聖母が威光を地に広めよ〜月夜に舞う魔物

■シリーズシナリオ


担当:龍河流

対応レベル:7〜13lv

難易度:やや難

成功報酬:9 G 12 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:11月09日〜11月24日

リプレイ公開日:2005年11月19日

●オープニング

 開港祭の喧騒もすっかり消えた頃合の昼過ぎに、ブレダの領主からの依頼がもたらされた。
 近郊と言うには遠いが、このままいけば近い将来に自分達と軋轢をもたらすだろうバンパイアの退治と、それを信奉する村人の移住に関わるものだ。
 冒険者に依頼されるのは、バンパイア退治、それから村人をブレダ近郊まで移動させる際の協力だ。バンパイア退治の間の村の包囲と、移住のための説得、護衛の基本はブレダの派遣する人々が行う。移動手段の大半は、馬車に頼ることになるだろう。
「馬車や食料の準備は済んでますか? あと、バンパイア相手なので、そちらの対策は?」
「浄化魔法の使える方に、万一の際の対応は引き受けていただきました。ドレスタットの方ですから、この近くまでは凍らせて運ぶことになる予定です。こちらの魔法はブレダで使える者が複数いますので、手遅れとはならないと思います」
 カウンターから上にはやっと頭が覗くといった様子のブレダの助祭アンリエットが、報酬の相場として示された金額を確認して、重そうに抱えていた袋を台上に乗せた。見た目も大きな袋に入っているのは、全部が金貨だ。冒険者に支払われるときには人数で均等割りだから銀貨、銅貨も混じるが、どちらせよ大金には違いない。
 相手が相手だし、大きな仕事ですよねと袋を受け取った係員が口にすると、アンリエットはそこだけ大きな目を上に向けた。彼女の身長では、大人はたいてい見上げる対象だ。
「こんなに大金が動く依頼は、やはり少ないですか?」
「たいていご領主と呼ばれる方がもっぱらですよ。商人だってなかなかに動かせる金額ではないですから。でも一人召し抱えるよりは安いし、必要なときだけ使えますから、依頼は少なくはありませんね」
 これまでに関係する仕事を請けた者優先で斡旋しますからと言われたアンリエットは、なにやら思案顔だったが、言葉を足すことはなくブレダに戻っていった。

 バンパイアにまつわる依頼は、おそらくこれが最後である。

●今回の参加者

 ea2601 ツヴァイン・シュプリメン(54歳・♂・ウィザード・人間・フランク王国)
 ea4136 シャルロッテ・フォン・クルス(22歳・♀・神聖騎士・エルフ・ノルマン王国)
 ea4335 マリオーネ・カォ(29歳・♂・ジプシー・シフール・ノルマン王国)
 ea5753 イワノフ・クリームリン(38歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)
 ea6505 ブノワ・ブーランジェ(41歳・♂・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea6942 イサ・パースロー(30歳・♂・クレリック・エルフ・ロシア王国)
 ea7171 源真 結夏(34歳・♀・神聖騎士・人間・ジャパン)
 ea7256 ヘラクレイオス・ニケフォロス(40歳・♂・ナイト・ドワーフ・ビザンチン帝国)

