【生まれ変わる国】
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■シリーズシナリオ
担当:月原みなみ
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:6 G 22 C
参加人数:9人
サポート参加人数:1人
冒険期間:11月18日〜11月28日
リプレイ公開日:2009年11月27日
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●オープニング
●風の噂は何処より生じるか
セトタ大陸の、中央よりも北に位置するリグの国は人口およそ七十万人。ホルクハンデとクロムサルタにおよそ二十万の民が暮らし、王都リグリーンを擁するリグハリオス領には三十万の人々が暮らしているとされている。
では、他の二十万の民は何処か。
リグの領内でありながら王の目の行き届かぬ土地。
主達の立ち入れぬ土地。
大陸最大の国と言われるウィルに引けを取らない国土を擁するリグは、その広さゆえに見落としている物が多々あるのだ。だから、ホルクハンデ領主の「分国制に戻すべきだ」という意見も一理ある。いっそ、土地を更に細分化し分国を増やす事も一案としては悪くない。各地に領主を置いてその報告を受けるだけよりも、国土全体に統治者の目が行き届くよう計るのはとても重要な事だ。だがしかし、性急過ぎる変化が逆に民を苦しめる事も有り得ると考えれば、一先ずは現状維持という事で落ち着いたのが実状だ。
会議の席には新王フェリオール、ホルクハンデとクロムサルタの両領主は勿論の事、先の戦を経てなお国政に関る意欲を持つ者はほぼ全員が参加した。
一つでも多くの言葉を。
一つでも多くの心を。
先王グシタの下で過酷な運命を辿らせてしまった民には、今こそ笑顔で生きられる日々を手に入れて欲しいから――。
‥‥なのに、いま国土に広がる不穏な噂。
グシタ王が生きているのではないかという、不安。
その姿を最初に「見た」と言い出したのはリグリーンから北に約百キロ。ホルクハンデの端に広がる山林地帯に位置する村だった。
●為政者達の当惑
戴冠式を終えて、テラスの一角で立ち姿のまま瞳を伏せていたリグの新国王フェリオール・ホルクハンデは、その日一日を噛み締めるように長い息を吐いた。
各国の要人達との挨拶やら腹の探り合いやらと疲労も嵩んだが、それ以上に国民の嬉しそうな笑顔が嬉しかった。
異国の友人達にも会えた。
心くすぐられる申し出には、つい頬が緩んだほどだ。
――‥‥『惚れた女が入れ込んだ国とあれば、そこに骨を埋めてみるのもまた一興と思いましてな』‥‥
リグの国に仕官したい、と。
無位無官だろうが捨扶持だろうが構わない、この国のこれからのために自分の力を役立てて欲しいという言葉は、切実に人手が不足している国にとって非常にありがたいものだ。ただ、王の一存で決定してしまうのは彼らがこれから目指そうというリグの在り方から外れてしまうものだし、傍にいたモニカに判断を仰いだところ「浪人であれば即答も出来ますが‥‥」と些か渋い表情をして見せた。
結果として「今後の功績次第」という返答で話は済んだものの、惚れた女のために異世界で主を持つ覚悟を決めたという、その想いには感服する。
(「‥‥そういえばセレのアベル卿も、か」)
もはや友人と表現しても過言ではない程に気心の知れたセレの伯爵アベル・クトシュナスは【暁の翼】という支援団体をフェリオールに紹介し、彼の傍らに立つ奥方は団体の一員としてリグの民の力にもなりたいのだと真剣に語っていった。
私利私欲に走る事のない、信頼の置ける人物達と手を組みたい。
【暁の翼】は、統治者の目の行き届かない土地まで足を運び、物資を運び、必ずや人々の生活の助けになるだろう、と。
