魔の交渉人〜サクリファイス
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■シリーズシナリオ
担当:月乃麻里子
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:5 G 47 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:04月10日〜04月16日
リプレイ公開日:2007年04月16日
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●オープニング
「例の、伯爵家に仕えているエルフの騎士ですが」
と、琢磨の留守の間に積もり積もってしまった机の上の書類を整理しながら、同僚のエドが声を掛けた。
エルフの騎士とは、殺された子爵とも縁が深く、また、館から姿を消していた伯爵の末子ユリエルの身を案じてKBCに真先に捜査を依頼してきた忠義者の騎士の事である。
「彼は伯爵より新たな用向を仰せつかって、ステライド領の東端の町に飛ばされたそうです。少なくとも1年は戻れないでしょう」
いわゆる左遷とも受け取れる処遇ではあったが、それが伯爵が騎士にしてやれる最善の行為だったのだろう――と琢磨は思った。
尚、砂漠での救出作戦の後、ユリエルは無事リザベ領の伯爵邸に戻され、今は両親の元で健やかに日々を過している。
「ともかく、怪我の具合が良くなるまでは、派手な行動は謹んで下さいね」
「……」
「人の話を聞いてるんですかっ! 琢磨くんっ」
「あの女、どうしてる?」
エドが机の周りを掃除している間、部屋の隅にある大きめのソファに身を横たえていた琢磨がぼんやりと白い天井を見上げながら訪ねた。
「今のあなたが知る必要はありません」
「案外可愛かったよな。気のキツイ女は好みじゃないけど‥‥今夜あたり口説きに行くかな」
「‥‥ミカエルには絶対会わせませんっ!」
と、さながら彼の保護者のようにエドが琢磨を叱り付けた刹那、コンコンっと部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「あのっ、琢磨さんにお客様です」
KBC本部の愛らしい受付嬢が、恐る恐る二人に声を掛ける。
「アポの無い客には会わない」
「そうですね、琢磨くんはまだ静養中ですし、用件なら私が代わりに」
「それが‥‥『ラ・ニュイ』が会いに来たと言えば、必ず会って頂けるからと」
と、受付嬢が琢磨の返答を待つまでもなく、彼がエドの手を振り払って部屋を飛び出して行ったのは言うまでも無い――。
***
「遠くまで連れ出してしまって申し訳ありません」
馬車を降りて後、突如むせ返るような潮の香りに包まれて、琢磨は一瞬言葉を失った。穏やかに打ち寄せる波の音が鼓膜に心地よい。
目の前に広がる青い海原は、琢磨がかつて居た世界のそれと何ら変わりが無いように思えた。
「野郎二人で来るような場所じゃないな」
「そうですか? 私は好きですよ。海はいい‥‥何も語らず、何も尋ねない」
「馬だって同じだろ」
「馬は語りますよ」
赤い髪の男は何処か楽しげにそう語った。強い潮風が二人の髪を一瞬激しく巻き上げて後、琢磨が先に手札を切った。
「女を返せとでも言いに来たんだろ」
「ご名答。彼女は何も知らないし、知っていた所で何も話しません。子爵邸を占拠した賊は皆死んで、彼女があの場に居たのを見たのは冒険者だけです。状況証拠としてはあまりに貧弱。それくらい、貴方なら気付いているでしょう?」
実際、男の言う通りだった。ミカエルが賊やエクレール男爵と通じているのを立証できた所で、彼女が子爵一家を殺した事にはならない。ユリエルは無事に戻ってきた。
詰まるところ、状況は依然八方塞がりであった。
「それに‥‥」
と、ラ・ニュイと名乗るその若い長身の男は波打ち際まで歩を進めると、矢庭に後ろの琢磨を振り返って言葉を続けた。
「彼女をそちらに置いておくのは危険です。これは忠告です。私は彼女を奪い返すためにあらゆる策を講じ、あなた方はその事で『流さずとも良い血』を流す事になるんです。そして、あなた方が得るものは何も無い」
「‥‥」