●サポート参加者

アルンチムグ・トゥムルバータル(ea6999)/ アニエス・グラン・クリュ(eb2949)/ セレスト・グラン・クリュ(eb3537

●リプレイ本文

 満月を過ぎれば、バンパイアに村人が一人捧げられるはず。それより前に件の村まで着かねばと、冒険者一行がブレダの街に急ぎ到着したときには、すでにブレダ側の兵力は街を後にしていた。大人数なので先発して、途中で待っているのだ。
「到着前に守りを固められるのは御免だが、怪しいところだな」
 皮肉交じりに呟いたツヴァイン・シュプリメン(ea2601)も先を急ぐことに文句は言わなかったが、村までの道行き半ばのところで合流した一団にはまたなにやら言いたくなったらしい。言わずに済ませたのは、ヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)が半ば感嘆半ば呆れの声を上げたからだ。
「故郷で何度か戦には出たが、こうまで魔法使いの多い軍は初めてじゃのう」
「あたし、こんなに武装してない人ばっかりの軍勢は初めて見たわ」
 源真結夏(ea7171)もしばし呆れたが、今回人数不足を埋めてくれたイワノフ・クリームリン(ea5753)に魔法使い達の装束の色を説明している。魔法発動の際に発する光と同じ色を着ているので、イワノフにもすぐに飲み込めたことだろう。
 この間に、マリオーネ・カォ(ea4335)は皆に積んでもらっていた荷物を、馬車に載せてくれるよう頼みに行っている。今回愛犬と愛猫はブレダで留守番なのだ。
 そして、ツヴァインと一緒にブレダ側に互いの状況確認に向かったイサ・パースロー(ea6942)とブノワ・ブーランジェ(ea6505)は同職者六人と顔を合わせていた。うち二人はヴィルヘルムとアンリエットなので、彼らに引き合わせてもらう形だ。
「戻れば負傷者の手当ては最優先しますが、すぐはお役に立たないかも」
「ソルフの実が残っていれば、使って対応しましょう」
 村人を移送する手段の確認をして、それ以前に諍いになって負傷者が出ていた場合のことも打ち合わせていた彼らだが、ヴィルヘルムが『死なない程度の怪我なら一日置いておけ』と言うのに眉を寄せた。たまたま聞いていたツヴァインが、出発から初めて満足そうに笑って口を挟む。
「それは立派に戦争だな」
「バンパイア討伐だろ。あんたらがちゃっちゃと仕事してくれれば、万事うまく行くぜ」
 後にこれを聞いたイワノフは、なんとも言い難い顔になった。
「すぐに移動したいのだから、怪我人はいないに越したことはないだろうに」
「絶対味方の怪我人は魔力が回復するまでほっとくわよ。ソルフの実が高いからって」
 神父のくせに妙にぶっちゃけ過ぎた男だからと、やはり結夏が解説している。イワノフの肩に止まっていたマリオーネが笑ったのは、彼女が言った通りのことをヴィルヘルムが口にしたのを聞いていたからだ。
 帰りの酒が祝杯になるよう気張らねばと、ヘラクレイオスは皆の意見を代弁している。
 確かに、ここまできたら、やるしかあるまい。

