●リプレイ本文
飢えない生活を保障して欲しい。
この難題に対して、ブノワ・ブーランジェ(ea6505)がまずあげたのが、白の神聖魔法の『クリエイトハンド』だった。彼も、リズ・シュプリメン(ea2600)、ヴィルヘルム、アンリエットの白クレリックの誰も使えない魔法だが、飲食物を生み出すものだ。
ただし。
「神様を信じさせるにはいいかもしれないけど、働かざる者食うべからずよ」
源真結夏(ea7171)が言う通りに、誰もが魔法を示すことで返答とすることには反対だった。これはヴィルヘルムも同じ考えで、彼は『働かなくなったら困る』と簡潔な理由で頷いている。皆考えの根幹は同じだが、こうまで簡単に言われると色々考えてきたサラサ・フローライト(ea3026)はかける言葉を悩んだらしい。
それでも、ツヴァイン・シュプリメン(ea2601)の『努力を忘れたら家畜も同様だ』と言うのよりは、いささかましではある。顔合わせを兼ねて、傍らで話を聞いていたジェラールが呆れた表情を隠そうともしなかった。それはマリオーネ・カォ(ea4335)も同様だ。
「毎日頑張れば、ちゃんと食べていけるんだよでいいんじゃないの?」
その通り、もう少し言葉を飾ることも必要だと、荒巻美影(ea1747)とヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)も口々に同意を示したが、彼らとて基本的に考えていることに大差はない。
「結局のところ、自ら努力することを放棄したら、誰も助けてはくれないということです」
ブノワが判りきったことだけれどと話をまとめたが、問題はそれをどうやって伝え、理解させるかということだ。
更に、満月は翌日に迫っていた。
猫のイチと犬のウノを連れて、子供達が家の建築現場近くでうろうろしているところにやってきたマリオーネは、持ち前の人懐こさですんなりと仲間に加わった。移住者も、この体が小さくて、綺麗な羽を持つシフールを警戒することはない。
「それで、みんな何してるの? えーと、そうは見えないんで聞いてるんだ」
口々に手伝いと言うが、ここにいる子供達はせいぜい十八歳くらいまで。エルフだから、明らかに『小さい子供』である。力仕事の多い建設現場で役に立つとはとても思えないのだが‥‥案の定、作業をしている大人からは危ないから近付けるなと声が飛んできた。
「ニワトリの餌やりしようか。みんな、こっちだよ」
マリオーネは開拓地では顔を知られているし、他にシフールがいないから誰かと見間違えられる事もない。ましてや冒険者ギルドを通じて雇われているので、誰も怪しいなどとは思わない。それで子供達は素直についてくるが、この調子でだれかれ構わずついていかれたら大変だ。
そういう危機感を持って、マリオーネは子供達に他所の街に行ったときの心得など説いてみようかと思ったのだが‥‥子供の一人がイチの尻尾を引っ張ったので、まずは動物との付き合い方からにした。他の街に出たときのことは、大人相手に話したほうがいいようだ。
薪が十分に備えてあれば、真冬を前にしても寒さに怯えることはない。ついでに馬にも慣れさせるかと、結夏は自分の鳳輝とヘラクレイオスから借りたアルゴーを引いて、森に入っていた。この森は古くからのブレダの住民はいまだ近付きたがらないので、一緒にいるのは移住者ばかりだ。どこに住んでいようとエルフはエルフらしく、森の中を進む足取りはしっかりしたものだ。多少の悪路は問題とせず、手際よく薪にする枝を刈っている。
「その木、倒しちゃうわけ?」
「こっち、実がナル。これに、陽が当たると、小さい実しかナラナイ」
お互いにゆっくりと話すようにしてから、会話が噛み合わないことは少なくなった。森の中では結夏も移住者達の知識を尊重するので、彼らも気分がいいらしい。元からの住民とは、やはり信仰があるなしでのすれ違いがあって、何かと気が休まらないのだろう。