(「‥‥リグには無いものを他国は持っている」)
同様に、他国には無いものがリグにはある‥‥と言えれば良いのだろうけれど、現在のリグには、本当に何も無い。
民がいてくれるからこそ国で在れるだけのことだ。
(「‥‥救わなければ」)
戴冠式の最中に幾度も向けられた人々の笑顔、それらに応える事が己の役目。
だからこそ――。
「陛下」
背後から掛かる声にゆっくりと振り返る。そこにいたのはリグの正騎士モニカ・クレーシェル。夜闇にも鮮やかに煌く美しい銀髪は、まるで月精霊たちの寵愛を受けているように思えた。
フェリオールは薄く笑う。
「まだ休んでいなかったのか」
「はい。‥‥少し、ウィルからの来訪者と話をしていました」
「ウィルの? 冒険者達ではなく、か」
主の言葉にモニカはほんの少し迷った後で、しかし彼の目を真っ直ぐに見返した。
それから先の会話で二人は声を潜めた。
誰にも聞こえぬように、悟られぬように。
そうしてある言葉の直後にモニカの表情が固くなったと同時。
「陛下! と‥‥モニカ様もご一緒か!」
豪快な態度で二人の間に割って入ったのはドワーフの騎士団長ガラ・ティスホム。
「いやしかしお二人が揃われているのは好都合、ホルクハンデの北に酒を売り歩いている商人からとんでもない話を聞きましてな、そのご報告に上がったのです」
「とんでもない話?」
「また現れましたぞ! 例の男が!」
いつの頃からか、国内ではそんな話が囁かれるようになっていた。
ふらりと村に現れた男は自ら「私はグシタ、リグの王だ」と名乗るらしい。その出で立ちは確かに一般の人々とはとても思えぬ上質な素材と煌びやかな装飾が施され、立ち居振る舞いも上流階級のそれらしい。首都から離れるほどに王の姿を見た事がある者は限られ、姿形だけでグシタ王本人だと断言出来る者は現時点で一人もいないのだが、この男は現れた時と同様に、気付けばふらりと姿を消していると言うのだ。その後に、――‥‥病人や死人を、残して。
「‥‥まったく、死んでからも厄介な男だ」
フェリオールの言葉に、ガラは唸る。
「確かに先王は陛下が討ち取られた。そもそも地方に現れているそれが真に先王かも定かではありませぬが‥‥民の不安は確実に広がりますぞ。ウィルの冒険者達の耳にもこの話は入ったようですしな」
「彼らの耳にも‥‥」
「それで、ですな」
臣の言葉を繰り返すフェリオールに、ガラは些か言葉を濁す。
「どうした」
モニカが先を促せば、大きく深呼吸する騎士団長。
「その‥‥リラ殿達が‥‥事の真偽を確かめに行くと言い出しまして、な」
「なに‥‥?」
「加えて‥‥その、ダラエの分隊が‥‥彼らに同行する、と‥‥まぁ、酒の席の事ですから、実際に赴くかどうかは‥‥ええ‥‥」
ダラエことダラエ・バクドゥーエルはガラの直属の部下だ。共に黒鉄の三連隊と呼ばれる同士でもあり、信頼もしているが、酒が入ると豪気になり過ぎるのが玉に瑕なのである。
「フェリオール様の新たな国の始まりにケチを付ける輩は許せんと‥‥まぁ、わしも心底同感ではあるのですが」
ぼりぼりと頭を掻くガラに、フェリオールは苦笑った。
「そうか‥‥ならばその役目、そのままダラエに任せよう」
「!」
王の言葉に、弾かれるように顔を上げたガラ。
「いつまでも放っておくわけにいかない事象なのは明らかだが、人手が不足しているのもまた事実‥‥リラ達には悪いが、せっかくの厚意だ、甘えさせてもらおう」
「陛下‥‥」
「ただし準備は怠るな。そのグシタを名乗る者の正体は不明だ。情報も少な過ぎる。ウィルの冒険者ギルドにも助力を仰ぎ‥‥可能な限りの対策を、な」
「はっ」
ガラは来た時と同様の豪快な発声で応じると、深々と頭を下げてその場を後にした。
騎士団長の背が遠ざかるのを見送り、‥‥ふと、モニカが呟く。
「‥‥まるで亡霊だ」
「ぼうれい‥‥?」
