●リプレイ本文
開拓地に到着した八名の冒険者を前に、現地の神父でほとんど責任者と化しているヴィルヘルムは訝しげな顔をした。理由はリズ・シュプリメン(ea2600)とツヴァイン・シュプリメン(ea2601)の親子にある。
「細かいことを気にするな。生まれは娘のほうが早いが、親は私だ。育ての親という言葉を知らんのか」
冒険者内では異種族の家族も時折見受けられる。実例を見たら、開拓地の諍いも多少は減るのではないかとサラサ・フローライト(ea3026)の言うことも最もで、彼らはすぐに開拓地にいる全員の前に引き出された。移住者のエルフが六十人余、労役者が五十人弱、様々な技術者が十五名ほどにクレリックのヴィルヘルムとアンリエット、それからアンリエットが連れてきた聖職者見習いの少年少女が四人で、冒険者を入れるとだいたい百四十人の大所帯になる。
「うわあ、シフールが俺一人だ。ドレスタットじゃ珍しくないのに」
マリオーネ・カォ(ea4335)が全員を見渡して、叫んでいる。以前のブレダからの依頼で、珍しがられたのが思い出されたようだ。聞いていた通りにエルフが多いと、荒巻美影(ea1747)もいささか驚いている。半分以上がエルフで開拓というのは、通ってきたブレダの街がほとんど人間だけだったことを思い返すと不思議なものだ。
ブノワ・ブーランジェ(ea6505)や源真結夏(ea7171)のように、やはり以前の依頼で関わりがある者は先方からも顔を覚えられていたし、ヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)に至っては、近くの森の魔物討伐というブレダからの一連の依頼の最初から関わっていたので土地のことまで詳しい。
「しかし、前は人の手が入っておらぬ様子の森じゃったが、様子が変わったようじゃな」
古くからのブレダの住人が『魔の森』と呼んで近付かなかった森へ道が通っているのを見てのヘラクレイオスの発言に、こちらも森が怖くないヴィルヘルムが苦笑した。
「いわれを知らないから、森の中のほうが落ち着くらしい。燃料集めは任せてある」
八名の出来ること、やる予定のことを確認して、でもヴィルヘルムが各自に最初に割り当てた仕事はちょっと違っていた。せめて皆と一言でも会話してから、難しい話をしろということらしい。
到着して一日目、ヘラクレイオスと美影とツヴァインは建築現場に、マリオーネは移住者の子守をしている聖職者の卵の手伝いに、結夏とサラサは冒険者達の馬も連れてあれこれ運搬する係に、ブノワとリズはヴィルヘルムに連れられて全員にの顔合わせに連れ回されることになった。
家を建てるのは、どうも途中からヘラクレイオスが進行を取り仕切り、その進行を美影が説明して、しまいにはツヴァインがスクロールを取り出して魔法で土台を速やかに固めることで少し早く進んだらしい。
マリオーネは、子供達の相手でひたすらに大道芸。
結夏とサラサは馬や驢馬を見ると逃げ腰になる移住者に、一日かけて慣れた馬がどれだけ役立つかを教えてきた。最初は驢馬も触ったことがないのかと、思ったのだが。
そうして、リズとブノワが達した結論に、全員が同意している。
「外国語云々より先に、ゲルマン語の発音を教えないといけませんよ、お義兄さん」
「概念が違う以前に、言葉がここまで通じ難いとは思いませんでした」
「移住者の方々は、ノルマンよりロシアの発音に近いような気がいたします」
同じゲルマン語でも発音がいささか異なる、要するに訛っているので通じにくい。あいにくと美影の言う『ロシア語に近い』かどうかが判断できる者はいなかったが、ノルマン出身同士でも発音で生まれた地方が分かるのと同じだろう。
「そんなことだろうと思ってはいたが、少なくともテレパシーで意思疎通を図るほどではないのでよかったな。それにさすがに植物には詳しいようだ」
「畑に植える作物はあんまり知らないから、それは教えてやってくれ」
最悪の状態を想像していたサラサの言に、漂いかけていた悲壮感はなくなったが、もう一度皆の気分を突き落としたのはツヴァインだった。
