【生まれ変わる国】迫り来る闇
|
■シリーズシナリオ
担当:月原みなみ
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:6 G 22 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月06日〜12月16日
リプレイ公開日:2009年12月16日
|
●オープニング
● その日、魔物は
運が悪かっただとか。
タイミングが良過ぎただとか、そういう事ではなくて、恐らく何か一つでも違えばこんな事にはならなかったのだ。
エイジャの顔が、声が、仲間を傷付ける。
ひどく楽しげに血を求める。
「もう止めろ‥‥!」
悲痛な叫び声を上げるリラ・レデューファンにエイジャは目を細めた。‥‥剣を構えるリラの、その手元が震えているのを知ると愉しげに口の端を持ち上げた。
「なんだ、あれほど長く苦楽を共にした親友に刃を向けるのか?」
「おまえはエイジャではない‥‥!!」
真に苦楽を共にした親友は既にこの世にない、その事は他の誰よりも自分が一番判っている。何故なら彼の心臓を止めたのは、自分。
この剣が、手が、彼の肉を刺し貫いた。――だからこそ。
「おまえには無理だよ」
それは嘲笑する。
「この姿に今一度剣を向ける事が、お前に出来ようはずもない」
「‥‥ッ」
震える拳から剣が落ちた。音を立てて地面に転がる剣の、柄に結ばれた微動だにしない『石の中の蝶』が揺れる。
親友の形見。
親友との思い出。
その全てが汚されていく気がした。
「もうやめてくれ‥‥っ、彼らを傷つけるのは、もう‥‥!」
涙すら滲ませて懇願するリラに、それは笑みを湛えたまま告げる。
「感情は人間の美徳だと語る者もいるようだが、感情など百害あって一利なしだ。既に死に、もうこの世には居ないと判っていても貴様のように心乱し、身動き一つ取れなくなる。既に居ないと知りながらも、もう会えないと思っていた懐かしい者の姿を見れば、明らかに怪しいと判っていても自ら我が手の内に歩み寄ってくる人間共‥‥愚かで容易い、哀れなヒトの子よ‥‥」
言葉が進むにつれてその姿を包み始める黒い霞。
何が来るのかと危惧しようにも、‥‥どうしても、体が動かない。
「私は長くこの国を見て来たよ『死淵の王』がグシタを唆し、この大陸を手中に収めんと画策していた時期も、不本意であろうともアレが八王の一角であったは事実。私には従うしかないからな」
だから知っているのだ、あの村で亡くなった人々の顔。
この村で殺された彼らの姿。
いまリラの目の前に佇む『姿無き魔性の者』の名を持つ魔物にとって、それらを真似る事はあまりにも容易かったのだ。
「死淵の王が冒険者共に倒されたと知ったとき、私は戦慄したと同時に喜びで此処が震えたよ」
胸元に手を添えて魔物は笑む。
「アレは力こそあったが冒険者共と直接剣を交えたりなどするから敗北したのさ‥‥冒険者を甘く見たのが敗因だ。‥‥故に私は、おまえ達を過小評価はしない」
己の力量を過大評価もしない。
「そもそも私が欲しいのは勝利ではなく八王の座だ。そのために必要なのはおまえ達の白い玉‥‥」
魔物はニヤリと笑い、手を翳す。
「おまえに選ばせてやろう。そこの女達の魂を私に捧げ、飲めず、食えず、衰弱死していく様を見守るか、‥‥それともおまえが私に魂を捧げ、死を待つか」
二つに一つ。それ以外の選択肢など今のリラにはなかった。仲間の攻撃で魔物は相応の傷を負ったようには見える。だが、それでも姿は親友のものなのだ。頭では判っていても心が割り切れない。どうしたって動けない。