「この世に執着する余り、死んでなお人々に害を為す存在を、そう呼びます」
「‥‥なるほど」
フェリオールは視線を移し、国を見つめる。
ひどく、嫌な予感がした――。
●リプレイ本文
●
飛天龍(eb0010)の頼みを受けてスクロール魔法フォーノリッジを試したシルバーによれば、見えた未来は覗き込んだ深淵のように何もかもを覆い隠す闇の世界。其処に蠢く形のない『何か』。
指定した単語に対しての未来が無いのか、または反応してこその光景なのか、判断出来る材料は何もない。
「‥‥単に王の名を騙るならそれなりの理由があるのでしょうし‥‥でも、死人や病人も出るとなりますと‥‥」
イシュカ・エアシールド(eb3839)は青白い顔で呟きながら自分達の出発を見送りに来ていた月姫と天使の姿を思い出す。如何せん情報の少ない今回の依頼、何かしら感じるものがあるのなら聞きたいと願った彼に、精霊達は揃って顔を曇らせた。良くない兆候が見えるのは確かだ、と。しかし明確な何かを感じるには至らない――その言葉は、正しくシルバーが見た未来に重なるものでもあった。
「死人の姿を纏うと言うよりも、例えば生前のグシタ王の姿を知っている格の高い魔物であれば、その姿に変じる事は簡単だ」
天使は言い、その言葉を受けるより以前から魔物の存在を危惧していた長渡泰斗(ea1984)やリィム・タイランツ(eb4856)は共に調査へ向かう仲間、今回の移動を含め冒険者達に随行するダラエ達分隊の面々にも単独行動の禁止、部隊の退路は常に確認しておくことなどを徹底する。
「またお互いに全員で乾杯するためにも慎重に頑張りましょう」
リィムの言葉にリグの騎士達は固い表情で頷く。そんな彼らを視界の端に映しながら、陸奥勇人(ea3329)は自分の意思で調査に同行する事を決めたユアンに一着の衣を差し出した。驚いて顔を上げる幼子に、勇人は笑む。
「天龍の生まれ故郷でもある華国由来の服でな。寸法は香代に頼んで直して貰いな」
「わぁ‥‥っ」
真面目に修行している褒美だと彼は言うけれど、先日の戴冠式の折りにユアンが零した呟きを憶えていてくれたのだろう。その気持ちが何より嬉しい。頑張るからと拳を握る幼子の頭を、横から天龍が撫でる。
「だが、無理はするなよ」
師の言葉に幼子は元気の良い返事をした。
シップはウィルからリグへ。移動時間にも続けられる作戦会議。ダラエから現時点までに集まっているグシタ王を名乗る者の出現日時など簡易地図を用いて纏めて確認してみれば、その箇所は不自然なまでに散開していた。
「この距離を移動するには時間的に厳しい。となると徒党を組んだ何者かか、真に人外の仕業という事になるが‥‥死淵の王配下の残党って線もまぁ、あるか」
泰斗が溜息交じりに呟けば雀尾煉淡(ec0844)が一案としてパーストを試してみたいと告げる。一週間以内に出現している場所であればその光景姿を再現出来るはず。そこでグシタ王を知るメンバーが確認出来れば本当に本人かどうかが確認出来るし、人々からも記憶に新しい情報を得られる。更には絵の得意なリール・アルシャス(eb4402)が模写することで既に出現している地域の人々に同一人物か確認を取る事も可能になるはずだ。
最初の目的地を定めて、ようやく口を切ったのはオラース・カノーヴァ(ea3486)。
「工房から最小の風信器を三組借りて来た。各班の連絡用に二つずつ持つんだ」
使い方を説明し、なおも綿密な作戦が練られる内に船は到着を告げる。
「さて、そんじゃまぁグシタ捜しと行きますか」
勇人の掛け声に一同は表情を引き締めた。
●
煉淡が試したパーストの結果は一言で言うならば「亡霊はグシタ王だった」。とは言え本人だという確証が取れたわけではなく、あくまで『外見については』という条件付だが、生前のグシタを知る者全員で一致した意見だ。その後、数人でチームを作り領内の各地を周り始めた冒険者達は、――其処でそれぞれに新たな情報を得る事となる。