「じゃ、集めたのは馬に積んで。ほらほら、あたしが押さえてるから積む!」
ジーザス教徒ではないということで、気持ちが近しい彼らだが、どんなに結夏が大丈夫だと言っても、移住者達はまだ馬の手綱は取れなかった。慣れさせるのは、もう少し時間が掛かるようだ。
開拓地を離れていたのは少しの間だが、その間にまた一棟家が建っていた。どうやら煉瓦造りの家の良さが分かって、移住者も熱心に作業を覚える意欲が湧いたらしい。
それが分かって、ヘラクレイオスは鍛冶仕事に精を出すことにした。力仕事なら他にも人がいるので、道具の手入れの仕方を教えたほうがよいと考えたのだ。技術者は多少のことなら自分でやるが、労役者や移住者は刃こぼれした道具を騙し騙し使っていたりする。
「本当なら鍛冶の技もかなう限り教えたいところじゃが、一週間かそこらでは怪我の元かも知れんのう」
「ではいざと言うときは引き止めぬ約束で、弟子を取るのは? 鍛冶師の手配がつかなくて困っていたところだ」
そうそう皇帝陛下に一大事もなかろうと、様子を見回っていたジェラールに声を掛けられて、ヘラクレイオスは苦笑した。彼の心の星を差し置いて、自身が弟子を取るなど考えたこともないが、心をくすぐる誘い文句であったのは違いない。なにしろ最後に『家も用意する』と付いたのだから。
「まあ、わしより我が友人が先じゃのう」
そのためにも、まずは道具の手入れの仕方だけはきちんと教え込んでおこうと、ヘラクレイオスは心に決めている。
その頃、サラサは移住者の女性達を前に、多種多様な食料を広げていた。ここにもあるかもとは思ったが、何種類かのチーズや塩漬けの魚、乾燥野菜の数々にちょっと張り込んだ蜂蜜漬けの果物だ。要するに、保存食である。
「それは魚。知らないって‥‥それはまた」
移住者達の村から持ってきた食料は、それほど種類は多くなかった。だから保存用に加工された食物を見せて、自分達でもこれが作れるようなれば、滅多なことで飢えることはないと教えるつもりで保存食を買ってきたサラサだったが、魚を知らないと言われて困っていた。いささかそっけない態度の彼女がそうしていると、女性達も落ち着かない。何か悪いことを言ったのではないかと縮こまっているのを見て、サラサは心中悪いことをしたと思った。が、表情にはあまり出ない。
「これは、川や海で取れる肉のようなものだ。こうやって塩をまぶして乾燥させると、肉ほどではないが日持ちする」
何がどれくらい日持ちするのか、一々説明するサラサの声に、熱心に聞き入っているうちに、女性達もあれこれと尋ねてくるようになった。
ただし、魚の説明はどうにも通じないままだ。
聖職者見習い達に紹介をしてもらい、なんだか厳しい目で見られてから、ブノワはジェラールと話し合いをしていた。移住者達の求める『飢えない生活』を保障するのに、クリエイトハンドは適切ではない。ジーザス教の威光を示すだけなら効果的だが、働かずして食べていけると思わせるわけにはいかないからだ。神聖騎士の姉にも指摘されたことではある。
「開拓を始めるのなら、十分な蓄えがあってのことだと思います。どうも彼らはそこまでの収穫量を持たなかったようなので、実例を見せないと納得しないでしょう」
ブレダの穀物庫を見せれば、開拓を行うことで同じような備蓄を自分達も持つことが出来ると理解できるはず。この要請に、ジェラールはしばらく考えてから、ブノワが聞いたことのない村の名前を挙げた。
「ブレダまで往復四日もいなくなられては困る。この村なら、まあ一日で行けない距離ではないし、聖夜祭前にメドック司祭が来ているはずだからね」
馬車を使っても、それほど強行軍をするわけにはいかないのだから、手を打つならこのくらい。ついでに移住者達と同じ村の出身者が最も多いのもここだからと言われて、その点にはブノワも納得したが‥‥