「‥‥っ」
リラは倒れる仲間の姿を見つめる。そこに横たわる女性騎士を。
甘えても良いのだと告げても、甘えられないと語った不器用な彼女を支えていければと思う事もあったけれど、騎士の家を継ぐだろう彼女に混血の自分が触れて許されるはずも無く、そんな躊躇いが傷付けた事もあっただろう。
(「‥‥どうか、幸せに‥‥」)
生きていればこそ繋がる未来に、君の幸せを祈る。
――願う。
リラの真っ直ぐな視線を受けて魔物は喉を鳴らした。
「腹は決まったようだな。‥‥だから愚かだと言うんだ」
「っ‥‥がっ‥‥!?」
深まる漆黒の闇に、リラの体内から奪われる力。
「ぁ‥‥あっ‥‥」
白目を剥いて膝から崩れ落ちた友に香代は駆け寄ろうとして、けれど、出来なくて。
「心配しなくても良いさ、私はこう見えても紳士でね。女性は絶望の涙を落とす姿が何より美しいと思うんだ。それに、君には冒険者達に私の事を伝えてもらわないとならない」
にっこりと笑む魔物は、だから手の平を香代の向こうに向ける。
「代わりに良哉のを貰っていくよ」
「ぁ‥‥止め‥‥っ」
ゆっくりと魔物を包む漆黒の闇、奪われる力。
「止めて『エイジャ』‥‥!!」
「‥‥フッ」
その名に彼は嘲笑う。
‥‥微笑う。
「冒険者の皆によろしく伝えてくれ。是非、私のことを心の底から憎んでくれるようにとね。‥‥また会おう、香代。私の名は『姿無き魔性の者』だ」
あの日、あの頃に見たのと同じ優しい笑顔を残して消え行くエイジャの姿に、香代の瞳からはぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。
どうして。
なぜ。
誰一人こんな事態が起きるなんて予想もしていなかったのに‥‥!
「‥‥っ‥‥助けて‥‥っ」
香代は必死に声を絞り出す。
「助けてセレネ様‥‥っ」
聞いて。
そして伝えて。
助けて‥‥!!
● 時間は動き出す
香代の叫びを聞いたセレネが動いた事で、冒険者達に状況が伝えられるまでにそう時間は掛からなかった。全員が集まり、リグの城に到着したのは半日が過ぎた頃で、さすがに香代の興奮も納まったらしく彼女が得た情報はカインを通して冒険者達に知らされる事となった。
魔物の名は『姿無き魔性の者』。『死淵の王』を知り、八王の一角を狙う者。
「香代の話を聞いた限りじゃ相当厄介だぞ」
カインは頭を抱えて言う。
「こいつ、射程距離の長い魔法を使うことで、こっちの射程距離に入らないよう考えてるらしい。死淵の王のように直接戦うつもりもない‥‥冒険者とマトモに遣り合えば自分が負けるのは判ってるんだってさ‥‥ッ。このままじゃリラと良哉の白い玉を取り戻す事もままならない‥‥今の状態が続けば待ってるのは衰弱死だけだ!」
卓を叩きつける拳に走る痛みは、だが。
「何とかして魔物野郎を誘き出すかしないのに‥‥どうしたら良いかも判らないなんて‥‥っ」
己の無力を嘆くカインに、同席するリグの騎士達は同じ思いを抱えて歯噛みする。二人の白い玉が奪われたのと同時に知り得たのは、再びリグの民が魔物の犠牲になっているという事実だ。
これから幸せにならなければならない人々が。
守らなければならなかった人々が、また、傷つけられている。
だからこそ。
「何とかしないと‥‥っ」
その思いは全員が共有する覚悟でもあった。
どのようにして魔物を誘き出すか。
自分達と戦わせるか。
リラ、良哉‥‥そして数多の民の白い玉を取り戻せるのか。
「とりあえずデスハートンで魂を奪われて死んだように見えている人達の遺体は埋葬せずに保存‥‥リグの国に水魔法を扱えるウィザードはいるかっ? 冷凍保存が出来ればあるいは‥‥っ」