「‥‥この国には、為政者から隠れて暮らす人も大勢居るのですよね‥‥彼が其処にも行っているのでしたら‥‥混乱は、必然‥‥」
イシュカの言葉に、共に行動する勇人と天龍は長い息を吐く。
毎度の事ながら手掛かりが少なくて雲を掴むような状態で始まる調査の難攻は必至。同じ場所で二度以上目撃したという情報も少なくなく、出現回数が多いほどに死者の数も増えている。国土全てに出現する可能性があるとなれば、相手を待ち伏せするにしても、この広いリグの何処に出現するのかヤマを張るのも容易ではない。
「病気だのを撒き散らす奴がデビルにも居た気がするが‥‥思い出せねぇ」
仮にグシタ本人が悪霊として舞い戻っても驚きはしないが、此処がアトランティスである事を考えれば幽霊は考え難い。ならば敵はデビル、カオスの魔物だと考える方が自然だろう。
そんな話をしている内に、領内で最初にグシタ王目撃の情報を寄越した村を訪れた彼らは、病人は咳などの症状や外傷があるわけでもないという情報を得た。亡くなった人々も同様に外傷はなく、眠るように息を引き取ったという。
「その男がグシタだと名乗ったんだな?」
「ええ」
「顔もそうだが、それ以外に何か気付いた事はねぇか? 例えば男の周囲だけ寒かったとか、体が仄かに光ってたとか‥‥」
「そう、ね‥‥あの小屋のあたりに立っていたし‥‥」
村人が示した場所は八〇メートルくらい離れた場所。ましてや夜だ。それなりの視力を持つ者でなければ見難い距離だし、無論、何か声を発していたとしても聞こえない。
「あ、でも‥‥体が真っ黒に光ったような‥‥」
「黒?」
天龍が聞き返す。
「その後で急に人が倒れ出して‥‥」
「‥‥病に伏せている方に、お会いする事は出来ますか‥‥?」
イシュカが治療の心得もあると話せば、村人は快く彼を病人の下に案内した。だが、イシュカが持つ技術、知識では為す術がない。グシタを名乗るそれを魔物と仮定したうえで、もしかすると‥‥という可能性を抱くのが精一杯だ。
「そういえば、全然関係ないかもしれないけれど、一昨日に亡くなったお婆ちゃんは、お爺ちゃんに会ったって」
「じいさん?」
聞き返す勇人に村人は頷く。
「去年亡くなっているのによ?」
一方、時間軸に照らし合わせれば五番目に目撃情報のあった村を訪れていた煉淡、泰斗、物見昴(eb7871)が聞いた情報も、知り得た可能性も、他のチームとそれほど変わらない。グシタを名乗る何者かだけではなく、ずっと以前に亡くなったという親類縁者の姿を見たという者も決して少なくはなく、その姿が黒い霞に包まれた直後から誰しもが体調を崩す――。
死者にも、病人にも目立つ外傷はなく、その姿はまるで眠るようで。
「私の魔法で亡くなられた方々を蘇生出来るのなら力を尽くしますが‥‥」
煉淡は、決してそのような事は無いのに己の無力を歯痒く思い、眉根を寄せた。超越した能力とはいえ、リカバーは一時間以内の死亡でなければ効かないし、クローニングには十六日間という途方も無い時間を要する。一人を蘇生させるのに十六日間もの時間を消費出来るかといえば、否だ。
「気休めにもならんだろうが、な」
病の原因を何となく察しながらも、泰斗は病人のために桜根湯を煎じて飲ませてやる。
一方で昴は病人のために、そして仲間のために食事を作る。保存食ばかりでは味気ないし、食事に手を加える事で体力の回復にも役立つと考えたからだ。オラースから預かった風信器が仲間との通信手段として使えない距離になれば同伴した忍犬の力も借りなければならない。その辺りの健康管理は必須だ。
「夜が来るな‥‥」
飯を食いながら呟く泰斗の声があまりにものんびりとしているから、昴は眉根を寄せる。リグの国に仕官を申し出ながら功績次第と言われた男の態度が、これだろうか?