「司祭がおいでなのですか」
「毎年、聖夜祭前に領内の教会を巡る趣味がある。ついでに、アンリエット殿とあなたのことをお呼びだったからちょうどいい」
なんだか嫌な予感のしたブノワだったが、そもそもは自分が言い出したことなので反論の余地はない。
そのうち、日暮れが近付いて手元が暗くなってくると、今度は幾つかに分かれて話し込むのが、冒険者が来ているときの開拓地の習慣になっていた。
例えばリズとツヴァインの場合、ゲルマン語の発音を移住者に教える。彼らが移住者に、美影が技術者にイギリス語を教えることで、どちらも尊重する態度を示すことになった。労役者は言葉にそれほど興味がないので、この輪には加わらない。
そうして、ツヴァインとリズが若者を相手にゲルマン語の発音を教えているのだが、この二人はおおむね話がずれていく傾向があった。ツヴァインは先日の話を持ってきて、貨幣価値の話が入るし、リズは礼儀作法を言わずに済ませられない。どちらも『これを知らないと他所で生きていけない』と断言するものだから、移住者達はそんなものかとなかなか理解できないなりに覚えようとしている。この親子の求める水準が高いことなど、彼らには分からないからだ。
それでも、たまにはこんな質問も出る。
「これ、覚えルト、なにがイイ?」
「世の中には、自分で食べ物を作る以外に、手に職を持つことで金を得て、食べ物を買う方法がある。我々などもそうだ」
鍛冶や言葉、あらゆる技術、魔法を覚える事で、その技を生活のために使う。魔法と聞いて、嫌そうな顔をした者もいたが、鍛冶はヘラクレイオスのやっていることだと説明されたら理解出来たようだ。そして何を覚えるにもゲルマン語がきちんと話せなくてはならないと言われて、色々な言葉の発音を確かめている。
かたやリズも同じようなことを説明しつつ、他人と相対するときの礼儀について、何回も繰り返していた。何のかんの言っても基本的に警戒心が強く、排他的なところが移住者は抜けていない。今後開拓地以外の人々と交流が出来たときに、相手を怒らせないための最低限を知っておく必要がある。そうすれば、人から役に立つことを教えてもらえるのだと、同族の若い娘に言われた女性達はしばらくはそれほど真剣さがなかったが、リズが皆から借り出してきた装飾品を見て、考えが変わったらしい。女性はやはり綺麗なものが好きなのだろう。
「こういうものは、たた人を頼っているだけでは手に入りません。常に自分が努力して、畑仕事でもなんでも、厭わずにやってこそのものですよ」
女性達がちゃんと聞いていたかは不明だが、皆が一様に頷いたのは間違いない。
ゲルマン語の修得が進んでいる間、美影の元ではイギリス語を石板に書き付ける音が響いている。読み書きに重点を置いて教えているので、案外と静かなものだ。
「はい、これは問題ありません。皆さん、思いのほか覚えがいいので教え甲斐があります」
世辞でもなく言う美影に、技術者達は種族問わずに嬉しそうだった。日頃はやってみたいと思っても、仕事に取り紛れて手が付けられなかったイギリス語なので、この機会に何とかものにしたいと思っているのだろう。ついでに移住者達のゲルマン語が、人にもよるが随分と上達したので負けられないと思っている節もある。こういうことで競うのは、まあ悪いことではないと美影は観察しているのだが。
「他の皆さんとの会話で不自由はないですか?」
「最近はそれほど。でも、ジェラール様にあんたって言ったのがいて、怒られてたね」
そういう言葉遣いがなってないよねと、以前ほど嫌そうではなく言う技術者の言い分を、美影はもちろん気に留めておく。
そうした一日の仕事が終わると、またヘラクレイオスとマリオーネの出番である。
「今回は大丈夫じゃ。しっかり目を配るゆえ、心配は要らぬ」