「彼女を返して頂けますね」
「少しだけ時間をくれ」
「あまり待てません。私は存外気が短いのです」
そう言い終ると男は再び琢磨に背を向けて、遠く海の彼方に目をやった。
「なぁ、こないだの10ブラン貨は今どこにあるんだ?」
「さあ。所詮、金は天下の回り物です」
「じゃあ、あんたがエクレールに肩入れする理由はなんだ。金のためだけとは、俺には思えないが」
「そうですね」
男はふと足元の貝殻を拾って海に投げ入れる。
「個人的な感傷ですよ。復讐といえば分りやすいですか」
「復讐?」
「少ししゃべり過ぎましたね。冷えてきました、王都へ戻りましょう」
男はコートの襟を立て、足元の砂を軽く払うと、馬車に向かって早足に歩き出した。その後を慌てて琢磨が追いかけた。
***
「なぜ直接KBCに仕掛けてこない? こんな回りくどいやり方をしなくてもいくらでも彼女を取り返せるだろ」
遠ざかる海原を名残惜しそうに見つめているラ・ニュイに、腑に落ちない琢磨は単刀直入に切り出してみる。
「KBCは今潰すには惜しい組織です。それなりに利用価値もある。特に琢磨、あなたには」
「殺そうとしてたくせに、よく言うぜ」
不機嫌そうに馬車の中でふんぞり返る琢磨を見て、思わず男は苦笑した。
「では、ゲームをしましょう」
「ゲーム?」
「あなた方が勝てばミカエルは諦めましょう。もし負ければ、彼女はその場で私に返してもらう」
「どんなゲームだよ‥‥まさかっ」
「理想主義者だった子爵はその驕りゆえに多くの血を流した。その点、今の伯爵は実に物分りが良い」
「見せしめに罪も無い人間を殺しておいて、何が驕りだっ!」
怒鳴った拍子に琢磨の背中の傷が疼いた。
王都に着くまでの間、ラ・ニュイが軽い世間話を持ち出して来ても琢磨はむすっと黙り込んで一切返答しなかった。
彼らが別れてから1週間後。そして事件は起きた――。
■国境近くの河原にて砦を建設中の野盗を討伐せよ
恐獣を連れた野盗が河川敷(=「汚れ無き空の下で」にて正体不明のゴーレムが現れた場所)を占拠。砦の構築を開始。
騎士団の討伐隊が向かうも大敗。冒険者ギルドへ賊討伐の依頼が出された。
【敵の武装状況】
・中型恐獣(デイノニクス×6)を引き連れた賊の総数20名程(雑兵含む)
・中型翼竜も一部で目撃されている。
・木柵や岩などで囲った急ごしらえの砦には物見の塔があり、中洲一帯を監視中。
【使用可能なゴーレム】
・攻撃型高速巡洋艦 メーン
・モナルコス 2騎まで
・グライダー 2騎まで
・チャリオット 1騎
【補足】
・砦の前の川 川幅/約15m 深さ/0.5〜2m
・騎士団は砦に攻め入るも、突如味方同士の斬り合いが勃発。足並みを乱された所を新手の恐獣部隊に畳み掛けられたらしい。
・生存者より物見の塔のたもとで、銀髪の少女?と思しき姿を発見との証言有り。
←国境
仝仝∴∴∴∴∴∴∴∴∴卍川川川∴∴∴
仝仝∴∴∴∴∴∴∴∴∴卍橋橋橋∴∴∴
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仝仝∴∴∴∴∴∴∴卍∴∴∴川川川∴∴
仝仝∴□□∴∴∴∴卍∴∴∴∴川川∴∴
仝仝∴□□∴∴∴∴∴卍∴∴∴川川川∴
∴∴∴□見∴□∴∴∴卍∴∴∴川川川∴
∴∴∴□□∴□∴∴∴卍∴∴∴川川川∴
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仝仝∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴川川川∴∴∴
仝仝∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴川川∴∴中州
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴川川川∴∴∴∴
↓南
橋/橋
川/河川
卍/バリケード
□/建設中の砦
見/物見の塔
仝/木々
∴/河原・中州
●リプレイ本文
●ミカエル
「琢磨!」
「え?」
「この前は、私が付いていながらみすみす琢磨に大怪我を負わせてしまった‥‥すまない!」
嵯峨野 空(ec1152)は王宮近くにある館の門の前に遅れて現れた琢磨を見つけると、開口一番にそう言って深々と頭を下げた。