「移住者は、妙に平等にこだわるな。仕事は向き不向きで分けるようにしていたらしいが、食べ物や薪を厳密に人数で分ける習慣がほぐれないと、他ではやっていけんぞ」
開拓地にいる人々は、もちろん生活する基本的な術は心得ている。ただ言葉の訛り具合と習慣が全然違うので、二手に分かれての揉め事が絶えないのだ。
「ニワトリが飛ばないのはなんでだって聞かれてもねぇ」
結夏も、難問を突きつけられたようだ。考えてみれば、移住者達は家畜を飼っていなかったので、鶏も知らない者が混じっている。
「じゃが、やはりエルフは器用じゃな。わしらとはゆっくりなら話が通じやすいようじゃ」
ドレスタットは港町で、けっこういい加減なゲルマン語が飛び交っていることもある。冒険者はそういう会話に耳慣れているのと、同じ他所から来た者という気分で話もしやすいのだろう。これは元からのブレダの住人の態度も同じだ。
マリオーネは、子供達に引っ張られた羽の付け根を、リズにさすってもらっていた。
この日は、冒険者は冒険者でまとめて、一つの天幕に入れられた。真ん中に毛布を張って、とりあえず男女を分けてみる。聞いたところでは、どこの天幕も十五人前後で一つを使って、中は仕切ったり仕切らなかったりしているそうだ。食事なども、この天幕ごとにまとまって行う。
そうして、翌日は引越しから始まった。
基本的に仲介の中心を担う聖職者のヴィルヘルム、ブノワ、リズ、アンリエットは土台だけ出来た教会予定地へ移動。また一棟だけ建った家屋に、子供が小さい家族を順に三家族入れる。一棟だが、家三軒を連ねた形なので三家族。
おかげで天幕を使う人数が減ったので、移住者、労役者、技術者、冒険者、聖職者見習いを混ぜて振り分け、だいたい十人ずつ入れることにしたのだ。ヴィルヘルムの独断ということになっているが、発案はブノワである。
「食事を一緒にしたら、嫌でも話をするので、だんだん互いに慣れるでしょう」
「うむ、任せておけ。わしが口がすべらかになるように気を配ってやろう」
多少荒療治かもと、現地の様子を見てのブノワの感想に、ヘラクレイオスが胸を叩いて請け負った。途端にツヴァインが何か納得して頷き、結夏とマリオーネが『あれか』と呟き、リズと美影が何事かと思っていると結夏が言った。
「おやっさん、しこたま酒を持ち込んでるのよね‥‥十日の依頼で十樽運んできたら十分だって」
しこたまではないわいと言いかけたヘラクレイオスに、結夏がぴしりと返した。マリオーネは力持ちだねと笑っている。
「酔って言葉が尚更通じなくなることもあるが、気分がほぐれるならいいのではないか? それに幾ら文句が出ないとはいえ、寒いものは寒いからな」
軍用とはいえ、冬に入った時期に天幕暮らしは寒い。労役の者は半月の期限付きだが、移住者と技術者は辛いだろうと、サラサの言葉に反論などなかった。それに毛布などを融通しあったとはいえ、彼らも寒かった。リズは借り物の防寒具を羽織っている。技術者達が文句を言わないのは、ヴィルヘルムとアンリエットが同じ生活をしているからだ。
その技術者達も、仕事道具が荒らされては叶わないと思いはしたようだが、ヘラクレイオスとツヴァインが率先して動いたので、文句を飲み込んでいる。
「私も多少は力もあるつもりですし、言葉が皆さんより通じますので発音のことは作業場でお話していきましょうか」
人を集めて、作業の進行を遅らせると問題が大きそうだからと美影が溜息交じりで口にして、ヘラクレイオスとツヴァインと家屋の建設に向かった。彼女は不思議に思わないが、教会が後回しというのはけっこう思い切った話である。
「そんな早口で言って通じるものか。子供相手に話すのだと思え。お互いにな」
ちなみにツヴァインは、要所要所でストーンのスクロールを使う以外には、延々と全員に対して小言の嵐を吹かせていたという。ヘラクレイオスも一度ならず怒られたのだが、作業に熱中すると早口になりがちなのでありがたく拝聴しておいた。
途中から、マリオーネが相手をしていた子供達を連れてきて、漆喰をこねている横で砂遊びをし始めた。ほとんどよちよち歩きの幼児なので、マリオーネが砂で山を作ると崩すの繰り返しだ。更に飽きると鳥の声を器用に真似て、子供達の興味を引き付けている。