「すぐに集めよう」
カインの言葉にリグの騎士が答え、彼らは動き出す。
冒険者達の元へ。
魔物と戦うための作戦を得るために――。
●リプレイ本文
●
リラと良哉の身柄を城内に預かるリグの国王フェリオールは、集まった冒険者達の姿を物影から見守りながら思案する。
(「まずは『姿無き魔性の者』を誘き寄せるための下準備をするという話を聞いていたんだが‥‥」)
しかしリグに集まった彼らの視線は、そこから更に先の展開を見ている。
(「‥‥まぁ、話に聞く限り相当好き勝手されたそうだからな‥‥気が急くのは無理も無いか‥‥」)
それに要の作戦相談も疎かになっているわけではない。
彼らならばきっと、という信頼もある。
(「後は‥‥怒りに我を忘れなければ大丈夫だろうか‥‥」)
事態は再びリグの民を危険に晒している。万が一にも冒険者が私心に囚われれば自身で剣を握る事も厭わないのがこの国の新王だ。
(「くれぐれも‥‥頼むぞ」)
真摯な眼差しを向け、心の中で掛ける言葉。
それきり、彼は踵を返しその場を後にした――。
●
そんなフェリオールの視線を知ってか知らずか、冒険者達の表情は一様に険しい。
「防戦一方じゃジリ貧か」
陸奥勇人(ea3329)の放たれるような一言に、長渡泰斗(ea1984)や雀尾煉淡(ec0844)の目が細められ、イシュカ・エアシールド(eb3839)は痛みを伴った視線を膝の上で握る両手に注いだ。
「‥‥カオスとデビルが似て非なるものとはいえ‥‥メフィストフェレスなんて、厄介な者が出てくるなんて‥‥」
その名は天界の一つジ・アースで悪名高い悪魔の名であり、冒険者の側に立つ天使レヴィシュナの知識により得た『姿無き魔性の者』の異界の名だ。
それが彼の地において何を仕出かしたのか、正確に知る者はこの場にいないが、天使の話から情報を纏めるだけでも厄介な相手である事は充分に認識出来た。
「‥‥けれど、何とかしなければならないのですよね‥‥」
低く呟くイシュカの視線が、自分の手先から仲間の間を移動する。
まずはリール・アルシャス(eb4402)。そして、リィム・タイランツ(eb4856)。リールは真っ直ぐに前を向き積極的に作戦会議に参加していたが、いつもは人の何倍も元気なリィムが黙って拳を握り締めている姿は、ただそれだけでイシュカの胸を痛めた。彼女が胸の内に思い描いているのだろう光景を思えばこそ、掛けられる言葉も見つけられず。
「話に聞いた感じだと、自分の方が力が強く、自分よりも弱い死淵の王の下位にいたのが気に入らないような事を言っているあたり、存外に自尊心が高い部類なのかもわからん」
泰斗が肩を竦めて言う台詞に続いたのは物見昴(eb7871)。
「死淵の王を倒した面子の魂が奴のカオス八王襲名に必要である、と言うのであれば‥‥釣り餌を撒けばソレに食いついてくる事もあるわけか」
その場の一人一人を見遣り、言う彼女に。
「香代があの状態だし、細かい所までは知りようもないが、前回の襲撃を鑑みるに『姿無き魔性の者』はこっちの動向を伺っていると見て良さそうだ」
勇人が声を低くして告げる。
「なら、奴の泣き所を突けば出てくるかも判らんが、‥‥さて、どうやって突いたものか」
えてしてああいうタイプは自分に酔い易いというのが泰斗の分析。自分を冷静に判断しているようで単なる自己陶酔ということも充分に在り得るだろう。ただ、今回の相手が間違いなくそうかと問われれば確信は何処にも無く。
(「‥‥好みの餌を撒いたところで食い逃げされる可能性も大いにあるだろうし‥‥」)
