●リプレイ本文
一人はただ口を閉ざしたまま。背の丈からするとやや短めの剣を腰にさし、背を向けて立っている。明るく赤い髪の奥の表情は、いつものように変化が無かった。
一人は緊張した面もちで、壁に背を預けてしゃがみ込んでいる。側には黒い犬がしっぽを丸めて眠っていた。ここ数ヶ月いつも彼がこの調子なのは、度々行動を共にする彼女にも分かっていた。
そして、二人の間に立って周囲を見まわしている女性が一人。淡い色のローブに身を包んだ彼女は、鞄を地に置いてそわそわと歩き回っていた。
ギルドの前の雑踏は相変わらずだが、その中にいくら目をこらしても、彼女たちが待っている者は来なかった。
「どうしましょうか‥‥エグゼさん」
彼女が座り込んでいる男に聞くと、彼、エグゼ・クエーサー(ea7191)は顔を上げた。
「ん? ‥‥そうだな。仕方ない、行こう」
エグゼがそう言うと、赤い髪の青年も荷物を抱え上げる。彼女はどうしたものか思案しながら、二人の顔を交互に見た。
「でも‥‥来るかもしれませんし。ベインさん」
歩き出すベイン
「几帳面なあいつが寝坊したなどとは思えん。この時間に来ないなら、いくら待っても無駄だ。前の依頼が立て込んだのだろう」
歩き出すベイン・ヴァル(ea1987)の背中に、マリー・アマリリス(ea4526)が声を掛ける。エグゼも荷物を持ったまま彼の後を少し歩き、後ろをふり返った。
マリーはまだ気になるのか、周りをしきりに見回していた。エグゼは歩いていくベインの背中を見て、マリーの名前を軽く呼ぶ。
雑踏に消えていくベインの後を、エグゼも付いて歩き始めた。
ようやくマリーは荷物を持ち、彼等の後を追いかけて駆けた。
そう‥‥彼らがシャンティイに来たのは、皆依頼での事だった。
たき火を囲んで、マリーが間を埋めるように語り出した。とにかくエグゼもベインも口数が少なく、マリーはそんな彼らの会話を埋めるように、出来るだけ柔らかな口調で話さなければならなかったからだ。
熱いお茶を入れたカップを両手で抱え、マリーはエグゼを上目使いにちらりと見た。
ぼんやりと彼は火を見ている。
「‥‥こうして三人で依頼に出るのって、初めてですね。お互いシャンティイには関わってきたのに」
「そうだね」
短く答え、エグゼがぱっと顔を上げた。
「‥‥マリーって、いつからシャンティイに関わってるんだ? 俺より随分詳しいよな」
「そんな事はありませんよ? アスターの事件からです」
エグゼが表情を変える。ベインも興味を持ったのか、こちらに軽く視線を向ける。
死臭アスター。それはシシリーにも関わる事件だからである。
シシリーは殺人鬼アスターの被害者の子であった。そこから、シシリーという恐るべき鬼が生まれる事となる。
アスターからは常に死臭がする為、死臭アスターと呼ばれていた。その解決に関わったのが、三〇年前のロイ(オリオン傭兵隊の隊長)とフェールの父、レイウッド。そしてクレリックの女性、ローゼだ。
「なんだか、私達‥‥今からアスターとの決戦に赴くロイさん達みたいですね」
と言ってからマリーは、不吉な、と呟いたベインに顔を赤くして謝った。
ベインは気にする様子も無く、たき火に薪をくべる。
「俺はクレイユだ。百年以上クレイユを苦しめてきた黒馬車ロンドと呼ばれる死霊を倒す為に、ここに来た」
クレイユで彼が会ったのは、メテオール騎士団長であるデジェルの息子、コールであった。コールは今も、領主たる彼の穴を埋めるべく忙しくしていた。