ただし、子供が粗相をした場合の対処は、体の大きさの都合でどうにもならない。今日は一人なので、日当たりがよいところを見計らって人手があるところに出てきたらしい。
「お母さん達のところに行けばよかったのではありませんか? 子守も楽しいですけれど」
結局助けを求められた美影が始末をしたのだが、マリオーネはにぱっと笑って答えた。
「だって、女の人はものすごく真剣に縫い物してて、邪魔できないよ」
話をする間も惜しんで、男性陣のために厚手の上着を縫っているそうだ。もう少し男性陣のギクシャクした関係が和んだら、自分もそちらの手伝いに行こうと美影は思ったが‥‥柔らかい物腰で通訳をする彼女がいるから場が和んでいると、とっくに察していたツヴァインやヘラクレイオスが賛成するかは別。
そのうちにマリオーネは、疲れた子供達を連れてまた天幕に戻っていった。今度は子守唄を歌ってやるらしい。どこの地方の子守唄か、本人もよく知らないのだが。
この間に、まだただの草原をどう開墾していくかを、ブノワとリズ、サラサを交えた技術者数名とヴィルヘルム、それから移住者の長老他何人かが歩きながら打ち合わせている。その最後尾に結夏が驢馬とついて歩くのは、細々した道具を運んでいるからだ。技術者が測量をし始めると、その手伝いに駆り出される。エルフ達やクレリックのブノワとヴィルヘルムに任せておくと、いつまでも終わらないので結夏が大活躍だった。
一応ブノワもヴィルヘルムもクレリックにしては力があるのだが、
「邪魔っ。違うところで働きなさいっ」
自分がやったほうがはかどると、結夏が蹴散らしてしまうのだ。多少の距離なら走っても息も切らさない彼女に言われると、誰も返す言葉がない。
そうしてそもそも力仕事は回されないリズとサラサは、枯れた雑草の種類からこのあたりには何を植えたら育つとか、肥料はどうすると話し込んでいる。畑作はしていたが、本当にかつかつの生活をしていた様子の移住者達は、何を植えたら実りが多いのかと、たどたどしい言葉で二人に尋ねていた。二人もあれこれと、やはり時々通じないながらも会話をして、相手が野草、香草の類には思っていたより詳しいことを聞き出していた。どこで暮らそうとやはりエルフである。
ただ、彼らの村から運ばれてきた麦や乾燥野菜を見たリズ、サラサ、ブノワは、あまり収量が多くなかったようだとあたりをつけている。それを基準に畑の配分を考えられると不公平感が増しそうなので、折に触れてサラサとリズがこの広さで何がどのくらい収穫があるだろうと言い聞かせている。ブノワはところどころ鍬で掘り返しては、土の具合を見て補足を入れていた。
彼女達が気付いたのは、移住者の年長者は訛りがあっても、こちらの言うことの飲み込みがよいこと。幾ら長いこと他所と交流がなかったとはいえ、年長者は多少関わりを持ったことがあるからだろう。サラサと同年代も、少し打ち解けてくるとちょっと分からなくてもなんとかなる。一番困るのは六十くらいから下の年代で、言葉は通じにくい、話しかけても警戒心が強いで、たいていは間に年長者が入って技術者や労役者との関係がようやくといった感じで成立していた。これはもう、根気よくやるしかないとリズが言うとおりである。
「ここから先は果樹園にしたらどうかと思うんですが、土の具合はどうですかね。ブレダは魔法使いと同じで麦と野菜は他所に出すほど作ってますが、果樹はエルフの村で林檎をやっているほかは、細々としたもので」
他に牧畜も盛んのようだが、果物は領内の各地域で消費する以上のものは作っていない。たくさん作れば加工してドレスタットへ出せるので、先を見越して果樹園を作ろうという計画は領主からも示されたそうだ。加工しなくても、魔法で凍らせて運ぶ方法もある。
「果樹園ったって世話する奴がいなかったら駄目なんだろ」
「基本はもちろんお知らせしますよ?」
「果樹の種類にもよるがな。それに我々を雇う金が必要なくなったら、それで誰か迎えたらいい」
リズの親切な申し出と、サラサの最もな言い分に技術者達は頷いたが、ヴィルヘルムと結夏は二人してブノワを見やっている。見られた側はといえば。