 バンパイアがいると思しき場所は、崖に掘られた祠だった。奥行きは未確認だが、入口から中を覗いただけでも、かなり深いだろう事はうかがい知れる。実際に現場を確認したことのあるツヴァインなどが言うのだから、間違いはないだろう。
 そちらに向かうのが冒険者七名、村の包囲がブレダからの百六十名あまり。冒険者側があまりに少ないのではないかと、ブレダの魔法使いの何人かが口にはしたが、ツヴァインとマリオーネが『いきなり一緒にやるのは』と難を示したので、やはり冒険者だけだ。
 この時、ものをはっきり言うツヴァインはともかく、マリオーネがそれに賛同したのを珍しいとブノワが驚いたのだが、その返事は。
「だってさぁ、いつも三人以上一組で動いてるんだって。洞窟の中でそれは難しいだろ?」
 一人であれこれこなす冒険者のウィザードとは違い、常に複数が纏まって動く前提で訓練されているブレダのウィザード達と協調するのは、確かになかなか難しいだろう。ツヴァインは最初から自分と合わないと断言して、先方も頷かざるを得なかったのだ。
 ちなみに冒険者達も七名の中に隠密行動が取れる者など一人もおらず、ドワーフのヘラクレイオスと人間の中ではツヴァインだけがまあ何とか周辺に紛れるに適した身長。ジャイアントのイワノフはもちろん、女性の結夏も相当な身長で、イサとブノワはもう少し高い。シフールのマリオーネは飛ぶので、高さによっては目立つ。
 はなから内部にこっそり侵入など困難として、先頭にナイト二人を立てて祠に入ることになった。正確には、ツヴァインが作ったアッシュエージェンシーの変わり身が、皆の先導である。
 明かりをイサとツヴァインが持ち、随分と小振りな十字架を手にしたブノワがディテクトアンデッドの魔法を唱えて、ゆっくりと首を振る。彼が感知できる範囲に、バンパイアはいないということだ。
「案外奥が深そうだな。反応があったらよろしく頼む」
 イワノフの言葉は、ブノワとイサ、ツヴァインに向けられたものだ。あいにくと魔法の武器を所有していない彼は、魔法付与してもらう必要がある。イサの祝福も欲しいところだ。
 あいにくと洞窟内では魔法がほとんど使えないマリオーネは、天井近くの異変を調べるためにすでに洞窟の入口付近にいる。早めに目を暗さに慣らして、後に備えようというのだろう。大事に抱えているのは五行星符呪、バンパイアに出会ったら燃やすつもりでいるらしい。結夏から受け取った清らかな聖水も、しっかりと肩から提げている。
 ヘラクレイオスとイワノフが互いの武器が触れ合わぬよう、少し進むときの距離を測りつつ、祠の中に足を踏み入れた。先導の変わり身は淀みなく足を進めて、前を歩いていく。速度は指定されたとおりにゆっくりだ。
 彼らは、バンパイアは複数潜んでいるだろうと予測していた。背後から襲われないよう、殿に結夏が立つ。間にツヴァインとブノワ、イサが入り、先頭のヘラクレイオスの頭上にマリオーネがいる。ヘラクレイオスが先頭なのは、身長の都合だ。
 ツヴァインのアッシュエージェンシーは、ゆっくりだが道なりにどんどんと奥に進む。何箇所か婉曲してはいるが一本道の通路が初めて二手に分かれたところで、ブノワが全体の歩みを止めさせた。
「両方に一体ずつ反応があります」
 どちらも効果範囲ぎりぎりなので、経験から判断して十五メートル前後。大きさは右がいささか大きいようだが、さほどの違いはない。残念なことに魔法で相手の力量までは測れない。どちらもほとんど動かないのは分かるが、範囲ぎりぎりの感知ではその奥にまだバンパイアがいる可能性はあった。