「‥‥俺が最後なんだな。俺は見ての通り料理人をしてるからさ‥‥ギルドの依頼もぽつりぽつりとしか受けて居なかった。そんな時に、フェールと霧の森に行った‥‥そういえばマリーも一緒だったよな」
彼の表情は、とても深く何かを思いかえし、考えている様子だった。マリーは黙って彼の様子を見つめる。
すると、エグゼが再び口を開いた。
「フェールの事とか‥‥セレスの事とか、色々気になる事はある。俺は器用じゃないから、柳雅の事と料理の事だけで手一杯なんだ。だからシシリーの事しか、今は手に負えない」
「はい。‥‥あの、私は私がしたいようにしているだけなんです。だから、エグゼさんは、なくしてはならないものを大切になさってください」
「そうだな。フェールの事は頼むよ‥‥マリー、君なら出来る」
真剣な表情でエグゼに言われ、マリーは恥ずかしそうに笑って小さく頷いた。
無くしてしまったら‥‥とてもその傷は癒えないから。マリーは、その言葉を飲み込んで黙っていた。
「無くした後で後悔しても、それはもう遅い。何にしても、な」
ベインがぽつりと言った。
お前の言う事は‥‥分かる。
エグゼは片膝を抱え込んだ。
シシリーの居ないアンジュコートに彼らが来たのは、その足取りを追うためであった。
先月シシリーと戦ったエグゼやベイン達は、シシリーの罠で再び壊滅状態に陥った。シシリーに手傷は負わせたものの、結局逃がしてしまった。
ベインとエグゼは、これで二度目だ。
「俺は‥‥あのネイって神官の知り合いに会いに行くよ。ほら、ネイを助けるように依頼して来た人」
ネイの家の近くまで来ると、エグゼがマリーとベインにそう断って来た。ベインとマリーは、まず先にこの村の伝承についてネイの所を訪ねようと思っていた。
エグゼは、やはりシシリーの事が気になるのか、ネイの友人を訪ねるといいだした。
むろん、駄目だしをする理由もない。じゃ、と手を挙げて行こうとしたエグゼに、ベインが思い出したように声をかけた。
ふり返ったエグゼに、ベインが妙な事を聞いた。
「お前、料理が得意なんだな」
「はあ? ‥‥まあ、俺はノルマン冒険者を代表する料理人だから」
きっぱりと言い切り、エグゼが胸を張った。
それとベインと、何の関わりが?
「ネイの所に行くのに、土産が必要でな。菓子でも作ってくれ」
作れと言いますか。エグゼは腕を腰に当てて、仁王立ちした。
「‥‥よろしい! ネイのキッチンが借りられたらな」
そして一時間後、フルーツとワインを使った簡単なデザートを作り、エグゼはネイに挨拶を残して出かけていった。
申し訳なさそうに、マリーが頬に手を当てて笑う。
「すみません、突然キッチンをお借りしたりして」
「いえ、いいんです」
ふるりと類が首を横に振る。マリーは、ネイにその後の村の様子を聞いていた。
村はシシリーが去ってから、再びのどかな村の風景を取り戻していた。あんな事があったというのに、アンジュコートの人達は元のような穏やかな生活を送っている。
少なくとも、シシリーが去った後のクレルモンはこうではなかった。
この村は、どこかおかしい。
「見ての通り、今回は様子を見に来ただけなんです。私たち、みんなここの事は気にしていたものですから‥‥」
ネイはマリーの話を、うなずきながら聞き入っていた。この村では、様々な人が殺された。ネイの親族とて、その一人だ。