「葡萄でいいなら僕がやりますよ。酒造は以前からの仕事です。と言わせたかったんでしょう、お義兄さん」
よく言ったと、拍手している結夏から事情を聞いたリズが目を輝かせたのを、サラサは眺めるだけにしておいた。他人の色恋沙汰には、サラサはまるで興味がない。自分のにだってないのだから、目の輝きようもなかった。
二日目もこうして仕事が終わり、ツヴァインが『とにかくゆっくり話せ』と厳命したのが守られて、擬似家族状態で食事を済ませた人々は、ヘラクレイオスが提供したワインや発泡酒で身体を温めてから寝ようということになった。あくまで口実は口実で、一部が酒盛りになるのは目に見えていたが、ヘラクレイオスが度を越した飲み方を許すはずもなかろうとクレリック四人が早寝を決め込もうと天幕の中で重ねた毛布を被った途端に、他所の天幕からなにやら叫び声が聞こえてきた。
直後に、それを上回る怒鳴り声がする。
上着も羽織らずに駆けつけた四人がまず見たのは、オカリナを吹いているサラサの姿だった。入口に近いところにいたからだが、視線で示してきたところに人間とエルフの男が一人ずつ蹲っている。男二人を足元に転がしているのは、何か握った結夏だ。先ほど怒鳴ったのも彼女のはず。
もう一人、エルフの若い男がこちらは美影に取り押さえられ、別の男が床に伸びていた。倒れているほうはヘラクレイオスとツヴァインが様子を見ているが、くたりとして反応が鈍い。
天幕一つの中にぎゅうぎゅうと五十人近くがいるが、多くは男性だ。若い女性がちらほら混じっているが、たいてい家族らしい者が傍にいる。移住者も労役者も技術者も入り乱れて座っていて、立場が違うもの同士で睨み合う様子にはなっていなかった。酒盛りの最中に、喧嘩沙汰に近いものがあったのは確かだが、女傑二人にさっさと治められた様子。
「一体何の騒ぎだ? それに、人が入れ替わっているにしても子供の姿がねえな」
「説明の前に、この二人とマリオーネから酒抜いてやって。そっちで潰れちゃってる人はどうよ、おじさま」
「いい気分で寝ているのを、わざわざ正気にする必要はあるまい」
美影の非常に簡素な説明だと、移住者の若者が飲みつけないワインに酔ってあっという間に寝入ったのを、別の酔っ払いが何かされたと早合点し、労役の者が二人ほど、これまた酔って激しく言い返したので、互いに皿を振りかざして殴りかかろうとした。それで結夏にハリセンで殴られ、美影に取り押さえられ、他の者はサラサのメロディーで毒気を抜かれてしまったのである。マリオーネは運悪く、その騒ぎで一人に振り回され、現在悪酔い中。
ちなみに他の天幕をリズとアンリエットが覗いてきて、二十人ばかり人が足りないようだと慌てて戻ってきたが、その人数は出来上がっている家屋の中で住人と一緒に雑魚寝しているのが後に確認された。建物の中は暖かいからと、子供や風邪気味の技術者などを住人が迎えに来たらしい。自分達だけいい思いは出来ないということなのだろう。
「おっさん、目を配れよ」
「すまんな。わしの持ってきた分は間違いないようにしておったがのう」
酔っ払いどもの飲み残した酒の臭いで『この酒は自分のではない』と断言したヘラクレイオスだったが、自分の非は素直に詫びた。反省した様子で酔いつぶれた青年の介抱をし、散らかったところの片付けなどし始めた彼の姿に、別にこの人は悪くないと言い出す者が何人もいた。取り押さえられた者と同郷の者が、酒は自前だったと謝ってもいる。
「いやいや、ワインの一滴、ジーザスの血の一滴じゃ。このように我を失うような飲みかたをさせては罰が当たるのじゃよ」
ここは怒られても仕方がないとヘラクレイオスは言うのだが、ツヴァインの呟きが冒険者の気持ちを代弁していた。
「この、酒飲みめ」
結局、皆毒気を抜かれたままに、割り当てられた天幕に戻って‥‥他人がいることも気にせず寝入ってしまったらしい。
「誰か強い人と寝る」
マリオーネはそう言って、美影の横で丸めた毛布に埋もれていた。
