闇翼の陰謀〜邂逅

■シリーズシナリオ


担当:月原みなみ

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:7人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月26日〜05月31日

リプレイ公開日:2008年06月02日

●オープニング

 罪は、罪。
 たとえそれが自ら望んだ行為ではなかったとしても、犯した罪に取り返しなどつくはずはなく、失われた命が帰るはずもない。
(「‥‥だが助けられたのではないだろうか‥‥」)
 罪は消えなくても。
 せめて命だけは、消える前に。
(「‥‥おまえ達がもっと真剣に『妹』を救おうとしてくれていれば‥‥」)

 こんな後悔を、抱く前に。


 そうしてあの日、闇は『彼』に応えた。
 ――復讐を。

 終わりの、始まりだった。




 ●

「あれ?」
 ギルドの受付係は意外な来客に思わず声を上げてしまった。
 誰が来たのかと言うと、有志による某組織設立に関して冒険者達と共にセレへ旅立ったはずのアベル・クトシュナスだ。
 いや、もしかすると出発はこの後なのかもしれないが、だとしても依頼受付のこの場に彼が姿を現した事には疑問を感じずにいられなかった。
「どうなさったんですか。何か不備でも?」
「いや、別件で改めて依頼を出しに来たんだ。この間、こっちの依頼を出し忘れて帰ったらご主人様に呆れられてね」
 セレ領内西部に広がるヨウテイ領領主にして伯爵位を持つアベルが主人と言うからには、その相手は恐らく分国王コハク・セレ。
 今の言い方を鑑みるに、これから出そうとしているのは王からの依頼――と言う事になるのだろうか?
 一体どんな内容かと緊張を高める一方、それを出し忘れる目の前の人間貴族に強い疑問を感じずにはいられない。
「えぇ‥‥と、では依頼の内容をお聞かせ願えますか?」
「ああ」
 そうして語られたのは、受付係にとって決して他人事ではない内容だった。
 ここ最近になってセレ領内の国境付近に点在する村が立て続けにオーガ族の襲撃を受けている。
 調べてみると、隣国におけるセレ寄りの村にも似たような事例が連続していて、さすがに何らかの意図が働いているとしか考えられなくなってきた。
 自国の戦力は、同時に労働力でもあり、荒廃した村の復興に人員を裂いているため原因の調査にまで手が回らない。
 ましてや原因がセレ内部にあるとも限らないため、その辺りの融通が利く冒険者の手を借りたいと言うのだ。
「こちらで把握している範囲ではあるが、一番最初に襲撃を受けたと思われるのはギザン領のクアチナ村。一年くらい前になるかな」
「ギザン領のクアチナ村‥‥」
 依頼書に筆を走らせながら復唱した受付係の動きが、不意に止まる。
「――! ギザン領のクアチナ村!」
 ハッと気付いた事柄に自ら驚いて大声を出してしまった受付係に、さすがのアベルもぎょっとしている。
「どうした?」
「ぁ、いえ、その‥‥」
 その名前をどこかで聞いた気がしていた。
 それをいま思い出したのだ。
(「エイジャさんが亡くなられた依頼で彼らが行っていた村だ‥‥!」)
 どうりで聞き覚えがあったはずだ、その当時の報告書に片っ端から目を通していた彼は何度もその名前を目にしていたのだから。
(「どうしよう‥‥いや、まずはリラさんに連絡を取って‥‥」)
 必死に自分を落ち着かせようと試みる青年だが、震える手が止まらない。
 アベルも心配そうにその顔を覗きこんでいる。
「どうしたんだ、本当に大丈夫か?」
「ぁ、あの‥‥」
 大丈夫ですと言い掛けた口が、そのまま止まった。
 視界に揺れた長い金髪と、細い手。
「失敬」
 穏やかながらも硬い声音で二人の間に割って来た人物、それはリラ・レデューファン。
 彼が此処に居たのは偶然だ。
 受付係が、忘れたくても忘れられない村の名前を大声で叫んでくれなければきっと気付かなかった。
「リラさん‥‥!」
 青年が三度驚いて大声を上げれば、名を呼ばれた本人は短く頷いてアベルに向き直る。
「この無礼は幾重にもお詫び致します。ですが‥‥、もしよろしければその依頼、私に引き受けさせて頂けませんか」
 思い詰めた表情で訴えるリラから、アベルは何を感じ取ったのだろう。
 少し思案した後でセレの人間貴族が返したのは好意的な微笑。
「君は何かを知っているのかい?」
「‥‥何かならば、恐らく」
 リラは言葉を選びながらゆっくりと語った。
 かつてその村からの依頼でオーガ族を討伐に向かった事。
 その帰りにカオスの魔物に狙われて友を失った事。
 そして今、セレに行方知れずとなった友がいるかもしれない事。
「カオスの魔物、か」
 アベルの呟きに、リラは重ねて告げる。
「オーガ族の襲撃が頻発する理由も必ず突き止めます。ですから、‥‥どうか友と、友の仇を追わせて下さい」
 真摯に願うリラに返るしばしの沈黙。
 そして不意の失笑。
「表向きは君の目的をメインに動いてもらえると助かるかな」
「え‥‥」
「今の話が事実で、オーガ族の襲撃もそこに起因しているのなら、こちらとしては相当聞こえが悪い」
 国内にカオスの魔物が潜み暗躍しているなど外聞が悪いにも程がある。
 ならば、それが証明されるまでは可能な限り伏せて置きたいのが貴族の本音。
 ――だが。
「君の目的を達成する事が結果的にこちらの欲しい答えに繋がるなら、こちらこそ、この任務は君に頼みたい。協力は惜しまないよ」
「アベル卿‥‥」
「よろしく、リラ」
 向けられる笑顔に裏が感じられないのは何故だろう。
 励まされているようにすら聞こえるのは、気のせいか。
「ありがとうございます」
 それでもいい。
 思い過ごしでも、これでセレでの行動を制限される事が無くなるなら。
「よろしくお願いします」
 深々と頭を下げたリラ。
 受付係は必死で熱くなる目頭を宥めていた。