「はいはい、昼の続きの海のお話ですよー」
まあ何かあったら、ちゃんと止めて見せるからと言うのが結夏と美影の女性二人で、ジェラールは驚いたようだ。ヴィルヘルムは諦め顔で、落ち着いて飲めよと許しを出した。
この日はサラサが買ってきた保存食を、ブノワとアンリエットが料理したのだが、食べなれないものを出された移住者達はなかなか手を出さない。それだけでなくそわそわと落ち着かない者もいるが、ツヴァインに請われたサラサがオカリナを鳴らし始めると場は和んできた。ツヴァインとヘラクレイオスがまめに言葉を掛けて回るのもあるし、前回はこういう時は同席していなかった白クレリック達もいるからだろう。
さらにはマリオーネが、小さな体からどうやってと思うような声量で、ドレスタットの街の様子を語っている。ブレダの住民もドレスタットに皆が行ったことがあるわけではないから、聞き入る人々の数は多かった。
「どんな様子だろう」
「月を見ると落ち着かないな。明日は我々が歩哨に立つとでも言っておけばよかろう。そちらの魔法使いも使えるのか?」
満月の晩に、バンパイアに生贄を捧げていた。先月はその満月を見上げる暇もなかった移住者達だが、今回は違う。日が暮れてからそれほど経たずして寝るのだが、それでも月が肥えていくのを毎日目にしていたせいか、落ち着かない者が何人かいた。ジェラールに様子を尋ねられたツヴァインは、彼らが夜中に出歩いて事故でも起こさないかと考えていた。そんなことで怪我でもされたら、面倒だ。
夜中の見回りも面倒だが、今は開拓地の人々の半数が家の中に雑魚寝で入っている。夜中に用足しに出るのは至難の技だと誰かが言っていたので、天幕で寝ている者を中心に見張っておけばいいだろうと、酒盛りの片隅で小声の相談が行われていた。
そこから離れたところでは、ヘラクレイオスが酒の飲み方について語っているが、落ち着かない者が酔いつぶれかけて、リズに引き渡されていた。彼女は彼女で、そういう者に安眠効果が高い香草茶を淹れて飲ませている。よく見れば、リズの周囲では子供達がすでに夢の中だ。
「あんだけ呑んだんだから、二人ともきりきり働け」
憤懣やるかたないといった調子で声を上げたのは結夏だ。酒盛り用にと彼女が用意してきたベルモットはブノワとヴィルヘルムがほとんど飲んだらしい。それで寝入った子供を運べと言われているのだ。結夏も子供の家族を家まで送るのに立ち上がっている。
片付けは、明日の食事の準備を任せるとして、美影が主に取り仕切っていた。この仕事をやったら、別の仕事は人に任せる。自分だけ楽をするということのない移住者には、この『交換』が受け入れやすいらしい。しつこいほどに、明日の食事は自分達がと言い置いて、家や天幕に戻っていく。宵っ張りにも慣れていないので、毛布を被ったらすぐに寝てしまうのだろう。
それは労役者や技術者も同じで、夜更かしをしても平気な顔をしているのは、冒険者とジェラールとヴィルヘルムと魔法使いだ。聖職者見習いの少年少女とアンリエットも、すでに寝てしまっている。
「俺も寝ようっと。サラサさん、フラット借りてくね」
「借りる?」
あったかいもんと、自分のペットにサラサの猫を加えて、マリオーネが天幕の隅で毛布に包まった。その周りに犬と猫で囲いが出来て、確かに暖かいかもしれない。
その様子を見て、苦笑を浮かべたジェラールだが、マリオーネがまだごそごそやっている間に明日の夜の見回りを告げた。その場の全員から了解を取り付けはしたが、移住者の以前の環境をよく知らない美影やサラサはいささか訝しげでもある。
「満月にバンパイアに仲間を襲われることが続いたので、落ち着かないのですよ。そういうことにしておいてください」
けれども、ブノワの言い分に納得しなくとも、わざわざ詮索すべき事かどうかは了解したらしい。