この翌日から、和んだというより、ちょっとだけ付き合い方の分かってきた約百人が足並みを揃えて様々な仕事をこなしだした。すると少しは作業が早くなるので、合間に時間を取って言葉を習ったり、その他の事柄を教えてもらったりし始める。
その中で独特だったのが、ツヴァインの貨幣の話。もともと物々交換しか経験がなかった移住者は、金貨銀貨どころか銅貨も見たことがない。もちろん買い物もしたことがなく、若者は商人の存在も知らない。当然税を払う意味も『命を取られない』としか思っていなかった。これでは、普通の生活は出来ない。
「物の価値が、どのくらいか示すのが金銭だ。これがあれば、大量の麦を持ち歩かなくても必要な塩が買えるわけだ。人がたくさんいるところでは、皆これを使って必要なものを手に入れている」
街の子供なら当然じゃないかというようなことを、噛んで含めて説明し、租税は色々な制度はさておいて、非常に簡単に告げる。
「大きな揉め事があったときや、敵が来たときに守ってもらうための手間賃だ。手間賃というのはだな‥‥」
何がきても守ってくれるのかと追及されたのには、ツヴァインは『それが領主や役人の仕事だ』と即答した。彼自身がその役につくわけではないので、言うのはたやすい。連れてきたからにはそのくらいして当然とも思っているので、非常に力強い断言だった。
けれど、そんな彼も領主と教会の関係を説明するのには、とてつもなく苦労している。
美影は技術者相手にイギリス語講座を行っていた。移住者はゲルマン語の発音訂正が急務で、労役者は他の国の言葉が話せずとも苦労しない。ただ技術者の中にはイギリス語を齧っておきたいというのが何人か混じっていて、美影を囲んで書き取りをしている。
会話より読めるようになりたいと目的がはっきりしているので、美影もゲルマン語とイギリス語の単語を並べて示していた。たまに、灌漑や建築の言葉をあげられて美影が詰まるところもあるが、技術者達もあまり難しいことは要求しないので終始和やかだ。
ただ、この調子で移住者とも接したら仲良く出来ますよと、何気なく美影が口にしたら。
「確かに昨夜みたいに風邪引いてる奴は家の中だって言われりゃ、悪い奴らじゃないなあと思うけどね。でもジーザスも何にも信じてないから、ちょっとねぇ」
ジャパンの人はジーザスを違う名前で呼ぶんだってね。と、ジャパン生まれではない美影に言われても返事に困るのだが、信仰は土地毎に根ざした形があるので美影も明確な返答はしなかった。明らかな間違いは、正しておくように後ほどクレリックたちに言うとしても。
女性陣の裁縫も少し目処がついたと見えて、子守が要らなくなったマリオーネは、家を建てる手伝いに来ている。どのくらい役に立つかは本人も懐疑的だが、移住志願の一人としては少しでも頑張っておかなくてはならなかった。
ヘラクレイオスに言われたとおりに、積んだ煉瓦の合間から零れる漆喰をこそげたりしているが、黙っての作業はマリオーネの性に合わなかった。多少雰囲気が和らいでも、移住者側はものすごく静かに働くのだ。自然と労役の者も口数が少なくなり、技術者とヘラクレイオスが何か指示する声ばかりが響いている。
「耐えられない‥‥歌っても平気だよね? 畑仕事の時にはみんな歌うんだよね?」
特別歌がうまいわけではないが、マリオーネは大道芸をしながら良く歌う。だから景気付けのつもりで歌いだし、それにあわせて飛びながら作業する。ヘラクレイオスも、自分の地元ではこんなだったと少しばかり口ずさむ。つられて労役者は畑仕事のときの歌を披露したが、移住者側にはそういう習慣がなかったらしい。歌うのは儀式のときだけだと言われて、細かい事情が分かるマリオーネとヘラクレイオスも不用意な問い掛けはしないようにと気を引き締めた。
だが、それとは全然違うところで手違いが積もっていたようで。
がらりと音がして、腰高まで積んでいた壁の一部が崩れた。積み上げ方が甘かったのだろうが、問題は崩れた壁がエルフの一人を巻き込んでいたことだ。
「出血はないようじゃな。筋も大丈夫か。痛みが出たら、すぐに言うのじゃぞ」
「レンが、こわレた」
「ん? ああ、壊れても別で使えばよいだけじゃよ。それに物の代わりは作れるが、人の代わりはないからのう。押すときは体重を乗せて、力いっぱいな」