●今回の参加者

 ea0244 アシュレー・ウォルサム(33歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3329 陸奥 勇人(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3651 シルバー・ストーム(23歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 eb0010 飛 天龍(26歳・♂・武道家・シフール・華仙教大国)
 eb4324 キース・ファラン(37歳・♂・鎧騎士・パラ・アトランティス)
 eb4402 リール・アルシャス(44歳・♀・鎧騎士・人間・アトランティス)
 eb7871 物見 昴(33歳・♀・忍者・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 いよいよセレへ向けて出発しようというその日、ギルドの前にはリラとの同行を希望した冒険者達の他に、見送りに来ていたユアンや石動兄妹の姿もあった。
 彼らに囲まれるようにして佇んでいたのは陸奥勇人(ea3329)と飛天龍(eb0010)の二人。
 キース・ファラン(eb4324)は彼らの話す内容を予想し、ユアンを連れてギルドの受付係に会いに行くと言って席を外す。
 少し離れた位置では静かに時を待つシルバー・ストーム(ea3651)が居り、物見昴(eb7871)は仲間達の会話が聞こえる距離には居るものの、その内容に積極的に関わろうという気配は見せなかった。
「エイジャの死の真相は掴めたが、エイジャの死を招いたそもそもの原因がまだだ」
 硬い表情で告げる勇人には皆が重苦しい沈黙を作り出す。
 約一年前にリラ達七人が受けた依頼に関連し、赴いた土地で、彼らの前に現れた黒猫――もといカオスの魔物である『翼を生やした黒豹』。
 石動香代がこれに気付いた時には、既に仲間の一人ルディ・オールラントは仲間の命を奪う行為に走っていた。
「ルディが黒豹と手を組んでエイジャとリラを罠に嵌め、黒豹は香代を利用し続けるためにケイトの傍に居付いた‥‥」
 その後の出来事は、恐らく本人よりも冒険者達の方が詳しい。
 ルディはリラに対し、償うつもりがあるならばエイジャの養い子に討たれろと唆し、ユアンに一通の手紙を送った。
 この手紙が「始まり」だった。
「グリマルキンとルディが組んでいたのは間違いない」
『翼を生やした黒豹』は天界出身の彼らにとってはデビル族『グリマルキン』の名で馴染みだ。まったく別の世界の、別の闇の存在であるはずなのに、あまりにも似通った異形の姿。冒険者達の胸中は言い様のないざわめきを覚える。
「‥‥仮にも騎士でありパーティの皆とも信頼の絆で結ばれていたはずの男がデビルと手を組む事態とは何か。ルディ自身がデビルを受け入れた原因は何だ」
「‥‥判らない、今もまだ信じられない」
 重ねられる問い掛けに、震える声を押し出すのは香代だ。
「妹さんの件があって以来、ルディは同じ兄弟のカインよりも激しくデビルを憎んでいたのよ‥‥?」
 その彼が。
 よりによってそんなルディがカオスの魔物と手を組むなど、香代もそうだが、良哉やリラにも信じられるはずがなかった。
「その妹さんの一件、判る範囲で構わないから出来るだけ詳しく聞かせてもらえないか」
「詳しくと言われてもな‥‥」
 良哉が頭を掻きながら語る。
「ルディの妹がある男に想いを寄せたが、そいつは位の高い貴族サマ。報われない想いに精神的に追い詰められていった彼女は、当時世間を騒がせていたデビルを奉った宗教にのめり込んでいったんだ」
 デビルを唯一の存在と崇め奉れば必ずその想いは叶う。
 思い通りにならぬ事など何一つ無い――そのような甘美な誘惑に唆されて、心弱くしていた少女は堕ちたのだ。
「あの頃、冒険者に出される依頼の大部分がその宗教関連だった。‥‥俺達も何度か調査に関わった。アジトの場所を割り出したり、行方不明者を捜索したり」
 時間は掛かったが、多くの冒険者達が協力したことで首謀者は処刑され、宗教組織も壊滅した。
 だが、妹を人間として救うには遅過ぎて。
「‥‥せめてもの償いだと、兄弟が自らの手で彼女を葬ったんだ」
「二人とも‥‥特にルディは妹さんを本当に愛していて‥‥とても大切にしていたから、救えなかった事をずっと後悔していた‥‥」
