歩きながら口を開く。
「レイモンド様、リアンコートの領主と夫人は捕らえて騎士団に預けてあります。‥‥しかし、屋敷で働いていた者はそのまま屋敷に残っています。彼らは、悪魔崇拝とは関係がなく、ただ領主に口止めされていただけだと思われます。だから、どうか温情を戴けないでしょうか」
「そうですね、それは裁判の結果によるでしょう。裁きに私が関与する訳にはいきません。‥‥そうなるよう、気持ちは伝えておきますが」
と、レイモンドはヒルダを振り返って笑った。
「それで、あの領地は今後どうなるのでしょうか」
「残念ながら、二人の息子を含めた彼らの血族と連絡が取れないのです。ですから、おそらくこのシャンティイの直轄地として預かる事になるでしょうね。‥‥むろん、そうなれば旧体勢の関係者は全て入れ替えさせてもらいますよ」
笑顔のまま、レイモンドが言った。廊下の向こうに、トレイを持った侍女を連れたエグゼの姿が見える。エグゼは皆の姿を見つけると、声をあげた。
「あ、来た来た。さあ、入った入った。今日は俺が腕に頼を掛けて、料理を作ったんだからな、全部食わないと帰さないからな!」
落ち着いてください、ここは城内ですよ、とエルフェニアがエグゼをたしなめる。だが、城内で上位階級の面前でのマナーなど、知っているのは騎士位にあるキスリングとエルフェニア、ヒルダだけなのであって。
「どうかそんなに堅苦しく考えないで、礼儀など気にしなくてかまいませんよ」
「本当ですか? ほらほら、フェールも早く行こうよ!」
レイモンドに言われてベルシードは、ようやく元の元気な様子を取り戻し、フェールを急かしてダイニングテーブルに駆け寄った。
エグゼの周囲を、セルミィが心配そうにうろうろと飛び回る。するとエグゼはそれに気づき、トレイを差し出した。
「心配ない、セルミィ用も用意したから」
「わあ、ありがとうございます。とっても美味しそうですね」
「今日はドンドン料理を出すからな、エグゼさんの特別料理をたっぷり味わっておきなさい!」
これは、まだ序曲だからな。
小さく言ったエグゼの声に気づいたか気づかなかったか、ふいとレイモンドがこちらを振り返った。
(担当:立川司郎)