●リプレイ本文
「ジ・アースへの月道が今開いたって!?」
思わず大声を上げてしまった陸奥勇人(ea3329)の驚きは尤も。
これで驚かないわけがない。
「帰路‥‥」
一方でぽつりと呟いたリール・アルシャス(eb4402)は無意識にその視線をリラやユアンに向ける。
これまでは決して戻れない世界だったが、どうあろうともあちらが故郷である事に変わりのない彼らはこれからどうするのだろう。
それぞれが余りにも突然の出来事に呆然としていた中、月姫を確保した事を王へ報告しなければと真っ先に我に返ったのはセレの鎧騎士達だ。
「ぃ、今からシップの点検をして来ます。用意が整いましたらお知らせに伺いますので、どうかそれまで月姫様の事をよろしく頼みます」
「ああ」
応えたのはユアンの肩を抱いていた飛天龍(eb0010)。
「‥‥アルテイラを分国王の元へ連れて行けば、以降に話をする事も容易ではないだろうし、今の内に聞きたい事は聞いておいた方が良いのではないだろうか」
「‥‥そうだな」
武器を鞘に納めたオルステッド・ブライオン(ea2449)が頷き、良いだろうかと月姫を見遣る。
彼女は、静かに微笑んだ。
『そなた達はわたくしの友。答えられる事ならば答えましょう』
「‥‥ならば、やはり壁に封印されていた理由を、教えてもらいたいのだが‥‥」
月姫と魔物『境界の王』が同じ壁に封印されていたように感じていたオルステッドが言葉を紡ぐ。
アルテイラと『境界の王』に関係はあるのか。
答えは否。
関係など有りはしない。
『あの魔物は、わたくしの封印されている壁が外界に現れたのに気付き、襲撃して来たのだと思います‥‥』
「そもそも、アルテイラ、貴女を壁に封じていたのは誰なんだ?」
キース・ファラン(eb4324)の問い掛けに彼女は静かに瞳を伏せた。
『わたくしの眷属‥‥数多の精霊、ドラゴン達、‥‥わたくしを魔物の手より助けようとしてくれた者達です‥‥。ですが魔物の手より逃げ切る事敵わず、彼奴等の手に落ちるよりはと次元の狭間へ封じられました』
「つまり、あの地への月道を開けるから魔物に狙われていたんだな」
勇人が自身を納得させるように呟く傍で、オルステッドは重ねて問い掛ける。
「‥‥もしや、貴女は王の居場所を感知出来るのか‥‥?」
月姫は、これには左右に首を振る。
『いいえ‥‥須らく精霊は魔物が近付くことで不快なものを感じます‥‥わたくしも同じ事。魔物の接近は感じられても、それが『境界の王』であるかどうかまでは、実際に姿を見るまで判りかねます‥‥』
「‥‥王は、貴女を攫ってどうするつもりだったのだろう‥‥貴女に奴等専用の月道を開かせようとしたのだろうか‥‥?」
それは、ともすればオルステッドの独り言であったが月姫は再び左右に首を振る事で応えた。
『判りません‥‥かつては精霊、ドラゴン達の‥‥今はそなた達のおかげで私は此処に在ります。魔物達の真の思惑は図りかねますが‥‥異なる世界への月道を開かせる事が目的であったのなら、‥‥おそらく、もはやわたくしは不要でしょう‥‥』
「! そうか‥‥」
物見昴(eb7871)は顔を上げる。
そう、月姫を連れて行かずともジ・アースへの月道は開いてしまった。
『境界の王』の目的がそれであるならば、魔物連中にとって冒険者という味方を得た月姫をわざわざ狙う必要はなくなる。
「では、やはり魔物共が言ってた『あの地』とはジ・アースの事か」
『恐らくは‥‥ですが判りません‥‥なにゆえ、異世界への扉を欲したのか‥‥』
皆が頭を捻らせるが、判らない事を考え続けてもとオルステッドが続ける。
「‥‥現状の、いま開いてしまった月道は、貴女の力によるものか‥‥」
『応とも、否とも応えられません‥‥あの世界への月道を開けるのがわたくしだけならば、わたくしの力も影響しているのでしょう‥‥、‥‥ですが、これは‥‥月精霊、全体の力が強まったためのように、思えるのです‥‥』
「それは‥‥」
どういう意味かと聞き返そうとするより早く、月姫は三度首を振る。
『判りません‥‥、ですが、‥‥嫌な予感がします‥‥』
その言葉に冒険者達の背筋を駆け抜けた冷たいもの。
理由は判らない。
だが、何か――。
「シップ離陸の準備が整いました!」
彼らの思考を遮るかのように響いたセレの鎧騎士の声に、彼らは一先ず船内へと月姫を促して移動した。
その途中。
リールは前を歩くリラに気付き、その袖を引く。
「? ――何かあったか」
「いや‥‥月道が開いて、‥‥リラ殿、達は帰るのか?」
「――」
遠慮がちな声音、その心情を察せぬほど異国の騎士も野暮ではない。
くすっと小さな笑みを一つ。
「戻るつもりはない」
迷わず言い切った言葉にリールは顔を上げた。