「そうして傷ついた兄弟を生かすために、新天地を求めてアトランティスに渡ってきたのだったな」
 以前にリラからその話を聞いていた天龍が言葉を紡ぐと、リラも、石動兄妹も悲しげな眼差しで遠くを見つめ、肯定する。
「生き直すつもりだった‥‥、そう出来るはずだった」
「ああ」
 呟く良哉の肩を、リラが叩く。
 その行為には確かな労わりが感じられ、また、オールラント兄弟について語る彼らの姿にも行方の判らない友人の安否を気遣う気持ちが痛いほど感じられた。
 その関係に嘘はない。
 なればこそ、何故ルディは仲間の命を弄ぶのだろう。
 まったくもって理解に苦しむ。
「――‥‥」
 重苦しい沈黙の帳が再び落ちた、その時。
「師匠!」
 キースを追い越し、駆け足で天龍の傍に近付いてくるのはユアン。
 大人達は無意識に目元を和らげて幼子を迎える。
「どうしたユアン、そんなに慌てて」
「師匠達がこれから行くのってセレって国だよね?」
「そうだが」
「リール姉ちゃん、昨日そのセレから帰って来たんだって!」
「は?」
 思わず情けない声を上げたのは良哉だが、天龍達は承知済み。
 唐突な報告に虚を突かれつつも、子供が指し示す先にはキースの後ろに並ぶような形でリール・アルシャス(eb4402)の姿がある事を確認した。
 どうやら中で彼女と遭遇したらしい。
 更に、その隣には初めて会う男が居た。
 茶に近い長い金髪を後ろで一つに結わえた、二十代後半と思われる長身の人物。精悍な顔付きに見えるが、リールと話している表情には人懐っこさが見て取れる。
「彼がアベル卿だ」
 リラが囁いた。
 表向きはリラの目的――『翼を生やした黒豹』の追跡と友人の捜索を主にしているものの、自分に協力してくれる冒険者を信頼するリラは、依頼主アベル・クトシュナスの事も、その裏の依頼内容についても既に話しており、一方のアベルにも彼らの事は伝えてあった。
 だから一様に姿勢を正す。
 手を伸ばせば届くほどの至近距離に来て、依頼主は冒険者達一人一人の顔を見遣って微笑んだ。
「今回は世話になるよ。‥‥と言っても、こちらの件は『ついで』で構わないのだけれど」
 茶目っ気たっぷりに告げる貴族に、冒険者達は各々の反応。
 とりあえず人口の約八割がエルフ族で構成されるセレ分国内において珍しい人間貴族が気さくな人物だという事は判った。
「セレでは私の領地に滞在してもらう事になる。移動手段などに関しては可能な限り力になるので遠慮なく言ってもらいたい」
「感謝します」
「よろしく頼む」
 短い言葉で挨拶を交わし、既にギルド内で自己紹介を済ませていたキースは、ウィルに戻ったばかりのリールに話し掛けた。
「一日二日でセレまで往復するなら、あっちで待っているのも一つの方法だったな」
「あぁ、確かに」
 ほとんど休む間もなくセレへとんぼ返りする事になるリールが苦笑交じりに返すと、共に旅してきたアベルも失笑。
「船でも休んでいると良い。移動時間は長いから」
「ありがとうございます」
「ではシップに案内しようか?」
 出発しようと冒険者達が動き出すと、ギルドの受付係が固い表情で口を開く。
「いよいよですね‥‥くれぐれもお気をつけて」
「ああ。ありがとう」
「きっと吉報を持ち帰るよ」
 リール、キースが彼に応え。
「師匠‥‥」
 飛翔する自分を心配そうに見上げてくるユアンに、天龍は力強い笑みを返す。
「ユアン、おまえにこれを譲る」
「――これ‥‥」
 託すと言われて差し出した手に乗せられた「水晶のダイス」に、少年は目を丸くした。
「俺には、ユアンとエイジャから託された物があるからな」
「だから、師匠のを俺に‥‥?」
「ん」
 そうだ、と頭を撫でてやれば幼子の強張っていた表情に笑みが戻る。
「良哉、香代。ユアンのことを頼んだぞ」
「あぁ任せてくれ」
「エイジャの分も‥‥私達が、必ず」
 改めて決意を口にする兄妹だったが、昴が近付くと途端に表情を崩す。
「物見君、無事に戻ったら今度こそのんびり茶を楽しもう」
「あぁ」
 昴も僅かに目元を和らげ、仲間に続く。
「お兄さんたら‥‥」と呆れた呟きを溢す香代は、シルバーが横を通り過ぎるのに気付いて、慌てて声を掛ける。
「あ、あの‥‥!」
 寡黙なエルフは視線で応えるのみ、だがそれで充分。
「ありがとうございます、‥‥どうか、よろしくお願いします」
 深々と頭を下げる彼女に、シルバーは頷く。
「‥‥時間の許す限りはお手伝いさせて頂きます」