この翌日は、酒盛りもなく、リズとサラサが作った飲み物を口にして、大半の人がすんなりと寝たらしい。そうなるように、仕事を増やしたせいもあるのだが。
満月の翌日、移住者から選んだ六名ほどを連れて、近くの村まで行くというブノワにリズがこう言った。
「司祭様にご挨拶なんですね。今更婿にくるなと言われないように、気を付けてください」
「それは激励ですか、それともからかわれているんでしょうか」
もちろん応援していますと、当人は大真面目かもしれないが、される側はけっこういたたまれないリズの声援に、アンリエットは馬車に乗る寸前で硬直している。それをヴィルヘルムがえいとばかりに馬車に乗せ、道案内を兼ねた魔法使いが一人ついて、合計九人は出発して行った。
そして、見送った側はといえば。
「昼間は繕い物をしておりますので、何かあれば出しておいてくださいませ」
「あたし、また薪集めてくる。今日こそは驢馬の手綱持ってもらわなきゃ」
「魚の塩漬けの戻し方を教えてくる」
非常に現実的な仕事を上げる女性陣と、家の建設と道具の手入れに打ち込んでいるヘラクレイオス、魔法の話をしながら手伝いをしていたツヴァインと、延々と色々な土地の話をしていたマリオーネがいたのだが‥‥それは別に、今までと変わった話ではなかった。
ただ、夕方になって。
「あれ、俺、そのうち移住したいって言ってあるよ?」
「ブノワ殿もそのつもりじゃな」
マリオーネがジェラールにシフール用の家もそのうちに建ててねといったのが切っ掛けで、移住希望の話になった。ヘラクレイオスは態度を明らかにしないが、まあ確定している友人のことは言う。
挙げ句にサラサが魔法を教えてもいいと言い出し、ツヴァインも弟子を取っても構わない口にしたあたりで、聞いていたジェラールの表情が変わってきた。その際に視線を向けられたのは、結夏と美影だ。
さすがに美影は今のところそういう考えはないので、イギリス語の教師としての職分を全うしたいと言ったが、結夏は定住もいいかもと言い出した。
「しばらく労役の人が来るなら、あたしみたいにジーザス教徒じゃないのがいたほうが、移住者との間で揉め事が少ないかもって。目の前にセーラ様を信じていないあたし達がいても、別に信仰が揺らぐわけじゃないでしょ」
「ああ、そうやって考えていただければ、細かい行き違いでの諍いはなくなるかもしれませんね」
美影も頷いたが、聞いていたリズはちょっと困った顔だ。マリオーネは皆の顔を窺って、これまた困惑した表情。
なんでかしらと言う顔付きになった二人に、ジェラールが考え考え告げたのは、こんなことだった。
「あなた達には、自分の生まれた国と言う土台がある。だが移住者にはもう帰るところはない。いつまでも聖母を信じないのでは、この領内では暮らしていけない。大いなる父もいらっしゃるが、教えを説く者がいない以上、聖母を信じる他にはないな」
「なんかそれ、納得いかない。ゆっくり選ばせてあげたらいいのに」
マリオーネが唇を尖らせたのに、ジェラールは少し笑った。
「シフールにはそうかもしれないな。そうだな。じゃあ、こちらの二人が移住してきたとする。どちらも誰もが認める才覚があり、未婚の女性だ。でも大半の男は結婚相手と見ないし、私や弟達がもし恋焦がれたとしても、絶対に近付くことも許されない。そういうことになるのに、放ってはおけないだろう」
信仰の違いは、そういうことになりかねない。だから、心底信じるのは先でもいいから、聖母が信じるに足るものだと理解してもらう必要がある。領主一族としては、手をこまねいてはいられないことなんだよと告げた声は、表情と違って苦いものを含んでいた。
この二人と引き合いに出された美影と結夏は、非常に居心地が悪そうな顔をしていたが、言われたことは理解した。黒の使徒のヘラクレイオスもなにやら考えていたようだが、ツヴァインがヴィルヘルムに声を掛けたのでそちらに目を向けた。