 祠の通路は二人が並んで得物を振るうにはいささか幅が足りない。高さは十分だが、イワノフがヘビーアックスを目一杯振り上げるとどこかに引っかかるだろう。床は平坦だが、天井はそれほど凝った作りではないからだ。どこか開けた場所があれば、そこで相手を迎え撃つのがいいに決まっているが、あいにくとそんな場所はなかった。今いる分岐点が、これまででは一番幅が広い。それでも、二人並んでやっとの状態だが。
「面倒だ。どうせ二手に分かれるわけにもいかん。片方に変わり身を入れて、感知された奴だけでもおびき出すか」
 この先がどうなっているか分からないところで敵と出会う愚は避けたいと、ツヴァインが言う。その間に魔法を掛けなおしたブノワが、一体が近付いていることを知らせた。近付いているとはいえ、ほんの一メートルかそこらのことだが、もう片方は動かないので対応する順番が決まったようなもの。
 イサがグッドラックを、ツヴァインがバーニングソードとフレイムエリベイションをイワノフに、ヘラクレイオスはオーラエリベイションと様々な色の光が飛び交った。その間にマリオーネが地表を歩いて、バンパイアが近付いてくる通路の奥の様子を窺っている。戻ってくるときには上に回って、天井の高さがこれまでより少し低いことを確認してきた。
「戦力にならないから、あとよろしく」
「それだけ確認してくれれば、御の字じゃ。わしでは天井は見えんからのぅ」
 ヘラクレイオスの軽口にマリオーネがにかっと笑って見せた時、ツヴァインとイサが掲げたランタンの明かりに人影が照り映えた。ひょろりとした影は、もう少し近付くと元はエルフだったと耳が示している。不健康な青白い肌に、真っ赤な目ばかりが目立つ。
「スレイブ‥‥でしょう」
 ブノワがいうのは、幾種類かいると言われるバンパイアの下位種ではないかということだ。バンパイアに吸血され、適切な処置が受けられないとこの下位種として復活する。以前にブレダに現れたのも、おそらくはこれだろう。
 あまり知性は残っていないようで、イワノフが予想していたような『人を見下した』態度も窺えなかった。冒険者一行を見て、間違いなく足の運びは早まっていたが。
「そちらの奥をよろしくお願いします」
「おやっさん達が頑張ってるものね」
 結界よろしくと、こちらも軽い調子で応じた結夏が、一瞬赤い光に包まれた。目の前に現れたのがスレイブだとすれば、もう一つの通路の奥に上位種のバンパイアがいる可能性がある。まだブノワの魔法では動いていないことが確認できても、どんな手段で移動してくるか分からないので、彼女も責任重大だ。
 イサの声が低く響いて、彼の周囲にホーリーフィールドが形成される。万一撤退の憂き目にあっても、しばしの時間稼ぎは可能だろう。そして、ランタンを代わりに受け取ったマリオーネが、その火で呪符を燃やしている。
 その頃には、イワノフとヘラクレイオスの武器がバンパイアの両腕を落としていた。もちろん相手の攻撃は、シールドにも掠らない。そもそも狩猟はともかく、戦う術を知らないだろうエルフの村人だ。バンパイアになってはいても、魔法のかかった武具を持つ二人には敵というほどのこともないらしい。はなから比べるのもどうかと思うような違いは、後方で見ているイサやツヴァインも感じている。
 ぱちぱちと小さな拍手は、マリオーネがあっという間にバンパイアを平らげた二人に贈ったものだ。完全に息の根は止めていないが、それは浄化魔法で止めを刺したほうがよいだろうという判断である。
 しかし。
「聖水、使っていいわけ?」
「だって、魔力が減ると大変になりそうだもの」
 結夏に促されたマリオーネが、生きていれば虫の息のバンパイアに慌てて聖水を振りまいた。イサはホーリーフィールドの二つ目を張り巡らせる。
「何を騒いでいるの。お前達が入っていい場所ではないでしょう」