「ちょ、ちょっと待てよ。あれは油断した俺が悪いし、それに‥‥空は、あの後動揺してる騎士団をしっかり仕切ってたじゃないか。空の処置が早かったから俺も助かった。礼を言いたいくらいだよ」
琢磨は空の肩をポンと叩いてから、皆が見つめる前で館の門を押し開けた。
***
階段をどのくらい下りただろうか――。
地下室にはひんやりと冷たい空気が静かに漂っていた。
「もし明日の戦に負けたら、嬢はもう『要らない』そうだ。随分冷たい主人だな」
「もしだと? あーはははっ!」
グラン・バク(ea5229)が言い終わるや否や、硬い椅子に重い鎖で頑丈に縛られた体を無理に捩らせながら、ミカエルは腹の底から笑った。
「何が可笑しいっ」
「お前たちは大馬鹿だ。あの方の力を見縊るとは、これが笑わずにいられるか!」
ミカエルは疲れの溜まった己の顔を、それでも勝利の笑みで満たして見せた。
「フン、相変わらず口の減らない女だな。少しは品位ってものを身に着けたらどうだ? そのうち主に恥を掻かせるぞ」
その青い瞳で黒髪の浅黒い肌の美少女を睨みつけるアリオス・エルスリード(ea0439)の後ろから、今度はランディ・マクファーレン(ea1702)が声を掛ける。
「なあ、ひとつ知りたい事がある。答えてくれたらこいつを食わせてやる」
そう言って、ランディは袋から香ばしい香りのするクッキーを取り出した。
「いらなーい」
(可愛げねー‥‥)
「ねえ、金髪で右手に十字の痣がある女魔術師を探してるんだって。あんた、知らない?」
「知ーらない」
「なら、レオナルド・フォン・クロイツはどうかしら。死人が何故生きてるのかしら?」
フォーリィ・クライト(eb0754)の後に続いたエルシード・カペアドール(eb4395)の言葉に一瞬ミカエルの表情が強張った。
「クロイツなんて奴は知らない!」
ミカエルはそう怒鳴るとぷいっと横を向いたきり、黙り込んだ。
琢磨がこれ以上はと首を横に振るのを見て、仲間たちは渋々諦める。
クーフス・クディグレフ(eb7992)が扉を閉める最後に、
「いずれ決着は付けると、レオナルドによろしく」
と言い、やはりミカエルは黙って横を向いたままであった。
●中州へ
翌日、ゴーレムを積んだフロートシップは昼前に中州へ降りた。
アリオスはすでに昨夜のうちに砦裏側の雑木林に潜伏済みで、ランディも砦付近でペガサスと共に待機していた。
空がチャリオットの準備を整え終えたのを見て、グランが乗り込む。
クーフスとフィオレンティナ・ロンロン(eb8475)もモナルコスでの出撃準備を終えていた。
「そろそろか‥‥」
グランたちが見上げた蒼穹に、2騎のグライダーが小さく映った。
***
「敵のプテラノドンは今のところ3騎ですね」
「それ以上増えて欲しくないわね」
国境方面から自分たちに向かって直進して来る翼竜の影を捉えて、音無 響(eb4482)とエルシードがグライダー越しに声を掛け合った。
「それじゃ、打ち合わせ通りお願いするわ」
「了解!」
その言葉を合図に響は翼竜部隊の方へ、エルシードは物見の塔を潰すために砦に向かって一気に急降下を始めた。
「この高さから鉄球を落とせば、下にいる見張り諸共潰せるはず!」
と、エルシードが砲弾投下の構えに入ったその瞬間だった。彼女は『そこにいるはずの無い』ものの姿を――その緑の瞳で捉えたのである。
「あれは‥‥ユリエル‥‥まさかっ!」
彼女は優しい母親の手に抱かれた幼いユリエルの姿を物見の塔に見た。
(ち、違う‥‥これは幻影、そうに決まってる‥‥でも、もしっ‥‥もし本物だったら‥‥)
「エルシードさんっ、後ろッ!」
「うぐっっ‥‥!」
刹那、彼女の背に焼け付くような痛みが走った。
ほんの一瞬、幻を見た彼女が動揺した隙を突いて、翼竜に乗った弓兵の矢が彼女の背中を深く射たのである。これは明らかに仕組まれた策略だった。
「くそっ、これしきの傷‥‥!」
機体を一旦塔から離し、渾身の力を振り絞って背中の矢を引き剥く。
「うぅっ」
「大丈夫ですか!」
「ええ‥‥大丈夫よ、響、心配しないで」
そう答えながらも、視界はぼやけ身体中に悪寒が走り、震えが止まらない。まさか――毒矢?