「何か言うことはないのか?」
「別に。もちろんあんたらのおかげで今があるのは承知してるさ。神を信じろというのは、俺の仕事だ」
そこまでは求めないけど、働かずに食っていけると思い違えないようにだけ見てやってくれ。マリオーネはまだ納得がいかないようだが、返す言葉が見付からずに唸っている。
「では、我々は我々の仕事をしよう」
有無を言わせぬ勢いのツヴァインの言葉があって、その場は解散となった。
同じ頃、収穫期の後で小麦が詰まった倉庫を見た移住者達は、村の人数を確認して感嘆の声を上げていた。さらに冬麦の畑も眺めて、感動の面持ちだ。
「実はあの備蓄、開拓地向けのものも含んであるから、この村の収穫だけじゃないけど‥‥言わなくてもいいわよね?」
「クロエさん、それならそうと先に僕には言ってください」
移住者達が元の村でどういう生活をしていたか不明だが、飢えない生活を望むのは飢えたことがあるからだ。ブレダの街を見る限り、ここ何年もそうしたものとは無縁で来ているはずで、開拓地が安定した収穫を得られるまでの支援も、よほどの悪天候がなければ出来ると見込んでの計画だろう。
いざと言うときには、魔法の使い手が多い利点を活かしての農業なども考えていたブノワに対して、ウィザードのクロエは『そういう育成してないから、今は役に立たない』とすげなかった。が、検討は約束してくれる。
問題は、なにやら難しい顔付きでアンリエットと話しこんでいるメドック司祭なのだが。
「ヴィルヘルムが、結婚式は譲らないというのでね。婚約の立ち会いくらいはしたいものだね」
何を話していたものやら、ブノワには掴み所のない笑みを浮かべて告げてくる。結局司祭に促されるままに、ちゃんと指輪を出したブノワだったが、後になって悔やんでみた。この先ずっと、司祭に『あのときの様子』を語られる自分の姿を思ったからだが‥‥
アンリエットが浮かべた泣き笑いのような微笑で、すべて帳消しである。
そうして。
「街には、今言ったような怖い人もいてね。だから最初は、一人じゃなくて、知っている人達と行くのがいいよ」
マリオーネが楽しい話の合間に、危ない目にあった時のことも話している。あまり通じていないようだが、皆分からないなりに聞き入っていた。
「今から畑を作って、春に植えた作物を秋に収穫して、きちんと保存すればしばらく持つ。それがなくならないうちに、作る。家畜も育て、それが食料や労力になる。そういう風に、神は世界を作られたのだと思うよ」
人も万物も神が作り出したからこの世にあり、支えあってより良く生きることが望まれているのだろうと、サラサがとつとつと語り、保存食の作り方を示すのを、こちらは女性が集まって聞いていた。
「平等にこだわるのも、悪いことではありませんでしょう。他人より楽をしようとか、もっとたくさん欲しいと言わないということですから。そうして考えれば、よく働く方々ではありませんか」
黙々と煉瓦を積んでいる移住者達の姿を遠目に見ながら、美影は技術者と話していた。確かに慣れないと煩わしいこだわり方だが、見方を変えれば受け止め方も違うことは、冒険者の彼女達は良く知っている。
「働かざるもの食うべからずなの。どんなに優しい神様だって、何にもしない人まで助けてくれないの。親と一緒よ。そっちも、つんけんしてたら仲良くなれるものもなれなくなるから、神様のことは教えてやるくらいの気分でどーんと構えなさいよ」
いささか早口になっているが、結夏の言う『親と一緒』は移住者の心に染みたらしい。働かない者に食わせるものはないというのも、元からの生活習慣と合致しているのだろう。労役者も狭量はよくないと言われれば、慈悲と寛容の聖母の信徒らしく反省している。