 ブノワが『もう一体』と呟いた相手は、先程のバンパイアと違って透き通るような白い肌をしていた。その白に蒼みが入り、両目は対照的に暗い中でも深紅に光っている。着ているものは、結夏が羽織っている護身羽織に比べればよほど粗末な布だが、草木で染めた糸の刺繍が非常に緻密な、大事に作られたと思しきローブ様のものだった。綺麗に梳られた金茶の髪が、長くその肩と背を覆っている。
 自分達を見て、一瞬不思議そうに首を傾げた女を可愛らしいとは、さすがに誰も思わなかった。顔付きは非常に愛らしかったがその唇からは鋭く尖った犬歯が覗いているからだ。それがなくとも、次には舌なめずりをして見てくれたのだから、やはり友好的な気分にはならない。
「あらまあ、随分と活きの良さそうな。人間の女を見るのは久し振りね」
 彼我の距離は、ランタン二つの明かりが届くぎりぎりの範囲。それから先はホーリーフィールドで寄って来られないのか、単に近付くのを止めたのかは判然としない。
 ただ、相手はイワノフが予想していた通りに、まったく彼らを歯牙にもかけぬ態度で悠然と立っていた。殿から前衛に位置が変わった結夏を眺めて、おそらくは『おいしそう』だと考えているのだろう。
 その視線にもちろん結夏はカチンと来たが、他の者もそれぞれの性格に応じて立腹していた。ヘラクレイオスとイワノフは女性に対する失礼な発言を許さないと思ったし、聖職者のイサやブノワはホーリーフィールドの更なる重ね掛けと聖水を投げつけることでそれを示した。マリオーネはもっとよく照らしてやるとばかりに、天井ぎりぎりまで飛び上がっている。
「人の仲間を侮辱して、この先があると思うなよ。‥‥進め」
 聖水から飛び離れたバンパイアの女に向かって、宣戦布告を叩きつけたのはツヴァインだった。真っ赤な瞳と睨み合っても平然としているが、さりげなくナイト二人が前に出られるだけの幅を開けてやっている。それが確認できたのは、二人のほかにはマリオーネくらいのものだが。
「なんて口の利き方かしら。あら、もう一人いたのね」
 先ほど倒した下位種が自分から出てきたせいで、ツヴァインのアッシュエージェンシーは後方に留め置かれていた。一撃喰らったら崩れる灰人形だが、作るのには魔力がそれなりに消費している。もったいないと来た道側に戻しておいたのが、女バンパイアの目に入ったのだ。
 途端に、ホーリーフィールドの範囲から飛び出た結夏が注意を逸らした相手に斬りかかる。通路の広さと女バンパイアがまったく体術の心得がないらしいことが功を奏して、日本刀の一撃は気持ちよく女の脇腹に埋まった。
 問題は、人と違ってその傷で素直に痛いと思ってくれる存在ではないことだろう。
「‥‥生意気な」
 それでも少し言葉が遅れたところに、多少なりとダメージを感じた一同だったが、相手は外見に見合わず頑健だった。唇が吊り上り、一息で紡がれた言葉と同時に姿は黒い光に包まれる。
 ほぼ同時にイサがホーリーフィールドを、ブノワはコアギュレイトを唱えていたが、バンパイアのほうが僅かに早かった。黒い光線が通路を飛んで、白い球体を浮かび上がらせると、共に弾けて消える。
「黒の使徒だったか」
「いや、アンデッドもまれに使うという話じゃったな」
 黒の神聖魔法のディストロイで破られたのとは別に、効果時間が過ぎたホーリーフィールドが一つは消失しているはず。明確にイサが言うわけではないが、今回この仕事を請けた冒険者は全員が魔法を使う。効果時間はある程度身に染み付いていた。
 バンパイアは高速詠唱でディストロイを使うが、それとて何度も使いこなせるはずはない。かといって魔力切れを期待するには閉鎖空間に近い祠の通路は場が悪いし、魔力切れが心配なのは皆同じだ。
「もう一撃食らわせて、一度撤退だな。あれを喰らったら、身動きできなくなるのが出るぞ」