主の言葉を反芻しながら自身の考えを纏める昴だったが、だんだんと頭痛がしてくる。良い具合に頭が沸いてきたようだ。
「何にせよ奴を誘き出すための作戦は勿論のこと、私達自身が互いを見誤らないための工夫も必要だと思う」
「同感だな」
飛天龍(eb0010)の賛同を受け、リールは合言葉決める事を提案する。
その他にもリグの人々に対する情報周知の徹底。仲間を守る際の行動は必ず二人以上でという約束。前回の襲撃に立ち会った面々が同行する事は決して無いようにという確認。リグ国内の要人達の警護・警戒の強化。
「香代殿とユアンには別れて行動してもらった方が良いと思う」
「そうだね‥‥っ」
ようやく声を発したリィムに一同の視線が集まり、その眼差しが穏やかに変化する。
「エイジャの姿を使い、リラと良哉をあんな目に遭わせた奴を許しはしない」
「ああ」
強く言い切る天龍に異論のある者など居ようはずもなく、その中で一人、オラース・カノーヴァ(ea3486)の脳裏を過ぎるのは純白の翼だった。
●
世界を駆ける自分にとって、ペットだけがいつも一緒にいる家族であり相棒だ。依頼を全うするためならば家族を手に掛ける事も厭わないなんて売り文句はこの際置いておくとして、もはや傍にいなくなってしまったペガサス。あの魔物を必ず倒すという決意を抱くための理由として天馬の喪失は不足無い。
「奴の狙いはリグを制し、暴政で魂を集めることか?」
独り、空に呟く。
その眼差しは真っ直ぐに虚空の一点を見据えていた。広大な土地を擁するが故に国の移り変わりを知る事が出来ない辺境の地を中心に単独で回るオラースは、立ち寄る村に病人がいれば赤き愛の石を握らせて回復を試みた。しかし、純粋な病には効果を示しても魔物のデスハートンによって白い玉を奪われたがための倦怠感や体調の悪さはどうにも出来ず、またリグでの活動に適した風信機を改めて借りて来ようにも、遠方の仲間とすぐに連絡のつく風信機を携帯していれば魔物の目に触れないはずがない。魔物を誘き出すには不適切だと、これを指摘したのは黒鉄の三連隊に名を連ねる騎士である。
となれば、と。
「冒険者とまともに戦っては勝てない」と知っている魔物を誘き出すには、彼らが固まって動く事は明らかに相手を警戒させる条件で。
オラースがあえて単独で動こうとも、馬の背に武器を乗せるなど対魔物アイテムを大量に所持していればやはり敵にとっては不都合な相手。実際に相対しているオラースの攻撃力は『姿無き魔性の者』も認めているのだから魔物が彼の前に姿を現す事も、無かった。
そしてそれは泰斗も関しても同様。
王都から水の魔術師を数人引き連れてリグの騎士達が動かすシップに乗り各地を周っていた彼も冒険者としての行動は単独だったが、同行しているのが王都のウィザードでありリグの騎士達と来れば魔物の標的からは外される。
無論、その分だけ作戦を考える時間の猶予は与えられたわけだが。
「『白い玉』を数多く欲するのに、何故都市ではなく、地方を回っているのでしょうかね‥‥? デスハートンの有効範囲を考えても、夜中に町に現れたらかなり回収できると思うのですが‥‥」
リグの図書館を訪れ、魔物『姿無き魔性の者』についての情報を集めようと試みているイシュカの言葉にはリグの騎士が不思議そうに聞き返す。
「‥‥さすがに、都市で集めて回ればすぐに見つかるからじゃありませんか?」