 そうして皆が準備万端、出発間際というところで七人目の登場だ。
「間に合ったね」とアシュレー・ウォルサム(ea0244)がマイペースに仲間達の傍へ。
「何か手間取ったのか?」
 勇人に聞かれて、彼が持ち上げたのは名酒「うわばみ殺し」のとっくり。
「オーガに話しを聞くならこれだよね」
「あぁ。なるほど」
 手土産かと納得する面々に、不意に「あ!」とユアンが声を上げる。
 その視線はアシュレーに釘付け。
「おや? 随分と逞しくなったね」
「‥‥っ」
 意味深な笑みを浮かべて告げる彼に対し、ユアンは逃げるように石動兄の背後へ。
「??」
 意味が判らず小首を傾げる一同の中、事情を知るリールだけが小刻みに肩を震わせていた。




 ●

 移動中の船内で、リールは皆に先駆けてセレに赴き知り得た情報を仲間達と共有した。
 情報と言ってもあちらはあちらで問題が山積みなため、表面的な事柄でしかないのだが、それでも有益な情報である事に変わりはない。
「セレと隣接する国境沿いの村はほぼ全てオーガ族の襲撃を受けている」
「ほぼ全て?」
「西は聖山シーハリオンに隣接するせいか、また別なのだけれど‥‥、ウィエ、トルク、隣国リグ――これらの国との国境線付近に新たな輪郭線でも描くように一帯がやられている」
 羊皮紙に簡略化した周辺の地図を書き、指先で囲んで説明するリールは確認の意味を込めてアベルを見遣り、彼はその視線を受けて軽く頷いた。
「国境沿いというのが厄介でね。首都から離れた分だけこちらの対応も遅れてしまう。あまりにも頻発するので各所に騎士を配備し、襲撃に備えるんだが、そうすると全く襲って来ないどころか、完全に息を潜めてしまう。国内にオーガ族がいること自体が嘘のように思えてくる。最も、警戒を続けている甲斐あって最近は新たな被害が出ずに済んでいるけれど」
 だからこそオーガの襲撃によって荒廃した村の復興に着手するに至り、リールはこちらでも力を貸してくれているのだ。
「‥‥こちらの動きを読んでいるってことかな」
「オーガ族にそこまでの知能があるかなあ」
 キースの呟きにはアシュレーが小首を傾げる。
「オーガの襲撃にデビル‥‥もといカオスの魔物かあ。両方繋がりがあるとするなら面倒な事になりそうだよねえ」
「しかし腑に落ちん」
 難しい顔で勇人が言う。
「オーガを介して不特定多数を巻き込みつつも、真に狙ったのは仲間。ルディは何を考えてこんな騒ぎを起こす」
「‥‥ひょっとしたら‥‥、オーガ族の襲撃とルディには、直接的な関わりが無いのかもしれない」
 ぽつりとリラが溢した呟きに皆の視線が集まる。
「私達がクアチナ村の依頼を受けた時には‥‥、少なくともあの村での依頼を終えるまでは、ルディは友人だった」
「リラ殿‥‥」
 沈痛な面持ちで語る青年に気遣う言葉を掛けるのはリール。
 彼は頷く。
「まさか出発したあの時点から私にエイジャを殺させるつもりだったとは‥‥、そのために、わざわざセレという遠方で騒ぎを起こしたとは、‥‥可能性の一つだとしても、考えたくはないんだ」
「リラ‥‥」
 当時の記憶を思い返して告げる彼の気持ちは判る。
 しかし、それが真実か否かは、まだ誰にも判らない。
「オーガ族を使って村を襲わせている黒幕と、ルディを変えた黒幕が同じだとするなら、それはあの黒豹ってことになるのかな」
 キースが頭を悩ませながら言うも誰一人として返せる言葉が見つからない。
「‥‥仮にリラの言う事が真実であれば、ルディはクアチナ村に行った事で変わった、という事になるが」
 天龍の予測に、アベルは肩を竦める。
「となると、こちら側に何かが有る可能性が更に強まるわけだ‥‥」
 何かを諦めたような吐息を交えた呟きは、力なく船内に響いた。