相手の苦笑に、苦笑を返して。
「そうか‥‥良かった、って‥‥故郷に帰らない事を喜ぶのも何か失礼かな」
「‥‥気にする事はない」
彼女の表情の些細な変化を察しつつ、リラはそっとその背を押し、シップに乗るよう促した。
しかし最後尾で彼が浮かべる表情には、困惑の色が濃い。
「‥‥」
帰らない。
――帰れない――、予感とでも言うのだろうか。
何故か、そのような気がしてならなかった。
●
人の手による乗り物での移動という、違和感を禁じえない現状に落ち着かない月姫の心情を慮り、ティアイエル・エルトファーム(ea0324)とケンイチ・ヤマモト(ea0760)が試みたのはささやかな演奏会だった。
二人が連れていた月のエレメンタラーフェアリー、エルノーとアルが主の楽の音に合わせて舞い踊れば、それだけで月姫の心も慰められるようだった。
「‥‥貴女は、もしや月精霊の首長や長老のような、特別なアルテイラなのか‥‥?」
楽の邪魔は決してしないよう、声を落として問い掛けるオルステッド。
月姫は、これにも左右に首を振る。
『いいえ‥‥そのような、仲間達を率いるような立場にはおりません。ただ‥‥、同じアルテイラの中でも、長く世界に触れているとは、思います‥‥』
「‥‥封印されていた間の、記憶などは‥‥?」
イシュカ・エアシールド(eb3839)の問い掛けには、月姫は少し考えた後で言葉を紡ぐ。
『‥‥おそらく「無い」のです‥‥意識を閉じていたのか、眠っていたのか‥‥その間に起きた事は何一つ‥‥』
「なら封印される前の事は?」
昴が問いを重ねる。
「アトランティスに伝わっている伝説、伝承の類で貴女が関わっているものだとか」
『‥‥?』
月姫は小首を傾げた。
その反応に昴は具体例を上げてみる。
「たとえばロードガイ伝説。カオスと大きな戦いがあった頃の事とか‥‥」
『‥‥ロードガイ‥‥?』
判らない、と。
その表情に冒険者達は唖然。
「もしかして知らないのか?」
「その伝説よりも以前から封じられていた‥‥?」
キース、リールの疑問にも困ったような表情を浮かべる月姫。
シルバー・ストーム(ea3651)は思案する。
「‥‥この世界は、貴女の記憶に残る世界とどう違うのでしょう」
『‥‥‥‥何もかもが、違います‥‥』
視線を彷徨わせるように顔向きを変える彼女の瞳には、船内の景色ではなく、外界に広がる果てしない世界が見えていたのかもしれない。
彼女が封じられていた時間を数えれば、それは何千、何万という気の遠くなる答えが導かれてくる事は疑いようがなかった。
それほどの時間を次元の狭間で過ごした月姫が、いまこの時に目覚めさせられた理由は何だろう。
それは誰の意思によるものか。
「‥‥立て続けに申し訳ないが、まだ聞きたい事が山ほどあるんだ。‥‥聞いてくれるか」
勇人が申し訳無さそうに告げれば、月姫はこくりと頷く。
どこまで皆の欲している答えを告げられるかは判らない、だが力になりたいと彼女は言う。
目の前に集う冒険者達を「友達」だと認識すればこそ――。
「では、教えてくれ」
冒険者達の質問と、月姫の答えが交互に語られる。
別の大陸に存在するメイのカオスの穴、もう一つの天界への月道に関しては、自分が属するものとは異なるため一切の情報を持ち得ない。
ジ・アースとの月道が開放された事でアトランティスの精霊力が変わる事があるのかどうかについては長い時間を掛けての事と彼女は言う。
目に見えないところからゆっくりと変化する。
それは、月道が開放されてもされなくても、決して逃れられぬ世界の理。
人間よりも、長命といわれるエルフよりも更に永い時間を生きる者達のみが知る変化だ。
「‥‥では、いま開いた月道は、また閉じる可能性もあるのでしょうか‥‥?」
イシュカが、ふと辛そうな表情で問う内容に月姫はしばらく考える。
『‥‥此度の月道の開放が月精霊全体の力の増幅に影響しての事であれば、‥‥これから何が起きるのか、それはわたくしにも判りません‥‥』
言えるのは、未来を選ぶのはその場に立ち、何かを選んだ者達であるということ。
それが、未来を視、過去を視、次元を越える月精霊が語れる言葉――。
「‥‥最後に、一つ」
オルステッドの静かな声が、もう間もなくセレの王城に着くという船内に響く。
「‥‥『境界の王』とはいかなるデビルか? 魔王クラスの上級デビルにしても、どこか別格というか‥‥尋常じゃない印象を受けているが」
『‥‥?』
「あ。デビルって言うのは、彼らの故郷で言うところの、此方のカオスの魔物の事らしいよ」
困惑した様子の月姫に、キースがすかさずフォローに入る。
彼はアトランティス出身者だが、こうしてジ・アース出身の仲間達と長く付き合っている事もあり月姫の困惑がよく判ったようだった。