気に病むものではないぞと慰められた若者達が、しばらくして誰からもそれ以上の叱責がなかったことで、少しずつ口を開くようになった。
「力、貸シテ」
マリオーネに言われても、それはどうにもならないのだが‥‥マリオーネが別の誰かを呼んで、混じって作業することは増えてきた。昨夜は入り混じって酒盛りをしていたのだから、少しは仲良く出来そうな気配が感じられてくる。
ところが。
「何をもめる必要があるか。別に神父が馬に乗れてもよいだろうに」
サラサがとりなしているのは、結夏である。農耕馬にも近付けない移住者に家畜の扱いを教えていて、滅多なことでは暴れないと示すのに誰か乗せてみようかという話になったのだ。結夏やサラサが乗ってみせるより、馬が怖くはないが日頃馬には乗らない誰かのほうがよかろうとなったときに、様子を見に回っていたヴィルヘルムが名乗りを上げたのだ。結夏の指示通りに乗って見せて、馬はもちろんおとなしかったので、目的は達せられたのだが‥‥バードのサラサはともかく、結夏は『訓練したことがあるはずだ』と看破して、どういうことかと詰め寄っていた。
それでサラサがそれほど気にせずともと、他の仕事をしようと促したのだが、結夏は納得がいかない。
「実は慣れている奴がやって見せましたじゃ、ばれた時に信用がなくなるでしょ。ちょっと経歴を白状しなさい。そもそも怪しいんだから」
「怪しまれるようなことをしたのか?」
「してねえよ。単に子供のときに神聖騎士の修行をしばらくさせられただけで」
サラサにまで追求されたヴィルヘルムが簡潔に返したのに、結夏はまだ納得しかねるようだったが、子供のときならいいだろうとサラサに仕事に戻らされた。ただしサラサも言うことは言う。
「私は山羊や羊のほうが扱いやすい。皆も馬より小さい生き物のほうが馴染みやすかろうから、手配できるならしておいて欲しい」
入れるところがないからそちらが先だと言うのには、結夏もサラサも賛同した。確かに人が住むところを作っている最中なので、家畜を大量に連れてきても入れるところはない。寝床は箱の中でも済む鶏を放してあるが、鶏と馬はさすがに違いすぎた。
なんとなく収まらない感じの結夏に、サラサが火打石を持ってきて、肩の辺りで火花を散らせた。何をしているのかとヴィルヘルムが不審気に眺めやっているのに、サラサの返答は。
「ジャパンの厄払いだそうだ。ここに来る前に友人がやってくれたからな」
「ちょっと、違う‥‥まさか、他の人にもそれ」
「せっかくの友人の心付けだ。もちろん活用している」
自分達の中でも、微妙なすれ違いが生じていることに気付いた彼女達は、些細なことに時間を費やすのは止めようと頷きあっていたが‥‥
「俺は些細なことか」
「重要ごとにして欲しいの?」
追及を受けたヴィルヘルムは、苦笑しただけだった。
時々和んだり、距離を置いたり、たまに飲んだり、毎日土を耕したりしているうちに、会話も随分と通じるようになってきた移住者と元からのブレダの住人だったが、幾つかどうしてもうまく行かないことがある。
「どうせ半人前には違いない。一々目くじらを立てるな」
種族が違うのに親子だというのを珍しがられたか、それとも親子なんだからたまには一緒にと気を使われたのか、ツヴァインが寝泊りしている天幕に招かれたリズが、移住者に子ども扱いされるのがジーザス教徒の労役者には許しがたいのだ。リズ本人はあまり気にしないし、義父のツヴァインも言葉を添えるので揉め事にはならない。それでも聖職者への態度が自分達とは如実に違うので、労役者も技術者も面白くないし、その理由が理解できない移住者達もやはり面白くない。
「それは仕方がありません。好きあって一緒になったご夫婦だって、些細なことで喧嘩をなさるのですから、もっと多数の人が集まれば不満が出るのは当然です」
ジーザスの教えの良さは、これから知っていくことで理解してくれますと、上品に言い聞かせるリズに皆は表立っての文句は控えた。だが移住者はどうしても分からない。