少し悲しそうなネイの様子を、マリーは気遣いながら話している。お茶飲みてがらに来た、という雰囲気でとベインにも頼まれている。
「ベインさんは、クレイユの事件を解決されたんですよ。ご存じですか?」
ベインの手順を、マリーがきちんと沿って話してくれているようだ。
「クレイユというと、死霊が出ると噂があった‥‥」
さすがにネイも、クレイユのことは知っていたようだ。
ベインはネイに、簡単に事件の事を話してきかせた。
「‥‥結局同じではないか? 僧侶の遺骸から生まれたといわれる使徒の話も、ロンドが生まれた事も、シシリーの事も」
「どういう事ですか?」
ネイが聞き返す。
「ロンドは、食人の犠牲者だった。しかし被害者だとばかり思っていた彼女は、その心のどこかで傷つけられる事に快楽を覚え、いつしかそれを望むようになっていた」
ネイは青ざめた顔で、俯いている。
だが、否定はしなかった。
マリーは彼女やベインの話を聞くうち、うっすらと何かが見えた気がしていた。伝承の真実が、である。
「‥‥あなた達は、どうしてそこまでしなければならないのですか?」
マリーはじっとネイの目を見つめる。
彼女の表情や今までの話。それはベインの言葉が全て語っていた。
彼らはシシリーに従い、恐らく食人を行っているであろうと。
村人にのみ=食人をしなければ話せない伝承とは、すなわちそれが隠されているからだろう。
「俺達は、お前の要求はのめない。‥‥お前の要求は、その意義を理解せずに引き受けていいものとは違うはずだ、マリーは白派の神官で、エグゼには料理人としての誇りがある。だが、俺たちはシシリーを追わねばならない」
「‥‥そうでしょうね」
ネイはうっすらと笑みを浮かべた。
「何か心当たりは無いのか、シシリーが行く先に。伝承が残っている土地、または僧侶の血族の行方など、何でもいい」
ベインがテーブルに置いた手に力を込めた。
エグゼは、一足先にシャンティイに戻って行ったようだ。
マリーはもう一度アンジュコートをふり返り、目に焼き付けるように熱い視線を向けていた。
黙って彼女を待つベインに、しばらくしてマリーがようやくふり返って駆け寄る。
マリーはちらりと彼の様子を見上げると、うつむき加減で口を開いた。
「ベインさん‥‥ねえ、気づいてますか?」
「何がだ」
「‥‥彼女たちや、今までの伝承についてです」
ぴたりとベインは足を止め、彼女の方に向いた。
「ずれているんですよ、全部」
その考え方自体が。
すなわち、その言葉の意味が全て少しずつ、自分たちの認識とずれていると言うのだ。
「白派とも黒派とも‥‥ベインさんやエグゼさんの常識とも、違うんです。ロンドや、シシリー達‥‥全部ずれているんですよ」
「彼らが神とあがめられているという事か?」
「崇められている、という考えも少し違うと思います。だから‥‥使徒というのが、聖なる神とは限らないのではないでしょうか」
シシリーの事をケムダーと言っていた。それは、明らかに伝承のヴォラスを差していた。
ベインの考えが正しければ、ヴォラスはシシリーのように食人を行い、アンジュコートに恐怖を植え付けた人物だ。カシェ写本の更に二次写本というものがあるのは、その事実を隠蔽する為だろう。
「使徒が死者の肉体から生まれる事なんて、無い。おとぎ話だって‥‥みんな言ってましたよね。それが何かを差した言葉なら‥‥」
私、考えるんです。死者の肉体から生まれたもの。
それがもし、食人を差すのであれば‥‥生まれてきたのは、“何”だったのか?