 ●

 分国セレ。
 首都を置く東部は森林地帯、聖山シーハリオンに接する西部は山岳地帯。
 その山岳地帯の麓にアベルが治めるヨウテイ領が広がっている。
「やはり最初に調べるのはオーガ族の棲家か」
「それが妥当だろうねえ」
 昴、アシュレーと続く会話は、冒険者の滞在場所として提供されたアベルの屋敷内にある一室。
 有力な手掛かりがない今、最初に調べるべきは頻発しているオーガ族の襲撃、その要因であるという意見で一致している。
 調査二日目の、この日。
 彼らは本格的に行動を開始しようとしていた。
「リールさん。船で描いた地図をお借りできますか?」
 シルバーに言われて、セレ領の輪郭部分だけを簡易的に描いた地図を差し出すリール。
「魔法で何か判るといいが‥‥」
 期待と不安の入り混じった呟きに、当人は静かな視線で応えながら地図を受け取った。
 正確な情報を記した地図となると軍事機密にも関わってくるため、現状で彼らが手にする事は出来ない。
 自分の領地限定であれば提供出来るとアベルは言うが、幸か不幸か聖山シーハリオンに背を守られた土地はオーガの襲撃を受けておらず、探索して有力な情報が得られるとは考え難い。
 そのため彼らが知り得る地形というのはあくまで王都ウィルの王宮図書館で閲覧可能な範囲だが、かといって試さない手は無いだろう。
 シルバーが魔法バーニングマップのスクロールを広げて念じている間、誰一人声を出さずに事の成り行きを見守っていた。
 しばらくの沈黙、と。
「!」
 不意に燃え上がった地図。
 傍にある他のものには一切燃え移ることなく羊皮紙の地図だけを燃した炎は、後に灰を残して消失した。
 この残された灰が目的地までの最短コースを示す。
 情報量によって左右される術ではあるものの、手掛かりの一つとなるはずだった。
 しかし、彼らの眼前に提示されたものは、道無き道。
 輪郭線内を塗りつぶしたように広がる灰色のセレ領だった。
「‥‥これはどういうことだ?」
「どの道を通って何処に行ってもオーガの拠点だらけ、とか」
「そんなバカな‥‥」
 アシュレーとリールが言い合うが確信には至らず、判る事と言えば棲家の断定が困難であるという事くらいか。
「では『グリマルキン』でも調べてみましょうか」
 シルバーの提案に、リールは慌てて新たな地図を描き上げる。
 再び発動される術、しかし今度は灰の一欠片すら残らなかった。
「‥‥『翼を生やした黒豹』で探さないとダメなんじゃないか?」
 ふと思い当たった昴の意見に、再度の試み。
『カオスの魔物』として調べてみると、灰は残ったが、その道筋も一つではなかった。
「『翼を生やした黒豹』って魔物は一匹じゃないからな」
 それは地図上から『犬』や『猫』を探すことと変わりない。
 しかし今回は一つの情報が残る。
 セレ領内には複数の魔物が存在しているという事。
 一つの国に点在する印が、果たして多いのか少ないのかは彼らにも判断が付かなかったが。
「なら『ルディ・オールラント』はどうだ」
 固有名詞ならば、もしかすると。
 勇人に促され、リールが地図を描き上げて試される四度目の術。
「あ‥‥っ!」
 道が残った。
 ただ一つ。
 それは正確さに欠ける地図だったけれど、位置は重なる、――ギザン領クアチナ村だ。