「エルシード‥‥さん? うわっ!」
エルシードの機体を庇うようにして前に出た響のグライダーに今度は火矢が突き刺さった。
「ちっくしょー!! やりたい放題しやがって!」
敵の翼竜3騎のうち2騎に弓兵が同乗、残り1騎にも同乗者の姿があり、弓兵はすでに次の矢を射らんと構えている。
「接近戦は危険です。この際距離を置いて‥‥エルシ――――――――ドっっ!!」
全身に回った毒のせいでエルシードが己の意識を放した途端に、グライダーはゆらりと大きく揺らいで、直後に降下を始めた。
響が腕を差し出しすのがあと2秒でも遅かったら、彼女はグライダーごと墜落を免れなかっただろう。
●空と船
敵の恐獣部隊を分断するためチャリオットは川を直進、橋のバリケードを突破したフォーリィを先頭にモナルコス隊も砦を目指して進攻を開始した。
一方、グライダー部隊を排除した敵の翼竜部隊は標的をフロートシップに移していた。
フロートシップ――その巨大な船は一見、頑強な空の要塞のようにも見える。
だが、所詮木は燃える――これはアトランティスにおいても自然の理であった。
「翼竜が突っ込んで来ます!」
「怯むなっ、撃て!!」
(空中をちょこまか動き回る翼竜をバリスタで撃ち落すのは難しい‥‥死角に入られればそれまでか。ならば、バリスタが攻撃を止めた瞬間に私のウインドスラッシュでプテラの翼を狙えば!)
アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)が、スクロールを取り出したまさにその瞬間だった。彼女は、一騎の翼竜の背が赤く淡い光に包まれるのを見た。
(火の魔術師が空に‥‥?)
「ああ――――っ!」
刹那、視界が眩い光に遮られたかと思うと周囲に火柱が立ち昇っている。
「ファイアーボム‥‥こんな所でっ」
「船底を狙わせるな! 精霊力機関をやられたら堕ちるぞっ」
「分ってますっ、分ってるけど‥‥――――――ウアアアァァッッッ!!」
火の魔術師はファイアーボムをバリスタに向けて2〜3発撃ち終えると、船底を狙うためにやや降下し、他の翼竜も火矢を構えてそれに続いた。
(くっ、甲板からでは狙えない。私も船底に降りてスクロールを使うしか‥‥っ)
アレクセイは一旦武装部を出たが、すでに船内のあちこちからは火の手が上がっていた。消化作業が間に合わないのだ。
さらに敵の執拗な火責めは続き、まずは船底を包む炎を鎮火させ船の機関部を守るために、フロートシップは戦場からの離脱を余儀なくされた。
●ラ・ニュイ
丁度その頃、琢磨は砦の下流でラ・ニュイと会っていた。砦から少しでも彼を遠ざけたかったのだ。
ミカエルを引き渡すと、ラ・ニュイは大層嬉しそうに微笑んだ。ミカエルは琢磨を生かしておかないと豪語したが、ラ・ニュイがそれを厳しく諌めた。
『利用価値があるうちは』ということか、あるいは自分の存在など取るに足らぬという事か――。
いずれにせよ、琢磨はミカエルを始末する事は出来なかった。何度も考えた。きっと、ラ・ニュイが自分の立場なら迷わずミカエルを殺しただろう。でも‥‥。
塩もしその効力を失えば、何を以て塩たるか――ふいに聖書の一節を思い出す。琢磨は紛れも無く、温かい血の通った優しい人間であった。
●砦
「まだこの辺りにいるはずだ。‥‥確かに銀色の光だった」
銀色発光は月魔術師の特徴である。