 ツヴァインが冷静に嫌なことを言い、誰も反論できなかった。マリオーネにいたっては、明かりは確保しながらもイワノフの方の後ろを飛んでいる。
 だからというわけでもなかろうが、今の魔法の一撃の合間にオーラを練っていたヘラクレイオスが、ホーリーフィールドの結界から飛び出す形でミドルアックスを振るった。後方にしか避けようがないが、バンパイアの動きは彼を超えられない。そもそもの技量の違いだろう。
 同時にツヴァインがマリオーネを急かし、イサとブノワの背を押すように外へと向かわせた。ツヴァイン自身の背は結夏が守っているが、イワノフが続かない。
「お二人はどうなさいましたか」
 走りながらも背後の様子を窺っていたらしいイサが後続に尋ねるが、ツヴァインの返答は素っ気無かった。
「あの二人は一撃喰らっても、まだ動ける。時間稼ぎをしてくれようさ」
 急かしたところで来るものかと、非情にも聞こえる宣言だったが、一応ランタンを置いてきたあたり、彼も気遣いがないわけではない。暗闇でバンパイアを相手取るほど無謀な二人ではないから、向こうの魔法がもう一度放たれた気配の後、重い足音が響いてきた。
「よっし、お日様だ!」
 先に飛び出たマリオーネが、日頃のとぼけた風情を置き忘れたように叫んだ。バンパイアを前に効果的に魔法が使えなかったことを、かなり気にしていたのだろう。問題はバンパイアが外まで追ってくるかというところだが‥‥
 祠の中からイワノフの叫ぶ声がするが、内容は羽ばたきの音でかき消された。鳥の羽とは違う、布が風をはらんではためくような音だ。
 となれば、バンパイアがジャイアントバットに姿を変じるというのは事実だったかと、外に出た一同は理解した。イワノフが来る道すがらに色々確認してくれたおかげで、バンパイアの特性として挙げられるものは色々と頭に入っている。どこまで本当かは分からないまでも、可能性があるものを思い出すのは簡単だ。
 鳥ではない姿が見えた途端に、マリオーネがサンレーザーを放った。陽光を嫌うバンパイアには、陽魔法も効果が高かろう。それを狙ったのと、もちろん魔力は自分がもっとも残っているはずだという気持ちがある。威力にいささか自信はないが、とにかくこの場から離さないことが大事と彼はすぐにもう一度印を結んだ。
 その僅かに下で、ツヴァインがまたフレイムエリベイションを唱えた。対象は浄化魔法を使うブノワの方。イサはホーリーで、宙にあった大きな影を落とすことに成功している。
 イワノフとヘラクレイオスが、まだ意気盛んに祠から飛び出したときには、結夏が地面に串刺しにしたジャイアントバット目掛けて、ブノワがピアリファイを唱えているところだった。一度では浄化されなかったので、マリオーネがサンレーザーを可能な限りに打ち込んでいたが。
 少なくとも、彼らが再度武器を振るう必要はなくなっていた。その後、祠の内部をくまなく探しても、同様に。
「ポーション使う?」
 持てる量から荷物の少ないマリオーネ以外は、ポーションの類を皆が持参している。さすがにイサもブノワも消耗が激しいのを見て、怪我人のイワノフとヘラクレイオスに結夏が自前のポーションを差し出したのだが、どちらも受け取らなかった。自分のを使うわけでもない。
「幸い、牙は受けなかったようじゃ。村のほうで怪我人が出ておったらいかんしの。ちょいと痛いのはしばらく我慢するわい」
 イワノフにいたっては、鎧の厚みで怪我といってもかすり傷程度だったらしい。ちょっとこめかみが切れて出血は目立つが、確かにもう血も止まりかけていた。ホーリーフィールドのおかげと言われて、イサが上品に笑んで返す。
「じゃあ俺、一足先に知らせに行くよ」
 マリオーネが村の方向に飛び去って、一息入れた残る六人も歩き出した。さすがに途中の泉で喉だけは潤して、でも叶う限りの速さで。