 *

 問題のクアチナ村は、ヨウテイ領から南方に約一日馬を駆った辺りに位置する。
 アベルから操縦士付きのフロートシップを借り受けて現地に移動した彼らは数時間で目的地に到着し、改めて術を試みるも、現在地に大きな円が生じただけで道を示すものではなかった。
「ここからは自力で捜索するしかないね」
 アシュレーが言いながら、早速試すブレスセンサー。
「先に調べた『翼を生やした黒豹』で生じた道の一つも此処に繋がっていた‥‥、一緒にいると見て恐らく間違いないだろうな」
「ああ」
 天龍、勇人と、術士達の探索魔法の邪魔にならないよう気遣いながら成される会話の中で、リールは先日の内に面識を得ている村人達にも話を聞いてみないかと仲間を促すと、これには一通り調べ終えた術士達も承知する。
「そうだねえ‥‥あの森の中にも今のところ怪しい反応は無いし」
 アシュレー、勇人、天龍、それぞれが持つ『石の中の蝶』にも反応は皆無。
 シップの操縦士には船内で待つよう告げ、冒険者達は村に入った。
 途中、見回りをしていたセレの鎧騎士と遭遇し怪しまれたが、この時にもリールが話を通した。何せ彼女がアベルと共にこの地を訪れていたのは僅か数日前のことだ、相手も彼女の顔を覚えている。
「いろいろと助かる。ありがとう」
 リラに礼を言われると、リールは「役に立てて良かった」と笑みを返した。


 村の人口はおよそ六十名。
 オーガの襲撃によって土地も人も甚大な被害を受けたが、約一年を経て村人達の地道な努力が実り、今年の春は僅かと言えども様々な彩りが大地に育まれていた。
 生活は楽にならずとも生きていける環境は取り戻しつつある。
 東側には深い森が広がり、元は工芸・美術品といった細やかな作業を主とする産業を生業にしていた村はほとんどがエルフで構成されており、人間の姿はゼロに等しい。
 他種族とは距離を置くと間々言われる種族だが、この村の彼らは冒険者の求めに応じて自分達の持つ情報を素直に提供してくれた。
 何故ならば、かつて冒険者に救われた事があったからだ。
「オーガに襲われた日のこと‥‥? さぁ‥‥突然の事にパニックになっていたから詳しい事は何も‥‥」と言いながら、オーガの様子や、話しが通じたかどうかなど、冒険者が順に一つ一つを確かめて行くと、相手も思い出し易くなるようだった。
 襲われる心当たりについては誰も何も知らず、話が通じていたかどうかは判断しかねる。
 あちらも自分達を殺すつもりで襲い掛かって来ているのだから、止めてくれと頼んだところで聞き入れてもらえたとも思えない。
 ただ、何か目的があったように見えたかと問われれば、一つ。
「死人を増やしたがっているように思えた」と数人が口を揃えた。
「オーガは自分達が死ぬ事も厭っていなかったんです。もう我武者羅に‥‥斬られても射られても、まるで意に介さず私達を襲ってきました‥‥。そうよ‥‥言われて見れば、村中を死体で埋め尽くすために襲って来ていたのかも」
「死体で‥‥?」
 それはエルフに限らず、オーガ族もその内に含まれる。
 そして他所の村も合わせれば。
 国境に沿うように、これまでオーガ族の襲撃被害に遭ってきた村々、全てが死体で溢れたとしたら、描かれたライン上には何が出来るだろう。
 ――何の為に?
「非常に嫌な予感がするんだが‥‥」
「死体にデビル、判り易い構図といえばそうだねえ」
 嫌悪感を表情に滲ませる天龍やアシュレー。
 そんな彼らにエルフの子供が問い掛ける。
「でびるって何?」
「あぁ、‥‥とても悪い者達の事だよ。カオスの魔物という名前を聞いた事があるか?」
 リールが膝を折り、子供と目線の高さを合わせて問うも、子供は小首を傾げる。
「知らなーい‥‥それって怖いの‥‥?」
 無垢な瞳で聞き返され、リールは微笑む。
 辺境の村にそういった情報が伝わり難い事を彼女は知っていた。
「大丈夫だ、怖くはない」
 知らないならば敢えて怯えさせる事は無いと思う。
「亡くなった人達の遺体はどうしたんだ?」
 キースが問うと村人達は森に埋葬したとの返答。
 オーガ族の遺体についても、共に埋めるのは憚られるも村に残しておくわけにはいかず、少し離れた土地に纏めて埋葬したと言い、それは自分達も手伝ったとリラが後で語った。
「もう一つ聞かせて欲しいんだが、そのオーガ族と一緒に黒猫か、黒豹か‥‥何か黒い生き物が一緒にいなかったか?」
「黒い動物、ですか?」
 勇人の問い掛けに、エルフ達は顔を見合わせて当時を思い出す。
「そんな動物は‥‥」
「あ、でもカラス‥‥、いえ、コウモリかしら。真っ黒い鳥‥‥たぶん鳥だと思うのですけれど、そんなのは見た気がします」
 その返答に顔を見合わせる天界出身者達。
「インプだろうか‥‥」
「だろうね」
「こっちでは『邪気を振りまく者』だったかな」
 リラ、昴、アシュレーが小声で言い合う。
「‥‥すみません、最後にもう一つだけ」
 そうして村人に対し口を切ったリラは、持参した一枚の絵を差し出した。
 古びた羊皮紙に描かれた複数人の姿を見て、村人達は「あら‥‥」と驚いた顔をする。
「あらあら‥‥そうだわ、貴方、あの時に助けに来て下さった方‥‥」
 絵と、本人を何度も見遣ってリラを思い出す人々。
 再会を喜ぶという雰囲気でもなかったけれど、互いの胸中に不思議な嬉しさを滲ませる。
「覚えていて頂けて光栄です‥‥、この兄弟の事も、覚えていますか? あの後で二人の姿を見た事はありませんか?」
 絵の中のカインとルディ、二人を指差して問い掛けると、村人達はしばし悩んだ後で「ごめんなさい」と返す。
 それは、見ていないという答えだった。