砦の2階部分を石壁伝いに忍び足で進むと、案の定魔術師らしき男が物陰に潜んでいた。
「頂きっ」
オーラパワーを帯びたランディの剣が宙に舞い鮮やかな鮮血を降らせた。
が、刹那、彼は視界の端に再び青白く輝く光を捉える。その方向に目を凝らすと、2部屋分ほど先の踊り場にだけ濃い霧が掛かっている。
「ミストフィールドっ、まさか‥‥アリオス!」
***
「鼠、もっとたくさん集まるかと思ったけど、まあ、いいや」
褐色の壁の向こうから少年の声がする。
「砦は最初から罠か」
「うん。君の行動パターンは今までの経緯で大体把握出来たから、網を張れば素直に僕の所まで来てくれると思ったんだ」
「素直で悪かったな」
物陰に隠れているはずの少年の声を頼りにアリオスは弓を構えた。だが――その矢が放たれる前にアリオスの身体は冷たく光る氷に覆われた。
「この僕にたった一人で挑むなんて百年早いよ」
――とその直後に、近くで男の悲鳴が聞こえたので少年は慌てて声のする方へ駆け出した。
***
「ベリアル様‥‥どうして此処へ」
「油断は禁物といつも言ってるでしょう、ジブリール。この男は闘気魔法の使い手です。あなたにはまだ荷が重い」
薄く立ち込めている霧の中で、腰丈ほどもある見事な黄金色の髪を揺らしながら女は生温かい血がべっとりと付いた長剣をその場で一振りし、やがて鞘に納めた。
「‥‥すみません、ベリアル様の手を煩わせてしまって。僕、きちんと反省します」
「いいのよ、ジブリール。それよりあの方が待っておられます。此処はもう良いでしょう?」
「はいっ」
子供らしい愛らしい声で少年が答えると二人は足音も立てずに静かに踊り場を離れ、血潮にその身を横たえたランディだけが残された。
●琢磨
「響っ! どうしたっ、こんな所で何やって‥‥これは‥‥っ」
川沿いの土手を砦に向かって馬で駆けていた琢磨とエドが、河原の中洲にあるグライダーに気付いて駆け下りて来た。
見ると、顔面蒼白で座り込んでいる響の傍に、全身から汗を噴き出して苦しそうに喘いでいるエルシードの姿があった。
「毒か?」
琢磨の問いに頷くと、響は声を詰まらせながら懸命に状況を説明しようとするが、上手く言葉にならなかった。
「俺‥‥俺も彼女もこんな時に限って解毒剤持ってなくて‥‥民家探し回ったけど‥‥なくて、せめて水飲ませないと‥‥俺っ」
「はい、解毒剤ならここに有ります。もう大丈夫」
エドが差し出した薬を琢磨が代わってエルシードに飲ませた。
フロートシップはどうした? と聞きかけて琢磨は止めた。恐らく想像も出来なかった最悪の結果になったのだ。
「響、俺を乗せて砦まで飛べるか?」
「彼女は私が診てますから、心配は要りません」
響は一瞬きつく目を閉じると、パンパンっと自分の頬を両手で叩いた。
「大丈夫‥‥飛びます!」
響はそう言ってエルシードが被っていた飛行兜を琢磨に差し出した。
「俺、この世界に来た時、確かにゲームの世界みたいだって思った。でも戦えば誰もが傷つくし、ヘタしたら死んでしまう‥‥それをゲームだなんて言うあいつを、俺はやっぱり許せない!」
●惨敗
琢磨と響が砦に着いた時、勝敗はすでに決していた。
――少し前までは、少なくともグライダーとフロートシップの姿が空から消えた後もまだ暫くは、地上では冒険者が優勢であった。
「恐獣はあたしとモナルコスで出来るだけ押さえ込むから、グランは空と一緒に頭を!」
「分った!」
と、空がチャリオットで方向転換を掛けた直後だった。