神はどこにいるのか。ジーザスはいつごろ来るのか。具体的に何をしたら、どう返してくれるのか。
ここで神は見えないし、ジーザスは十字架にかけられたと言うと『頼りにならない』と心配して、また話がこじれる。リズが良く言い聞かせるからと約束して、ようやく場を収めてから呟いた。
「ブノワ様とアンリエット様に恋の道を説くのと、こちらと、どちらが難しいでしょう」
「つまらんことに首を突っ込んでいるな、お前」
「その直前でヴィルヘルム様に邪魔されるし、結夏様には睨まれるし、大変です」
久方振りの親子の会話は、ほのぼのしたものとは程遠い様子だった。
パリから来た友人に馬の話のついでに譲り受けたというロイヤル・ヌーヴォーを抱えた結夏が、皆で一杯やろうとヴィルヘルムだけ連れて行ってしまった。リズはツヴァインのところで、ブノワとアンリエットは二人で取り残されている。
リズも出掛けに『行動あるのみです』と言いおき、結夏は『気を使え』と命じ、ヴィルヘルムは『お前が来ると酒がなくなる』と断言して、二人を置き去りにしていった。昨日までは揃って、ついでにマリオーネとヘラクレイオスとツヴァインまで加わって『避けられてるのは、何かしたからか』と筋違いの心配やいやみを言ってくれていたのに、掌を返したようだ。
出掛けには姉から『あなたの愛情表現が相手に負担なのよ』と叱られて、どう話を切り出したものかと思っているブノワは、皆してひどい仕打ちだと恨めしく思わないでもなかったが‥‥二人きりでいるのは正直嬉しい。などと考えていたら。
「どうして、こちらに住むつもりになられたんですか?」
「一から自分の手でワインを醸造できる機会は他にないでしょうし、なによりあなたの近くにいられますから。今はこうしてお話が出来て、幸せですよ」
不意に話しかけられて、するっと思っていたことを全部口にしてしまった。あっと思ったときには、蝋燭の明かりでも明確に分かるほどにアンリエットが真っ赤になっている。また色々悩ませるかなと思ったが、言ってしまったからには姉の助言に従うことにした。
「僕はあなたが好きです。いずれ結婚して欲しいといった気持ちに変わりはありません。以前に、僕の側に来てくれとは言わないとお伝えしたのは、あなたがブレダを離れられないなら、僕が移ろうと考えていたからなんですが‥‥」
アンリエットのあの言葉には、他にも意味があっただろうかとブノワが尋ねるより先に、また泣かれてしまって慌てた。涙を拭おうと伸ばした手に、小さな手を添えられて、更に慌てたが‥‥囁くように掛けられた言葉には、何とか応えられた。
「あなたは、僕にとっての主の恩寵です。あなただからいいんですよ」
本当に自分でいいのかと問われても、他に答える言葉はない。
その頃、酒盛りに招かれていたブノワ以外の冒険者は、移住者達から難題を突きつけられていた。ヴィルヘルムが制止しなければ、技術者や労役の者の一部が罰当たりと殴りかからんばかりの勢いになっている。
「要するに、この先もずっと飢えない保証がなければ、神は信仰するに足りないように感じるというわけだな? ずっと食べていけるなら、聖母は信用できるか?」
「子供ガ食べルモノが、必ズある生活ガしたい」
美影やマリオーネ、結夏のようなジーザス教徒でない者だって、その気持ちは分かる。そして移住者達の過去の生活を多少なりとも知っていれば、そう言い出しても当然と思うような要求だった。ただタロンの使徒のヘラクレイオスでなくとも、それはあまりにも神頼みが過ぎると思うことでもある。
だが原罪のなんたるかも知らない移住者にそれを説明しても無駄だと、サラサもツヴァインも理解している。リズはワインの酔いも醒めた様子で、ヴィルヘルムを見上げていた。
「春まで食える分の食べ物はある。それは見たな? じゃあ、ずっと食っていける方法はしばらく待て。ちょっくら神さんと相談する」
「信じテモ、駄目ダッタのは、もうイイ」
たった一つこれだけが叶えられるなら、冬の間にも家が建たずとも文句はない。皆で考えた結果だから、よく神と相談して欲しい。
それが、古くからの住人達と交わるうちに、ジーザス教の欠片を聞きかじった移住者達からの、突然の要求だった。