冒険者はたまに忘れがちだが、アトランティスにおいてカオスの魔物というのは必ずしも知れている存在ではない。地獄における戦いなどからこの世界でも頻繁にカオスの魔物が暗躍するようになったが、それ以前はあくまでも知る人ぞ知る存在。現状においても冒険者に近しい人々でなければカオスの魔物を正しく認識しているものは多くないし、それが辺境の地に暮らす人々であれば尚更だ。
「冒険者の皆さんや、我々に囲まれれば勝てない事を自覚している魔物であれば、知られている場所で悪さをするよりも、自分を知らない場所で行動した方が危険が少ないと判っているんじゃありませんか?」
「‥‥そう、ですね‥‥」
まだ納得のいかない様子で頷くイシュカは、香代が聞いたという魔物の言葉を思い出す。自分を心の底から憎むようにという言葉‥‥。
(「‥‥負の感情が彼に力を与えるだとか‥‥デビル魔法への抵抗を下げるだとか‥‥ありそうですよね‥‥」)
考え過ぎる余り眉間に皺を寄せるイシュカを魔物が見れば、恐らくひどく愉しげに彼を笑うだろう。そのような効果が仮にあったとしても魔物の真意はそれではない。
憎しみによる戦いは心地良い、ただそれだけのことだから。
(「何があっても生き延びろと‥‥、躊躇するなと言ったのはリラ殿だったぞ‥‥」)
彼の休む部屋を訪ね、リールは心の中、呟く。
彼が自身の手で命を奪った相手――それも無二の親友だったエイジャの姿を模した敵が相手では無理もない。今だって意識を回復しないながらも後の事を仲間に託し、自身の体力と戦っているのだろうとも思う。
(「‥‥だから‥‥」)
リラも戦っているのだと、信じているから。
自分は泣かない。
絶対に。
(「‥‥っ」)
その脳裏にエイジャの姿をした魔物の、あの卑しい笑みを思い浮べる。
(「おまえの嫌いな死淵の王が種を蒔き、育てたこの国を、楽をして、引き継ぐのか‥‥っ」)
リールは精一杯の皮肉を記憶の中の魔物に言い放つ。しかし、仮にその言葉が魔物の耳に入ったところで、やはり魔物は笑うだけだ。
死淵の王は気に入らなくとも本人が消えた今、築かれた礎が自分を八王に押し上げるものであるならば何の問題もない。むしろ死淵の王が生きていればその座を自分が継いだ事にさぞ悔しがっただろうと思うと腹の底から笑いが込み上げてくる。
冷淡で、性格が悪く、人間を罪や苦悩に誘惑したがる。
物言いは辛辣。
人の苦痛を喜ぶ冷酷な魔物、――それが『姿無き魔性の者』。
城の裏庭に、同伴した忍犬のジンパチとコハチロウを遊ばせながら難しい顔をしている昴の傍には、アニマルセラピーの効果か若干だが落ち着いた笑顔を見せるユアンの姿があった。そして、そんな幼子に安堵の息を吐く天龍と、煉淡の姿も。
煉淡は先ほどから注意深く周囲を探り、悪しきものの接近を常に警戒している。城内には香代もいるのだ、幼子と彼女が狙われる可能性を思えば煉淡の白魔法は実にありがたいものだ。
「‥‥王が各地を巡幸される、という噂を流してみるのはどうだ?」
昴が天龍に声を掛ければ、彼は低い声を押し出す。
「それも一案としては組み込めるだろう」
ただ、と。彼が口にする懸念事項は無論、昴の脳裏にもあった。
王が巡幸するという噂を流す事は、いずれ実現するだろうから嘘にはならない。しかし、王が単独で赴くはずの無い事は魔物にも知れるだろうし、警戒されて当然ともいえる。フェリオールも死淵の王を倒した功労者である事は違いないが、彼が討ち取ったと言うべき相手はグシタ王。そう考えれば最も囮として相応しいのは死淵の王を討ち取った勇人という事になるのだが――。
「しかし、奴が俺達の前に姿を現すと同時にリラと良哉の白い玉を所持しているとは限らないだろう」