 ●

 セレ国内に暗躍するカオスの魔物は『翼を生やした黒豹』だけではなかった。
『邪気を振りまく者』の姿も目撃されていた可能性は高く、更にオーガ族の襲撃が死人を増やすためとなれば、そこには確実に何らかの意図が働いている。
 では、その意図とは何か。
 誰の意思か。
 ルディとは考え難い。
 ここまで来ると黒豹が主犯とも思えず、その後ろに、更に何かがいる可能性は限りなく高くなっていた。
 ならば、それは「何者」か。


 三日目、四日目。
 冒険者達は更なる目撃情報を求めて時間の許す限り襲撃を受けた過去のある村を巡り、そこに暮らす人々から話を聞いた。
 中には人間は信用できないと言い放つエルフの集落もあったが、そこはシルバーが前面に出て話を聞き出す。
 しかし何処でもルディ・オールラントと黒豹の目撃情報は得られず、バーニングマップでその行方を追うも、実際にその姿が彼らの目に触れる事もなかった。
 避けられているのか、逆に翻弄しているつもりなのか。
「後者だろう」
 苛立ちを露に告げる勇人の言葉は皆の言葉。
 ルディの足跡を追う度に別のカオスの魔物の目撃情報が出てくるのだから、まるで自分達の存在の大きさを自らこちら側に教えているとしか思えなかった。
 一方でオーガ族はその存在自体をまるで感じさせない。
 セレ国土の大部分を占める森林地帯を、アシュレー、シルバーの魔法と、天龍の飛翔能力で度々探るも成果は空振りに近く、唯一遭遇したのは二匹のコブリン。
 異様なほど怯えるコブリン達から情報を仕入れるのは困難を極め、最終的にはアシュレーが持参した酒で酔わせて吐かせて、ようやく「仲間達は怖くて大きな黒いものに命じられて死んで行くのだ」と聞き出せた。
 今は激減した種族。
 森の奥深くに隠れ、息を潜めて暮らしている。
 あの『黒いもの』に遭遇せずに済むように、と。
「親玉は何者だ?」
 まだ気付いていない何かが。
 見落としている何かがある。
 所在を掴ませないルディの行為は、まるでそれを思い知れと嘲笑っているかのようで――。