 最初に戻ったマリオーネと、後から戻った六人を出迎えた一番目立つものは、アイスコフィンで凍った人間だった。人間なので、村人ではありえない。服装からしても、ブレダのウィザードの一人だ。かなり若い。
「ちょっとね、しつけが足りなくて」
 イワノフ以外は顔を合わせたことのあるエルフのウィザードのクロエが、溜息混じりに足らない説明をしてくれた。要するに使ってはいけない魔法を使おうとしたか、血気に逸って先走ったかで、仲間に動きを封じられたのだ。
 この季節、放っておくといつまでも溶けないので、周囲で焚き火をしている。それに他の者達も当たっていた。思いのほか、のんびりとした光景である。
「数の暴力は利いたみたいよ。それにバンパイアは倒すってジェラール様が宣言したら、なんだか皆腑抜けちゃってね」
 それでも数人は弓矢や鍬など持ち出した若者がいたようだが、老人達がそれを留めて、衝突とはならなかったそうだ。あまりの反発のなさに、ブレダ側もいささか落ち着かずに、それでも包囲は続けていたらしい。
「ふむ。穏便に説得は進みそうでよいことじゃ。しかし、いきなり腑抜けてしまったというのは、よく分からんのう」
「思っていたよりバンパイアも少なかったし、これで話が進めばありがたいことではあるな」
 村の包囲では怪我人も出ていないので、控えていたクレリック達に怪我を治してもらったヘラクレイオスとイワノフが、今ひとつ合点がいかないと言った様子で首を傾げている。クロエも説明しかねるようだが、しばらく迷ってから自分が言ったのではないと注釈付きで教えてくれた。
「暴力癖のある情夫に食い物にされた娼婦が、情夫が死んだと聞かされたような感じ」
 冒険者達にもこの説明は分からなかった。イワノフ以外には、言いそうな人物の予測だけはついたが。
「つくづく、わかんない男よね」
「そもそも聞いたからと言って、そのまま口にするのもどうなんだ」
 ツヴァインに咎められたクロエは、外見同年齢の気安さか、それとも性格なのか、両手を広げただけだ。今更そんなことというわけである。それでなくとも、彼女自身が最初に言ったわけではない。
 最初に言った御仁はといえば、ブレダ側責任者のジェラールと一緒に村長他何人かと話しこんでいた。村長に何かあっては敵意を買うので、吹きさらしに見える場所で焚き火を真ん中にして座り込んでいる。
「いいよなぁ、ウィンドレス掛けてあるんだって」
 シフールの身の軽さで、村の近くまで寄っては大道芸を披露して見せていたマリオーネがやたらとうらやむのは、風が強くなってきて芸が失敗するからだ。それでも村の子供達が何事かと遠目ながらも注目しているので、止めるわけにはいかない。
 懸命にあれこれ披露していると、イワノフが話を通して風のウィザードを呼んでくれた。ウィンドレスは快適だ。
 が、その際にイワノフやヘラクレイオス、ツヴァインは気付いた。魔法の発動を見ると、村人のある程度から上の年齢の者達が身をすくめるのだ。どうも怯えている風である。魔法での反撃はなかったというから、村には魔法の使い手がいないのだろうが、発動時の光が何を示しているものかは承知しているのだろう。
 距離をものともせずに子供達との交流に余念がないマリオーネをよそに、三人が何事かと視線を交し合っていると、バンパイア退治の報告に連れて行かれていたイサが戻ってきた。どうも同族への警戒心が強いので、村長達に報告を済ませて中座してきたらしい。ブノワと結夏がそのまま留まっている。
「気が抜けたのは本当のようでしたよ。間近で見ると痩せた方が多いですし、今より衣食に困らない生活というのが思いのほか効いていますね」
 それでも村人も足は強いようだから年少者と年寄りを馬車に乗せて、天候が安定していれば、帰路は五日で大丈夫だろう。問題は村の生活用具をどうやって運び出す算段をするか‥‥と、すっかり帰りの心配に思考が切り替わったイサを見て、マリオーネ以外は思った。それだけ言えれば、多分それほど問題はないだろうと。