天龍は難しい表情でそんな懸念を口にする。中には飲み込むことで体内に『白い玉』を保管している魔物もいるようだが、何処か別の場所に保管しているとなった場合には、まずその場所から聞き出さねばならない。
勇人が囮になったとして、その実力は申し分ない。が、だからこそ下準備が重要になる。この場合は幸か不幸か、勇人をはじめオラース、泰斗、さらにはこうして話している天龍自身も、手数さえあれば一人でも充分に魔物を討ち取れる実力者揃いだ。加えて白魔法を扱う者が煉淡、イシュカと二人もいるのだ、この神のないアトランティスの地であるにも関らず。
冒険者達に勝てない理由は無い。
そんな相手と戦う気の無い魔物をその気にさせるには、明らかに何かが不足している。
●
「何回も使える手じゃねぇが、俺が餌になる。奴を目移りさせず俺に手を出したくなる状況を作ればどうだ?」
前回ほど条件を揃える事はさすがに難しいが、それでも見逃すには惜しいと思えるくらいのお膳立てをしてやろうと語る勇人の作戦を、仲間達は援護する事に決めた。
「セレネ」
呼ばれた月の精霊は、自身の力で冒険者達を運ぶ月道を開く事は不可。しかし旧友のマリン・マリンに助力を仰ぐ事を承諾。数分後に得た応えは僅かな時間であれば協力しても良いというもの。
彼女は、恩ある勇人の頼みならばと協力を約束してくれたのだ。
ただ、マリン自身にも抱えている問題がある。彼女の力に頼る時間を少しでも短縮するためには、囮となる勇人以外の全員が一箇所に集まっていなければならない。転移のタイミングが勇人からセレネ、セレネからマリンに出すとして、問題はやはり『姿無き魔性の者』が自ら出てくるには餌となる彼が強過ぎる事。
「いっそ俺に成り代わろうとした罪人に扮し、罰として魔物に捧げられる生贄になってみるか?」
そんな事を提案してみるフェリオール。傷だらけで平地の荒野に放り出されればさすがの魔物も愉しくなって姿を現すのでは無いか、と。
「『姿無き魔性の者』というのは人間の心の傷を抉るのが好きらしいじゃないか。随分と悪趣味だが、その悪趣味を利用するのも有用だと思えるが、ね」
決定権は君達にある、とリグの王。
常に真っ直ぐに前を向き、悪と戦い続ける冒険者達に真似事とは言え悪人を演じろというのは無茶な話だろうが、現状、魔物を誘き出すには決定打が無いのも事実。
冒険者達は強過ぎる。
平穏を守るために養ってきたその力が、今は最大の障害となっている。
単独で動くと言うだけでは、魔物を誘き出す事は不可能だ。
ならば、どうする。
冒険者達の、その手には、魔物を誘き出せるだけの理由と条件がそれぞれに握られている。人で在ればこそ、その条件は必ず人の内にあるものだ。しかし誰一人それに目を向けようとしないのは、それが闇への扉を開く事に繋がるから、か。
(「姿無き魔性の者、か‥‥」)
良哉を休ませている寝室。彼の傍らに不眠不休で寄り添う香代の顔色は明らかにひどく、そんな姿を見ているしかないリィムも胸が締め付けられる思いだ。
「‥‥香代さん、良哉君の事はボクが見ているから‥‥少し休んだ方がいいよ」
リィムが心から心配して掛けた言葉を、しかし、香代は拒む。
「‥‥兄さんに、何をする気‥‥?」
「え?」
「もう‥‥兄さんは傷つけさせない‥‥っ」
「香代さん‥‥」
兄を襲ったのは魔物でも、リィムのペガサスが兄を踏み潰そうとしたのもまた事実。香代の信頼は確実に揺らぎ始めていた。
その心が傾く先は、闇。
恐らくは、いま最も確実に魔物を誘き出せるのは香代だろう。
良策も無いまま時間だけが過ぎていく。
『白い玉』を奪われた二人の衰弱も進み、氷の棺に覆われた頃――事態は、唐突に動き出す。