 *

 明日には王都へ戻るというその夜。
 リールは偶然にも一人起きているリラに気付いた。
 きっと思い詰めて眠れずにいるのだろうと考えた彼女は、こんな事もあろうかと思い、持って来てあったハーブティを淹れ、差し入れた。
「眠れないのか」
 そう声を掛ければ、相手は少なからず驚いたようだったが「君こそ」と微かに笑う。
 笑んでも表情に陰りが差すのは、オーガ族の事、カオスの魔物の事、新たに仕入れた有益な情報は決して少なくないはずなのに、肝心のオールラント兄弟と、黒豹の所在が掴めないまま王都へ戻る事になるからだろう。
「‥‥なぜ、カイン殿の所在をシルバー殿の魔法で確かめてもらわないんだ?」
 もしかするとそれで現在地が判るかもしれないのにと思うリール。
 現に、実際に会う事は叶わずともルディの所在は幾度となく試している。
 そう告げれば、リラはゆっくりと左右に首を振った。
「カインの居場所を知りたいと思う。‥‥だが、知るのが怖いんだ。ルディは生きてると思っていたし、実際に生きていたが、‥‥カインはそれすら判らない」
 もし地図が何の反応も示さなかったとき、既に死んでいる可能性の高まる事を恐れているのだ。
「だが‥‥知らなければ」
 リールは告げ、己の指に嵌めてあるブラッドリングを見つめた。
 今は亡き女性の形見として託されたもの。
 彼女はこれに誓ったのだ、必ず問題を解決し、皆で無事に戻るのだと。
「一つでも知る事を疎かにしていたら、いつまでも真実は見えて来ないと思う」
「‥‥君の言う通りだ、な」
 そうして自嘲気味に笑む表情には、今までにない痛々しさが伴っていた。




 ●

 翌日、もう間もなく冒険者をウィルに送るためのフロートシップが運行しようという時刻。
 以前と同じ一室で簡易地図を机上に置き、その周りを囲む彼ら。
「では始めますね」
 シルバーの合図で『カイン・オールラント』の現在地を探すべく魔法バーニングマップが発動する。
 燃え上がる炎。
 羊皮紙は姿を変えて灰に。
 そして、目的地への道を。
「――え‥‥」
 だが、その結果に一同は目を見開く。
 それは此処、ヨウテイ領を示していた。
「カインが此処に!?」
「いや、でもこの簡易地図だ。単に近くにいるっていう意味かもしれないし」
「アベル卿からこの近隣の地図を頂戴しよう! それなら提供出来ると以前に言って頂いているし!」
 バタバタと慌しくアベルを訪ねた冒険者達。
 事情を話し、地図を頂きたいと頼むと、彼は快くそれを一部差し出した。
「しかし君達の探し人が私の領地にいるとは‥‥。名前は確かカイン・オールラントと言ったな‥‥、そんな名前の青年は聞いた覚えが無いが」
 領主が頭を悩ませるのを見て、昴が一言。
「顔を見たら判るんじゃないか?」と、リラが所持している絵を広げて見せた。
 直後にその眼が見開かれる。
「これは‥‥もしかして『ナナッシュ』か?」
「ナナッシュ?」
 キースが聞き返すと、アベルは戸惑い気味に事情を話す。
「名前は、名無しで呼び名が無いのは不便だということで私が『ナナッシュ』と付けたんだ」
「名前が無いとはどういうことですかっ」
 語調荒く問うリラに、アベルは言葉を選ぶ。
「‥‥半年ほど前に領内で瀕死の状態だったのを発見して治療した男だ。辛うじて命は助かったんだが‥‥、記憶を、失くしていてな」
「――」
「どうしてそんな酷い怪我を負ったのか。なぜ私の領地に居たのか‥‥それどころか、自分の名前すら判っていない」
 記憶喪失。
 その状態に一同が言葉を失くす。
「彼に会わせる事は可能だが、‥‥おそらく、いま会っても君の事は判らないだろう」
 アベルが重々しく語る内容は、果たしてリラの耳に届いただろうか。


 会ってみなければ確信が得られないと、彼らはナナッシュと面会した。
 リラはそれがカイン・オールラント本人だと断言、ようやくの再会となるはずだった瞬間は、しかしアベルが言った通り、初対面のそれだった。
 生きていた事を喜ぶべきか。
 瀕死の状態で記憶を失くし発見された事を怪しむべきか‥‥。

 オーガ族の襲撃を受けていないとされるヨウテイ領で見つかったカイン・オールラント。
 ヨウテイ領に滞在していた彼らを翻弄するように『翼を生やした黒豹』と行動を共にするルディ・オールラント。
 次の選択肢を選ぶ間もないまま、彼らにはウィルへ戻る時間が迫っていた――。