「‥‥何だ」
昴の視線を受けた泰斗は、彼女の心情を察して薄く笑う。
「功を焦る奴ほど周りが見えなくなって却って失敗するもんでね。こういう時には焦らず腰を据えて掛かる方が結果が出るのさ」
「‥‥ご自分の体験談ですか、ソレ」
呆れた物言いの昴に苦笑を漏らし肩を竦める泰斗。
「さて‥‥張るぞ」
話題を変えるように夜闇に目を凝らす。
今日こそはグシタを名乗る何者かと遭遇する機会は訪れるだろうかと――。
●
日を追う毎に冒険者達の調査は進むが、代わり映えのしない情報が互いのチームを行き来するばかりで進展と呼べるものは何もない。その流れは、まるで『死淵の王』を倒した面々を警戒しているようにも感じられ、それを肯定するかのように何者かは冒険者の居ない村にこそ現れては死人を、病人を増やしていったのだ。次第にポーションで治る怪我を負う者も出始め、冒険者もリグの騎士達も、そんな人々への治療や物資の支給を決して惜しまなかった。
オラースは各所で目撃者が何人で何をしていた時かなど、自分達がソレと遭遇出来る条件を見出そうとするが答えを得る事は出来ず、陽霊にサンワードを試させても有力な情報は得られない。
仲間の探索魔法にも引っ掛からず、いい加減、彼らも焦れていたのかもしれない。
自ら移動手段を持つオラース、リール、リィムのチームは空から探索を開始し、偶然にもその村を見つけた。
グシタの目撃情報の無かった其処は、‥‥為政者から隠れて暮らす者達が暮らす土地。其処には、いま正に襲撃を受けたかのような悲惨な光景が広がっていた――。
●
「解毒剤もポーションもまるで効かない、これは‥‥」
リールは村を見渡しながら呆然と呟く。村のそこかしこから聞こえ来る苦悶の声、漂う死臭。空がゆっくりと闇に覆われる時間帯――異世界では魔に出逢う刻とも呼ばれる頃合に入った土地には、無意識に身震いしてしまう雰囲気が漂う。
「た‥‥すけ‥‥て‥‥」
「‥‥すけて‥‥」
風に混じる声は救いを求めているのに。
あまりにも弱々しく、痛々しく、必死で呼んでいるのに。
「‥‥っ」
リィムは喉元までせり上がってくるものを必死に押し止めた。
「クソッ」
乱暴に風信機を叩き付けてオラースは舌打ち。
「一キロくらいは使えるはずだってのに、まったく役に立ちやしねぇ」
オラースの呟きを受けてリールはリラを見上げるが、彼も左右に首を振るしかない。
「ゴーレムや、その類の機器には私も明るくないんだ」
そう、リラにも判らない。オラースが使用申請したその風信機、実は通話可能距離が五百メートル程度であるという事など――。
「‥‥一度、皆のところに戻りましょうか‥‥」
リィムの希望でこのメンバーと共にいた石動香代は、兄・良哉に声を掛け、兄はリラに声を掛ける。
「どうする。そろそろ危険な時間帯だ」
「ああ‥‥その辺りの判断は‥‥」
皆と相談の上で、‥‥そう告げようとしたリラは薄暗い景色の中に人影を見て動きを止めた。
「リラ?」
良哉の呼び掛けで皆が其方に気付き、振り向く。距離にして五十メートル程先に、たった一人で佇む人物は、腰に剣を帯びた‥‥男性騎士だろうか。
浅黒い肌に、波打つ黒髪は雄々しく。
「ひっ‥‥!?」
不意に香代の喉が震えた。
良哉が、目を瞠った。
「そんなバカな‥‥」
声を震わせて己の目を疑ったのはリールだ。彼女はその姿を絵の中で見た事があったのだ、――けれど。
「エイジャ‥‥」
リラの細い声が呼ぶ、その名は。
「エイジャさん?」
「違うっ、違うわっ、エイジャなわけがない!!」