恐獣が群がっているモナルコスの右足のつま先から脚の根に向かってすーっと冷気が走ったと思うと、みるみるうちにその部分が氷に包まれた。
「アイスコフィンか!」
クーフスに続いてフィオレンティナのモナルコスの左足も同様に氷漬けにされ、まだ稼動する方の足で懸命に大地を踏ん張るも、ほどなくその足も凍らされてしまう。
「クーフス! ゴーレムから降りろ! でないとモナルコスごと氷に閉じ込められるぞっ」
ゴーレムを放棄して二人は剣を持って白兵戦に加わり、圧倒的な数で押し負けながらもそれでも彼らは勇敢に戦い続けたが、武装が軽かったフィオレンティナがやがて敵の刃を受け負傷した。
そうして、気付くと彼らは敵の恐獣部隊にすっかり取り囲まれていた。文字通りの負け戦だった。
「ゲームオーヴァーだな」
賊の頭らしき男の声が砦の上から響き渡った。
刹那、翼竜が彼らの頭上を通過して『人間』を空の上から投げ捨てた。――アリオスとランディだった。
「ひどい‥‥っ」
賊たちは、わめき叫ぶ冒険者たちを無視して何事も無かったかのように砦の向こうへと姿を消した。
怒り心頭に達した空が一人で彼らを追おうとするのを、グランがなんとか押し留めた。
「ランディ‥‥ごめん‥‥食事、約束‥‥てたのに、あたし、どじっちゃって‥‥ほんと、ごめ‥‥ラン‥‥」
静まり返った河原で、フィオレンティナの小さな呟きがまるで残響のようにいつまでも仲間たちの鼓膜に残った。
●夜明け
一夜が明け、冒険者は王都への帰還の前にリザベのKBC支部に顔を出した。
「ミカエルは返したの?」
「ああ」
「ラ・ニュイはやはりレオナルドなのか?」
「多分ね」
「伯爵はどうなる?」
「別にどうも‥‥。賊は砦を放棄してどこかへ雲隠れしたらしい。伯爵はあの土地に倉庫のようなものを建てるとか言ってる。もともとそういう話になってたんだろうな。何に使うのかは、推して知るべしだけど」
「殺された男爵家の捜査はどうなるんだ? 続行されるのか」
「さあ‥‥王宮も今はバタバタだから」
「あんたはどうすんのよ」
「俺‥‥?」
「そう。上城琢磨はどうするのかって聞いてるの!」
「俺は‥‥」
煮え切らない琢磨の態度を見て、遂にフォーリィがキレた。
「もうっ! あんたがこれほど打たれ弱いとは思わなかったわよッ! 大体ねー、一人で色々背負い込み過ぎなのよ。頭でっかちに考えてばかりじゃ本当の答えなんて見つからないのよ!」
唖然とする仲間を他所に、フォーリィは琢磨の胸座を掴んで表に引きずり出した。
「はい、剣、持つ!」
「はい?」
「あたしが直々に稽古をつけてやるって言ってるの。ラ・ニュイの事、追いかけるんでしょ? じゃあ、ちょっとくらいは腕を磨いておかないとね」
「へぇ、いいですね。私も後でお願いしようかな」
「アレクセイっ、冗談言うな! 俺は‥‥」
「では、次は俺が」
「クーフス!!」
逃げ腰の琢磨にフォーリィが容赦なく剣を振り下ろす。剣と剣がぶつかり合って奏でる音が、どこか皆を清清しい気分にさせる。
ラ・ニュイを追う事が、惨殺された男爵家の人々への弔いであり、彼らから伯爵家を開放する事であり、エクレールとバとの接点を洗い出す事に繋がるのだ。
「頑張りなさいね!」
「ああ、皆もな」
そうして冒険者は王都へと戻って行った。次に会う時には、お互いがきっとほんの少しずつでも強くなっているのだろうと、琢磨は思った。