そして、このフォローが効いたらしく月姫は言葉を紡ぐ。
『彼の地の魔物‥‥アトランティスの魔物‥‥それは似て非なるもの‥‥異なる存在、異なる混沌‥‥魔物の理をわたくしが知る事はありません‥‥』
ただ、非常に危険な存在である、と。
それだけは動かしようのない事実。
●
セレの王城に到着し、謁見するまでしばし時間が掛かると言われた一同は城内の一室で待機する事になった。
せっかくの機会だからと皆にハーブティーを振舞った昴は、試しに月姫の前にもカップを差し出した。
『‥‥?』
きょとんとした表情でカップを手に持ち、上から、下から眺めて更に困惑顔。
「‥‥精霊ってお茶飲むのか?」
「さあ、な。飲食するのなら俺も料理を振舞ってみたいと思うのだが」
昴と天龍がこそっと話している間にも、月姫は熱いハーブティーに指を入れそうになり。
「月姫様っ、それは火傷しちゃうよ!」と師匠と一緒に見ていたユアンが慌てて声を掛けた。
尤も、精霊が熱湯程度で怪我をする事もないのだけれど。
「精霊に飲食の概念はないはずです。‥‥その真似ならば出来ると思いますが」
精霊知識に長けているシルバーがそのように告げ、ケンイチが月姫に飲み方を教えてみれば、確かに飲む事は出来た。
感想は?――と尋ねるのは些か酷であったが。
「‥‥そういえば、カオスの魔物にアルテイラが「何か」をした時に感じたものは何だったのでしょう」
ふと思い出したようにシルバーが問えば、横から天龍が口を挟む。
「恐らく特殊能力の一種で、魅了の類だとは思うが」
魔物達が使う言霊などと同じく精神に作用する術であり、覇気の弱い者ほど術中に囚われてしまうものだ。
「‥‥ってことは、シルバー兄ちゃんも俺と同じで月姫様にときめいたんだ?」
「――」
ユアンの発言に一同絶句、言われたシルバー本人も反応の仕様が無い。
一体どこでそんな言葉を覚えてきたのか。
「ユアンも、ときめいたのか」
くっくっと笑いに喉を鳴らす勇人が問えば、幼子は「うん!」と良い返事。
「すっごいどきどきした」
「そりゃ一つ成長したな」
話の軸はずれて来ていたが、代わりに彼らの間に広がるのは穏やかな笑い声だ。
香代も、良哉も、一緒になって笑う。
まるで憑き物が落ちたかのように。
「しかし精霊の力ってのは本当にすごいな。以前、陽と月の高位精霊の力を目の当たりにした事はあったが‥‥」
そこまで呟いて、勇人はふと思い出したように言葉を繋ぐ。
「アルテイラ、あんたにはその身を置くべき場所ってのはあるのか? まぁ仮にあったとしても境界の王が健在じゃ戻る気にはならないかもしれないが」
『わたくしは、わたくしの在るべき場所に帰るのみ‥‥、一箇所に留まることはありません』
「それって、これからも放浪するって事か?」
今までの経緯を見ても、それでは月姫が淋し過ぎるのではないかと懸念したキースが問えば、意外にも月姫の表情は穏やかだった。
『わたくしは、もう逃げる事はしません‥‥これまでとは違うのです‥‥、友も、居てくれます‥‥』
ティアイエル、ケンイチ、――一人一人を見つめて告げる彼女の視線を受ければ皆が納得するほか無い。
不意にティアイエルが月姫に差し出した手。
「これからもよろしくね、って意味だよ」
そうして触れる、体温を感じないはずの手はとても優しくて。
「一人で大丈夫なんだな?」
キースが更に問えば、彼女は微笑った。
『あの地との月道が完全に開放されたいま、魔物がわたくしを狙う理由などありません』
同様に国家間の諍いの種になる事も考え難い。
『わたくしは聴こえる楽の音に耳を澄ませ、月の光りに酔い、友の声に応えましょう』
「それって‥‥会いたいと思ったら、また会えるって事?」
月姫は頷く。
ティアイエルの手を握って――約束、と。
「そっか」
今度こそキースも安堵して微笑う。
「‥‥しかし、呼ぶにしても貴女の名をまだ聞いていなかったな。出来れば聞かせて欲しいのだが」
オルステッドの確認には、名などないという答え。
ならば名付け親は冒険者達。
どうか彼女に、良い名を――。
●
その後、コハク王との謁見を果たした彼らはありのままの事実を話した。
『罪なる翼』は斃れ『境界の王』は姿を現さず、月姫を奪い去らなくともジ・アースへの月道が開いた今、敵がどう動くかは判らない。
結果、カインの処遇は保留。
冒険者達はウィルへと戻る事になり、月姫は己の世界へとその姿を消す事になった。
何かあれば呼んで欲しいと、そう言い残して。
ジ・アースへの道は開いた。
だが誰一人あの世界へ帰るとは言い出さなかった。
それは何かを予感してのものだったのか――、数日後に事態は変化の兆しを見せる。
発端は『夢』だった。