リィムの聞き返しに香代が叫ぶ。
「だってエイジャは‥‥!」
彼は。
「私が殺した‥‥」
リラの言葉に、遠く、エイジャが微笑った。その体を包む漆黒の輝き。
「っ」
「があああっ!!」
「良哉!!」
漆黒の炎が彼を燃し、リィムは相棒のペガサスに治癒を頼もうとした。しかしそれどころではない。
「星矢、落ち着いて! 星矢‥‥!!」
馬は良哉を癒すどころか鼻息荒く暴れ、精霊達は気付けば姿を消していた。オラースは石の中の蝶を見遣る、だが無反応。当然だ、それの射程距離は僅か三十メートルで、今の男の位置には足りない。
「おいっ!」
オラースは相棒のペガサスに声を張り上げる、念のためにレジストデビルを掛けさせようとしたのだ。だが此方も同様、ペガサスは怯えていた。彼の馬も、リィムの馬も、リールのグリフォンまでも、怯え、興奮し、振り上がる前足が良哉を踏み潰そうとする。強大な悪意を前にしても耐えられるほど騎獣達は主を信頼していなかったのだ。
「星矢待っ、ぁ、うぁああっ!!」
良哉を庇ったリィムの背をペガサスが踏み荒らす。何度も、何度も。
「リィム殿いま助けっ‥‥ぁあああああ!!」
助け出そうとしたリールと、影の重なるリィム、良哉、更にはペガサスまで、直線上の彼らを同時に襲ったのは電撃、ライトニングサンダーボルト。
「風魔法まで‥‥!?」
「この野郎‥‥!」
「早まってはダメだオラース殿!!」
リラが叫ぶがオラースは駆け出した。エイジャに――否、今は亡き男の姿を模した、それに。
射程距離に入って石の中の蝶が反応する――魔物だ。
「うぉおおおっ!!」
振り上がるオラースの剣を、しかし魔物は笑顔で受け入れる。
「なるほど、大した攻撃力だが‥‥まだ手があるか?」
「貴様‥‥っ」
武器に備えたレミエラが反応する。放たれるホーリーも、だが。
「‥‥終わりか」
エイジャの顔が、微笑った。
「止めろ‥‥っ!」
リラが叫ぶ。
黒炎一撃。それだけならオラースも沈まない。だが、特殊防御の術を用いた魔物に今以上のダメージを与えられなければ結果は変わらず。
「【死淵の王】を倒した者達が揃っていると思えばこそ後でこっそりと近付くつもりだったんだが‥‥まさか、これほど私に有利なメンバーが固まるとは思わなかったな」
信頼関係の薄い冒険者と騎獣の組み合わせ、攻撃手段の乏しさ、よりによってそんな三人が揃ってしまった事が魔物にとっては予想外の幸運。
更にはリラや良哉と共に行動していた事が魔物を驚かせた、笑い話。
「君達は生かしておいてあげるよ。仲間や、愛しい相手が死ぬのを黙って待つしかない苦痛を得られる君達は幸せ者だ。それは最高の絶望となって君達を輝かせるだろう」
リール、リィムに向けられる嘲笑はエイジャの顔で。
声で。
リラと香代は体が震えて、‥‥動けない。
「此処までハズレ籤を揃えられるのも君達の才能だよ、自信を持つと良い。素晴らしい。他の誰にも真似出来ない奇跡さ」
「うぐっ‥‥!!」
オラースの腹に刺さる剣。
「私は君達に心から感謝する」
「がはっ」
首を掻っ切る爪先。
「これで八王の一角を手に入れる計画も果たせそうだ」
「――‥‥っ!!」
足を蹴り飛ばされ、オラースは膝をついた。‥‥倒れた。
ペガサスもグリフォンも逃げ去り、既に姿はなく。
そうして、訪れる静寂。
背骨が折れているかもしれない、そんな状態になりながらも辛うじて意識を保っていたリィムが最後に見たのは、エイジャと呼ばれた彼の体が黒い霞に包まれ、その手に、二つの白い玉が握られる光景だった――‥‥。