一方エグゼは、一足先にシャンティイに戻っていた。
各地で戦争が起こっているシャンティイ城下は、現在厳戒態勢にある。レイモンドは、いつもにまして顔色が白かった。
「‥‥ネイの事を依頼して来た青年に会ったんです。どうしても、シシリーの事について聞きたかったもんですから」
エグゼは、彼らがシシリーをどう思っているのか、恐れていたのか、特別な存在と思っていたのか知りたかった。彼らの心理が理解出来なかった。
「彼は‥‥シシリーは特別な存在であり、恐ろしくもあり、そして心の何処かでそれを望んでいるのだ、と言っていました。‥‥俺には、どういう事かわからない」
「そうですか‥‥ご苦労でしたね」
レイモンドは、物静かな仕草でエグゼを見上げ、ねぎらった。
ふ、と笑顔を取り戻すエグゼ。
「でも、シシリーについて分かった事もあります。街道を、血まみれで歩いている男を目撃した者がありました。北上していたとの事ですから、おそらくクレルモンに戻るつもりなのでしょう」
「クレルモンには、現在イングリートが居ます。フゥの樹の戦力がクレルモンに集中しつつありますから」
クレルモン‥‥。エグゼは口を閉ざした。
そこは、シシリーと戦った場所だ。
「そういえば‥‥ラスカさん。あの悪魔化について聞きたいんだ。報告書とかで、悪魔の力を手に入れた者が居るとは聞いた事がある。でも、ひとが悪魔化するなんて‥‥本当にあるんですか」
「‥‥はい。私たちの祖先もそうでしたから」
ラスカはさらりと、エグゼに答えた。あんまりあっさり答えたので、エグゼが驚いて黙っている。
自分達の祖先‥‥ラスカの家系は使徒の末裔で、カーティスを裏切って悪魔に下り、悪魔化したと伝えられている。ガスパーが会談で彼女をユダと言っていたのは、そのせいであった。
「具体的にどうすれば悪魔化するのか、契約がどのように行われているのか、はっきりした事は分かっていません。ただ、祖先であるルワヨームは、完全に悪魔化しては居なかったのか、後々私たち子孫に様々な話を語り残しています。ルワヨームが残した話によれば、悪魔との契約は何段階かに分けて行われ、その段階の途中で悪魔の力を受け継ぐ事が出来るそうです。その際に何を求められるのかは分かりませんが‥‥魂や生け贄と考えるべきでしょう」
じゃあ、アンジュコートは悪魔契約の為に利用されたって事か‥‥。
エグゼは、拳を強く握りしめ、俯いた。俯いたエグゼの顔は、少し自嘲気味に笑っていた。
「俺‥‥シシリーは快楽殺人鬼だと思っていたし、実際そうだと思う。だから、シシリーが人を殺す事に何かの意味があるか、なんて‥‥考えた事もなかった。だって‥‥束になってかかっても倒せない相手と戦うのに、そんな余裕なんて持てなかった!」
すると、黙っていたレイモンドが、エグゼに語りかけた。
「シシリーは自分の不利な状況では、絶対に襲って来ません。自分が有利に戦う為の戦況を、巧妙に作り上げています。悪魔と戦うには、巧妙な罠が必要‥‥それは、私がフェールを囮に使った事でも‥‥よく分かったと思いますよ?」
レイモンドの言葉に、すう、とエグゼが顔を上げた。
「‥‥勝てるんでしょうか。卿、俺達はもう二度も負けている。前の時は、ベストメンバーだと思っていた。でもいくら強い奴を集めていても‥‥あいつの策に乗ってしまったら最後、あっという間に皆殺しにされちまう」
「おや、もう負けを宣言するんですか? ‥‥セレスティンは、まだ12才なのに悪魔に支配された城内に立てこもっていますよ」
「セレスは‥‥!」
何かを言い返しかけて、エグゼははっと表情を変えた。
記憶の中から、彼女の言葉が返ってくる。あの時‥‥最初にシシリーに負けた時の、あのセレスの言葉が。
「‥‥卿。俺は、あなたのようにフェールや仲間を犠牲にしてシシリーをおびき出す事は、出来ません」
エグゼは強い意志を含めた瞳で、じっとレイモンドを見返した。
「だけど‥‥シシリーを倒すには、力だけじゃダメだと分かった。あいつは悪魔だ‥‥だから、巧妙な罠と餌と準備が必要なんだと」
それは強い、意志の言葉だった。
(担当:立川司郎)