「なに、力がなくとも鍛冶は出来るぞ。この国で有名な鍛冶師はエルフのお方じゃからな。もし興味があるなら、修行が出来るようにジェラール殿に計らいをお願いしておくかのう」
ヘラクレイオスは道具の手入れのやり方を教えて欲しいと頼まれた。どう見ても、建築よりは手先の仕事に興味がある様子の若者の腕力を確かめてから、一番よい方法は何かと考え込んでいる。自分でも出来ると言われた若者が、傍らで次の言葉を待っていた。
「知らないことは、それをよく知っている人に教えてもらえばよいのです。私もこうして人を教えることで日々の糧を得ますが、それでも結夏様にお箸の使い方を習ったりしますので、教えてもらうことは恥ずかしいことではありませんよ」
箸は知らない移住者と、たまたま聞いていた労役者達だったが、『教えてもらえばよい』と言われて、あれこれ訊ねて始めた。いずれも些細なことだが、リズ一人ではとても相手をしきれるものではない。皆、色々と知らずに困っていたことがあるようだ。
「貴殿らの言うことが間違っているわけではないが、あれはいただけないな。わざわざあの二人を引き合いに出したのはどういうことか、声高に追求してやろうか?」
そちらの要請にはきちんと応えているものを、突き放すのは例え理由があっても認めない。そんな輩に他人が導けるものかと、ツヴァインの容赦ない声色に、ジェラールがすまなそうな顔はした。しかし言質は取らせない。そうしてヴィルヘルムは『修行が足らなくて悪かったよ』と口にして、ツヴァインに頭を殴られていた。
「いま、あなた方は自分達が他所から来たと思っているかもしれません。ですが、この土地はあなた方の手で開かれていきます。あなた方はここで繁栄し、子供達を育てることを、主から使命として与えられたのです。この地を麦穂で埋めることもさえも、主の望むことだから、我々は叶えることが出来るのですよ」
一緒にやりましょうとブノワに言われ、仲間が見てきた他所の村の様子を聞いて、移住者達は何か気付いたような顔付きになった。『ここにずっと住めるのか』と、建てたばかりの家を振り返る顔は、明らかに今までと違う。
「ああ、移住者と呼ぶのを改めろ。いつまでも客扱いでは、奴らもその気分のまま、保護されるのが当然と思い込む。とりあえず上っ面だけでもどうにかすることだ」
前向きに働かせたいなら、土台からきっちりと固めていけ。ヴィルヘルムをしばらく叱り飛ばしていたツヴァインが話を切り上げたのは、そんな指示を出してからのことだった。
もうしばらく頑張れば、言葉ももっと上達するだろうし、家も建つ。細かい色々なことが伝え切れないと思っても、依頼期間は最初に提示されたとおりだ。
「ギルドに報告したら、また戻ってきますよ」
義妹とのしばしの別れを惜しんでいる義弟の言葉に、ヴィルヘルムはにやりと笑った。
「もう一回、年内一杯は『冒険者』でな。他も、聖夜祭があるが、出来るだけ来てくれよ」
「あー、聖夜祭ね。お祭りは好きだけど、別に教会には行かないし」
「えーと、向こうの予定があるからー、でもお弁当」
「そうじゃな。こればかりは先方の都合と言うものが」
微妙に棘のある結夏に続いて、マリオーネとヘラクレイオスが思わず唸っている。
「まあ、素敵な話ですわね。ブノワ様もおめでたい話が進展したようですし?」
リズに『そちらはいかが』と突っ込まれて、それぞれにあらぬ方向を見やっていた。
「今回は大きな揉め事もありませんでした。多少なりとお役に立ったようで」
そんな様子に笑みを浮かべて、美影が言うのに続いて、
「山羊は欲しい。チーズの作り方を教えてやりたかったな」
サラサが帰り際まで実務的なことを口にしている。
「精進しておけ」
そう告げたツヴァインの視線の先では、出身に関わらず、入り乱れて彼らの見送りをしようとする人々がいた。
まだ名前もない開拓地の様子は、確かに変わっていた。