 そうして、村人とブレダ側の一部が村から持ち出すべき物品のまとめをするために残り、他の者の移動は案外と速やかに始まった。こうなると冒険者は暇に‥‥なるはずがない。
「痛い、痛いってば。助けてー」
 シフールを見たことがない村人に『変な生き物』と捕まえられては、弄り回されるマリオーネはイワノフに助けを求めている。ジャイアントも見たことがなかった村人だが、さすがにその身長に圧されて、不用意には近付いてこないからだ。
 しかしイワノフも村人を怯えさせることは本意ではないし、愛想がよいとはいかなくともいかつい顔ばかりしているわけではない。シフールも珍しい種族ではないぞと言い聞かせつつ、子供の遊び相手をしてやったりしている。片手で持ち上げられて喜ぶ子と泣く子がいるが、害意がないのはよくよく通じたらしい。率先して力仕事をこなすので、その点からも子供の目には頼もしく映ったようだ。
 弄られなくなったマリオーネは、あちこちどこにでも顔を出しては、誰とでも気負いなく話している。一度直したはずの寝癖が戻ってしまったのに気付かず出歩き、エルフの村の娘達に笑われている。おしゃれ心は若い娘共通と見えて、髪を直すのを手伝ってくれた。単にシフールに触ってみたかっただけかもしれないが。
 この時に聞いたのが、移動して寂しくないかということだったのだが‥‥娘達はなんと言えばいいか分からないという顔付きで応えた。
「今度の人は、食べ物渡すだけでいいって言うから」
 さっぱり意味が分からなかったマリオーネが、ツヴァインに尋ねに行ったところ、ジェラールとなにやら話し込んでいた彼はあっさりと答えた。
「命まで取らない領主のほうがましだという判断だろう。色々引っかかる物言いが多い連中だがな」
 何があったのかはっきり言わないのが煩わしいと、いささかご立腹気味のツヴァインだったが、半分以上はジェラールへの当てこすりらしい。村人からの聞き取りは依頼に入っていないと、口にもしている。再三再四バンパイア退治の様子を尋ねられて、いささか嫌気がさしているようだ。
 それだけではなく、村人の態度が釈然としないのも理由なのだが、マリオーネにはそこまでは分からない。そもそも彼はバンパイア退治の一員と思われていないらしく、相変わらず『変な生き物』扱いなのだ。そこで怒らないところがシフールらしい。
 警護はするが、それ以上はしないと主張するツヴァインの主張ももっともなので、ジェラールも無理強いはしなかったが、特に指示されなくともイサやブノワは率先して村人と色々な仕事をしている。移動中のことでさして仕事があるわけではないが、休憩の度に細々と世話を焼いたり、食事の準備をしたりと忙しい。夜営で二百人以上の食事を作るのは彼らもほとんど験のない仕事だが、これはヴィルヘルムとアンリエットが采配をして滞りなく全員に行き渡る分の食事が出来ている。味付けはこの二人もかなり適当なので、ブノワが担当していた。
「二人分くらいなら味付けも分かりますが、この分量だと加減が掴めませんね」
 汁物をよそいながらイサが漏らした言葉に、手伝っていた結夏がにんまりと笑う。二人分ねぇと含みたっぷりの声に、イサの視線は汁物の上を泳いでいた。『そうなんです』と開き直るほどにはこなれてもなく、素直でもないイサだった。
 そうかと思えば、毎日食事の度に酷使されるナイフの研ぎを終えたヘラクレイオスはあっさりしたもので。結夏に『実は』とイサの一言を聞かされて、ふむと頷いた。
「わしなど飲み食いするだけじゃからのう。何かうまい酒でも土産に持ち帰らねばな」
 至極当然のように『待ち人』のことを口にして、自分の食事を受け取っていた。イサが少々羨ましげに見えたとしたら、それは結夏の目に何か膜が掛かっているからに他ならない。バンパイアも倒して、すっきりと他人の色恋沙汰を楽しむ余裕が出来たというのはいかがなものか。
 しばらくして、後は食事の配布の確認をしている何人かが残っているのみとなったところで、イサと結夏も自分の食事を始めたが、ヴィルヘルムが保存食らしい包みを幾つか抱えてきたのに目を向けた。
「それ、普通のと違うみたいだけど? 今日はもういらないわよ」
「甘味なんで没収した。子供用にするさ」
 誰からとは、誰も聞かない。クレリックのくせに何かと愚痴が多いヴィルヘルムの言動で、相手は自然と知れるからだ。
「未来の義弟なんだから、ちょっとは大事にしてあげなさいよ」
 軽く繰り出された結夏の拳を掌で受けたヴィルヘルムは、イサとヘラクレイオスが言わなきゃいいのにと思うことを口にした。指輪をした拳で殴られれば痛いだろうが、女性に対して言うものではない。
「この間から、よく指輪って言うわよね。あたしがしてるとそんなに不思議?」
「知ってたジャパン人の女は、皆邪魔だと口を揃えたからな。十年たつと変わるか」
「‥‥ちょっと、今のは聞き捨てならないような気がするわ」
 誰と比べたか白状しろと詰め寄る結夏に、しれっと『知ってた女』と繰り返すヴィルヘルムを眺めて、残された二人はヘラクレイオスが取り出したワインを飲むことにした。二人で飲むのは他に申し訳ないので、ツヴァインとイワノフの姿を探す。マリオーネは昼間に子供の相手で疲れ果てて、先程汁物の器に顔を突っ込みかねない様子だったのでもう寝ているだろう。と思ったら、イワノフの横の毛布の山がマリオーネらしい。
「どいつもこいつも春めいているな」
 奇しくもマリオーネの友人が評したのと同じ台詞を、ツヴァインが口にした。もちろんヘラクレイオスとイサは口を噤んでいる。マリオーネが誰かの手料理を食べている夢を見ているようだが、そちらも聞かなかった振りをした。イワノフも帰路の一日二日でおおよその事情を察して、行儀よく苦笑に留めている。
 そうして、詰め寄られていたヴィルヘルムと詰め寄っていた結夏は。
「だから、僕の側に来てくれと言わないのは、僕が動けばいいと思っていたからで‥‥それでなくても姉と姪が今頃は家の片付けしているくらいだし」
 戦時にも使っていた大きなテントの影で。
「‥‥あなたがその気になるまで絶対にお待ちしますから、この間のことで縁がなかったなんて言わないでください。本当にそんなつもりではなかったので」
 『そこは、もう一度結婚してくれと言い直すところだろう!』と、仲良く拳を握って聞き耳を立てていた。

 寒さは厳しいが、ブレダへの道行きは平穏そうである。